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清朝末式八卦掌=生徒集め用に護身術化してない純な護衛武術

清朝末期成立当時のままの転掌と言われていた頃の八卦掌(以下「清朝末式八卦掌」と呼ぶ)は、単なる護衛武術である。

八卦掌が説明される時、女性向けの護身術と言われたり、最も真伝を得るのが難しい高級内家拳と言われたり、変幻自在の神秘の拳法、などと言われているが、原初スタイルの八卦掌は、単なる護衛武術である。

自分は、近代格闘術化した八卦掌である梁振圃伝八卦掌の指導許可を得たが、ある程度の段階まで上がっても、勝ったり負けたりはあるな、と感じ、不安だった。その不安を払拭するための、神秘的な攻防技法・理論(螺旋をひんぱんに使った変則攻撃・八卦陰陽理論など)も実際に使ってみたが(使っている余裕がないほど力と速さで押し切られ)無理を感じ、実行できないと痛感した。

つまり、近代格闘術八卦掌は、女性向けのものでは到底なかった。武術経験のある屈強な男性向け、もしくは体格・筋力のある若い男性向けの武術である。

映画や演武大会で、女性が優美に流れるように演じ戦う映像を見つづけ、かつ各道場が「女性向け」と明確な理由を明示せずに発信するため、多くの人の中で八卦掌は「女性向け」「女性が使ってこそ」という認識が生まれた。

変則攻撃や斜めに移動して技を発出するも、女性向け、と言われる原因となっている。しかし、これらの攻防技術だけでは、身体的資源不利者に有利さを生み出さない。

身体的資源不利者が変則攻撃や斜めに入る攻防を行うならば、それらは単なる『遠回り』に成り下がる。身体的に不利な者が、遠回りなんてしたら、一層攻撃が当たりにくくなるのは明らかである。

有利者が最短距離で攻撃してくるのに対し、ただでさえ攻撃速度や技術が低い不利者が遠回りなんてしていたら、到達時間も長くなるうえに丸見えとなり、当たらないのどころか「格好の的」となってしまうのだ。これは十数年と練習して倒され続けたがゆえに分かったことである。

今まで、「女性をはじめとする、筋力・体格等身体資源要素で格闘するに不利な者」に向く理由を明確に説明できる指導者がいなかった、のである。

私が女性に向いている、と説明するには、明確な理由があるから、「女性をはじめとする身体的資源不利者に適した」とはっきり言うことができ、女性クラスの門弟も募集することができるのである。

女性をはじめとする身体的資源不利者に八卦掌が向いている理由は以下のとおりである。各自吟味し、実行してほしい。

先制攻撃などしないで、敵が少しでも近づいてきたり、威圧をかけてきたら、ためらうことなく力のぶつからない場所(一番望ましいのは敵のいない場所)へ移動(という名の防御)を開始する。そうすると、勝手に敵は接近してくるため、移動を止めることなく移動の勢いを保って自分の攻撃がまったく当たらないくらい遠い間合いを維持しながら、斜め後方へスライドしつつ攻撃をする(撤退戦)。そのため自分の攻撃は相手に当たらなくなるが、生存第一なので敵の攻撃さえ自分に当たらなければ成功なので問題ない(自分の攻撃が当たる、ということは、敵に近いことを意味し、敵の攻撃が当たりやすい状態でもあるから)。
移動し続けることで敵と接近攻防することがなくなるため、技術・筋力の影響を受けない位置で一定時間敵の攻撃を喰らわないための攻防ができる。そのため、その「一定時間」を長引かせるための練習を、日頃よりすればいい。螺旋功や変則歩法で敵の力をいなすような、複雑で人との練習でしか技術を高めることができない技法に頼る攻防スタイルであると、対人練習が毎日できる恵まれた環境を持つ人間にしか、技術を高めることができないことになる。清朝末式八卦掌は、敵との接触攻防をしない技術体系であるため、一人練習メインでも十分に練度を高め、男性なみに攻防持久力を作り上げることができる。そのため、いざという場面でも、相手から間合いをとり『自分次第』の領域を保つ技術さえ発揮できれば、生存できる可能性をもって戦うことができる。

撤退戦の最も基本的な技が「単換掌」である。移動し続ける際の移動練習が「走圏」である。実行するための練習方法も、明確に示すことができる。

単換掌をはじめとする型をたくさん覚え綺麗に演じることに時間を費やしたり、走圏に神秘的な内功要素を詰め込むことが、実戦において有効でないことがよくわかるはずだ。

理由だけが明確でもいけない。実際に使ってみて、本当に一定時間護身し続けられなければならない。その点は、昔日の実績があるから安心である。

その実績とは?成立当時の八卦掌(転掌)が、宮中内で仕える者が使用する武術として採用された実績である。屈強な武術経験ありの男性しか使うことができないシロモノであれば、採用されることはない。宮中に、屈強な男性(宦官以外の男性)が入ることはできなかったからだ。

※董海川先生は、武術教官・護衛官吏として出世するために、自身の経験してきた武術(戦場刀術)を元に、身体的資源不利者向けの拳法を編成し、アピールした、戦略的野心家であった。

もっと明確に理由を学んでみたい方は、『最低限の時間で仕上げる「清朝末式八卦掌」護身術』の前半にて詳しく説明してある。ぜひ読み、試しに練習し、講習会などへも参加してほしい。

一貫しているのは、弱者使用前提という点。私が護身術として指導するために、30数年時間がかかったのは、護身術として攻防理論が矛盾しない技術体系を持つ武術を見つけることにこだわったことが原因であった。

