水式門唯一指導の成立当時のままの原点・清朝末式八卦掌とは」カテゴリーアーカイブ

八卦掌水式門が、国内外で唯一指導する、八卦掌成立当時のままの原点スタイルの八卦掌「清朝末式八卦掌」について、八卦掌第6代目掌継人である伝承者の水野が詳しく解説をする。

清末転掌式八卦掌~「八」で構成される考えが無い

水式門で指導する、成立当時のままの「転掌」時代の八卦掌には、「八」で型数を構成するなどの考えがほぼ無い

転掌時代は、八卦陰陽理論などの影響は受けていなかった。

流派によっては、董海川先生の時代にすでに、八卦陰陽理論で技術体系が組まれていた、とする説もある。それについては確証もない。

しかし、董海川先生は、文字を読むことができなかったとの説も多い。当時の中国の下層の人間は、読み書きなど当然にできなかった。

宦官に身をやつし、かつ若き日の記録もほぼ無いことから、董海川先生の身分は高い地位でなかった(下層の人間であった)可能性が極めて高い。野盗や盗賊・太平天国軍の残党であった可能性すらある。

下層の人間が、複雑難解な八卦陰陽理論を読み解き、もしくは教育を受けて習得し、それを自分の練習している武術に理論的融合させたなど、実に考えにくい。

私は師伝で、転掌の技は3つのみ、と聞いている。習っている期間中、八歩で一周、とか、八〇掌とか、〇〇八式、などの型や名称を聞いたことがない。

単換掌・双換掌・勢掌(順勢掌)の三つのを、徒手・棒・長棒・双短棒にて使いこなすことを重視されていた。

先生曰く「どうせ難しい技なんて出せない。手を出すのが精一杯だ」

この3つですら、未だ練習するたびに疑問がわくときがある。追い求めても追い求めにくい、尽きせぬ興味の対象である。これ以上、型は必要ない、あったら練習に困る、練習時間がいくらあっても足らない、と、切に思う。

時間と体力がいくらでもあるなら、習う型も多くていいのだろうが、私を含めた人間には、時間は有限である。現代人はなおさら、社会的制約や多くの誘惑にさらされている。よほど集中しないと、時間の確保ができない。

わたし自身、練習時間を確保したくて、愛知の拠点を切ったのである。それほどまでして確保した時間を、多くの型の時間に費やすことはない。とにかく、この3つの基本型の術理を、もっともっと洗練させたいのである。

弊門での八卦掌には、よって老八掌や八大掌・八母掌・定勢八掌などのものが必須となっていない。

定式八掌については、そのうちのいくつかが、昔日より転掌動作として伝わっているので、指導する。しかし、定式八掌のキメの姿勢は、ほぼ指導しない。転掌式八卦掌にとって、そこが重要ではないからだ。

清末転掌式八卦掌の技術体系は、近々まとめる。

近代格闘術八卦掌とは、全く技術体系が異なるからだ。走圏などの練習のとらえ方も、全く異なっている。目的が違うから当然である。生存第一と、倒すこと重視では、その内容は全く異なる。

八卦掌水式門富山本科イメージ

清朝末式八卦掌=生徒集め用に護身術化してない純な護衛武術

清朝末期成立当時のままの転掌と言われていた頃の八卦掌(以下「清朝末式八卦掌」と呼ぶ)は、単なる護衛武術である。

八卦掌が説明される時、女性向けの護身術と言われたり、最も真伝を得るのが難しい高級内家拳と言われたり、変幻自在の神秘の拳法、などと言われているが、原初スタイルの八卦掌は、単なる護衛武術である。

自分は、近代格闘術化した八卦掌である梁振圃伝八卦掌の指導許可を得たが、ある程度の段階まで上がっても、勝ったり負けたりはあるな、と感じ、不安だった。その不安を払拭するための、神秘的な攻防技法・理論(螺旋をひんぱんに使った変則攻撃・八卦陰陽理論など)も実際に使ってみたが(使っている余裕がないほど力と速さで押し切られ)無理を感じ、実行できないと痛感した。

つまり、近代格闘術八卦掌は、女性向けのものでは到底なかった。武術経験のある屈強な男性向け、もしくは体格・筋力のある若い男性向けの武術である。

映画や演武大会で、女性が優美に流れるように演じ戦う映像を見つづけ、かつ各道場が「女性向け」と明確な理由を明示せずに発信するため、多くの人の中で八卦掌は「女性向け」「女性が使ってこそ」という認識が生まれた。

変則攻撃や斜めに移動して技を発出するも、女性向け、と言われる原因となっている。しかし、これらの攻防技術だけでは、身体的資源不利者に有利さを生み出さない。

身体的資源不利者が変則攻撃や斜めに入る攻防を行うならば、それらは単なる『遠回り』に成り下がる。身体的に不利な者が、遠回りなんてしたら、一層攻撃が当たりにくくなるのは明らかである。

有利者が最短距離で攻撃してくるのに対し、ただでさえ攻撃速度や技術が低い不利者が遠回りなんてしていたら、到達時間も長くなるうえに丸見えとなり、当たらないのどころか「格好の的」となってしまうのだ。これは十数年と練習して倒され続けたがゆえに分かったことである。

今まで、「女性をはじめとする、筋力・体格等身体資源要素で格闘するに不利な者」に向く理由を明確に説明できる指導者がいなかった、のである。

私が女性に向いている、と説明するには、明確な理由があるから、「女性をはじめとする身体的資源不利者に適した」とはっきり言うことができ、女性クラスの門弟も募集することができるのである。

女性をはじめとする身体的資源不利者に八卦掌が向いている理由は以下のとおりである。各自吟味し、実行してほしい。

先制攻撃などしないで、敵が少しでも近づいてきたり、威圧をかけてきたら、ためらうことなく力のぶつからない場所(一番望ましいのは敵のいない場所)へ移動(という名の防御)を開始する。そうすると、勝手に敵は接近してくるため、移動を止めることなく移動の勢いを保って自分の攻撃がまったく当たらないくらい遠い間合いを維持しながら、斜め後方へスライドしつつ攻撃をする(撤退戦)。そのため自分の攻撃は相手に当たらなくなるが、生存第一なので敵の攻撃さえ自分に当たらなければ成功なので問題ない(自分の攻撃が当たる、ということは、敵に近いことを意味し、敵の攻撃が当たりやすい状態でもあるから)。
移動し続けることで敵と接近攻防することがなくなるため、技術・筋力の影響を受けない位置で一定時間敵の攻撃を喰らわないための攻防ができる。そのため、その「一定時間」を長引かせるための練習を、日頃よりすればいい。螺旋功や変則歩法で敵の力をいなすような、複雑で人との練習でしか技術を高めることができない技法に頼る攻防スタイルであると、対人練習が毎日できる恵まれた環境を持つ人間にしか、技術を高めることができないことになる。清朝末式八卦掌は、敵との接触攻防をしない技術体系であるため、一人練習メインでも十分に練度を高め、男性なみに攻防持久力を作り上げることができる。そのため、いざという場面でも、相手から間合いをとり『自分次第』の領域を保つ技術さえ発揮できれば、生存できる可能性をもって戦うことができる。

撤退戦の最も基本的な技が「単換掌」である。移動し続ける際の移動練習が「走圏」である。実行するための練習方法も、明確に示すことができる。

単換掌をはじめとする型をたくさん覚え綺麗に演じることに時間を費やしたり、走圏に神秘的な内功要素を詰め込むことが、実戦において有効でないことがよくわかるはずだ。

理由だけが明確でもいけない。実際に使ってみて、本当に一定時間護身し続けられなければならない。その点は、昔日の実績があるから安心である。

その実績とは?成立当時の八卦掌(転掌)が、宮中内で仕える者が使用する武術として採用された実績である。屈強な武術経験ありの男性しか使うことができないシロモノであれば、採用されることはない。宮中に、屈強な男性(宦官以外の男性)が入ることはできなかったからだ。

※董海川先生は、武術教官・護衛官吏として出世するために、自身の経験してきた武術(戦場刀術)を元に、身体的資源不利者向けの拳法を編成し、アピールした、戦略的野心家であった。

