転掌グランド・マスター水野語録」カテゴリーアーカイブ

三年後に来る良師はどこの誰なのか、門祖は気づいていた。

私が言った、「良師三年」。これはとても深いのである。しかし説明ができないのである。

日本の武術愛好家の多くが言っている、良師三年とは、全く違うのである。多くの愛好家の言う、「良師三年」が真実なのか、それはここでは触れない。どうでもいいからである。真偽など、人の経験にもよるものだ。

私は、楊師より学んだ技術体系を指導する師を求めて、多くの道場を見た。探した経験があるのである。自分一人で、楊師より授かった技法を、確立する自信が無かったからだ。その意欲は、一番弟子に教え始めるようになってから、強くなった。

「人に教えるなら、私自身が、その拳理を最も知っていなければならぬ。」

拳理を外に求めていた。習ったものは習ったもの。習ったものの発展のためには、新たな師に就く必要があると、一つの指導を受ける際の「形」に囚われていたのである。

しかし転掌の技法を伝える師は、国内にも国外にも居なかった。楊師の足取りも不明であった。私は絶望に近い感覚を覚えていた。私に学ぶ者もいるのに、私がその道を示すことができない。その暗闇の中で、義務感から、ただ練習の場に立ち続けた。

「ただ惰性で行うだけではだめだ」

私は、自身の経験から、この意見に賛同できない。なぜなら、私が、行き詰まりの中で気づいたのは、惰性で立ち続けた中で起こったからである。

ただ、こなすだけ。決められた練習を、ただ行うだけ。Youtubeの広告主に言わせたら、まったくけしからん練習姿勢であろう。しかし私は、この練習に取り組む姿勢こそ、多くの何かをもたらす、より大きなものからの暗示に触れる、プロセスであると、何度も経験するうちに確信してしまったのだ。

最初は、偶然だと思っていた。なぜならそれら(直感・インスピレーション)は、何の規則性もなく、突然来るからである。ある時は、警備の仕事を終える瞬間にやってきた。公園は真っ暗である。しかし私は、そこで思いついたことを試したくて、深夜0時を回っても単換掌をし続けた。斜め後方スライドに関わる重大な内容であった。突き動かされるような感情が抑えられず、家に帰ってもそれをし続けた。

その時の直感は、私の単換掌理を、より高次の安心をもたらすものに引き上げた。それ以後、練習の中で思いつくことは、なんでも試したのである。しかし面白いことに、自分が「こうではないか?」と思って取り組むと、その取り組むものとは違った、以前よくわからなかった課題に関わることについて、思いつくのである。

自分が改善を望むところに取り組んでいるところと、見えにくい箇所でつながっている部分に、光が当たったのだろうと思う。当時の自分の思考では、そのつながりが見えなかったから、「思いがけないところがわかった」と感じたのだろう。

私は、自分の内からくる自分の直感でありながら、その直感のプロセスをコントロールすることができないことに、言いようのない無力感を感じていた。直感を自分の管理下に置こうとしたのである。しかし、それは全く私の意図に従う気配がない。しかし、必要な時にやって来るのである。

「必要と感じる=自分がその問題を克服することが可能なレベルまで自然と上がっている→そのレベルで模索することで、必要な直感が自然とやって来る」

そういうことであると、私は納得した。この深く落ち込むような納得の状態に、追い打ちをかける心情の転機がやって来る。こんどの転機は、内面に対するものである。

筆頭門弟のルーツが、かほく市であった。私はその事実を知った時、気に留めていなかった。しかしルーツが宇ノ気小と知った時、そこから考えが根底から変わったのである。

私は学生の時、加賀の哲人・西田幾多郎先生の胸像画を見て、この人の、なにやらすっきりしない、笑顔になりきっていない薄ら笑みの表情に、自分と同じ空気を感じたのだ。この西田幾多郎先生こそが、宇ノ気小の先輩卒業生なのである。

高校の倫理の授業で、西田哲学の「純粋経験」を耳にした。しかし当時は、なんらの感情も抱かなかった。すでの楊師より、一通りのことを習った時期であったにもかかわらず。そして時は流れ、筆頭門弟を育て、その家のルーツが、かほく周辺にあったことを知り、かほくに関わるようになると、宇ノ気出身の西田幾多郎先生の話が再び出てくるのである。

私は、上記の「直感」のプロセスに、大きな悩みを感じていた。単なる自分の、思い付きではないか?いい加減なものではないか?確証もないものを、信頼していいものか?と。

そのタイミングで、西田先生の「純粋経験」を知ったのである。言葉で表すには、まったくもっておおきすぎる存在。その大きすぎる存在と、一緒になった時の経験。先生は、言葉に表すことができないその存在を、あえて言葉によって説明しようとして、大きな試みと苦闘をしておられた。

私は、この偉大な先人が、生涯をかけて思索し、向き合ったものに、触れていたのだ。自分の中で、すべてをささげて、進んできたものだったから、より大きなものが、必要なタイミングで、私に、私の思考などはるかに超えた部分で、直感をもたらした。

西田先生の「純粋経験」との出逢いは、よくわからなかった、老子の世界観や、インド哲学の「在る」の概念に、大きなヒントをもたらし、これらの思想のつながりを感じさせたのだ。

「良師三年」は、我が師より伝えらえた概念である。当時は、それを何気なく聞いていた。しかし良師が私とつながり、その師より、必要なタイミングで何度も教えを受ける中で、私は楊家転掌門に伝わる「良師三年」の概念を、深く確信することになったのだ。

楊家転掌八卦門には、そのシンプルな修行体系から、「成ること三年」の門伝があった。真摯に、素直に師に従って習練に励むなら、その体系の無駄の無さが、修行者を三年で旅立たせる、というもの。ゆえに、良師「三年」なのである。これは、楊家武術になってから生まれたものではない。古来より言われる「良師三年」とは、この意味であったと私は確信しているのだ。昔日の武術体系が、皆シンプルで即効性あるものばかりであったことが、確信する理由の一つである。

以前車で生活をすることを余儀なくされた時、一番弟子の娘と、練習後、あちこちの見晴らしのいい場所で、瞑想をしていた。彼女は瞑想の重要性を知り、私よりも先にそれを採り入れた天才である。彼女は、インド哲学の「在」の概念を体現したくて、その探求に熱心であったのだ。彼女は、見晴らしのいい、開けた場所で座って心を静める静寂の瞑想と、無心にあるがままに風景をスケッチし続ける動の瞑想を好んだ。私はこれまでずっと、彼女の瞑想に付き合う中で、私自身も、その方法を学んだ。

しかし一番弟子が最初に理解したのは、「在」の概念と本質的で同じである「老子」の世界観の方だった。彼女にとっては、「老子」のいう、よく見えぬ大きなものを感じるきっかけは、インド哲学であった。わたしは、西田哲学であった。

楊家門の開祖は、弟子たちに、技法のシンプルさの維持を厳命した。多くの型を作ることを善としなかった。八母掌・老八掌のような、套路(総合型)の形式は採らず、ただ主要転掌式という単式練習のみを構築しただけだった。そしてその主要転掌式に、武器術をすべて対応させた。「あっという間」に修行期間が終る技術体系を組んだのだ。