近代格闘術八卦掌では、矛盾が払しょくできなかった。昔就労生先生に習った、昔日スタイルの清朝末式八卦掌を再現するまで時間がかかったのである。

言い換えるならば、強者使用前提のあまたの武術の一つとなった近代格闘術八卦掌を、護身術としてカスタマイズするのではなく、弱者護身を目的として作られた技術体系を見つけるための模索をしぬいたから、教えるまでに時間がかかったのである。

模索の徹底が、十代初期に習った後方スライドする八卦掌こそが、弱者護身術となりうる武術であると気づかせ、清朝末式八卦掌の成立の道を拓かせたのだ。

ほぼすべての道場では、たまたま自分が習った近代格闘技(例えば空手やキックボクシングなど)を、弱者護身の護身術にカスタマイズして指導している。

もともと強者使用前提の格闘技を、弱者護身にカスタマイズするのである。格闘技と護身術は、全くの別物である。

倒すのが第一義の格闘技と、生存の可能性を生みだすのが第一の護身術。使用者の前提が強者と弱者。いくらか攻撃をもらうことを前提とする試合前提ならではの格闘技と、刃物や強者の強打が一発でも当たると命取りとなる命を賭けた戦いの場が前提の護身術。

その真逆の前提を克服せず、技法を少しカスタマイズしただけであるから、その護身術は身体的資源不利者を救わないのである。そもそも、敵と向き合っている時点で、その技法は、強者使用前提を証明しているようなものである。

まったく別物の格闘術を、護身術へ換えるならば、そもそも根本から換えなければならない。しかしその作業は極めて大変である。自ら新しい拳法自体を、作らなければならないからだ。

※日本国内にも、自ら拳法を創り出し、指導をしている先生らがおられる。これは大変すごいことであり、心から尊敬する。

自ら拳法を創るなど、学生の頃の自分には想像もつかなかった。よって、弱者護身の技術体系をもつ武術を探したのである。

私は本当に運が良かった。一番最初に巡り会った拳法の原型が、弱者護身の技術を取り扱う拳法だったから。厳密に言うと、自ら護身し、一定時間生存することで囮(おとり)となり要人を守る、囮護衛の武術だった。

「自ら護身し、一定時間生存することで囮(おとり)となり」・・この箇所が極めて護身術として役立つ点である。護衛まで念頭に置くなら、電撃奇襲攻撃に関わる技法と、攻防を支える移動遊撃戦持久力に一層の磨きをかける必要がある。

独学で始めた八卦掌は、近代化した後の八卦掌であったが、それが弱者による護衛を実現するためのものであることは、薄々気づいていた。就労生先生に、後方へ下がりながら攻防をする単換掌を教えてもらった時、「やはりさがるのだな」と納得した記憶がある。

時を重ね、多くの八卦掌を見たが、皆、近代格闘術スタイル八卦掌である。

これは、日本だけの傾向かと思った。理論の学習をしようと考え、中国から本を直接取り寄せたが、何十冊にも及ぶ八卦掌の本は、皆、近代格闘術八卦掌であった。

成立当時の董海川先生の教えが盛り込まれていると伝えられる八卦三十六歌訣も、その解説はすべて、近代格闘術八卦掌であることが前提で解説をされていた。

そうならば、以後、私が、成立当時の八卦掌の術理で、三十六歌訣などの理論を解説していくのみである。

八卦掌水式門ホームページ内の、清朝末式八卦掌全伝 では、昔日スタイルの清朝末式八卦掌の術理を解説していく。

弱者護衛の真髄を学びたい方は、清朝末式八卦掌全伝を参考にするといい。

そして、頭で理解したと考えたならば、水式門の門を叩いて欲しい。直接私の指導を受けることで、「龍の絵に瞳を描き魂を入れる」のだ。

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中国・四国方面を制する倉敷。倉敷本科準備旅

水式門の全国戦略は、のっけから苦しい戦いとなっている。しかしそれは、前人未踏の道を進む水式門であるがゆえ。

技術を誠実に公開し、指導動画を貫くため、極力薄着で動画を撮り、膝・足の動きをさらし、真に学びたい者へ動作のヒントを供してきた。

手技ばかりをクローズアップし、流麗華麗に魅せるだけの動画が多い中で、実用にこだわってきた。

そこでの指導内容は原初のままの八卦掌であるが、どの道場も近代格闘術八卦掌ばかりのため、本末転倒で異端状態となってしまった。・・・・これも宿命である。

すべて計画のままに進んでいるため、年末に宣言した通り、倉敷本科始動の準備をし始める。三番弟子の親友でもある、岡山在住四番弟子に、その道しるべを頼んできた。

平日の人の少ない心地よい美観地区

倉敷と言えば、美観地区。いい天気の中、久々の散歩であった。三番弟子と四番弟子は、岡山で会うと、いつも美観地区を好んで訪れる。散歩にいいようである。おいしいソフトクリームをいただく。

