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2024年3月3日(日)清朝末式八卦掌原点「単換掌・単換刀」講習会

2024年3月3日(日)愛知県刈谷市総合運動公園にて、『清朝末式八卦掌原点「単換掌・単換刀」講習会』を開催します。

この場を借りて、当講習会の詳しい内容を説明していきたいと思います。

八卦掌は太平天国の乱時の、戦場刀術の影響を受けた拳法だと考えられます。

当時の軍の最前衛歩兵は、片手に藤製の盾(牌・はい)を、もう片手に90センチ超えのやや重い刀を持って戦う「藤牌兵」でした。相対的に体格の小さいものが藤牌兵・相対的に背の高い者が、藤牌兵に後ろに備える長槍兵だったと考えられます。

※明末はこの編成であったが、大清帝国時代の軍装には、銃や大砲が加えられたため、多少の違いはある。

八卦掌の定式八掌では、藤を持っていた名残のある型も存在しています(例:叉子掌・さししょう)。その戦場刀術から生まれたのが、八卦掌のエッセンス型である「単換掌」へと橋渡しをする「単換刀」です。

水式門では、愛知より遠いが独学にて学びたい方のために、web上にて独習ができるように、「いじめ護身部・取り返すための技術解説」・「最低限で仕上げる清朝末式八卦掌・女性護身術」を公開しています。

清朝末式八卦掌は八卦掌水式門の門外不出の技法です。しかし、上記技法は最小限のものなれど中核技法であり、初学独習者が学習するうえで誤った方向へと進まないために、定期的に講習会を開くことを決定しました。

八卦掌は護身術。命に関わる技法を公開する者として、学習者の学びの場を提供するという、当然の義務を果たしてまいります。

今回は、八卦掌草創期刀術の「単換刀」・清朝末式八卦掌の原点であり中核術理「単換掌の術理」の元となる「単換掌」に絞って特別講習をします

指導は、八卦掌水式門代表・八卦掌第6代掌継人・梁振圃伝八卦掌第5代の水野が担当します。清朝末式八卦掌を真摯に学びたい方は、ぜひご参加ください。

◆開催日・開催時間
2024年3月3日(日):10時00分~16時00分(途中1時間昼休憩あり)

◆講習会のタイムスケジュール

【午前の主な指導内容(午後にかぶる場合があります)】

・基本姿勢走圏と対敵イメージ走圏

・清朝末式八卦掌における「歩き方」

・単換掌を通して学ぶ後退スライド(単換掌の術理)

【午後の主な指導内容】

・単換掌

・単換刀

・単換刀の派生技術(陰陽上斬刀と単換掌)

◆参加人数

12名

◆参加資格

中学生以上の男女で、清朝末式八卦掌を真摯に学びたい方。

◆参加に際しての注意事項

・当練習会に参加するに際しては、募集期間中における事前の申し込みと支払期日までの受講料のお支払いが必要となります。支払期日を過ぎても支払を確認できない場合、例外なくキャンセルとして扱わせていただきます。
・真摯に学ぶ姿勢の参加者を求めます。指導者の指示に従わない者は、それ以後指導せず、退出していただきます。
・一日単位での参加希望者のみの対象講習会となります(午前と午後の内容が密接に結びついているため)。
・参加できなくなりましたら事前にメールにてご連絡ください。連絡無しでキャンセルした方は、今後の水式門の活動への申込みはお断りさせていただきます。
・発熱・体調不良・心身故障中の状態の中での無理な参加は、受講生の安全な受講に配慮する立場からお断りしています。
・一般参加者の学習環境配慮と技法の漏えいを防ぐため、保護者・知人・親族等による見学行為は例外なくお断りしています。
・本講習は、有料の特別指導であるため、見学目的・無料体験目的での参加はお受けしません。
・当講習会内は屋外で開催するため、マスクの着用は義務としません。気になる方は、各自マスク着用での参加をお願いします。

◆開催場所

愛知県刈谷市 刈谷総合運動公園 バス停横芝生広場
※雨天時は、刈谷総合運動公園内の「ウィングアリーナ」前のベンチまでお越し下さい。基本雨天決行です。ウィングアリーナ等が不明の場合は、電話にて遠慮なくお尋ねください。

◆受講代金

一日5,500円円(税込)

