弱者使用前提武術「清朝末式八卦掌」による実戦女性護身術講座」カテゴリーアーカイブ

女性が暴力にさらされる際の危機三要素である対強者・対武器・対多人数に対抗する手段を徹底的に考えて技術体系が組まれた、清朝末期頃成立当時のままの「清朝末式八卦掌」を、女性が実際に護身術として使う方法を説明。

弱みを強みに。逆転発想の清朝末式八卦掌~女性の護身具携帯

女性は男性に比べて筋力等で、格闘の際に不利となる。

男性の力づくの攻撃に押し込まれる。護身の場でもそのようにとらえらえれる。そこを強みに変えることで、屈強な男性から生存する活路を見いだす。

女性=弱者=人を襲ったりしない=護身具の携帯に、寛容性が認められる(男性はほぼ認められない)。持つことに、一定の正当性が認められる。

身の危険を感じる事態が発生している女性、もしくは、仕事等で人気の居ない場所を歩くことが常態となっている女性は、護身具を持つことにしっかりとした理由があるのだ。

男性に、その正当性はほぼ認められない。

そこを優位と捉える。常に持ち歩く可能性ある道具と捉え、その使い方を事前に、徹底的に習得しておくのだ。『事前の準備』という最強のアドバンテージをもって、体格差・筋力差をしのぐのである。もっと分かりやすく言えば・・・

社会的に弱い立場=護身具を持つことに正当性が認められやすい=危険が予想される状況で護身具が携帯できる=危険時に持っている可能性の高い道具として、その使い方を事前に練習する目的意識が持て練習に身が入り上達する=有事の際に、練習を積み重ねて得た動きの洗練さというアドバンテージにより、筋力・体格をしのぐ優位さで対応できる

である。

持つべき護身具(持てる可能性のある護身具)を決めたら、その護身具を危険が降りかかることが予想される場合に携帯することを前提に、使いこなすための練習をひたすらに積み重ねるのだ。

護身具でなくてもよい。女性なら、傘を常に持ち歩くことができる。日傘だ。そして、肩が凝りやすいなら、どこでも背中部分まで押すことができる、すりこぎ棒のようなマッサージ棒を持つこともできる。男性は、そんな棒を持っているだけでも、職質の際、疑われたりする。

護身具携帯につなげるプロセスは、男性では難しいことが分かっていただけただろうか。護身具を持つことが基本的に許されないため、あてにできない。あてにできない護身具の練習に目的意識を持つことができないから、練習のモチベーションが上がらず、危機感すらもわかず、大して上達しないのである。

これまで述べたことは、まさに『逆転の発想』なのである。

社会一般的に弱者(暴漢等のターゲットとなりやすい立場)とみられることで、道具の携帯合法性が認められる余地が生じ、そこから携帯可能道具として使い方をマスターしようという意欲が湧き、上達につながる。そしてその上達が、我が身を屈強な暴漢から守るのである。

弱者だから強者の思うがままになる宿命、とあきらめるのではなく、弱者だから認められることに目を向け、そこから生じるメリットを最大限に伸ばし、他方向からの優位さで、強者の暴力に対抗するのである。

八卦掌の後退スライドは、まさにその逆転の発想のたまものなのだ。

強者に真っ向からぶつかっても、技術・筋力・体格差で勝てない=向かってきたら後ろに逃げる=敵は追っかけて攻撃しようとする=敵は追っかけて攻撃することに慣れていない=こちらは事前に後退しながら攻撃する練習をし尽している=強者が、追撃により息が上がり、追跡の慣性で身体を操作できなくなった時に打つ=距離が離れる=離脱する

大まかに言うとこのような感じである。

清朝末式八卦掌が、強者の追撃をかわし、生存を果たすために、ささいだけど重要な要訣(重要ポイント)がたくさん伝わっている。それを学習し、体得していくのが、清朝末式八卦掌の上達の過程なのだ

まず大きな全体像をつかむ。要訣を理解し、要所要所を洗練していく。あっけにとられるくらい単純でシンプルな所作で、瞬間的にあしらう。これは、他の拳法と同じである。

これだけなら八卦掌は、他の武術と変わらない。清末八卦掌が他の武術と大きく異なるのは、弱者であることに徹底的に開き直って必倒を捨て、生存を採ったこと。弱者という弱みを、開き直るいいきっかけにして開き直り、生存主体の体系に変えたこと。

そしてその開き直り、逆転の発想の典型例として挙げられるものの一つが、女性の護身具携帯なのである。

今一度、自分の置かれてる状況を考えて欲しい。あなたの『弱み』は何ですか?その弱みがあるがゆえに、あなたにだけ認められやすいものは何ですか?