楊家門開祖が狙ったのは、短期習得・・・それは世俗的な理由である。より深い意味はこうだ。ヒントに留めることで、多くの修行者が、極力早く、自分で研究する段階(自分の直感による発展の段階)に移行することを狙ったからだ。これも門伝である。私は常々、私に続く、将来人を導き得る弟子に、そのことを言う。

「宇宙と一体となる」とは、このことを言っているのだ。宇宙とは、自分に直感を与える、私の中にある、そしてどこにもあり、すべてをつつみ、かつすべてである、説明のできない存在である。私はそれの存在のあることを理解した。しかし、その存在がどういうものであるかは、説明できないのだ。それは直感を私にもたらすものであるのだが、私の道徳とか、信念とか、善悪の判断基準なんかを、はるかに超えた概念で私に何かをもたらす。だから、コントロール下になんか置くこともできない。知ることもできない。ただそこに「在る」ということを理解するだけである。

私の希望なんか、吹き飛ぶかのような流れを、何度も経験した。修行の過程のなかで、大切な宇宙を4つも失った。私はその4人との永遠の別れを「必要なプロセス」などと認めたくなかった。それで長い時間、苦悩した。

きっとその4つの宇宙とは、永遠の別れをし合う相関関係の中で、互いの人生の中に「在る」ことを位置づけられたのだろう。今度はきっと、私自身がこの世界から「退場」することで、私の後に残る者は、何かがきっかけとして発動されたり、何かが始まるはずである。私の場合もそうであったように。

私は今後、技法の伝承と共に、達人に至るまでのプロセスを、詳しく説いていくことを考えている。技法の執筆と、達人になるうえでの直感の共有を、目指すために。それについて、動画でも詳しく述べていきたい。楽しみにしていてほしい。

「型=真理×」。「型=ヒント〇」。形式主義に陥るな。

型を絶対的な真実ととらえている人間がいる。

特に、「名門」などと言われている道場に通っている人間に多い。彼らは、底に伝えられている型を、まるでコピーするかにように、リアルに細部まで、再現する。

「型=真理」と捉えているからである。だから自分から、その内容を変えることはない。その内容と違ったものを、たちまち「誤伝」「亜流」「悪いクセ」といって批判するのである。

大東流合気柔術。日本ではやたらと有名な流派である。私に言わせれば、日本に数多く存在する柔術流派の一つに過ぎないが。そこの門弟らは、そんな風に思っていない。我こそは、選ばれし武術の、正当な門下生である。我こそは・・・。

私のところに体験しに来た者に、大東流の者たちが結構居た。

ある人は、「私は大東流を習ってきた。だから入門しても、しかるべき扱いをしてほしい」とのたまった。何やりに来たんだ?そんなに大東流に誇りを持っているならば、習った場所で、一筋に習えばいいだろうに。

彼らは、自分の習った型を、絶対的な真理だととらえている。なぜそのようにとらえるのか?権威に寄り掛かる方が安心だからである。自分に自信が無いのだ。

武田そうかく先生?佐川幸義先生?崇拝するのは大いに結構であるが、私のその人たちに会ったこともない。技術を見たこともない。すごいかどうかわからない。そして、崇拝するかれらも同じである。なぜ会ったこともない、現在生きてもいない人に、現在のこの時をゆだねるのか。

あなたはどこ?あなただって、彼らと同じなのに、なぜそれほどまでに、彼らに真理のバトンを渡してしまうのか?

よく覚えておいて欲しい。

型とは、ヒントである。あなたがあなた自身の真理に気づくための、ヒントに過ぎないのだ。

董海川先生が残した型は、単なるヒントである。楊家伝武術の開祖が残した転掌式も、ヒントに過ぎない。そして、水野義人が、後代に伝えたものも、単なるヒントである。絶対的なものではない。絶対的でないのだから、いくらでも変化し得るのである。

私が、一通り習うまでは、素直に師の指導に従え、というのは、絶対的なものを伝えているからではないのだ。ヒントといえど、それはひとつの一貫した、術理・戦闘理論に沿っている。だから一通り、一貫した術理で構成された技術体系を、素直に学べ、と言っているのである。

日本の愛好家には、深くかかわらず、武術をたしなみたいと考える都合のいい考えを持つ者が多い。だから中国の先生や、中国の先生に真剣に学び、真伝を伝えられた日本人に相手にされないのだ。

私も、楊師より、その学習態度を特別に認められ、転掌を伝えられた者の一人である。一般的な自分護衛の段階は指導するが、その先は、何を考えているか分からぬ者には、伝えないのである。日本人は、口では「中国拳法は保守的」と言うが、そのリアルさを分かっていない。

本当に保守的なのである。日本人、というだけで、その日本人が真摯で誠実であっても、金だけ取って、ウソを教えるのである。日本人であれば、そんなことはしないだろう。しかし異国の、侵略されつくされた歴史を持つ国の、秘伝武術なのである。私たちが想像している以上に、保守的で秘密に徹しているのだ。

私は梁派門に居た頃でも、楊師の教えを守り、転掌の技法を見せたことはなかった。あくまで梁派において習った技法で、組手等をこなしていたのである。楊師のことは話したことがない。「関東で昔、斜めに進む劈拳を習ったことがある、それを八卦掌として教わった」と言っただけである。

嘘ではないし、楊師の師伝により、転掌の中核は、真剣に学ぶ者のみに伝えよ、と言われていたからなのだ。

「イー・レン、今まで教えたのは、先代の遺したヒントだ、真実となるかどうかは、お前次第だ。多くの場合、それ(型)はヒントとして、役目を終えるけどな。お前の場合、きっとそうなる。」

とおっしゃった。今思うと、深く、かつ、私をさりげなく評価してくださった言葉だったのだ。

さりげない言葉であったが、その教えが無ければ、多くの者は、伝えられた型に囚われ、自分なりの真実にたどり着けなくなるだろう。

この言葉を思い出す時、ブルース・リーという天才が、彼の夫人に言っていた言葉をも、思い出すのだ。

「僕は君の期待に応えるためにこの世にいるのではない。そして君も僕の期待に応えるためにこの世にいるのではない」

 

垂れ流し「引き寄せの法則」動画に、人生の決断をゆだねるな

youtube上には、「引き寄せの法則」なる動画であふれかえっている。

しかしそれらを鵜呑みににすることはやめておこう。なぜなら、彼らは「何か」を成したうえで、それを語っている、わけではないからだ。何かを成したのなら、それを示したうえで、あのような達観した内容を動画にして提供すべきであろう。

なぜなら、あのような内容の動画は、人生における大きな局面の決断に、影響を与えるからである。彼らは決して、放った動画の内容に、責任などとらないのだ。

結局彼らの多くは、引き寄せの法則の大御所たちの意見・考えを、動画にしているだけなのである。顔を出さないで、同じような内容、AIで作成した動画や画像でつないでいるのは、ほぼそうである。