もっと明確に理由を学んでみたい方は、『最低限の時間で仕上げる「清朝末式八卦掌」護身術』の前半にて詳しく説明してある。ぜひ読み、試しに練習し、講習会などへも参加してほしい。

一貫しているのは、弱者使用前提という点。私が護身術として指導するために、30数年時間がかかったのは、護身術として攻防理論が矛盾しない技術体系を持つ武術を見つけることにこだわったことが原因であった。

近代格闘術八卦掌では、矛盾が払しょくできなかった。昔就労生先生に習った、昔日スタイルの清朝末式八卦掌を再現するまで時間がかかったのである。

言い換えるならば、強者使用前提のあまたの武術の一つとなった近代格闘術八卦掌を、護身術としてカスタマイズするのではなく、弱者護身を目的として作られた技術体系を見つけるための模索をしぬいたから、教えるまでに時間がかかったのである。

模索の徹底が、十代初期に習った後方スライドする八卦掌こそが、弱者護身術となりうる武術であると気づかせ、清朝末式八卦掌の成立の道を拓かせたのだ。

ほぼすべての道場では、たまたま自分が習った近代格闘技(例えば空手やキックボクシングなど)を、弱者護身の護身術にカスタマイズして指導している。

もともと強者使用前提の格闘技を、弱者護身にカスタマイズするのである。格闘技と護身術は、全くの別物である。

倒すのが第一義の格闘技と、生存の可能性を生みだすのが第一の護身術。使用者の前提が強者と弱者。いくらか攻撃をもらうことを前提とする試合前提ならではの格闘技と、刃物や強者の強打が一発でも当たると命取りとなる命を賭けた戦いの場が前提の護身術。

その真逆の前提を克服せず、技法を少しカスタマイズしただけであるから、その護身術は身体的資源不利者を救わないのである。そもそも、敵と向き合っている時点で、その技法は、強者使用前提を証明しているようなものである。

まったく別物の格闘術を、護身術へ換えるならば、そもそも根本から換えなければならない。しかしその作業は極めて大変である。自ら新しい拳法自体を、作らなければならないからだ。

※日本国内にも、自ら拳法を創り出し、指導をしている先生らがおられる。これは大変すごいことであり、心から尊敬する。

自ら拳法を創るなど、学生の頃の自分には想像もつかなかった。よって、弱者護身の技術体系をもつ武術を探したのである。

私は本当に運が良かった。一番最初に巡り会った拳法の原型が、弱者護身の技術を取り扱う拳法だったから。厳密に言うと、自ら護身し、一定時間生存することで囮(おとり)となり要人を守る、囮護衛の武術だった。

「自ら護身し、一定時間生存することで囮(おとり)となり」・・この箇所が極めて護身術として役立つ点である。護衛まで念頭に置くなら、電撃奇襲攻撃に関わる技法と、攻防を支える移動遊撃戦持久力に一層の磨きをかける必要がある。

独学で始めた八卦掌は、近代化した後の八卦掌であったが、それが弱者による護衛を実現するためのものであることは、薄々気づいていた。就労生先生に、後方へ下がりながら攻防をする単換掌を教えてもらった時、「やはりさがるのだな」と納得した記憶がある。

時を重ね、多くの八卦掌を見たが、皆、近代格闘術スタイル八卦掌である。

これは、日本だけの傾向かと思った。理論の学習をしようと考え、中国から本を直接取り寄せたが、何十冊にも及ぶ八卦掌の本は、皆、近代格闘術八卦掌であった。

成立当時の董海川先生の教えが盛り込まれていると伝えられる八卦三十六歌訣も、その解説はすべて、近代格闘術八卦掌であることが前提で解説をされていた。

そうならば、以後、私が、成立当時の八卦掌の術理で、三十六歌訣などの理論を解説していくのみである。

八卦掌水式門ホームページ内の、清朝末式八卦掌全伝 では、昔日スタイルの清朝末式八卦掌の術理を解説していく。

弱者護衛の真髄を学びたい方は、清朝末式八卦掌全伝を参考にするといい。

そして、頭で理解したと考えたならば、水式門の門を叩いて欲しい。直接私の指導を受けることで、「龍の絵に瞳を描き魂を入れる」のだ。

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八卦掌は「勢」の武術である~勢で護身し、護衛を果たす

八卦掌は勢(せい)の武術である。螺旋や変則攻撃が重要なのではない。

「勢」とは、速さを伴って、高い移動推進力で、進み続けること。また、その勢い。孫子の兵法では、一篇使ってまるまる勢の重要性を説くくらい、古来より中国兵法・軍隊戦術などで重宝されている。

八卦掌という武術の目的は、対多人数・対強者・対武器の圧倒的不利な状況でも、一定時間我が身を守って囮(おとり)となり、守るべき人(清朝王族・王族寵姫)を守る、というもの。そして使用者は、あくまで宦官や女官であることを想定していた。

去勢(きょせい)された男性官吏たる宦官(かんがん)は、身分が低く、ともすれば蔑視の対象であった。古来より中国では、ひげを生やす習慣があった。それは、宦官と間違われたくなかったから、という理由もあった。

支配階級民族からすれば、宦官の命なんぞ、軽いものである。変わりはいくらでもいる。かたや宦官となった者は、後宮内で立身出世をすれば、低い身分から一発逆転をすることすらできる。逆転できないにしても、宮仕えをしている期間中は、食にありつける。

太平天国の争乱期は、庶民を含め多くの命が奪われた動乱の時代。宦官にならず庶民として暮らしていても、いつ何時命を奪われるかわからない時代。

そこで一部の者は、宦官になることも考える。宮中内で、何かしらの形で名誉・肩書を得れば、後の生活も保証される。護衛の渦中で我が身の命が奪われたとしても、大きな栄誉をたまわり、後に残された家族が生活を保証されるかもしれない。

宦官になることは、去勢手術における落命の危険も含め大きなリスクを伴ったけれど、人によっては、メリットもあったのだ。

古来より、王族のために刺客(暗殺者)となる者は、残された家族の生活が保証され、その家族に栄誉を与える約束のうえで、死地に向かった。刺客となれば、ほぼその場で殺される。後の孫子の主君となる闔閭(こうりょ)のために、先代呉王を魚腸剣にて暗殺した専緒(せんしょ)がいい例である。専緒は暗殺に成功したが、その場で呉王の側近に殺害された。

刺客や護衛者の末路は、それが一般的であったのだ。囮護衛などという悲壮な護衛方法は、厳しい身分制社会が生んだ、悲壮なスタイルなのである。

ひょっとしたら創始者の董海川先生は、宮中内にて需要のあるものを生み出し、その先駆者となることで、立身出世をする、という可能性に、価値を見い出し賭けたのかもしれない。

※宦官になった説には諸説ある。碑によれば、連座という記載もある。しかし不明である。

しかし、宦官であったことと、宮中内で認められるため・需要を得るために、自らが以前修めた武術を元に女官・宦官でも使い得る武術を創出した、という説には大いに自信がある。

なぜなら、当時の中国に、ここまで女官や宦官に適した武術など、成立し得ないからである。当時存在していた武術のほぼすべては、屈強な男性向けのもの。

距離をとって護身を図る方法は、以前より戦場における護身の有効な方法であったのだが、攻撃を犠牲にした斜め後方スライド技法で統一するまで生存にこだわっている武術は、他になかった。これは、使用する人間が非力であることが前提だった証である。

宮中内で女官や宦官でも使え、かつ王族を守ることすらできる、宮中内奉仕者向けの護衛武術を創って、それが王族に認められ、宮中内官吏が修めるべき武術として採用されれば、その武術の創始者として武術教官となることができる。これは大きな出世である。

事実、八卦掌は、清朝名門王族たる粛親王府でその実力を認められ、董先生が武術教官となったことを契機に、爆発的に広がっていく。

八卦掌が世に生まれ、そして認められ世に広まっていく。その前提として、『対多人数・対強者・対武器の圧倒的不利な状況でも、一定時間我が身を守って囮(おとり)となり、守るべき人(清朝王族・王族寵姫)を守る』という目的は、根本的なものだったのである。

この目的を果たすための最も大切な要素が『勢』なのである。勢がなかったら、対多人数・対強者・対武器対処ができない武術となり、王宮内護衛武術として採用されない。八卦掌が世に出ないのである。

