月別アーカイブ: 2022年10月

心に残る言葉は、きっと真理。信じて前に進もう。

「大丈夫だと思うよ。」

優しいその言葉に、長いこと助けられてきました。人の優しさから出たささやかな、そんな短い言葉が、長い時間、今もずっと心に残り続け、私を励ましてきてくれました。

その言葉をかけてくれた時の場所、表情、天気・・・克明に覚えている。多くを忘れてしまったが、優しい言葉は忘れられない。

「誰からも相手にされない」「みんなにバカにされる」「何にも期待されない」

自己否定の言葉に溺れてしまったあなたでも、ふとした時、誰かから優しい言葉をかけられたこともあると思う。

なんの根拠もなくていい、その言葉、全面的に信じよう。心から信じよう。この世の真理にしてしまおう。

人は、なかなか人など褒めない。私自身も、褒められたことなど数えるほど。

「大切な人を守る八卦掌を広めて、少しでも多くの人が暴力から守られるようにしたい」と真面目に語れば、たちどころに笑われ、「現実を見ろ」「で、生活は成り立ってるの?」「拳法で守るなんて、妄想もいいとこ」なんて言葉を機関銃で打ち込まれるがごとく浴びせられる。

でも、そんな言葉、全く心に残らない。私の中では、ずっとずっと、優しさから出た言葉が心のそばにあって、癒してくれる。

言ってくれた本人に聴いてみると、「そんなこと言ったっけ・・・・」との返答。

言った本人すら覚えていない言葉でも、その言葉が心に響き、心を揺さぶるならば、ずっとずっと残り続けるんだ。

そして、残り続けた言葉は、いつしか真理となり、何度も何度も失敗をしている私を、いまでもずっと支えている。

もしあなたの中で、言った本人すら覚えていないような言葉であっても、あなたの心の中に残り続けている言葉があるならば、その言葉はきっとあなたにとって真理なのだから、信じ、支えとしよう。

いいことがきっとたくさん起こるよ。私もそうだから。

対多人数遊撃戦八卦掌は、道なき道を行くようなもの。答えなど用意されてないし、拳法界で市民権も得てない未踏の領域。

手ごたえを感じなかったり、人からドタキャンやウソをつかれてタダ受講されたりして、屈辱のなみだを流す時も、いつもそばにいて支えてくれた。

多人数戦総合練習で、身体が動かず手が止まってしまった時も、カッと心に思い出され、手や足に力が入る。「手を止めない、あきらめない」って、何度も思い直すことができたことか。

私はその人からもう二度と、直接言ってもらうことはできないけれど、きっと自分の人生の最後までずっと忘れず、支えてくれる。本人が覚えていない言葉でも。

ある時、改めて聞いてみたことがあったのだけど、その時言ったことも、忘れられない。

「意思の強さの達人だからね。覚えてないけど、今でも大丈夫って、言うと思う」

人の優しさは、本当に偉大で、かけがえのないもの。私も、そんな言葉を、少しでもかけていけるなら嬉しい。

護衛護身五型、更新し、より詳しく説明しなおしているので、全国で孤軍奮闘して強く成ろう、取り返そうと思っている、君やあなた、是非とも見て欲しい。

きっと大丈夫!

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遊撃戦色が一層強まった新しい「八卦掌護衛護身五型」

護衛護身科の再開講、そして10月30日(日曜日)の愛知県講習会、11月6日(日曜日)の富山県講習会で五型を主役にして八卦掌の攻防を説明する機会を得て、「八卦掌護衛護身五型」の閲覧数の増えています。

間もなく開かれる愛知・富山の講習会では、五型を一気に伝える機会を得たたため、参加を迷っている人は、とにかくにも参加し、五型を通して遊撃戦八卦掌の攻防技術に触れてもらいと思います。

身近な人からも、内容について質問があるため、ここで改めて説明しましょう。新しい五型は、従来のものと何が変わったのか。

  • 遊歩連捶(ゆうほれんすい)の動作を加え、定式八掌で練る、力を伝えながら歩く練習を五型に採用した
  • 穿・推・捶・拳を選ぶことができるようにした
  • 五型の型を、原形となった鴛鴦鉞の単式にほぼ同化させ、五型に慣れたらすぐに武器をもって練習することができるようにした