なぜそんなことをする?何か利益があるからである。何の利益かは、触れないでおこう。私も職業武術家なので、利益を求める。プロだから当然である。

ここで話す内容は、引き寄せの法則ではないことを先に述べておく。時代の流れに翻弄され、失伝の危機にさらされた中国武術・転掌を復活させ、転掌式八卦掌を再確立し、その道の深奥を伝承する者として、ここに、真の願望実現の法則を述べよう。

その内容は、宇宙の創造の力を信頼した、確信の法則である。追い求める分野で、達人を目指す者は聞いて欲しい。

まず、マイナスの感情を持った事実は、あなたの夢の実現に影響しない。あなたがどれほど、その夢を実現するために、多くの時間をかけ、ここにたどり着いたのかを、思いだして欲しい。

どんな困難に直面しても、日々積み重ねてきた、あなたの偉業を、振り返って欲しい。引き寄せの法則論者が、この者たちの理論の欠陥を言い訳するかのように提唱する、「恐怖、欠乏、不安から発せられた願望、行動は、夢を叶えさせない」、という理論は、あなたの純真な希望に水をさすものでしかない。

彼らのいうことは、決して、絶対的な真実ではない。夢を追う過程で、恐怖などの感情を、抑えこむことはできない。それらの感情が湧き上がった時に、その都度抑え込んでも、克服するのは困難である。

悟り、なるものがもし有っても、そこに到達することは、一部の人間だけの話だ。そんな、実現が極めて困難な道を、目指す必要もない。あなたは今のあなたのままで、そのまま進めばいいのである。

それは私が、経験したから分かることだ。何度も、克服しようとした。しかしできなかった。プラスの感情を維持できない自分に焦ってしまい、自分はなんてダメなんだと、頻繁に落ち込んでいた。

それでも、毎日練習することだけはやめなかった。引き寄せの法則論者によれば、そのようなマイナスの感情で努力しても、現実世界は変わらない、夢は叶わない、と断言する。

そんなことはない。これほどまでにマイナスの感情に苦しみ続けた私でも、もっとも難しく、かつ、もっとも実現したかったことを、実現させたのだ。転掌と八卦掌を極めたのである。もちろん、私は、最強になったのではない。探求はこれからも続く。うぬぼれない。止まるつもりはない。

しかし私は理解した。恐怖、欠乏、不安を感じてしまうことは、現実世界における願望実現を妨げない、ということを。あなたは今すぐ、これらの感情を持ってしまうことが願望実現を妨げる、という理論を、捨て去ることだ。

あなたは誰のいうことを信じるのか。

現実世界の成果を見せることもなく、同じような理論を展開する、オリジナル性のない動画か。それとも、この現実世界で、拳法をマスターし、再復活させた、拳法の開祖の言うことか。

私は、自分の成果を誇っているのではない。成果を見せることもなく、「だからあなたの夢は叶わない」、と無責任に断言する動画に、あなたの夢の実現の邪魔をさせたくないのだ。夢を追い続けるあなたの純真さを、ずっと維持して欲しいのだ。

あなたは、マイナスの感情をいだくことがあっても、常に、変わらず理想の世界に一直線に進んでいるのだ。苦しくても、進んでいるように見えなくても、進んでいるのである。

宇宙の法則の有効性を、私は確信している。引き寄せの法則ではない、大きな、大きな、宇宙の意思による創造の法則である。あなたの意思は、宇宙の意思である。宇宙の創造の過程から生まれた、あなたの思考は、宇宙の意思を越えることはできない。しょせん副産物だからである。宇宙は創造し続けることを望んでいる。思考が、宇宙の意思に勝ることはない。

全知全能の存在が、自身の創造を妨げ、ダメにしてしまうようなモノを、創り出すことはない。
創造の担い手たる、不完全な人間が、恐怖、不安、欠乏を感じてしまうのは想定内の事態なのである。実は、それすらも無駄でないのだ。必要だったから、創り出されたのである。

マイナスの感情を人間が持ってしまう事態を、宇宙は理解している。だから、マイナスの感情の克服ができなかった私でも、拳法を始めた頃に夢見たレベルを遥かに超える領域へと、たどり着くことができたのである。言い換えるならば、それらのマイナスの感情を持ったから、今この時、開祖で「在る」のである。

究め、再興させ、伝承する、という、私にとってかけがえのない現実を創造できたのである。だから、あなたも大丈夫。

多くの人間は、動画サイト上にあふれる、引き寄せの法則動画の「マイナスの感情で行動しても夢は叶わない」という定義を信じてしまう。しかし、そんなことはない。偉業を成し遂げた者たちは、みな、マイナスの感情を持ち、戦いながらも、とにかく進んだ。失敗しても、それを、成功の要因だったのだと、やり抜くことで、結果的に証明してみせてくれたのだ。

私も、家を失ってホームレスになっても、大切な人を亡くして打ちひしがれても、練習場所に立ち続けた。練習こそが、もっとも具体的な、拳法を極めるための方法だったからである。恐怖と不安でいっぱいであったが、歩みを止めなかった。

引き寄せの法則論者が断じる、「現実を変えることができない感情」で、心の中がいっぱいであっても、本当に叶えたかったことを、私は実現させたのである。私の道場のサイトを見ていただければ、その成果を分かるはずである。八卦掌では、個人道場の運営サイトで常に1位となっている。確信して日々行動した、当然の結果である。

住む家を失う、という逆境の中でも、練習時間の確保のために、アルバイト時間を増やさなかった。そこまでして続けた練習こそが、目指していた領域へと、私を導いてくれたのだ。練習をしなかったら、ここにはたどり着かなかった。

練習をしたから、ベストタイミングで、インスピレーションがやってきたのだ。引き寄せの法則動画どもは、努力を否定する。インスピレーションによった行動なら認める。何を言ってるんだ。行動が先である。行動もしないものに、インスピレーションはやってこない。

恐怖や不安を感じても、あなたの夢実現は遅れることはない。それは、あなたの最大の味方である。宇宙の一つの形なのである。あなたなのだから、あなたを壊すこともないのだ。だから、無くさなければならないものでもない。持ちつづけることもないが、消すことができなくても、あなたは理想に一直線で進むことができている。大丈夫。だから、克服できなくても、心配無用。克服できないからといって、あきらめないで欲しい。

私が言うのだから間違いない。苦しい時は休んでもいい。破壊的になっても、それは仕方ないこと。自暴自棄にもなるさ。でも、あきらめる必要は全くない。マイナスの感情を克服できなくても、大丈夫。

あなたはきっと、到達できる。不安だらけ、だろうが、私の成果こそが、証拠である。確信してほしい。私のサイトを見て、へたくそなイラストを見て、偉そうな語りを見て、勇気を持つがいい。

ただ続けてさえいればいい。効率的な方法なんて、考えなくてもいい。あなたはすべてを知っている存在である。続けていればこそ、真のインスピレーションが、あなたに訪れる。あなた自身が、これからのあなたを導いてくれるのだから。