私自身、岡山には縁もゆかりもない。指導で何度か足を運び、慣れ親しんだ練習場所すらあるのだが、富山のように、居を構えたことはない。それゆえに、楽しみであった。

四番弟子によると、「倉敷を抑える者は、中国と四国を制す」である。女性であるのに、地政学に興味を持つ、少し変わった弟子である。

確かに、瀬戸大橋によって、車で四国を行き来できるのは大きい。私も何度も、四国高松に指導旅をしたが、その便利さは感動的ですらあった。

富山では、大きな成果を出すことができた。きた人数は、ほんのわずかである。しかしそれでも、志ある者に巡り会ったことが、素晴らしいと思った。

きっと倉敷でも、熱い出会いがあると確信している。

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八卦掌水式門・本部「愛知本科」開催日変更のお知らせ

八卦掌水式門本部「愛知本科」の開催日を変更します。

現在、極めて参加者が少ない状態が続いており、他の機会を創出するためとなります。

なお、当状態がしばらく続く場合は、現在の定期開催から不定期開催に移行します。

【変更前】

・毎週金曜日 18時30分~20時30分

・第2・第4日曜日 10時00分~12時30分・13時45分~16時15分

【変更後】

・第2・第4日曜日直近の金曜日 18時30分~20時30分

・第2・第4日曜日 10時00分~12時30分・13時45分~16時15分・18時30分~20時30分

参加の際は、必ず以下のグーグルカレンダーを参考のこと

八卦掌水式門の「代継門人」と「掌継人」の公認は厳しく行う

中国拳法の世界でよく聞く「拝師弟子(はいしでし)」。

師匠の前で、その門派内で決められた儀式を行って先生を師と仰ぎ、いくらかの誓約を誓い行う。おおよそ、その儀礼を経て、指導許可なり、系譜に○代目として名を連ねる。

近年は、その前近代的?儀礼を好まず、拝師・系譜を渡さないで代目を与えたりする。

私の八卦掌の先生もそのようであった。先生が志す昔日武術家が、形式的拝師制を採ってなかったため、踏襲していた。

水式門では、「何もしない」内弟子化は、採らない。明確に認め、明確に伝承図を渡し、証書にて代継門弟なるを認める。そしていったん認めた以上は、取り消さない。

内弟子となりたがらない人間もいる。その門派に囚われたくないからである。

そのような者に、こちらから代継弟子になってください、などと決して頼みはしない。するはずもない。そもそも、そのようなことは、昔日では考えられなかった。師匠が弟子に、「なってください」などということは考えられないことだ。

強い弟子や、有望な弟子に、こちらからスカウト、などという話を聴くが、私はしない。上から目線ではない。師弟関係だって、ギブアンドテイクなのである。

師匠は、弟子に教える段階において、すでにあまりの多くの時間をかけているのである。練習を毎日行うために膨大な準備をして犠牲を払い練習場所に毎日立ち、情熱を維持するためにあらゆる悩みを抱えても心を保ち、一般サラリーマンが行う無駄遣いもせず、多くのお金を学習にかけている。

指導するにあたっても、法外な金額を吹っ掛けるのではない。月々1万円以内の金額である(弊門本科は、月々5,000円程度である)。常識的な金額である。

その設定金額のうえで、先生が片手間にサラリーマンしながらほどほどにやってきたものを、空いた時間で・・・ではない。長年積み重ねてきた技法を指導するのである。

出し惜しみをし、少しでも安く習おう、あわよくば極力お金を払わずに・・・と考える輩もたくさんいる。お金も問題ではない。たかだか5,000円程度の金額だ。その程度の額ですら、膨大な時間を費やして指導している師匠に払うのを渋り、ケチる人間に、私は指導の情熱を注ぐことはできない。

このように、その拳法について先んじてより多くの時間を費やしているのである。少しばかり技法の飲みこみが早かろうと、ただそれだけをもって先達が初心者に頭を下げるなど、あるはずもないし、あってはならない。その弟子が慢心するだけである。私は決してすることはない。

代継弟子になろうと、八卦掌の修行過程では、まだ入り口に立ったばかりである。これから先、膨大な「自分なりのノウハウ」を積み重ねていく必要ある。この段階では、全体像が分かっていないため、気づきも、その多くは一過性のものである。私もそうであった。

「これこそ真理か!」と初期段階で気づいたことなど、今思えば、途中段階の未完成なものばかりであった。成長の過程でその気づきは必要ではあるのだが、それが八卦掌のすべてを悟らせるもの、ではなかったのである。成長過程における、成長の一段階に過ぎないものである。

代継弟子でもその状態である。まして代継弟子になる前の状態は「初心者」だ。初心段階の人間に、おおよそ3万時間以上を費やした師匠が頭を下げるなど、ありえない。

掌継人は、もっと先の段階である。

掌継人は、弟子に明快に術理を示さなければならない。自分でできるのと、その出来る技術を人に伝える、のでは、また違った段階となる。代継弟子になってから掌継人までの道のりは厳しい。

弊門を修了した掌継人は、皆例外なく、掌継課程で膨大な時間を費やしている。すべからく毎日練習場所に立ちつづけ、悩み、時に泣き、時に苦しさの中で続けることすら苦痛の中でも、とにかく向き合ってきた者ばかりである。

ここまでやるのは、いざという時命を賭ける今すぐ使う技法を、弟子に示す必要があるからである。掌継人は、八卦掌の技法を、後代に伝える立場の人間である。自分だけで修行しているだけの立場ではない。

今すぐ使う技法が、清朝末式八卦掌の特徴である。いますぐ、明日にでも使う技法ゆえ、術理は明快でなければならない。

何年先使用を前提とするならば、あいまいで抽象的な説明でも、今この時点でごまかすことができる。しかし今すぐ使う予定の、清朝末式八卦掌では、それはゆるされない。

今、目の前にいる教えを請いに来た弟子に、明快に術理を示さねばならぬ。その技法は、その弟子が間もなく誰かを守るために使う可能性もある。そのような重大な技法をを伝える作業をしなければならない。

つまり、その責任ある作業を実行できる実力者だけが、掌継人になることができるのだ。

今までの掌継人は、皆それができたから、女性でもなったのだ。それが出来なければ、屈強な男性でも、掌継人になることはない。弊門では、認めることはない。

多くの屈強な男性は、掌継人どころか、代継門弟にすらもならなかった。清朝末式八卦掌の技法に、心を向けきることができなかった。一時でも心を向けきることのできない人間に、先に進むのは難しい。