これらの変更点について、説明しましょう。

◆遊歩連捶(ゆうほれんすい)の動作を加え、定式八掌で練る、力を伝えながら歩く練習を五型に採用した

歩きながら打って相手に力を伝えることは、遊撃戦の八卦掌における一大発力(発勁)方法です。

今までは、五型の一部の型(双按連捶)でのみ練習していましたが、新しい五型では、すべての五型で「遊歩連捶」を加え、移動発力の動作を練習できるようにしました。

◆穿・推・捶・拳を選ぶことができるようにした

手法に限定感のあった従来の五型に比して、今回は、自由性を持たせています。これは、五型を練習する者のユニークな経歴に配慮したもの。

例えば、弾腿や少林拳・空手などの、拳を用いる武術を練習したことがある方に配慮して、拳を用いても練習することができるようにしています。

掌で相手をつかんで攻防を展開する技でなく、シンプルに敵の側面を通過しながら攻撃する技メインとしたものです。

掴む動作から展開する技は、かなりの習熟度を要し、私のように長いこと柔道に取り組んできた者でも成功させるのは容易ではありません。遊撃戦渦中で相手をつかむことはなお難しいため、新五型では、通過戦法に活路を見いだしています。

掴む動作に固執しなければ、掌でなくても対応しやすくなります。それによって、拳や手刀に得意感を持つ練習者に、一層のやりやすさを感じてもらえるようになりました。

◆五型の型を、原形となった鴛鴦鉞の単式にほぼ同化させ、五型に慣れたらすぐに武器をもって練習することができるようにした

五型の原型となった、子母鴛鴦鉞の単式技法型に、五型を内容を回帰させました。これは、「徒手習熟、即武器習熟」の理念を実現させるための大き対策です。

五型習熟で、鴛鴦鉞練習なし習熟、とはもちろんなりません。しかし、ほぼ同じ型を用いることで、徒手と武器の橋渡しが極めて効率よくなりました。

五型を一通り練習した後、もしくは一型ごとに、鴛鴦鉞、そして双短棒を練習してみるとよいでしょう。きっと徒手の技術に一層の深みが出るはずです。

・・・・2022年の講習会も、富山はおそらく11月6日が最後(あくまで予定)。ましてや今回は、五型を一気に解説する講習会内容であるため、武器直結の実戦技法を知りたい方は、是非ご参加ください。

愛知で、富山で、参加を待っています。

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「レッテル」なんて何の価値もない。君の道を進め!

高校を卒業した後、卒業証明書が必要となり、母校に取りに行ったことがあった。

いい思い出と嫌な思い出が交錯する場所。嫌な思い出の中に、高校2年の時の担任の先生に見下ろされていた記憶、があった。

だから、高校に行くならば、その先生だけには遭遇したくないなと思っていたのだけれど、よりによって、遭遇してしまったんだよね、それも校舎に入った瞬間に。

その時出会い頭に言われた言葉が、「ちゃんと社会で生きていけてるか?」という侮辱的な言葉。ニヤニヤ笑いながらだった。ほほえましい中で言われたものではなく、高校の時見下ろされていた時と同じ言い方。

彼はその言葉を、安易な気持ちで言ったのかもしれないが、あれから30年近くたった今でも、言った態度も内容も、その時の悔しい気持ちも、はっきりと覚えている。

それくらい不快だった。

恐ろしいことは、何かうまくいかないことがあるたびに、その言葉を思い出してしまい、「やはり俺はダメな奴なのか」と考えてしまうこと。そんな気持ちになると、ダメな状況はますます悪化する。

その状況が収まると、痛烈に思う。人にレッテルを貼るのは、本当にしてはならないことだ、と。そのレッテルは、私に何の教訓もプラスの影響も与えない。苦しい時、戒めにもならない。落ち込む気持ちを、余計落ち込ませるだけの、無価値なもの。

