月別アーカイブ: 2023年4月

これだけでいいんでしょ?女性と八卦掌

「これだけでいいんでしょ、違うの?」とこの子はいう。

私が人に教え始めの頃、まだ自信とか、指導方針が定まっていないころ、この子は確かめるようにこう質問をしてきた。

今ならば、はっきりと「これだけでいい」と答える。

女性の筋力は、考えている以上に、男性より少ない。よって力と力がぶつかる技では、簡単に弾き飛ばされてしまう。

「私の攻撃なんて、弾き飛ばされるだけ」がこの子の口癖だった。

映画の影響で、「八卦掌=女性」というイメージを持っている人も多い。インターネットの検索エンジンでも、その言葉で調べている人が結構いる。

たしかに、斜進攻防の八卦掌は、敵の目の前から動かず、激しく打ちあう武術に比して、女性に向いてそうなイメージを持つ。

しかし多くの八卦掌は、斜形スタイルなれど敵とぶつかり合うスタイルである。我の力のベクトルと、敵の力のベクトルが、正面きってぶつかってなくとも、抗する形が少しでもあれば、その部分で負け始め、勝敗が決する

映画の八卦掌でも、攻防を見ていただければ、まともにぶつかり合っているのが分かる。

このスタイルは、女性にとって厳しい結果を生む可能性があるにせよ、見ていて格好のいいものだ。よって多くの人(男性も女性も)こチラのスタイルの方を採るし、憧れる。

しかし実戦では、見栄えが通用しないのは、常に言われていること。実戦でないにしろ、組手・散手・乱取り等で試してみると、いかに体格等の要素が勝敗に影響を与えるかがわかる。

体格の良い、筋力のある初心者が、鼻穴を広げて力任せに攻撃をしてくる。初心者なのに、力任せの攻撃で我の攻撃がおくれをとったとき、言いようのないむなしさを感じてきた。

多くの人間はここで「体格差があるから仕方ない」で終わらせる。

冗談じゃない、私は常に、そこから考え続けてきた。答えは、単換掌の術理の中にあった。

眼前攻防こそが八卦掌のたった一つのスタイルだと思っていたが、負けるたびに湧きおこる悔しさが、八卦掌成立当時のスタイルにたどり着かせた。

たどり着いた原因に、この子の「弾き飛ばされるだけ」の口癖は大きかった。

君がいじめられている原因が、色々な面での「弱さ」からならば、迷わず八卦掌を選ぶがいい。できるなら、昔日の八卦掌を学ぶがいい。女性であるならば、なおのことだ。

昔日の八卦掌の利点は、「弱者が強くなるためになぜ八卦掌が適しているのか?その理由」 で説明している。

理解でき、本当に克服したいと思ったら、さっそく動こう。動いた瞬間から、事態も動き始める。

『いじめに苦しむ君へ贈る、勇気が出るメッセージ集』のトップ

八卦掌水式門ホームページ:いじめが辛い君へ|八卦掌の単招式・連招式で取返しに行こう

ブログトップ

八卦掌水式門ホームぺージ:トップページ

護身は、常に勉強の連続。戦術的な失敗経験にて。

「誰もが・・・」のスローガンのもとに、護身術そのものの八卦掌を練習し、そして伝えて三十数年。未だ勉強の連続だと、改めて思った。

生徒さんをまじえた練習会の場で、自分たちの練習に興味を持ってみておられる外国籍男性(以下、男性)と、おつきの女性(以下、通訳さん)が、寄ってきて、何をしているか尋ねてこられた。

言葉が通じないため、通訳さんと介しての会話。しかし男性は、興味を持っている雰囲気ながらも、立つ間合いが近く、すぐにファイティングポーズっぽいしぐさをするため、挑発的な印象をすぐに感じた(生徒さんは、男性が離れた位置でこっちを見ている時から挑発的な雰囲気を感じておあられた。見事である)。

声をかけてくる方の中には、技を受けてみたいと願う方も時折おられるため、技を示すことに。また男性からは「試してみたい」意図を感じたので、どんなもんかと組手をしてみたかったのもあった。

エスケープ方法を知りたいというので、単換掌理による斜進後方スライドを示すことに。その旨を通訳さんに伝え、かかってきてもらうことしたが・・・・男性は完全に攻撃の間合いを取り、我に攻撃意識を向ける(それはすぐにわかる)。

