いじめに苦しむ君へ贈る、勇気が出るメッセージ集。」カテゴリーアーカイブ

いじめに苦しんでいる君・あなたの100%味方である八卦掌水式門の代表・水野が贈る、気持ちを奮い立たせ前を見ることができる温かいメッセージ集。

思い込みは現実へ~靴底が平らに減る私は将来達人

物事を成すうえで最も大事なことは、己のやっていることを信じ抜くこと。

言い古された、耳にタコができそうな言葉だが、大変難しいことでもあります。

己の信念に揺さぶりをかけてくる出来事は、まるで、天は私のことだけを狙い撃ちしているのではないか?と思うくらい、次から次へと起こる。

天のみならず、周りの人間も、絶妙なタイミング(最もメンタルがやられている時)で、適当な批判や中傷を浴びせてくる。

打ち立てた目的に到達する過程では、きっとそんなことだらけだろう・・・事前から覚悟もしていたし、分かってもいた。事実、歩き出した瞬間に、人は怒涛の如く消え去り、ほぼ誰も居なくなってしまった。

やっぱりそうか・・・仕方ないこと。割り切っているのだが、そんなことにずっとずっとさらされているので、毎日、不安や焦りを感じない日はないんですね。

そんな時に考えること。

「自分は天才だから、誰からも理解されないんだ。」

そう考えるのは自由だし、誰もにも迷惑もかけない。自分は真剣にそう考えているし、ずっと取り組んでいると、その考えを裏付ける出来事が起こってくる。

練習し始めの30年以上前、拳法の練習は靴への負担が大きくて、一カ月くらいでダメになっていた。はっきりと覚えているだが、左足の親指付け根付近だけが減り、それで靴寿命が縮まっていた。

長いこと、その状態が続いたが、ふっとした瞬間に、靴の減り方に変化が起きたのです。まず、左右の親指付け根わずか下が均一に減るようになり、立て続けに、今度は、靴底全体が、ほぼ均一に減るようになってきたのですね。

遊撃戦練習における、外転翻身・内転翻身・半斜翻身、そして滑歩外転が左右両方、時計回り反時計回り両方とも、対多人数遊撃戦総合練習の中で自在に用いることができるようになったあたりからです。

昔、下駄の歯が均一に減ってないのを見た達人が、挑戦者に「未熟者、出直してこい」と言った逸話を思い出し、「ってことは、自分は達人になったってことか?」と思ったのです。

実際、そのあたりから、態勢がバラバラでもいかようでも打つことができるようになったし、身体流の慣性状態から、全方向への身体展開ができるようになってきました。そして何より、型どおりでなくなったこと。大きな変化を感じました。

それ以後、辛いことや無気力状態が訪れるたびに、靴底全体減りを己を鼓舞する材料としてきました。

現在、靴の寿命周期は、40日くらい。少しだけ伸びました。均一に減るため、どこが一番最初に穴が空くかわからない状態ですね。一番減りやすいのは、土踏まずより少し前方。

思い込んだもん勝ち。信じたもん勝ち。それは誰にも迷惑もかけない。そして、なにより、思い込むことができるなら、それは間違いなく真実になってしまうということ。

そうならば、自分にとって都合のいい出来事を材料に、自分にとって望ましい内容を思い込んでしまおう。それは間もなく、真実となる。

もし君が、あなたが、自分のサイトや、他の情報をもとに、真摯に練習をしているなら、きっと強くなるし、未来に大きな変化が起きる。もうすでに起こり始めている。それは「そうなるといい」のレベルではなくて、「間もなくやってくる」こと。

さっそく思い込もう。俺は、私は、強くなる。取返し、望む生活を送る。想い出を作る。好きなあの人の前に堂々と立つ。

思い込んでしまえば、望むものは近づいてくる。苦しいことが起こっても大丈夫。その都度、思い込んだらいい。

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心に残る言葉は、きっと真理。信じて前に進もう。

「大丈夫だと思うよ。」

優しいその言葉に、長いこと助けられてきました。人の優しさから出たささやかな、そんな短い言葉が、長い時間、今もずっと心に残り続け、私を励ましてきてくれました。

その言葉をかけてくれた時の場所、表情、天気・・・克明に覚えている。多くを忘れてしまったが、優しい言葉は忘れられない。

「誰からも相手にされない」「みんなにバカにされる」「何にも期待されない」

自己否定の言葉に溺れてしまったあなたでも、ふとした時、誰かから優しい言葉をかけられたこともあると思う。

なんの根拠もなくていい、その言葉、全面的に信じよう。心から信じよう。この世の真理にしてしまおう。

人は、なかなか人など褒めない。私自身も、褒められたことなど数えるほど。

「大切な人を守る八卦掌を広めて、少しでも多くの人が暴力から守られるようにしたい」と真面目に語れば、たちどころに笑われ、「現実を見ろ」「で、生活は成り立ってるの?」「拳法で守るなんて、妄想もいいとこ」なんて言葉を機関銃で打ち込まれるがごとく浴びせられる。

