八卦掌は「勢」の武術である~勢で護身し、護衛を果たす

八卦掌は勢(せい)の武術である。螺旋や変則攻撃が重要なのではない。

「勢」とは、速さを伴って、高い移動推進力で、進み続けること。また、その勢い。孫子の兵法では、一篇使ってまるまる勢の重要性を説くくらい、古来より中国兵法・軍隊戦術などで重宝されている。

八卦掌という武術の目的は、対多人数・対強者・対武器の圧倒的不利な状況でも、一定時間我が身を守って囮(おとり)となり、守るべき人(清朝王族・王族寵姫)を守る、というもの。そして使用者は、あくまで宦官や女官であることを想定していた。

去勢(きょせい)された男性官吏たる宦官(かんがん)は、身分が低く、ともすれば蔑視の対象であった。古来より中国では、ひげを生やす習慣があった。それは、宦官と間違われたくなかったから、という理由もあった。

支配階級民族からすれば、宦官の命なんぞ、軽いものである。変わりはいくらでもいる。かたや宦官となった者は、後宮内で立身出世をすれば、低い身分から一発逆転をすることすらできる。逆転できないにしても、宮仕えをしている期間中は、食にありつける。

太平天国の争乱期は、庶民を含め多くの命が奪われた動乱の時代。宦官にならず庶民として暮らしていても、いつ何時命を奪われるかわからない時代。

そこで一部の者は、宦官になることも考える。宮中内で、何かしらの形で名誉・肩書を得れば、後の生活も保証される。護衛の渦中で我が身の命が奪われたとしても、大きな栄誉をたまわり、後に残された家族が生活を保証されるかもしれない。

宦官になることは、去勢手術における落命の危険も含め大きなリスクを伴ったけれど、人によっては、メリットもあったのだ。

古来より、王族のために刺客(暗殺者)となる者は、残された家族の生活が保証され、その家族に栄誉を与える約束のうえで、死地に向かった。刺客となれば、ほぼその場で殺される。後の孫子の主君となる闔閭(こうりょ)のために、先代呉王を魚腸剣にて暗殺した専緒(せんしょ)がいい例である。専緒は暗殺に成功したが、その場で呉王の側近に殺害された。

刺客や護衛者の末路は、それが一般的であったのだ。囮護衛などという悲壮な護衛方法は、厳しい身分制社会が生んだ、悲壮なスタイルなのである。

ひょっとしたら創始者の董海川先生は、宮中内にて需要のあるものを生み出し、その先駆者となることで、立身出世をする、という可能性に、価値を見い出し賭けたのかもしれない。

※宦官になった説には諸説ある。碑によれば、連座という記載もある。しかし不明である。

しかし、宦官であったことと、宮中内で認められるため・需要を得るために、自らが以前修めた武術を元に女官・宦官でも使い得る武術を創出した、という説には大いに自信がある。

なぜなら、当時の中国に、ここまで女官や宦官に適した武術など、成立し得ないからである。当時存在していた武術のほぼすべては、屈強な男性向けのもの。

距離をとって護身を図る方法は、以前より戦場における護身の有効な方法であったのだが、攻撃を犠牲にした斜め後方スライド技法で統一するまで生存にこだわっている武術は、他になかった。これは、使用する人間が非力であることが前提だった証である。

宮中内で女官や宦官でも使え、かつ王族を守ることすらできる、宮中内奉仕者向けの護衛武術を創って、それが王族に認められ、宮中内官吏が修めるべき武術として採用されれば、その武術の創始者として武術教官となることができる。これは大きな出世である。

事実、八卦掌は、清朝名門王族たる粛親王府でその実力を認められ、董先生が武術教官となったことを契機に、爆発的に広がっていく。

八卦掌が世に生まれ、そして認められ世に広まっていく。その前提として、『対多人数・対強者・対武器の圧倒的不利な状況でも、一定時間我が身を守って囮(おとり)となり、守るべき人(清朝王族・王族寵姫)を守る』という目的は、根本的なものだったのである。

この目的を果たすための最も大切な要素が『勢』なのである。勢がなかったら、対多人数・対強者・対武器対処ができない武術となり、王宮内護衛武術として採用されない。八卦掌が世に出ないのである。