明らかに教えを請う感じではない。挑戦であることを確かめるための虚打けん制穿掌。兵法でいう「威力偵察」である。まさか、穿掌を相手に当てるわけにもいかない。

力の入った男性の防御と反撃。明らかに勝負の意図である。穿掌後の防御平穿が無ければ、私は男性の反撃をまともに喰らっていた。

その時点ですぐに手合わせを打ち切り、通訳さんに、入門等をするなら、このような攻撃的な態度ではよくない、生徒さんの安全を守るためにも、この態度では受け入れられない、と伝え、終わらることに・・・と話しているその時

その男性が、生徒さんに、手を出す仕草をしたため、生徒さんが、対敵防御。

驚き、生徒さんの説明を聞き、これはトラブルになりかねないと思い、お引き取りを願った。しかし再び近寄ってきて・・・・。

通訳さんをに対し、無礼な態度を指摘し、申し込みがあっても、入門は認めない、と伝え、場所移動をした。

今回の件で、家族には大いに叱られた。生徒さんが強かったからよかったものの、私だったらどうするの?手合わせしたかったら、一人の時にすればいいのよ、と大目玉。叱られて当然である。

反省点は、挑発的な態度を感じ取った時点で、その場から去るべきであった。結果、生徒さんに対敵対応をさせる結果となった。これは明らかに私の落ち度である。

指導の場である以上、生徒さんがけがをしないことを最優先させないといけない。私は、自分の組手願望を優先させたため、結果として、対敵対応をさせる可能性を作った。

何事もなかったのは、生徒さんの護身能力が高かったからにすぎない。先ほども書いたが、生徒さんは、男性がこちらを見ている時から、威圧的な雰囲気を感じ取っており、かつ、男性が近づいてきても、警戒を怠っていなかった。それは生徒さんの間合い取りと、立ち方でよくわかった。警戒をしてるな、と。

常に警戒を怠らず、その状況において起こりうる可能性に準備をする。私が通訳さんと話している最中でも、男性に気を抜かず、警戒を怠らなかったことが、鮮やかな対敵対応につながったのだ。

今回の件では、私の対応は、戦術局面としては低い点であろう(護身の戦略としては、なかなかだったと思う)。片や、生徒さんの対応は戦術局面的に関しては、実に多くのことを学び取ることができる。戦術は戦略を上回ることはないが、時に、戦略的成功を曇らせるくらいの、印象を与える。

指導中ということで、自由に離れるのもはばかられる。危険回避を自由にできない状況。その中でできることは、安全な間合いを取り、不意の最悪の行動に備えること。生徒さんは具体的・戦術レベル的に行動していた。心身共にスタンバイをしていた。それが、護身につながった。

数多くの経験をしてきた。その都度、状況を分析し、フィードバックをするのだが、100点の戦術的対応ができることはない。今回は最低点であると辛口に判断する。

戦略的分析では、今回の件も、戦術的分析と違ったものとなる。またそれは、機会があるときに。

常に勉強である。

ブログトップ

八卦掌水式門ホームぺージ:トップページ

立山連峰は見えないが・・講習会と報告と再出発

今日は、富山講習会。『「何気なく歩く」走圏から「基本姿勢・発力法」を練る明確な走圏に変える講座』講習会。

対多人数移動遊撃戦の土台であり、単換掌理における生命線・斜進後方スライドの機動力を確保する、極めて重要な基本。

講習会の告知でも、その重要性をしっかりと伝え、動画も作成して講習会でお伝えする内容も公開したが・・・・遠隔地門下生の方2名以外、誰も来られませんでした。

大変残念。伝え方が悪かったのか・・・?内容は実戦や散手・組手・乱取りで実証済みで、きっとこれなら、一人で奮闘しておられる方にもメリットがある、と思って、準備してきたが。

そもそも、ツイッターやホームページでも、当講習会の告知を、ほとんど人が見ることはなかった。当然私の力の及ばぬところも大きい。痛感する。しかしもう一つ、痛感することが。

「水野のスタイルは、今の風潮においては、大変だろうな。実戦重視とか言っておきながら、ネットで見ている連中の見たいもんは、対人用法の詰め合わせ動画だぞ。結局綺麗なのがいいんだしな」

