代表・水野からのメッセージ」カテゴリーアーカイブ

弱みを強みに。逆転発想の清朝末式八卦掌~女性の護身具携帯

女性は男性に比べて筋力等で、格闘の際に不利となる。

男性の力づくの攻撃に押し込まれる。護身の場でもそのようにとらえらえれる。そこを強みに変えることで、屈強な男性から生存する活路を見いだす。

女性=弱者=人を襲ったりしない=護身具の携帯に、寛容性が認められる(男性はほぼ認められない)。持つことに、一定の正当性が認められる。

身の危険を感じる事態が発生している女性、もしくは、仕事等で人気の居ない場所を歩くことが常態となっている女性は、護身具を持つことにしっかりとした理由があるのだ。

男性に、その正当性はほぼ認められない。

そこを優位と捉える。常に持ち歩く可能性ある道具と捉え、その使い方を事前に、徹底的に習得しておくのだ。『事前の準備』という最強のアドバンテージをもって、体格差・筋力差をしのぐのである。もっと分かりやすく言えば・・・

社会的に弱い立場=護身具を持つことに正当性が認められやすい=危険が予想される状況で護身具が携帯できる=危険時に持っている可能性の高い道具として、その使い方を事前に練習する目的意識が持て練習に身が入り上達する=有事の際に、練習を積み重ねて得た動きの洗練さというアドバンテージにより、筋力・体格をしのぐ優位さで対応できる

である。

持つべき護身具(持てる可能性のある護身具)を決めたら、その護身具を危険が降りかかることが予想される場合に携帯することを前提に、使いこなすための練習をひたすらに積み重ねるのだ。

護身具でなくてもよい。女性なら、傘を常に持ち歩くことができる。日傘だ。そして、肩が凝りやすいなら、どこでも背中部分まで押すことができる、すりこぎ棒のようなマッサージ棒を持つこともできる。男性は、そんな棒を持っているだけでも、職質の際、疑われたりする。

護身具携帯につなげるプロセスは、男性では難しいことが分かっていただけただろうか。護身具を持つことが基本的に許されないため、あてにできない。あてにできない護身具の練習に目的意識を持つことができないから、練習のモチベーションが上がらず、危機感すらもわかず、大して上達しないのである。

これまで述べたことは、まさに『逆転の発想』なのである。

社会一般的に弱者(暴漢等のターゲットとなりやすい立場)とみられることで、道具の携帯合法性が認められる余地が生じ、そこから携帯可能道具として使い方をマスターしようという意欲が湧き、上達につながる。そしてその上達が、我が身を屈強な暴漢から守るのである。

弱者だから強者の思うがままになる宿命、とあきらめるのではなく、弱者だから認められることに目を向け、そこから生じるメリットを最大限に伸ばし、他方向からの優位さで、強者の暴力に対抗するのである。

八卦掌の後退スライドは、まさにその逆転の発想のたまものなのだ。

強者に真っ向からぶつかっても、技術・筋力・体格差で勝てない=向かってきたら後ろに逃げる=敵は追っかけて攻撃しようとする=敵は追っかけて攻撃することに慣れていない=こちらは事前に後退しながら攻撃する練習をし尽している=強者が、追撃により息が上がり、追跡の慣性で身体を操作できなくなった時に打つ=距離が離れる=離脱する

大まかに言うとこのような感じである。

清朝末式八卦掌が、強者の追撃をかわし、生存を果たすために、ささいだけど重要な要訣(重要ポイント)がたくさん伝わっている。それを学習し、体得していくのが、清朝末式八卦掌の上達の過程なのだ

まず大きな全体像をつかむ。要訣を理解し、要所要所を洗練していく。あっけにとられるくらい単純でシンプルな所作で、瞬間的にあしらう。これは、他の拳法と同じである。

これだけなら八卦掌は、他の武術と変わらない。清末八卦掌が他の武術と大きく異なるのは、弱者であることに徹底的に開き直って必倒を捨て、生存を採ったこと。弱者という弱みを、開き直るいいきっかけにして開き直り、生存主体の体系に変えたこと。

そしてその開き直り、逆転の発想の典型例として挙げられるものの一つが、女性の護身具携帯なのである。

今一度、自分の置かれてる状況を考えて欲しい。あなたの『弱み』は何ですか?その弱みがあるがゆえに、あなたにだけ認められやすいものは何ですか?

「あなたの強みは何ですか?」の言葉は、至る所で聴かれるが、「あなたの弱みは何ですか?」は言われない。

この視点は、人生の各所においても、使ってみたい。もしかしたら、自分が常日頃から苦々しく思っていた「弱み」が、とんでもないアドバンテージを生み出すかもしれないのだ。

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初代へそ曲がり。2代目変わり者。変革者であれ!

変革者であれ!いつの時代も、ある一定の状態が続くと、ことの流れは停滞する。

停滞し、まどろむ流れを打ち砕くのは、いつの時代も、大勢や既存、定番にそぐわないへそ曲がりや変わり者である。

山田玲司氏は、その著書「非属の才能」の中で、大勢がはまる定番を「定置網」と表現した。目の前にある、「みんなやってること」に違和感を感じ、先生や上司からの「こうしなさい」に素直に従うことができないマインドを、「非属の才能」と評した。

であるならば、私は完全に非属である。

そもそも、この著書を読む前から、私は自分が「天才」であると自覚していた。

※天才=最強ではない。その辺、間違えないように。天才は最強である必要などない。最強に価値などない。いずれ取って変わられるもの。既存の群れによる同調圧力に屈しない、我が道を行くマインドこそが天才なのだ。

天才であると自覚する前は、先生や同級生、近所のおじさん、その他いろんな人に「なんで同じようにできないのか!」とイラつきまじりに言われたものだ。小さい頃は当然天才などと自覚してなかったので、自分はダメな子、自分はいけない子、自分はどんくさい子、と思って落ち込んでいた。

クラスの男子には馬鹿にされ、クラスの女子には嫌われ、小学校時代、友達なんてほとんどいなかった。遠足に行っても、誰とも過ごさない。これは友達がいないから仕方なく(実際にいなかったが)、したくもないことを、皆がしてるから参加する、というのが嫌だったので、遠足先の許された行動範囲の一番端っこで、一人ずっと、見知らぬ土地の景色を眺めていた。