女性は、力と力がぶつかるスタイルに未練もないため、代継門弟・掌継人ともになりやすい。

八卦掌水式門では、以後も、代継門弟・掌継人にたいする公認は、厳しく行う。でないと、技術伝承において一定のレベルを確保できないからである。

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無料体験ではなく、有料仮入門で技術を学び判断すること

八卦掌水式門では、無料体験制度を設けてない。

無料体験制度を設けると、無断キャンセル者が大量発生するからである。

無料でしか来ないからといって、その中にも将来有望な者が・・・・だから修行の機会を、という意見もあった。

だが、無料体験を設定することによって生じる、圧倒的多数の非常識人間に時間をとられる方のが大問題である。

真面目に修行に取り組む者に力を注ぎたい。課題や超えるべき壁を越えるべく向き合う者に情熱を注ぎたい。

無料でしか来ない。体験もないのかよ、と文句を言う。仮入門期間中に払う5,000円程度の金額を出し惜しみ、極力お金を使わないようにする姿勢を見せつける。この手の人間は、人に何かを教わる姿勢がそもそもない。お金を払うのだから、教えて当然、と考えている。

師弟関係によって脈々と受け継ぐ武術の伝承形態をまったく理解してない。命がかかる殺傷技法である。指導した人間がならず者であれば、教えた先生や、学んだ者の周りの人間、その他関係に無い人を、ならず者の弟子が傷つける可能性がある。

シリアスで人の命に関わる技法の伝承だから、これほどまでに教える人間を選ぶのだ。出し惜しんでいるのではない。誰それ構わず教えることによる弊害に、伝統門指導者は責任もって向き合う必要がある。

水式門では、最低限に護身ができるまでの技法を、サイト上や弊門Youtube動画にて公表し、独学ですら可能なくらいまで公開指導している。流麗華麗な技を、足さばきなどの肝心な部分を見せずに実は道場の宣伝目的で挙げている動画と、一線を画す。

その中で、技法の内容や、私自身の動きの質・身体の体軸レベルなどは事前に分かるはずである。自分の技術レベルはそこでおおよそ推しはかることはできるであろう。

それでも「5,000円の月謝を払う価値があるかわからない」と映るなら、その人にとっては、私の伝える技法は、5,000円の価値すらも無いのである。価値を見いだすことができない者に、修行の継続は難しい。

膨大な時間を、修行に費やしてきた。会社に正規雇用で籍を置き、皆が楽しむことを一通りしながら、そのついでに空いた時間で練習を・・・ではない。仕事も最小限に抑え経営と練習ができる環境を、何年もかけて準備しそして時機到来後実行した。家族をかえりみること以外はその時間のほぼすべてを、八卦掌の修行と水式門の運営・指導に費やしたのである。

八卦掌に向き合った時間は「誰よりも」かは不明である。しかし、自分の中では最大限に、出来る限り、いや、経済的に追い詰められる状況があっても、向き合ってきた。「誰にも負けない」と胸をはって言える。

なんとなく八卦掌がよさそう、とか、始めたばかりで他の武術と天秤にかけ、どちらもつかずでスマートにこなす(本人はそう思っている)愛好家の人間に、出し惜しみをされることは極めて心外である。そのような人間に教える技法は、ここにはない。数千円程度の金額が惜しいなら、無料体験制ある教室に行き、想いを遂げればよい。

水式門では、有料仮入門期間中も、それが八卦掌である以上、使えないシロモノを伝えない。家に持ち帰って真摯に練習すれば、その身を守るための基礎となるものを真剣に指導する。

一度でも弊門を訪問したことがある人間なら、指導内容がシリアスなものばかりなのが分かるはずだ。ブラックボックス化し、よくわからない例えでお茶を濁す指導はしない。具体的な術理と、拳法成立背景の説明により、「八卦掌の目的」から導かれる理由で明快に指導する。

仮入門生にも、真摯に向き合う。本門生と同じように接し、指導する。命を賭けた技法なのである。当然である。

ここまで真剣なのである。時にわが命を守り、時に大切な人を守る護衛護身の技術だから当然である。そのような技法を、無料でライトにポップに指導などしない。

怒鳴ったり、殴ったり・・・そのような指導は、中国拳法界では行われない。許されない。弊門でも決して行わない。しかし、中国拳法界の伝統に従い、不真面目な者にはそれ以後の内容を指導しない。上達しなければ、その先を指導しない。そこは理解してほしい。中国拳法界の厳しいところはしっかりとあるのだ。

日本の道場であれば、不真面目者には先生がその点を指摘し、改善を促してくれる。しかし中国拳法の指導の場では、そんなこと言われない。上達しない者は、いつまでたっても何も教えてもらえない。これは、先生から大目玉を喰らうよりも、はるかに怖いことなのである。

私の八卦掌の先師・馬傳旭先生も、この厳しさがあったと、我が師より何度も聞いたことがある。上達しない者には、いつまでたってもその先を指導しない。わたしだって、何年もたってからは初めて、師に老八掌の単換掌を教えてもらったのだ。

八卦掌水式門における、無料体験制不採用の意味を理解していただけただろうか。

弊門は、職業武術家である私・水野義人が指導する、八卦掌専門の伝統門である。お気軽に、ライトに、楽しく気軽に、と考える愛好家には、不向きな道場である。

しかし、身体能力などがなくとも、真摯に練習するならば、こちらも真摯に指導する。

なぜなら、毎日真摯にコツコツと継続する者こそが、達人になる才能のある者だからである。ちょとばかし飲みこみが良くとも、継続して積み重ねない者は、決して達人になることはない。

