投稿者「mastery」のアーカイブ

どこが悪い?行きたい場所へいつでも自在に行ける技術が。

自分は、『行きたい場所へいつでも自在に行けること』を目指して、練習してきた。

誰よりも練習したかどうかはわからない。しかし自分の出来る範囲を超えて、練習してきた。

生活レベルが最も低いレベルをまたいでも、マイナスになろうとも。

こういうことって、人との比較じゃない。自分次第で完結したい。人との比較ほど意味のないものはない。清朝末式八卦掌は、護身術で『他人次第』ではない。目指すところは『自分次第』の領域だ。

『自分次第』として目指す境地・段階。それは、『自分の行きたい場所へいつでも自在に行けること』ができる段階だ。

技術とか、メンタルとかで相手に勝つとか、ではない。武勇伝を見聞きすると、たいがい、相手をねじ伏せたりする話がおおい。

そうではなく、相手が何を言ってこようと、どのような立場だろうと、どんな技術を持っていようと、その場をやり過ごす技術があり、その場から離脱したり、相手から逃げ続けて長時間時間稼ぎができるなら、それでいいではないかと考えた。

そしてその段階を目指し、焦点を定め、練習してきた。気が楽になったね。敵の攻撃を、成功するかどうかわからない手技で対抗する不安から解放されたから。見た目はカッコよくもない。

逃げてばっかりと、八卦掌の目指す深いところを理解しない人には呆れられるが、そんなものはどうでもいい。心の平安、我が身安全第一、弱者なりの護衛方法を極めたいと思って、まい進してきた。

『自分の行きたい場所へいつでも自在に行けること』ができる段階に至るならば、私はどのような境遇に至ってもいいと考えた。そして、あと少しのところまで近づいてきたとき、息が上がっても動き続けることができるようになった。

息が上がっても、振り切ることができるようになった。そして自分行きたい場所へ、行きたい、行こうと判断した時、行くことができるようになった。行くことすら考えないで、無意識に、パッと目に入った誰も居ない場所へ、言い換えるなら、己の感覚が命じる敵のいない安全な場所へ、行くことができるようになった。

「本当に、野生なんかから・・・倒したのかよ」と言われた時、

「倒してないですよ、逃げてくれただけ。すぐ動ければ、やられないですね、見てみますか」

と堂々と言うことができる

野生との戦いをなめているのではない。野生の前では、人間など逃げるのみだ。野生の前では、武術のスキルなど、ほんのささいな差でしかない。

しかし、武術によって磨いた『自分の行きたい場所へいつでも自在に行ける』スキルは、野生の前でも、瞬間的な回避行動の発動として、威力を発揮する。この部分だけが有効である。

最近上げた動画は、その部分について少し触れた。瞬間的に、大きな力を発し、今居た場から少しでも移動する。これも自分次第である。瞬間的の大きな力で相手を打つ。当たらなかったらどうする?攻撃なんて、ほぼ当たらないもの。であるなら、自分を安全な領域に移動させる方に、発力(発勁)を使った方が確実ではないか。

今回の動画でも一定数のマイナス評価がつく。マイナス評価をする行為ほど、バカげたことはない。自分次第の領域で完結させるための発力に、なんのケチがつけようか。

この領域に至るまでに、どれほどの練習をしているか、どれほど考え抜いたか、どれほど繰り返したか、そんなことを想像もできず、ただ人のしていることにケチをつけるつまらない人間が嫌いである。

自分次第であり続ければ、たとえ誰かが、強大な力で人を倒すことを売りにして威勢が良かろうと、それはそれ、とみることができる。

自分のところに人は集まらないかもしれない。ロマンがないから。でも八卦掌なんて、護衛護身術。見世物ではない。自分を守ることで大切な人を囮(おとり)護衛できるなら、私はそれで必要十分だと確信する。

よって、人を強大な力で打つ練習などしない。手技で真っ向から、華麗に防御して攻撃するコンビネーション練習などしない。斜め後方へ安定して移動しながら、『勢』を保って対処する方法ばかりを練習している。

決して簡単ではない。難しいし、身体軸の安定が求められる。やればやるほど、『翻身旋理・刀裏背走理』の重要性を痛感する

まだ足りない。自分の目指す領域に到達すると、また新たな行きたい場所が見える。このシチュエーションで、より完成度を高めたい、そう思う。この道具を使っても、この術理で何なく実行したい、と思える。そう考えて、刀も、長棒も、双短棒も、連身藤牌も、扱ってきた

私の仮想敵は、野生である。イノシシである。鹿である。カモシカである。とんでもな筋肉とキバ・角で、命がけで立ち向かってくる脅威の敵である(熊は想像もつかない。逃げることすらも想像できない)。

『自分の行きたい場所へいつでも自在に行ける』スキルを磨いて磨いて、その場から回避する。その技術があることで、職責たる「闇を照らす」ことで犯罪を未然に防ぐことができる。野生が怖いからといって、闇を照らさないわけにはいかない。その職責を果たすために、『自分の行きたい場所へいつでも自在に行ける』スキルは欠かすことができないのだ。

その視点で、発勁動画もみて欲しいものだ。自分が身体移動に、瞬間的に大きな力を使う理由を。

これは、自分の動画に定期的にマイナスをつけて満足しているどうしようもない阿保たれに言ってるのではない。清朝末式八卦掌に価値を見いだしている、才能ある未来の仲間に言っている。

ブログ内容は、すべてこれらの天才に向けて発している。彼ら彼女らになら、届く。

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清朝末式八卦掌恩師・楊先生との思い出

私のサイトに、宦官(かんがん)として宮中に入っていた頃の、董海川先生のイラストが出てくる。

これは、清朝末期成立当時の頃の原初八卦掌(以下「清朝末式八卦掌」と呼ぶ)を私に指導してくださった恩師・楊先生をモデルにしている。

※楊○○先生。下の名称の漢字が不明である。当時私が記したメモ帳は、ほとんどがひらがなだった。技の名称も皆ひらがなのため、八卦掌水式門サイト上で記した技の漢字も、従来とずれている可能性がある。突然教室が無くなったこと、名前公表について先生の許可を当然得てないことから名字での呼称にとどめる。