小学校のころから、相当の、へそ曲がりだったのである。

小5の時、(おもちゃの)兵隊の絵を描く機会があった。自分は、当時日露戦争の戦術の研究していたため、日露戦争当時の日本陸軍の軍服のデザインで兵隊の絵を描いた。

渾身の出来栄えで、ほめられると思ったが、「これじゃない」「なにこれ」「知ってるからって見せつけか」とさんざんに言われたため、先生の前で怒って破り捨て、また余計に怒られた記憶がある。

見せつけたつもりなど一切ない。自分が知っているもの、自分のなじみのあるもの、自分が描きたいと思ったものを、素直に描いただけだ。自分に素直なのだ。

おもちゃの兵隊といって、皆同じようなものを描いていたが、私にとってはなじみの薄い、描いたこともないイギリス兵のような絵だった。だからなじみある、得意な日本陸軍兵士の軍服で描いたのだ。それが「特異」に映ったのだろう。

その天賦の才は、八卦掌においても、存分に活かされたようだ。八卦掌に価値を見出し、現行八卦掌が、八卦掌の昔の姿と違うことに、始めてから3か月足らずで気づいた。

今佐藤金兵衛先生の「中国拳法 八卦掌」を読んでも、どこにも、対多人数・対強者・弱者使用前提などと書いてない。それでも気づいたのだから、当時から相当天才だったのだろう。全く疑うこともなく、気づいた以後から、昔日スタイルに戻す旅が始まったのである。

私には、弱者使用前提・対多人数にこだわらなければならない理由があったため、ブレることは全くなかった。その目的を実現させるため、目指す職業・選ぶスポーツも定まった。

その理由で選ぶと、選ぶものも、いつも超少数派のものばかり。変人・水野と言われ続けた。本当の理由を言うはずもない。言ったところで「重い」とか言われるだけだったから、黙ってとにかく前進してきた。一番身近にいる家内だけは分かってくれたから、何ら問題もなかった。本当に恵まれていた。

既存のものに従い、進んできたら、きっと今と違った景色を見ていることだろう。皆と同じ景色を見て、流行りものをなんとなく試し、そしてすぐ飽き、また世間が用意したものをとりあえず試し、飽きて・・・と。

こだわったおかげで、この場所にたどり着いた。よく「後悔はない」というが、私は後悔だらけだった。これだけへそ曲がり人生を送っても、素直に手を出すことができなかったこともあったからだ。

「もっともっと、自分に正直になればよかった。」が正直な気持ちである。

私のもとには、多くの?2代目修行者がいる。水式門の八卦掌がまったく評価されない中、私の元に集った、変わり者たちである。

彼女彼らは、自分に正直で、外野の妨害など関係なく、練習場所にやってくる。〇〇先生直伝、などという言葉に流されず、己の判断を信じ、水式門にやってくるのだ。なんたる変わり者だ。だから2代目は「変わり者」なのだ。

しかし、既存に囚われない、己の目のみを信じる姿勢は、これから彼女彼らが取り組むものを、大いなる領域へと導くだろう。他人から習ったものを消化し、自分の価値を付加し、自分の領域へと進むことで、その人の真実が生まれる。まさに『達人』の領域である。

2代目が伝説の達人となるのは、そのためだ。今私の元にいる人間らは、伝説となる素養があるのだ。これからも、私の元にくる変わり者はいるだろう。彼らの会うのが楽しみで仕方ない。

批判したり、笑ったりする人間に接するとき、いつも思う。会ったことも技を見たこともない昔の達人の話のみで自分のやっていることを限定し、少しばかり生徒増やすために、その肩書めいたものを打ち出して枠組みに縛られる。

一度しかない自分の人生なのに、なぜ昔の、過ぎ去った人間のやり方に、自分を縛るのか?君は君だろう?君は君として、その人生を一回しか送ることができないのに。なぜ君の名で、世に名を通さないのか。

「自分のやり方を説いても、それが役に立たないものなら、自然と淘汰される」

そうだろうか?淘汰されてもいいじゃないか。世間が君のやり方を理解できなかっただけのことだ。ほとんどの人間は、定置網に引っかかった、既存の価値観の中でしかモノを選択できない凡人ばかりだ。天才の君が示した真実を理解できる可能性の方が低い。

見てみたまえ。ネットで「バズる」ものの内容を。暇つぶしにしかならない、その時の好奇心をみたすだけのものばかりだ。人に注目される=価値がある、では決してない。

くしゃみが2回だと笑われている・・・よくそんなことを言うが、私はいつもくしゃみが2回出る。そのたびごとに、「ああ、また笑われてるな」と思い嬉しくなる。

既存のものに囚われた凡人らに笑われることは、私の最大の栄誉だ。嬉しくてしょうがない。それだけ、私は独自の世界を進んでいるのだ。現状を打破する可能性のある道を、進んでいるのだ。

三十数年を経て、原初八卦掌の姿をやっと、世に問うことができた。原初八卦の姿を、もう少し鮮明にし、その技術スタイルで役に立ちながら、当スタイルをより進化させる。護身護衛のスタイルを、現代にしっかりマッチさせる作業が待っている。

原初スタイル八卦掌の本を書き、原初スタイルの優れた護身性能を存分に活かした、洗練された独習用護身術を創り(まだ洗練中なのだ)、それを全国有志が学ぶことができるようにして、大いに広める。

※あと・・・警備員らがあまりに運動不足で何も言えない事なかれ主義が多いので、警備員用の護身術も作りたいね。

さあ、ふたたび進むとしよう。いま私の元にいる変わり者(天才)らよ、そしてこれから私の元に来る変わり者らよ、遅れずついてこい。

変革者の旅は、これからもずっとずっと続いていくのだ。

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女性護身術科の失敗~3年間最大の成功は、3年間失敗し続けたこと

2024年1月27日の女性護身術科の開講に向けて、試行錯誤を繰り返し、誰でも真に護身ができるように、試してきた。

しかし応募は一切なく、これを読んだ人間なら、女性護身術科は「失敗」ととらえるだろう。そうだろうか?