勢無くして、多人数相手に生き残ることはできない。動かぬ的(まと)となったら、あっという間に取り囲まれる。

勢無くして、屈強な男性の力任せの攻撃に対処できない。とどまっていたら、屈強な男性の、力任せの攻撃をその場で受け続けることになる。

勢無くして、武器による斬撃をかわし続けることはできない。勢がなかったら、敵に距離を詰めらえ、切り刻まれる。鎧も武器も持たない宦官や女官は、手先の技術などで刃物の斬撃をかわし続けることなんぞ、できないのである。

八卦掌には、様々な技法が存在する。そのもっとも代表的なものが、単換掌である。実は単換掌(の術理)とは、勢を保って移動している最中、「敵が側面・斜め後方から攻撃してくる」という「勢を頼みにした攻防が最も危ぶまれる時」に、勢を減退させず敵をやりすごすための、最もシンプルで最も典型、かつ考え抜かれた対処法なのである。

この部分を知らない修行者が、圧倒的に多い。そもそも単換掌の基本型のみをさっさと終わらせ、他の変化型ばかりを練習している。単換掌を洗練させる作業は、大変時間がかかる。動作は簡単だが、練習すればするほど、己の対敵感覚で、うまくいくパターンが見えてくる。私自身、未だに、一日2時間以上も、単換掌の術理に時間を割く。

ゆえに八卦掌水式門では、単換掌と双換掌の修行に、多くの時間を費やす。実は、定式八掌の転掌式も、他の老八掌の技も、単換掌・双換掌の変化型だからである。

そして各種武器術も、単換掌・双換掌の術理を用いて行う。八卦刀術・遊身大刀術・双身槍術・双短棒(双匕首)・連身藤牌術、すべて、単換掌・双換掌にて修めた術理を用いる。

※武器術は、双換掌(もしくは陰陽魚掌)にて学ぶ『敵に一瞬背を向ける(外転翻身)斜め後方スライド』の術理を使用する比率が高い。実は、双換掌の方が武器術理の原型である。徒手技法における原型が単換掌なのである。徒手時は、武器所持時に比べ手返しよく手を出すことができるため、単換掌が成立することとなった。

単換掌の斜め後方スライドは、前に進んでいる最中における横・斜め後方からの敵に、大きな効果を発揮する。この技術習得が最優先である。

しかし対多人数移動遊撃戦時には、前方向に敵も現れる。その弱点を克服するために、前敵に対する対処法が考えられた。

あと、斜め後方スライドばかりで移動し続けていると、複数人の敵は「逃げてるだけ」と勘ぐり、要人に手をだそうとする。複数人の敵に、常に自分に意識を向けさせるために、遊撃戦渦中における要所要所で、電撃奇襲攻撃をして敵に脅威感を与え続ける必要がある。そこで順勢掌の術理たる、前敵スライド回避攻撃の対敵身法を使う。

これは、斜め後方スライドを、前に応用するのだ。

前敵スライド回避攻撃。この順序が大切である。

多くの修行者は、前敵に、攻撃~スライド~回避、となっている。これでは、攻撃を先にしている時点で、敵と力がまともにぶつかり、勢が削がれ、周囲の敵に捕捉される。

攻撃から先に入らない。まず「スライド」なのだ。少しでもスライドしながら入るのだ。そうすることで、勢を保つことができる。勢さえ保っていれば、前敵や後方から迫る敵に捕捉されない。

しつこく言う。あくまで前敵には「スライド~回避~攻撃」なのである。弊門で指導する単招式は、すべてこの順序である。よく見直して欲しい。明日の練習から、もう一度意識しなおして欲しい。先にスライドすることでまず移動による防御をして回避しっつ、そのうえで去り際に手を出す(攻撃)のである。

改めて私の動画を見て欲しい。動かない的を攻撃している、などと的外れな指摘をしている時点で、そいつは少しも昔日の八卦掌をわかっていないとさらしているようなものだ。見ている点がずれている。

ほんのわずかだが、スライドして回避し、そして手を去り際にスッと出す。だから、敵の頸部後方に手が当たるのである。

この術理も、勢を利用した対処法である。順勢掌の術理。前敵スライド回避攻撃の対敵身法である。

八卦掌が勢を重視するのをわかっていただけたであろうか。

この点について、必ず 清朝末式八卦掌全伝 で、詳しく体系的にまとめる。

昔日達人の武勇伝でも比べ物にならないくらい、大切な点だからである。

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どこが悪い?行きたい場所へいつでも自在に行ける技術が。

自分は、『行きたい場所へいつでも自在に行けること』を目指して、練習してきた。

誰よりも練習したかどうかはわからない。しかし自分の出来る範囲を超えて、練習してきた。

生活レベルが最も低いレベルをまたいでも、マイナスになろうとも。

こういうことって、人との比較じゃない。自分次第で完結したい。人との比較ほど意味のないものはない。清朝末式八卦掌は、護身術で『他人次第』ではない。目指すところは『自分次第』の領域だ。

『自分次第』として目指す境地・段階。それは、『自分の行きたい場所へいつでも自在に行けること』ができる段階だ。

技術とか、メンタルとかで相手に勝つとか、ではない。武勇伝を見聞きすると、たいがい、相手をねじ伏せたりする話がおおい。

そうではなく、相手が何を言ってこようと、どのような立場だろうと、どんな技術を持っていようと、その場をやり過ごす技術があり、その場から離脱したり、相手から逃げ続けて長時間時間稼ぎができるなら、それでいいではないかと考えた。

そしてその段階を目指し、焦点を定め、練習してきた。気が楽になったね。敵の攻撃を、成功するかどうかわからない手技で対抗する不安から解放されたから。見た目はカッコよくもない。

逃げてばっかりと、八卦掌の目指す深いところを理解しない人には呆れられるが、そんなものはどうでもいい。心の平安、我が身安全第一、弱者なりの護衛方法を極めたいと思って、まい進してきた。

『自分の行きたい場所へいつでも自在に行けること』ができる段階に至るならば、私はどのような境遇に至ってもいいと考えた。そして、あと少しのところまで近づいてきたとき、息が上がっても動き続けることができるようになった。

息が上がっても、振り切ることができるようになった。そして自分行きたい場所へ、行きたい、行こうと判断した時、行くことができるようになった。行くことすら考えないで、無意識に、パッと目に入った誰も居ない場所へ、言い換えるなら、己の感覚が命じる敵のいない安全な場所へ、行くことができるようになった。

「本当に、野生なんかから・・・倒したのかよ」と言われた時、

「倒してないですよ、逃げてくれただけ。すぐ動ければ、やられないですね、見てみますか」

と堂々と言うことができる

野生との戦いをなめているのではない。野生の前では、人間など逃げるのみだ。野生の前では、武術のスキルなど、ほんのささいな差でしかない。

しかし、武術によって磨いた『自分の行きたい場所へいつでも自在に行ける』スキルは、野生の前でも、瞬間的な回避行動の発動として、威力を発揮する。この部分だけが有効である。

最近上げた動画は、その部分について少し触れた。瞬間的に、大きな力を発し、今居た場から少しでも移動する。これも自分次第である。瞬間的の大きな力で相手を打つ。当たらなかったらどうする?攻撃なんて、ほぼ当たらないもの。であるなら、自分を安全な領域に移動させる方に、発力(発勁)を使った方が確実ではないか。

今回の動画でも一定数のマイナス評価がつく。マイナス評価をする行為ほど、バカげたことはない。自分次第の領域で完結させるための発力に、なんのケチがつけようか。

この領域に至るまでに、どれほどの練習をしているか、どれほど考え抜いたか、どれほど繰り返したか、そんなことを想像もできず、ただ人のしていることにケチをつけるつまらない人間が嫌いである。

自分次第であり続ければ、たとえ誰かが、強大な力で人を倒すことを売りにして威勢が良かろうと、それはそれ、とみることができる。

自分のところに人は集まらないかもしれない。ロマンがないから。でも八卦掌なんて、護衛護身術。見世物ではない。自分を守ることで大切な人を囮(おとり)護衛できるなら、私はそれで必要十分だと確信する。

よって、人を強大な力で打つ練習などしない。手技で真っ向から、華麗に防御して攻撃するコンビネーション練習などしない。斜め後方へ安定して移動しながら、『勢』を保って対処する方法ばかりを練習している。

