八卦掌水式館代表・水野義人|プロフィール・転掌との出逢い・転掌八卦門の紹介

失伝の危機に陥っていた200年前の稀有な技術を復活させた、転掌再興祖の黎明期

館長・水野義人プロフィール~梁派八卦掌ではなく「転掌」掌継人として、転掌の伝承を選んだ理由

略歴(簡単なプロフィール)

八卦塾代表・水野義人の写真1
八卦掌水式館ゆかりの地・雨晴海岸にて

10代なかごろ、佐藤金兵衛先生の「中国拳法 八卦掌」を地元の小さな本屋で見つけ、本の情報とカンフー映画(のちに『武林志』と知る)の動きを頼りに、独学で八卦掌を練習し始める。理由は、同級生を、いじめから守るためだった。

※いじめ護身部「なぜ「いじめ護身部」を開いたのか|戦いはまだ続いているから」へ

楊先生
転掌(清朝末式八卦掌)恩師・楊師

中学~高校にかけて、関東圏(東村山・清瀬)のカンフー教室で八卦掌に取り組む。盾術などの変わった武器術も習うことができたため、突然先生が不在となり教室が閉鎖となるまで通い続けた。その後28歳まで、特定の先生のもとで習うことが無く、水式館一番弟子・同館筆頭弟子らと共に練習していた。

※楊師に師事していた頃の思い出についてのブログ記事「転掌(清朝末式八卦掌)恩師・楊先生」へ

教室閉鎖後は、自分が目指すスタイル(転掌スタイル)を持つ八卦掌を習うため、習ったものを復習しながら八卦掌を教えている道場を見学する日々が続く。しかし全てが、巧妙に相手を倒すために敵の眼前にとどまる近代格闘術八卦掌であった。

29歳の時、馬傳旭先生拝師弟子の先生の道場があることを知り、入門する。「八卦掌は対多人数戦専門の武術」と聞き、そのような考えが転掌の移動遊撃戦スタイルと似ていたため、ここならば転掌スタイルを習うことができると考え、通い続ける。十数年の時を経て、初めて正式路線に沿って八卦掌を習い始めることになる。

会社におけるトラブルで、道場をいったん離れることを余儀なくされるが、その間も練習し、再び2012年に再師事する。梁派の「緊張の中に弛緩を見いだす」練習法の辛さで、フォームが崩れ、挫折しかえけるも、何とかもちこたえる(苦しい姿勢を長時間取らない水式館の指導方法に影響を与える)。

2019年に指導許可を得たので、公に生徒をとり指導活動をし始める。「八卦掌水式塾」と名づけ、地元情報紙に有料広告を出すなどして、指導活動を本格化。地方都市の婦人部の女性生徒を主流として指導展開。

2021年12月、面識のない八卦掌教室の指導者より「実力を見せよ」と師経由でもちかけられる。その直後、伝承者になるには、その指導者の許可が必要だと条件が付され、県外のその指導者の道場へ行き再修業することを求められる。伝承者を名乗るには、その者のお墨付きが必要、という理由であった。

楊家の転掌の技法を信じて学ぶ弟子がすでに複数人(7人)居たこと、転掌スタイルを確立していてこの期に及んで力のぶつかる近代格闘術八卦掌の指導者のもとにわざわざ行く必要を感じなかったこと、面識のない人間にそのような発言をするその指導者の人間性に疑問を感じたことの理由で、丁重にお断りする。

2022年1月、梁派伝承と異なることを理由にホームぺージの内容訂正を求められる。清朝末式八卦掌の指導をするにあたって、特定流派に所属することの息苦しさと無意味さを感じ、前人未踏の指導活動となることが予想される未来において足かせなることが懸念されたため、八卦掌の第6世であることだけを師に確認したうえで袂を分かち、楊家伝転掌・清朝末式八卦掌伝習の道へと進む。

中国拳法八卦掌伝承系統図

梁派の道を選ばなかった理由。万人普及に適しないスタイルだと判断したから。

梁振圃伝八卦掌は、幾多の高手を生み出した著名流派である。梁派の伝人の肩書があれば、技術云々はさておき、それなりの信頼は得られるだろう(日本の中国拳法愛好家は、なぜか習った先生の名前にこだわるため)。

しかしその技法が、斜進変則技法を採れども、攻撃段階で力のぶつかるプロセスを採るため、他の拳法と同じの「前敵攻防対応型拳法」であることは変わらないと判断した。つまりそれは、弱者使用前提の原則を離れ、強者・武術エリート使用前提の格闘術になっているということである。

現在日本および世界に伝えられている八卦掌は、梁派老八掌も学び、会得した者として言わせてもらえば、力がぶつかる体系が中核となっている。強者の圧力を制するために、大変高度な技法である、螺旋功や大きな力による発勁を用いる。そのことが、万人の習得を困難にしている。