「あなたの強みは何ですか?」の言葉は、至る所で聴かれるが、「あなたの弱みは何ですか?」は言われない。

この視点は、人生の各所においても、使ってみたい。もしかしたら、自分が常日頃から苦々しく思っていた「弱み」が、とんでもないアドバンテージを生み出すかもしれないのだ。

八卦掌水式門富山本科イメージ

清朝末式八卦掌三大武器術の習得で、女性護身術を完成させる

八卦掌水式門(以下「弊門」)では、武器術を大きく3つに分け、それらを必須武器術として指導する。

弊門における三大武器術は、以下の通りだ

・八卦刀術(はっけとうじゅつ)
・八卦双身槍術(はっけそうしんそうじゅつ)
・八卦双匕首術(はっけそうひしゅじゅつ)

八卦刀術は、110センチの長さの、一般刀術にくらべやや長めの刀を使用する

八卦双身槍術は、200センチの長さの長棒の両端に、10センチ程度の刃た付いたもの。

八卦双匕首術は、30センチくらいの刃物(要はナイフ)を用いる。

なぜ、これらの武器術を習う必要があるのか?それは、「護身術=我が身を守り危機から生還するための方法」であるから。ただ一つの目的「生存」のために、あらゆる手段を尽くすものであるから。

「あらゆる手段」には、自分が何かしらの武器を持って対抗する、という選択肢が当然のごとく含まれる。「あらゆる手段」には、「敵よりも有利な条件に持ち込んで戦う」という対抗方法も含まれる。

有利な条件・・・それは、相手が素手でも、こちら側が素手で対応しない、相手が何も持っていなくいなくとも、何かしら武器になりそうなモノが転がっていれば、それを武器にして対抗する、という好条件作成作業が含まれる。

敵の武器がナイフなら、我は、それよりも長いモノを手に取って、遠くから打ちのめす。だから、双身槍術まで必須であるのだ。ナイフだからナイフで・・・ではない。

意外と多くの修行者が、各武器術を練習する際、「敵は自分が持っている武器と同じ武器を持っている」と無意識に想定している。

相手が素手なら、我は、まず双身槍(長い棒)で戦う。双身槍がないなら、八卦刀(90センチ程度の棒)で戦う。八卦刀がないなら、双匕首(30センチ程度の棒2本)で戦う。双匕首がないなら、着ている服を脱いで、もしくは、持っているカバンを手にもって、果ては鞄に入っているタオル、マフラーをもって、八卦刀術の術理で振り回し、対抗する。

そういう考えを持つのだ。素手で対抗、など、もっとも最悪の、他に採るべき方法のない最終手段なのである。常に、どのような武器を使うことができるか考える。そして、どのような武器であっても、八卦刀術・双身槍術・双匕首術を練習しておけば、使いこなすことができる。

正々堂々と同じ条件で・・・は、いかにも日本武術らしい考えだ。中国では、間違っても「敵に塩を送る(※1)」ことはしない。

※1:上杉謙信が武田方に塩禁輸策を採らなかった逸話である。謙信は、今川・北条の塩禁輸策に苦しむ武田方に塩は送ってないが、武田方への塩の禁輸策・塩の価格高騰策は意図的に採らなかったため、そこから「塩を送る」という美談的故事が生まれたのだろう。

中国では、正々堂々と戦う、という発想は、「宋襄の仁(※2)」の故事になぞららえられ、笑われる。

※2:中国春秋時代、宋国の国王・襄公(じょうこう)が南方の強国・楚国軍と対峙したとき、襄公の息子である目夷が、敵の布陣の乱れがあるうちに先制攻撃を仕掛けるよう進言したが、襄公は「君子人の弱みにつけこまず」と言ってこれを退け、楚国軍の陣形が整うまで攻撃命令を下さず、その後、敗北した、という逸話。

以前「八卦掌は、冷酷な中国護身術」という記事をアップした。上記で説明した「相手が素手なら、こちらは武器を手に持ち徹底的に打ちのめして護身せよ。少しでも有利な条件で戦い、圧倒せよ」という考えは、護身術として大変重要な考えであるため、必ず頭に入れておいて欲しい。

この知識こそが女性護身術の成功のカギともなる。弊門以外で護身術を習っている女性の方は、ここでしっかり、武器術を習うことの大切さを理解してほしい。そして、今すぐにでも、武器術を練習に採り入れてほしいのだ。

大切なのは、特定の道具(例えば、スタンガンや催涙スプレー)を扱う練習をするのではなく、どんな道具でも扱うための土台的な身法を身につけるのことだ。

  • 基本姿勢走圏
  • 対敵イメージ走圏
  • 敵に背を向けないで行う後退スライド対敵身法
  • 敵に背を一瞬背を向けて行う後退スライド対敵身法
  • 前の敵にスライドして回避しながら攻撃しつつ去る対敵身法

これらは、「どんな道具でも扱うための土台的な身法」そのものである。言い換えれば、清朝末式八卦掌は、身の回りの、武器になりそうな道具を、意のままに操るための拳法と言えるのだ。

