「転掌式八卦掌」実技実戦解説」カテゴリーアーカイブ

八卦掌水式館が、国内外で唯一指導する、八卦掌成立当時のままの原点スタイル「転掌」の技術体系で構成された八卦掌「転掌式八卦掌」。八卦掌第6世であり、転掌第8世掌継人の水野が、弱者護身の戦いで用い自分と大切な人を護衛するための方法を詳しく解説。

追いつかれるので単換掌を。武器を持っているから何か持て。

何を言っているのかというと、転掌式八卦掌の前提を言っているのである。

練習時あれほど動き続けるのは、振り切るための速度・持久力だけを養っているのではない。対多人数移動遊撃戦時、どれほど敵のいない場所に移動し続けても、どれほど虚をついた対敵身法をし続けても、いずれ必ず追いつかれる。

その時のために、あれほど、単換掌を練るのである。あれは追いつかれた時の保険ではない。対多人数移動遊撃戦は、こちらにとって圧倒的に不利で、相手にとって極めて有利な状態だということを忘れてはならない。あれは高い確率で起こる事態に対処するための、必須の対処法なのである。だから、必ず、気が遠くなるくらい繰り返すのである。

私も、弊門掌継人も、皆同じ道を通ってきた。

よって、単換掌を繰り出すこともなく、戦いを終わらせることはできないと考えよ。私は何度も、武門以外の人間と、例えばジュースなどを賭けて、忖度なしの移動遊撃戦練習をしてらもらったことがある。

当然、単換掌で打つことはできないため、一定時間過ぎると、必ず捕まる。しかし推掌で推し出した際、相手に少し止まってもらうことを約束すると、なんとか逃げ切ることができる。

弟子に指導する際、単換掌などの対敵技無しで、練習をさせる。それは、頭をまっすぐ向けて軸を作り移動することの重要性と、敵に追われている際複雑な技法ができないことを、身をもって体感させるためである。

そうすることで、抓地牢の重要性・頭をまっすぐ向け続けることの意味、そして単換掌しか多人数戦時にできないことを分からせるのである。

単換掌などを一切使うことができないと、逃げるだけで必死で息も上がり、とても多人数戦なんてできないと感じ、ショックを受けるものだ。私もそうだったし、水式門の掌継人たちもそうだった。

そこで、一番シンプルな単換掌を、とにかく極めようと考えるのである。

それと連動して、相手が武器を持っていた時も経験させる。そうなると、素手技法である単換掌では、対抗できないのである。

手を敵に差し出した際、敵の刃物によってその手を斬られてしまう。ではどうすればいいのか。

転掌は、その事態に対処するため、習得すべき術理を最小限にし、その術理であらかたの身の回りの物を扱えるようになる武器術を伝えた。

転掌において、伝説の武器は一切出てこない。そこらへんにある棒や、そこら辺にある木の切れ端、竹などが想定されている。

いい例が遊身大刀である。この武器術に、八卦大刀は想定されていない。物干しざお、竹、長めの木、などが想定されている。よって柄の部分を限定する概念はない。反対側もへっちゃらに持つ。そしてなにより、手の中を滑らせない技法で構成されているため、ある程度の荒れた長棒も扱うことができる。

これは、身の回りの物を使うことができるように・・・が最も言いたくて考えられたのではない。とにかく物を持って対抗せよ、と言っているのである。素手によって対抗するのは最終手段だ、とまで思い込んでもいい。

つまり、相手が素手でも、こちらが長棒を持つことができるなら、とにかくそれを持って振り回し、近づく前に滅多打ちにして身を守れ、と言っているのである。何も卑怯じゃない。それこそが生存第一の昔日の護衛武術である証拠なのである。

だから、それが実行できるために、常に何かを持つことだ。何も持ってないなら、Tシャツを振り回せ。ベルトを振り回せ。もちろん斜め後方スライドしながらだ。面前でとどまっていたら、モノを持っていてもすぐに斬られる。

何の神秘性もない解決策ゆえ、そこで落胆し去る男子修行者が複数人いたことを思い出す。でも、現実を見据えるなら、ぶきを常に持ち続けることは、最高の対抗手段と言える。

女性なら、特殊警棒を持ってもいい。男性だって、職種上危険なら、持つこともいい。道具を持つこと。持つ道具を定めたら、その道具となるべく同じもので、練習をすること。

振り切って逃げきることにこだわるな。どうせ無理だから、単換掌を徹底的に練習せよ。そして武器を持っているのだから、常に何か道具を持て。そしてそれで実際に練習せよ。

その単純な流れを実行・練習することで、あなたの有事における生存確率は、大いに上がるだろう。それこそが、命を賭けた護衛術・転掌の伝える師伝・真髄なのだから。

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なぜ八卦掌では君でも達人になることが出来るのか

特別な身体的才能がいらないからである。

バク転する技術も要しない。深淵な持久力もいらない。

人間が、うまれてからの努力で手にすることができる範囲の能力(後天的獲得能力)だけで、八卦掌の達人条件身体能力を確保できるからである。

膨大な筋力も必要ない。動じない精神力も要しない。練習の過程で身につける程度の精神力で十分だからである。

君の練習次第なのだ。

八卦掌的にいうならば、八卦掌の達人としての最低現の要素は、すでに君に備わっている。あとは自分のおもわくどおりにその要素を利用するだけ・・・なのである。

君は、水式門の いじめ護身部~取り返すための技術解説 部分の技術を、まず始めてみて試すといい。頭でかんがえていても仕方ない。行動をし体験することで、いじめ護身部にて説明された、歩き方 すらまともにできないことが分かるだろう。

君が体格に恵まれているならば、いじめ護身部に書かれた内容は不要となろう。弱き立場にて何度も強者の思惑にほんろうされた記憶があるならば、この成立当時の『転掌』技術を学ぶ価値が大いにある。

水式門の伝承する原初八卦掌(楊家伝転掌式八卦掌)では、特に大事な者は以下の点である。

  • 抓地牢(そうちろう)
    • 基本姿勢
    • 対敵イメージ移動
    • 翻身旋理と刀裏背走理を土台とする単換掌の術理
    • 単換掌の術理を前に現れた敵に応用する順勢掌の術理