董先生は、諸国漫遊の中で、異人と出逢い、八卦の術を授かったという。異人とは、平たく言えば、外国人・異民族のことだ。

当時の中国には、様々な民族がいた。そして外国人も。日本人もいたであろうし、インド人、ヨーロッパ人、ロシア人もいた。

漢民族でない誰かに、あのハイブリッドな拳法を習ったことは、一種のロマンである。そして私も、清朝末式八卦掌を、私とって「異人」の、楊先生に習ったのだ。

私が発する伝承証明書に、楊先生の名前は載せない(私の八卦掌のメインの先生の名前は当然記載している)。なぜなら、楊先生に習った期間は4年近くに及ぶが、内弟子となったり、指導許可を得たりしてないからだ。

事情は不明であるが、私が高校生の時、突如先生の道場が無くなり、清朝末式八卦掌の指導を受けることが無くなってしまった。

無くなる一年前近くから、多くの武器術を習うようになった。刀術から始まり、双身槍、遊身大刀、双匕首、果てに、連身藤牌まで。連身藤牌は、先生の演じる虎衣藤牌兵演武がかっこよかったので、なかば積極的に頼み、教えてもらった。

先生が高齢者の方々向けに指導している公民館っぽい施設の近くの広場で、八卦掌を習った。当時から外で習っており、習うのは外であることが、当時から当たり前だった。

今思えば、教えることができなくなるから、愛知から東村山まで習いに来る熱心な少年に、出来る限り伝えてくれたのだろう。

私は大学に行き、ある程度お金を稼ぐようになった(夜間大学だった)ため、機会を見つけては上京し、何度も何度も探した。

しかし結局見つけられず、お会いすることはなかった。大学を卒業し、結婚などを経ても、なお探し続けた。

私の八卦掌のメインの先生は、北京の高名な先生から指導を受け、正規ルートで伝承をする一種のエリートである。中国の体育大学を出て、有名な先生に複数師事している。楊先生のように、片田舎で、父親や祖父から習っただけの無名先生とは大きな違いである。しかし、メインの先生は「八卦掌は多人数戦専用の拳法」と言うなれど、正規に指導許可を得て八卦掌の第6世となっても、対多人数戦の技法を教えてくれることはなかった。

私が信頼されてなかったのか?とも思ったが、その先生の同門の有名先生の指導内容から、そうでないとわかった。

同門の先生は、公のメディアで、「八卦掌は螺旋の拳法」と発言をしており、明らかに多人数戦ではないことが分かったからだ(それは間違っている、とかではない。スタイルの違いだけなのである)。

まさかメディアで、指導しているものと違うことを言うまい(もしそうならば、それはそれでかなり問題である。一部の中国人の先生は、金をとってもへっちゃらで、日本人に違うことを指導するが)。

私が習った梁派は、対一人・対他流試合・強者使用前提の近代格闘術スタイルだったのである。清朝末式八卦掌は、「勢(せい)」の拳法である。目的からして、全く違うのである。目的が違うならば、当然、技術体系も違う。

全く無名の、福建省アモイ近郊の農村出の楊先生の道場は、名目上、太極拳の道場だったけれど、単換掌・双換掌は、斜め後方にスライドをしていたのだ。横に下がるのではない、斜め後方スライドなのである。これは大きな奇跡だったと感じる。

私が八卦掌を独学で練習していることを知るや、特別に、八卦掌を教えてもらった。その頃は、斜め後方スライドなど知るはずもない。

先生に就いて習うのは、楊先生が初めてだったから、八卦掌は、後ろに下がりながら去り打ち・後ろ斬りをする拳法だとなんとなくわかったし、そう思っていた。

※独学当時の佐藤先生の本は、近代スタイルだった。しかしその本からも、後ろに下がるのではないか、と薄々気づいていた。楊先生に習った時「やっぱり下がるのだな」と納得した記憶がある。

楊先生に出逢ったのは、まさに運命だったと思っている。当時は、日本に八卦掌の道場など無く、太極拳のクラスがある程度。

その中で、八卦掌に出逢い、またそれが、斜め後方スライド技法の残る、原初式八卦掌だったからだ。

なぜ楊先生の八卦掌は、近代格闘術化しなかったか?それは、先生が八卦掌を習った経緯にある。楊先生の実家は、先生によると、福建省アモイ近郊の片田舎(失礼)だったから。アモイは大都市だけれど、そこから何日単位で移動するほど、外れていたようだ。
 
八卦掌の本場たる北京や、近郊の黄河流域付近であれば、八卦掌を公に指導する有名先生の道場も多い。

そこで名をあげるには、他流試合で強い必要がある。移動遊撃戦で撤退戦を演じている場合ではないのだ。そして、他流派との交流の中で、近代格闘術化していくのは自然の流れである。

しかし楊家は、福建省の田舎、という孤立した土地柄にある。割と外界(特に八卦掌界)とは隔絶された状態で原初のままのスタイルが残ることになったのだと推測される。

私にとって、弱者護身のスタイルを学び、指導者となることは、目的を達成するための、大きな現実的目標であった。よって先ほど触れたように、楊先生を探し続けたのである。

メインの先生に習った近代八卦掌は、私の子らに教えることはなかった。そういう意味で、彼女らは純粋に昔日スタイル八卦掌家である。子らの修行の完成をも願ったゆえに、探し続けたのだが、叶わなかった。

日本の中国拳法愛好家は、やたらと先生の出自にこだわる。そして練習も大してしないくせに、有名先生に師事していることに異常に固執するのだ。○○先生伝という上っ面の看板だけで実力を判断し、使えもしない技術ばかりを増やしている。

八卦掌の門を開いていると、「○○先生に紹介状を」などというくだらない問い合わせがまれに来る。「○○先生は紹介状なんて条件を掲げてないから、問い合わせて習いに行けばいい」と最初は答えていた。しかし最近は無視している。

有名先生に最初から特別扱いをしてもらいたいのだろう。しかし、特別扱いしてもらう方法はただ一つだ。門に入り、地道な基礎を積み重ね、練習に誠実に向き合う長きの実績で、認めてもらうことだけなのである。私が楊先生にそうやって認めてもらったように。

私が梁派の継承の道を捨て、その記載をサイト上から消した以後は、本当に問い合わせが減り、そして無礼者の問い合わせが増えた。舐めているのだ。

しかし実戦を幾度も経験した者として言うならば、有名先生に師事していることなんかは実戦では何の役にも立たない。暴漢やならず者、輩(やから)らは、有名先生や達人の名前なんて一切知らない。そもそも、「○○先生にならったんだぞ」なんて馬鹿げたことを言う暇もない。鎌倉武士じゃあるまいし。野生動物なら、そもそも言葉も通じない。