逃げる、といって、カニさん歩き(横歩き)を、ステップをして行っているようでは、たちどころに捕まってしまう。そうではなく、一番速く移動できる身法、敵の追撃をかわす後退スライドの身法を身につけること。その土台があって初めて、特定の道具が活かされるのである。

この前提知識をもって、各主要武器術を練習する意味を述べていく。

八卦刀は、八卦掌の原型となった、太平天国の乱当時の、藤牌営兵(※3)の戦場刀術に関係している(諸説あり)。

※3:片手に藤(とう)の牌(はい・盾のこと)を持ち、もう片方で90センチ超えの片刃の刀を持った、最前衛の盾歩兵のこと。

この戦場刀術から、八卦掌の原型である「単換刀」が生まれ、「単換刀」から「単換掌」ができ、主要転掌式(後方スライド転身撤退戦の身法)となり、主要転掌式から、逆輸入の形で、八卦刀術が生まれたと推定される。

中国片刃刀は、日本刀と違い、重く、刃がそれほどトキントキンに研がれていない。重たいものを敵にぶつける、という意識が強い(人数が多いため、研ぎ切れ味を維持する、という作業ができないから)。

その重たい武器を、宦官(かんがん・去勢された男性官吏のこと)であった八卦掌創始者・董海川先生が、「弱者でも操ることができるためにはどうしたらよいか」の発想から生み出したのが、単換刀である。

後方敵へ刀を振り回してけん制し、後方へ移動しながら身体移動で持ち上げ刀の下をくぐって我の身体を移動させ防御しつつ、くぐり終わったら、重さを利用して、追撃で突出した敵の身体に、刀を当てるのである。

この動作では、重い武器を動かさない(動かせない)かわりに、自分自身が移動して角度をつけ斬りシロを作って、その場から斬りつけ動作を行う。武器を振った際、我の身体をその場から移動させないとどうなるか?

刀を持ち上げたりしないと、再び斬りつけ動作ができないのだ。重い刀を、その場にとどまった状態で上げるには、大きな腕力が必要となる。宦官や女性には不可能であるのが想像できるだろう。

八卦刀術の中でも主要中の主要術である、「按刀(あんとう)」と「陰陽上斬刀(いんようじょうざんとう)」は、重い刀を身体で振り回すために、とにかく身体を移動させる。刀を持ち上げるために、5~6歩近くも移動するのだ。その「移動」こそが、八卦掌における防御となる。その場に止まらないために、敵の攻撃から常に離れ続けることができ、敵の攻撃間合いから身を避難させることになるのだ。

清朝末式八卦掌を知らない人間は、この「移動」をどうしても「防御」と認識することができない。「逃げてばっかり」として、その術理を採り入れようとしない。

結果、相手が屈強でも、技術が上でも、果ては男性でも、敵前にとどまって技で真っ向から受け、手数で圧倒された際、身体に攻撃を喰らい、敗北するのである。

主要刀術を練習することで、「技のたびに移動しながら行い、止まらない」術理が身体に入り、後退スライドによって敵の力と真っ向からぶつかることがなくなり、撤退戦によって身体を守りつつ、攻撃ができるのである。

八卦双身槍術は、対多人数の敵中を移動し続ける際の防御から生み出されている。柄の中心部を持ち、移動しながら通りすがりの敵に、柄の先端部分をぶつける。

演武で見られるような、複雑な取り回しは必要ない。必要なのは、八卦刀術で習った主要刀術操法を、双身槍を使っても同じように実行できる能力だ。

この能力の土台のもとに後退スライドすれば、後退スライド時の転身動作によって双身槍の先端部分が大きく孤を描き回って勝手に敵に当たり、敵を殺傷する。もしくは当たらないにしても、敵は回転する槍先によって、近づくことができず、足を止めることになる。

主要刀術の中でも、按刀・陰陽上斬刀・背身刀の動きをそのままに行う。それくらい、八卦刀術と双身槍術は密接に結びついている。

よって、八卦刀術術理を身体入れた後に取り組むと、実にスムーズに体得できる。弊門で、八卦刀術を理解した後に双身槍術を指導するのはそのためである。

八卦双匕首は、もっとも射程距離の短い武器である。敵が素手の場合のみ、その優位性を発揮する。射程距離が短いため、敵の胴体などの中心部分を攻撃すると、攻撃時我の身体が必要以上に敵に近づいてしまうため、危険である。

ゆえに、遠い間合いから、末端部分を、移動で敵の照準からずらしながら狙って、斬る。斬って失血死をねらう。そういう意味で、目的の明確な冷酷な護身法である。

棒であれば、敵の血管を斬ることはできないが、末端部分をねらうことで、武器を落としたり、腕を使えなくさせることは可能である。棒であるメリットは、振り回しても自分が傷つかないことだ。よって、思い切り速い速度で、手返しよく、ためらわず攻撃できる。