    これらを、難しい言葉を使わないで、いじめ護身部で示した。

    ちゃんと膝部分(足部分)もさらして演じているため、大いに参考にしてほしい。

    足部分(膝周辺部分)の使い方は、移動武術の極意といってもいい。もし足部分を示さないで「指導動画」と言っている者があるならば、そこの道場は止めておいた方がいい。

    転掌式の八卦掌は、習う技術が少しである。しかしエッセンスのみの技法である。

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    ジェダイ剣術とまったく異なる転掌刀術

    映画「スターウォーズ」は、以前の作品に比べ、ますますジェダイの力や剣術がクローズアップされるようになった。

    映画本編にとどまらず、多くのスピンオフ作品が生まれ、一部を除き、ジェダイの力にクローズアップされた作品がどんどん生まれている。

    Youtubeでは、ジェダイの剣術を解説するものも多く、その非現実的な技法が、さも現実的に存在するかのように紹介されている。フィクションをフィクションとして終わらせず、フィクションが独り歩きをして、そのまま、現実となっている。

    〇〇トで六十四掌を知った見学者が、実際の六十四掌を見た際、「もっとこうした方が、〇ジのように威力が出せますよ」と言ってきたときは、本当にあきれてしまった。こういうのが本当に増えた。

    転掌刀術も、刀(実際は棒)を縦横無尽に振って、敵と相対するものである。しかしその内容は、全く異なる。

    マスター・ヨーダー?

    ライトセーバーという、自分をも殺めかねない危険極まりない武器が、多くのスターウォーズファン、いや、ジェダイファンにとって魅力的なのだと思う。

    ライトセーバーを持つことを許され、かつそれを操る技術を持っている点、そして操ることに関わるジェダイ内の様々な伝統などが、扱う者の特別感を際立たせる。それに憧れ、その華麗な技法のみを追い求め多くのファンがレプリカを買い、ここで一大ビジネスが行われている。ここがまず違う。

    転掌刀術では、刀に依存する傾向がない。ジェダイは、その者自身が持つライトセーバーに、代替品不可能の意識を感じる。だから、(ジェダイファンは)それぞれのジェダイの色にこだわったり、持ち手の形状にこだわりが出てくる。

    転掌刀にとってのライトセーバーは、そこらへんに転がっている棒っきれである。なんでも良いのだ。切り札的な伝説的武器ではない。何の魔力もない。

    ライトセーバーと違って優れている点は、日頃持ち歩ていなくても、そこらに転がっている可能性がある点である。特別な能力がなくとも、棒操技術さえ知っていれば、戦うことができるのである。

    現代日本では、武器の所持は禁止されている。護身グッズであり、かつ銃刀法の規制対象とならない棒を持っていても、警察にかかると、不審者となる。

    ライトセーバーによく似ている?現実的な形態武器たる特殊警棒は、警察に職務質問された際、突っ込まれ没収される可能性のある、やっかいな護身具なのである。気軽な武器ではないのだ。

    転掌成立時の清朝末期は、国内が乱れていたけれど、庶民は当然、本当の刀を持つことはなかった。許されなかったから。庶民が身を守るうえで、伝説的武器などはいざという時使うことができない、頼りにならない・あてにならないシロモノなのである。

    そうなると、本当に実戦を考えている庶民武術家は、練習でも刀でなど練習しない。棒である。それどころか、刀術を、棒操術に特化させたりする(斬る・刺すではなく、叩く・ぶつけるをメインの技術体系にする、ということ)。

    弊門でも、模造刀は練習で使わない。木刀ですら使わない。使うのは棒である。おおよそ、身長160センチ以下が110センチ・160センチ以上が、120センチの棒を使う。

    そしてその棒は、必ず移動しながら扱う。ここもまったく違う。

    ジェダイの戦闘シーンを見ていると、前敵攻防である。目まぐるしく移動しているが、ほぼその場にとどまり、変則的な攻撃パターンで鮮やかに戦っている。

    多少の移動は見られるが、基本的に敵の眼前にとどまり、テクニックで防ぎ、テクニックで攻撃するスタイルである。その動きは、演武における中国刀術に似たところがある(特に、背身刀部分)。

    その戦闘スタイルは、フォース・先天的身体能力・専門機関での英才教育で刺させられるる。つまり、選ばれしエリートの戦闘スタイルである。

    さいごに、ここが決定的に違うのである。転掌刀術は、身体的資源不利者の、なんとか生き残るためにの生存技法なのであるから。だれでもできるのである。

    しかし、誰でもできる技法で他者を圧倒するためには、誰でも出来る技法を、徹底的に繰り返し、誰でもできる技法を、磨きぬかないと、圧倒できない。だれでもできる技法だから、習い始めの人間でも、ある程度できる。ある程度できるシンプルで簡単なものであるから、ほとんどの人間はすぐ飽きてしまい、洗練される遥か手前で止めてしまう。そこに、繰り返す者・突きつめる者・追い求め続ける者の勝機が生まれる。

    そして夢があることに、磨き抜かれたシンプルで誰でも出来る技法は、十分、一部の選ばれしエリートしかできない技に対抗できるのだ

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    清末転掌式八卦掌が掲げる「護身術」の鉄則とは

    護身術にロマンはいらない。これは常々、言っていることである。

    敵を一撃のもとに倒す。敵を一瞬の動きで、倒す。敵を強大は発勁にて倒す。〇〇拳、〇〇先生伝、〇〇派・・・我が門派こそが正統派だ・・・・

    ロマンに走ると、これらの、実際の戦闘で使うことも役立ちもしないことばかりに気が向く。現在の修行者は、本や動画で紹介されただけで、その内容を見もしないで、編集された「魅せる」ための動きで、すぐさま「強い」「実戦的だ」とし、人気店に行列をなす群れのごとく群れる。

    自分も含め、真に実戦を想定して動く動きは、何とも簡素で、味気もなく、不格好である。『魅せるのも技術』というが、実際の戦いに「魅せる」時間などない。相手はそんなもの見ていない。だったら、「魅せる」のは不要である。不要なもののために自分の練習時間を使いたくない。無意味である。

    私は、どんな状況でも弱者が護身を果たす技術を、もっともっと洗練させたいのだ。魅せて勝つ、は私の目指す世界と全く逆の方向性である。

    八卦掌水式門が、昔日転掌のエッセンスを公開しても何の反応もないのは、多くの愛好家が、強くなりたいのか、華麗に戦いたいのか、ただ趣味でやっているから自己満足したいのか、気づいてもないからである。

    有名門派に所属せず、一匹狼の私は、武術におけるエリート街道を歩んでいない。武術に関わる人間・愛子家らから、全く遠慮もされず、畏怖ももたれないため、何度もしょうもないトラブルに見舞われた。遠慮のない実戦を経験した。