決して簡単ではない。難しいし、身体軸の安定が求められる。やればやるほど、『翻身旋理・刀裏背走理』の重要性を痛感する

まだ足りない。自分の目指す領域に到達すると、また新たな行きたい場所が見える。このシチュエーションで、より完成度を高めたい、そう思う。この道具を使っても、この術理で何なく実行したい、と思える。そう考えて、刀も、長棒も、双短棒も、連身藤牌も、扱ってきた

私の仮想敵は、野生である。イノシシである。鹿である。カモシカである。とんでもな筋肉とキバ・角で、命がけで立ち向かってくる脅威の敵である(熊は想像もつかない。逃げることすらも想像できない)。

『自分の行きたい場所へいつでも自在に行ける』スキルを磨いて磨いて、その場から回避する。その技術があることで、職責たる「闇を照らす」ことで犯罪を未然に防ぐことができる。野生が怖いからといって、闇を照らさないわけにはいかない。その職責を果たすために、『自分の行きたい場所へいつでも自在に行ける』スキルは欠かすことができないのだ。

その視点で、発勁動画もみて欲しいものだ。自分が身体移動に、瞬間的に大きな力を使う理由を。

これは、自分の動画に定期的にマイナスをつけて満足しているどうしようもない阿保たれに言ってるのではない。清朝末式八卦掌に価値を見いだしている、才能ある未来の仲間に言っている。

ブログ内容は、すべてこれらの天才に向けて発している。彼ら彼女らになら、届く。

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清朝末式八卦掌恩師・楊先生との思い出

私のサイトに、宦官(かんがん)として宮中に入っていた頃の、董海川先生のイラストが出てくる。

これは、清朝末期成立当時の頃の原初八卦掌(以下「清朝末式八卦掌」と呼ぶ)を私に指導してくださった恩師・楊先生をモデルにしている。

※楊○○先生。下の名称の漢字が不明である。当時私が記したメモ帳は、ほとんどがひらがなだった。技の名称も皆ひらがなのため、八卦掌水式門サイト上で記した技の漢字も、従来とずれている可能性がある。突然教室が無くなったこと、名前公表について先生の許可を当然得てないことから名字での呼称にとどめる。

董先生は、諸国漫遊の中で、異人と出逢い、八卦の術を授かったという。異人とは、平たく言えば、外国人・異民族のことだ。

当時の中国には、様々な民族がいた。そして外国人も。日本人もいたであろうし、インド人、ヨーロッパ人、ロシア人もいた。

漢民族でない誰かに、あのハイブリッドな拳法を習ったことは、一種のロマンである。そして私も、清朝末式八卦掌を、私とって「異人」の、楊先生に習ったのだ。

私が発する伝承証明書に、楊先生の名前は載せない(私の八卦掌のメインの先生の名前は当然記載している)。なぜなら、楊先生に習った期間は4年近くに及ぶが、内弟子となったり、指導許可を得たりしてないからだ。

事情は不明であるが、私が高校生の時、突如先生の道場が無くなり、清朝末式八卦掌の指導を受けることが無くなってしまった。

無くなる一年前近くから、多くの武器術を習うようになった。刀術から始まり、双身槍、遊身大刀、双匕首、果てに、連身藤牌まで。連身藤牌は、先生の演じる虎衣藤牌兵演武がかっこよかったので、なかば積極的に頼み、教えてもらった。

先生が高齢者の方々向けに指導している公民館っぽい施設の近くの広場で、八卦掌を習った。当時から外で習っており、習うのは外であることが、当時から当たり前だった。

今思えば、教えることができなくなるから、愛知から東村山まで習いに来る熱心な少年に、出来る限り伝えてくれたのだろう。

私は大学に行き、ある程度お金を稼ぐようになった(夜間大学だった)ため、機会を見つけては上京し、何度も何度も探した。

しかし結局見つけられず、お会いすることはなかった。大学を卒業し、結婚などを経ても、なお探し続けた。

私の八卦掌のメインの先生は、北京の高名な先生から指導を受け、正規ルートで伝承をする一種のエリートである。中国の体育大学を出て、有名な先生に複数師事している。楊先生のように、片田舎で、父親や祖父から習っただけの無名先生とは大きな違いである。しかし、メインの先生は「八卦掌は多人数戦専用の拳法」と言うなれど、正規に指導許可を得て八卦掌の第6世となっても、対多人数戦の技法を教えてくれることはなかった。

私が信頼されてなかったのか?とも思ったが、その先生の同門の有名先生の指導内容から、そうでないとわかった。

同門の先生は、公のメディアで、「八卦掌は螺旋の拳法」と発言をしており、明らかに多人数戦ではないことが分かったからだ(それは間違っている、とかではない。スタイルの違いだけなのである)。

まさかメディアで、指導しているものと違うことを言うまい(もしそうならば、それはそれでかなり問題である。一部の中国人の先生は、金をとってもへっちゃらで、日本人に違うことを指導するが)。

私が習った梁派は、対一人・対他流試合・強者使用前提の近代格闘術スタイルだったのである。清朝末式八卦掌は、「勢(せい)」の拳法である。目的からして、全く違うのである。目的が違うならば、当然、技術体系も違う。

全く無名の、福建省アモイ近郊の農村出の楊先生の道場は、名目上、太極拳の道場だったけれど、単換掌・双換掌は、斜め後方にスライドをしていたのだ。横に下がるのではない、斜め後方スライドなのである。これは大きな奇跡だったと感じる。

私が八卦掌を独学で練習していることを知るや、特別に、八卦掌を教えてもらった。その頃は、斜め後方スライドなど知るはずもない。

先生に就いて習うのは、楊先生が初めてだったから、八卦掌は、後ろに下がりながら去り打ち・後ろ斬りをする拳法だとなんとなくわかったし、そう思っていた。

※独学当時の佐藤先生の本は、近代スタイルだった。しかしその本からも、後ろに下がるのではないか、と薄々気づいていた。楊先生に習った時「やっぱり下がるのだな」と納得した記憶がある。

楊先生に出逢ったのは、まさに運命だったと思っている。当時は、日本に八卦掌の道場など無く、太極拳のクラスがある程度。

その中で、八卦掌に出逢い、またそれが、斜め後方スライド技法の残る、原初式八卦掌だったからだ。

なぜ楊先生の八卦掌は、近代格闘術化しなかったか?それは、先生が八卦掌を習った経緯にある。楊先生の実家は、先生によると、福建省アモイ近郊の片田舎(失礼)だったから。アモイは大都市だけれど、そこから何日単位で移動するほど、外れていたようだ。
 
八卦掌の本場たる北京や、近郊の黄河流域付近であれば、八卦掌を公に指導する有名先生の道場も多い。

そこで名をあげるには、他流試合で強い必要がある。移動遊撃戦で撤退戦を演じている場合ではないのだ。そして、他流派との交流の中で、近代格闘術化していくのは自然の流れである。

しかし楊家は、福建省の田舎、という孤立した土地柄にある。割と外界(特に八卦掌界)とは隔絶された状態で原初のままのスタイルが残ることになったのだと推測される。

私にとって、弱者護身のスタイルを学び、指導者となることは、目的を達成するための、大きな現実的目標であった。よって先ほど触れたように、楊先生を探し続けたのである。

メインの先生に習った近代八卦掌は、私の子らに教えることはなかった。そういう意味で、彼女らは純粋に昔日スタイル八卦掌家である。子らの修行の完成をも願ったゆえに、探し続けたのだが、叶わなかった。

日本の中国拳法愛好家は、やたらと先生の出自にこだわる。そして練習も大してしないくせに、有名先生に師事していることに異常に固執するのだ。○○先生伝という上っ面の看板だけで実力を判断し、使えもしない技術ばかりを増やしている。

八卦掌の門を開いていると、「○○先生に紹介状を」などというくだらない問い合わせがまれに来る。「○○先生は紹介状なんて条件を掲げてないから、問い合わせて習いに行けばいい」と最初は答えていた。しかし最近は無視している。