ナイフなど、そもそも持ち歩くことはできないし、あったとしても、一般人はそれで人を斬りつけることにためらいを感じるものだ。法律上も、過剰防衛・殺人罪の可能性が生じる。その意味で、双短棒術として練習することは、現実的護身術を習得するうえでの魅力ある選択となる。

短いリーチで末端部分をねらうため、間合いには大変気を遣って練習することになる。その気遣いこそが、各武器における間合いの間隔を養うのである。

武器術は間合いが重要である。短い武器ゆえ、他の長い武器でおろそかになりがちな間合いの感覚習得の練習に向き合うことができる。

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「後退スライド」移動し続けること=女性護身術最大の防御法

女性が屈強な男性の攻撃を防ぐために、清王朝末期頃成立当時の八卦掌は、極めて有効な防御法を示してくれた。

その防御法とは「移動」である。もっと具体的に言うならば、後方への移動である。弊門で「後退スライド」と呼んで指導している一大技法である。

清朝末式八卦掌の組手(実戦模擬練習である打ち合い練習)を清朝末式八卦掌のことを知らない門外漢(近代スタイル八卦掌修行者も含む)が見ると、「ただ逃げ回っている」ようにしか見えないだろう。しかし、ただ逃げ回っている、のではない。

清朝末式八卦掌は、移動することで、敵の攻撃を防いでいるのだ。「移動」には、単換掌の術理である後退スライドを含んだすべての移動方法(ウォーキングなど)が含まれる。

単換掌の術理から導き出された「後退スライド」対敵身法によって、敵中を、速度を落とさず移動し続けながら、攻撃を避け、敵の逆をつき、捕まらず駆け巡ることができる。

後退スライドは、八卦掌の歩法の名称を借りて言うならば、

「小さな擺歩(はいほ)→小さな扣歩(こうほ)→大きな擺歩→大きな扣歩(※直歩や大きな擺歩を持ちる場合もある)」の4つの歩で実行される。

このシンプルな運足技術によって、後方・側面から急速に接近してきた敵の追撃予定を狂わせ、時に、目の前に現れた敵の斜め前をスライドしながら移動逃げ打ちを展開する。

お気づきだろうか?先ほどから、私は足の使い方しか話していない。後退スライド防御法の説明をする際、必ずと言っていいほど、手技の技法解説を求められる。

「手は、後退スライドしながら、敵に向けて出すだけでいいよ。もし出すことができないなら、出さなくてもいいよ」

と答えるようにしている。

極端に言ってしまえば、手技の種類・出し方はどうでもいいのだ。それこそ、手を相手に向けて伸ばすだけでもいい。熟練者であれば、手すら出さず、後退スライド運足技術のみで、敵の追撃をすり抜け、移動し続けることができる。

なぜ手技で防御しないのか。それは

  • 「敵の力と正面からぶつかる」
  • 「敵と距離が近くなりすぎるから」
  • 「敵の力任せの攻撃に押し込まれる」

からである。

「敵の力と正面からぶつかる」ことは、なぜ手技防御を避ける理由となるのか

女性の筋力は、男性のそれより当然低い。これは紛れもない事実だ。だから、女性護身の際の敵(多くの場合男性となる)の力に、抗してはならない。

力と力がぶつかれば、当然、力の弱い者の方が不利である。そのような単純なことなのに、多くの護身術は、当たり前のように、敵の突き・蹴りを防ぐ技法を、時間をかけて指導する。

「敵と距離が近くなりすぎるから」は、手技防御が招く、最大の欠点である。

手技で防ぐことしか防御方法がないなら、当然、敵に向かい合って、敵の近くで、敵の出してくる攻撃を防がなければならない。「敵の攻撃を手で防ぐ=敵のすぐそばにとどまる」ということだ。

明確な攻撃意思をもった敵のそばに居続けることが、どれほど危険なことであるか、容易に想像できるだろう。

そばに居て手が届く攻撃対象者の、胸三寸で、事の帰趨が決せられる。近くに居続けることは、もっとも危険な行為なのである。

最後に、手技防御が「敵の力任せの攻撃に押し込まれる」理由を説明したい。

手技を練習し、手技をもって防御するためには、敵に対し、我の身体を正面きって向ける必要がある。その状況下で、首尾よく手技が成功し続け、その戦況にイラつき、敵が猛然と力に任せて突進してきたらどうするか。

体格と筋力にものを言わせて前に出てくる敵ほど、防ぐことの難しいものはない。猛然と突っ込んでくる敵を避けるには、急所に致命的な一撃をカウンターで打ち込むか、後方に逃げるしかない。

カウンターは、訓練を積んだボクサーでも難しい技法であるため、女性護身術技法としてアテにすることはできない。

であるならば、後方へ逃げるしかない。後方へ逃げるには、正面に向けた身体を、後方へ向け返して、そこから移動する必要がある。この「向け返して」が、時間がかかる。多くの人は、突進に身体が固まり「向け返し」すらできないか、向け返している間に、敵に捕捉され、蹂躙されてしまうのだ。