当金額を、下記の指定口座に支払期日までにお支払いください。

【受講料 振込先情報】

銀行名  :三菱UFJ銀行
支店名  :知立(ちりゅう)支店 店番号 412
預金種別 :普通口座
口座番号 :1213489
口座名義人:ミズノ ヨシト

【受講料についての注意事項】

※必ず振り込む前に、「キャンセルポリシー」をお読みください。
※下記支払期限までに金額を上記指定口座に受講料としてお振込みください。申込みがありましても、期日までにお支払いが無い場合、申込みのキャンセルがあったということで扱わせていただきます。
※講習会当日や後日における支払いには一切応じておりません。ご了承ください。

◆応募締切日・講習会代金お支払い期限日

申込み・代金支払い期限:2024年2月28日(水)

※事前連絡参加者がいない場合は、講習会は開催しません。参加希望者は必ず事前にご連絡ください。
※お申込みがありましても、2月4日講習会は2月28日24時時点で、上記指定口座において申込者様からの講習会代金振込が確認できない場合は、理由のいかんを問わずキャンセルされたものとして扱わしていただきます。
※お申し込み後、代金お支払い期限までに振込みがなく、かつキャンセルメールをいただけなかった無断辞退の申込者様は、次回以降の参加はお断りさせていただきます。

◆泥酔者・不行跡者への対応

泥酔者や、他の参加者に迷惑行為を行う者、手合わせ目的等学習目的以外の参加者に対しては、他の参加者の安全・学習環境配慮のため、参加を直ちに禁止し退場していただきます。
当措置に従わず迷惑行為を続ける者には、警察への通報などの厳格な対応をいたします。

※不行跡行為等が原因で退場していただいた方のお振込み代金につきましては、当日キャンセル扱いとさせていただき、消費税分も含め一切返金いたしませんのでご了承ください。

八卦掌水式門富山本科イメージ

カラスの猛追を流すタカの姿で悟った「清朝末式」八卦掌

昨年からずっと、肌寒くなりタカが練習場所に来始めると、ビデオカメラをすぐに撮影できる場所において、撮影していた。

撮りたかったのは、タカとカラスの空中戦である。なわばりを侵されたカラスが、タカを追いかけまわす動画である。

何十本と撮り、何度も何度も失敗して、やっと撮ることができた。私が大きな悟り(開き直り)を得た野生のやり取りを、、当ブログを読む方に紹介するためである。

見てもらいたいと思ったのは、清朝末式の八卦掌の戦い方に似ていて、かつ、命を賭けた真剣なやり取り(戦い)として、この両者の戦いこそが最も分かりやすくふさわしいと思ったから。少し小さく、かつ、対象物の動きが速いため見にくいと思うが、是非参考にして欲しい。

※動画には、BGM(ロッシーニ歌劇・ウィリアムテル序曲)があります。

動画中のタカは、身体も大きく、追跡しているカラスと戦っても、フィジカル面が原因の敗北などしないだろう。私が今までこの場所で見てきた幾多の空中戦においても、カラスに体格で劣るケースは少なかった。

このように、追われるケースというのは、タカがカラスの縄張り付近でエサを探して飛び回るから起こるケースが多い。タカは自分がカラスの縄張りに入っていることを認識しているかもしれない。

ここからは想像も加わっての解説となる。その点、ご了承いただきたい。

眼の前のカラスと戦ってもいいが、なわばりにいる他のカラスも戦いに加わってくる可能性もあるため、無駄に争わず、離脱第一で対処していると思われれる。

タカとタカが互いに戦う場合は、どちらかが傷つくまで戦う。しかしここで体格に勝るタカがカラスと敢えて戦わず早々に離脱するのは、そういった理由からであると推測される。

理由はさておき、タカの対敵行動に注目をしてもらいたい。

タカは常にカラスを後ろに置き、追わせている。向かってくるカラスに、正面切って戦ってないことがわかる。敵の力のベクトル方向に向かうようなことは一切していない。力に抗しない戦いを貫いている。

そして、移動向きを変える時に、後方カラスに、一瞬けん制攻撃をしているのもわかる。もしくは、移動の進行方向を変え、カラスをその都度ごと引き離しにかかる。

カラスにあえて背を見せ自分自身を追わせ、追いつかれそうになったら、さっと身をひるがえし、進行方向を変えて、カラスの逆をつくのだ。カラスはタカの一連の対敵行動のため、なんとかタカの身体に触れることができたとしても、致命傷を与えることなどはできない。