楊先生は、そのような日本の愛好家からすれば、何ら価値もない先生であろう。しかし私にとっては、ずっと探したい人であり、追い求めたい先生なのである。

落ち着いたら、アモイの近郊にも行ってみたいと思っているくらいだ。きっとご存命であろう。およそ60代後半くらいであろうか?ぜひお会いし、あの時のように身振り手振りで習ってみたい。

今私は、楊先生から習った楊家伝の技術を整理している。近代梁派とごちゃまぜになっているからだ。楊家連身藤牌の型を公開したのは、その一環である。

楊先生から習った技法は、私の代で責任をもって整理し、公開し、後代に伝えるつもりである。連身藤牌は、すでに子らに伝えたが、その他の技法は、まだまだ伝え足りない。

清朝末式八卦掌全伝」のカテゴリーにて、術理を公開し、修行者の参考に供する。また機会があれば見て欲しい。まだまだ未完成であるのはご容赦してほしい。

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「息抜きだって強くなるために必要よ」の言葉を胸に

強くなるために、前に進む。とても大事なことは、ひたむきな姿勢。

しかし、やりすぎは時としてゼロにしかねない。燃え尽き症候群というのがいい例である。

燃え尽きなくとも、身体が悲鳴を上げることがある。十代だから、まだ無理もきくだろうが、君には、他にすることもあるだろう。取り返すために進むことで、今だからこそ味わうことができることを、犠牲にしなくてもいい。

私は、実感でこのことを言える。私自身、手を抜くことはなく、「強くなる」と言い聞かせ、ひたすらに進んできた。

途中から、「強くなるため」が、「どんなことがあっても立ち続けてやる」に変わった。目的が変わっても、ひたすら練習をし続けてきたのは変わらなかった。

練習は、ほぼ休むことが無かった。堂々と言えるくらい、ずっと練習し続けてきた。強迫観念に縛られているのもある。「オンオフをうまくわけなきゃ」とか、「休息も必要」と一番言う資格のない自分かもしれない。

清朝末式八卦掌を極めたら、二人であらかじめ決めていた全国拠点で目的を達成しながら周るつもりだった。生徒を集め、人を育て、門を大きくし、日本各地で誰もが、弱者生存第一の護衛武術を学ぶことができる環境を作ろう、そう約束していた。

私にとっては、同級生、あの人にとっては妹との約束である。たがいに真剣だった。互いにもう、若くないため、身体の動くうちにと思い、ひたすらに練習をし続けてきたのだが、私の技術向上が遅く、間に合わなかった。

あの人を失ってから、「ひたすら」の練習がエスカレートし、何度も身体各所を壊した。よく一番弟子の子供に叱られる。それでも、なんとか、ごまかしながらも今日まで進んできた。

きっと今の自分を見たら、あの時、あの頃みたいに顔をしかめて、叱ってくれるのだろうか。

「休んでもいいんじゃないの?」と心配がる顔に、「練習せずして何の水野義人ぞ」と笑って取り合わなかったあの頃の自分を心から叱ってやりたい

島尾や氷見漁港で、何度も、一緒に絵を描いた記憶がある。釣れない釣りをした記憶がある。

その都度、拳法の動きをして試す自分に、笑いながら、なかば冗談まじりに、遅咲きの達人をたしなめながら言っていた。

「釣りの時は釣りでしょう?」その言葉は、しっかりと受け継がれたようだ

北陸富山本科の前日は、あの場所にいって海を眺めるのが常となってしまった。いまは能登地震の影響による経済的事情で、富山高岡に拠点を失ってしまったため、とても遠く感じるようになってしまったから、いくと感慨深さがわき、ぼんやりとしてしまうのだ。

一人じっと考える時間が増えて、改めて思うのだが、この時間がとても大切だと思った。

心が休まる時間。富山に来たら、誰も居ない海で、なにか飲み物でも飲みながら、ぼんやりする。

前出の一番弟子の子どもが、ぼんやり時間が好きである。「たそがれ」るというようだ。彼女は、練習時は熱血闘士だが、平素はのんびりしている。オンオフを切り替える天才である。

鬼のような顔が、この時間は、とても穏やかになる。きっと私よりはるかに短い期間で、ここまで到達したのは、休息をしっかりととっていたからだろうか。

今回の富山本科前日、講習会の開催はなかったから、時間が空いた。「であるならば」ということで、三人で、浜辺を散策する。

「練習は、もうしたんだから、ここでは無しだからね」とくぎを刺される

休む時は、休め、ということである。

前に進む意欲が強いと、そこがあいまいになり、練習が重荷になってくる。休む自分を責めるようになる。

二番弟子たる筆頭門弟も、ここが大変下手である。私と同じである。強迫観念で練習をする悪いクセがある。

浜辺で、筆頭門弟と打ち合い約束組手を思わずし始めた時、「ほら、また始まった」と一番弟子。言ってるはなから、休み下手の二人はたしなめられる。

やりすぎは、治しにくい悪習慣ともいえる。疲れが蓄積される。そして、最も恐ろしい、燃え尽き症候群に陥る。強迫観念での練習へとつながる。

何が言いたいかというと、勇気を振り絞って練習をし始めた君なのに、そんな苦しい気持ちまで持たなくていい、といことだ。

行動し始めた、それだけで大変すばらしいこと。

周りは強さうんぬんで君のことを判断するかもしれない。しかしそんなものいい加減なものだ。強さの尺度なんて、それぞれある。その人が勝手に決めたその人なりの尺度だ、君はそんなもので判断されるつまらない存在などでは決してないのだ。

少しでも前に進んでいれば、周りの人間が君のことを忘れてぼんやりと過ごしている間に、君はどんどんと上に昇っていく。

「いつの間にこんなに」と、言われるだろう。その日は必ず来る。だから焦らなくていいんだよ。

日々の積み重ねこそ、最強だ。これこそが最強だ。だからもう君は最強なのである。日々自分のペースで少しづづ積み重ねることができている君は、最強なんだよ。時間の流れを味方につけているから。人が気づかないうちに、圧倒的な積み重ねをすることができるから。