でも、そんな言葉、全く心に残らない。私の中では、ずっとずっと、優しさから出た言葉が心のそばにあって、癒してくれる。

言ってくれた本人に聴いてみると、「そんなこと言ったっけ・・・・」との返答。

言った本人すら覚えていない言葉でも、その言葉が心に響き、心を揺さぶるならば、ずっとずっと残り続けるんだ。

そして、残り続けた言葉は、いつしか真理となり、何度も何度も失敗をしている私を、いまでもずっと支えている。

もしあなたの中で、言った本人すら覚えていないような言葉であっても、あなたの心の中に残り続けている言葉があるならば、その言葉はきっとあなたにとって真理なのだから、信じ、支えとしよう。

いいことがきっとたくさん起こるよ。私もそうだから。

対多人数遊撃戦八卦掌は、道なき道を行くようなもの。答えなど用意されてないし、拳法界で市民権も得てない未踏の領域。

手ごたえを感じなかったり、人からドタキャンやウソをつかれてタダ受講されたりして、屈辱のなみだを流す時も、いつもそばにいて支えてくれた。

多人数戦総合練習で、身体が動かず手が止まってしまった時も、カッと心に思い出され、手や足に力が入る。「手を止めない、あきらめない」って、何度も思い直すことができたことか。

私はその人からもう二度と、直接言ってもらうことはできないけれど、きっと自分の人生の最後までずっと忘れず、支えてくれる。本人が覚えていない言葉でも。

ある時、改めて聞いてみたことがあったのだけど、その時言ったことも、忘れられない。

「意思の強さの達人だからね。覚えてないけど、今でも大丈夫って、言うと思う」

人の優しさは、本当に偉大で、かけがえのないもの。私も、そんな言葉を、少しでもかけていけるなら嬉しい。

護衛護身五型、更新し、より詳しく説明しなおしているので、全国で孤軍奮闘して強く成ろう、取り返そうと思っている、君やあなた、是非とも見て欲しい。

きっと大丈夫!

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「レッテル」なんて何の価値もない。君の道を進め!

高校を卒業した後、卒業証明書が必要となり、母校に取りに行ったことがあった。

いい思い出と嫌な思い出が交錯する場所。嫌な思い出の中に、高校2年の時の担任の先生に見下ろされていた記憶、があった。

だから、高校に行くならば、その先生だけには遭遇したくないなと思っていたのだけれど、よりによって、遭遇してしまったんだよね、それも校舎に入った瞬間に。

その時出会い頭に言われた言葉が、「ちゃんと社会で生きていけてるか?」という侮辱的な言葉。ニヤニヤ笑いながらだった。ほほえましい中で言われたものではなく、高校の時見下ろされていた時と同じ言い方。

彼はその言葉を、安易な気持ちで言ったのかもしれないが、あれから30年近くたった今でも、言った態度も内容も、その時の悔しい気持ちも、はっきりと覚えている。

それくらい不快だった。

恐ろしいことは、何かうまくいかないことがあるたびに、その言葉を思い出してしまい、「やはり俺はダメな奴なのか」と考えてしまうこと。そんな気持ちになると、ダメな状況はますます悪化する。

その状況が収まると、痛烈に思う。人にレッテルを貼るのは、本当にしてはならないことだ、と。そのレッテルは、私に何の教訓もプラスの影響も与えない。苦しい時、戒めにもならない。落ち込む気持ちを、余計落ち込ませるだけの、無価値なもの。

だから自分は、、人に対して、「○○さんは◇◇だね」を始めとした、軽いものですら、言わないようにしている。言葉は本当に恐ろしい。

元担任の、無責任で思いやりのない無配慮なレッテルに、これほど苦しめられとは。自分のすることをある程度こなしきった今、やっとそのようなレッテルに対抗できるようになった。

今まで散々、あらゆる人からレッテルを貼られてきた。振り返ってみて思うのは、身近な人が貼り付けてきたレッテルが、もっとも深刻な影響を与えた、ということ。

両親によって、「おまえは本当に不器用だ」と言われた。その言葉は、何かができたないたびに、私に「おれはなんて不器用なんだ、やはりいう通りだ」とという気持ちを湧かせ、行動を止めてきた。