向け返しもせず、後ろ走りで下がる方法もある。しかしこれは、前に突っ込んでくる敵の速度に比して、圧倒的に遅い。たちどころに捕まってしまうだろう。後方へ逃げるなら、我の身体も完全に後方へ向け、わき目もふらず前に進む必要があるのだ。

※手技で防御するならば、敵に身体正面を向けざるを得ない。武術の中には、背中越しに構えるものもあるが、絶対少数である。そのようなマニアックな武術護身法は、当然、相当の経験を積んだ使い手のものである。

・・・・手技に頼って身体を守ることが、女性の護身術にとっていかに難しいものであるか、分かっていただけたと思う。

手技防御による護身は、不可能ではない。実際、多くの護身術道場は、その技法を指導している。このような道場を選ぶなら、とにかく通って、男性と組手・スパーリングをし、その中で手技防御技法を出来るようにする必要がある。

後退スライドを利用した清朝末式八卦掌の護身身法であれば、最初から後方へ我の身体を向けて対敵し、急速離脱しながらの撤退戦技法も事前に練習できているため、「移動+最悪の際の手技けん制」の二本立てで、その場からのスライド回避が可能となる。

※この動画には、解説音声があります。

最悪の際の「手技けん制」であることに注目してほしい。ここでも、けん制によって敵の接近を防ぐことを目指している。攻撃ではなく、けん制である。けん制とは、とにかく手を出すだけ、である。足を止めればいい。止めている間も、後退スライドで移動している我は、敵から距離をとることができる。

清朝末式八卦掌において、防御の90%以上が「移動」なのである。敵の手の届かない場所に身体を自在に「移動」させることができるならば、敵が武術の技法に優れていても、力が強大でも、関係ないことになる。

清朝末式八卦掌は、宦官(去勢された男子)によって考え抜かれ、体系化された対暴力生存技術なのである。

この稀有の技法を、ぜひ女性の皆さんに利用していただき、卑劣な暴力から身を守ってほしい。

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八卦掌の有名な「構え」では護身はできない

八卦掌の有名な構えがある。映画「グランド・マスター」でチャン・ツィイーが見せた構えだ。

梁振圃伝八卦掌では、あの構えは「推磨掌」と呼ばれている。

では実際に、八卦掌の使い手は、組手でも実戦でも、あの構えをするのか?する人もいるようだ。しかし私はしない。なぜなら、あの構えをすると、身体が特定の場所に居着き、敵の突進攻撃に対応できないからである。

しかし、映画や漫画の影響で、八卦掌はあのように構えると思っている人間が多い。門外漢ならまだしも、長年八卦掌を修行している人間ですら、あの構えをするという驚きの現状がある。

※この動画には映像音声があります。

映画のワンシーンを見てもらえばわかるが、男性拳士と真っ向からぶつかって戦っている。これはもはや弱者使用前提を離れた格闘技である。映画ゆえ、派手なアクションが受けるため、このような点が誇張されている。この戦い方は、「遊撃戦」ではなく、「変則ステップ戦」である。センスと若さ、対人練習での膨大な練習量、そして運が必要である。

実際に、約束事など設定せず、遠慮も手加減も一切ない実戦で、このような構えをして対峙してみると、この構えから反応することがいかに難しく効率が悪いかすぐわかるものだ。効率悪いを通り越して、対応できないのである。

夜間警備の職務中、野生動物(1メートル超えの猪)が3メートル後方から突進してきたことがある。アスファルトの上ゆえ、3メートル以上の距離を、わずか2秒足らずで詰めてきた。まさに突進である。

私は、手に持っていた棒で、背身刀を用いて後ろ撃ちしながら転身し持ち替え、その後後退して猪と並走しながら、2発を打った。あの構えをしている暇もなく、猪のファーストアタック時、背身刀にて後退打ちしてしのぐことしかできなかった。

後退スライドが無意識にできたから、背身刀の技も出すことができたのだ。突進してくる敵に、前にでて対応する技法しかしらなかったら、ファーストアタック時に、膝付近に、口から飛び出ている歯が刺さっただろう。

突進時、自分がとっていたのは、まさに、清朝末式の基本姿勢であった。練習時、ひたすらあの姿勢から後退スライドする練習をしているため、平素でも、無意識に清朝末式基本姿勢になっているのである。

※この動画には解説音声があります。

清朝末式八卦掌の女性護身術講座であるので、ここで明確に、構え方を示したい。

基本姿勢

手を下げ、敵を背中越しに置き、逃げるように敵から遠ざかるように歩く。傍から見ると「嫌がって逃げている」かのように見える構えだ。実際に構えているように見えない。歩いて敵から遠ざかっているので、逃げているように見えるのである。