八卦掌に向き合い、上達を願う者よ、その熱意と、大切な自分・大切な人を守りたいと願う優しささえあれば、私は大歓迎である。そのような者との出逢いが、とても楽しみである

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八卦掌は「勢」の武術である~勢で護身し、護衛を果たす

八卦掌は勢(せい)の武術である。螺旋や変則攻撃が重要なのではない。

「勢」とは、速さを伴って、高い移動推進力で、進み続けること。また、その勢い。孫子の兵法では、一篇使ってまるまる勢の重要性を説くくらい、古来より中国兵法・軍隊戦術などで重宝されている。

八卦掌という武術の目的は、対多人数・対強者・対武器の圧倒的不利な状況でも、一定時間我が身を守って囮(おとり)となり、守るべき人(清朝王族・王族寵姫)を守る、というもの。そして使用者は、あくまで宦官や女官であることを想定していた。

去勢(きょせい)された男性官吏たる宦官(かんがん)は、身分が低く、ともすれば蔑視の対象であった。古来より中国では、ひげを生やす習慣があった。それは、宦官と間違われたくなかったから、という理由もあった。

支配階級民族からすれば、宦官の命なんぞ、軽いものである。変わりはいくらでもいる。かたや宦官となった者は、後宮内で立身出世をすれば、低い身分から一発逆転をすることすらできる。逆転できないにしても、宮仕えをしている期間中は、食にありつける。

太平天国の争乱期は、庶民を含め多くの命が奪われた動乱の時代。宦官にならず庶民として暮らしていても、いつ何時命を奪われるかわからない時代。

そこで一部の者は、宦官になることも考える。宮中内で、何かしらの形で名誉・肩書を得れば、後の生活も保証される。護衛の渦中で我が身の命が奪われたとしても、大きな栄誉をたまわり、後に残された家族が生活を保証されるかもしれない。

宦官になることは、去勢手術における落命の危険も含め大きなリスクを伴ったけれど、人によっては、メリットもあったのだ。

古来より、王族のために刺客(暗殺者)となる者は、残された家族の生活が保証され、その家族に栄誉を与える約束のうえで、死地に向かった。刺客となれば、ほぼその場で殺される。後の孫子の主君となる闔閭(こうりょ)のために、先代呉王を魚腸剣にて暗殺した専緒(せんしょ)がいい例である。専緒は暗殺に成功したが、その場で呉王の側近に殺害された。

刺客や護衛者の末路は、それが一般的であったのだ。囮護衛などという悲壮な護衛方法は、厳しい身分制社会が生んだ、悲壮なスタイルなのである。

ひょっとしたら創始者の董海川先生は、宮中内にて需要のあるものを生み出し、その先駆者となることで、立身出世をする、という可能性に、価値を見い出し賭けたのかもしれない。

※宦官になった説には諸説ある。碑によれば、連座という記載もある。しかし不明である。

しかし、宦官であったことと、宮中内で認められるため・需要を得るために、自らが以前修めた武術を元に女官・宦官でも使い得る武術を創出した、という説には大いに自信がある。

なぜなら、当時の中国に、ここまで女官や宦官に適した武術など、成立し得ないからである。当時存在していた武術のほぼすべては、屈強な男性向けのもの。

距離をとって護身を図る方法は、以前より戦場における護身の有効な方法であったのだが、攻撃を犠牲にした斜め後方スライド技法で統一するまで生存にこだわっている武術は、他になかった。これは、使用する人間が非力であることが前提だった証である。

宮中内で女官や宦官でも使え、かつ王族を守ることすらできる、宮中内奉仕者向けの護衛武術を創って、それが王族に認められ、宮中内官吏が修めるべき武術として採用されれば、その武術の創始者として武術教官となることができる。これは大きな出世である。

事実、八卦掌は、清朝名門王族たる粛親王府でその実力を認められ、董先生が武術教官となったことを契機に、爆発的に広がっていく。

八卦掌が世に生まれ、そして認められ世に広まっていく。その前提として、『対多人数・対強者・対武器の圧倒的不利な状況でも、一定時間我が身を守って囮(おとり)となり、守るべき人(清朝王族・王族寵姫)を守る』という目的は、根本的なものだったのである。

この目的を果たすための最も大切な要素が『勢』なのである。勢がなかったら、対多人数・対強者・対武器対処ができない武術となり、王宮内護衛武術として採用されない。八卦掌が世に出ないのである。

勢無くして、多人数相手に生き残ることはできない。動かぬ的(まと)となったら、あっという間に取り囲まれる。

勢無くして、屈強な男性の力任せの攻撃に対処できない。とどまっていたら、屈強な男性の、力任せの攻撃をその場で受け続けることになる。

勢無くして、武器による斬撃をかわし続けることはできない。勢がなかったら、敵に距離を詰めらえ、切り刻まれる。鎧も武器も持たない宦官や女官は、手先の技術などで刃物の斬撃をかわし続けることなんぞ、できないのである。

八卦掌には、様々な技法が存在する。そのもっとも代表的なものが、単換掌である。実は単換掌(の術理)とは、勢を保って移動している最中、「敵が側面・斜め後方から攻撃してくる」という「勢を頼みにした攻防が最も危ぶまれる時」に、勢を減退させず敵をやりすごすための、最もシンプルで最も典型、かつ考え抜かれた対処法なのである。

この部分を知らない修行者が、圧倒的に多い。そもそも単換掌の基本型のみをさっさと終わらせ、他の変化型ばかりを練習している。単換掌を洗練させる作業は、大変時間がかかる。動作は簡単だが、練習すればするほど、己の対敵感覚で、うまくいくパターンが見えてくる。私自身、未だに、一日2時間以上も、単換掌の術理に時間を割く。