「それじゃ、何もわっかんないだろ、足もうつってないやつある」

「わかる必要ないんじゃけ、戦いなんて、リアルじゃないんだから。一時、あざやかなもんに触れて、使える気になれればそれでいいんだからさ」

長年の武友との、会話を思い出した。コロナになってからずっと、この会話の内容がある意味で当たっていたことを、痛感させられてきた。

単換掌理は、当門が昔日の八卦掌を伝える稀な門であるゆえに、他では当門ほど重視されていない。当門では、単換掌理を指導するだけで、人によっては、ゆうに一年以上は時間を取ることもある。

しかしあまりにシンプルな動きに、講習会や出張講習で学んだ人の中には、残念そうな顔をする人もいる。仕方のないことかもしれない。

単換掌は、多くの人にとって、シンプルすぎる基本技の一つに過ぎない。深い意味を分かってない人も案外多い。

そして、単換掌をきっかけに学ぶ「単換掌の術理(以下:単換掌理)」は、「必倒」より「生存」重視の、逃げるのがメインのエッセンス。単換掌理にもとづく昔日の八卦掌は、近代八卦掌のように、合気道顔負けの流麗華麗な絡め技など、一切と言っていいほどない。

しかし私は、数年前、単換掌の術理・・・つまり単換掌理の重要性に気づき、涙も止まらないくらいの衝撃と感動を受けた。

「これならば・・・相手の状況に左右されることなく、生還できる。誰でも生還できる」

すでに私の練習相手が、その有効性を示していたのだが、今ほどの重要性を感じていなかった。眼前変化攻防に囚われていたからだ。「この戦い方で、どうやって多人数戦を戦うのだろうか?」とくすぶる疑問を持ちながらも、ひたすら変化攻撃ばかりを練習していた。

指導者の「まず一人からだ」という言葉を鵜呑みにし、「きっと対一人ができるようになったら、対多人数戦もできるようになるのだろう」と納得させ、やはり敵側面変化攻撃ばかりを練習していた。

しかし、記事 「倒さなくても、最後まで立っているだけでいい。昔日の八卦掌」 で触れたように、気の遠くなるような積み重ねの果てに、体重差や内功武術の使い手の膨張力の前に圧倒されたのをキッカケに心がくじけてしまい、そこで眼前攻防のスタイル自体を疑う気持ちが湧いてきた。

そして空しい日々がしばらく続いた後に・・・運命の言葉といってもいい

「単換掌理しかしない。私の攻撃なんて弾かれるだけでしょ」

それが、私の再出発でもあった。彼女はその時、私よりもずっと、八卦掌本来の姿に近い位置にいたのだろう。女性であるがゆえに、力と力がぶつかる世界にサッサと見切りをつけ、力がぶつからない世界に移動し、活路を見いだしていた。

今日の講習会は、私が最も重視し、志ある方に最も伝えたい内容だったがゆえに、大きな衝撃を受けた日であった。

ついでに・・・・楽しみにしていた、富山湾に浮かぶ立山連峰も、かすみがかって見えなかった・・・残念。下の写真は、富山県氷見市の窪海岸。遠隔地門下生の方のみの場合の練習場所。富山湾は綺麗だったが・・・。

さあ、再出発しよう。単換掌理と順勢掌理、それに伴う武器操法・・・・対多人数移動遊撃戦戦闘の理。すべてがまとまった今、「〇〇伝〇〇派」の”縛り”もない状態だから、ぞんぶんに前に進むことができる。

そのことを、富山の大切な人にも報告できた。喜んでくれていることだろう。前に進む。恐れるものは何もない。第九のテノール独唱部分の言うように

「進め、兄弟たちよ! お前たちの行く道を、そう、その道を!喜びに満ちて、勝利に迷わず進む英雄のように!」

ただ進むのみだ。もう、十分に練習はしきった。もう伝えていけ。もう、伝える段階なんだ!

4月より、八卦掌水式門は、再スタートをきる。我が門のスタイルに共感し、大切な人を守りたい、自分を守りたい、八卦掌を伝えたい、護身の法を知りたい、そう思う有志は、愛知に集え。

ブログトップ

八卦掌水式門ホームぺージ:トップページ