だから自分は、、人に対して、「○○さんは◇◇だね」を始めとした、軽いものですら、言わないようにしている。言葉は本当に恐ろしい。

元担任の、無責任で思いやりのない無配慮なレッテルに、これほど苦しめられとは。自分のすることをある程度こなしきった今、やっとそのようなレッテルに対抗できるようになった。

今まで散々、あらゆる人からレッテルを貼られてきた。振り返ってみて思うのは、身近な人が貼り付けてきたレッテルが、もっとも深刻な影響を与えた、ということ。

両親によって、「おまえは本当に不器用だ」と言われた。その言葉は、何かができたないたびに、私に「おれはなんて不器用なんだ、やはりいう通りだ」とという気持ちを湧かせ、行動を止めてきた。

友達によって「お前に責任のある立場はこなせない。俺だったらお前を任命しない」と言われた言葉は、社会人になってから仕事がこなせないたびに頭の中に蘇り、自信を奪ってきた。

レッテルに苦しめられ、落ち切った自分だったが、八卦掌だけはやり続けた。

そしてやり続けた結果、修行開始直後自分が思い描いていたよりもっと先のところまで来ていた。そこでやっとレッテルに対抗できる心構えが出来上がってきた。

気持ちの持ちようで、ここまで苦労しなくても、克服できる方法がインターネットにはたくさん載っているが、私はそれらを活用できなかった。だからこれだけの時間がたってしまった。本当にもったいない時間だった、とつくづく思う。

この記事をここまで読んだ君は、きっと今、周りの人間の無責任なレッテル貼りで、苦しんでいるのだと思う。

前に、護衛護身五型の練習をする人の中で「しょせん弱い奴は何をやっても弱いままで、強い奴は何もしなくても強い」という言葉を浴びせられて、悩んでいる人が居た。

そこで「練習すれば、その分可能性は生まれる、自力が強い人間の虚をつくことができるようになるかもしれない、練習しなければ、可能性はゼロに近いまま」と言葉を掛けました。

私の経験から言って、レッテル貼りには、大方根拠なんてない。言った人間の、一時の情報・記憶から発せられた無責任なもの。言われた人間は、言われた時に比べて、何らかの努力や行動で、言われた時よりも進化している。

だから、レッテルなんて、「ふんっ、何言ってやがる」とあしらえばいい。

レッテルほど、百害あって一利なしを地で行くものはないから。

強くなる過程では、「決めたノルマをこなさなければ弱くなっていく」という引き算的法則ではなく、「今日はこれだけやったから、その分これだけ強くなった」という足し算的法則が成り立つ。

だからもし「自分は弱い奴だ、その通りだ」と思って、練習や体力づくりに不安を感じてしまうなら、聴いて欲しい。

やった分だけ確実に強くなり、やった分だけ未来の可能性が生じる。例外は一切ない。一切ないんだよ。だから安心して進んでいこう。

確かに言えることは、毎日少しづつでも行動するならば、あなたの未来は、ゆっくりと確実に変わっている、ということ。

君は、戦うと決めて動いたから、、このサイトを見つけることとなった。見つけたから、理不尽な強者に立ち向かうための強力な五型を知ることとなった。

このサイト、いじめや暴力に対し穏健策を取る他のサイトに比べて、ストレートに戦うことを前提にして、究極の具体策(対暴力制圧法たる五型)を示した究極のスタンスをとる内容。

戦う決意をした者でないと、巡りあうことは極めて難しい。戦う決意を固めた者でないと、心に届かず、目に入ってもスルーしてしまうだろう。

しかし君は巡りあった。スルーしなかった。それだけも大きな成果だ。勇気をもって戦う決意をし、動いたゆえの成果だ。動かなかったら、ネット上にあふれる「強い者にはしょせん勝てない」「護身術など無駄」という決めつけの意見に絶望するだけだった。

無駄なことなんてない。五型をとおして八卦掌を練習し、身にしみ込ませたら、君の気持ちは変わり、大きく未来は変わっていく。その時、他人がはりつけたレッテルの内容に大きな違和感を感じるだろう。

「何言ってるんだ、的外れもいいところだ。私はそんなんじゃない。残念だったな。私はこうだ。私が言うのだから間違いない。」

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本科と護衛護身科、私はどっちがいい?