追わせ、引きつけ、カラスが速度を上げて追いつく瞬間に向きを変え引き離し、また追わせ・・・を繰り返す。

人間に例えよう。追跡者が速度を上げて追いつこうとすると、その瞬間に動きを高めるため、一気に息が上がる。インターバルトレーニングのようなものである。インターバルトレーニングは、息の上げ下げを意図的に行って心肺に負荷をかけ、心肺機能を高める。

トレーニングでこれを行うならいいのだが、実戦でこれを強いられるとスタミナを著しく奪われる。たとえ怒りや欲望を満たすために猛然と襲い掛かっても、息が上がると、とたんに戦う気持ちが失せてくる。

1分足らずの空中戦の中で、カラスは何度も何度も、急速接近攻撃を試みてはタカにかわされている。明らかにカラスの方が、羽ばたいている回数が多い。これは疲れるだろう。タカはカラスのチェイスのたびに、少し向き変え、流している。

清朝末式八卦掌においては、使用者が弱者であることが前提となっているので、最初から敵と距離を置く。

そのためには、敵がいいがかりをつけてきた瞬間から後方へと小走り状態に移動し始め、勢(いきおい)を身体に付ける。敵の急接近がくるまで待っていない。すでに勢がついている状態なら、敵が言いがかり状態から急接近してきた時、すぐさま日頃連取している後退スライドへと移行することができるのだ。

敵の速度に合わせることはない。サッサと、自分の日頃練習している後退スライド時速度へと引き上げて対応すればいい。まさに『先んずれば即ち人を制し、後るれば則ち人の制せらるる所と為る』(司馬遷「史記」項羽本紀)である。

言いがかりをつけてきた段階から後方へと小走りに移動し始めるため、いきなり敵との間に一定の距離(2~3メートルくらい)がを作り出すことができる。敵は我を倒そうとするならば、いきなり開いたこの間合いを詰め、かつ、移動しながら強力な一撃を入れなければならない。移動して離れていく攻撃対象に、強烈な一撃を加えることは男性でも大変難しい。

移動し始めて推進力が身体に加わっているため、攻撃される側は、敵の急速接近に対し、すばやく後退スライド対応ができる。

動画を見ればわかるが、タカは常に前をむいて逃げている。カラスの方向を向きながら逃げているわけでないのだ。八卦掌走圏でいうならば、前を見て進行方向にまっすぐ進み、敵がチェイスをしてきたら、後退スライドで勢を保ちながらけん制し、向きを変え、再び別方向の前方へと移動しなおす。

対一人戦であれば、この動きを繰り返す。

距離を保ち、チェイスをしてきたらその都度転掌式でかわし、けん制し、向き変えてふたたび移動する。自分の息も上がるが、日頃から息が上がった状態で練習して慣れているため、息があがっても、割と冷静に対応できるのだ。

動画の最後に、タカは急上昇し、悠然とその場から離脱を図っている。動画中では分かりにくいが、カラスが突然追跡を止めたのは、タカが縄張りから離れたからではない。カラスの追跡体力が切れたからである。

カラスの脱落を確認したから、タカは悠然とその場(カラスの縄張り上空)を離脱するために上昇している。ただ「逃げる」のではない。カラスが体力がある時に逃げても、すぐに追いつかれることを知っているのだろう。疲れ果てて脱落させてから逃げるのだ。

私も、何度も後退スライドで繰り返し相手の息を上がらせ、敵の足が鈍り少し距離が離れた瞬間に、一気に離脱する。その瞬間、多くの敵は、あきらめる。この戦法は、タカの戦いの終わらせ方から学んだのである。

宝蔵院の胤栄は、池面に浮かぶ月を見て術理の大きなヒントを得た。少林寺の王朗は、蟷螂が獲物を補足する瞬間を見て、蟷螂拳への道をひらいた。

水野義人は、タカがカラスを移動遊撃戦で翻弄し、翻弄のすえに脱落させた後離脱する戦い方を見て、清朝末期頃の成立当時の八卦掌の姿・術理に気づき、そこからの修行やり直しで、清朝末式八卦掌を確立した。

それを複数人に話したことがある。「であるならば、やってみよう」という話になった(友達とか知人である)。相手には武術未経験者もいたが、剣道の有段者や空手の有段者もいた。体格も私より大きかった。誰一人、私に痛烈な一撃を加えることができなかった。私がすごいのではなく、敵の力に抗しない対敵身法を徹底したからあしらうことができたのだ。