友達によって「お前に責任のある立場はこなせない。俺だったらお前を任命しない」と言われた言葉は、社会人になってから仕事がこなせないたびに頭の中に蘇り、自信を奪ってきた。

レッテルに苦しめられ、落ち切った自分だったが、八卦掌だけはやり続けた。

そしてやり続けた結果、修行開始直後自分が思い描いていたよりもっと先のところまで来ていた。そこでやっとレッテルに対抗できる心構えが出来上がってきた。

気持ちの持ちようで、ここまで苦労しなくても、克服できる方法がインターネットにはたくさん載っているが、私はそれらを活用できなかった。だからこれだけの時間がたってしまった。本当にもったいない時間だった、とつくづく思う。

この記事をここまで読んだ君は、きっと今、周りの人間の無責任なレッテル貼りで、苦しんでいるのだと思う。

前に、護衛護身五型の練習をする人の中で「しょせん弱い奴は何をやっても弱いままで、強い奴は何もしなくても強い」という言葉を浴びせられて、悩んでいる人が居た。

そこで「練習すれば、その分可能性は生まれる、自力が強い人間の虚をつくことができるようになるかもしれない、練習しなければ、可能性はゼロに近いまま」と言葉を掛けました。

私の経験から言って、レッテル貼りには、大方根拠なんてない。言った人間の、一時の情報・記憶から発せられた無責任なもの。言われた人間は、言われた時に比べて、何らかの努力や行動で、言われた時よりも進化している。

だから、レッテルなんて、「ふんっ、何言ってやがる」とあしらえばいい。

レッテルほど、百害あって一利なしを地で行くものはないから。

強くなる過程では、「決めたノルマをこなさなければ弱くなっていく」という引き算的法則ではなく、「今日はこれだけやったから、その分これだけ強くなった」という足し算的法則が成り立つ。

だからもし「自分は弱い奴だ、その通りだ」と思って、練習や体力づくりに不安を感じてしまうなら、聴いて欲しい。

やった分だけ確実に強くなり、やった分だけ未来の可能性が生じる。例外は一切ない。一切ないんだよ。だから安心して進んでいこう。

確かに言えることは、毎日少しづつでも行動するならば、あなたの未来は、ゆっくりと確実に変わっている、ということ。

君は、戦うと決めて動いたから、、このサイトを見つけることとなった。見つけたから、理不尽な強者に立ち向かうための強力な五型を知ることとなった。

このサイト、いじめや暴力に対し穏健策を取る他のサイトに比べて、ストレートに戦うことを前提にして、究極の具体策(対暴力制圧法たる五型)を示した究極のスタンスをとる内容。

戦う決意をした者でないと、巡りあうことは極めて難しい。戦う決意を固めた者でないと、心に届かず、目に入ってもスルーしてしまうだろう。

しかし君は巡りあった。スルーしなかった。それだけも大きな成果だ。勇気をもって戦う決意をし、動いたゆえの成果だ。動かなかったら、ネット上にあふれる「強い者にはしょせん勝てない」「護身術など無駄」という決めつけの意見に絶望するだけだった。

無駄なことなんてない。五型をとおして八卦掌を練習し、身にしみ込ませたら、君の気持ちは変わり、大きく未来は変わっていく。その時、他人がはりつけたレッテルの内容に大きな違和感を感じるだろう。

「何言ってるんだ、的外れもいいところだ。私はそんなんじゃない。残念だったな。私はこうだ。私が言うのだから間違いない。」

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成果が感じられず辛い時は、サイトを見て欲しい

「強くなりたい」「現状から抜け出したい」「もういじめられたくない」

そう願って動き始めたが、毎日練習してもしてもうまくいかない。進んでいる実感が感じられない。どうして僕は、私は、こんなこともできないんだ。どうしてダメなんだ・・・・。

そう思うこと、実はいつもなんだ。行動している人間こそが味わう、栄光の未来への通過点なんだ。

だから安心して、また明日から・・・・と言いたいところだが、落ち込む時の気持ちの辛さというのは、想像をはるかに超えるものがある。だから、辛い君へ、メッセージを送りたい。

私も今この瞬間も、常に恐怖や不安と戦っている。君と同じなんだ。そして、落ち込むこともいつもなんだよ。今日だって朝、走圏をしている時、悲しい気分になって、泣きながら練習していた。

君と今まさに同じ気持ちを背負って前に進んでいる同志だからこそ、言えることがある。どんなに辛い時でも、思い描いた先に向かって歩き続けていれば、着実に成果は上がり続ける、ということを。

