月別アーカイブ: 2023年9月

虎衣藤牌(盾)兵刀術は、後方スライド撤退戦と相性がいい

八卦掌は、「掌」となっているが、多くが武器である。

できるかぎり武器をもつ。武器は、現代では「物」で代用されなければならない。武器の携帯は、(日本では)許されないからだ。

しかしもし武器を携帯していいならば・・・・私は円の盾と、棒を持つ。棒は、刀ではないの?と言われるが、刀だと、自分も相手も殺傷してしまう。

平和な時代に生きている私は、人を刃物で傷つけるなど、許されても想像できない。いや、絶対したくない。よって棒である。

水式門の指導する八卦掌は、清王朝末期頃スタイルの八卦掌である。刃物武器で殺し合っていたころの殺伐とした時代のスタイルである。技法は単純明快。難しい理論はいらない(当時の中国の民衆の識字率は大変低く、それが机上学習に対する人々の関心を低くし、理論は完全に必須ではなかった。弊門では、今でも理論は任意である。)

単純明快な技法は、すぐに戦う必要があったから。大変天国の乱によって何百万単位の人間が命を落とし、清朝の権威が失墜し、治安が乱れた頃に、年単位でしか習得できない技術体系など栄えなかった(家伝武術のみである)。

盾兵は、当時の軍団の重要な構成要素であった。戦場という極限の中で生まれ、用いられてきた武器術なのだ。

清王朝康熙帝治世時代、清は近接のロマノフ朝ロシアと、たびたび国境紛争を起こしていた。

1600年代は、武器も刀剣が主流であった。銃は火縄銃・大砲は、砲筒内の火薬の爆発で、鉛玉を飛ばし当てるのが威力のメインの時代だった。

そのような時代背景もあって、今日触れる虎衣藤牌兵は、その刀剣術と牌術(盾術)で、ロシアとの国境紛争において後世に名を残す活躍をした(アルバジン戦争時のアルバジン包囲戦において、藤牌を使った伝説的な働きをし、ネルチンスク条約の締結に貢献をした)。

詳しいことは不明だが、台湾征服後の鄭氏王朝接収の際の、王朝直下の藤牌兵部隊が前衛だったと言われている。

清王朝においては、虎の毛皮に身を包み、虎の顔を模した藤製の盾を持ち、鍛えぬいた刀剣術で、敵に斬り込み、牌で身を守った。虎の毛皮と盾は、敵の軍馬を恐れさせるためだったと言われている。

東京で名もなき先生に拳法を習っていた際、その先生は牌術の使い手であった。その印象がとても強かった。

現在も、中国福建省付近では、虎衣藤牌兵の武術(舞)が伝わっている。成人後、先生の消息を追ったが、結局わからずじまいであった。

しかし虎衣藤牌兵の武術を知っているならば、福建省付近の出身かもしれない(しかしやっていた徒手武術は、形意拳や八卦掌などの北の拳法だった)。

実はこの藤牌術、後退スライド撤退戦(単換掌理)対敵身法と大変相性がいい。後退しながら盾で受け、盾を越えて突き刺すホンロウ勁による刀操術を用いるならば、我が身を盾の中に収めながら攻防できるのだ。

使う場面や用法は限られるが、護身に徹するならば、きっとこの技術は何らかの形で役立つだろう。

・・・ということで、私は頻繁に藤牌術を練習してきた。盾は、ホームセンターで売っている大きなザルを3枚くらい重ね、それを結束バンドで絞め、後ろに腕を通す輪を作り、持ち手を付する簡単なもの。

盾で攻撃する技術を集中的に磨いていた時は、ゴミ箱のフタで作り練習をしていた。この青い盾は、つい最近まで持っていたが、ついに壊れてしまった(耐久性はなかなかだった。ナイフくらいの斬撃ならば、十分に防ぐことができる)

指導の中で、子供たちにも教えた。刀術専門の子は、藤牌兵刀術を大変気に入り、今でも練習をしている(目立つのがたまにキズ)

牌術は八卦掌の必須科目ではないため、指導は、一通り修行が終った承継人の希望者のみに教えている。今まで教えたのは、二人のみ。二人とも刀術が好きなため、非常に熱心に取り組んでくれた。

演武の中国盾術では、身体が盾を乗り越えて斬撃・刺突を行うが、実際は、盾から身を乗り出さない。乗り出すと、その瞬間に斬られるからだ。盾操法の発達した西洋では、この辺は徹底している。

水式門の藤牌術も同じである。よって、直線的な攻撃はできない。そこで登場するのが、ホンロウ勁である。

ホンロウ勁を使用する代表的拳法が、形意拳である。形意拳の劈拳は、ホンロウ勁で打つ技だ(だから最初に取り組み、修行期間を通じてずっと学び続ける最重要技なのだ。名人の逸話に囚われ、初心者のくせにホンロウ勁の学習がしにくい崩拳をやりたがる連中が多すぎる)。

東京・清瀬の先生も、形意拳をやっていた。ホンロウ勁は後の八卦掌の先生にも習ったが、私はその時すでに習っていた(当然ホンロウ勁という名前など教えてもらっていないが)。だから劈拳とホンロウ勁は、それなりにできる。指導許可は得てないから、形意拳の名で生徒は募集出来ないが。

ホンロウ勁による半円軌道の打ち下ろし操法にて、盾を下弦軌道で乗り越えて(もしくは下から、刃先を上弦軌道でまたがせて)刃先を相手に届かせる。牌術はその技法がほぼすべてである。