この戦い方は、誰でもできる(※膨大な反復練習は、当然必要である。勘違いしないように)。一人でも練習できる(※術理を会得した指導者の最初の導入は必要)。人の協力はさほど必要ではない。圧倒的なくり返しで身体に染み込ませ、息が上がる状態に慣れ、そのスキルをもって敵を翻弄し、間合いを一層広げた後、命を賭けてキロメートル単位で離脱するのだ。

タカはカラスに対し弱者ではない。そんなタカでも、カラスと敢えて抗しないのだ。これぞ護身術のあるべき姿である。

倒す必要なんてない。倒すことは最終目的ではなかった。身を守るための一つの手段であったはずだ。八卦掌が近代格闘スタイルへと変遷したがため、倒すことが大きな目的となり、「八卦掌の勁力は強い」などというフレーズが言われるようになった。

圧倒的な打撃力を求めるのは、弱者使用前提だった清朝末期頃の八卦掌ではない。護身術として八卦掌を考えるならば、そこをしっかりと頭に入れておく必要があろう。

八卦掌水式門富山本科イメージ

24年2月4日開催:弱者護身術たらしめる「清朝末式八卦掌」基本身法講座

2024年2月4日(日)愛知県開催『弱者護身術たらしめる「清朝末式八卦掌」基本身法講座』を、愛知県刈谷市の刈谷総合運動公園にて開催します。

指導内容は、「いじめ護身部」「最低限の時間で仕上げる女性護身術」の内容に準じた、最小限のものです。最小限のものなれど、初学者には十分な内容となっています。

また日頃、一般的に普及している八卦掌を何気なく練習している方にも、昔日の命のやり取りが当たり前だったころの弱者護身術が、どのような技術体系であったかを知るうえで、大変興味深いものとなっています。

指導は、八卦掌第6代掌継人、梁振圃伝八卦掌第5代にして、八卦掌水式門の代表・水野が直接行います。

清朝末式八卦掌は、仮入門期間を経て正式に正式門弟になった人間にしか指導しない門外不出の技法です。今回以後、「いじめ護身部」・「最低限の時間で仕上げる女性護身術」において初学護身術希望者向けに公開された内容に限って、指導をすることになりました。

定式八掌転掌式、八卦刀術、八卦双身槍術、遊身八卦大刀術などの中核技法については、技法の冷酷性も相まって指導・公開しませんが、現代人が護身を達成するための基本身法を学ぶ上で、本講習は大変役立つでしょう。

◆開催日・開催時間

2024年2月4日(日):10時00分~16時00分(途中1時間昼休憩あり)

◆講習会のタイムスケジュール

午前の主な指導内容(午後にかぶる場合があります)

・推磨式基本功

・清朝末式八卦掌における「基本姿勢」走圏

・清朝末式八卦掌における「歩き方」

午後の主な指導内容

・「対敵イメージ」走圏~走圏とは何のために行うのか

・斜め後方スライド撤退戦の対敵身法「単換掌の術理」

・推磨掌転掌式で学ぶ、八卦掌中核技法

◆参加人数

先着12名

◆参加資格

中学生以上の男女で、清朝末式八卦掌を真摯に学びたい方

◆参加に際しての注意事項

・当練習会に参加するに際しては、募集期間中における事前の申し込みと支払期日までの受講料のお支払いが必要となります。支払期日を過ぎても支払を確認できない場合、例外なくキャンセルとして扱わせていただきます。

・真摯に学ぶ姿勢の参加者を求めます。指導者の指示に従わない者は、それ以後指導せず、帰宅させる。

・一日単位での参加希望者のみの対象講習会となります(午前と午後の内容が密接に結びついているため)。

・参加できなくなりましたら事前にメールにてご連絡ください。連絡無しでキャンセルした方は、今後の水式門の活動への申込みはお断りさせていただきます。

・発熱・体調不良・心身故障中の状態の中での無理な参加は、受講生の安全な受講に配慮する立場からお断りしています。

・一般参加者の学習環境配慮と技法のいたずらな漏えいを防ぐため、保護者・知人・親族等による見学行為は例外なくお断りしています。

・本講習は、有料の特別指導であるため、見学目的・無料体験目的での参加はお断りします。

・当講習会内容では、実際に参加者同士が手を交える対人練習が行われますが、屋外で開催するため、マスクの着用は義務としません。気になる方は、各自マスク着用での参加をお願いします。