そして歩いた時間や距離は関係ない、ということ。

いつも常々言っていることだけど、辛い時は、泣きながらでもいい、ふてくされながらでもいい、自暴自棄になりながらでもいいから、何か一手でも動いて欲しい。

たった一手打つだけでも、その分前にすすむことができる。枕に顔を押し付けて号泣している時でも、そこでなんとか立ち上がり、私のサイトに掲載している技を、一回だけでもいいから繰り出してごらん。その分だけ、前に進むから。

そして再び枕に顔を押し付けて泣いてもいい。君は何かをやった。安心して泣いていいんだ。

もし顔を上げることができるなら、私のサイトを見てほしい。ブログもいいけど、私のサイトも見てほしい。

たくさんの技が説明されている。説明しているものは皆、何の隠し事もない。そして、強くなるために役立つものしか掲載していない。

だから、強くなりたいという気持ち、いや、強くなりたいと思った原因を思い出しながら、読んで欲しい。

私はサイトのページを追加するとき、「大切な人を守りたい」という想いをこめて計画を立て、動画を撮影し、説明文を書いている。

君が、強くなりたいと思った要因をかみしめながら読んでくれたなら、きっと共感でき、胸が高まるだろう。

ブログ中における、メッセージ集には、君へのエールしか書いていない。君のために書かれたものだから、どうか読んで欲しい。この記事もそう。

辛い時、前に進んでないと思う時、思い出して欲しい。

「そんなことはない。例外なく、前に進んでいる。大丈夫。」

もうすぐ、夜が明ける。さあて、一緒に歩きはじめるとするか。また前に進もう。今日は辛いから、動きたくない?

OK!了解。それで大丈夫。君の心がそれを思ったなら、それこそが心の声。ただ、一手だけ前に進もう。

そして終わったら、望む未来をイメージして、また休めばいい。その繰り返しが、前に進む。抑えられない気持ちのままに動きたくなる時が、また来るから、きっと大丈夫。

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自分だけで考えた理念だけが、苦境を乗り越える理念となる

君の理念は、本当に君だけが考え出したものなのだろうか。

何を当たり前のことを・・・と思うかもしれないが、自分の理念、意外と人の意見を丸写しのものが多い。極端な場合、偉人やインフルエンサーの言葉をそのまま利用している例もある

人間が10人十色なので、同じ考え方をする人はほぼいない。性格を見ているとわかるのだが、本当にいろんな考え方をしている。そのような状況で、考え方や生き様が顕著に表れる「理念」なるものが、同じなはずがない。

他人からの借り物の理念では、本当の苦境に立った時、その苦しみを乗り越えることができない。

理念が完全オリジナルであれば、それに伴った決断がなされ、現状がそれに見合ったものになる。そこで生じた苦境も、己自身の選択した結果であると考えることができるため、あきらめもつく。

なぜ人はくじけるのか?その答えの一つは、このような借り物の理念であるケースが多いからだ。自分オリジナルの理念では、人に笑われるのではないか、そう思って、皆、理念ですら、人の顔色をうかがったものとしてしまう。

私が以前ブログ記事であげた、ジェダイの騎士を目指す少年、彼の考え方を大いに参考にしてもらいたい。彼は心の底からジェダイの騎士を目指していた。そして今も。

人から「創作の中のもの」とか「妄想はよせ」などと言われても、彼は曲げない。ジェダイのように・・・ではなく、「俺はジェダイになるんだ」と言い切るその考えを、私たちは真剣に学びたい。

夢・理念・理想・目標・・・・・これらは掲げれば、辛いことだらけ。掲げた直後の高揚感は甘美で心地よいが、世間の扱いは極めて冷たいもの。冷たい仕打ちを受けるたびに、心が折れそうになる。

そんなとき、ふと苦しさから、「逃げてしまおうか」と思う時がある。私のように、かけがえのない理由を持つ者にすら、その「魔の時」がくる。

そんな時、どう乗り越えてきたのか。次から次へ押し寄せる、冷たい重い波を乗り越えてきた原動力は、たった一つ、オリジナルな理念一つだけだった。

「今度こそ、大切な人、誰かにとって大切な人を守り切る。もう絶対失敗をしない。誰も苦しませない。強くなったら、あの時の佐藤金兵衛先生なような本を書いて、強くなりたいと願う人にその術を伝える。」