ゆえに八卦掌水式門では、単換掌と双換掌の修行に、多くの時間を費やす。実は、定式八掌の転掌式も、他の老八掌の技も、単換掌・双換掌の変化型だからである。

そして各種武器術も、単換掌・双換掌の術理を用いて行う。八卦刀術・遊身大刀術・双身槍術・双短棒(双匕首)・連身藤牌術、すべて、単換掌・双換掌にて修めた術理を用いる。

※武器術は、双換掌(もしくは陰陽魚掌)にて学ぶ『敵に一瞬背を向ける(外転翻身)斜め後方スライド』の術理を使用する比率が高い。実は、双換掌の方が武器術理の原型である。徒手技法における原型が単換掌なのである。徒手時は、武器所持時に比べ手返しよく手を出すことができるため、単換掌が成立することとなった。

単換掌の斜め後方スライドは、前に進んでいる最中における横・斜め後方からの敵に、大きな効果を発揮する。この技術習得が最優先である。

しかし対多人数移動遊撃戦時には、前方向に敵も現れる。その弱点を克服するために、前敵に対する対処法が考えられた。

あと、斜め後方スライドばかりで移動し続けていると、複数人の敵は「逃げてるだけ」と勘ぐり、要人に手をだそうとする。複数人の敵に、常に自分に意識を向けさせるために、遊撃戦渦中における要所要所で、電撃奇襲攻撃をして敵に脅威感を与え続ける必要がある。そこで順勢掌の術理たる、前敵スライド回避攻撃の対敵身法を使う。

これは、斜め後方スライドを、前に応用するのだ。

前敵スライド回避攻撃。この順序が大切である。

多くの修行者は、前敵に、攻撃~スライド~回避、となっている。これでは、攻撃を先にしている時点で、敵と力がまともにぶつかり、勢が削がれ、周囲の敵に捕捉される。

攻撃から先に入らない。まず「スライド」なのだ。少しでもスライドしながら入るのだ。そうすることで、勢を保つことができる。勢さえ保っていれば、前敵や後方から迫る敵に捕捉されない。

しつこく言う。あくまで前敵には「スライド~回避~攻撃」なのである。弊門で指導する単招式は、すべてこの順序である。よく見直して欲しい。明日の練習から、もう一度意識しなおして欲しい。先にスライドすることでまず移動による防御をして回避しっつ、そのうえで去り際に手を出す(攻撃)のである。

改めて私の動画を見て欲しい。動かない的を攻撃している、などと的外れな指摘をしている時点で、そいつは少しも昔日の八卦掌をわかっていないとさらしているようなものだ。見ている点がずれている。

ほんのわずかだが、スライドして回避し、そして手を去り際にスッと出す。だから、敵の頸部後方に手が当たるのである。

この術理も、勢を利用した対処法である。順勢掌の術理。前敵スライド回避攻撃の対敵身法である。

八卦掌が勢を重視するのをわかっていただけたであろうか。

この点について、必ず 清朝末式八卦掌全伝 で、詳しく体系的にまとめる。

昔日達人の武勇伝でも比べ物にならないくらい、大切な点だからである。

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どこが悪い?行きたい場所へいつでも自在に行ける技術が。

自分は、『行きたい場所へいつでも自在に行けること』を目指して、練習してきた。

誰よりも練習したかどうかはわからない。しかし自分の出来る範囲を超えて、練習してきた。

生活レベルが最も低いレベルをまたいでも、マイナスになろうとも。

こういうことって、人との比較じゃない。自分次第で完結したい。人との比較ほど意味のないものはない。清朝末式八卦掌は、護身術で『他人次第』ではない。目指すところは『自分次第』の領域だ。

『自分次第』として目指す境地・段階。それは、『自分の行きたい場所へいつでも自在に行けること』ができる段階だ。

技術とか、メンタルとかで相手に勝つとか、ではない。武勇伝を見聞きすると、たいがい、相手をねじ伏せたりする話がおおい。

そうではなく、相手が何を言ってこようと、どのような立場だろうと、どんな技術を持っていようと、その場をやり過ごす技術があり、その場から離脱したり、相手から逃げ続けて長時間時間稼ぎができるなら、それでいいではないかと考えた。

そしてその段階を目指し、焦点を定め、練習してきた。気が楽になったね。敵の攻撃を、成功するかどうかわからない手技で対抗する不安から解放されたから。見た目はカッコよくもない。

逃げてばっかりと、八卦掌の目指す深いところを理解しない人には呆れられるが、そんなものはどうでもいい。心の平安、我が身安全第一、弱者なりの護衛方法を極めたいと思って、まい進してきた。

『自分の行きたい場所へいつでも自在に行けること』ができる段階に至るならば、私はどのような境遇に至ってもいいと考えた。そして、あと少しのところまで近づいてきたとき、息が上がっても動き続けることができるようになった。

息が上がっても、振り切ることができるようになった。そして自分行きたい場所へ、行きたい、行こうと判断した時、行くことができるようになった。行くことすら考えないで、無意識に、パッと目に入った誰も居ない場所へ、言い換えるなら、己の感覚が命じる敵のいない安全な場所へ、行くことができるようになった。

「本当に、野生なんかから・・・倒したのかよ」と言われた時、

「倒してないですよ、逃げてくれただけ。すぐ動ければ、やられないですね、見てみますか」

と堂々と言うことができる

野生との戦いをなめているのではない。野生の前では、人間など逃げるのみだ。野生の前では、武術のスキルなど、ほんのささいな差でしかない。

しかし、武術によって磨いた『自分の行きたい場所へいつでも自在に行ける』スキルは、野生の前でも、瞬間的な回避行動の発動として、威力を発揮する。この部分だけが有効である。