有名先生に最初から特別扱いをしてもらいたいのだろう。しかし、特別扱いしてもらう方法はただ一つだ。門に入り、地道な基礎を積み重ね、練習に誠実に向き合う長きの実績で、認めてもらうことだけなのである。私が楊先生にそうやって認めてもらったように。

私が梁派の継承の道を捨て、その記載をサイト上から消した以後は、本当に問い合わせが減り、そして無礼者の問い合わせが増えた。舐めているのだ。

しかし実戦を幾度も経験した者として言うならば、有名先生に師事していることなんかは実戦では何の役にも立たない。暴漢やならず者、輩(やから)らは、有名先生や達人の名前なんて一切知らない。そもそも、「○○先生にならったんだぞ」なんて馬鹿げたことを言う暇もない。鎌倉武士じゃあるまいし。野生動物なら、そもそも言葉も通じない。

楊先生は、そのような日本の愛好家からすれば、何ら価値もない先生であろう。しかし私にとっては、ずっと探したい人であり、追い求めたい先生なのである。

落ち着いたら、アモイの近郊にも行ってみたいと思っているくらいだ。きっとご存命であろう。およそ60代後半くらいであろうか?ぜひお会いし、あの時のように身振り手振りで習ってみたい。

今私は、楊先生から習った楊家伝の技術を整理している。近代梁派とごちゃまぜになっているからだ。楊家連身藤牌の型を公開したのは、その一環である。

楊先生から習った技法は、私の代で責任をもって整理し、公開し、後代に伝えるつもりである。連身藤牌は、すでに子らに伝えたが、その他の技法は、まだまだ伝え足りない。

清朝末式八卦掌全伝」のカテゴリーにて、術理を公開し、修行者の参考に供する。また機会があれば見て欲しい。まだまだ未完成であるのはご容赦してほしい。

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翻身旋理・刀裏背走理習得で自然とできるようになる発勁

中国拳法を志す者の中で、知らない者はいないくらい有名な言葉。

しかし私は、アルバイト先の空手の方に聞くまで、よく知らなかった。なぜなら、八卦掌にそのようなものがないからだった。

清朝末期成立当時のままの原初八卦掌(以下「清朝末式八卦掌」)では、発勁を重視しない。一大コンテンツでもない。

題名のままである。翻身旋理・刀裏背走理をできた先に、自然と待っているものである。

ここで注意が必要である。翻身旋理・刀裏背走理習得は、発勁を出来るようになるための練習ではない。あくまで、敵が移動遊撃戦時、斜め後方や横から急接近してきた際の、移動速度を落とさないための要訣なのである。

この両理の土台の先に、発勁は待っている。

敵が突然横方向から襲ってきた際、急速移動回避をする必要がある。その秒単位の世界では、複雑な技・日頃行っていないような技などできない。

あくまで、日頃取り組んでいる技で、もしくは身法で対応する。そしてその日頃の動作に、少しだけ大きな力を込めて、瞬間的に速度を増し回避したり、急に敵に迫ったりするのだ。

あくまで、普通の動きの中で、である。そして、特別な呼吸法や、特別な力伝達意識が必要なわけではないのである。

普通の動きの中で行うから、日頃の絶え間ない移動、の流れを止めないで済むのである。

あまりに大きな力を出すのなら、ある程度ためて、瞬間的に発する、という流れも必要となろう。他の拳法の発勁は、おおよそこの流れを採用している。

八卦掌は、とにかく持続可能な限りの速い速度を保って移動し続ける武術であるため、蓄~発は極力避けたい。八卦掌は、蓄~発よりも、縮~展の動きの流れの中で、大きな力を出すのだ。

扣擺発力・翻身発力は、まさに縮~展へ続く展開力を利用した発力である。遊歩発力も、移動する際の、押し広げ動作たる、展開の中で、通常よりほんの少し大きな力を発する。

よって、各対敵身法時の練習においては、まず翻身旋理・刀裏背走理の要訣を守って、洗練された後退スライド習得を目指す。

そしてその練習の中で、たとえば私のように、時間を区切った移動遊撃戦想定練習の中で、敵が横から球速チェイスしてきたのを予想して、突如向きを変えてみたりする。

ここでは、瞬間的に大きな力でもって、我が身を転身・移動させなければならないため、発勁で説かれる非常時力発出法も役立つのである。

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倒すならば、振り向きざまの電撃攻撃で。護衛武術にもなる。

「いつ敵を倒すのですか?」

気持ちは分かるが、成立当時スタイルの八卦掌(以下「清朝末式八卦掌」と呼ぶ)の戦闘法を深く理解してない状態の質問である。

しかし大変よい質問だと言える。中核に触れる、そして中核を理解するきっかけとなる質問だからだ。

このような疑問を師に尋ねることは大変素晴らしい。その疑問に師匠が実演付きで答えることで、疑問に対する答えが明確にされ、深い理解を得られる。自分で考えた末の質問である。どんどん師に質問するとよい。

質問に答える。さんざん練習している「単換掌」で倒すのではない。八卦掌は、「倒す」よりも「倒されない」を目指す拳法である。その拳法が最重要と位置付けている技である。その技が「倒す」ためのものでないことはおのずと理解できよう。

後退スライドは「斜め後方スライド撤退戦」である。「撤退戦」というフレーズは何気なく使っているのではない。古来より、戦争における撤退戦において敵を倒すことはなかった。

味方の犠牲を最小限に食い止め本隊を被害なく本国へ撤退させるために、しんがり部隊が「追撃してくる敵の足(進軍)を止める」ことが目的だったのだ。撤退戦を扱った講談などでは、一矢報いたことだけがクローズアップされ誇張されるが(例えば三国志演技における蜀軍撤退の際の『死せる孔明生ける仲達を走らす』など)、撤退する者が圧倒的不利な状況からかろうじて逃げた状態だったケースがほとんどだったのである。

単換掌はまさにそれを実行する技法なのである。

対多人数移動遊撃戦は、まさに絶体絶命のピンチの戦いなのである。八卦掌は対多人数専用の拳法である。専用の拳法、と書くと、八卦掌の術理をマスターすれば、いとも簡単に多人数相手に戦うことができるようになる、と思いがちであるが、そうではない。「八卦掌の術理をマスターすれば、「対多人数戦の絶対的不利の中から生還できる可能性が生じる」だけなのである。

私は今でも、弟子らに多人数戦の戦い方を実演する際、大変緊張する。息も上がる。決して「楽々」ではないのだ。かろうじてかわしている状態なのである。自分の身体を移動遊撃戦渦中における複数敵の絶え間ない猛接近からやり過ごし続ける必要がある。その、不確定で急速対応の必要にあふれた世界が、どれほど過酷か想像すればわかる。

敵が3人以上となると、敵のアタックは次から次へと、息つく間もなく到達する。その過酷な戦況に対抗する手段として、ひたすら前に向かって、高い移動推進状態を保って移動し続ける「勢(せい)」の維持による対処法が考えられる。

前に移動し続けないと、後ろの敵に捕捉される。周りの敵に詰められ、捕まれる。前敵に速度を伴った電撃戦が実行できない。いいことがないのだ。

勢を維持するためには、スピードが落ちる可能性が最も高い、斜め後ろから接近してくる敵をやり過ごす瞬間「斜め後方スライド」時を克服することが最大の課題となる。

翻身旋理(ほんしんせんり)による切れある後方スライド技術、刀裏背走理(とうりはいそうり)による、自分の手や武器などを自分の身体軸に近付けて引っ張り身体移動時のブレを無くす方法は、この課題を克服するためのものだ。つまりこれらの術理は、スピードを落とさないために創始者が考え抜いた術理なのである。

この術理を実行するならば、敵猛追の都度「受けて攻撃をして倒す」という近代格闘術八卦掌が用いる攻防方法はできない。

する必要もなくなったからだ。近代格闘術八卦掌は対多人数移動遊撃戦ではなくなった。人を「倒す」ことに焦点をあてた。倒すならば、軸を作って大きな力を発揮し、戦闘不能にする必要がある。軸を作って打つ=その場にとどまる、ということだ。

近代格闘術八卦掌が移動遊撃戦という前提を離れた瞬間、強者使用前提の動きが加速し、両者は別物の拳法となった。

私に八卦掌を対面で教えてくれた若き中国人就労生の楊先生(八卦掌を「八卦転掌」と呼び、単換刀を教えてくれた青年先生)は、明確に、昔日と近代の違いを意識した指導をしていた。