多くのものが残った。開講に向けて、女性門弟たる子供らと試行錯誤を重ね、真の女性護身術をまとめ上げた。女性護身術科を開講しなければ、ここまで完成度の高い護身術はできなかったであろう。

まだ改良の余地はある。それは実感する。しかし、現時点でちまたの女性護身術の次元を超えたと自信がある。全く問い合わせがなかったのは、あまりに弊門の女性護身術が、ちまたの女性護身術よりもリアル・実用的で先を行きすぎていて、理解できなかったからだ。

年初からの「失敗(経験値が上がった出来事)」で、顧みる機会があった。八卦掌水式門を本格的に始動させ、サラリーマン武術家でなく、職業武術家として歩み始めてから、間もなく3年が立とうとしている。

人生最大の悲しみを経験した3年前から歩んできて、世間一般の物差しで測るなら、「失敗だらけ」だった。

振り返ってみて、この3年間、上手くいったことって、なんだっけ?とふと思ったので考えてみた。

意外とすぐに頭に浮かんだ。

それは、職業武術家として後戻りできない環境の中で、3年間、失敗し続けたこと。これってすごいことだ。

手放し失った数多くの物、背負った負債、崩した体調、去っていった人間、自ら絶ち切った人間関係・・・持っていたもの・ことを失ったのがあまりにも膨大で、それだけを見たら、私は完全な敗北者となろう

しかし、ここまでしても職業武術家としてこの場にとどまり、誇りと技術を磨き上げ、そのおまけに、納得できる情報発信の場まで、創り上げた。

私が目指していた理想の技術を一層磨き上げ、堂々と自信を持って発信できるまでに至った。

これらは失敗する中で、得たものだ。そして、「失敗」ごときであきらめなかったから得たのだ。「やっぱだめだわ」といって諦めたら、これらの最大副産物を、一つも得ることはなかっただろう。

2年半前くらいに、一度、追い詰められた者として、追い詰められている君へ、メッセージを送ったことがある。見てくれただろうか。あの最高傑作の動画を。

あの時、動画の中で、あきらめない、決してあきらめない、と誓った。それ以後、罵倒をうけたり、笑われたり、見下されたりもした。辛いこともあり、泣いたこともあった。

でも誓い通り、私は今でも、この場に踏みとどまっているぞ。約束は守った。君に宣言した約束は守った。

そしてこれからも、この誓いは変わらない。私の最大の武器は、「鉄の意志」だ。なんたって私は、八卦掌の達人であると同時に、「意志の強さの達人」なのだから。

失敗してもやり続けたおかげで、上手くいかなくても動じないマインドを手に入れた。

追い詰められても、職業武術家として、プロとして、練習だけは全力でやりぬいてきたため、そこから揺るぎないプロ意識がつちかわれた。私が自分の技術を、無料で垂れ流さないのはそのためだ。こび売って安売りしないのはそのためだ。

私の技術を学ぶ際に、常識的設定の水式門の月謝代金すらも出し惜しむ人間がいたが、文句なく去らせたのは、揺るぎない誇りがあったからだ。ケチるくらいなら、さっさとどこか行ってしまえ。

君も失敗しているだろうか?

何度つまずいてもいい。練習した技術を自信にして立ち向かい、倒されてしまうかもしれないが、それも構わない。

やり続けてみることだ。

もし怖いなら、私と一緒に、失敗していこう。私はこれからも挑み続ける。死ぬまできっと挑み続けるから、失敗は避けられまい。私と一緒なら、怖くないだろう?

失敗を乗り越えた先の景色は、辛いことも多いが、心地いいぞ。乗り越えた先でも、失敗や悲しみのマイナス要素はある。しかしそのたびごとに、君の顔つきは変わってくる。私のように。

その境地、そこの景色、その心地よさを、味わってみたくないか?

味わってみたいなら、この瞬間から、水野と一緒に歩き出そう。

恥ずかしい話、私も昨日、お金やら事業の未来やらいなくなった人への寂しさやらで不安になり、一人布団の中で泣いていた。でも立ち上がって、とりあえず何か前に進もうと思い、「遠隔地生科・護身術通信講座科」の解説ページをまとめ、立ち上げた。

この行動が己を上に引き上げるための 最重要行動となるのだ。そしてまた一つ、可能性が生まれた。八卦掌水式門が、全国にその技術を伝えるための、新たな可能性を生んだのだ。

女性護身術科。私が最も経験を積んできた、女性護身術の分野。多くの女性門弟を掌継人に導き、そのうちの一人は、水式門最強の筆頭門弟となった。護身術拳法・清朝末式八卦掌を、愛知の女性は学ぶ絶好に機会であったのに、失ったのだ。なんとももったいないではないか。

悔しさもあるが、やり切った実感はある。一連の女性護身術科最後の仕事だ、本日10時30分、刈谷総合運動公園バス停横芝生啓がに立とう。そこで、職業武術家としての誇りを、再確認しよう。

失敗し、また一つやり切った誇りを積み上げ、また何のためらいもなく次の手段を打ち出し、可能性をつなげる。それを繰り返す水式門の目標が、叶わないはずがない。

きみも、今回の私の「失敗」という名の経験を、参考にしてもらいたい。上掲の動画の気持ちはまったく変わっていない。

あきらめるはずがない。前に進むだけだ。君も、取り返す予定なら、一緒に前に進もうではないか。迷わず、水式門の公開する技術を練習せよ、きっと未来は明るいぞ。

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カラスの猛追を流すタカの姿で悟った「清朝末式」八卦掌

昨年からずっと、肌寒くなりタカが練習場所に来始めると、ビデオカメラをすぐに撮影できる場所において、撮影していた。

撮りたかったのは、タカとカラスの空中戦である。なわばりを侵されたカラスが、タカを追いかけまわす動画である。

何十本と撮り、何度も何度も失敗して、やっと撮ることができた。私が大きな悟り(開き直り)を得た野生のやり取りを、、当ブログを読む方に紹介するためである。

見てもらいたいと思ったのは、清朝末式の八卦掌の戦い方に似ていて、かつ、命を賭けた真剣なやり取り(戦い)として、この両者の戦いこそが最も分かりやすくふさわしいと思ったから。少し小さく、かつ、対象物の動きが速いため見にくいと思うが、是非参考にして欲しい。

