月別アーカイブ: 2023年6月

順勢掌理対敵身法は、大切な人を護衛するために必須の術理

順勢掌理(じゅんせいしょうり)。

単換掌理(たんかんしょうり)の斜め後方スライド虚打離脱の術理を、前敵に活かした、電撃攻撃の「護衛」技となる。

「護衛技」?護身技じゃなくて?

実は順勢掌理の対敵身法を用いる最大の狙いが、「大切な人に手出しさせない」ことにあるからだ。

単換掌理対敵身法で、敵の攻撃を避け、常に離脱し続けることは、「生存」を図るうえで欠かすことのできない必須技術である。

単換掌理におけるいくつかの転掌動作は、武器術にそのまま使用できる、シンプルで考え抜かれた転身戦法となる。

しかし、単換掌理によって逃げ打ちをしているだけだと、相手は「逃げるのは素早いけど、襲ってこない奴」と考え、別の考えを持ち始める。

そうである、守るべき人に手をだそうとする。襲ってこない、こいつは逃げているだけだから、こいつが守ろうとしている人間に手を出しても大丈夫だ、と考える。

そこで順勢掌理対敵身法によって、敵に「思いがけず襲ってくる危険」性を感じさせる必要がある。

順勢掌理対敵身法によるスライド離脱による圧力で敵に警戒させ、かつ対応せざるを得ない状況を作り出せば、そうはいかない。

つまり順勢掌理対敵身法による攻撃は、「気を付けてないと、突然向かってきて攻撃される」という警戒感を与えることができ、敵の注意をこちらの向けさせることができる。

敵の注意がこちらに向いていれば、敵が大切な守るべき人に手出しすることはない(する隙がない)。

昔日スタイルの八卦掌の「護衛」とは、このような考え方である。悪い言い方をすれば、「おとり」となるのだ。きわめて悲愴感の伴った戦法である。

では、単換掌理対敵身法をメインとして、そこに時折、順勢掌理対敵身法による攻撃をおり交ぜることによって大切な人を守る方法を少し具体的に説明しよう。

単換掌理対敵身法で交わしつつ、何度も後退スライドしているうちに、ベストな位置にいる前敵に電撃攻撃で急襲し、油断させない。敵は常に我の電撃急襲に備える必要があるため、守るべき人に手を出すゆとりがない。

※前敵攻撃のさい、自分の進む方向から大きく旋回しないと届かない相手には、攻撃してはならない。旋回こそ、対多人数移動遊撃戦渦中において、もっとも体力と気力を奪い去るものだからだ。

生存して敵を急襲の脅威にさらし続ければ、敵は大切な人に手を出すことができない。つまり、「生存」して立っている⇒プレッシャーを与える⇒「守る・護衛」なのである。

プレッシャーを与えるためには、「引き込み」戦術よりも「斬り込み」戦術の方が効果的である。ゆえに、昔日の創始者(伝・董海川先生)は、単換掌理と順勢掌理の二つにたどり着いたのだろう。

正直、ある程度技術が上がれば、個人の護身でいうならば、単換掌理対敵身法だけで十分なのだ。不意に敵が正面に現れようとも、単換掌理に基づいた転身技法だけでかわすことは十分可能となる。

弊門に所属する女性門弟は、その点を逆手に取り、体力を使う攻撃をせず、逃げに徹して、自身の体力と現実的に向き合っている。※転掌を徹底的に磨いているため、離脱時の圧力で、後方敵への威嚇はしっかりと行っている。

しかし、対多人数・第三者護衛を本格的に考えている人ならば、そこにもう一つの術理「順勢掌理対敵身法」を積極的に加えていきたい

順勢掌理対敵身法は、前敵に対する身法なので、先生に教わった後は、目標物を使って想定的を作り、間合いなどの習得を目指して打ち込み練習ができる。それは大いに魅力的である。

弊門ホームぺージ中、八卦武器術の八卦双短棒の五型・いじめ護身部における八卦掌・単招式は、みな順勢掌理対敵身法に基づいた技法となる。

出来ることなら指導者に付いて欲しいが、もしあなたが「昔日スタイル八卦掌の何かを練習したい」と願うならば、それらの技法が、順勢掌理対敵身法に基づいたスライド離脱術理をもとにしていることを意識して練習してほしい。

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八卦掌水式門富山本科イメージ

八卦掌・富山本科。再開の時。扈三娘一丈青に感謝。

八卦掌・富山本科。

コロナで県外移動すら「自粛」圧力で制限された状況下でも、ずっとイメージし続けてきたこと。

毎朝、愛知の自宅の近くの堤防で、川のせせらぎの音が聞こえる中で、波の音、ウミネコのなく声、防風林の葉っぱのざわめく音を感じながら、富山本科に向かっていた。

実に2年半。ずっとずっと毎朝愛知の堤防の上から、心の中を通して、氷見の松田江海水浴場に立ち朝焼けの立山連峰を見続けて来たら、ついに、6月18日再開門の朝に松田江で、その姿をハッキリとこの眼でとらえた。

6月という、もっとも立山連峰が見えない時期に、その雄姿ははっきりと私の前に現れた。心が震えた。朝焼けの海岸で、練習する者同士4人「キレイ、キレイ!」と言いながら、はしゃいでいた。

これは奇跡だろうか。いや、ずっとこの2年間「確実に訪れる日常」として確信して、信じて疑わなかったから、当たりまえに来ただけだった。しかし、さすがに朝焼けの立山が姿を見せた時は、泣き合った。