最近上げた動画は、その部分について少し触れた。瞬間的に、大きな力を発し、今居た場から少しでも移動する。これも自分次第である。瞬間的の大きな力で相手を打つ。当たらなかったらどうする?攻撃なんて、ほぼ当たらないもの。であるなら、自分を安全な領域に移動させる方に、発力(発勁)を使った方が確実ではないか。

今回の動画でも一定数のマイナス評価がつく。マイナス評価をする行為ほど、バカげたことはない。自分次第の領域で完結させるための発力に、なんのケチがつけようか。

この領域に至るまでに、どれほどの練習をしているか、どれほど考え抜いたか、どれほど繰り返したか、そんなことを想像もできず、ただ人のしていることにケチをつけるつまらない人間が嫌いである。

自分次第であり続ければ、たとえ誰かが、強大な力で人を倒すことを売りにして威勢が良かろうと、それはそれ、とみることができる。

自分のところに人は集まらないかもしれない。ロマンがないから。でも八卦掌なんて、護衛護身術。見世物ではない。自分を守ることで大切な人を囮(おとり)護衛できるなら、私はそれで必要十分だと確信する。

よって、人を強大な力で打つ練習などしない。手技で真っ向から、華麗に防御して攻撃するコンビネーション練習などしない。斜め後方へ安定して移動しながら、『勢』を保って対処する方法ばかりを練習している。

決して簡単ではない。難しいし、身体軸の安定が求められる。やればやるほど、『翻身旋理・刀裏背走理』の重要性を痛感する

まだ足りない。自分の目指す領域に到達すると、また新たな行きたい場所が見える。このシチュエーションで、より完成度を高めたい、そう思う。この道具を使っても、この術理で何なく実行したい、と思える。そう考えて、刀も、長棒も、双短棒も、連身藤牌も、扱ってきた

私の仮想敵は、野生である。イノシシである。鹿である。カモシカである。とんでもな筋肉とキバ・角で、命がけで立ち向かってくる脅威の敵である(熊は想像もつかない。逃げることすらも想像できない)。

『自分の行きたい場所へいつでも自在に行ける』スキルを磨いて磨いて、その場から回避する。その技術があることで、職責たる「闇を照らす」ことで犯罪を未然に防ぐことができる。野生が怖いからといって、闇を照らさないわけにはいかない。その職責を果たすために、『自分の行きたい場所へいつでも自在に行ける』スキルは欠かすことができないのだ。

その視点で、発勁動画もみて欲しいものだ。自分が身体移動に、瞬間的に大きな力を使う理由を。

これは、自分の動画に定期的にマイナスをつけて満足しているどうしようもない阿保たれに言ってるのではない。清朝末式八卦掌に価値を見いだしている、才能ある未来の仲間に言っている。

ブログ内容は、すべてこれらの天才に向けて発している。彼ら彼女らになら、届く。

八卦掌水式門富山本科イメージ

清朝末式八卦掌恩師・楊先生との思い出

私のサイトに、宦官(かんがん)として宮中に入っていた頃の、董海川先生のイラストが出てくる。

これは、清朝末期成立当時の頃の原初八卦掌(以下「清朝末式八卦掌」と呼ぶ)を私に指導してくださった恩師・楊先生をモデルにしている。

※楊○○先生。下の名称の漢字が不明である。当時私が記したメモ帳は、ほとんどがひらがなだった。技の名称も皆ひらがなのため、八卦掌水式門サイト上で記した技の漢字も、従来とずれている可能性がある。突然教室が無くなったこと、名前公表について先生の許可を当然得てないことから名字での呼称にとどめる。

董先生は、諸国漫遊の中で、異人と出逢い、八卦の術を授かったという。異人とは、平たく言えば、外国人・異民族のことだ。

当時の中国には、様々な民族がいた。そして外国人も。日本人もいたであろうし、インド人、ヨーロッパ人、ロシア人もいた。

漢民族でない誰かに、あのハイブリッドな拳法を習ったことは、一種のロマンである。そして私も、清朝末式八卦掌を、私とって「異人」の、楊先生に習ったのだ。

私が発する伝承証明書に、楊先生の名前は載せない(私の八卦掌のメインの先生の名前は当然記載している)。なぜなら、楊先生に習った期間は4年近くに及ぶが、内弟子となったり、指導許可を得たりしてないからだ。

事情は不明であるが、私が高校生の時、突如先生の道場が無くなり、清朝末式八卦掌の指導を受けることが無くなってしまった。

無くなる一年前近くから、多くの武器術を習うようになった。刀術から始まり、双身槍、遊身大刀、双匕首、果てに、連身藤牌まで。連身藤牌は、先生の演じる虎衣藤牌兵演武がかっこよかったので、なかば積極的に頼み、教えてもらった。

先生が高齢者の方々向けに指導している公民館っぽい施設の近くの広場で、八卦掌を習った。当時から外で習っており、習うのは外であることが、当時から当たり前だった。

今思えば、教えることができなくなるから、愛知から東村山まで習いに来る熱心な少年に、出来る限り伝えてくれたのだろう。

私は大学に行き、ある程度お金を稼ぐようになった(夜間大学だった)ため、機会を見つけては上京し、何度も何度も探した。

しかし結局見つけられず、お会いすることはなかった。大学を卒業し、結婚などを経ても、なお探し続けた。

私の八卦掌のメインの先生は、北京の高名な先生から指導を受け、正規ルートで伝承をする一種のエリートである。中国の体育大学を出て、有名な先生に複数師事している。楊先生のように、片田舎で、父親や祖父から習っただけの無名先生とは大きな違いである。しかし、メインの先生は「八卦掌は多人数戦専用の拳法」と言うなれど、正規に指導許可を得て八卦掌の第6世となっても、対多人数戦の技法を教えてくれることはなかった。