    野生動物は、圧倒的フィジカルで我を襲い、やんちゃな兄ちゃんたちは、警察官でない自分を侮り、幾度も一触即発の場面を味わわせてくれた。

    まるで、江戸時代に、町奉行や火付け盗賊改役の下で働く、捕り方のような戦いである。その底辺の戦いの中で、清末転掌式八卦掌が諭す、実戦における生存の鉄則が理解できた。

    それは以下の6つである。

    • (1)まず一番最初に「敵と向き合って構え・・」というテレビの格闘技試合や映画で植え付けられた対敵の常識を捨て去れ。
    • (2)とにかく距離を保て。距離を保つことは、対多人数・対強者・対武器における護身の絶対的基本である。
    • (3)防御はもちろん、攻撃すらも「斜め後方スライド」しながら行う「けん制撤退戦」を貫け。当てなくていい。当たらなければいい。
    • (4)「移動遊撃戦」で敵を引き回し、敵の足が止まったらキロメートル単位で離脱せよ。そのための持久力をとにかく養え。
    • (5)脚は常に移動防御・移動攻撃で使うため、蹴り技を使う暇はない。よって練習する必要もない。
    • (6)刀術ベースの棒操術を身につけ、有事の際に身の回りにある棒で対抗できる可能性を生み出せ。練習しなければ可能性は生まれない 。

    清末転掌式八卦掌は、この鉄則を技術体系に反映させ修行者の身体で体現することを課し、「対多人数・対強者・対武器」における生存の可能性を生みださせる。

    ロマンを求める愛好家らは、(1)~(5)までの鉄則を、大変に困惑した表情で受け止める。彼らの求める戦い方とは、全く逆の行為だからである。

    ことに(4)に対する反応がすこぶる悪い。持久力で戦うことを嫌う。魔法のような身体操作で、息も上がらない状態で、涼しげに、一瞬にして、相手を倒す・・・という幻想的達人芸にこだわっているからだ。

    戦いに魔法もマジックもない。あれだけ走り込んだマラソンの選手が、息も上がらない状態で完走しているだろうか。技術が上がれば、自分の動きも速く激しくなるため、息が上がることは避けられない。

    実戦に向き合うこととは。息を上げるのを抑える技術を得るのではなく、息が上がっても磨いた技術を実行できるように平素から練習して慣れておく、のが「実戦的練習法」なのである。

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    清末転掌式八卦掌~「八」で構成される考えが無い

    水式門で指導する、成立当時のままの「転掌」時代の八卦掌には、「八」で型数を構成するなどの考えがほぼ無い

    転掌時代は、八卦陰陽理論などの影響は受けていなかった。

    流派によっては、董海川先生の時代にすでに、八卦陰陽理論で技術体系が組まれていた、とする説もある。それについては確証もない。

    しかし、董海川先生は、文字を読むことができなかったとの説も多い。当時の中国の下層の人間は、読み書きなど当然にできなかった。

    宦官に身をやつし、かつ若き日の記録もほぼ無いことから、董海川先生の身分は高い地位でなかった(下層の人間であった)可能性が極めて高い。野盗や盗賊・太平天国軍の残党であった可能性すらある。

    下層の人間が、複雑難解な八卦陰陽理論を読み解き、もしくは教育を受けて習得し、それを自分の練習している武術に理論的融合させたなど、実に考えにくい。

    私は師伝で、転掌の技は3つのみ、と聞いている。習っている期間中、八歩で一周、とか、八〇掌とか、〇〇八式、などの型や名称を聞いたことがない。

    単換掌・双換掌・勢掌(順勢掌)の三つのを、徒手・棒・長棒・双短棒にて使いこなすことを重視されていた。

    先生曰く「どうせ難しい技なんて出せない。手を出すのが精一杯だ」

    この3つですら、未だ練習するたびに疑問がわくときがある。追い求めても追い求めにくい、尽きせぬ興味の対象である。これ以上、型は必要ない、あったら練習に困る、練習時間がいくらあっても足らない、と、切に思う。

    時間と体力がいくらでもあるなら、習う型も多くていいのだろうが、私を含めた人間には、時間は有限である。現代人はなおさら、社会的制約や多くの誘惑にさらされている。よほど集中しないと、時間の確保ができない。

    わたし自身、練習時間を確保したくて、愛知の拠点を切ったのである。それほどまでして確保した時間を、多くの型の時間に費やすことはない。とにかく、この3つの基本型の術理を、もっともっと洗練させたいのである。

    弊門での八卦掌には、よって老八掌や八大掌・八母掌・定勢八掌などのものが必須となっていない。

    定式八掌については、そのうちのいくつかが、昔日より転掌動作として伝わっているので、指導する。しかし、定式八掌のキメの姿勢は、ほぼ指導しない。転掌式八卦掌にとって、そこが重要ではないからだ。

    清末転掌式八卦掌の技術体系は、近々まとめる。

    近代格闘術八卦掌とは、全く技術体系が異なるからだ。走圏などの練習のとらえ方も、全く異なっている。目的が違うから当然である。生存第一と、倒すこと重視では、その内容は全く異なる。

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    清朝末式八卦掌=生徒集め用に護身術化してない純な護衛武術

    清朝末期成立当時のままの転掌と言われていた頃の八卦掌(以下「清朝末式八卦掌」と呼ぶ)は、単なる護衛武術である。

    八卦掌が説明される時、女性向けの護身術と言われたり、最も真伝を得るのが難しい高級内家拳と言われたり、変幻自在の神秘の拳法、などと言われているが、原初スタイルの八卦掌は、単なる護衛武術である。

    自分は、近代格闘術化した八卦掌である梁振圃伝八卦掌の指導許可を得たが、ある程度の段階まで上がっても、勝ったり負けたりはあるな、と感じ、不安だった。その不安を払拭するための、神秘的な攻防技法・理論(螺旋をひんぱんに使った変則攻撃・八卦陰陽理論など)も実際に使ってみたが(使っている余裕がないほど力と速さで押し切られ)無理を感じ、実行できないと痛感した。

    つまり、近代格闘術八卦掌は、女性向けのものでは到底なかった。武術経験のある屈強な男性向け、もしくは体格・筋力のある若い男性向けの武術である。

    映画や演武大会で、女性が優美に流れるように演じ戦う映像を見つづけ、かつ各道場が「女性向け」と明確な理由を明示せずに発信するため、多くの人の中で八卦掌は「女性向け」「女性が使ってこそ」という認識が生まれた。

    変則攻撃や斜めに移動して技を発出するも、女性向け、と言われる原因となっている。しかし、これらの攻防技術だけでは、身体的資源不利者に有利さを生み出さない。

    身体的資源不利者が変則攻撃や斜めに入る攻防を行うならば、それらは単なる『遠回り』に成り下がる。身体的に不利な者が、遠回りなんてしたら、一層攻撃が当たりにくくなるのは明らかである。