本科と護衛護身科、私ならどちらのコースがいいのでしょうか?という質問を受けることがあります。

明日護衛護身科の内容が大きく変わってリニューアル開講するため、この記事をあげます。

どちらがいいのか?どちらも八卦掌なので、八卦掌にこだわりたいと思っているだけなら、どちらでも問題ないということになります

多くの人は、実戦か伝統か、護身として使えるか、実際につかうことができるのか、キレイに型を演じられるようになるか、そして付随してダイエットにもなるか?など、特定の目的に興味が向いています。

その興味の向いている方向性に沿って決めるのがいいでしょう。

いろいろな例をとって考えてみましょう

「将来的に、人を守るための術を身につけていきたい」場合

例えば、将来は警察官や警備員など、人を守る仕事に就きたいと考えている人。その人がいますぐ保安職に就く場合で、短期間でスキルを手にしたいのなら、護衛護身科の方が向いていることになります。

その人が保安職に就くのが先の場合(2~3年先)や、すぐにではなく、じっくりと実力をつけていきたいなら、本科でよいでしょう。

本科では、八卦掌技法を行う身体を作るためある程度の時間をかけますが、それは実際の場面で役立たないことを学ぶわけではありません。

相手の様々な攻撃に対抗しつつ、プレッシャーを与え続け得る土台を作るためです。相手は様々な攻撃をしてくるでしょうが、内情をよく観察すれば、仕掛けてくる攻撃はある程度パターン化できます。

格闘技や武術を練習してい居ない、もしくは経験があっても未熟な者・今は練習していない者の場合、違う攻撃をしているように見えても、実は変化の域を超えていないだけで、ほとんどパターンは同じです。

その場合に対抗手段としては、目まぐるしく我を移動させて翻弄する八卦掌の移動遊撃戦で十分対抗できることになります。本科では、徹底した移動遊撃戦を実現するためのプログラムが組んであるため、時間的猶予があるならば、本科をおすすめするのです。

「今まさに、大切な人を守る必要性がある」場合

今まさに、大切な人を守る必要性がある場合。例えば、家族・恋人・友達が、変質者やストーカーに付きまとわれている場合など。しかるべき相談機関への連絡などの対応のほかにあなたが選択する方法の一つは、護衛護身科で学ぶことでしょう。

私が中学生の時がそうでした。同級生に対するいじめがあり、ケンカ自慢のいじめ連中にいざというとき対抗するために、身を守る術が今すぐにでも必要だったケースでした。

本科では着実な実力をつけることを目指しますが、ある程度の時間をかける必要があります。護衛護身科では、インプットではなく、いきなりアウトプットからのスタートとなるため、護衛護身五型の型がその人にとってやりやすいものであれば、割と短期間で身体の変化を実感できるようになります。

護衛護身科では、短期間(1~3カ月くらい)で一通りの対抗手段を身につけることができます。後はそれを有事に備えて繰り返すのみです(一通りやるだけではダメだから)。

「対抗する手段は一通り学んだ。あとはできる限り精度を上げるのみ」と、迷いも無くなり、自信も湧いてきます。この自信、精神論云々ではなく、本当に大事なことです。

組手や散手をやることの大きな意義の一つが、組み合う際の恐怖を克服し、戦いのスイッチを入れることができるようにするため。一人のみで練習する者に、組手を行う機会はほぼ無く、実戦速習型のひたすらな繰り返しで自信をつけるしかありません。

「人を守りたいという考えはないが、護身術を学びたい。どうせなら伝統武術を学んで強くなりたい」場合

人を守りたいなどと大それた考えはないが、護身術を学びたい。しかしどうせなら伝統武術を学んで強くなりたい。そう考える方がおられるなら、それはまさに護衛護身科のコンセプトに合致するため、護衛護身科をおすすめします。

手軽にできる護身術の最大の欠点は、練習にのぞむ際のモチベーションの維持の難しさです。

護身術は、単純シンプルで有効なものでしっかり練習すれば効果はありますが、自分を守る目的以外のものがありません。今まさに迫っている危機に対抗するためのみ技法であり、それ以外も目的(奥深い技術体系や、形として見えるスキル)がないからです。