転掌八卦門の拳客として生きる時がやってきた

拳客。旅する武術家である。

私はその人生を送ることを、薄々感じていた。なぜなら、私の人生に起こるすべての事象が、その人生を生きる用意しているかのようなおぜん立てをし続けていたからだ。

旅は、どうしてもしたいこと、ではなかった。嫌いではないが、日常が充実していればそれでいいと思っていた。会社員は「宝くじが当たったら会社を辞めて日本一周」とよく言う。しかし宝くじが当たっても、旅にわざわざ出ない。

しかしこれから、日常が旅みたいな生活になる。強制的になる。これも流れだ。

流れは、余りに独自の技術体系を持つ武術を確立しようとしたことから始まった。そして北陸に再度居を移したことから、それは加速した。

愛知の地から石川・富山の地に来て、練習場所をはじめとするすべてのものが流動的になった。毎日違う場所、毎日違う練習。毎日様々な工夫を要求されるタフな環境下に置かれた。拳客として生きる以上、このような流動的で再現性の無い「日常」を送ることは避けられない。

愛知に居た頃は、練習場所も決まっており、何ら邪魔されることもなかった。石川では全く違った。中断は当たり前。過酷な自然環境、練習場所はほぼ砂浜。過酷な環境を乗り越えるタフさは、拳客になってからでは身に付けにくい。ここで強制的に身に付けらされたのは、大きなものの意思と思わざるを得ない。

私の所持するものが年単位でどんどん減っていき、いよいよ、車に収められるだけのものしか、持つことができなくなった。余分なモノを持つ選択肢はない。捨てるしかない。後顧の憂いを絶つことは、一般の生活をしていれば難しい。私のように、衣食住を失うことを控えた人間のみが、手放す勇気もさほど必要ないままに、大きな視点で見て、自由を取り戻すのである。

一番弟子は、拳客として生きる人生に、飛び上がらんばかりに喜んだ。いよいよだね、いよいよだ。そう言って、何度も何度も、喜びを表現していた。一番弟子は明確に、あの町、この街、地方の港で、スケッチをし、釣りをし、警棒を振って指導する私の姿を、イメージしていた。一番弟子の趣味たるスケッチで、未来の自分を示してくれたこともあった。

拳客として生きるために、まだする必要がある事柄も多い。しかし、最大の一歩を踏み出した。この一歩を踏み出すまでが、大きな抵抗を生んでいた。

導いてくれる師がそばに居ない状態で、高校の時からずっと、模索の日々が続いてきた。自分の取り組んでいるものが、あまりに稀有な存在になっていることに気づいてから、「頼るものは自分の直感のみ」と覚悟して進んできた。

その覚悟は、毎日練習場所に立つ鉄の意志を私にもたらし、毎日の練習は、私にベストタイミングでのインスピレーションを与えてきた。

まるで道が用意されているかのように、多くのことが起こった。起こったものの中には、あまりに辛くて受け入れることができないものもあった。練習をやめたいと感じた時、今まで私の人生に関わって大きな影響を与えてくれた存在が、遠く宇宙の果てからなつかしくて泣けるような記憶を呼び出させてくれた。

今、とてもわくわくしている。何を残そうか。これからどこで、ねぐらを確保するか。どんな景色が待っているか?車は、タウンエースくらい欲しいな、ワゴンRは、他の子にあげようか、などと考えている。

 

安易な「引き寄せの法則」提唱者が大嫌いである

私は、youtubeにあふれる「引き寄せの法則」提唱者らが大嫌いである。

自分の考えを表現するのはいいことだ。しかし、この者たちは、人の「願望を実現したい」という気持ちを必要以上に苦しめている。そこが嫌なのである。

この者たちは、「量子物理学」という科学を持ち出して、「あなたが願望を実現できないのは、恐怖や欠乏の潜在意識のままで、願っているから叶わない」と説く。この者たちは言う。どれほど経済的に苦しくても、支払うことが出来ない請求書が来ても、豊かさを感じろ、と。そう思い込めば、直前で思いがけない吉報が来る、と。

何言ってんだ。そんな都合のいい吉報なんて来ない。物理学を持ち出す割には、そこに何らの根拠もない。思い込むことから生じる「波動」が、吉報、予期せぬ収入を招く、と言う。どういう展開にもっていくつもりだ。

そしてその果てに、実現できなかった者からの反論をかわすかのように、実現できなかった原因を、先ほど言ったように「恐怖や欠乏を心の奥底で感じながらなり切ったからだ、宇宙はそれを見抜くので、実現しないのだ」と言う。己の説く理論が実現しないのは、お前の心の奥底が原因だ、と人の責任にするのである。これはもはや、一生懸命の心につばを吐くのも同様の行為である。

私は今まで、自分の使命を信じ切って、毎日毎日、達人として当たり前に、練習をし続けてきた。それは我が子らも同じである。私も彼女らも、達人を志し、かつ達人であるがゆえに、達人として生活をしてきた。

しかし、苦しい時もあった。私も彼女らも。無理だ、やめたい、逃げたい、などと考えるは常であった。雨の日も、風の日も、大雪の時も、毎日当たり前に、練習をしてきた。辛い気持ちに支配される時も当たり前に。

この者たちの理論だと、辛い気持ちで行うのは義務感であり、不足の感情からであるため、叶わない、ということになる。しかし私たちは、当時「達人」だと思っていたレベルを、はるかに超えた。私も子らも、皆である。結局、行動なのである。この者たちは、インスピレーションによる行動ならしてもいい、と説く。何を訳の分からないことを言っているのだ。先にインスピレーションがあるのではない、行動の積み重ねの中に、インスピレーションが起こるのだ。順序が逆である。このエセ覚者らは、一つのことに本当に取り組み続けたことがあるのだろうか?

この者たちがよく取り上げる成功者は、アメリカ競泳界のスーパースター・マイケルフェルペスである。彼はイメージトレーニング・マニュファステーションを用いたことで有名である。しかし彼は、これらだけで栄光を掴んだのではない。高い志から沸き起こる不屈の精神で、日々努力を重ねたから、栄冠を勝ち取ったのだ。前向きな日ばっかりではなかった。辛い経験もしていた。ほぼすべての、栄冠を勝ち取ったアスリートが、先の見えない、成果の出ない、地道な時を重ねている。辛かった、やめたかった、多くのアスリートがそう話す。

この者たちの理論ならば、彼らは栄冠の「引き寄せ」に失敗するだろう。自分はまだ完全でない、だから練習しよう、もっと上を目指したい、だから練習しよう、と考えているからだ。そして、日々の行動は、インスピレーションなど待っていなかっただろう。とにかく毎日、続けたのである。私もそうだった。私の子らもそうだった。とにかく毎日、続けたのである。

「不足の感情・恐怖欠乏の感情を宇宙は察知し、それがゆえに現実世界は変わらない」などと、決めつけるな、と言いたい。ではこの者たちは、何を成したのだ。この者たちの動画は皆、同じ考え、理論の丸写しである。動画の中に流れるイラストは皆、AIで作成した生気のない気持ち悪いものばかりだ。どこをとってみても、自分のオリジナルがないのである。顔も出さない。実績も見せない。