    有利者が最短距離で攻撃してくるのに対し、ただでさえ攻撃速度や技術が低い不利者が遠回りなんてしていたら、到達時間も長くなるうえに丸見えとなり、当たらないのどころか「格好の的」となってしまうのだ。これは十数年と練習して倒され続けたがゆえに分かったことである。

    今まで、「女性をはじめとする、筋力・体格等身体資源要素で格闘するに不利な者」に向く理由を明確に説明できる指導者がいなかった、のである。

    私が女性に向いている、と説明するには、明確な理由があるから、「女性をはじめとする身体的資源不利者に適した」とはっきり言うことができ、女性クラスの門弟も募集することができるのである。

    女性をはじめとする身体的資源不利者に八卦掌が向いている理由は以下のとおりである。各自吟味し、実行してほしい。

    先制攻撃などしないで、敵が少しでも近づいてきたり、威圧をかけてきたら、ためらうことなく力のぶつからない場所(一番望ましいのは敵のいない場所)へ移動(という名の防御)を開始する。そうすると、勝手に敵は接近してくるため、移動を止めることなく移動の勢いを保って自分の攻撃がまったく当たらないくらい遠い間合いを維持しながら、斜め後方へスライドしつつ攻撃をする(撤退戦)。そのため自分の攻撃は相手に当たらなくなるが、生存第一なので敵の攻撃さえ自分に当たらなければ成功なので問題ない(自分の攻撃が当たる、ということは、敵に近いことを意味し、敵の攻撃が当たりやすい状態でもあるから)。
    移動し続けることで敵と接近攻防することがなくなるため、技術・筋力の影響を受けない位置で一定時間敵の攻撃を喰らわないための攻防ができる。そのため、その「一定時間」を長引かせるための練習を、日頃よりすればいい。螺旋功や変則歩法で敵の力をいなすような、複雑で人との練習でしか技術を高めることができない技法に頼る攻防スタイルであると、対人練習が毎日できる恵まれた環境を持つ人間にしか、技術を高めることができないことになる。清朝末式八卦掌は、敵との接触攻防をしない技術体系であるため、一人練習メインでも十分に練度を高め、男性なみに攻防持久力を作り上げることができる。そのため、いざという場面でも、相手から間合いをとり『自分次第』の領域を保つ技術さえ発揮できれば、生存できる可能性をもって戦うことができる。

    撤退戦の最も基本的な技が「単換掌」である。移動し続ける際の移動練習が「走圏」である。実行するための練習方法も、明確に示すことができる。

    単換掌をはじめとする型をたくさん覚え綺麗に演じることに時間を費やしたり、走圏に神秘的な内功要素を詰め込むことが、実戦において有効でないことがよくわかるはずだ。

    理由だけが明確でもいけない。実際に使ってみて、本当に一定時間護身し続けられなければならない。その点は、昔日の実績があるから安心である。

    その実績とは?成立当時の八卦掌(転掌)が、宮中内で仕える者が使用する武術として採用された実績である。屈強な武術経験ありの男性しか使うことができないシロモノであれば、採用されることはない。宮中に、屈強な男性(宦官以外の男性)が入ることはできなかったからだ。

    ※董海川先生は、武術教官・護衛官吏として出世するために、自身の経験してきた武術(戦場刀術)を元に、身体的資源不利者向けの拳法を編成し、アピールした、戦略的野心家であった。

    もっと明確に理由を学んでみたい方は、『最低限の時間で仕上げる「清朝末式八卦掌」護身術』の前半にて詳しく説明してある。ぜひ読み、試しに練習し、講習会などへも参加してほしい。

    一貫しているのは、弱者使用前提という点。私が護身術として指導するために、30数年時間がかかったのは、護身術として攻防理論が矛盾しない技術体系を持つ武術を見つけることにこだわったことが原因であった。

    近代格闘術八卦掌では、矛盾が払しょくできなかった。昔就労生先生に習った、昔日スタイルの清朝末式八卦掌を再現するまで時間がかかったのである。

    言い換えるならば、強者使用前提のあまたの武術の一つとなった近代格闘術八卦掌を、護身術としてカスタマイズするのではなく、弱者護身を目的として作られた技術体系を見つけるための模索をしぬいたから、教えるまでに時間がかかったのである。

    模索の徹底が、十代初期に習った後方スライドする八卦掌こそが、弱者護身術となりうる武術であると気づかせ、清朝末式八卦掌の成立の道を拓かせたのだ。

    ほぼすべての道場では、たまたま自分が習った近代格闘技(例えば空手やキックボクシングなど)を、弱者護身の護身術にカスタマイズして指導している。

    もともと強者使用前提の格闘技を、弱者護身にカスタマイズするのである。格闘技と護身術は、全くの別物である。

    倒すのが第一義の格闘技と、生存の可能性を生みだすのが第一の護身術。使用者の前提が強者と弱者。いくらか攻撃をもらうことを前提とする試合前提ならではの格闘技と、刃物や強者の強打が一発でも当たると命取りとなる命を賭けた戦いの場が前提の護身術。

    その真逆の前提を克服せず、技法を少しカスタマイズしただけであるから、その護身術は身体的資源不利者を救わないのである。そもそも、敵と向き合っている時点で、その技法は、強者使用前提を証明しているようなものである。

    まったく別物の格闘術を、護身術へ換えるならば、そもそも根本から換えなければならない。しかしその作業は極めて大変である。自ら新しい拳法自体を、作らなければならないからだ。

    ※日本国内にも、自ら拳法を創り出し、指導をしている先生らがおられる。これは大変すごいことであり、心から尊敬する。

    自ら拳法を創るなど、学生の頃の自分には想像もつかなかった。よって、弱者護身の技術体系をもつ武術を探したのである。

    私は本当に運が良かった。一番最初に巡り会った拳法の原型が、弱者護身の技術を取り扱う拳法だったから。厳密に言うと、自ら護身し、一定時間生存することで囮(おとり)となり要人を守る、囮護衛の武術だった。

    「自ら護身し、一定時間生存することで囮(おとり)となり」・・この箇所が極めて護身術として役立つ点である。護衛まで念頭に置くなら、電撃奇襲攻撃に関わる技法と、攻防を支える移動遊撃戦持久力に一層の磨きをかける必要がある。

    独学で始めた八卦掌は、近代化した後の八卦掌であったが、それが弱者による護衛を実現するためのものであることは、薄々気づいていた。就労生先生に、後方へ下がりながら攻防をする単換掌を教えてもらった時、「やはりさがるのだな」と納得した記憶がある。