すでに身体が入っているので、敵が急速に距離を縮めてきたら、スライド並走して距離を詰めさせない。

そして状況に応じた後退スライド撤退戦の転掌式で対応する。

簡単そうに思うかもしれないが、これは意外と難しいのだ。そもそも、敵を斜め後ろに置きながら歩くことは、潜在的に恐怖を感じるだろう。事前に、この位置に敵を置いて歩く練習をしなければならない。

その練習こそが、かの有名な「走圏」なのである。

清朝末式八卦掌の走圏では、頭を円周の中心に向けたりしない。敵は四方八方にいるため、まっすぐ前を向いて歩くのである。円の中心に顔を向けていたら、円の中心にいる敵にしか注意が向かない。これでは、側面からの攻撃に反応ができない(気づかない)。

清朝末式八卦掌の基本姿勢。手を下げ、胸をくぼませ、背中が丸くなる。そしてリラックスした状態。実は、この姿勢こそが、構えの練習でもあるのだ。敵と対峙する段階は、少しだけ顔を、敵へ向けながら逃げるが、その後は、ひたすら前を見て高速ショウ泥歩で多人数の渦中を駆け抜ける(※対一人の時は、常にその敵を見て歩く)。

近代八卦掌の走圏練習で必ずと言っていいほど出てくる「八歩で一周くらい」もほぼ気にしない。水式門の正式門弟に、八歩で一周・・・といって指導することはない。移動遊撃戦になってしまえば、その時の状況で、旋回の半径もコロコロと変わるからだ。〇歩で一周、という決まりは、移動遊撃戦の弊門八卦掌では、顧みられない。

近代八卦掌の修行者が読んでいる可能性もあるため、指導許可を得て伝人にもなった先輩八卦掌家として、近代八卦掌の走圏について触れておこう。

※「伝人」の肩書は、後に無理な条件を付され事実上覆されることになる。このような行為は先生という立場でも弟子の将来を狂わし得る行為であるため承服していない。しかしこのようなくだらないトラブルに後進を巻き込ませたくないことと、梁派技法で弱者護身は難しいと判断した2つの理由から、梁振圃伝で弟子は取っていない。

近代梁派八卦掌の走圏では、腕をねじり込み、手のひらを地面の向け平行にし、指を目いっぱい伸ばして姿勢を維持する。激しい緊張状態をし続けることで、必要な箇所だけ力が入る状態へと導く練習法である。私も、梁派の第5代にまでなった人間なので、このプロセスを経て、必要な箇所だけ力が入る状態へと達した。

しかし、このプロセスの過程で、昔東京で中国人就労生の若手先生から習った八卦掌は、ガチガチの見苦しいフォームとなってしまい、八卦掌を少しだけかじった兄弟子に「水野君の八卦掌は本当にへたくそだ」とまで言われるようになってしまった。

私が指導者になったら、この「緊張の中に弛緩を見いだす」練習方法を、必ず不採用にしてやろうと考えていた。それくらい、功罪のある練習方法なのである。実際、最初の厳しい練習段階に耐えきれず、多くの人が八卦掌に挫折するか、基本姿勢をなおざりにした状態で先に進んで、軸のない動きになってしまう。

実戦では、もちろん、このような歩き方はしない。あくまで鍛錬のための姿勢なのだ。実戦時の動きではない練習法は、清朝末式八卦掌ではNGである。昔日に、実際の動きではない動きで練習している暇など無い。軍隊であれば、短期で徴収した農民兵を戦うことができるまでに育てる必要がある。

清朝末期は、今すぐに使う必要があるご時世(太平天国争乱の渦中)であった。今すぐに使うことができない武術など、昔日において必要とされない(岳家拳、楊家拳のような、秘匿性の強い門外不出の武術は例外である)し、繁栄もしない。

基本姿勢2

話を戻そう。

手を下げ、リラックスが要点となる、清朝末式八卦の基本姿勢で、敵から逃げるように歩き距離を保つ。必ず、その距離は、相手の手が届かない距離だ。理想は5メートルくらい。それくらい離れるようにする。

その状態から、敵が距離を縮めて来たら、すかさず後退スライド動作に入る。少し距離が縮まるが、その状態で、けん制となる推掌・穿掌などの攻撃を、相手の頸部めがけて放つ。

相手は突然の攻撃に足が止まるが、こちらは、歩きながら攻撃をしているため、移動速度は落ちていない。そこで距離が開く。

そのワンターンだけで、大きく引き離すこともできるが、そうでない場合も当然ある。そこで、このターンを、何度も繰り返す。自分の息も上がるが、相手は移動しながらの攻撃にほぼ慣れていないため、軸を失い、息が上がり、距離が開いていく。