果たして、どれほどの人間が、この難解な技法体系を実際の戦闘で出せるくらいまで会得した上で、指導する側に回っているのか。

私はこの技術体系をもって『八卦掌は弱者護身が実現できる護身術としても最適』と広告することはできない。常に敵の面前にとどまって攻防するため、「相手次第」で勝ったり負けたりする。護身術においては、「勝ったり負けたり」では失格である。「勝ったり」を捨てて「負けたり」をも通り越し、「生存」しなければならない。近代八卦掌の斜進変則戦法は、一見弱者にとっかかりやすいように見えて、実は大変な努力を強いられる技術体系なのである。

近代八卦掌と清末転掌式八卦掌の違い

転機を「転掌の伝承を大いなるものが望むこと」ととらえ、近代八卦掌門と袂を分かつ。

『世界の全ての地で、老若男女問わず誰もが「自分をいじめや理不尽な暴力から守る技術」を学習できる環境を創る』ことを目的としている私にとって、近代八卦掌の技術体系は、技術習得の面からも、学習のしやすさの面からも適しないと映ったのである。

それゆえ、独学で始めた八卦掌が、本来は弱者使用前提の対多人数想定の移動戦武術であったと、楊師との出逢いで確信してからずっと、その体系を持つ八卦掌(転掌)を探していた。楊師に出逢う前にすでに、八卦掌が弱者使用前提の移動戦武術であると気づいた私は、転掌と出会う運命だったと感じる。

しかし、私が師事した梁派の道場も含めたどこの道場も、近代格闘術スタイルの八卦掌ばかりであった。そこで習っている者と話をしても、現行八卦掌と昔日の転掌では、その技術体系が異なることを、全く考えてもいなかったのである。

梁派道場では師範が『八卦掌は多人数戦専用の武術』と言っていたため、ここならば対多人数の術理を学ぶことができると思い、通い続けた。しかし指導許可を得た後ですら、力がぶつかる対一人攻防の技術しか教えてもらえなかった。その中でも、清朝末式の確立に取り組んでいることは伏せ、多くのトライ(強い兄弟子に試す・バイト仲間とその友達らと、多人数戦おにごっこをする等)とエラーを重ね続けた。

転機が訪れる。清朝末式を確立した暁に「共に全国を回って技術の指導に向き合おう」と約束していた伴侶が早逝し、失意により師に事情を話して2か月ほど郷里にて休んでいた時、上述した梁派を離れる転機がふりかかってきたのである。

当時の私にとって、その転機は津波のごとく非情で冷酷なものであった。しかしそれゆえ、伝統や先輩諸氏に縛られる近代流派に対する未練も完全になくなった。梁派そのものと袂を分かち、転掌伝承の道へと顔を向けることができたのである。

転掌八卦門の紹介~開門のきっかけ・来てほしい人

八卦掌水式館の運営する伝統門「転掌八卦門」は、どういう想いで運営されているのか

『弱者生存の理で貫かれた護衛護身術「転掌(清朝末式八卦掌・楊家転掌式八卦掌)」を日本全国各所に広め、誰もが、大切な人・自分を守る技術を学ぶことができる環境を創る』

八卦掌水式館を運営するための原動力は、この想いからすべて湧き上がっている。

弱者が強者の理不尽な暴力から身を守り、大切な人を守るためには、強者の眼前で戦うのではなく、徹底した移動遊撃戦でほんろうし、敵と力でぶつからない必要性がある。多人数が相手であれば、移動遊撃戦の重要性は極めて高まる。

移動戦を実現するためには、日頃から基礎的持久力を維持し、シンプルな技を無意識で行うことができるようになるまで繰り返し、かつ、身体流(しんたいながれ)の激しい横振りの慣性が働く対多人数戦の渦中において一定時間繰出し続ける事を可能にするために、息が上がった状態での練習もする必要がある。

平素の積み重ねがあるからはじめて「誰もが」大切な人を守り、自分を守ることができるようになるのである。移動遊撃戦の転掌では、日頃の積み重ね無しで生存が生じる可能性はほぼない。敵が備えていない、移動戦の持久力の戦いの泥沼に、相手を引きずり込むのである。

この、移動遊撃戦転掌の厳しい現実を知り、それでも習ってみたいと願う真剣な入門希望者のために、私は以下の約束事を自らに課し、水式館の運営に向き合っている。

  • 毎日必ず転掌に取り組み、身体に転掌の動きがしみ込んだ状態を維持していくこと
  • 有酸素運動による基礎持久力の重要性を理解したうえで、それを維持するため食生活・基礎持久力維持に配慮すること
  • 転掌指導の看板を掲げる門の代表として、門下生に対し、転掌の術理に沿った技術のすべてを伝えること
  • 指導内容は、現実的実用性(誰でも行うことができる体系を維持する・修行期間がいたずらに長引かないようにする)を心掛けたものを提供し続けること