    時を重ね、多くの八卦掌を見たが、皆、近代格闘術スタイル八卦掌である。

    これは、日本だけの傾向かと思った。理論の学習をしようと考え、中国から本を直接取り寄せたが、何十冊にも及ぶ八卦掌の本は、皆、近代格闘術八卦掌であった。

    成立当時の董海川先生の教えが盛り込まれていると伝えられる八卦三十六歌訣も、その解説はすべて、近代格闘術八卦掌であることが前提で解説をされていた。

    そうならば、以後、私が、成立当時の八卦掌の術理で、三十六歌訣などの理論を解説していくのみである。

    八卦掌水式門ホームページ内の、清朝末式八卦掌全伝 では、昔日スタイルの清朝末式八卦掌の術理を解説していく。

    弱者護衛の真髄を学びたい方は、清朝末式八卦掌全伝を参考にするといい。

    そして、頭で理解したと考えたならば、水式門の門を叩いて欲しい。直接私の指導を受けることで、「龍の絵に瞳を描き魂を入れる」のだ。

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    八卦掌は「勢」の武術である~勢で護身し、護衛を果たす

    八卦掌は勢(せい)の武術である。螺旋や変則攻撃が重要なのではない。

    「勢」とは、速さを伴って、高い移動推進力で、進み続けること。また、その勢い。孫子の兵法では、一篇使ってまるまる勢の重要性を説くくらい、古来より中国兵法・軍隊戦術などで重宝されている。

    八卦掌という武術の目的は、対多人数・対強者・対武器の圧倒的不利な状況でも、一定時間我が身を守って囮(おとり)となり、守るべき人(清朝王族・王族寵姫)を守る、というもの。そして使用者は、あくまで宦官や女官であることを想定していた。

    去勢(きょせい)された男性官吏たる宦官(かんがん)は、身分が低く、ともすれば蔑視の対象であった。古来より中国では、ひげを生やす習慣があった。それは、宦官と間違われたくなかったから、という理由もあった。

    支配階級民族からすれば、宦官の命なんぞ、軽いものである。変わりはいくらでもいる。かたや宦官となった者は、後宮内で立身出世をすれば、低い身分から一発逆転をすることすらできる。逆転できないにしても、宮仕えをしている期間中は、食にありつける。

    太平天国の争乱期は、庶民を含め多くの命が奪われた動乱の時代。宦官にならず庶民として暮らしていても、いつ何時命を奪われるかわからない時代。

    そこで一部の者は、宦官になることも考える。宮中内で、何かしらの形で名誉・肩書を得れば、後の生活も保証される。護衛の渦中で我が身の命が奪われたとしても、大きな栄誉をたまわり、後に残された家族が生活を保証されるかもしれない。

    宦官になることは、去勢手術における落命の危険も含め大きなリスクを伴ったけれど、人によっては、メリットもあったのだ。

    古来より、王族のために刺客(暗殺者)となる者は、残された家族の生活が保証され、その家族に栄誉を与える約束のうえで、死地に向かった。刺客となれば、ほぼその場で殺される。後の孫子の主君となる闔閭(こうりょ)のために、先代呉王を魚腸剣にて暗殺した専緒(せんしょ)がいい例である。専緒は暗殺に成功したが、その場で呉王の側近に殺害された。

    刺客や護衛者の末路は、それが一般的であったのだ。囮護衛などという悲壮な護衛方法は、厳しい身分制社会が生んだ、悲壮なスタイルなのである。

    ひょっとしたら創始者の董海川先生は、宮中内にて需要のあるものを生み出し、その先駆者となることで、立身出世をする、という可能性に、価値を見い出し賭けたのかもしれない。

    ※宦官になった説には諸説ある。碑によれば、連座という記載もある。しかし不明である。

    しかし、宦官であったことと、宮中内で認められるため・需要を得るために、自らが以前修めた武術を元に女官・宦官でも使い得る武術を創出した、という説には大いに自信がある。

    なぜなら、当時の中国に、ここまで女官や宦官に適した武術など、成立し得ないからである。当時存在していた武術のほぼすべては、屈強な男性向けのもの。

    距離をとって護身を図る方法は、以前より戦場における護身の有効な方法であったのだが、攻撃を犠牲にした斜め後方スライド技法で統一するまで生存にこだわっている武術は、他になかった。これは、使用する人間が非力であることが前提だった証である。

    宮中内で女官や宦官でも使え、かつ王族を守ることすらできる、宮中内奉仕者向けの護衛武術を創って、それが王族に認められ、宮中内官吏が修めるべき武術として採用されれば、その武術の創始者として武術教官となることができる。これは大きな出世である。

    事実、八卦掌は、清朝名門王族たる粛親王府でその実力を認められ、董先生が武術教官となったことを契機に、爆発的に広がっていく。

    八卦掌が世に生まれ、そして認められ世に広まっていく。その前提として、『対多人数・対強者・対武器の圧倒的不利な状況でも、一定時間我が身を守って囮(おとり)となり、守るべき人(清朝王族・王族寵姫)を守る』という目的は、根本的なものだったのである。

    この目的を果たすための最も大切な要素が『勢』なのである。勢がなかったら、対多人数・対強者・対武器対処ができない武術となり、王宮内護衛武術として採用されない。八卦掌が世に出ないのである。

    勢無くして、多人数相手に生き残ることはできない。動かぬ的(まと)となったら、あっという間に取り囲まれる。

    勢無くして、屈強な男性の力任せの攻撃に対処できない。とどまっていたら、屈強な男性の、力任せの攻撃をその場で受け続けることになる。

    勢無くして、武器による斬撃をかわし続けることはできない。勢がなかったら、敵に距離を詰めらえ、切り刻まれる。鎧も武器も持たない宦官や女官は、手先の技術などで刃物の斬撃をかわし続けることなんぞ、できないのである。

    八卦掌には、様々な技法が存在する。そのもっとも代表的なものが、単換掌である。実は単換掌(の術理)とは、勢を保って移動している最中、「敵が側面・斜め後方から攻撃してくる」という「勢を頼みにした攻防が最も危ぶまれる時」に、勢を減退させず敵をやりすごすための、最もシンプルで最も典型、かつ考え抜かれた対処法なのである。

    この部分を知らない修行者が、圧倒的に多い。そもそも単換掌の基本型のみをさっさと終わらせ、他の変化型ばかりを練習している。単換掌を洗練させる作業は、大変時間がかかる。動作は簡単だが、練習すればするほど、己の対敵感覚で、うまくいくパターンが見えてくる。私自身、未だに、一日2時間以上も、単換掌の術理に時間を割く。