連身牌法は、楊家のオリジナルであろう。しかしその動きは、八卦掌主要刀術の動きそのもの。虎衣藤牌兵舞踏を練習していた楊家では、それが八卦掌と融合するのは自然なこと。虎衣藤牌兵舞踏は、後退スライドではないが、楊家の代々の人たちは、昔日の転掌術理に、あえて合わせた。そこで連身牌法が生まれたと思われる。

手を出したならば後退スライドによって身体を操作し、身体の操作によって出した手を引っ張り身体軸に近付けてから、(肩が入ると同時に)スッと穿掌を突き出し、相手を驚かせ、その敵の足を止めるのである。まさに『けん制攻撃』である。

身体はけん制穿掌を放つ際、肩を入れて次なる場所へ移動する段階に入っているため、この攻撃の成否は分からないのだ。肩を入れて次なる場所へ・・・は、攻防における「防御」そのものなのである。

長くなったが、斜め後方スライド時、いかに倒すつもりで打ってないかが分かっただろう。「倒す」つもりで向かっても、ほとんど倒すことはできない。攻撃はなかなか当たらないもの。そこで割り切って、単換掌の術理は「けん制」に徹した。

そこで、単換掌で後退スライドし、振り向いた際、その場所で居着いている敵に電撃攻撃をしかける。不意を突かれた敵のほとんどは、その場から移動できず、攻撃を喰らうのである。

上の動画は、振り向き様のけん制攻撃の練習である。あえて敵を大きな動きでさばいた動作を繰り返し身体を振り、その中で確実に(頸部)急所を打ち抜くための練習法である。

よく見て欲しい。動かない的を打っている、などと、うんざりするような批判をする前に、練習の意義を考えろ。翻身拍打から遊歩一穿の攻撃を演じているが、その激しい展開攻撃においても、指先第一関節部分までで攻撃しているのがわかる。

極力遠い間合いで、通り抜けながら、斜め後ろ打ちをしているのだ。前敵攻撃に生じるリスクを最小限にした、「前敵スライド回避攻撃対敵身法(順勢掌の術理・順勢掌理)」である。

※楊家では、順勢掌のことを、「円勢掌」もしくは「勢掌」と呼んでいた。単換掌・拗進転掌(陰陽魚掌に該当)・勢掌の3つを原初最重要技、単換刀を、八卦転掌の源泉として指導してくれた。

敢えて「倒す」方法と段階を説明するならば、この順勢掌の術理である前敵スライド回避攻撃で倒す以外ないと考えられる。

よって皆には、もっともっと単招式を練習してほしいのだ。やりたがらない人も多い。単換掌と単換刀の陰に隠れるのもある。

しかし私は、上の動画のような練習を通して、今でも毎日、何回も何回も、前敵スライド回避攻撃を練習している。

単招式をもっともっと練習しよう。敵の脅威であり続けよ。そうすることで、敵は大切な人に手を出すことができなくなる。八卦転掌本来の姿、護衛武術に引き上げるならば、単招式は大変重要なのだ。

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八卦六十四掌を練るより、単換刀を練る先に生存がある

「八卦六十四掌」はいらない。六十四掌を知らなくても、問題なく実戦で生き残ることができる。これは確信である。

六十四掌は、取るに足らない技法ではない。時の名拳士が創った型である。だからといって、この技法を知らなければ、八卦掌が極められない、などということはないのだ。

そして、この技法を知らなければ護身が果たせない、ということもないのだ。

よってやらなくていい。ゆえに水式門では指導してない(※これは私の師匠の指導方針でもあった)。

異世界忍者漫画の影響で、やたらと有名な八卦六十四掌である。漫画の六十四掌は、全く別物で八卦掌にも関係ないフィクションである。しかし習いたがる人間が多い。

「それは指導してないぞ」というと、残念がってこない。

日本では、中国拳法に実戦性を求める人間が多い。しかし、彼らは、昔見た漫画やゲームの影響を受けすぎている。その枠から抜け出せないのだ。

いい例が、同じく少年誌に掲載されていた中国拳法漫画である。私の周りの拳法をやっている・興味がある人間で、この漫画を知らない人はいない。

そのストーリーの中で紹介された流派や先生しか認めない。そしてその中で登場した流派・先生に、無条件の崇拝をする。完全にとらわれているのだ。

フィクションだとわかっているよ、と言いながら、あの動きを出来ると考えている。できない人間を認めない。そして、自分では練習をしない。明らかに練習不足である。練習もしないのに、指導者にフィクションの再現を求め、有名先生にいつか「特別待遇」でお近づきになることを夢見ている。

私の元にも、「○○先生に紹介してほしい」と何度も打診があった。私は何ら人脈もないため、当然お断りした。そしてその先生の道場案内を見てみると、紹介状など必要としていない。ならば、そんなことしてないで、すぐさま申し込めばいいのに。

有名先生の道場で特別に目をかけてもラう方法はただ一つ。入門して、地道に努力を重ね、数年後に、薄紙を積み重ねるがごとくの過程で積み上げた成果を、その先生に認めてもらうことなのだ。

冒頭の八卦六十四掌。習いたがる人間は、さすがにパラレル世界の六十四掌が実物だと思っていない。しかし習いたがる。なぜ?なぜもっと、実の戦いで使う姿を想像しやすいシンプルで簡素なものを追い求めないのだろうか?

実際、実の戦いで使うことができるものは、模擬実戦や本当の実戦で試すしかない。なかなか実戦とは、経験できないものだ。

※それを後ろめたく思う必要はない

要は、その技が自分にとって、有事に身を守る切り札となるか、練習の中で考えながら繰り返すのである。

そして、最初は「なんだこれ、使えない」と思ったものが、動作を洗練させると、「使える」と感じるようになる。おおよそ、創始者が編み出した拳法の原点型というのは、シンプルである。そしてその原点型は、練習すればするほど、上達の段階を感じることができる。

私にとって、「単換刀」がその典型例技であった。下の動画が「単換刀」である。初学段階の練習方法とはいえ、機動力と身法にからめた刀操法を垣間見ることができる。原点型であったことを念頭に、用法などを想像してみて欲しい。

八卦掌の原型にして、最大のエッセンスの一つである。この動作の奥深さは、成立当時の名称であった「転掌」だったころの八卦掌(以下「清朝末式八卦掌」と呼ぶ)の真髄が分かっていないと、理解しがたい。とてもおおざっぱに言ってしまえば、「生存を第一に考えた生存のための刀術」なのである。

東京と埼玉の境、清瀬市の公民館らしき施設で、三十数年前に中国人就労生と思われる若い先生に習った、一番最初の刀術「単換刀」。それがとても重要なものであるとは気づかなかった。

その先生が突然指導を止めたあと、数年経った時、程派の初心者修行者がつたない技法で練習していたのをみて、ハッとした。

「これは!重要なのでは?」

その初心者は、試しにその動きをしただけだったようだ。所属道場の先生から習ったわけでなかった。意外と、他の流派で習っている人はいなかったのである。

その清瀬の先生は、虎衣藤牌兵(こいとうはいへい)の演武を知っていたため、おそらく、福建省か浙江省の出身であったと思われる。強制的に教室が無くなったため、足取りも不明であるが、「単換刀」を習ったのは、きっと大きな運命であったのだろう。

最も清朝末式八卦掌に近い指導をする先生であったため、何度も東京に行き、過去の新聞なども閲覧して後日探したのだが、見つけることは叶わなかった。

単換刀は、斜め後方に刀を出して、その下をくぐって、刀を下げるだけの動作。実にシンプルである。初心者の多くは、口をそろえてこう言う。

「どこに攻撃があるのですか?」

その発想は、まさに近代八卦掌の発想である。思い出して欲しい。清朝末式八卦掌は、「生存」が第一である。上げた刀の下をくぐって、その後刀を下ろすのは、まさに「生存をまず図ったうえで、ついでに行う撤退戦攻撃を行う」なのである。

単換刀は、刀の持ち手を変えない。それは、敵が猛然と命をとるために向かってくる場合、持ち替えている時間的余裕と、精神的余裕がないからである。

敵は突然向かってくる場合もある。私にとって最大の恐怖であった、イノシシによる後方からの突進攻撃も、3メートル強の距離をわずか2秒足らずで縮められる僅差の実戦であった。