この100%オリジナルな理念が、私を支えてきた。その都度、理念形成にかかわった人の涙や苦しみの姿が、私を奮い立たせ、その場に押し止まらせたのだ。

大切な人を守る手段として、あらゆる方法を考えた。柔道を習った。警察官を志した。社会保険労務士や法曹職を目指すべく、法律の勉強もした。労働組合を立ち上げ、不当な使用者と闘った・・・・・」

それら多くの手段を講じ、全力で臨んできた。しかしこれらはすべて、社会に受け入れられるためのフィルターが入っており、私の心の底からの理念と異なっていた。その結果、行き詰るたびに耐えきれなくなって挫折を繰り返し、笑われ続けてきた。

のたうち回り、自信を失い、人からあざとく笑われ続け、ふらふらになりながらたどり着いたものが、やはり先ほど触れた中学生の時の志だったんだ。

大切な人だけでなくすべての人がいなくなり、一人になった時、そこにあったものに気づいた。

今この記事を読んでいる君は、あなたは、私よりも若いかもしれないし、年齢を重ねているかもしれない。しかしそれは全く関係ない、と言っておこう。

どの年齢、どの立場の人であれ、軌道を修正し、再起を期すための再スタートは、いまこの瞬間がベスト。今こそ、このときこそ、再スタートにふさわしい。

まずあなたの理念を思い出してもらいたい。その理念は、あなたがだれに遠慮するのでなく作ったものですか。そこからすべてが動き出す。

スマホやパソコンでこの記事を見ている人で、強くなりたいと願っている人がいるならば、さっそく私のサイトで説明されている型や基本功を試しにやってみよう。その分だけ、君は、あなたは強くなる。

授業などの拘束時間にこの記事を見た人は、自由になった時、真っ先に採る行動を考えてみよう。そしてそれをメモか何かに筆記して、自由になった瞬間、それを実行するんだ。

くじけそうなあなたを救い、行動する気持ちを奮い立たせ、かつ継続させてくれるのは、たった一つのモノだった。

心の底から湧き上がった、利得や建前・しがらみを超越した、完全オリジナルの理念。

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「孤独で味方なんて誰もいない」~それは強さへの最短経路!

◆トップページ◆ブログ「対多人数遊撃戦八卦掌という護衛護身法を求めて」トップページ◆カテゴリー「いじめに苦しむ君へ贈る、勇気が出るメッセージ集」トップページ>◇

味方になってくれる友達とかが誰もいない。いつものけ者にされている。いつも一人で時間を過ごしている。

戦う決意をしたはいいが、誰も近寄ってこない。近寄ってくるのは、いじめられる時やバカにされる時だけ。こんなの辛すぎる・・・。

はっきり言ってしまうよ。あなたが辛い時に寄り添ってくれない同級生なんて、間違いなく友達じゃない。上っ面で「友達」を演じているヤツなんて、強くなる過程で邪魔なだけだからちょうどいいんだ。

あなたがいじめられているその渦中にいるならば、現時点で、誰もあなたに降りかかる理不尽な暴力に声を上げてくれなかったのだろう?

我が身がかわいいのか、それともあなたが好きじゃないから黙っているのか・・・・。あなたのことを好きじゃない、という理由なら、それはあなたにはどうすることもできないこと。

考えるだけ時間の無駄だから、あなたを好きじゃない連中は、今このブログを読んでいる最中に忘れてしまっていい。あなたに責任なんてないし、どうすることもできないから。

クラスの連中が声を上げないのは、保身のためがほとんど。いじめられているあなたに寄り添うよりも、見て見ぬフリをして一緒に馬鹿にし、あなただけをのけ者しあう連帯感でつながり、保身を図っている場合がほとんどなんだよ。

そんな連中と一緒にいたいかい?私なら、金を積まれても一緒に居たくないね。

孤独になったことは、強くなるうえで望ましい状況なんだ。まず、自分の時間として学校以外の空いた時間を全部使うことができる。手始めに、早速八卦掌の型の練習をしてみよう。

えっ?もうしている?ならば、誰も居ない場所にある立木や橋脚、電信柱の前に立ち、八卦掌護身護衛科の「胸前換手」を練習してみよう。

何度も何度も繰り返し、動作をとりあえず覚えてしまうこと。その後、慣れた状態で型の細部の意識を付け加える。おもいきり打ち込んでみる。基礎体力向上のために毎夜ランニングをする・・・・。

一人で居る時間が長ければ長いほど、技の精度があがっていく。強くなるのに、人と一緒に練習することは必ずしも必要ない。世界最強の格闘王になるならまだしも、そうでないのだから大丈夫。