私に休むことの大切さを説き続けてくれた人も、その人の子の一番弟子も、言う。

「意志の強さこそ、最強。意志の強さは達人のあかし。あなたは鉄の意志だからね、それだけで大丈夫」

きみにもその言葉がふさわしい。

『いじめ護身部|取り返すための技術解説』読んで練習してくれていること、わかってるよ。

しっかりと届いている。そのまま、君のペースでいいから、進むといい。きっと知らないうちに気づく。

「ここまで来たんだ」と。

その時を楽しみにしていよう。そこまで行ったら、誰も君に近づくこともできない。振り回し、振り切ってしまえばいい。やり続けた君だけができる戦い方となる。

それこそが、君にとっての八卦掌である。君にとっての中国拳法である。一緒に、達人になる道を進んでいこうじゃないか。これからも、動画とホームぺージの解説を見続けて欲しい。解説に出し惜しみは一切ないから。

すべては、いじめという、受け入れられないものに「NO」を突きつけ、取り返すために。私自身、まだ取り返すための旅の真っ只中であるから。一緒に進んでいこう。

『いじめに苦しむ君へ贈る、勇気が出るメッセージ集』のトップ

八卦掌水式門ホームページ:いじめが辛い君へ|八卦掌の単招式・連招式で取返しに行こう

翻身旋理・刀裏背走理習得で自然とできるようになる発勁

中国拳法を志す者の中で、知らない者はいないくらい有名な言葉。

しかし私は、アルバイト先の空手の方に聞くまで、よく知らなかった。なぜなら、八卦掌にそのようなものがないからだった。

清朝末期成立当時のままの原初八卦掌(以下「清朝末式八卦掌」)では、発勁を重視しない。一大コンテンツでもない。

題名のままである。翻身旋理・刀裏背走理をできた先に、自然と待っているものである。

ここで注意が必要である。翻身旋理・刀裏背走理習得は、発勁を出来るようになるための練習ではない。あくまで、敵が移動遊撃戦時、斜め後方や横から急接近してきた際の、移動速度を落とさないための要訣なのである。

この両理の土台の先に、発勁は待っている。

敵が突然横方向から襲ってきた際、急速移動回避をする必要がある。その秒単位の世界では、複雑な技・日頃行っていないような技などできない。

あくまで、日頃取り組んでいる技で、もしくは身法で対応する。そしてその日頃の動作に、少しだけ大きな力を込めて、瞬間的に速度を増し回避したり、急に敵に迫ったりするのだ。

あくまで、普通の動きの中で、である。そして、特別な呼吸法や、特別な力伝達意識が必要なわけではないのである。

普通の動きの中で行うから、日頃の絶え間ない移動、の流れを止めないで済むのである。

あまりに大きな力を出すのなら、ある程度ためて、瞬間的に発する、という流れも必要となろう。他の拳法の発勁は、おおよそこの流れを採用している。

八卦掌は、とにかく持続可能な限りの速い速度を保って移動し続ける武術であるため、蓄~発は極力避けたい。八卦掌は、蓄~発よりも、縮~展の動きの流れの中で、大きな力を出すのだ。

扣擺発力・翻身発力は、まさに縮~展へ続く展開力を利用した発力である。遊歩発力も、移動する際の、押し広げ動作たる、展開の中で、通常よりほんの少し大きな力を発する。

よって、各対敵身法時の練習においては、まず翻身旋理・刀裏背走理の要訣を守って、洗練された後退スライド習得を目指す。

そしてその練習の中で、たとえば私のように、時間を区切った移動遊撃戦想定練習の中で、敵が横から球速チェイスしてきたのを予想して、突如向きを変えてみたりする。

ここでは、瞬間的に大きな力でもって、我が身を転身・移動させなければならないため、発勁で説かれる非常時力発出法も役立つのである。

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春先の富山~立山連峰に匹敵する悲しく美しい人形山

春先富山を尋ねる際、見たいもの。それは、立山連峰と人形山。

氷見と言えば、富山湾上に浮かぶ立山連峰である。この景色を自身の生活の一部にしたくて、氷見に移住してくる人もたくさんいるらしい。

私も、何度もこの絶景を見たが、何度見ても、キレイだと思う。初めてこの場所に連れてきてもらったときは36年前。突如の訪問だった。

免許取りたての家内によって、海に浮かぶ立山の存在を知り「式人に見せてあげる」とのことで、家内の妹と、私の三人で氷見に来た。

北陸道しかなかった時代。とんでもなく時間がかかったこと、そして、6月だったからうっすらと山の稜線しか見ることができなかったこと、家に帰ってひどく怒られたことを鮮明に思い出す。

その人と一緒に見ることが当たり前になり、立山を見る感動が少しづつ薄らぎ、見ることにこだわりがなくなってからしばらくして、一緒に見ることが難しくなり、そして一緒に見ることができなくなって、気が付いたら一人で見ることになって、改めてこの景色の美しさに気づいた。

見える時はここしえに美しく、気づいたら、また全く見えなくなって・・・そこに在るのに、見えない。

意図せずして見えることがあるが、心底見たいと思った時は、なぜかずっと見ることができない。今の自分の状況に、重ねてしまう。富山県人でない私にとって、ないがゆえに特別な存在となってしまった。

今は、感動ではなく、胸に迫るものがある。美しさは何ら変わらない。自分と自分を取り巻く環境が変わったようだ

「今日は山は見えないのか」「今日は山は見えるなぁ」これらは、私の無意識の口癖らしい。たまに、一番弟子に「また言ってる」と指摘され、言ってる自分に気づいていない自分に驚く。富山本科の門弟は、この口癖を耳にするかもしれないが、気にせず聞き流して欲しい。

むかしよく足を運んだ雨晴海岸には、今は立派な道の駅ができて、多くの人が訪れている。なぜか電車好きの三番弟子が、はしゃいでキハ40(という気動車の名前)を撮っていた。

富山の山は、私にとってはかないものである。

昔、小学生の頃、日本昔話でやっていたお話。五箇山の人形山。にんぎょうさん、にんぎょうやま、ひとかたやま、色々と呼名があるようだ。

「平村(たいらむら)の貧しい農家に、農業の無理がたたって父親を亡くした、幼い姉妹を持つ母親がいた。

母親は、その姉妹を育てるべく、自身が信仰している白山権現様にお祈りしつつ、毎日懸命に働いた。

そしてその姉妹も、身を粉にして働く母親の姿を見て、懸命に働く。しかし母親は、無理がたたって病に伏す。姉妹はそれでも、白山権現様にお祈りしつつ、母親の分も働きつづける。