とてもではないが、刀など持ち替えている暇はないのである。イノシシに襲われた時も、最初の斬撃直後こそ背身刀理で棒を持ち替えたが、あとは、ひたすら、按刀理にもとづく単換刀動作であった。

つまり、このシンプルな動きしかできないのだ。六十四掌、それどころか老八掌で習う基本的な動作ですら、複雑すぎると、命がけの経験によって実感した。

八卦六十四掌や老八掌・八母掌に代表される型(套路・とうろ)は、演じれば結構長く、覚え甲斐が在りかつ見栄えもよく、皆習いたがる。気持ちはわかるが、「長い=全技を無意識レベルに高めるのは膨大な時間がかかる」のである。

私の場合、いつ何時、イノシシや野生動物がチェイスしてくるかわからない環境にある。圧倒的にフィジカルが上の野生動物に対し、ロマンや華麗さは考慮している暇がない。

ひたすら、単換刀を練っている。90センチ棒で、時には、2メートル棒で、練習をする。タオルでも練習する。

単換刀は清朝末式八卦掌最大のエッセンスである。内転翻身・外転翻身の両斜め後方スライド撤退戦対敵身法に基づく、身体操作主導の技法である。移動によって攻撃し、移動によって身を守る、真のエッセンスなのである。

シンプルな動きの中にも、多くのポイントがある。水式門の本科では、単換刀に多くの時間をかける。単換刀ができずして、代継門人になることはできない。最低限にして最大の、エッセンスだと確信しているからだ。

いま、『最低限の時間で仕上げる「清朝末式八卦掌」女性護身術』『いじめ護身部|取り返すための技術解説』でも、それぞれの場に合わせた技法でもって単換刀理を解説するため、準備している。いつか講習会も開きたい。

上記の単換刀の動画を参考に、詳しい内容・技法を、所属教室の先生に聞くとよい。もし知らなければ、その先生は、近代格闘術八卦掌の専門なのだ。清朝末期頃成立当時の八卦掌を知っているなら、必ず知っている。

八卦刀術の最大のポイントは、上げた刀の下をくぐって下ろすところにある。上げて、くぐりながら、我と敵との間に、刀を下ろす、この一連の動作に、攻防がすべて含まれている。

分からなければ、弊門に習いに来るとよい。興味のある真摯な求道者との出逢いを楽しみにしている。

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練習が「実戦的である」とは。遊身大刀術に見る練習の実戦性

八卦掌水式門の承継人教程にて必須となる「遊身大刀術」について、よく聞く言葉「実戦的」の意味をからめて話したい。

遊身大刀術は、実戦から離れ武術ロマンやカンフーイメージに走った練習の典型例だからだ。

実戦的武術・・・よく聞く言葉である。

その内容・捉え方は、各武門によって異なる。よって正解は無いと考えられる。

成立当時のままの原初八卦掌(以下「清朝末式八卦掌」と呼ぶ)では、実戦的、とは、その「技法が、カスタマイズなしに、いきなり有事の際に使うことができるかどうか」である。

水式門独自のこの定義を示す好例が、冒頭でいった遊身大刀術である。一般的な名称で呼ぶならば、「八卦大刀」術だ。

※水式門では、遊身大刀と呼び、八卦という名称を付けない。大刀術が、八卦掌という名になる前の「転掌」時代の練習だからである。

多くの八卦掌道場では、八卦大刀というと、決まって150センチくらいのキラキラ輝くドでかい刀を振り回して練習する。

あれが模造刀でなく、真剣であったら、極めて脅威である。とても近づくことなどできない。では、それが実戦的であろうか。

清朝末期成立当時の頃の転掌(以下「清朝末式八卦掌」と呼ぶ)では、あのような練習をしない。あのような刀を使った練習はしない。遊身大刀術は、いつも双身槍術練習で使っている長棒を使って練習する。

つまり、2メートル前後の長棒を使って、長い棒を振り回して戦う技術を養うのだ。

考えてみて欲しい。150センチの八卦大刀が、都合よく転がっているだろうか?

「150センチくらいの棒なら、そこら辺に転がっているぞ」

ならばなぜ、150センチくらいの棒を使って練習しないのか。

清朝末式八卦掌で、八卦大刀を使わずに、2メートル長棒で練習するのは、長さに慣れるだけではなく、双身槍術において、片方の先端をもって、自在に間合いを変えて攻撃できるようにするためにも行うのだ。

つまり、双身槍の片方をもって、振り回す技術レパートリーを加え、より変化に富んだ双身槍術を可能とするため、2メートル程度の長棒で練習をする。そこまで考えているから、あえて八卦大刀を使わないのだ。実際に戦う場面における優位性の確保のためである。

この長棒、現在でも工事現場にいけば、侵入防止バーなど、たくさんある。物干しざおも一般的なものは2メートル40センチくらい。店頭の「のぼり」も2メートルくらい。至る所に存在する武器である。

長い棒は、短い棒に比して、振り回すのに独特の技術が必要となる。長棒が回っている間に、自分の位置を自在に変えて、打つ角度などを変化させ、攻撃力や攻撃射程を変えていく。

この攻撃スキルを習得するための型は、八卦刀術主要技である「按刀」・「陰陽上斬刀」・「背身刀」・「上翻サイ刀」そして八卦掌の源の「単換刀」である。だから、特別に長い型があるわけではない。

近代八卦掌では、「八卦コン手刀」なる長い型もあるが、清末八卦掌では、既存の八卦刀術で、長棒が回っている最中の慣性を利用した戦い方を養う。

つまり「遊身大刀」術とは、演武でよく見るような「八卦大刀」を使いこなす練習ではなく、実際にそこらにある長棒を振りまわして戦うための技術習得練習なのだ。

実戦的とは、そういうことである。下のイラストで、かつ女性護身術科の冒頭をかざるイラストを見て欲しい。八卦遊身大刀を練習している一番弟子を描いたイラストだ。いつもこの子は、大刀術の練習の際、普通の長棒で、かつ普段着で練習していた。

一番弟子は、学校の制服を着てよく練習していた。有事の際に着ている可能性の高い服だったから、当時ひんぱんに制服で練習していたのだ。セーラー服というのは胸元に襟があり、やや動きにくい(らしい)。運動ウェアのようにはいかないとのことだ。

有事の際に、着ている可能性の最も高い服装で練習していたのである。そして、有事の際に、最も使うことが出来そうな可能性のある道具で練習していたのである。

ここまでしているから、有事の際に、スッと違和感なく、反応できる。

清朝末式八卦掌が考える「実戦的」とは、そういうことである。いかに有事を想定し、その時の状況に合わせた練習をするか。

水式門では、「トン級の強大な力で打つ」とか「一撃で急所を打って絶命させる」とか、は実戦的と考えていない。それらは実の戦いではない。それらは多分に格闘ロマン要素が入っているフィクションの世界ととえらえるのだ。

※現代社会において、人命を危険にさらす技術も、現実的ではない。後日普通の社会生活ができなくなる

よって私を含め、水式門の女性掌継人らは全員、練習時、模造刀は使わない。刀術の際、刃の向きを参考にするために、自作した木の柳葉刀を使う程度である。

私は今でも練習中、頻繁に、警備職務中の厚い外套を着て練習する。靴は、警備職中の靴とおなじもので練習している。

雪が降れば、喜んで、一番寒い明け方6時くらいに、滑りやすい状況での体験のため練習する。

経験しておくことである。「実の戦い」にて想定できることを、練習中に経験しておくことである。

刀術で、手首を返して刀を振り回す見栄えのいい技術が無いのは、練習における経験で、女性が実行できないとわかったからである。

単換刀が、敵に差し出した刀を、そのまま身体の移動力を使ってあげて、その下をくぐり、下ろす、のは、その技術が有効だからというより、それしかできないから、なのである。これらは、練習の大刀術の経験にて分かったことだ。

清朝末式八卦掌の「実戦的」を、是非とも参考にしてほしい。技術ではない。「実戦的」とは、その練習が、いかに有事において違和感なくその成果を発揮するか、である。

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おとりになって守るべき人を守る、身分制社会の護衛護身武術

以前、「八卦掌は、自らが囮(おとり)となって一定時間護身し続け、大切な人を守る護衛武術」と触れたことがあった。

成立に関わる話ゆえ、拳法を修行するうえで大して重要でないと思われがちである。しかし私は、このことに気づいたことで、成立当時の原初八卦掌(以下「清朝末式八卦掌」と呼ぶ)の戦闘スタイルの根本に気づいた。

なぜなら、「護衛武術」という前提で、技術体系が組まれているからである。

もともと「護身術」ではないのだ。ただ、護衛を果たす過程で、苛酷な状況下で一定時間護身して生存し続ける技法を採用したため、現代において護身術として成り立つのである。

創始者(伝・董海川先生)は宦官(かんがん)であった。宦官である以上、筋力は通常男性より劣る。よって自分は弱者であるが、王族を守らなければならない。

賊徒の襲来であれば、相手はおよそ多人数である(暗殺であれば単独もあるだろうが)。おそらく武器を持っている。襲いに来る以上、腕に自信のある強者である。その過酷な条件で、どのように守るか?