※動画には、BGM(ロッシーニ歌劇・ウィリアムテル序曲)があります。

動画中のタカは、身体も大きく、追跡しているカラスと戦っても、フィジカル面が原因の敗北などしないだろう。私が今までこの場所で見てきた幾多の空中戦においても、カラスに体格で劣るケースは少なかった。

このように、追われるケースというのは、タカがカラスの縄張り付近でエサを探して飛び回るから起こるケースが多い。タカは自分がカラスの縄張りに入っていることを認識しているかもしれない。

ここからは想像も加わっての解説となる。その点、ご了承いただきたい。

眼の前のカラスと戦ってもいいが、なわばりにいる他のカラスも戦いに加わってくる可能性もあるため、無駄に争わず、離脱第一で対処していると思われれる。

タカとタカが互いに戦う場合は、どちらかが傷つくまで戦う。しかしここで体格に勝るタカがカラスと敢えて戦わず早々に離脱するのは、そういった理由からであると推測される。

理由はさておき、タカの対敵行動に注目をしてもらいたい。

タカは常にカラスを後ろに置き、追わせている。向かってくるカラスに、正面切って戦ってないことがわかる。敵の力のベクトル方向に向かうようなことは一切していない。力に抗しない戦いを貫いている。

そして、移動向きを変える時に、後方カラスに、一瞬けん制攻撃をしているのもわかる。もしくは、移動の進行方向を変え、カラスをその都度ごと引き離しにかかる。

カラスにあえて背を見せ自分自身を追わせ、追いつかれそうになったら、さっと身をひるがえし、進行方向を変えて、カラスの逆をつくのだ。カラスはタカの一連の対敵行動のため、なんとかタカの身体に触れることができたとしても、致命傷を与えることなどはできない。

追わせ、引きつけ、カラスが速度を上げて追いつく瞬間に向きを変え引き離し、また追わせ・・・を繰り返す。

人間に例えよう。追跡者が速度を上げて追いつこうとすると、その瞬間に動きを高めるため、一気に息が上がる。インターバルトレーニングのようなものである。インターバルトレーニングは、息の上げ下げを意図的に行って心肺に負荷をかけ、心肺機能を高める。

トレーニングでこれを行うならいいのだが、実戦でこれを強いられるとスタミナを著しく奪われる。たとえ怒りや欲望を満たすために猛然と襲い掛かっても、息が上がると、とたんに戦う気持ちが失せてくる。

1分足らずの空中戦の中で、カラスは何度も何度も、急速接近攻撃を試みてはタカにかわされている。明らかにカラスの方が、羽ばたいている回数が多い。これは疲れるだろう。タカはカラスのチェイスのたびに、少し向き変え、流している。

清朝末式八卦掌においては、使用者が弱者であることが前提となっているので、最初から敵と距離を置く。

そのためには、敵がいいがかりをつけてきた瞬間から後方へと小走り状態に移動し始め、勢(いきおい)を身体に付ける。敵の急接近がくるまで待っていない。すでに勢がついている状態なら、敵が言いがかり状態から急接近してきた時、すぐさま日頃連取している後退スライドへと移行することができるのだ。

敵の速度に合わせることはない。サッサと、自分の日頃練習している後退スライド時速度へと引き上げて対応すればいい。まさに『先んずれば即ち人を制し、後るれば則ち人の制せらるる所と為る』(司馬遷「史記」項羽本紀)である。

言いがかりをつけてきた段階から後方へと小走りに移動し始めるため、いきなり敵との間に一定の距離(2~3メートルくらい)がを作り出すことができる。敵は我を倒そうとするならば、いきなり開いたこの間合いを詰め、かつ、移動しながら強力な一撃を入れなければならない。移動して離れていく攻撃対象に、強烈な一撃を加えることは男性でも大変難しい。

移動し始めて推進力が身体に加わっているため、攻撃される側は、敵の急速接近に対し、すばやく後退スライド対応ができる。

動画を見ればわかるが、タカは常に前をむいて逃げている。カラスの方向を向きながら逃げているわけでないのだ。八卦掌走圏でいうならば、前を見て進行方向にまっすぐ進み、敵がチェイスをしてきたら、後退スライドで勢を保ちながらけん制し、向きを変え、再び別方向の前方へと移動しなおす。

対一人戦であれば、この動きを繰り返す。

距離を保ち、チェイスをしてきたらその都度転掌式でかわし、けん制し、向き変えてふたたび移動する。自分の息も上がるが、日頃から息が上がった状態で練習して慣れているため、息があがっても、割と冷静に対応できるのだ。

動画の最後に、タカは急上昇し、悠然とその場から離脱を図っている。動画中では分かりにくいが、カラスが突然追跡を止めたのは、タカが縄張りから離れたからではない。カラスの追跡体力が切れたからである。

カラスの脱落を確認したから、タカは悠然とその場(カラスの縄張り上空)を離脱するために上昇している。ただ「逃げる」のではない。カラスが体力がある時に逃げても、すぐに追いつかれることを知っているのだろう。疲れ果てて脱落させてから逃げるのだ。

私も、何度も後退スライドで繰り返し相手の息を上がらせ、敵の足が鈍り少し距離が離れた瞬間に、一気に離脱する。その瞬間、多くの敵は、あきらめる。この戦法は、タカの戦いの終わらせ方から学んだのである。

宝蔵院の胤栄は、池面に浮かぶ月を見て術理の大きなヒントを得た。少林寺の王朗は、蟷螂が獲物を補足する瞬間を見て、蟷螂拳への道をひらいた。

水野義人は、タカがカラスを移動遊撃戦で翻弄し、翻弄のすえに脱落させた後離脱する戦い方を見て、清朝末期頃の成立当時の八卦掌の姿・術理に気づき、そこからの修行やり直しで、清朝末式八卦掌を確立した。

それを複数人に話したことがある。「であるならば、やってみよう」という話になった(友達とか知人である)。相手には武術未経験者もいたが、剣道の有段者や空手の有段者もいた。体格も私より大きかった。誰一人、私に痛烈な一撃を加えることができなかった。私がすごいのではなく、敵の力に抗しない対敵身法を徹底したからあしらうことができたのだ。