その状態で、突如大きくスライドしてより一層大きく引き離し、相手の脚が止まるのを確認したら、キロメートル単位の「離脱」をして、身を守る。

ターンの最中も、常に基本姿勢を取り続ける。この基本姿勢こそが、「構え」なのである。

清朝末式八卦掌の走圏は、実戦で実際に採る姿勢で歩く練習のため、後退スライドの対人練習で試してみると、すんなり違和感なく動くことができる。

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ちまたの護身術では、女性が身を守ることが困難な理由2つ

「女性 護身術」と打ってインターネットで検索すると、実に多くの護身術が登場する。

しかしそのほとんどが、敵と相対し、敵の力のベクトルに対抗し、敵への積極的ダメージを狙うものだ。

これらの護身術のサイトを開き、実際に男性が暴漢役としてデモンストレーションを行っている動画を見ると、やはり難しいと感じる。

何が難しいか?それは、「(この)護身術で、女性が身を守ること」だ。根本的なところで、難しいと感じるのだ。これはいい加減な直感ではない。なぜなら、これほどまでの練習を重ね、中国拳法をお金をとって指導するまでに達した自分でも、「これはできない」と思うからだ。

理由はシンプルである。

一つ目は、敵と向かい合い、、敵の攻撃の力のベクトル方向に相対する技で対抗しているからだ。

女性の筋力は、男性のそれと比べて、想像以上に、低いものだ。

理性を失って自分の行動を抑制することを忘れ、欲望のままに突き進む暴漢(ほとんどが男性)の筋力は、理性の管理下に置かれた男性の筋力と比べて、数倍にも跳ね上がる。

逆に、襲われる側の女性(カテゴリーが女性の護身術なので、ここでは女性想定で話を進める)は、襲われたくない気持ち、そして、今まさに自分が局面している危機を受け入れる心の準備がなされない状態で身体が躊躇しているため、理性を失って襲う男性の筋力に対し、あまりにも低くなる。

その低い状態の中で、攻撃してくる相手の腕・足・身体の力のベクトルに対して抗したら、防ぐはずの手脚は一瞬で制され、弾き飛ばされ、たちどころに押さえられ、組み伏せられ、もしくは殴られ、蹴られる。

男性の私であっても、そのような経験があったのだ。そして残酷だが、弾かれ押さえつけられた後は、容赦ない攻撃と蹂躙が待っている。

女性の護身術をうたうなら、防御も攻撃も、いやそれにかかわるすべての動作が、敵の力・技のベクトルに向かってはいけないのだ。弱者使用前提の清朝末式八卦掌が、防御から攻撃までを一貫して、敵の力とぶつからない方法を採用しているのは、敵の力とぶつからないことを目指しているからである。

二つ目は、敵と接触している点である。ここが最も女性の護身を困難としている点だ。そして根本的な点でもある。

「女性の護身に対する考え方が変わった」と言われている護身動画を見ても、必ず敵を接触する段階がある。これのどこが革新的であるのか。根本的なところが抜けている。

敵と接触する。敵と接触する=敵を制する。敵を接触で制するには、敵の技法、筋力を上回る必要がある。敵の事情によって、護身の結果が大きく左右される。つまり「相手次第」の要素が結果の帰趨を分かち、生死を決するのだ。

護身術で「相手次第」はあってはならない。これは、私の口癖でもある。しかし確信に満ちているから何度も言うのである。護身に失敗は許されないなら、準備の段階から、「自分次第」の領域で勝敗を決する技術体系で準備をする必要がある。

「接触する」・・・この点を改善するために何ができるだろうか。「接触」の段階がある時点で、女性護身術として大きな問題が生じ、そこからほころびが生じるから、護身を考える女性であれば真剣に考えてもらいたい。

敵の攻撃を、接触して手技で受けている。先ほど、ちまたの護身術でよく採られている暴漢に対する手技による応戦例を示した。おそらくこれらは、武器が消え、人が徒手で行動するようになった場合を想定した対敵身法である。

八卦掌のルーツは刀術(盾兵である藤牌兵【とうはいへい】による戦場刀術)である。

双方が武器を持っている際、両者の間隔(つまり「間合い」のこと)は大きくなる。武器持ちで接近戦はありえない。つまり、相手の持っている武器が、持っている人の筋力や年齢などをまったく超越して、それだけで大変な脅威となるから離れるのだ。

藤牌兵の攻防でも、敵の力と抗する場面がある。その際は、藤牌を敵に差し向け、藤牌によって敵の攻撃を受け防ぎながら後退・側面移動し、もしくは藤牌の下から手持ちの刀を突き出して防御する。

私たちが現代において護身する際、軽い、手回しのよい藤牌などは持っていない。藤牌に類する防具も持っていない。

※「カバンで応用」などという無責任な説明をたまに見るが、カバンなどはアームシールドである藤牌とは比べ物にならないくらい扱いにくい代物であり、とてもじゃないが、防具にはならない。防具である以上、緊急時の想定を超えるような暴力の力を受ける必要があるのに、持ち手もないカバンなどでは、容易に押し込まれ暴力の矛先が身体に到達する。