ある時、姉妹は同時に、白山権現様から夢の中で、母親の病を治すいで湯があるから、そこに母親を連れいけと、お告げを受ける。姉妹はそのお告げ通りに、その湯に母親を何度も連れていき、その甲斐あって母親は病が回復に向かう。

姉妹はある日ふと思い立って、白山権現にお礼参りをしに行こう、と思い立ち、山に入る。しかし山は女人禁制の厳しいおきてがあり、それがためなのか、帰りにひどい吹雪に巻き込まれる。姉妹は母親のもとに、戻ることはなかった。

辛く悲しい冬が過ぎ、その母親が残雪残る山をふと見ると、そこには、手を取り合って天に昇るかのような、姉妹の形をした雪形が残っていた

地元の人は、春先になると必ず現れるその雪形を悲しみあわれみ、いつしか山を「にんぎょうやま」と呼ぶようになった・・・」

そのあまりに悲しい話を聴いてから、いつしか、その雪形を見たいと、何度も通った。そして何枚も撮った。春先富山の来訪時には、東海北陸自動車道では五箇山インターで降りて、その雪形を見に行くのが恒例となった。

姉妹が、まるで今自分が置かれている苦しい現状から解放され、手を取り合って共に天に向かって旅立つかのような形である。その形があまりに悲しい。

「今でも見えるのがすごいよね。なんかとても不思議」といつの時か、二番弟子がそうつぶやいた。

「ただ、嬉しくて、お礼がしたかっただけなのに・・・今で本当に良かった」と一番弟子が続く。

本当にそう思った。昔話を聴くと、神が畏怖の対象であったのが分かる。時に願いも聴いてくれるが、何か約束を違えるようなことをしてしまうと、その時の事情も何もなく、容赦なく・・・。まさに、自然の摂理だな・・・と。

この話はきっと江戸時代の頃のお話しだろう。ある時、何らかの形で大切な人を失った誰かが、もしくはそのような話を知っていた誰かが、山に見える残雪を見てその形に大切な人の姿を重ね、ひとに話し、それが広まったのかもしれない。

しかし長い時を経てもなお、それを見る人に悲しみやはかなさの感情を引き起こさせる。

もしその話が本当にあったことであったなら、全く同じでなくても本当にあったことを題材にした話ならば、今なお多くの人の心に残って、心を揺さぶっていることは、少しの救いではないか。

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北陸富山本科開講。前人未踏だからこそ、私は行動していく。

2024年4月21日(日)、24年度の北陸富山本科が開講する。

北陸富山本科は、少数精鋭の状態だ。今北陸富山本科に来た者は、少数精鋭の中で、内容の濃い指導を受け、そして達人へと駆け足で上がっていくだろう。

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富山本科門弟は、行動した。だから八卦掌の術理に、ハイペースで近づいていくのだ。

行動こそ、すべての成果の源なのである。

あなたはどうだっただろうか?行動できただろうか?

草創期門弟が言っていた。先生の八卦掌が受け入れられないこと。

それは、既存のものと違うから。前人未踏の領域へと進んでいく道だから。

八卦掌水式門の八卦掌は、八卦掌成立当時の、「転掌」だった頃のままの八卦掌。よって、全く新しいものではない。

しかし、国内外の八卦掌は、そのほぼすべてが、近代化した流れの果ての八卦掌であり、本来の八卦掌の目的から大きく移動した八卦掌である。

悩んだ時期もあった。人にあまりにも受け入れられない。そんな時、「自分のやっていることは、必要ないことなのでは」と。

間違ってないのは間違いない。八卦掌誕生から100年以上たった異国の地・日本にて、原初のスタイルに気づいた自分には、八卦掌と生涯関わっていく運命があるのだと確信している。

なぜあの時、同級生に対するいじめがひどくなりかけた時、八卦掌に巡りあったのか。

なぜ初めて指導者に習った時、その指導者が、力のぶつからない、後ろに下がる技術を知っていたのか。

なぜ自分は弱かったのか。弱かったことが重大な結果を招き、弱者護身の強烈な動機へとつながった。なぜそのような強烈な動機を持つことになったのか

認めたくなかったが、やはり運命的なものをかんじずにはいられなかった。

認めたくない点。武術ごときを習得するきっかけなんかに、かけがえのない人の悲痛な経験がなってしまったことが認めたくない。この人の悲しい経験があったから、私が八卦掌の原初の姿に達したのは、間違いない。しかしそれを考えたくなかった。

武術の成就ごときのために、人の犠牲なんていらなかった。絶対にいらなかった。もしそれが、神様とか、宇宙の意思とかなら、なぜそんなことをしたんですか。あまりにもひどいじゃないですか。もし時を戻して、過ちとかを修正できるならば、私は間違いなく、戻っていじめ自体をなくしたい。

いじめがなくなって、同級生が悲しいことに翻弄されなかったら、私は八卦掌を習得することもなかっただろう。

それで全くいい。これまでの積み重ね、八卦掌の技術が無くなってもいい。そうすれば、この、どうしようもない無念な現実も失くすことができる。あの時のことがなかったなら、きっと今、どこかで、私のはるか上で君臨して輝いていたあの笑顔の人が、幸せの中でどこかの場所で、素敵な人と存在し続けてくれていただろう。

それがたまらなく無念。身を切られるとはこのこと。自分の今の苦しみとかなんてどうでもいいこと。とるに足らないこと。自業自得だから。

戻すことも、やり直すこともできない。ならば・・・あの事実を、せめて、意味のあったことにしたい。でなければあまりにもむごいじゃないか

意味あることにするためには、弱者として招いてしまったことに、向き合う必要があった。向き合うこと、それは「弱者でも、受け入れられないものに立ち向かい、克服することができる方法」を確立することだった。

「弱者は、強い者の思惑を甘んじて受ける運命にある」だと?