この約束事に加えて、私には修行期間中守ってきた下記の5つの気を付けること(五訓)がある。

  • 人におしつけず
  • 人を支配せず
  • 人をそしらず
  • 人を傷つけず
  • 人を護ることをあきらめず

決して楽ではない、苦しいことも多い「転掌」の修行。しかし門を叩いて練習を重ねた門下生が「習っていて本当に良かった」と思うことができる瞬間のため、これからも以上の約束事を守り、運営に向き合っていく。

水式門をひらきたいと思ったきっかけは

「誰かにとって大切な人を守る」。この言葉を毎日自分に言い聞かせて、後悔と自責の念で押しつぶされそうになった時も、なんとか上を向き練習し続けてきた。

しかしテレビや新聞を見れば、ほぼ毎日日本全国どこかしこで、理不尽ないじめ・暴力によって泣いている人が出続けている事実を目の当たりにし、激しい無力感を感じていた。他人事とは到底考えられなかった。

時を重ねるごとに『自分の周りだけで人を守るのでは、あまりに機会が少ない。これでは「練習をし続けた」という自己満足だけで終わってしまう』という焦りの気持ちを強く感じるようになってきた。

その焦りが、転掌の技術が高まり人に指導する立場になる過程で、「この技術を多くの人に伝えれば、その人が大切は人・大切な自分を守ることで、私の技術が人を守ることに役立つのでは」という考えをわき起こさせた。

そして40年近く前の「人を守る必要性を感じた」時、私の周りに「人を守るための武術」を掲げる道場は存在しないがために、不安になりながら自分ひとりで練習をし続けた気持ちを思い出させた。

そこで『ならば私が「誰もが、大切な人・自分を守ることができる」転掌の技術を伝える場・機会を世界の有志のために創り、間接的に、大切な人を守ろう』という決意が生まれたのである。

この決意こそが、八卦掌水式館と「転掌八卦門」に関わる全ての行動の出発点となっている。

どのような人たちと、どのような世界を作ることに貢献したいか

力による恐怖で理不尽な欲望・要求を押し通そうとする暴力に対し、憤りを感じ、そのような暴力から大切な人を守りたい、自分を守りたい、と願う思いやりのあふれる優しい人。

転掌八卦門の技術は、そのような人のために提供される技術である。

大切なものを守る決意をし、そのために日々自分のペースで功を積み重ね、「その時」には積み重ねた力で理不尽な暴力にきぜんと立ち向かう。これは行動指針をはるかに上回る「生きざま」であると思っている。そのような生きざまに価値を見いだせる人でないと、弊館の理念は理解できないだろう。

思いやりにもとづいて行動し、練習をし続けることが出来る人と、「誰もが、必要にかられ思い立った時に、大切な人を守る技術を学び、想いを遂げることができる」環境を創っていきたいと考えている。

弊館では、その環境を実現するための大きな対策として、全国の支部で八卦掌の技術を伝える第七代目八卦掌門人を募集している。もしあなたの中で弊館の理念に共感できる気持ちがあるならば、ぜひともお力をお貸しいただきたい。

※「全国の支部で八卦掌の技術を伝える第七代目八卦掌門人を募集」については、当サイトのブログ記事「全国各支部で後進門下生を指導する八卦掌第7代目門下生募集」もあわせてご覧ください。

八卦掌水式館 館長・転掌八卦門 開祖 水野義人のプロフィール

八卦掌水式門代表・水野義人の写真
プロフィールは写真をクリック

水野義人(活動名:水野式人)

八卦掌水式館館長。八卦掌第6世。楊家伝転掌第8世掌継人。転掌八卦門開祖。弱者生存の理「単換掌の術理」を用い移動遊撃戦で戦うことを特色とする、清朝末期頃成立当時のままの八卦掌原型武術「転掌」を、世界で唯一公に伝える、転掌グランド・マスター。

・・・続きを見る

転掌八卦門の開祖である館長の、転掌マスター養成ブログ更新中。転掌・八卦掌修行者のみならず、すべての武術において達人となることを夢みる方に有益な、館長の語録を随時更新中。

「転掌マスターへの道~転掌八卦門開祖・水野の達人養成ブログ」へ

免責事項

 弊サイトは、利用者がサイト内に掲載された情報を用いて行う一切の行為について、何ら責任を負うものではありません。

 サイト内における理論解釈等の説明は、管理人が学習過程における研鑽によって得たものからなされるものであり、その内容は他の流派の理論等を否定するものではありません。

 現在国内外において、多くの流派の高名で技術の高い伝承者の先生方が御指導を展開されておられます。あくまで当サイトの内容は、一つの考え方として利用していただけたら幸いです。