何を言っているのかというと、転掌式八卦掌の前提を言っているのである。
練習時あれほど動き続けるのは、振り切るための速度・持久力だけを養っているのではない。対多人数移動遊撃戦時、どれほど敵のいない場所に移動し続けても、どれほど虚をついた対敵身法をし続けても、いずれ必ず追いつかれる。
その時のために、あれほど、単換掌を練るのである。あれは追いつかれた時の保険ではない。対多人数移動遊撃戦は、こちらにとって圧倒的に不利で、相手にとって極めて有利な状態だということを忘れてはならない。あれは高い確率で起こる事態に対処するための、必須の対処法なのである。だから、必ず、気が遠くなるくらい繰り返すのである。
私も、弊門掌継人も、皆同じ道を通ってきた。
よって、単換掌を繰り出すこともなく、戦いを終わらせることはできないと考えよ。私は何度も、武門以外の人間と、例えばジュースなどを賭けて、忖度なしの移動遊撃戦練習をしてらもらったことがある。
当然、単換掌で打つことはできないため、一定時間過ぎると、必ず捕まる。しかし推掌で推し出した際、相手に少し止まってもらうことを約束すると、なんとか逃げ切ることができる。
弟子に指導する際、単換掌などの対敵技無しで、練習をさせる。それは、頭をまっすぐ向けて軸を作り移動することの重要性と、敵に追われている際複雑な技法ができないことを、身をもって体感させるためである。
そうすることで、抓地牢の重要性・頭をまっすぐ向け続けることの意味、そして単換掌しか多人数戦時にできないことを分からせるのである。
単換掌などを一切使うことができないと、逃げるだけで必死で息も上がり、とても多人数戦なんてできないと感じ、ショックを受けるものだ。私もそうだったし、水式門の掌継人たちもそうだった。
そこで、一番シンプルな単換掌を、とにかく極めようと考えるのである。
それと連動して、相手が武器を持っていた時も経験させる。そうなると、素手技法である単換掌では、対抗できないのである。
手を敵に差し出した際、敵の刃物によってその手を斬られてしまう。ではどうすればいいのか。
転掌は、その事態に対処するため、習得すべき術理を最小限にし、その術理であらかたの身の回りの物を扱えるようになる武器術を伝えた。
転掌において、伝説の武器は一切出てこない。そこらへんにある棒や、そこら辺にある木の切れ端、竹などが想定されている。
いい例が遊身大刀である。この武器術に、八卦大刀は想定されていない。物干しざお、竹、長めの木、などが想定されている。よって柄の部分を限定する概念はない。反対側もへっちゃらに持つ。そしてなにより、手の中を滑らせない技法で構成されているため、ある程度の荒れた長棒も扱うことができる。
これは、身の回りの物を使うことができるように・・・が最も言いたくて考えられたのではない。とにかく物を持って対抗せよ、と言っているのである。素手によって対抗するのは最終手段だ、とまで思い込んでもいい。
つまり、相手が素手でも、こちらが長棒を持つことができるなら、とにかくそれを持って振り回し、近づく前に滅多打ちにして身を守れ、と言っているのである。何も卑怯じゃない。それこそが生存第一の昔日の護衛武術である証拠なのである。
だから、それが実行できるために、常に何かを持つことだ。何も持ってないなら、Tシャツを振り回せ。ベルトを振り回せ。もちろん斜め後方スライドしながらだ。面前でとどまっていたら、モノを持っていてもすぐに斬られる。
何の神秘性もない解決策ゆえ、そこで落胆し去る男子修行者が複数人いたことを思い出す。でも、現実を見据えるなら、ぶきを常に持ち続けることは、最高の対抗手段と言える。
女性なら、特殊警棒を持ってもいい。男性だって、職種上危険なら、持つこともいい。道具を持つこと。持つ道具を定めたら、その道具となるべく同じもので、練習をすること。
振り切って逃げきることにこだわるな。どうせ無理だから、単換掌を徹底的に練習せよ。そして武器を持っているのだから、常に何か道具を持て。そしてそれで実際に練習せよ。
その単純な流れを実行・練習することで、あなたの有事における生存確率は、大いに上がるだろう。それこそが、命を賭けた護衛術・転掌の伝える師伝・真髄なのだから。