「あなたの内面が変わった瞬間、すべてが変わる」と言いながら、最も難しい、現実があまりに厳しい局面においても「豊かさを感じ続ける」という難問について、明確な方策を示さない。示しもしないで、叶わないで苦しむ真摯で切実な視聴者らに「それはあなたが心の奥底で欠乏を感じていたからだ」といって、ダメだしの追い打ちをかけるのである。

この者らは、何も悟っていない。この者らが成果を上げているのは、「内面を変えるだけで、○○日でお金が入ってきた」などの歌い文句を垂れ流しているからである。

苦しい現状で、先が見えず、何の兆しもなく、どうしようもなくなって追い詰められても、救いの吉報も来ない方に言いたい。それはあなたの責任ではない。あなたは真摯に目的を追っている。行動している。あなたの行動は、誰にも批判できないのだ。ましてやYoutube上のこの者たちに言われる筋合いもないのだ。

私は、引き寄せの法則と呼ばれ、乱発される現在よりはるか昔の、宣言・確信の法則を信じている。それを現代に提唱したのは、ネヴィル・ゴダードである。彼の著作は、愛用して読む。しかし彼の著作は、引き寄せの法則ではない。宣言の法則である。これは旧約聖書のころの確信の法則に通じる。

ネヴィルは、私の好きなモーゼの話を引用する。だから彼の意見には共感できる。

モーゼ自身も、紅海を渡る際、エジプト軍が後方から迫っていても、躊躇したのだ。しかしユダヤの神が「なぜ私を信じないのか」と彼に問うたため、彼は恐怖を感じながらも神のその言葉に身をゆだね信じ、足を踏み入れた。それと同時に、海が割れたのである。

モーゼも、恐怖を感じていたのだ。多くの偉大なアスリートも、ずっと小さい頃から取り組んできた競技をやめたいと思うほど、苦しい気持ちを持ちながら進んできたのだ。私もそうである。多くのかけがえのないものを失った。このエセ覚者どもは、「それも必要なプロセス」などと断じるが、そんな簡単なものではない。それでも前に進んできたのである。

YOUTUBE上のこの、急造覚者どもは、一体どれだけの数が何年後、残っているだろうか。お金をもうけに来ただけである。あなたはこの者たちの言うことに、みじんも責任を感じてはならない。

私たちは、何かを成そうとしている。人の称賛を浴びにくい地道な分野であっても、その道にとどまり、日々時間を積み重ねている。そして世を動かすのは私たちである。このエセ覚者どもではない。あなたのやっていることは、完全にあなたにだけ属するオリジナルである。AIなんて入り込む余地もない。

共に進んでいこう。私も間もなく、四度目のどん底となる。しかし確信しているからあきらめることはあり得ない。ただ進むのみだ。待っている人がいるんだ。世界各地に、そして星のかなたに。いつも見てくれている人たちのために。

転掌(楊家転掌門八卦掌)の技術体系~移動遊撃戦は初級技術

多人数を想定した移動遊撃戦。

とても上級技術であるような感じを受ける。簡単ではない。しかし転掌においては、その先にもっと上級レベルの技術が待っている。

並走スライド変則撤退戦。これが転掌(楊家転掌門八卦掌)の目指すべき最終段階である。

並走スライド。敵の突進に対し、一緒に下がりながら戦うのだろうか。確かにそれも行う。しかしどちらが前に出るか、その時の状況によって変わる。

最初は敵の突進で、我が下がることが多い。しかし我が下がると、たいていの敵は追ってこない。追ってこ来ないという表現は正しくない。追う技術がないから、その場にとどまるのである。まれに追ってくる敵がいる。しかし間もなく、追うことを中断する。追い「続ける」技術がないのである。そして追いかけながら攻撃する技術も無いのである。

だから変則撤退戦では、我が攻勢に転ずる場合がある。攻勢に転じる場合の方が多い、と言ってよい。

転掌は攻撃しないのでは?と思う方もおられるだろう。しかし転掌は、追いかけてくる敵には、倒すための攻撃は(ほとんど)しない。けん制攻撃である。しかし振り向き様に前方にいる敵には、倒す気を込めた一打を放つ。ある意味、逆転の発想である。後ろから来る敵のやり過ごしながら、前敵に我の攻撃を当てる瞬間を待つのである。そしてその「待ち」は、移動遊撃戦の渦中に突然やってくる。突然やって来るのも、想定内なのである。

並走スライド変則撤退戦は、主に対一人の戦い方のため、振り向き様に他の敵がいるわけではない。しかし今まさに攻撃してくる敵は存在するのである。そこで、並走スライドしながら身をひるがえし、新たな侵入角度から、我が突然攻勢に転じる。つまり攻める側に転じるのである。

さきほどまで敵の攻撃を前に移動しながらやり過ごしていた弱い敵が、いきなり旋回行動の渦中から攻撃に転じてくる。追撃戦の最中、自然と無意識に、「目の前で逃げ回っている敵が攻撃してくることなどない」という気持ちになっている。要は、おびき寄せられ、追撃の慣性にどっぷりはまった転身行動のしにくくなった状態の中で、急襲されるのである。

転掌の有利さはここにある。転掌刀術と通常の刀術が組手をすると、斜め候補スライドする転掌刀術側を、通常刀術側が追いかけようして前に出た瞬間、去り斬り攻撃の餌食になるのである。前に出て攻撃を当てようとする通常刀術側には、追撃の慣性がかかっているため、突如飛んでくる去り斬りを避けることができないのだ。相手の手の内を知っている場合であっても、避けるのが難しい。初見の敵であれば、何も考えずに無意識に追撃してしまうのだから、その瞬間ほぼ去り斬りの餌食となる。

並走スライド変則撤退戦も一瞬でケリがつかない。その戦いの中で、敵も警戒してその場に止まることがある。その時こそ、我は間髪を入れず襲い掛かるのである。

水式館筆頭門弟は、刀術の達人である。彼女は、私と組手をしている際、私が脚を止めると、その瞬間、旋回行動の渦中から転身撩刀しながら斬り込んでくる。猛然と迫ってくるため、こちらは防戦する。彼女は私に防御させるため、わざと正面に下方からすくい上げて刀をぶつけてくる。私は防御をせざるを得ない。止まったため、私はその攻撃を移動で避けることができなくなっているからだ。

そして避けた次の瞬間、彼女はぶつけた反動を利用して離れながら、最大限の射程距離でもって、刀を打ち下ろしてくる。並走スライド変則撤退戦は、このような、高度の間合い感覚が必要となる。離れすぎてもいけない。離れ過ぎたら、敵は要人方向に向きを変え、襲い掛かる。近すぎたら、自分が攻撃をくらってしまう。

つまり、敵の攻撃は当たらないが、思い立ったらすぐ、自分の攻撃を当てる間合いに入ることできる距離、を保つ技術が必要だから、並走スライド変則撤退戦護衛術は高度なのである。これは大変難しい。

斜め後方スライドは、常に自在に行うことが出来なければならない。入身法による急速転身が必要となる。敵が我から離れようとした瞬間、即座に内転翻身法によって敵を追い、後方から斬撃をくらわさなければならない。