護衛護身科で指導する「護衛護身五型」は、当然に八卦掌技法で構成されており、「着実」より「速習」に焦点を当てて履修課程を変えただけのものであり、八卦掌そのものです。

よって護衛護身科を学ぶということは、護身術を学んでいると同時に、伝統中国武術を学んでいることにもなるのです。水野が勝手に技を生み出し、それを教えているのではありません。

護衛護身の型は、短期間に移動遊撃戦を学ぶためのものであり、型に習熟したら、当然に個々で変化をしていくもの。

「型ではこうなっているけど、自分はここでこうした方がやりやすいぞ。」・・・自然とそうなります。その時は、その感覚に従ってください。そうすることで、一段と「強く」なっていくのです。

変化した先で行きついたものが、水野の教えた型と大きく(まったく)違っていても、それが八卦掌を出発点にしたものであり、かつ当門で学んだ者が八卦掌を名乗ることを希望するならば、水式門では当然に八卦掌後代を名乗ることを公認し、バックアップします。

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成果が感じられず辛い時は、サイトを見て欲しい

「強くなりたい」「現状から抜け出したい」「もういじめられたくない」

そう願って動き始めたが、毎日練習してもしてもうまくいかない。進んでいる実感が感じられない。どうして僕は、私は、こんなこともできないんだ。どうしてダメなんだ・・・・。

そう思うこと、実はいつもなんだ。行動している人間こそが味わう、栄光の未来への通過点なんだ。

だから安心して、また明日から・・・・と言いたいところだが、落ち込む時の気持ちの辛さというのは、想像をはるかに超えるものがある。だから、辛い君へ、メッセージを送りたい。

私も今この瞬間も、常に恐怖や不安と戦っている。君と同じなんだ。そして、落ち込むこともいつもなんだよ。今日だって朝、走圏をしている時、悲しい気分になって、泣きながら練習していた。

君と今まさに同じ気持ちを背負って前に進んでいる同志だからこそ、言えることがある。どんなに辛い時でも、思い描いた先に向かって歩き続けていれば、着実に成果は上がり続ける、ということを。

そして歩いた時間や距離は関係ない、ということ。

いつも常々言っていることだけど、辛い時は、泣きながらでもいい、ふてくされながらでもいい、自暴自棄になりながらでもいいから、何か一手でも動いて欲しい。

たった一手打つだけでも、その分前にすすむことができる。枕に顔を押し付けて号泣している時でも、そこでなんとか立ち上がり、私のサイトに掲載している技を、一回だけでもいいから繰り出してごらん。その分だけ、前に進むから。

そして再び枕に顔を押し付けて泣いてもいい。君は何かをやった。安心して泣いていいんだ。

もし顔を上げることができるなら、私のサイトを見てほしい。ブログもいいけど、私のサイトも見てほしい。

たくさんの技が説明されている。説明しているものは皆、何の隠し事もない。そして、強くなるために役立つものしか掲載していない。

だから、強くなりたいという気持ち、いや、強くなりたいと思った原因を思い出しながら、読んで欲しい。

私はサイトのページを追加するとき、「大切な人を守りたい」という想いをこめて計画を立て、動画を撮影し、説明文を書いている。

君が、強くなりたいと思った要因をかみしめながら読んでくれたなら、きっと共感でき、胸が高まるだろう。

ブログ中における、メッセージ集には、君へのエールしか書いていない。君のために書かれたものだから、どうか読んで欲しい。この記事もそう。

辛い時、前に進んでないと思う時、思い出して欲しい。

「そんなことはない。例外なく、前に進んでいる。大丈夫。」

もうすぐ、夜が明ける。さあて、一緒に歩きはじめるとするか。また前に進もう。今日は辛いから、動きたくない?

OK!了解。それで大丈夫。君の心がそれを思ったなら、それこそが心の声。ただ、一手だけ前に進もう。

そして終わったら、望む未来をイメージして、また休めばいい。その繰り返しが、前に進む。抑えられない気持ちのままに動きたくなる時が、また来るから、きっと大丈夫。

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