藤牌も防具も持っていないなら、攻撃を接触して受けることはしてはならない。だから清朝末式八卦掌は、既存武術の概念を大きく超える後退スライドの移動距離をもって、敵を接触することを排して、それを最高の防御手段としているのである。

八卦掌水式門の練習では、八卦掌の中核・単換掌の術理を指導する際、接触した状態で教える。しかしそれは、初心の段階だけである。

私が有事速度で用法を示す際は、接触すらしない。接触すると、敵次第の要素が入り込み、こちらの思うように戦いを主導できないからだ。

敵が近づいてきたら、手も出さず大きく後退し、敵を並走しながら、届く段階で初めて手を出す。手を出す時、すでに身体は敵から一層離れる態勢に入っている。その瞬間・その直後から、大きく後退スライドし始めるのである。

既存武術を練習している男性、もしくは、まったくそのようなものを練習していない男性は、攻撃する際、必ず軸を作り攻撃する。軸を作る=軸を置いた場所に止まる、のである。

攻撃によって「止まる」瞬間にも、常に動き続けている清朝末式八卦掌の使い手は、その瞬間に敵を大きく引き離す。何度も繰り返し向かってくるならば、何度も引き離し、少しづつ距離をとっていき、敵が疲れた状態で一気に離脱する(離脱は、キロメートル単位で行う)。

※軸を作って行う技は清朝末式八卦掌では一切行わない。その場に止まってしまい、「勢(せい)」がそがれるから。よって、蹴り技は一切ない。近代八卦掌の用法を示す際、入門したての門弟に蹴り技を示すことはあるが、あれは、近代用法を示しているだけである。清朝末式八卦掌における移動遊撃戦の渦中では、一瞬の軸足作成動作のスキも無い。足は常に、移動という「防御」のために使っているから、軸足として使う暇がないのである。使いたくても使えないのだ。やってみればわかる。八卦掌における有名な「暗腿(あんたい)」ですら、清朝末式八卦掌ではほぼ行わない。

最後にまとめたい。もしちまたの護身術で真剣に護身を考えている女性がいるならば、「接触し、力がぶつかる」際の制敵技法が習得困難でない護身術を選ぶのがいい。

制敵技法の習得は、一般に大変な困難を伴う。そもそも、対人練習を相当に積まなければならない。サンドバックや木相手にいくら打ち込んでも、制敵技法に対する自信は湧かないだろう。

よって、近所で、通いやすく、対人練習もしっかりと実行できる道場・ジムを選ぶのが必須となる。そして積極的に、先生と組手を行うこと。

しかし、暴力の力を手わざによる防御と攻撃で制して護身する護身術は、攻撃できて護身術っぽくても、大きな危険が伴う一か八かの要素が強いことは忘れないで欲しい。とにかく練習し、有効な一撃を与えることができたら、その場からキロメートル単位で離脱せよ。私はここまでくらいしかアドバイスができない。

私は、清朝末式八卦掌を指導しているから、この拳法を例にとって話しているが、数多くある武術・格闘技の中には、清朝末式八卦掌に匹敵するくらい、敵と接触をさけ、敵の力とぶつからない技術体系をもった武術・護身術があるかもしれない。

それを見つけるのはやはり困難である。国内では、女性向けと言われる八卦掌の道場の中でも存在しない。しかしあるかもしれない。

ここで、見分け方を教えたい

(1)手技で防ぐことを指導する武術は、敵と力がぶつかる武術である。格闘技をアレンジして護身術として指導している道場の護身術は、ほとんどこの部類である。近代八卦掌は、この分類に属する。

(2)防御後、前に出て攻撃をするスタイルも、力がぶつかるスタイルである。既存の護身術は、この手のパターンも多い。しかし、攻撃で前に出る瞬間、接触し、力がぶつかる。

(3)防御も攻撃も、一貫して下がって行う技法を持つ武術なら、それは接触しない、力がぶつからない護身術となり得る。女性には、このスタイルこそが、最適の護身術となる。清朝末式八卦掌は、まさにこのスタイルである。そして、対武器を想定していた各拳法の原初スタイルもこれに該当する。攻撃を当てるよりも、攻撃に当たらないことを徹底し、手わざにほぼ頼らず、移動による身体移動で防御する。

真剣に護身を志し、護身第一を考えている女性がいるならば、(3)のスタイルを採る護身術を探し、教えを請うてほしい。

(3)のスタイルは、はたから見ていると、逃げ回っているようにしか見えない(移動して防御している、という概念が皆には理解できないのだ)。持久力も必要だ。華美な技はほぼ無い。しかし女性が護身を果たすうえで、もっとも適したスタイルだ。この言葉を念頭に入れ、あなたの命を守る技術体系とめぐりあって欲しい。

八卦掌水式門富山本科イメージ