人と一緒に練習すれば、相手の都合に合わせたりしなければならない。一人なら、いつもでもどこでも、そして納得いくまでどれくらいでも練習できる。

対人練習ができないなら、一人練習で圧倒的な時間を重ねてしまえばいい。動作をあなたの身体に染み込ませ、「その動きしかできない」くらいまで身体に覚えさせる。

これは誰からも相手にされない孤独な状況だからこそ可能。クラスの連中がぼーっとしているうちに、連中の想像をはるかに超える強さを得てしまえばいい。

そうなってくると、つるむことの無意味さを強く感じるようになる。たとえ授業の中でペアを組む機会やグループを作る機会があっても、自ら動く必要もない。あなたには誰も声をかけないだろうが、それでいいじゃないか。

日頃無視したり見て見ぬフリをしている連中なんかとはっきりいってつるみたくもない。日本には、群れない自由も当然あるのだから。

今あなたがすることは、ひたらすら前に進むこと。あなたがしたいことは、冷たいクラスの連中とつるまないとできないことだったのかな?そうじゃないなら、ただただ前に進み続ければいい。

そして手始めに、今度バカにしてきたら、「黙れ、うるさいぞ」と言おう。そんな扱いをされることを「私は望まない」とはっきりと言ってやろう。

生意気だ、とか、裏に来い、とか言われても、全く応じる必要もない。その場で言うだけでよい。呼び出しなんて完全に無視しよう。同級生ごときの命令に従う必要なんて全くない。

暴力をふるってきたら、身を守るために、動き回ろう。全力で。相手をにらみつけながら。一切の手を抜かずに、全力で。

その気迫が、きっと大きな変化を生じさせる。笑われるかもしれないが、一部の人間には、きっと届く。必死で真剣な態度は、人をいつの時代も動かすのだから。

あなたはこの時のために、孤独の時間の中で、圧倒的な積み重ねをしてきた。護衛拳法八卦掌の実戦技法をあきれるくらい繰り返してきた。だからあとは、流れに身を任せよう。技も、積み重ねてきた記憶も、そして真剣さも、きっとあなたの力になってくれるよ。

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ふさぎ込んでいると余計辛い。一回でいい。立ち上がって穿掌を突いてごらん。

◆トップページ◆ブログ「対多人数遊撃戦八卦掌という護衛護身法を求めて」トップページ◆カテゴリー「いじめに苦しむ君へ贈る、勇気が出るメッセージ集」トップページ>◇ふさぎ込んでいると余計辛い。一回でいい。立ち上がって穿掌を突いてごらん。

打ちのめされて、辛くて、頭も身体もぼうぜんとして、ただふさぎ込むことしかできない時。

戦う決意をしたあなたなら、きっとその時が来る。その状況になってない時、口で言うのは簡単だが、いざなったら、その苦しみは尋常じゃない。

ポジティブ思考もできない。ありとあらゆる自分否定の言葉があなたを襲うだろう。これでもか、これでもか、と、自分のダメなところが見えてきて、自分をゴミ扱いする。

どうしようもない状況。その状況の中で、私はあなたに、「それでも立ち上がれ」と言う。なんと酷なアドバイスか、と思うでしょう。

しかし焦らずに聞いて欲しいんだ。立ち上がってポジティブになれ、いつものすべきこと(ルーティン)をさぼるな、甘えるな、と叱っているわけではないよ。

「立ち上がって」とは、気持ちを奮い立たせて、苦しみから目を背けるな、というのではない。ふさぎ込んでいるまさにその場所(布団の上や机の横)で立ち上がることなんだ。

そして、その場所で、私が教えた技の中で、最も得意な技を突いて(蹴って)ごらん。実はそのわずかな動作をすること自体に、大変重要な意味があるんだ。

あなたは、戦う決断をして、八卦掌水式門のホームページを見て、サイト上で公開されている技を練習している。だから、立ち上がって、八卦掌の技で一突きすることができたんだ。

君は決断をして行動をしているから、どん底で辛くてもその動作ができた。戦う決断をしなかったら、今のあなたにできたことは、ふさぎ込んで泣くことだけだったはず。決断をしたあなただから、護衛拳法八卦掌の実戦技を繰り出すことができた。

覚えているだろうか。水式門の八卦掌は、プラス査定の拳法だと言ったことを。練習すればするほど、その分、確実に積み重なって実力に変わっていく。

有名先生や著名選手の伝説めいた練習量をこなす義務は一切なく、苦しい練習ができなかったからといって、どんどん弱くなるわけではない。あなたは立ち上がってその場で一突きした。今まさに、その分、強くなったんだよ。