敵はいつ突出してくるか分からない。突出と離脱に対し、我は「敵の攻撃は当たらないが、自分はすぐに自分の攻撃を当てることできる間合いに入ることができる位置」を維持するのである。

移動遊撃戦であれば、とにかく距離をとればいいである。危なくなったら、距離をとる。移動遊撃戦の練習の中で、翻身旋理の技術磨き、ミクロスライドにつなげるのである。ミクロスライドができるようにならなければ、弊館では掌継人になることはできない。

逆に言うと、私の猛然とした攻撃に対し、ミクロスライドである程度避けることができるようになれば、掌継人として認めていい、と判断するのである。

先を見て欲しい。マクロスライドは苦しい練習となる。しかしその先に、変幻自在の、真の原初八卦掌が待っている。その領域は、敵次第ではなく、自分次第である。なぜなら、移動による間合い創出で防御するのは変わらないからである。近代八卦掌と違い、敵の攻撃射程圏内の中で、「相手の技術・フィジカルを上回る技術(相手との相対性による技術体系)」でもって対抗することをしないからである。

上級技術と言えども、あくまで弱者使用前提(自分次第の技術体系)の上になりたっているのである。私はこの矛盾の無い技術体系を悟った時、転掌創始者と、その技術体系維持を厳命した楊家武術始祖に、深い畏敬の念を感じた。感動したのである。

私の後に続く者たちも、ぜひこの感動を味わってほしい。

転掌護身術・シンプルさの理由~短期習得・独学習得のため

なぜこんなにシンプルなのか。それは、以下の目標達成のため。

  • 護身術を必要に迫られて学ぼうとする者の「迫りくる危機」に間に合わせるため
  • 都市部に出かけなくても、全国各地のすべての場所で今すぐ学び始めることができるため

この2つのを目標を達成し、最終目的たる、「守られるべき者が守られるため」を実現するため、私はずっと、転掌護身術の複雑化を避けてきた。

カスタマイズをしたのではない。転掌成立当時の技法を抽出し、その技法を、ずっと磨いてきた。

楊家転掌門は、楊家伝武術の開祖(名称非公開)が、門伝として転掌の弱者使用前提の技祷体系を厳格に守らせたため、転掌成立当時の技術体系が失われることはなかった。これは本当に貴重なことである。

楊家伝武術の開祖は、弱者使用前提の技術体系の維持と、シンプルさの維持を徹底した。楊家に入って整理されたと思われる主要転掌式は、その技法が、単換掌・双換掌の術理をほとんど逸脱していない。単換掌・双換掌の術理をしっかりと身体にインストールしておけば、主要転掌式は、すんなりと実行できる。

そして特筆すべきは、武器術である。転掌刀・双身槍・遊身大刀・双匕首・連身藤牌と、5種類あるが、皆、単換掌・双換掌の術理をしっかりと体現できるならば、すぐに実行できる。

極めて整合性があり、一貫性に満ち溢れている。一つの大きな柱「弱者使用前提」を道を指し示す羅針盤として、すべての技法が整えられているのだ。

楊家伝武術の開祖は、転掌を八卦掌と名乗り直して指導を展開してたと考えられる。家伝武術だけならば、転掌のまま、教えただろう。当時中国国内で有名になった転掌次世代の八卦掌の名で、門名を構成し直した時点で、公の活動を展開していたことが分かる。

しかし、技法の複雑化はしなかった。多くの門人を集めるためには、複雑華麗な技法の方がアピールしやすい。しかし開祖はそれをしなかった。技法に対する誇りと自信が、ひしひしと感じられる。

この姿勢のおかげで、私は今、場所の制限をうけず、日本全国に転掌の護身の術理を示すことができる。私の掲げた理念を顕現化するためには、金沢周辺の希望者だけに指導しているだけではだめなのである。

北海道でも、沖縄であっても、そこで転掌の護身術を学びたいと思う者がいれば、その門戸を開かなければならない。

全国各地の希望者を対象とするならば、金沢に来ることができない志願者にも、可能性を作りたいのである。書籍による独学のシステムを構築したのは、そのためである。

拳士最大の闇~暗黒面に堕ちないために

映画のような題名である。しかしこの道を真摯に追い求める者にとって、これは切実な問題である。

一日何時間も、人を打つこと、倒すこと、果ては〇すことをイメージして練習していると、それがだんだん、当たり前になってくる。目つきが自然と変わってくる。考え方が、平和から闘争へと変わってくる。

「思考は現実化する」という。ナポレオン・ヒルの著書ではないが、人の思考・考えていることは、同じような思考を招く。闘争の心を持つ者が近寄ってきたりする。

八卦掌の歴代拳士の中には、非業の死を遂げた者がいると、師からきいたことがある。そして、他の門派まで広げるならば、その数は実に多い。非業の死を遂げなくても、越えてはいけない一線を越えてしまった者があまた存在する。

武術をやっていない一般人に、修めた絶手を使用し、その命を奪ってしまう者。それが伝説となっている場合もある。最も非難されるべき所業であるのに。

以前自分に、その者が取り組んでいる武術(確か形意拳、であったと思う)において、日本人大好きの「発勁」を効かせて打った時の破壊力を大きさを、熱っぽく、自慢っぽく語ってきた者がいた。

「そんな威力で打ったら、どうなっちゃうと思う?」との問いに、「死んじゃうよね、そして、その周りの人間は地獄の苦しみを味わうだろうね」と答えるしかなかった。

その者と一緒に、破壊力を喜び合うことができなかった。命を奪うって、そんな生易しいものじゃない。そこから生じるものは、恨み・時が止まってしまうこと。どうしようもない無念。遺された者は、「救えなかった」というどうしようもない後悔。

だからこそ、練習でも、鬼のような形相で練習するのだ。真剣なんだ。絶法(終わらせる法)なのである。真剣な、想いを込めた行為を「重い」と言って、凡人はバカにし、敬遠する。だから凡人なのだ。皆が流されて生きている領域から抜けることをしない。一歩飛び出た世界に踏み込む勇気もないので、真剣な気持ち、一生懸命な気持ちで何かに向き合う人間を「重い」と嘲笑って自分を納得させているのだ。

その者が凡人かは知らない。しかし、そのような重みを感じられなかった。絶法など、ロマンでも何でもない。人の命を奪う、悲しい技法である。多くの悲しみを生み出す、最後の手段である。生み出すものは、襲われた者の「生存」のみ。きわめて得るものの少ない、悲しい法なのである。

楊師より聞いた、八卦掌の著名拳士(名称は伏せる)の最後は、哀れなものだった。己の実力が、自身の正気を奪い、倒しても倒しても飽き足らず、最後には錯乱状態の中、固い木に渾身の体当たり攻撃をして、命を落とす、という内容だった。

悲しい。何も生まない。後世の者たちは、このような逸話を、「道を追い求めるがあまりの達人」としてプラスの伝説にするのだろうか。しかしきっと、この拳士と直接かかわっていた周りの人間たちは、地獄だっただろう。この者の殺められた人間の身内の者や、この者の周りで、この者と関わらざるを得ない人間は、つらかったと思う。