この戦い方は、誰でもできる(※膨大な反復練習は、当然必要である。勘違いしないように)。一人でも練習できる(※術理を会得した指導者の最初の導入は必要)。人の協力はさほど必要ではない。圧倒的なくり返しで身体に染み込ませ、息が上がる状態に慣れ、そのスキルをもって敵を翻弄し、間合いを一層広げた後、命を賭けてキロメートル単位で離脱するのだ。

タカはカラスに対し弱者ではない。そんなタカでも、カラスと敢えて抗しないのだ。これぞ護身術のあるべき姿である。

倒す必要なんてない。倒すことは最終目的ではなかった。身を守るための一つの手段であったはずだ。八卦掌が近代格闘スタイルへと変遷したがため、倒すことが大きな目的となり、「八卦掌の勁力は強い」などというフレーズが言われるようになった。

圧倒的な打撃力を求めるのは、弱者使用前提だった清朝末期頃の八卦掌ではない。護身術として八卦掌を考えるならば、そこをしっかりと頭に入れておく必要があろう。

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2024年が明けて。

年初からとても悲しいことが起こってしまい、その対応に追われていた。

今後もしばらく、自分にできることに集中して動く。大原則、「自分の影響力の範囲内で」を守る。

正直、衝動にかられるが、何の技術もない自分が、勇んで駆けつけるようなことは絶対にしない。今行っても、何もできない。必ず、最大限に、家族のために、役立つことができる「その時」が来る・・・と何度も言い聞かせてきた。

「その時」が来るまで、現在状況を見続け、把握し、計画を立てる。今愛知でも、しっかりとできることがある。1日・2日は、気持ちが落ち込んだが、冷静になって分析することはできた。

家内と二人で歩きソフトクリームを食べた番屋街も、一番弟子・二番弟子らと練習し続けた比美乃江の芝生広場周辺も、大きな被害を受けた。私の心の支えとなって存在し続けてくれた氷見の街と人に想いを馳せながら、動き出す。

年初は、抱負を書こうと思ったが、昨年末の最後のブログでそれは書いた。今日は、書く時間を、1月27日の準備に充てることにする。それが今の私にできる最大のことだ。

八卦掌水式門の2大拠点にして、発祥の地、氷見市。ここまで来させてくれてありがとうございました。

こころからお見舞い申し上げます。今は心から復興を願います。「その時」が来たら、必ず駆けつけます。

八卦陰陽理論は、考えた人間にだけの真実。君の真理に従え!

八卦陰陽理論なんて知らなくても、八卦掌で十分に達人になることができる。確信している。

もっと言えば、たくさん伝わっている八卦掌の理論も、知らなくてもいい。

知ったところで、最初に素晴らしいスタートをきることができるわけでもない。途中で知ったところで、修行が大きく前進するものでもない。行き詰っている時知ったところで、その行き詰まりが解消されるものでもない。

37年の歳月の中で、理論を読み解いて技術が改善した記憶など無い。私の八卦掌の先生は理論を学べと言っていたが、私は同じ助言を、私の後に続く門弟に言うつもりは全くない(学ぶのはまったく自由)。

八卦掌成立時の、清王朝末期頃は、庶民の識字率など極めて低かった。中国王朝時代は、庶民が字を知り、反逆の知識・知恵をつけるのを恐れていたため、庶民に対する字の普及は意図的に避けられた。国体を維持するための国策だったのだ。

つまり、多くの拳法名手を生み出した清王朝末期~中華民国初期頃の修行者は、字など読むことも書くこともできず、ゆえに理論で技術を理解することもできなかった。それでもあれだけの達人らが出たことは、理論の学習が拳法深奥到達に必須でないことを意味するのである。

私は、冒頭に出た「八卦陰陽理論」など、勉強もしてないからほとんど知らない。ただ一つの箇所を除き。

後ろから迫る敵を引きつけ後退スライドして撤退戦をするとき、後ろから迫る敵は深追いをして「前方向に進む」慣性にどっぷりつかった状態となっている。

そこで追撃を狂わされ反撃される事態が生じたら、敵はその事態に対応できない。つまり、追撃という圧倒的有利な「陽」の状態のなかに、追いかける相手の変化に対応できない「陰」の要素が生じるのだ。

昔日スタイルの八卦掌は、その部分で撤退戦を仕掛ける。撤退戦を成功させるために、対敵イメージ走圏をし、ショウ泥歩で歩ごとに居着かない歩き方をし、扣歩→擺歩の後退スライドを練習する。

私が正式門弟となった人間に話す八卦陰陽理論は、その部分だけだ。それ以外を話したことがない。読んだことはある。

敵が入ってくる方向や、それに対する変化などを、八卦の卦にて説明する、極めて難解なものだった。八卦掌の術理に気づき、身体を自在に動かして捕まらない状態と、電撃戦をどこからでも仕掛けられる状態となった後のことだった。

しかし、その理論で我の動きの裏付けをすることなどできないと即座に感じた。

移動遊撃戦は、相手や我のその時の動きによって、その都度変わるもの。到底理論などで、移動遊撃戦の緒戦から終戦までを、説明できるものではない。

私の成長とともに技術を上げてきた女性門弟たちも、その考えになっていった。洗脳したわけではない。彼女らは、私に匹敵するくらい練習する。その中で、十代半ばにして、そのことに気づいたのだ。

「理論で、私の動きを妨げないで欲しい」と、強がりでなく、誇り高く宣言する彼女らに、私は大きな手ごたえと嬉しさを感じた。

理論に触れず、「これは大事だ」と、我の修行の過程の中の気づきだけで判断した「中核部分」で、門弟が強くなる過程を目の当たりにすることができたからだ。

八卦陰陽理論は、それを作った人(八卦掌の技術体系を八卦陰陽理論で裏付けた人)、作った人に直接学ぶ門弟、陰陽理論に触れて心底感動して悟った者とその者に直接習った者のみ、意味がある。

八卦陰陽理論は、自然の法則を人間が頭で考えて、当てはめたもの。であるならば、当てはめた人は、彼の表現としてまとめ上げたのだから、大変意味がある。そして、彼に習う門弟も、八卦陰陽理論を通して八卦掌をとことん理解した彼に習うのだから、意味があるのだ。

