私は、警備員として、複数年、勤めていたことは、何度もブログ等で話したことがある。
多くの時間の中で、警備員第4号業務(身辺警護)の警備員教育指導者資格を持ち、業務経験もある方に会ったことがある。しかし、危機が迫った時、護衛すべき人を守ることができ得る警護人に会ったことはほとんどない。
そもそも運動不足である。毎日技術を磨いていないことが一目見てわかる。歩き方を見ていると、がに股であり、身体が居着いている。突然の襲撃に対応できない。
民間企業の警護人は、警察の警護人たるSPとは違う。彼らは危機を想定した訓練を重ね、かつ拳銃と防弾ベスト、護身道具で武装している。いざという時、襲撃者を射殺するなどの職務遂行上の特権を持っている。彼らの強みは、装備と国家権力なのである。
民間の警護人は、警棒を持つことができるのみだ。現行犯逮捕しか認められず、かつ、警棒で打つ箇所も、肩より下、などという無茶な規則に縛られている。多少取り押さえても、相手は抵抗できるならば、構わず押し込んでくる。こちらが警察官でないため、心理的制限が、相手に湧かないからである。
私も複数回「殴るんか?やってみろよ!」たぐいの挑発を受けたことがある。これが警察官ならば、そこまで相手も強気になってこない。この点が大変怖いのだ。民間警備員にとって、いざという時、頼るのは身法のみなのである。
第四号の身辺警護業務ならまだしも、施設警備員に、特殊警棒すら携帯することは認められていない。「肩より下の部分のみ」というくだらない制限すら、適用されない(関係ない)のだ。そもそも持ってはいけないからである。
そのような制限だらけの民間警護人・施設警備員であるからこそ、身体を磨き、技法の完成度を高め、いつでも動くことができる状態を作っておかなければならない。施設警備員の武器は、懐中電灯くらいである。身体移動で勝負するしかないのだ。
そんな危険な目に遭わない?そんなことない。施設警備員は、第4号業務身辺警護人より、はるかに危険な目に遭う確率が高い。もっとも、巡回をしっかりとしているならば、の話であるが。
夜の公園なんかが含まれていれば、そこに集会行為をする若者(ほぼ若者ばかりだった)がやってくる。集団でたむろう彼らに、「施錠するので、移動願います」といって、素直に移動してくれるのは、ほぼ50%程度だ。半分は、言っても動かない。複数回頼むと、恫喝してきたりする。それが怖くて、多くの警備員は、一回言ったら、後は見て見ぬふりをする。それでは意味がない。
施設が山などに面していれば、夜は野生動物が出没する。施設警備員は、暗闇を照らし、異常を察知するのが仕事だ。暗闇を照らせば、そこに潜んでいた野生動物(イノシシ・タヌキ・二ホンジカ・カモシカなど)が突然逃げ出す。逃げるならまだしも、こちらに向かってくることも、まれにある。私は、夜間の公園施設警備で、2年の内に三回も、イノシシの突進と対した。野生動物は、命がけなのだ。命を賭けてこちらに向かってくる。3メートル以上の距離を、わずか2秒たらずで縮めてアタックしてくる。そこらのペラペラしゃべってばかりの少年たちの脅威とは、訳が違う。逃げながら棒で叩いてかわすことしかできない。
警護は、海外(マレーシア)で経験がある。拳法を習っていた先生の屋敷の周りの警護である。先生が出かける時、身体の小さい自分は、後からついて最後の切り札的警護(ロー・プロファイル警護)をした。実戦となったのは、屋敷の警護である。邸宅の周辺をウロウロする野犬などは、日本と違って狂犬病を持っている可能性が極めて高い。現地では、野犬を駆除するのは責務なのである。最大の任務は、野犬の駆除であったと思われる。野犬の駆除は、日本でも経験した。
現地の警護人らは、日本のSPのような、カチッとしたものではなかった。サンダルを履いて警護していた同僚(修行者)もいた。無線なんて持たない。しかし襲撃者に対し、容赦ない反撃をするのだ。当然である、マレーシアは、民間人も、許可を得れば携帯小銃が所持できる(日本も許可制であるが、護身用ではだめで、狩猟用のみ)。手加減をすれば、自分が命を失うからだ。このような切迫感が、日本の警護人にはやはり足らない。そもそも、戦った経験のない警護人が圧倒的に多い。
民間警護人のクライアントで最も多いのが、地方公共団体の長や、大企業の役員らの警護だ。大切な仕事であるが、実戦に至ることはあまりないため、経験不足となるのは仕方ない。
海外では、命の危険が伴うから、試合のように敵に自ら向かって堂々と戦う、という美学がない。とにかく斬られないために後ろに下がりつつ、好機を見て反撃をして、可能ならばその場から離脱をしながら、仲間らと制圧する。これはまさに、転掌の戦い方である。転掌は、身体的に不利な者が、それであっても要人や自分を守るために考えられた武術である。
多くの民間警護人は、日々の練習すらしない。昔いくら柔道〇段、剣道〇段、空手〇段、であったとしても、今動くことが出来なければ、素人も同然である。これらの話は、日頃積み重ねていない者にとっては、耳の痛い話となろう。しかし逆の場合を考えてみて欲しい。毎日の練習を積み重ねていれば、身体はおのずと、自在に動かすことができるようになってくる。
先ほども言ったが、民間の警備員にとって、頼みの綱は、自在に動かすことができる身体なのである。護身グッズ会社では、見た目に強力そうな道具を売って、動画でもデモンストレーションし、大いに盛り上がっているが、動けなければ何を持っても同じである。いくら攻撃能力の高い護身具を持っていようが、敵の突進に対しその場から動くことが出来なければ、道具を使う暇もない。
転掌の技法の良いところは、身体さえ、敵のファーストコンタクトに対し、後方スライドできるならば、後は技法の成熟度にとらわれず、我が身を守ることができるところである。敵の突進に並走しながら、払い打ちをして、持久戦に持ち込み、しぶとく対するのである。当然である。何十年も練習しないと使うことができないものならば、清朝後宮で宦官・宮女らの使う護衛武術として採用されることはない。
ここで真の護衛法を学び、日々日常生活の中で練習してほしい。敵とぶつかる技法だと、勝ったり負けたりするため、いざという時に対する不安が残るものだ。私もそうだった。近代格闘術的八卦掌の指導許可を得たのちも、勝てるかどうか不安があった。だからいまだに、近代格闘術八卦掌たる、梁派伝八卦掌は指導しないのである。
転掌のマスターとなったのちは、自信をもって事態に対処してきた。いざとなっても、相手が屈強でも、負けない自信があったからだ。この自信を身につけると、警備員として、自信をもって集会行為等に対処できる。警護人として、自信をもってクライアントのお供ができる。
八卦掌水式館で、身体柔弱な東洋人でも護衛を果たすことができる東洋人専用護衛術を、基礎から学んでほしい。最初をしっかりとやっておくと、今後の皆さんの人生に役立つだろう。
2024年12月8日、金沢にて、北陸本科の第一回目の指導を開始する。その日、真の中国拳法を、金沢の人間に見せることになるだろう。北陸地方の方はこの機を逃さないで欲しい。