冗談じゃない、絶対に屈しない、絶対に認めない。思いやりのない、強者の理屈だ、認めない、ゆるせない。

弱者でも、きっと道はある。それを私がこれからも確立する。

その方法が、地味で人気のないものとなっても、地道に積み重ねたならば、きっと護身できる、身をまもることができる、大切は人の盾となることができる、一筋の光として提供する。

その決意が、私を、人と違う道へと導いた。

これから先も、きっと変わらない。この道だ。この進路だ。

私のプロフィールページに載っている、苦しみが始まってしまった渦中における、あの、一時の安らぎの笑顔。

氷見の海で見た、あの笑顔。水式門の名前をくれた時の、あの笑顔。あの場所にまたあさっても立つ。北陸富山本科の中で、立つ。

さあ、2024年の新しい時が始まる。伝承に全力を尽くす。この日に備えて練習をしてきた。最高のパフォーマンスを見せて、門弟の良きイメージであり続ける覚悟だ。これは私の、最大の実戦なのである。全国の勇気ある者たちの見本であり続けるための、最大の実戦が、今年もやってきた。

これからもずっとずっと、走り続けていきますよ。とりあえず明日、会いに行きます。この冬のこと、報告します。

この日のために、冬の間、駆け抜け続けてきた。さあ・・・富山だ!

5月18日(土)『生存第一の単換掌を目指す清末八卦掌講習会』IN富山県氷見市

八卦掌水式門指導部です。

2024年5月18日(土)、5月度北陸富山本科開催前日、門発祥地・富山県氷見市の島尾海浜公園にて、『生存第一の実戦仕様「単換掌」とするための清末八卦掌核心講習会』を開きます。

あなたが以前何気なく習った単換掌を、実戦ではどのように使ったのか、どのようなシチュエーションでこそ、単換掌は活きるのかを、清朝末期頃の原初の姿を通して明快に説明します。

描いた竜の絵に瞳を入れる、もしくは、彫った仏像に魂を入れる、そのような講習会です。

当講習会では、昔日の程派単換掌・近代梁派単換掌から昔日単換掌へと昇華・マスターした、水式門代表・水野が直接指導。

よって、梁派のみならず、程派の単換掌を知っているが、使い方が分からない、昔日の八卦掌に興味がある、そんな方にも最適の内容となります。

【開催日・開催時間】

2024年5月18日(土):13時00分~16時00分

【開催場所】

富山県氷見市 島尾海浜公園 芝生広場

※基本雨天決行となります。荒天による中止の際は、午前10時までに頂いたメールアドレスまで連絡します。ご不明の際は、電話にて遠慮なくお尋ねください。

【講習会のタイムスケジュール】

・単換掌の全体像~程派と梁派の型

・単換掌を使う場面とは

・単換掌を実戦に耐えうる技とするための、八卦掌の核心術理

・術理を理解したうえで、型を再度学び、実際に使ってみる

【参加人数】

先着定員10名まで

【受講料について】

受講代金:一日4,400円(税込)

当金額を、下記の指定口座に支払期日までにお支払いください。

◇受講料 振込先情報

銀行名  :三菱UFJ銀行

支店名  :知立(ちりゅう)支店 店番号 412

預金種別 :普通口座

口座番号 :1213489

口座名義人:ミズノ ヨシト

◇受講料についての注意事項

※必ず振り込む前に、当ページで後述する「キャンセルポリシー」をお読みください。

※下記支払期限までに金額を上記指定口座に受講料としてお振込みください。申込みがありましても、期日までにお支払いが無い場合、申込みのキャンセルがあったということで扱わせていただきます。

※講習会当日や後日における支払いには一切応じておりません。ご了承ください。

【応募締切日・講習会代金お支払い期限日】

2024年5月16日(木)

※事前連絡参加者がいない場合は、講習会は開催しません。参加希望者は必ず事前にご連絡ください。

※お申込みがありましても、5月16日24時時点で、上記指定口座において申込者様からの講習会代金振込が確認できない場合は、1理由のいかんを問わずキャンセルされたものとして扱わしていただきます。

※お申し込み後、代金お支払い期限までに振込みがなく、かつキャンセルメールをいただけなかった申込者様は、次回以降の参加はお断りさせていただきます。

【参加資格】

中学生以上の男女で、清朝末式八卦掌を真摯に学びたい方。

【参加に際しての注意事項】

・当練習会に参加するに際しては、募集期間中における事前の申し込みと支払期日までの受講料のお支払いが必要となります。支払期日を過ぎても支払を確認できない場合、例外なくキャンセルとして扱わせていただきます。

・真摯に学ぶ姿勢の参加者を求めます。指導者の指示に従わない者は、それ以後指導せず、帰宅させる。

・一日単位での参加希望者のみの対象講習会となります(午前と午後の内容が密接に結びついているため)。

・参加できなくなりましたら事前にメールにてご連絡ください。連絡無しでキャンセルした方は、今後の水式門の活動への申込みはお断りさせていただきます。

・発熱・体調不良・心身故障中の状態の中での無理な参加は、受講生の安全な受講に配慮する立場からお断りしています。

・一般参加者の学習環境配慮と技法のいたずらな漏えいを防ぐため、保護者・知人・親族等による見学行為は例外なくお断りしています。

・本講習は、有料の特別指導であるため、見学目的・無料体験目的での参加はお断りします。

・当講習会内容では、実際に参加者同士が手を交える対人練習が行われますが、屋外で開催するため、マスクの着用は義務としません。気になる方は、各自マスク着用での参加をお願いします。

八卦掌水式門富山本科イメージ

「清朝末式八卦掌通信講座部」始動。全国で水式門を叩け。

清朝末式八卦掌通信講座部とは、弱者向けの護身術に特化した「護身術通信講座科」と、伝承者を目指し八卦掌の術理を学ぶことに力を入れる「清朝末式八卦掌代継門人候補科」で構成される遠方有志向けの学習部です。

従来は、遠隔地生の愛知来訪向け学習部としていましたが、本科における一回定額制で対応するため、「通信講座部」としました。
現在「清朝末式八卦掌通信講座部」には以下の

  • 八卦掌第7代目の伝承者を目指し術理を学ぶことを重視した「清朝末式八卦掌代継門人科」
  • 『最低限の時間で仕上げる「清朝末式八卦掌」護身術』に沿って学ぶ独習者向けの「護身術通信講座科」

が開設されています。

愛知県在住者以外の方で清朝末式八卦掌を学習したい方には、大きく2つの傾向があります。

『清朝末式八卦掌という武術に興味があり、本格的に習ってみたい方』『清朝末式八卦掌の弱者護身術的側面に興味があり、護身術として習ってみたい方』。

「全国の志ある者に門を開く」という弊門の理念に沿って、『成立当時のままの八卦掌に興味があり、本格的に習って極めたい方』の希望に合わせ「清朝末式八卦掌代継門人科」を、『清朝末式八卦掌の弱者護身術的側面に興味があり、護身術として習ってみたい方』には「護身術通信講座科」を開設しました。