    ゆえに八卦掌水式門では、単換掌と双換掌の修行に、多くの時間を費やす。実は、定式八掌の転掌式も、他の老八掌の技も、単換掌・双換掌の変化型だからである。

    そして各種武器術も、単換掌・双換掌の術理を用いて行う。八卦刀術・遊身大刀術・双身槍術・双短棒(双匕首)・連身藤牌術、すべて、単換掌・双換掌にて修めた術理を用いる。

    ※武器術は、双換掌(もしくは陰陽魚掌)にて学ぶ『敵に一瞬背を向ける(外転翻身)斜め後方スライド』の術理を使用する比率が高い。実は、双換掌の方が武器術理の原型である。徒手技法における原型が単換掌なのである。徒手時は、武器所持時に比べ手返しよく手を出すことができるため、単換掌が成立することとなった。

    単換掌の斜め後方スライドは、前に進んでいる最中における横・斜め後方からの敵に、大きな効果を発揮する。この技術習得が最優先である。

    しかし対多人数移動遊撃戦時には、前方向に敵も現れる。その弱点を克服するために、前敵に対する対処法が考えられた。

    あと、斜め後方スライドばかりで移動し続けていると、複数人の敵は「逃げてるだけ」と勘ぐり、要人に手をだそうとする。複数人の敵に、常に自分に意識を向けさせるために、遊撃戦渦中における要所要所で、電撃奇襲攻撃をして敵に脅威感を与え続ける必要がある。そこで順勢掌の術理たる、前敵スライド回避攻撃の対敵身法を使う。

    これは、斜め後方スライドを、前に応用するのだ。

    前敵スライド回避攻撃。この順序が大切である。

    多くの修行者は、前敵に、攻撃~スライド~回避、となっている。これでは、攻撃を先にしている時点で、敵と力がまともにぶつかり、勢が削がれ、周囲の敵に捕捉される。

    攻撃から先に入らない。まず「スライド」なのだ。少しでもスライドしながら入るのだ。そうすることで、勢を保つことができる。勢さえ保っていれば、前敵や後方から迫る敵に捕捉されない。

    しつこく言う。あくまで前敵には「スライド~回避~攻撃」なのである。弊門で指導する単招式は、すべてこの順序である。よく見直して欲しい。明日の練習から、もう一度意識しなおして欲しい。先にスライドすることでまず移動による防御をして回避しっつ、そのうえで去り際に手を出す(攻撃)のである。

    改めて私の動画を見て欲しい。動かない的を攻撃している、などと的外れな指摘をしている時点で、そいつは少しも昔日の八卦掌をわかっていないとさらしているようなものだ。見ている点がずれている。

    ほんのわずかだが、スライドして回避し、そして手を去り際にスッと出す。だから、敵の頸部後方に手が当たるのである。

    この術理も、勢を利用した対処法である。順勢掌の術理。前敵スライド回避攻撃の対敵身法である。

    八卦掌が勢を重視するのをわかっていただけたであろうか。

    この点について、必ず 清朝末式八卦掌全伝 で、詳しく体系的にまとめる。

    昔日達人の武勇伝でも比べ物にならないくらい、大切な点だからである。

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    どこが悪い?行きたい場所へいつでも自在に行ける技術が。

    自分は、『行きたい場所へいつでも自在に行けること』を目指して、練習してきた。

    誰よりも練習したかどうかはわからない。しかし自分の出来る範囲を超えて、練習してきた。

    生活レベルが最も低いレベルをまたいでも、マイナスになろうとも。

    こういうことって、人との比較じゃない。自分次第で完結したい。人との比較ほど意味のないものはない。清朝末式八卦掌は、護身術で『他人次第』ではない。目指すところは『自分次第』の領域だ。

    『自分次第』として目指す境地・段階。それは、『自分の行きたい場所へいつでも自在に行けること』ができる段階だ。

    技術とか、メンタルとかで相手に勝つとか、ではない。武勇伝を見聞きすると、たいがい、相手をねじ伏せたりする話がおおい。

    そうではなく、相手が何を言ってこようと、どのような立場だろうと、どんな技術を持っていようと、その場をやり過ごす技術があり、その場から離脱したり、相手から逃げ続けて長時間時間稼ぎができるなら、それでいいではないかと考えた。

    そしてその段階を目指し、焦点を定め、練習してきた。気が楽になったね。敵の攻撃を、成功するかどうかわからない手技で対抗する不安から解放されたから。見た目はカッコよくもない。

    逃げてばっかりと、八卦掌の目指す深いところを理解しない人には呆れられるが、そんなものはどうでもいい。心の平安、我が身安全第一、弱者なりの護衛方法を極めたいと思って、まい進してきた。

    『自分の行きたい場所へいつでも自在に行けること』ができる段階に至るならば、私はどのような境遇に至ってもいいと考えた。そして、あと少しのところまで近づいてきたとき、息が上がっても動き続けることができるようになった。

    息が上がっても、振り切ることができるようになった。そして自分行きたい場所へ、行きたい、行こうと判断した時、行くことができるようになった。行くことすら考えないで、無意識に、パッと目に入った誰も居ない場所へ、言い換えるなら、己の感覚が命じる敵のいない安全な場所へ、行くことができるようになった。

    「本当に、野生なんかから・・・倒したのかよ」と言われた時、

    「倒してないですよ、逃げてくれただけ。すぐ動ければ、やられないですね、見てみますか」

    と堂々と言うことができる

    野生との戦いをなめているのではない。野生の前では、人間など逃げるのみだ。野生の前では、武術のスキルなど、ほんのささいな差でしかない。

    しかし、武術によって磨いた『自分の行きたい場所へいつでも自在に行ける』スキルは、野生の前でも、瞬間的な回避行動の発動として、威力を発揮する。この部分だけが有効である。

    最近上げた動画は、その部分について少し触れた。瞬間的に、大きな力を発し、今居た場から少しでも移動する。これも自分次第である。瞬間的の大きな力で相手を打つ。当たらなかったらどうする?攻撃なんて、ほぼ当たらないもの。であるなら、自分を安全な領域に移動させる方に、発力(発勁)を使った方が確実ではないか。

    今回の動画でも一定数のマイナス評価がつく。マイナス評価をする行為ほど、バカげたことはない。自分次第の領域で完結させるための発力に、なんのケチがつけようか。

    この領域に至るまでに、どれほどの練習をしているか、どれほど考え抜いたか、どれほど繰り返したか、そんなことを想像もできず、ただ人のしていることにケチをつけるつまらない人間が嫌いである。