私が信頼されてなかったのか?とも思ったが、その先生の同門の有名先生の指導内容から、そうでないとわかった。

同門の先生は、公のメディアで、「八卦掌は螺旋の拳法」と発言をしており、明らかに多人数戦ではないことが分かったからだ(それは間違っている、とかではない。スタイルの違いだけなのである)。

まさかメディアで、指導しているものと違うことを言うまい(もしそうならば、それはそれでかなり問題である。一部の中国人の先生は、金をとってもへっちゃらで、日本人に違うことを指導するが)。

私が習った梁派は、対一人・対他流試合・強者使用前提の近代格闘術スタイルだったのである。清朝末式八卦掌は、「勢(せい)」の拳法である。目的からして、全く違うのである。目的が違うならば、当然、技術体系も違う。

全く無名の、福建省アモイ近郊の農村出の楊先生の道場は、名目上、太極拳の道場だったけれど、単換掌・双換掌は、斜め後方にスライドをしていたのだ。横に下がるのではない、斜め後方スライドなのである。これは大きな奇跡だったと感じる。

私が八卦掌を独学で練習していることを知るや、特別に、八卦掌を教えてもらった。その頃は、斜め後方スライドなど知るはずもない。

先生に就いて習うのは、楊先生が初めてだったから、八卦掌は、後ろに下がりながら去り打ち・後ろ斬りをする拳法だとなんとなくわかったし、そう思っていた。

※独学当時の佐藤先生の本は、近代スタイルだった。しかしその本からも、後ろに下がるのではないか、と薄々気づいていた。楊先生に習った時「やっぱり下がるのだな」と納得した記憶がある。

楊先生に出逢ったのは、まさに運命だったと思っている。当時は、日本に八卦掌の道場など無く、太極拳のクラスがある程度。

その中で、八卦掌に出逢い、またそれが、斜め後方スライド技法の残る、原初式八卦掌だったからだ。

なぜ楊先生の八卦掌は、近代格闘術化しなかったか?それは、先生が八卦掌を習った経緯にある。楊先生の実家は、先生によると、福建省アモイ近郊の片田舎(失礼)だったから。アモイは大都市だけれど、そこから何日単位で移動するほど、外れていたようだ。
 
八卦掌の本場たる北京や、近郊の黄河流域付近であれば、八卦掌を公に指導する有名先生の道場も多い。

そこで名をあげるには、他流試合で強い必要がある。移動遊撃戦で撤退戦を演じている場合ではないのだ。そして、他流派との交流の中で、近代格闘術化していくのは自然の流れである。

しかし楊家は、福建省の田舎、という孤立した土地柄にある。割と外界(特に八卦掌界)とは隔絶された状態で原初のままのスタイルが残ることになったのだと推測される。

私にとって、弱者護身のスタイルを学び、指導者となることは、目的を達成するための、大きな現実的目標であった。よって先ほど触れたように、楊先生を探し続けたのである。

メインの先生に習った近代八卦掌は、私の子らに教えることはなかった。そういう意味で、彼女らは純粋に昔日スタイル八卦掌家である。子らの修行の完成をも願ったゆえに、探し続けたのだが、叶わなかった。

日本の中国拳法愛好家は、やたらと先生の出自にこだわる。そして練習も大してしないくせに、有名先生に師事していることに異常に固執するのだ。○○先生伝という上っ面の看板だけで実力を判断し、使えもしない技術ばかりを増やしている。

八卦掌の門を開いていると、「○○先生に紹介状を」などというくだらない問い合わせがまれに来る。「○○先生は紹介状なんて条件を掲げてないから、問い合わせて習いに行けばいい」と最初は答えていた。しかし最近は無視している。

有名先生に最初から特別扱いをしてもらいたいのだろう。しかし、特別扱いしてもらう方法はただ一つだ。門に入り、地道な基礎を積み重ね、練習に誠実に向き合う長きの実績で、認めてもらうことだけなのである。私が楊先生にそうやって認めてもらったように。

私が梁派の継承の道を捨て、その記載をサイト上から消した以後は、本当に問い合わせが減り、そして無礼者の問い合わせが増えた。舐めているのだ。

しかし実戦を幾度も経験した者として言うならば、有名先生に師事していることなんかは実戦では何の役にも立たない。暴漢やならず者、輩(やから)らは、有名先生や達人の名前なんて一切知らない。そもそも、「○○先生にならったんだぞ」なんて馬鹿げたことを言う暇もない。鎌倉武士じゃあるまいし。野生動物なら、そもそも言葉も通じない。

楊先生は、そのような日本の愛好家からすれば、何ら価値もない先生であろう。しかし私にとっては、ずっと探したい人であり、追い求めたい先生なのである。

落ち着いたら、アモイの近郊にも行ってみたいと思っているくらいだ。きっとご存命であろう。およそ60代後半くらいであろうか?ぜひお会いし、あの時のように身振り手振りで習ってみたい。

今私は、楊先生から習った楊家伝の技術を整理している。近代梁派とごちゃまぜになっているからだ。楊家連身藤牌の型を公開したのは、その一環である。

楊先生から習った技法は、私の代で責任をもって整理し、公開し、後代に伝えるつもりである。連身藤牌は、すでに子らに伝えたが、その他の技法は、まだまだ伝え足りない。

清朝末式八卦掌全伝」のカテゴリーにて、術理を公開し、修行者の参考に供する。また機会があれば見て欲しい。まだまだ未完成であるのはご容赦してほしい。

八卦掌水式門富山本科イメージ