◆開催場所

八卦掌水式門・大平洋側定期練習場所:愛知県刈谷市 刈谷総合運動公園 バス停横芝生広場

※雨天時は、刈谷総合運動公園内の「ウィングアリーナ」前のベンチまでお越し下さい。基本雨天決行です。ウィングアリーナ等が不明の場合は、電話にて遠慮なくお尋ねください。

◆受講料について

受講代金

一日5,500円円(税込)

当金額を、下記の指定口座に支払期日までにお支払いください。

受講料 振込先情報

銀行名  :三菱UFJ銀行

支店名  :知立(ちりゅう)支店 店番号 412

預金種別 :普通口座

口座番号 :1213489

口座名義人:ミズノ ヨシト

受講料についての注意事項

※必ず振り込む前に、当ページで後述する「キャンセルポリシー」をお読みください。

※下記支払期限までに金額を上記指定口座に受講料としてお振込みください。申込みがありましても、期日までにお支払いが無い場合、申込みのキャンセルがあったということで扱わせていただきます。

講習会当日や後日における支払いには一切応じておりません。ご了承ください。

◆応募締切日・講習会代金お支払い期限日

申込み・代金支払い期限:2024年1月26日(金)

※事前連絡参加者がいない場合は、講習会は開催しません。参加希望者は必ず事前にご連絡ください。

※お申込みがありましても、2月4日講習会は1月26日24時時点で、上記指定口座において申込者様からの講習会代金振込が確認できない場合は、1理由のいかんを問わずキャンセルされたものとして扱わしていただきます。

※お申し込み後、代金お支払い期限までに振込みがなく、かつキャンセルメールをいただけなかった無断辞退の申込者様は、次回以降の参加はお断りさせていただきます。伝える内容は、殺傷技法を伴う制敵技法であるため、常識的対応を持ち合わせない人間に伝えることによる社会的損失を事前に防ぐためです。

八卦掌水式門富山本科イメージ

2024年が明けて。

年初からとても悲しいことが起こってしまい、その対応に追われていた。

今後もしばらく、自分にできることに集中して動く。大原則、「自分の影響力の範囲内で」を守る。

正直、衝動にかられるが、何の技術もない自分が、勇んで駆けつけるようなことは絶対にしない。今行っても、何もできない。必ず、最大限に、家族のために、役立つことができる「その時」が来る・・・と何度も言い聞かせてきた。

「その時」が来るまで、現在状況を見続け、把握し、計画を立てる。今愛知でも、しっかりとできることがある。1日・2日は、気持ちが落ち込んだが、冷静になって分析することはできた。

家内と二人で歩きソフトクリームを食べた番屋街も、一番弟子・二番弟子らと練習し続けた比美乃江の芝生広場周辺も、大きな被害を受けた。私の心の支えとなって存在し続けてくれた氷見の街と人に想いを馳せながら、動き出す。

年初は、抱負を書こうと思ったが、昨年末の最後のブログでそれは書いた。今日は、書く時間を、1月27日の準備に充てることにする。それが今の私にできる最大のことだ。

八卦掌水式門の2大拠点にして、発祥の地、氷見市。ここまで来させてくれてありがとうございました。

こころからお見舞い申し上げます。今は心から復興を願います。「その時」が来たら、必ず駆けつけます。

水式門が2024年に確実に実行する事。待っとれよ、来年。

◆倉敷本科の橋頭堡が築かれ、四国・中国地方の将来の門人らが「八卦掌じゃないか、習ってみたいな」という気持ちを思わず持ってしまう。

◆代表・水野が、愛知と富山の多拠点生活状態となり、北陸富山本科に清朝末式八卦掌の根が張り始める。北陸各県・新潟から、有志が清朝末式八卦掌を習うため、富山本科の氷見に集う。

◆団体指導で、多くの警備会社が水式門の技術を習う。その会社らは、「守ってくれる警備員」を求める病院などを始めとする顧客から仕事を得て、実際に守って感謝され、清朝末式八卦掌が護衛力の高さを実感。それが広まる。

◆電子出版で、清朝末式八卦掌に”はく”がつく。過去数回の企画書脚下の経験が活き、ついに紙出版における商業出版がなされ、店頭に「囮護衛武術八卦掌から学ぶ、弱者の命をかけた護身技術」なる本が出版される。