残念ながら、八卦掌水式門の水野義人には、この理論はしっくりとこなかった。しっくりこない理論なのに、八卦掌内で権威があるから、有名だから、という理由だけで理論教授や技術指導をされても、水野義人の門弟が分かるはずが無いのだ。そもそも、水野が深い箇所まで、説明しつくすことができないのだから。

私は八卦掌が、(1)創始者が、清王朝の宮廷に入った宦官(身体能力的弱者)であったこと、(2)斜進戦法を特徴とする力のぶつからないスタイルを採っていること、(3)手の動き、創始者の逸話のなかに、刀術のにおいが立ち込めていたこと、(4)師から「八卦掌は多人数専用の武術である」と言われ続けたこと、(5)八卦掌が、おとり作戦で守るべき人を守る悲壮な護衛拳法であること、などから、長い繰り返しのなかで、「単換掌の術理」と「前敵スライド離脱攻撃の術理(順勢掌の術理)」に気づいた。

気づいた時、すべてがつながり、目の前が開け、身体の動きが今までの次元を大きく超えたことを、抑えられないくらいに実感した。あの時の感動と胸の高鳴りは、今でも忘れられないくらいだ(どれくらい泣いたか覚えてないくらい、ずっと泣いていた)。

私にとって、単換掌の術理は、八卦陰陽理論で八卦掌を説明した天才にとっての「八卦陰陽理論」に匹敵するくらい、重大な真理なのである。

だから、この真理は、正式な門弟にしか指導しない。講習会や体験で時折来る、斜に構えて様子をうかがいに来る、八卦掌の「初歩の初歩」すらわかってない人間、デモンストレーションと実戦を区別もできない暇つぶしの動画視聴者になど、教えるはずもないのである(習う気もないからである)。

私はいつも思う。修行をしている者には、他の門派の内情や、他の拳法のデモンストレーションなんかに目もくれず、とにかく習っている門派の中核部分を繰り返して欲しい、と。

繰り返す理由はただ一つ。習っている中核部分を、その修行者の身体を通して、その修行者の理解方法で、理解してもらいたいからだ。

水式門の承継人には、いつも言っている。「君の気づいた理解プロセスに絶対的自信をもち確信し、君の理解の仕方で解釈したものを、八卦掌の術理として伝えよ」と。

修行者から指導者となったその者にとって、気づいた術理は、どんな有名先生の説く理論よりも真実に近い。その瞬間、彼にとっては、彼の理解の仕方で悟った八卦掌理こそが、「真実」なのだ。

彼に習う門弟は、彼が気づいた「真実」をもとにして、また新たな、門弟にとっての「真実」へと進むことができる。これこそが、伝承である。

先生は、自分自身の、膨大なくり返しによって気づいた真理に忠実となり、それをあますところなく伝える義務がある。その義務をしっかりと果たす指導者こそが、「良師」なのである。

誰それ先生に習った、とか、そんな上っ面なものにこだわっているだけの先生は、間違っても良師ではない。

そういう点で私は、梁振蒲伝八卦掌の伝人の道を捨ててでも、我の真理に向き合って指導しているため、「良師」なのである。我の真理に従って進んでいるから、胸を張って指導することができるし、これからも進化していくだろう。

講習会や体験で、一回習っただけで来なくなるような人間はいくらでもいた。きっと期待外れだったのだろうが、それについて、何ら気にもならない。

指導者になる際それを心配する人もいるが、「大丈夫だよ、そうなったからといって、君の真理がつまらないとかではない」と心の底からアドバイスしている。

八卦掌をやるなら、ここまで行こう。人を導く立場になろう。そのために、君の真理まで行こう。そこまで行くと、指導する以外にも、色んなことができる。

仕事で、自信をもってお願いができる。危険かどうかがわかる。野生動物の気配を感じとることができる。その瞬間、トップスピードで、その場から離脱することができる。これらは具体例。もっと素晴らしいことができるかもしれないのだ。

その世界を見てみたいと思わないか?誰それ先生の名でなく、君の名で、自由に堂々と、伝承活動をしてみたいと思わないか?

不安なんて感じる必要はない。私自身、人が来ないだけで、すべてうまくいっている。自分が目指す世界へまっしくぐらだ。

水式門でなくてもいい。君が習いたいものがあるなら、今すぐ動くがいい。人生は短いぞ。動けば、大変なこともあるけど、それがまた、君の「真実」へと、君を連れていく。

習っている最中は、先生の真実に素直になれ。でないと、上達しないし、失礼でもある。なぜなら、君は何もわかってないからだ。しかしひとたび一通り学んでわかってきたら、人の考えたものを崇拝するな。君の真実への、足掛かりとせよ。

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護衛官たちの夏~夜空に輝く花の下、ふたたび

梅雨が明け、いよいよ夏が本番となってきた。各地で、夜空を彩る花火が上がり始める

この時期になると、思い出すことがある。始めて、「護衛官」になった夏のことだ。

岡崎観光花火大会。全国的に有名な一大イベントに、遠隔地からも人がくる。その中で、子どもらを守ることになった。

八卦掌の達人だから人を守るのは任せておいてよ!と言い続けていたあの頃。「そうならば・・・」と、護衛の任務を授かった。

女の子三人の護衛。ずっと随行するのは、あまりに無粋。私は、少し離れた場所からずっと見ていた。

すごい人。会場の熱気と混雑ぶりは想像以上だった。

素晴らしい花火が次から次へと打ち上げられていく中で、大会もいよいよ佳境へと入っていく。

そうなると、がぜん不安となるのが、帰りに一斉混雑だ。始まりは、皆バラバラに来るため、混雑はさほどでもないが、帰りは一斉に、最寄りの岡崎公園駅方面に向かう道に殺到するため、戦場となる。