勢無くして、多人数相手に生き残ることはできない。動かぬ的(まと)となったら、あっという間に取り囲まれる。

勢無くして、屈強な男性の力任せの攻撃に対処できない。とどまっていたら、屈強な男性の、力任せの攻撃をその場で受け続けることになる。

勢無くして、武器による斬撃をかわし続けることはできない。勢がなかったら、敵に距離を詰めらえ、切り刻まれる。鎧も武器も持たない宦官や女官は、手先の技術などで刃物の斬撃をかわし続けることなんぞ、できないのである。

八卦掌には、様々な技法が存在する。そのもっとも代表的なものが、単換掌である。実は単換掌(の術理)とは、勢を保って移動している最中、「敵が側面・斜め後方から攻撃してくる」という「勢を頼みにした攻防が最も危ぶまれる時」に、勢を減退させず敵をやりすごすための、最もシンプルで最も典型、かつ考え抜かれた対処法なのである。

この部分を知らない修行者が、圧倒的に多い。そもそも単換掌の基本型のみをさっさと終わらせ、他の変化型ばかりを練習している。単換掌を洗練させる作業は、大変時間がかかる。動作は簡単だが、練習すればするほど、己の対敵感覚で、うまくいくパターンが見えてくる。私自身、未だに、一日2時間以上も、単換掌の術理に時間を割く。

ゆえに八卦掌水式門では、単換掌と双換掌の修行に、多くの時間を費やす。実は、定式八掌の転掌式も、他の老八掌の技も、単換掌・双換掌の変化型だからである。

そして各種武器術も、単換掌・双換掌の術理を用いて行う。八卦刀術・遊身大刀術・双身槍術・双短棒(双匕首)・連身藤牌術、すべて、単換掌・双換掌にて修めた術理を用いる。

※武器術は、双換掌(もしくは陰陽魚掌)にて学ぶ『敵に一瞬背を向ける(外転翻身)斜め後方スライド』の術理を使用する比率が高い。実は、双換掌の方が武器術理の原型である。徒手技法における原型が単換掌なのである。徒手時は、武器所持時に比べ手返しよく手を出すことができるため、単換掌が成立することとなった。

単換掌の斜め後方スライドは、前に進んでいる最中における横・斜め後方からの敵に、大きな効果を発揮する。この技術習得が最優先である。

しかし対多人数移動遊撃戦時には、前方向に敵も現れる。その弱点を克服するために、前敵に対する対処法が考えられた。

あと、斜め後方スライドばかりで移動し続けていると、複数人の敵は「逃げてるだけ」と勘ぐり、要人に手をだそうとする。複数人の敵に、常に自分に意識を向けさせるために、遊撃戦渦中における要所要所で、電撃奇襲攻撃をして敵に脅威感を与え続ける必要がある。そこで順勢掌の術理たる、前敵スライド回避攻撃の対敵身法を使う。

これは、斜め後方スライドを、前に応用するのだ。

前敵スライド回避攻撃。この順序が大切である。

多くの修行者は、前敵に、攻撃~スライド~回避、となっている。これでは、攻撃を先にしている時点で、敵と力がまともにぶつかり、勢が削がれ、周囲の敵に捕捉される。

攻撃から先に入らない。まず「スライド」なのだ。少しでもスライドしながら入るのだ。そうすることで、勢を保つことができる。勢さえ保っていれば、前敵や後方から迫る敵に捕捉されない。

しつこく言う。あくまで前敵には「スライド~回避~攻撃」なのである。弊門で指導する単招式は、すべてこの順序である。よく見直して欲しい。明日の練習から、もう一度意識しなおして欲しい。先にスライドすることでまず移動による防御をして回避しっつ、そのうえで去り際に手を出す(攻撃)のである。

改めて私の動画を見て欲しい。動かない的を攻撃している、などと的外れな指摘をしている時点で、そいつは少しも昔日の八卦掌をわかっていないとさらしているようなものだ。見ている点がずれている。

ほんのわずかだが、スライドして回避し、そして手を去り際にスッと出す。だから、敵の頸部後方に手が当たるのである。

この術理も、勢を利用した対処法である。順勢掌の術理。前敵スライド回避攻撃の対敵身法である。

八卦掌が勢を重視するのをわかっていただけたであろうか。

この点について、必ず 清朝末式八卦掌全伝 で、詳しく体系的にまとめる。

昔日達人の武勇伝でも比べ物にならないくらい、大切な点だからである。

八卦掌水式門富山本科イメージ

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