    自分次第であり続ければ、たとえ誰かが、強大な力で人を倒すことを売りにして威勢が良かろうと、それはそれ、とみることができる。

    自分のところに人は集まらないかもしれない。ロマンがないから。でも八卦掌なんて、護衛護身術。見世物ではない。自分を守ることで大切な人を囮(おとり)護衛できるなら、私はそれで必要十分だと確信する。

    よって、人を強大な力で打つ練習などしない。手技で真っ向から、華麗に防御して攻撃するコンビネーション練習などしない。斜め後方へ安定して移動しながら、『勢』を保って対処する方法ばかりを練習している。

    決して簡単ではない。難しいし、身体軸の安定が求められる。やればやるほど、『翻身旋理・刀裏背走理』の重要性を痛感する

    まだ足りない。自分の目指す領域に到達すると、また新たな行きたい場所が見える。このシチュエーションで、より完成度を高めたい、そう思う。この道具を使っても、この術理で何なく実行したい、と思える。そう考えて、刀も、長棒も、双短棒も、連身藤牌も、扱ってきた

    私の仮想敵は、野生である。イノシシである。鹿である。カモシカである。とんでもな筋肉とキバ・角で、命がけで立ち向かってくる脅威の敵である(熊は想像もつかない。逃げることすらも想像できない)。

    『自分の行きたい場所へいつでも自在に行ける』スキルを磨いて磨いて、その場から回避する。その技術があることで、職責たる「闇を照らす」ことで犯罪を未然に防ぐことができる。野生が怖いからといって、闇を照らさないわけにはいかない。その職責を果たすために、『自分の行きたい場所へいつでも自在に行ける』スキルは欠かすことができないのだ。

    その視点で、発勁動画もみて欲しいものだ。自分が身体移動に、瞬間的に大きな力を使う理由を。

    これは、自分の動画に定期的にマイナスをつけて満足しているどうしようもない阿保たれに言ってるのではない。清朝末式八卦掌に価値を見いだしている、才能ある未来の仲間に言っている。

    ブログ内容は、すべてこれらの天才に向けて発している。彼ら彼女らになら、届く。

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    清朝末式八卦掌恩師・楊先生との思い出

    私のサイトに、宦官(かんがん)として宮中に入っていた頃の、董海川先生のイラストが出てくる。

    これは、清朝末期成立当時の頃の原初八卦掌(以下「清朝末式八卦掌」と呼ぶ)を私に指導してくださった恩師・楊先生をモデルにしている。

    ※楊○○先生。下の名称の漢字が不明である。当時私が記したメモ帳は、ほとんどがひらがなだった。技の名称も皆ひらがなのため、八卦掌水式門サイト上で記した技の漢字も、従来とずれている可能性がある。突然教室が無くなったこと、名前公表について先生の許可を当然得てないことから名字での呼称にとどめる。

    董先生は、諸国漫遊の中で、異人と出逢い、八卦の術を授かったという。異人とは、平たく言えば、外国人・異民族のことだ。

    当時の中国には、様々な民族がいた。そして外国人も。日本人もいたであろうし、インド人、ヨーロッパ人、ロシア人もいた。

    漢民族でない誰かに、あのハイブリッドな拳法を習ったことは、一種のロマンである。そして私も、清朝末式八卦掌を、私とって「異人」の、楊先生に習ったのだ。

    私が発する伝承証明書に、楊先生の名前は載せない(私の八卦掌のメインの先生の名前は当然記載している)。なぜなら、楊先生に習った期間は4年近くに及ぶが、内弟子となったり、指導許可を得たりしてないからだ。

    事情は不明であるが、私が高校生の時、突如先生の道場が無くなり、清朝末式八卦掌の指導を受けることが無くなってしまった。

    無くなる一年前近くから、多くの武器術を習うようになった。刀術から始まり、双身槍、遊身大刀、双匕首、果てに、連身藤牌まで。連身藤牌は、先生の演じる虎衣藤牌兵演武がかっこよかったので、なかば積極的に頼み、教えてもらった。

    先生が高齢者の方々向けに指導している公民館っぽい施設の近くの広場で、八卦掌を習った。当時から外で習っており、習うのは外であることが、当時から当たり前だった。

    今思えば、教えることができなくなるから、愛知から東村山まで習いに来る熱心な少年に、出来る限り伝えてくれたのだろう。

    私は大学に行き、ある程度お金を稼ぐようになった(夜間大学だった)ため、機会を見つけては上京し、何度も何度も探した。

    しかし結局見つけられず、お会いすることはなかった。大学を卒業し、結婚などを経ても、なお探し続けた。

    私の八卦掌のメインの先生は、北京の高名な先生から指導を受け、正規ルートで伝承をする一種のエリートである。中国の体育大学を出て、有名な先生に複数師事している。楊先生のように、片田舎で、父親や祖父から習っただけの無名先生とは大きな違いである。しかし、メインの先生は「八卦掌は多人数戦専用の拳法」と言うなれど、正規に指導許可を得て八卦掌の第6世となっても、対多人数戦の技法を教えてくれることはなかった。

    私が信頼されてなかったのか?とも思ったが、その先生の同門の有名先生の指導内容から、そうでないとわかった。

    同門の先生は、公のメディアで、「八卦掌は螺旋の拳法」と発言をしており、明らかに多人数戦ではないことが分かったからだ(それは間違っている、とかではない。スタイルの違いだけなのである)。

    まさかメディアで、指導しているものと違うことを言うまい(もしそうならば、それはそれでかなり問題である。一部の中国人の先生は、金をとってもへっちゃらで、日本人に違うことを指導するが)。

    私が習った梁派は、対一人・対他流試合・強者使用前提の近代格闘術スタイルだったのである。清朝末式八卦掌は、「勢(せい)」の拳法である。目的からして、全く違うのである。目的が違うならば、当然、技術体系も違う。

    全く無名の、福建省アモイ近郊の農村出の楊先生の道場は、名目上、太極拳の道場だったけれど、単換掌・双換掌は、斜め後方にスライドをしていたのだ。横に下がるのではない、斜め後方スライドなのである。これは大きな奇跡だったと感じる。

    私が八卦掌を独学で練習していることを知るや、特別に、八卦掌を教えてもらった。その頃は、斜め後方スライドなど知るはずもない。

    先生に就いて習うのは、楊先生が初めてだったから、八卦掌は、後ろに下がりながら去り打ち・後ろ斬りをする拳法だとなんとなくわかったし、そう思っていた。

    ※独学当時の佐藤先生の本は、近代スタイルだった。しかしその本からも、後ろに下がるのではないか、と薄々気づいていた。楊先生に習った時「やっぱり下がるのだな」と納得した記憶がある。