牌術を練習することで、カバンなどをもって盾とし、我が身を守りつつ戦う概念を獲得できる。

コンビニでバイトをしていた時も、番重(ばんじゅう。商品を運んできたパレット)を使用して戦う方法を思いつき、ホームセンターで番重をかってきて練習していた。

虎衣藤牌兵刀術を習うことが最も重要なのではなく、盾の代わりになるようなもので戦う発想と、事前準備が大切なのだ。

水式門に来たらならば、是非とも藤牌兵術も習ってもらいたい。

八卦掌水式門富山本科イメージ

八卦掌使いの強さを引き上げる体軸力~翻身拍打の重要性

八卦掌水式門(以下「弊門」)のサイト中のいじめ護身部に、単招式(単独練習型)の「翻身拍打(ほんしんはくだ)」を掲載するために、準備している。

この翻身拍打、大変重要である。程廷華伝八卦掌では、八母掌?の「単換掌」で、この動きがみられる。

私が佐藤金兵衛先生の本を見て練習していた時、掲載されていた型で意味が分かったのは、この「単換掌」だけだった。

当時は、身をひるがえして、その展開力にて攻撃するための型だと思っていた(今になって分かったのだが、それも用法の内のひとつで、間違っていなかった)。

しかしこのひるがえしの動作は、昔日スタイル八卦掌の斜め後退スライド撤退戦(単換掌理)対敵身法の理で用いると、斜め後方から迫ってくる敵の攻撃をはたいて反対側の肩を入れつつ、推掌にて押し突き離脱する撤退戦用法にもなると気づいた。

この用法は大変シンプルで、後敵イメージ走圏が日頃から練習できていればいるほど、自然に決まりやすい、理にかなった使い方。

さすが八卦掌の最大流派の基本型として採用されている技だけのことはある(斜め後退スライド撤退戦対敵身法で用いている人はほとんど見たことはないが)。

その用法、その理に気づいてからも、変わらず練習をし続けていると、翻身拍打の動作の存在意義と練習する意義には、もっと大事なものがあると気づいた。

それは、八卦掌で使う急速な対敵行動の仕方のヒントとしての意義と、それを補う「身体軸」の開発練習法としての意義である。

八卦掌水式門(以下「弊門」)で指導しているスタイルは、対多人数を想定した、徹底した移動遊撃戦である。

移動遊撃戦の渦中たるや、「身体流れ」の横振り慣性のオンパレードである。ほとんどの人は、この過酷な慣性の壁の手前で挫折をしてしまう。

この壁を越えるのに、特別な身体能力は必要ない。やはりただただ、単換掌理の後退スライドの身法を、ショウ泥滑歩の中でも実行できるようになるまで繰り返すことだ。

そして、単換掌理による旋回・後退スライドの際、「翻身発力(ほんしんはつりょく)」という、身体展開の発力をもって、身体をコントロールしている。身をひるがえし、身体を(最小限の範囲内で)開き、その開いた勢いにより、行きたい方向へと身体を移動させる発力だ。

単換掌理の身法を外から見ていて、そこに翻身発力の存在を見いだすのは初心者や門外漢には困難だ。長い練習の果てに、単換掌理の後退スライドに、翻身発力が大きくかかわっていることを知る。

清王朝末期頃スタイル八卦掌の三大身法である、斜進翻身法・外転翻身法・内転翻身法は、それぞれが、メインで使用する発力がある。斜進翻身法は遊歩発力、外転翻身法は扣擺発力・内転翻身法は、翻身発力だ。

他の発力と比べて、翻身発力はやりにくい。遊歩発力は、スライド移動の流れの中で行うため、理解しやすい。扣擺発力も、外転翻身(敵に背を一瞬向けて転身する身法)のダイナミックな流れの中で、最初から思い切り練習できる。

内転翻身は、例えば、順勢掌理による平穿掌や双按連穿、遊歩連穿などの技の直後に、翻身拍打などの身を翻す動作を課すことで、身体流れの慣性の中で鍛えらえ、動作が洗練され、うまくなっていく。

しかし身体流れの慣性は、先ほども言ったように、想像以上に我にのしかかる。これを克服するのは容易ではない。ここは地道に、練習を繰り返すしかないのだ。

その地道なくり返しの中での、理解の指針となるのが、単招式「翻身拍打」である。型として決められているので、これをひたすら繰り返し、時に対人想定練習において、電信柱やサンドバックを相手に、一人戦ってみるといいだろう。

通り抜け直後の翻身拍打にて、敵と貼りつき・並走していくのを実行するには、繰り返すしかない。通り抜け直後、身体をコントロールするには、物理の法則に勝つ必要がある。物理の法則を克服する方法として、人間には、「慣れ」る方法が与えられている。

上級者向けだ、武術は一人で練習しても強くならない、そのやり方は私たちのやり方ではない、真伝から外れている、などのどうでも取るに足らないいちゃもんに目もくれず、圧倒的に繰り返せ。

呆れるくらい繰り返し、壁を乗り越え、何気なく身体コントールができている自分に気づいた時、周りの雑音なんぞ意味もないものであったと気づく。こんなどうでもいいもののために、挫折なんかしなくて本当によかった。つくづくそう思う。

翻身拍打に興味があるならば、今度上げる動画で、とにかくまねてみるといい。変なクセがつく?大丈夫、そんな簡単にクセなんてつかない。頭で考えず、実行せよ。その先に未来が待っている。

そしてわからなかったら、近くの先生の門を叩けばよい。それだけのことである。今は日本各地に、私を含め、八卦掌のマスターがたくさんいるのだから。

八卦掌水式門富山本科イメージ