そのことを心配し、そわそわしている私に、あの人が穏やかに話す。いつものとおり、「大丈夫だよ」と言って。

「とうかいせん?だったっけ?護衛官の拳法なんでしょ、だから・・・式人は護衛官なんだ。大丈夫だよ、大丈夫」

ハッキリと今でも思い出す、花火に浮き上がる穏やかな顔。

護衛の任務を授かり、奮闘する護衛官に対する、高嶺の女性王族からの、いたわりの言葉。きっといにしえより、多くの護衛官が胸と目がしらを熱くしたことだろう。確信する。

なぜなら、私の胸と目頭が、湧き上がるようにと熱くなったことを今でもしっかりと覚えているから。

8月頭、富山氷見で、花火大会がある。あの時の少女らは大きくなり、技術を修め、護衛もいらない。しかし、再び任務を拝命した。

今度は、少女らからの拝命。8月5日、かけがえない存在からのかけがえのない任務を拝命したことを報告して、命にかけて。大げさ?そんなことない。

いつでも応戦できる。いつでも守ることができる。そのようになるように、ずっと準備してきた。

心はいつでも護衛官。お墨付きは、十年以上前にすでに得た。大丈夫。

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ライトセーバーのごとく操作しやすい特殊警棒を選ぶ作業

水式門の筆頭格門下生であり、刀術の達人的弟子に、護身用として特殊警棒をプレゼントすることになった。

もう十数年、私の八卦掌(の刀術)を信じ、いちずに習い続けてくれた子。中国では、師弟関係は親子も同然というが、まさに親子同然。

昔、私の兄弟子から、不要となってもらった無メーカーの特殊警棒(おそらく海外メーカー品)を、女性ゆえの護身用道具としてその子にあげたことがあった。

地方在住で、かつ人通りも少ない場所を夜歩くこともあったため、護身用として、防犯上の懸念がある状況下では、かばんに入れ、大切に使ってくれていた。

譲ったその警棒は、長さも短く、(きっと)安物ゆえ、振り出した後も、頼りなくぐらぐらしていた。これでは、この子自身や、大切な人を守る状況下にあって、命を預けることなどできない。

いくらこの子が八卦刀術をこれほどまで極めていても、道具の性能が追いついてない。これほどまでに技を修め、棒操術も長けているのに、腕に全く釣り合っていない、と感じていた。

この子のように、私にも負けないくらいひたむきに練習しぬいた門弟は、ほとんどいない。私の練習量は、自分で言うのもなんだが相当のものである。しかしこの子は、そんな私にも負けないくらい練習する。

指導中に、皆が雑談をしている時でも、黙々と、基本の斜めスライドを繰り返す。一緒に練習するときでも、とにかく基本を繰り返す。

模造刀やイベント用カンフー用品にもほとんど興味をしめさず、練習するときはホームセンターで販売している棒のみ(彼女の練習量では、木製の中国柳葉刀でもすぐ壊れてしまう)。

あと、他の流派・門派・格闘技の知っても知らなくてもいい知識なんかには目もくれなかった。ひたすら基本を繰り返してくれた。そして気づいたら・・・その刀さばきは、私をも上回るほどになった。

まるで、修行時代の私を見ているようだった。そんな誇りの筆頭門弟に、「そろそろ、新しいものに換えてもいいと思うぞ」と尋ねてみた。

予想通り、「これがあるからまだいい」と言ったので、「それは記念?にとっておき、品質と強度も高いものを」と説得したら、納得して、喜んでくれた。気を遣ってくれていたのだろう。

富山にいるので、最近名古屋にオープンしたばかりの防犯・護身専門店の「ボディーガード名古屋伏見店」にて購入し、門で保有していた数本の特殊警棒を、富山本科に行った際持っていき、試してもらった。

結果、31インチカスタムスチールの、対武器想定・男性使用前提の特殊警棒がいい、ということなった。

上のつば付き警棒が、私が仕事で対野生動物想定につかっている26インチカスタムスチール特殊警棒。下が、この子が選んだ、31インチのつば無しの特殊警棒である。

31インチでカスタムスチール。重量600グラム。まさに男性用。しかしこの子にとっては、何ら問題のない重さだった。案の定、その棒さばきは、初めてこの製品を使うとは思えないほど、立派で恐ろしさすら感じるものだった。

さすが。刀術の技術が圧倒的なので、男性用の警棒であっても、八卦掌の身体操作で、いとも簡単に操り、スポンジ支柱をあらゆる角度から、激しく打ちのめしていた。

これが人間だったらと思うと・・・・ぞっとする勢いだった。これほどまでに実力が上がっていたのか・・と、心から嬉しく思った。

夜道での帰宅など、危険な状況が日常生活の中に存在する女性にとって、特殊警棒は、いざという時、我が身と大切は人を守る切り札となる。

ライトで気軽に・・・などと言わず、徹底的にこだわった方がいい。それは護身術と同じである。

こだわる点。それは、値段ではなく、操りやすさ、握りやすさ、そして長さ。グリップの形状だったりする。この中で重要なのは、操りやすさと、長さ。「重さ」については、軽すぎると護身の観点から弱みが出てしまうため、慣れて克服したい要素だ。

この子の戦法は、ジェダイ剣術のごとく、30センチの柄の世界を頻繁に自在に握り替え、間合いをコロコロ変えつつ、身体移動と併せて三次元攻撃をしてくるもの。よってツバが無くて柄の長い、シンプルな形状の特殊警棒であることが、この子にふさわしい警棒となる。

※ジェダイ剣術でも、プロペラのように回転させるのではなく、身法にて身体移動で斬っていく、という箇所がジェダイ剣術っぽい。

数本降った後、「(私の)動きを妨げないのは、これかな」と言って選んだのが、31インチカスタムスチールの柄のない特殊警棒だった。

柄の先端部分を持ち、手をだらんと下げると、ちょうど棒先が地面につくかつかない高さに落ち着く。

この子の構えは、両手を下げ、棒の先端をもって自然に立ちながら背中越しに敵を置く。下方からの撩陰刀にて、敵の動きを止め、すかさず急所に斬りつける(たたきつける)というもの。

よって、31インチ警棒のように、女性にとって少し長いかな?と思うくらいがちょうどいいようだ。

これで少し安心した。きっとこの子は、何かあっても、磨きぬいた技術で、人のため自分のために、素早く対処できるだろう。

この道具は、この子が人を、そして自分を助けるうえでの、サポーター。

よろしく頼む!