    楊先生に出逢ったのは、まさに運命だったと思っている。当時は、日本に八卦掌の道場など無く、太極拳のクラスがある程度。

    その中で、八卦掌に出逢い、またそれが、斜め後方スライド技法の残る、原初式八卦掌だったからだ。

    なぜ楊先生の八卦掌は、近代格闘術化しなかったか?それは、先生が八卦掌を習った経緯にある。楊先生の実家は、先生によると、福建省アモイ近郊の片田舎(失礼)だったから。アモイは大都市だけれど、そこから何日単位で移動するほど、外れていたようだ。
     
    八卦掌の本場たる北京や、近郊の黄河流域付近であれば、八卦掌を公に指導する有名先生の道場も多い。

    そこで名をあげるには、他流試合で強い必要がある。移動遊撃戦で撤退戦を演じている場合ではないのだ。そして、他流派との交流の中で、近代格闘術化していくのは自然の流れである。

    しかし楊家は、福建省の田舎、という孤立した土地柄にある。割と外界(特に八卦掌界)とは隔絶された状態で原初のままのスタイルが残ることになったのだと推測される。

    私にとって、弱者護身のスタイルを学び、指導者となることは、目的を達成するための、大きな現実的目標であった。よって先ほど触れたように、楊先生を探し続けたのである。

    メインの先生に習った近代八卦掌は、私の子らに教えることはなかった。そういう意味で、彼女らは純粋に昔日スタイル八卦掌家である。子らの修行の完成をも願ったゆえに、探し続けたのだが、叶わなかった。

    日本の中国拳法愛好家は、やたらと先生の出自にこだわる。そして練習も大してしないくせに、有名先生に師事していることに異常に固執するのだ。○○先生伝という上っ面の看板だけで実力を判断し、使えもしない技術ばかりを増やしている。

    八卦掌の門を開いていると、「○○先生に紹介状を」などというくだらない問い合わせがまれに来る。「○○先生は紹介状なんて条件を掲げてないから、問い合わせて習いに行けばいい」と最初は答えていた。しかし最近は無視している。

    有名先生に最初から特別扱いをしてもらいたいのだろう。しかし、特別扱いしてもらう方法はただ一つだ。門に入り、地道な基礎を積み重ね、練習に誠実に向き合う長きの実績で、認めてもらうことだけなのである。私が楊先生にそうやって認めてもらったように。

    私が梁派の継承の道を捨て、その記載をサイト上から消した以後は、本当に問い合わせが減り、そして無礼者の問い合わせが増えた。舐めているのだ。

    しかし実戦を幾度も経験した者として言うならば、有名先生に師事していることなんかは実戦では何の役にも立たない。暴漢やならず者、輩(やから)らは、有名先生や達人の名前なんて一切知らない。そもそも、「○○先生にならったんだぞ」なんて馬鹿げたことを言う暇もない。鎌倉武士じゃあるまいし。野生動物なら、そもそも言葉も通じない。

    楊先生は、そのような日本の愛好家からすれば、何ら価値もない先生であろう。しかし私にとっては、ずっと探したい人であり、追い求めたい先生なのである。

    落ち着いたら、アモイの近郊にも行ってみたいと思っているくらいだ。きっとご存命であろう。およそ60代後半くらいであろうか?ぜひお会いし、あの時のように身振り手振りで習ってみたい。

    今私は、楊先生から習った楊家伝の技術を整理している。近代梁派とごちゃまぜになっているからだ。楊家連身藤牌の型を公開したのは、その一環である。

    楊先生から習った技法は、私の代で責任をもって整理し、公開し、後代に伝えるつもりである。連身藤牌は、すでに子らに伝えたが、その他の技法は、まだまだ伝え足りない。

    清朝末式八卦掌全伝」のカテゴリーにて、術理を公開し、修行者の参考に供する。また機会があれば見て欲しい。まだまだ未完成であるのはご容赦してほしい。

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    翻身旋理・刀裏背走理習得で自然とできるようになる発勁

    中国拳法を志す者の中で、知らない者はいないくらい有名な言葉。

    しかし私は、アルバイト先の空手の方に聞くまで、よく知らなかった。なぜなら、八卦掌にそのようなものがないからだった。

    清朝末期成立当時のままの原初八卦掌(以下「清朝末式八卦掌」)では、発勁を重視しない。一大コンテンツでもない。

    題名のままである。翻身旋理・刀裏背走理をできた先に、自然と待っているものである。

    ここで注意が必要である。翻身旋理・刀裏背走理習得は、発勁を出来るようになるための練習ではない。あくまで、敵が移動遊撃戦時、斜め後方や横から急接近してきた際の、移動速度を落とさないための要訣なのである。

    この両理の土台の先に、発勁は待っている。

    敵が突然横方向から襲ってきた際、急速移動回避をする必要がある。その秒単位の世界では、複雑な技・日頃行っていないような技などできない。

    あくまで、日頃取り組んでいる技で、もしくは身法で対応する。そしてその日頃の動作に、少しだけ大きな力を込めて、瞬間的に速度を増し回避したり、急に敵に迫ったりするのだ。

    あくまで、普通の動きの中で、である。そして、特別な呼吸法や、特別な力伝達意識が必要なわけではないのである。

    普通の動きの中で行うから、日頃の絶え間ない移動、の流れを止めないで済むのである。

    あまりに大きな力を出すのなら、ある程度ためて、瞬間的に発する、という流れも必要となろう。他の拳法の発勁は、おおよそこの流れを採用している。

    八卦掌は、とにかく持続可能な限りの速い速度を保って移動し続ける武術であるため、蓄~発は極力避けたい。八卦掌は、蓄~発よりも、縮~展の動きの流れの中で、大きな力を出すのだ。

    扣擺発力・翻身発力は、まさに縮~展へ続く展開力を利用した発力である。遊歩発力も、移動する際の、押し広げ動作たる、展開の中で、通常よりほんの少し大きな力を発する。

    よって、各対敵身法時の練習においては、まず翻身旋理・刀裏背走理の要訣を守って、洗練された後退スライド習得を目指す。

    そしてその練習の中で、たとえば私のように、時間を区切った移動遊撃戦想定練習の中で、敵が横から球速チェイスしてきたのを予想して、突如向きを変えてみたりする。

    ここでは、瞬間的に大きな力でもって、我が身を転身・移動させなければならないため、発勁で説かれる非常時力発出法も役立つのである。

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