楊師は、伝える人間を厳格に選べ、と私を戒めた。楊家転掌門八卦掌の門伝である。転掌3世であり、転掌門八卦掌である宗師は、単換掌理の安易な改編(真剣な改編はいい)と、安易な伝承を戒め、これを門伝とした。これは楊師も言っていたことだ。グランド・マザーの宗家は、宮女である。宮廷内や中国国内での、安易な命のやり取りの影に見える悲しみを、身をもって知っていたはずである。

もし武術を練習している者で、この記事を「おおげさ」と感じるならば、少し考え直した方がいい。大げさと感じるのは、そこまで切迫感を持って取り組んでいない可能性がある。それは練習が足らない、とかではない。真剣さが足らないのである。転掌は、人の命を奪う技術の週体系である。それは転掌に限らない。形意拳も、太極拳もそうである。

拳法を練習する者は、最強であると自覚する必要はない。しかし、自分の取り組んでいるものが、いざという時、襲撃者の命を危うくさせる可能性があることを、日頃から感じておくことである。それは趣味で楽しく行うものではない、人の命を左右する重たい技術なのである。練習をしている過程の中で、自分の練習しているものが客観的に見てどのような結果を生むかを考え続けるのがよい。

だから私は、技法を人に見られたくないのである。技を盗まれるとか、そんな見当違いなことではない(写真を撮られたことは何度もあるが、面白がって撮っただけ)。人に茶化されたくないのだ。凡人に軽くあしらわれるなど、もってのほかだ。そんな気軽なものじゃない。そんな気軽じゃない覚悟で向き合っている時間を、何も知らない無礼な人間に邪魔されたくないのである。

水式館が梁派八卦掌をおおやけに指導しない理由

なぜ私は、水式館の指導内容から梁振圃伝八卦掌を外したのか。

よく言われるのが、以下のものだ。

指導許可をひっくり返されたから・・・・違う。一度指導の許可を得た者は、例え師の意向による翻意であっても、その許可は取り消されることがあってはならない。水式館では、一回伝承活動を公認した弟子に、その公認を取り消すことはない。

そして、許可を受けた頃より今の方が、圧倒的に近代八卦掌の技術は上がっている。今の方が、指導する資格、とう視点から見るならば、ふさわしい立場にいる。もし私が教えていい、と自分で思ったならば、今すぐにでも指導を再開する。当たり前である。

梁派が強くないから・・・違う。梁派は、多くの名手を生んだ名門である。強くない、真実でない、などということは断じてない。これも、歴代拳士が生み出し、伝え続けてきた、ひとつの「真実」の形なのである。

ではなぜ教えないのか。正式伝承者などという、実戦においてどうでもいいことにこだわる者が多い日本人の中にも、変わり者がいる。習いたがる者はいるだろう。

それは、身を守る技術、そして大切な人を守る技術として教えたいからである。梁派八卦掌は、その技術体系としてふさわしくないと確信しているから教えないのである。整理して言い換えるならば、以下の理由からである。

  • 弱者たる者に、護身術・護衛術として指導したいから。
  • 習得までに時間がかかるから。
  • 習得しても「相手次第」であるため、勝ったり負けたりするので、護身術として最適でないと考えたから。

先ほども触れたが、梁派八卦掌は、多くの高手を生み出した名門であり、その技術が価値がないなんてことは、決してない。

その技術体系に、私は限界を感じたのだ。強者であるならばいい。そして強者になる時間がたっぷりとあるならいい。しかし私は、今そこにある危機に対応することを強いられている、身体柔弱なる者・・・つまり「弱者」に護身術・護衛術を教えたいのだ。

梁派は当然、弱者でも始めることができる。しかしその弱者が強者の暴力から身を守るために、自分自身が強者になる必要があるのだ。自分を襲ってくる者とは、おおかた強者である。自分より体格が大きい。自分より筋力がある。(女性であるならば)男性である。(老人・子供であるならば)身体の動く若者である。

弱者がそのような者たちの、理性のブレーキを失った暴力から我が身を守るためには、何かしらの技術が必要となる。

梁派は、技術によって強者の攻撃をしのぎ、技術によって強者を倒す道を選んだ。敵の眼の前から我が身を完全に逃がす道を採らなかった。最後は「倒す」ための攻撃のために、我が身を敵の前に留めさせるのである。そのために、梁派を志す者は、弱者で在り続けていてはならないのだ。

梁派の修行者は、強者になる必要がある。梁派の指導者レベルになった者として言わせてもらうならば、手元の高度な技術である。螺旋功・浸透勁・発勁などが登場する。これらの、難易度が高く、かつ容易に教えてもらうことができない技法に頼る。それらの技術を、師から学ぶ段階に至るまでにも多くの時間がかかってしまう。

護身術を志す者は、今そこに脅威があるから、志すのである。趣味で志す者は、今そこに在る危機に直面しておらず「時間」があるため、ここでは触れないでおく。護身術を趣味で取り組む者が多いことは、日本ならではの特徴ともいえる。

梁派が成立し、梁派門が発展したころから、目的が大きく変わってきた。他門派との手合わせで、その強さを見せつけることが大きな目的となった。当時の手合わせであれば、命の危険もあったことだろう。しかし強者が弱者を食い物にする、転掌の想定した「実戦」とは違うのである。

同じ体格の者同士・同じ技量程度の者同士が、互いの暗黙の約束のうえで、交流という名の手合わせを行った。公式の試合も、このころから発生し始めた。試合であれば、審判が存在する。試合の形式が確立されていけば、厳格な階級制が生まれ、体格差も問題とならなくなる。

このように「試合」は、命を守るために戦う「実戦」とは全く違うのである。試合・他門派との手合わせで勝つことを至上命題とした近代梁派八卦掌では、護身術として最適でないことは容易にわかる。

護身術の条件は

「相手次第」ではなく「自分次第」の技術体系であること

の一択だと信じている。

なぜなら、勝ったり負けたりしていては、護身術として成り立たないからである。多くの道場が、「勝つ」ことではなく「負けない」ことを目指す護身術といいながら、我が身を最も危険な領域である「敵前」から逃がすことを教えない。「倒す」から「負けない」への目的の変更はいいのだが、目的を変更しただけで止まっている。

では、近代八卦掌で「自分次第」することはできないのだろうか?そんなことはない。近代八卦掌でも「自分次第」を実現できる。それは、近代八卦掌が指導する、敵の力をやり過ごすための高度な技法を完璧に実現することだ。

だから近代八卦掌は、エリートの拳法なのである。一部の、指導者レベルに達するほども者でしか、使いこなすことができない(のだろう)。私は、長いこと練習してきたが、梁派の説く技法のみで「自分次第」へとシフトさせることができなかった。あれだけ練習しても「自分次第」へとシフトさせることができなかった自分は、人を、限られた時間の中で「自分次第」への領域まで導く自信がない。

自身が確立した、楊家の転掌式の八卦掌は、私に続く後進をも「自分次第」へと導くことができる武術である。ただ後ろに下がるだけ、と揶揄されることがある。しかしそのような連中は、「どんなときでも生還する」ための技術体系の中身をしらないのである。