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八卦掌・富山本科。再開の時。扈三娘一丈青に感謝。

八卦掌・富山本科。

コロナで県外移動すら「自粛」圧力で制限された状況下でも、ずっとイメージし続けてきたこと。

毎朝、愛知の自宅の近くの堤防で、川のせせらぎの音が聞こえる中で、波の音、ウミネコのなく声、防風林の葉っぱのざわめく音を感じながら、富山本科に向かっていた。

実に2年半。ずっとずっと毎朝愛知の堤防の上から、心の中を通して、氷見の松田江海水浴場に立ち朝焼けの立山連峰を見続けて来たら、ついに、6月18日再開門の朝に松田江で、その姿をハッキリとこの眼でとらえた。

6月という、もっとも立山連峰が見えない時期に、その雄姿ははっきりと私の前に現れた。心が震えた。朝焼けの海岸で、練習する者同士4人「キレイ、キレイ!」と言いながら、はしゃいでいた。

これは奇跡だろうか。いや、ずっとこの2年間「確実に訪れる日常」として確信して、信じて疑わなかったから、当たりまえに来ただけだった。しかし、さすがに朝焼けの立山が姿を見せた時は、泣き合った。

富山本科に来てくれたのは、一人。大切な人たちが眠る富山の地で、教える喜びを実感させてもらった有志に心の中で感謝しつつ、再開門の最高の時を過ごさせてもらった。

時が過ぎ、日が沈み、トワイライトの時が来て、私たち以外誰もいなくなった砂浜で腰を下ろして夕風に身をゆだねる時が来て、再び皆がいた時のことを思いだした。

一区切りがついた。この時を迎えるに向けて、疑いもなく、ただただ前に進んできたけど、今この時だけはゆっくりとしようと思い、他愛もない話をしながら、4人で乾杯をした。

その後、夜の海をもう少し堪能するため、場所移動。氷見の比美江に行き、少なからずまだいる番屋街の観光客を見つつ、横の温泉施設で風呂に入って、今日を終えた。

一つの区切りを走り切った充実感を味わいながら、海風の中再びコーヒーで乾杯。皆酒を飲まないからちょうどいい。これがいい。海に乾杯!

富山本科は、これからどんどん大きくなっていく。なんといっても、八卦掌水式門の北国拠点だから。

間もなく、富山本科女性教室も再開する(教えるのは私だけどね)。

北陸の修了門下生には、再開門を迎えるにあたってとても助けてもらった。今回私が長いコロナの期間、愛知でこの日がくることを信じて疑わないことができたのは、この子の影響が極めておおきい。

本当に感謝する。感謝しかない。きっと君は、君の敬愛する地慧星・扈三娘(こさんじょう)になるよ。いや、もうなってるか。皆で一緒に、一丈の青を、北陸の地に刻んでいこう。

君の雄姿を、女性護身科のシンボルとして使わせていただきます。これからもよろしく。

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ホームぺージの師匠の助言が、私の初心を思い出させた

八卦掌水式門のいじめ護身部のメッセージ集。その誕生のきっかけとなった、コンテンツの師匠のアドバイス。

拳法を少し離れ、パーソナルな部分を打ち出してみるのもいい。そうすると、人格に興味を持った人の中から、拳法への道につながる

最初は、「私みたいな無名の中年の書いた文に、興味を示すのだろうか?」と思わず言ってしまったが、彼の言う通り、私の人格のままに、過去の苦い思い出も含めて、さらけ出した。

そうしたら・・・そこから、真剣に私の記事を読んでくれる人が来始めて。技の解説ページにも、明らかに真剣に学習しているであろう訪問者も増え始めて。

何より、真剣に見てくれる人がいることがうれしくて、以前と比べ物にならないくらい、執筆に気合が入るようになった。ずっとずっと、弱者がいじめに対抗する護身術を伝授することが大きな夢だったので、この現象は、私の心を震え立たせた。原点に返った気分だった。

久しぶりに師匠に逢った際、イラストをプロに頼んでみるのもいい。そのアドバイスを受けて、まずサイトの写真を、プロに頼むことにした。

遊撃八卦双短棒をブレザーで演じる発想は、私のものである。その発想の良しあしはさておき、撮影の細かい設定については、プロのカメラマンに従って正解だったと感じている。

師匠といえど、年齢は私より20歳以上も若い。その若さで、人に技術を教える立場になっており、私に比べあまりに前途洋々な若者である。人にものを教わるのに、年齢も関係ないようだ。

スキルを得るまでには、血のにじむような練習・反復を要する。

残念ながら、最近のネット広告でも、変わらず「手軽に、早く、高収入」というようなものが見受けられる。

しかし人に教える立場、人にプロのサービスを施す立場になるには、昔も今も、万単位の時間が必要なようだ。

私自身、現在の境地に達するまで、3万時間以上を要している。私の場合、移動遊撃戦に達するまで、具体的な技術指導を受けたことがなかったため、模索と検証に時間を要し、多くの時間がかかった。

しかし、私の例は、珍しいことではない。そこが、先生に敬意を払う必要性の根拠となる。多くの「先生」と呼ばれる人は、人に教える立場になるまで、多くのトライとエラーを繰り返し、多くのお金と時間がかかっている。

たまに、プロとして仕事をしている人に、お金を払いたがらない人がいる。多くの場合、サラリーマンである方に多い。私は自営業者であり、自営をするまでに多くの犠牲と時間・費用をかけてきたため、払うお金を惜しむことが考えられないのだ。

今回写真を撮ってもらった時でも、プロのアドバイスは的確であり、仕上りも私が自分で撮ったものとは雲泥の差であった。次元が違うのだ。改めて、プロの道に進んだ方の技術力の高さに頭が下がった。

そしてそれは、私自身も言われることとなった。自信と気迫が出てくるようだ。強がりやはったりを超えた、内からにじみ出る気迫があるから怖い、と複数人に指摘されるようになった。

そのように言われるようになってくると、ドラマが多く発生し始める。人が来はじめ、自信が「躊躇(ちゅうちょ)」を無くし、どんどん次の扉をノックするのだ。

私のコンテンツ師匠は、先ほど言ったように、20代中盤であろう。しかし、先生からは、死線を超えた武術家のようなにおいがするのだ。

小さいことでおどおどしない。自信を感じるのは、持っているスキルを、血のにじむ努力で手にしたのだと思う。こんなふうになりたい

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