もし辛さが激しすぎて、もう突くこともできないなら、再びふさぎ込んでいい。しかし覚えていてほしい、その時立ち上がった事実を。どれだけ辛い時でも、あなたは前に進んだ。安心してほしい。あなたはまた一歩望む世界に一歩近づいた。

だれにも知られなくていい。見ている人はどこかで見ているものだよ。少なくとも、私が見ている。誰かがこの記事を読んだことは、間接的な形で足跡として残る。

「ああ、また全国の同志が、見てくれた。練習をして前に進んでくれた。ありがとう。ともに進んでいこうぜ」って、いつもひとり言ってる。どんどん見てほしい。どんどん、練習してほしい。

何かをやった、こんな時でも何かをやった。そんな、ささやかだけど偉大な充実感を味わってほしい。たった一度立ち上がるだけで、それだけの変化が生まれるんだ。

私は十数年、練習を休んだことがない。毎日ずっと、ずっと練習している。しかし辛い時もあった。というか、辛い時の方が多かった。辛い時は、私も練習量を落とした。ほんのわずかな時もあった。

でもやり続けてきたから、今の自分がある。伝説の武道家のような、人間離れした練習などしてないが、やってきたから、今こそ!というとき、心の中で堂々と言えた。

「ずっとやってきたんだ、かかってこい!」本当に、自然と、そう思うことができた。

ほんの少しの行動が、辛くてたまらないあなたを救う。その行動が、積み重なって、大きな「なにか」につながる。間違いないよ。

間違いないよ、一回でいい、立ち上がって、突いてごらん。

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ジェダイのようじゃなく、ジェダイになるんだよ

◆トップページ◆ブログ「対多人数遊撃戦八卦掌という護衛護身法を求めて」トップページ◆カテゴリー「いじめに苦しむ君へ贈る、勇気が出るメッセージ集」トップページ>◇ジェダイのようじゃなく、ジェダイになるんだよ

少年との会話です。少年は言っていました。

「将来、何になりたいの?」

「ジェダイの騎士になりたい」

「あれは映画の中の話だよ。でも、剣道とか習ったら、ジェダイのような動きができるかもね。」

「フォースの練習をしているが、なかなかものが動かないんだ。スプーンも曲がらないよ」

「なかなか行動してるね。もっと現実的に、素振りでもしたら。なんなら、竹刀でも買ってあげるよ。雰囲気は味わえるかも」

「雰囲気とかどうでもいいよ。それよりフォースのやり方教えてくれる本ないかな?」

「フォースにこだわるね、でもこれは創作だからね・・・ないかもよ」

「どうしようかな・・・ベーダ―卿も、オビワンも、みんなフォース使ってるのに・・・自分だけできないと、ジェダイになれないよ」

「とりあえず、剣術・・いや、剣道でも練習したら?ジェダイになることできなくても、その努力とか・・・無駄にならないよ、もっとリアルにならなきゃ。ジェダイみたいになれればいいんじゃない?」

「俺がなりたいのはジェダイだけ。ジェダイみたいな、じゃなくて、ジェダイになりたい。」

その少年、もうすぐ50歳になるけど、未だジェダイになるべく練習中。長い年月の中で、ジェダイの中で最も好きな戦闘スタイルを見つけ出し、練習はより具体的に。ダース・モールのような動きがいいと、思ったのです。

周囲の大人は、創作と現実のはざまの中で、現実を見ることを強いるが、少年はあくまで、己の思い描いた夢をリアルに考え、何が今できるかを考え、実行に移し、そして継続している。

ジェダイのような仕事がこの世にあらわれたら、もっともその仕事に近い位置に立つことができるのは、その少年だ。

ジェダイになるうえで、己の夢を信じ準備を重ねてきた少年は、誰よりもジェダイになりやすい位置にいる。

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強くなりたい。でも練習するのすら悲しい時は。

いじめや理不尽な暴力になすすべもなく、どうすることもできないと感じた時。

そのことを考えるだけで、辛くて悲しくて、涙が止まらない時。決して楽ではなく、楽しいことばかりでもなく、成果を感じることが難しい拳法の練習は、そんなとき、とてもじゃないけど、向き合うことができるものではない。

私も、何度も何度も、そんなことを繰り返してきたんだよ。

中学生の頃から、今に至るまで。自分は何をやっているんだろう?こんなことが、何の意味を持つのか?これから先、一度も、今練習していることが意味を持つ瞬間が来ないのではないか?