知っていたら、敵とぶつかる体系に「誰でもできる」「力がいらない」などと書かないだろう。

しかし私の門の中から天才が現れ、梁派の技術でも、護身・護衛を高い確率で実現することができる技術体系を確立したならば、それは何の遠慮もなく、教えてくれればいいのである。

確実に達人になる方法~リアルすぎるイメージで動き続ける

いつ何時も、素晴らしい動きをしている。パーフェクトである。当然、自分の動きが、である。

今打った瞬間、敵は全く反応できなかった。我の虚打をかわして安心したようだ、そこに実打が飛んでいく。あっ、と言う顔をした瞬間、敵は全くその場から動いていなかった。

練習していると、誰もが自分の動きを見ている。思わず足を止めてみている人。見ちゃいけないと思いながらも、あまりに自分の動きがすごいから、思わず見てしまう人。私は常にいろんな方向に身体を動かすため、私の身体が見ている人の方向へ向いた瞬間、見ている人は反応できず、私が見てから慌てて、目をそらす。

遅い!視線も動きも、丸分かりだ。見えすぎてしょうがない。

水式館筆頭門弟が、私の動きを見ながら、口を横に広げ、ワクワクしている。私もそうなりたい、私もきっとそうなるって、言いながら、慌てるように剣を手に取り、彼女の最得意の技・背身刀で激しく動き始める。

焦るな、ゆっくりでいい。もうおまえは立派な達人ぞ!

そう励ましながら、私は再び、剣を取る。そして走り回る。自由に動けてしょうがない。自在でしょうがない。物足りない。もっと困難な状況にならないのか?

ぬかるんだグランドでも、旅先の荒れた林道でも、波が激しくて砂がふかふかになった過酷な砂浜でも、いつでもどこでも自在に動くことができる。たとえ身体バランスを崩したり、身体流れで横方向に身体が振られても、すぐさま敵にとって厳しい斬撃を叩き込みことができる。それを防ぐために敵は対処しなければならない。そして対処した後自分に攻撃してくる。

でも、そこにはもう自分はいない。遅い!そんな対応では、私を倒し得る攻撃を当てることはできないぞ。

一番弟子が、自分の動きを独り占めしたいと言う。このすごみは、私だけのものにしたい、と言う。

この技術は、世界に広まっているから、もう特定の誰かのためだけのものではないぞ。あきらめよ。そういうと、一番弟子は憎まれ口をたたいて、再び自分と組手をし始める。

・・・これすべては想い出の話か?いや、自分がずっと昔、達人になったらそうなるだろう、と考えてノートに書いていたリアルなイメージだ。

筆頭門弟や一番弟子との、これらのやり取りは、あっという間に現実となり、これは想像から、「すでに起こったこと」に変わった。

これを紙に書いて「いずれ必然的の起こること」として想像してから、間もなく、これらは現実となった。毎日、どんなことが外界で起こってもイメージし続けたから、その実現化は本当に速かった。

どんなことがあっても。誰にも相手にされなくても。人とのつながりを失っても。家賃を払うお金が無くなって、車中生活になっても。伴侶を亡くしても。どんなことがあっても、イメージをし続けることが当たり前であり、実は知らないうちにそれはイメージではなく現実的な確信となっており、イメージをする、という考えも起こっていなかった。

自分が自分のオリジナルに忠実になり、「達人である」と宣言した瞬間から、君は達人になる、と前に書いたことがある。それはこの経験から言っているのだ。

相手や世間・世界にお伺いをたてない。許可や評価を求めない。ただ当たりまえのことだから宣言すればいい。宣言した瞬間、世界は「君が達人として生きている世界」になったのだから、もう当たり前に生きていけばいいのだ。

歩き方も、話し方も、決断も、人との対応も。世界は変わっていないように見えても、実は変わっている。

大切なこと以外、何も固執しなくてもいい。君が宣言によって世界を変えたように、他人にも宣言や意識によって、他人自身の世界を変えることができるのだから、君に関わらないことは、勝手にさせておけばいい。もし君に何か影響を与えるようなことがあるならば、胸を張ってコミュニケーションをとればいいのだ。

家を失ってそれがために、手続上色んな人に何か言われても、人格否定や生き方否定は、言われる理由がない。だからその時は、堂々と言いうのだ。それ、何の関係もない。あなたの意見は必要ない。たったこの時、それは「起こっただけ」なのだから。努力が足らない、とか、もっと人生を真剣に考えろ、とか、皆我慢しているんだ、とか、そんな言葉であふれかえっている。しかしそれらは全部無視でよい。それらは単なる外で起こった現象なのだから、内面の変化を外の現象によって戻す必要などない。

堂々と、熱いままに、達人街道を進めばよいのである。私は家を失った時も、ただ練習がしたかったから、フルタイムの仕事なんぞ考えもしなかった。練習時間が無くなり、挙句に、流されて生きて会社の愚痴や人のことをとやかく言っているだけの人間どもに、生き方を説かれるのがオチである。冗談ではない。

話を戻す。君がとんでもない達人として生きていきたいと思ったのなら、それに従って、その瞬間、「私は偉大なマスターである」と宣言すればいい。

許可を求めるな。お伺いを立てるな。ただ宣言すればいい。デクレーションである。宣言した瞬間から、君は達人となったのだから、信じるとかではなく、太陽が東から昇って西に沈むのが当たり前のように、当たり前の事実に沿って「在り」続けていけばいい。外界のことは、間もなく、君の宣言した真実に、慌てて追いつくのだから。

たとえどんなことがあっても、そのままでいい。私のように、人間にとって最大のストレス・悲しみとなる、伴侶の死であってもだ。そこまで確信し抜いて進むと、もはや進むことになんら迷いはなくなる。辛くて泣くときも、泣きながらも身体が練習場所に動いている。なぜなら偉大なグランド・マスターだからだ。私は水野義人と生まれ、それは偉大な再興祖となるために宿命として生まれたことを意味し、その心のままに進んでいくのである。

君は君として生まれ、君がこう在りたいと思う時、その瞬間にそう在るように宣言し、宣言の直後からその真実は完了し、そのように在り続けて生きていく。

達人とは皆、そのような人達ばかりである。目が座っている。よく言われることだ。バカにしてきた人間どもも、自分の目を見た瞬間、顔が何かしら変わる。緊張するのだ。そこには揺るぎない決意があるからだ。

達人は、達人であるのだから、自分の存在を外界が否定してきたとき、当然に受け入れない。いちいち手は出さないが、受け入れることはない。目で応戦するだけだ。一瞬で戦いの目となる。だから凡人には、「目が座る」と見える。

君が周りの人間から、雰囲気が違う、歩き方が違う、目が怖い、と言われたら、宣言の具現化が最加速している証だ。人にわざわざ噛みつかなくてもいい。達人として、その場を歩け。それだけで十分である。転掌のマスターであれば、何もする必要がない。心にかってにはえてしまったその刃は、大切な人を守る時だけにとっておけ。