基本的に「教材を作って、売って、学習させる」の一般的形態を採りません。

このような「売り切り」にすると、よほど自分を追い込むことができる人間でない限り、だらけるからです。

通信講座を運営する側としては、最初に教材作成さえしてしまえば、あとは放っておいてもよいため、手間がかかりません。しかし、弊門は、己を守り、大切な人を守る確かな技術を、伝えることが使命。この方法では、伝わりにくいものがあります。

よって、通信部を利用して入門した遠隔地門弟にURLを用意し、仮入門教程以後の本入門教程においては、当門弟向けに代表が自ら技を選んで技を追加し、本人に合わせた学習段階をとらせることで、愛知対面指導に近い形式で指導を進めていくこととします。

掲載の上記イラストは、弊門筆頭門弟が代継門弟にとなり、承継人教程において修行していた頃のものとなります。

私が富山を離れていた頃、彼女と共に学習形態を工夫することから生まれた本通信部の学習形態です。

動画と撮って、解説をつけて、教材としてまとまったお金で売って・・・では、当門弟の技術の上達に合わせた指導ができません。

遠隔地で学習していても、「常に先生のもとで学習している」という一定の、いい意味での緊張感を持ってもらいたく、工夫したうえでの、「門弟ごとURL上指導」形態となります。

各科において、入門時の条件や、月謝が違います。

詳しい内容については、弊門サイト上の「清朝末式八卦掌通信講座部|護身術コースと代継門人候補コースで学ぶ全国対応型八卦掌通信講座」にてご確認ください。

八卦掌水式門富山本科イメージ

4/20(土)・5/18日(土)富山県氷見市開催『「清朝末式八卦掌」単換掌の術理講習会』開催

2024年4月20日(土)・5月18日(土)富山県にて、『弱者護身術たらしめる「清朝末式八卦掌」中核術理(単換掌の術理)』講習会を開催します。この場を借りて、当講習会の詳しい内容を説明していきたいと思います。

講習会詳細はこちらから
講習会申込みはこちらから

【開催日・開催時間】

◆2024年4月20日(土)13時00分~16時

◆2024年5月18日(土)13時00分~16時

【開催場所】

富山県氷見市 島尾海浜公園 芝生広場

※基本雨天決行となります。荒天による中止の際は、午前10時までに頂いたメールアドレスまで連絡します。ご不明の際は、電話にて遠慮なくお尋ねください。

【講習会のタイムスケジュール】

・単換掌の術理の全体像~斜め後方スライド撤退戦の対敵身法

・単換掌の術理を支える、土台術理「翻身旋理」と「刀裏背走理」

・単換掌と単換刀の型を通して、術理を理解する

【参加人数】

先着定員10名まで

【受講料について】

受講代金:4,400円(税込)

当金額を、下記の指定口座に支払期日までにお支払いください。

◇受講料 振込先情報

銀行名  :三菱UFJ銀行
支店名  :知立(ちりゅう)支店 店番号 412
預金種別 :普通口座
口座番号 :1213489
口座名義人:ミズノ ヨシト

◇受講料についての注意事項
※必ず振り込む前に、当ページで後述する「キャンセルポリシー」をお読みください。

※下記支払期限までに金額を上記指定口座に受講料としてお振込みください。申込みがありましても、期日までにお支払いが無い場合、申込みのキャンセルがあったということで扱わせていただきます。

※講習会後日における支払いには一切応じておりません。ご了承ください。

◇応募締切日・講習会代金お支払い期限日

・4月20日講習会は、2024年4月18日(木)まで

・5月18日講習会は、2024年5月16日(木)まで

※事前連絡参加者がいない場合は、講習会は開催しません。参加希望者は必ず事前にご連絡ください。

※お申込みがありましても、4月20日講習会は4月18日24時時点で、5月18日講習会は5月16日24時時点で、上記指定口座において申込者様からの講習会代金振込が確認できない場合は、1理由のいかんを問わずキャンセルされたものとして扱わしていただきます。

※お申し込み後、代金お支払い期限までに振込みがなく、かつキャンセルメールをいただけなかった申込者様は、次回以降の参加はお断りさせていただきます。

【参加資格】

中学生以上の男女で、清朝末式八卦掌を真摯に学びたい方。

【参加に際しての注意事項】

・当練習会に参加するに際しては、募集期間中における事前の申し込みと支払期日までの受講料のお支払いが必要となります。支払期日を過ぎても支払を確認できない場合、例外なくキャンセルとして扱わせていただきます。

・真摯に学ぶ姿勢の参加者を求めます。指導者の指示に従わない者は、それ以後指導せず、帰宅させる。

・一日単位での参加希望者のみの対象講習会となります(午前と午後の内容が密接に結びついているため)。

・参加できなくなりましたら事前にメールにてご連絡ください。連絡無しでキャンセルした方は、今後の水式門の活動への申込みはお断りさせていただきます。

・発熱・体調不良・心身故障中の状態の中での無理な参加は、受講生の安全な受講に配慮する立場からお断りしています。

・一般参加者の学習環境配慮と技法のいたずらな漏えいを防ぐため、保護者・知人・親族等による見学行為は例外なくお断りしています。

・本講習は、有料の特別指導であるため、見学目的・無料体験目的での参加はお断りします。

・当講習会内容では、実際に参加者同士が手を交える対人練習が行われますが、屋外で開催するため、マスクの着用は義務としません。気になる方は、各自マスク着用での参加をお願いします。

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倒すならば、振り向きざまの電撃攻撃で。護衛武術にもなる。

「いつ敵を倒すのですか?」

気持ちは分かるが、成立当時スタイルの八卦掌(以下「清朝末式八卦掌」と呼ぶ)の戦闘法を深く理解してない状態の質問である。

しかし大変よい質問だと言える。中核に触れる、そして中核を理解するきっかけとなる質問だからだ。

このような疑問を師に尋ねることは大変素晴らしい。その疑問に師匠が実演付きで答えることで、疑問に対する答えが明確にされ、深い理解を得られる。自分で考えた末の質問である。どんどん師に質問するとよい。

質問に答える。さんざん練習している「単換掌」で倒すのではない。八卦掌は、「倒す」よりも「倒されない」を目指す拳法である。その拳法が最重要と位置付けている技である。その技が「倒す」ためのものでないことはおのずと理解できよう。