愕然として周りを見渡せば、こだわったがゆえに人も離れ、誰もいなくて、練習場所ではただ、鳥が飛び、空が青いだけ。

でも、そういう時、ふらふらになりながらも立ち上がって、まずその場で八卦掌の構えをし、自分が最も得意な技を繰り出す。

泣きながらなので、身体は動かず、キレもなく、足はバタバタして定まらない。移動速度も遅い。そのふがいない動きに、ますます悲しくなってやる気をもっともっと失う。

泣けてくる。

これすらダメか、これだけやってきたものでも、このザマか!と一気に涙があふれるでもそんな気持ちになってでも、とにかく立って、続けて得意技を放つ。

どうだ!これでもか!相変わらずふがいないままの得意技。何度もスポンジ支柱を打っているうちに、スッと、いい動きができる時がある。

「こんな時でもできた」と不思議に思って、少しだけ、違う考えが湧き上がる。気が付くと、泣いていた時からずっと、繰り返して練習していた。そこでハッとなる。

いつも練習時間に比べたら、そんな日の練習時間なんてわずかなもの。

でも、そんな日でも、得意技だけだったけど、なんども繰り返し、うまくいった瞬間もあった。これで大丈夫なんです。悲しい時なんて。これでも十分すぎるくらい。

だって拳法の練習は、積み重ねていくものだから。

ある一定の、ベテランやマスターが定めたノルマをこなさなければ技術落ちる、そんなばかげたことは無い。

君は君だよ今日も、悲しくても、技をくりだしたじゃないか。

その回数たった3回?十分だよ。君は3回分前に進んだ。3回分、思い描く我の姿に近づいたんだ。昨日よりも、成長した。

悲しい時は、とりあえずその場にまず立って、心のよりどころとなっているその技だけ、打ってごらん。

そこからすべてが始まる。すぐに止めてしまってもいいから。その日、それだけでも前に進んだのだから。

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あきらめる必要なんてない~ドン底水野が言うから間違いなし

苦しい。誰もいなくなった。友達は皆私のことをさげすみ、去って行った。

親兄弟からバカにされた。「そういう考えだからダメなんだ、お前は」

女子(男子)から見下され、最もかかわりたくないヤツと言われた。

今君の状況がそのような状況ならば、それは本当に辛い。間違いない。気持ちはすごくわかる。私もそうだったから。

でも、君が今までのように扱われるのがもう嫌で立ち上がったなら、再びしゃがみ込む必要なんてないよ。

周りが皆敵になったとしても、君が「もう今までのように扱われるのが嫌だ。強くなりたい」と思ったことを、もっともっと大事にしてほしい。実はそれだけが、真実だから

真実とは、周りの人間誰もが納得するようなことではない。雨が降り、天気になり、地球が自転し・・それらは自然の法則であり、君が心に湧かせた感情だって、それらと同じ、自然の法則が生み出したもの。

「君」という存在は、自然の法則が気が遠くなるような積み重ねの中で生み出した存在の一つなんだよ。君が思うこと、君がそう願うことは、「君」という自然の法則の一部が、自然と湧き上がらせたものであり、同級生や先生といった他の自然の法則が生み出した感情に比して劣ったりするものではない。

同級生や先生が君を批判しても、それは彼らという自然の法則の一部が思ったことであって、君が思ったことではない。君が思ったのは、「今までと同じは嫌だ、強くなりたい」。君という自然の法則がそう思ったならば、それは君にとって真実なのだ。

だからあきらめなくていい。他人の感情や考えに、併せなくていい。君の望んだ気持ちに従うだけでいい。そうすれば、きっともっともっと先に行くことができる。

どん底の私が言うのだから間違いない。去年の9月1日、あきらめないぜ動画を上げたことがある(今でも見ることができる)が、あの時等比べ物にならないくらい、今が苦しい。誰も周りにいない。食事の楽しみすらなくなりつつある。しかしあきらめてない。

ろくなことが起きないが、なぜか「生きている」実感がある。社会に迎合して、社会の一般的な考えに気を遣ったような「目標」を立てて我慢していた時よりも、生活ははるかに苦しく、時に涙すら出るのに、今の方が湧き上がる感情が心地いい。

この記事は、成功した後で辛かった時期を懐かしみ武勇伝の一環として書いた記事ではない。今まさに君と同じく逆境にある私が、辛い状況が続けども自分の考えに従って選択し続けることの方が生きる喜びを感じることができる、と書いた真実そのものの記事なのだ。

だからここで書いたことは大いに励みにして欲しい。君と一緒に、苦しみながらも進んでいく。「辛いのは君だけじゃないんだぞ」などというくだらない励ましとは違う。

ともに戦っていこうぜ。私も今まさに、取り返すための戦いの中にいる。同志だぜ。

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