そこで、以下の点が挙げられたと考えられる。

  • (1)まず、全員倒すのは非現実的。自らが囮となり逃げまくり(かわしまくり)、時間稼ぎをして、味方の援護を待つ。移動遊撃戦の採用。
  • (2)かわし続けるための方法を考える。敵の方向に自ら向かって、やり過ごすのではなく、敵の居ない方向へ向かって、近づいてきた敵を流す。この際の対処法が、転掌式。斜め後方スライド撤退戦の対敵身法とする。
  • (3)敵にとって我が「獲物を蹂躙するためには、まず倒さなければならない脅威」であり続けるために、敵を油断させず我に注意を引かせ続けるための、前敵に対する電撃奇襲攻撃を行う。

(1)対多人数に対処する原則として、徹底して移動し続ける「移動遊撃戦」を採用し、その戦法をもとに技術体系を作る。

まず大きな戦闘スタイルを決定する必要がある。自分弱者、対多人数、対武器である以上、敵とまともに向き合っていたら、たちどころに倒されてしまう。倒されたら、その後、守るべき人が命を奪われたり、蹂躙されてしまう。

よって、弱者が苛酷な状況をやり過ごすためには、一定時間移動し続け翻弄し、自分以外の味方の支援を待つ方法が有効だと考えれる。

やり過ごすことが前提のため、倒す技術よりも、移動しながらかわし続ける技術が必要だと、ここではっきりさせたのだ。ここではっきりと戦法を絞ったから、走圏や後退スライドの技法が生まれたのである。

(2)移動遊撃戦を実現するために、近づく敵を認識しながら敵の居ない方向へ移動し続ける技術(走圏)と、いない方向へ移動している最中に寄ってきた敵に対処する技術(後退スライドによる転掌式)を開発し、中核とする。

敵と向き合って構え、スキを見てそこを攻撃する、敵の攻撃を防ぐ、返す・・・この従来のスタイルでは、対多人数は戦うことができない。

一人の敵に時間がかかりすぎるため、後ろから来る敵に、ほとんど対応できない。

そこで、一瞬で一人の敵に対処する方法が考えられた。前方向に進み続けたら、前から向かってくる敵の力とぶつかる。あくまで、敵から逃げながら、敵の力に抗せずに受け流しつつ攻撃する「撤退戦」となった。

敵を後ろに置きながら進み続け、我の視界に入ってくる敵に、サッと手を出して、肩を入れながら攻撃し、去る・・・この一連の動きは、まさに『走圏~単換掌』なのである。

走圏は、内功を練るのではない。まっすぐ顔を前に向け、ショウ泥法で、高速で、進み続けるための練習法である。単換掌は、その状態の中、視界に入ってきた敵に対応するための最も基本的な動きなのだ。だからエッセンスなのである。

この「単換掌の術理・単換掌理」を理解している修行者はほぼいない。この記事を見た未来の天才の君は、是非とも頭に入れておいて欲しい。

(3)守るべきを人にうかつに手を出させないために、すべての敵の注意を我に引き寄せる前敵スライド攻撃を確立する

後退スライド対敵身法は、我の護身として大変有効である。しかし、勘のいい敵なら、「こいつは逃げてるだけ、攻撃してこない」と気づく。

そうすると、一部の人間に常に追わせ、一部の人間を守るべき人に差し向けてくる可能性が生じる。

そこで電撃戦が考えらえた。後退スライドで対処し、その先に敵がいるならば、スライド回避しながら、少しでも敵の力とぶつからない状態で逃げ打ちをするのだ。

そうすると、敵は常に我を見ている必要がある。まず護衛者たる我を倒す必要があるため、そこで意識が守るべき人から我に向いて、囮となり得るのである。

電撃奇襲戦を達成するためには、戦いの最中、ずっと「勢」が維持されていなければならない。清末八卦掌が、蹴り技を行わないことは、以前にも触れた。動きが止まるから。横歩きで逃げないのは、前に進んで移動するより勢がないため、攻撃が脅威とならないから。

護衛の観点からも、勢の保持は生命線なのである。

・・・・(1)・(2)・(3)の解説でお分かりのように、清朝末期成立当時の八卦掌には、明確な想定使用状況が見える。

想定使用状況から考えると、現在伝わっている、なんらか意味の分かりにくい練習方法も、その狙いがはっきりとわかるのだ。

最後に意味のある重要な余談をしたい。

自らが犠牲になって・・・という行為は、支配階級たる満州民族王族への崇拝が絶対であった中国では、しっかりと成り立つ。「人のために死ぬなんて・・・」と切り捨てられないのだ。それに見合った見返りがあったのだ。

自分が死んでも、あとに残された家族へは、栄誉と称賛が与えられる。もっと言えば、称賛することを、征服王朝政府である清王朝によって強制された。満州王族のために死んだ人間に、無条件の称賛があたえられることで、間接的に満州民族の高貴さ・貴さが庶民に示されたのである。

栄誉・称賛与えられることは、身分の低い人間には、大変意味のあることだった。遺された家族が、生活の保障と尊敬を得られる可能性もあるからだ。北方民族間では、功績のあった者に十分な恩賞を与えることは、己のステータスを示す最も有効な手段の一つだった。清朝を打ち立てた満州民族たるツングース系女真族も、そんな北方民族の一つ。王族の威信にかけて、功労者には、宦官であるを問わず、大きな栄誉が施された。

このことは、身分の低い人間には、大きなチャンス・転機となりうる。董海川先生も、後宮(粛王府)への奉仕前は謎だらけであった。単なる庶民であり、何も記録もされない、その他大勢のうちの一人であったはずだ。

「太平天国軍の間者(すぱい)だったから」とか、「大切な人を清朝王族に奪われたからその復讐のために宮中に入り込んだから身を隠していた」と、記録のないことについていろいろな説・作り話がある。

しかし多くの場合、記録がない人間とは、身分が低かったからだけである。董海川先生も、そのうちの一人であった。ましてや、当時蔑視の対象であった宦官である。たまたま、自らが確立した八卦掌という武術が王族に認められたため、その後の記録がなされるようになっただけだと思われる。

本人の努力、幸運から、八卦掌は世に広まった。

その奇跡的な幸運は、高貴な人たる王族を守ることに焦点をあてた技術体系づくりから招かれた。その点から、私は、董海川先生が、宮中に入った理由が「立身出世」だったと感じる。

王族に認められる可能性を生じさせる技術体系づくり。そこに一抹の野心を感じるのだ。

上掲イラストは、八卦掌を修めた一人の宦官が、日頃身分の低い宦官たる己に温かい気遣いをしてくれる女性王族のために、命を賭けて戦う決意をする場面を描いたもの。

弊門三番弟子でイラスト作成協力者たる子が、私の八卦掌修行開始のきっかけを絡めて描いてくれた大切な一枚である。

武術の練習は地味で辛いことも多い。このような、心揺さぶる理由がなければ、続かないかもしれない。私自身、はじめたきっかけが強烈であったため、続けられた。

大切な人を守りたいから、という学習志望動機をもって弊門を訪れる人をひいき目に見てしまうのは、このためであろう。

八卦掌水式門富山本科イメージ