後退スライドは「斜め後方スライド撤退戦」である。「撤退戦」というフレーズは何気なく使っているのではない。古来より、戦争における撤退戦において敵を倒すことはなかった。

味方の犠牲を最小限に食い止め本隊を被害なく本国へ撤退させるために、しんがり部隊が「追撃してくる敵の足(進軍)を止める」ことが目的だったのだ。撤退戦を扱った講談などでは、一矢報いたことだけがクローズアップされ誇張されるが(例えば三国志演技における蜀軍撤退の際の『死せる孔明生ける仲達を走らす』など)、撤退する者が圧倒的不利な状況からかろうじて逃げた状態だったケースがほとんどだったのである。

単換掌はまさにそれを実行する技法なのである。

対多人数移動遊撃戦は、まさに絶体絶命のピンチの戦いなのである。八卦掌は対多人数専用の拳法である。専用の拳法、と書くと、八卦掌の術理をマスターすれば、いとも簡単に多人数相手に戦うことができるようになる、と思いがちであるが、そうではない。「八卦掌の術理をマスターすれば、「対多人数戦の絶対的不利の中から生還できる可能性が生じる」だけなのである。

私は今でも、弟子らに多人数戦の戦い方を実演する際、大変緊張する。息も上がる。決して「楽々」ではないのだ。かろうじてかわしている状態なのである。自分の身体を移動遊撃戦渦中における複数敵の絶え間ない猛接近からやり過ごし続ける必要がある。その、不確定で急速対応の必要にあふれた世界が、どれほど過酷か想像すればわかる。

敵が3人以上となると、敵のアタックは次から次へと、息つく間もなく到達する。その過酷な戦況に対抗する手段として、ひたすら前に向かって、高い移動推進状態を保って移動し続ける「勢(せい)」の維持による対処法が考えられる。

前に移動し続けないと、後ろの敵に捕捉される。周りの敵に詰められ、捕まれる。前敵に速度を伴った電撃戦が実行できない。いいことがないのだ。

勢を維持するためには、スピードが落ちる可能性が最も高い、斜め後ろから接近してくる敵をやり過ごす瞬間「斜め後方スライド」時を克服することが最大の課題となる。

翻身旋理(ほんしんせんり)による切れある後方スライド技術、刀裏背走理(とうりはいそうり)による、自分の手や武器などを自分の身体軸に近付けて引っ張り身体移動時のブレを無くす方法は、この課題を克服するためのものだ。つまりこれらの術理は、スピードを落とさないために創始者が考え抜いた術理なのである。

この術理を実行するならば、敵猛追の都度「受けて攻撃をして倒す」という近代格闘術八卦掌が用いる攻防方法はできない。

する必要もなくなったからだ。近代格闘術八卦掌は対多人数移動遊撃戦ではなくなった。人を「倒す」ことに焦点をあてた。倒すならば、軸を作って大きな力を発揮し、戦闘不能にする必要がある。軸を作って打つ=その場にとどまる、ということだ。

近代格闘術八卦掌が移動遊撃戦という前提を離れた瞬間、強者使用前提の動きが加速し、両者は別物の拳法となった。

私に八卦掌を対面で教えてくれた若き中国人就労生の楊先生(八卦掌を「八卦転掌」と呼び、単換刀を教えてくれた青年先生)は、明確に、昔日と近代の違いを意識した指導をしていた。

連身牌法は、楊家のオリジナルであろう。しかしその動きは、八卦掌主要刀術の動きそのもの。虎衣藤牌兵舞踏を練習していた楊家では、それが八卦掌と融合するのは自然なこと。虎衣藤牌兵舞踏は、後退スライドではないが、楊家の代々の人たちは、昔日の転掌術理に、あえて合わせた。そこで連身牌法が生まれたと思われる。

手を出したならば後退スライドによって身体を操作し、身体の操作によって出した手を引っ張り身体軸に近付けてから、(肩が入ると同時に)スッと穿掌を突き出し、相手を驚かせ、その敵の足を止めるのである。まさに『けん制攻撃』である。

身体はけん制穿掌を放つ際、肩を入れて次なる場所へ移動する段階に入っているため、この攻撃の成否は分からないのだ。肩を入れて次なる場所へ・・・は、攻防における「防御」そのものなのである。

長くなったが、斜め後方スライド時、いかに倒すつもりで打ってないかが分かっただろう。「倒す」つもりで向かっても、ほとんど倒すことはできない。攻撃はなかなか当たらないもの。そこで割り切って、単換掌の術理は「けん制」に徹した。

そこで、単換掌で後退スライドし、振り向いた際、その場所で居着いている敵に電撃攻撃をしかける。不意を突かれた敵のほとんどは、その場から移動できず、攻撃を喰らうのである。

上の動画は、振り向き様のけん制攻撃の練習である。あえて敵を大きな動きでさばいた動作を繰り返し身体を振り、その中で確実に(頸部)急所を打ち抜くための練習法である。

よく見て欲しい。動かない的を打っている、などと、うんざりするような批判をする前に、練習の意義を考えろ。翻身拍打から遊歩一穿の攻撃を演じているが、その激しい展開攻撃においても、指先第一関節部分までで攻撃しているのがわかる。

極力遠い間合いで、通り抜けながら、斜め後ろ打ちをしているのだ。前敵攻撃に生じるリスクを最小限にした、「前敵スライド回避攻撃対敵身法(順勢掌の術理・順勢掌理)」である。

※楊家では、順勢掌のことを、「円勢掌」もしくは「勢掌」と呼んでいた。単換掌・拗進転掌(陰陽魚掌に該当)・勢掌の3つを原初最重要技、単換刀を、八卦転掌の源泉として指導してくれた。

敢えて「倒す」方法と段階を説明するならば、この順勢掌の術理である前敵スライド回避攻撃で倒す以外ないと考えられる。

よって皆には、もっともっと単招式を練習してほしいのだ。やりたがらない人も多い。単換掌と単換刀の陰に隠れるのもある。

しかし私は、上の動画のような練習を通して、今でも毎日、何回も何回も、前敵スライド回避攻撃を練習している。

単招式をもっともっと練習しよう。敵の脅威であり続けよ。そうすることで、敵は大切な人に手を出すことができなくなる。八卦転掌本来の姿、護衛武術に引き上げるならば、単招式は大変重要なのだ。

八卦掌水式門富山本科イメージ