富山本科に来てくれたのは、一人。大切な人たちが眠る富山の地で、教える喜びを実感させてもらった有志に心の中で感謝しつつ、再開門の最高の時を過ごさせてもらった。

時が過ぎ、日が沈み、トワイライトの時が来て、私たち以外誰もいなくなった砂浜で腰を下ろして夕風に身をゆだねる時が来て、再び皆がいた時のことを思いだした。

一区切りがついた。この時を迎えるに向けて、疑いもなく、ただただ前に進んできたけど、今この時だけはゆっくりとしようと思い、他愛もない話をしながら、4人で乾杯をした。

その後、夜の海をもう少し堪能するため、場所移動。氷見の比美江に行き、少なからずまだいる番屋街の観光客を見つつ、横の温泉施設で風呂に入って、今日を終えた。

一つの区切りを走り切った充実感を味わいながら、海風の中再びコーヒーで乾杯。皆酒を飲まないからちょうどいい。これがいい。海に乾杯!

富山本科は、これからどんどん大きくなっていく。なんといっても、八卦掌水式門の北国拠点だから。

間もなく、富山本科女性教室も再開する(教えるのは私だけどね)。

北陸の修了門下生には、再開門を迎えるにあたってとても助けてもらった。今回私が長いコロナの期間、愛知でこの日がくることを信じて疑わないことができたのは、この子の影響が極めておおきい。

本当に感謝する。感謝しかない。きっと君は、君の敬愛する地慧星・扈三娘(こさんじょう)になるよ。いや、もうなってるか。皆で一緒に、一丈の青を、北陸の地に刻んでいこう。

君の雄姿を、女性護身科のシンボルとして使わせていただきます。これからもよろしく。

八卦掌水式門富山本科イメージ

ホームぺージの師匠の助言が、私の初心を思い出させた

八卦掌水式門のいじめ護身部のメッセージ集。その誕生のきっかけとなった、コンテンツの師匠のアドバイス。

拳法を少し離れ、パーソナルな部分を打ち出してみるのもいい。そうすると、人格に興味を持った人の中から、拳法への道につながる

最初は、「私みたいな無名の中年の書いた文に、興味を示すのだろうか?」と思わず言ってしまったが、彼の言う通り、私の人格のままに、過去の苦い思い出も含めて、さらけ出した。

そうしたら・・・そこから、真剣に私の記事を読んでくれる人が来始めて。技の解説ページにも、明らかに真剣に学習しているであろう訪問者も増え始めて。

何より、真剣に見てくれる人がいることがうれしくて、以前と比べ物にならないくらい、執筆に気合が入るようになった。ずっとずっと、弱者がいじめに対抗する護身術を伝授することが大きな夢だったので、この現象は、私の心を震え立たせた。原点に返った気分だった。

久しぶりに師匠に逢った際、イラストをプロに頼んでみるのもいい。そのアドバイスを受けて、まずサイトの写真を、プロに頼むことにした。

遊撃八卦双短棒をブレザーで演じる発想は、私のものである。その発想の良しあしはさておき、撮影の細かい設定については、プロのカメラマンに従って正解だったと感じている。

師匠といえど、年齢は私より20歳以上も若い。その若さで、人に技術を教える立場になっており、私に比べあまりに前途洋々な若者である。人にものを教わるのに、年齢も関係ないようだ。

スキルを得るまでには、血のにじむような練習・反復を要する。

残念ながら、最近のネット広告でも、変わらず「手軽に、早く、高収入」というようなものが見受けられる。

しかし人に教える立場、人にプロのサービスを施す立場になるには、昔も今も、万単位の時間が必要なようだ。

私自身、現在の境地に達するまで、3万時間以上を要している。私の場合、移動遊撃戦に達するまで、具体的な技術指導を受けたことがなかったため、模索と検証に時間を要し、多くの時間がかかった。

しかし、私の例は、珍しいことではない。そこが、先生に敬意を払う必要性の根拠となる。多くの「先生」と呼ばれる人は、人に教える立場になるまで、多くのトライとエラーを繰り返し、多くのお金と時間がかかっている。

たまに、プロとして仕事をしている人に、お金を払いたがらない人がいる。多くの場合、サラリーマンである方に多い。私は自営業者であり、自営をするまでに多くの犠牲と時間・費用をかけてきたため、払うお金を惜しむことが考えられないのだ。

今回写真を撮ってもらった時でも、プロのアドバイスは的確であり、仕上りも私が自分で撮ったものとは雲泥の差であった。次元が違うのだ。改めて、プロの道に進んだ方の技術力の高さに頭が下がった。

そしてそれは、私自身も言われることとなった。自信と気迫が出てくるようだ。強がりやはったりを超えた、内からにじみ出る気迫があるから怖い、と複数人に指摘されるようになった。

そのように言われるようになってくると、ドラマが多く発生し始める。人が来はじめ、自信が「躊躇(ちゅうちょ)」を無くし、どんどん次の扉をノックするのだ。

私のコンテンツ師匠は、先ほど言ったように、20代中盤であろう。しかし、先生からは、死線を超えた武術家のようなにおいがするのだ。

小さいことでおどおどしない。自信を感じるのは、持っているスキルを、血のにじむ努力で手にしたのだと思う。こんなふうになりたい

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