◆遠隔地本科生が、第2・第4日曜日、入れ替わりで愛知を訪れる。来るたびに「この拳法ならいける」と感動して帰り、各地で単換掌の術理を練習する人間が増えていく。

◆各科とも、定員がいっぱいとなってしまい、狭き門となる。代表・水野が、愛知・富山に教練門人を置かざるを得なくなる。

◆各支部の支部長候補生が名乗りを上げる。「私は水野の弟子のままでいい」と言って、水野に「そんなこと言ってないでさっさと独自の境地に行け」と叱られる。

2024年に起こるこれらの出来事は、以下の水野の行動・成果によって引き起こされる。

追撃者目線から撮影された水野の後退スライド動画が増えることで、その動画が「無名でも清朝末式八卦掌になぜか興味を持ってしまった」運命的才能を持つ将来の7代目達人らの背中を押し、彼ら彼女らを愛知に導かせる。

毎日の心拍数150程度の持久力土台養成的後退スライド練習が、2024年も引き続きずっと実行されるため、そこでつちかった土台が真夏に活きる。真夏の苛酷な環境の中でも、18分の対人想定総合練習が可能となる。18分を告げるアラームが鳴るまで、初速の「勢(せい)」が保たれる。

八卦双匕首の背中越し末端斬りの成功率が、スポンジ支柱を使った毎日の背中越し対敵練習のおかげで、2023年の50%から飛躍して、80%となる。それを可能にする技術(蹴り技を使わず、すべての動作を歩きながら行う技術)が完全に身に付く。

後退スライド対敵身法のノウハウを学校戦に照準をあてて再構築した動画・解説が、水式門の「いじめ護身部」で公開されたことで、いじめに関係ない三河地方の八卦掌の有志に知られる。その内容の真剣度が彼らを動かし、愛知本科へ足を運ばせる。

倉敷で習いたい人が現れ、彼と協議することで練習場所の目安が立つ。倉敷本科の芽生えとなる。そのことで北陸・下越の潜在的有志が焦り、こぞって習いに来るようになる。

双身槍術・八卦大刀術練習における2メートル棒における間合いが、苦手の背身刀術であっても明確となる。先端より15センチも入ったところで当てて満足していた未熟な気持ちが消える。先端より5センチの部分だけで敵の袈裟、手首、膝内側痛穴を確実に打つことができるようになる。

八卦掌水式門富山本科イメージ

悲しみを話せない時。君だけは君の悲しみに寄り添って欲しい

いじめから抜け出す決意をしたとき、気分の高鳴りで、一時、勢いよく先に進む。

しかしほとんどの場合、気持ちの上下により、どうしようもなく落ち込む時がある。そのような時ほど、練習が辛いものはない。

気分の上下で落ち込むだけならいい。いずれ回復することもある。しかし、悲しいことが起き、それがもはや、取り返しのつかないこととなった場合はどうか?

落ち込むのとは比べ物にならないくらいの、心の奥底に貫通し、とどまるような悲しみの時は?

そしてその悲しみは、たいがいの場合、誰にも話せない。なぜなら、いじめの戦いの時、多くの人が孤独だからだ。誰も味方になんかなってくれない。私の場合も、話を聴いてくれる人間など周りに一人もいなかった。先生など言うに及ばず、親族ですら話すことができなかった。

その時になってみるとわかるが、目上の人の対応は・・・多くの場合、こちらの至らない点を指摘され、「がんばれ」と言われて終わる。ひどい場合叱られる。言えるはずなかろうに。

※私の場合は、親にも話すことができなかった。でも、もし可能なら、親御さんにだけは打ち明けてみて欲しい。君のその話を聴いてくれるかもしれない。ほとんど多くの親御さんは、君の悲しみを、悲しいと思ってくれる。

その場合、己の悲しみに寄り添うのは、自分しかいない。

私の場合、とにかく外に出た。外に出て、見晴らしのいいところに行って、遠く灯りを見つめた。空を見上げ、星を見ていた。

練習する、という気持ちをその時一切捨て、そこらにある棒を持って、八卦刀術で一人斬りまくった。汗をかくとか、疲れるとか、そんなことをは一切考えず、後先考えず、やみくもに振り続けた。

それができないときは、クラッシックを聴いた。歌詞付きのJ-POPではなく、クラッシックでも、神にささげる部類の曲を。

私はよく、カッチーニのアヴェマリアを聴いていた。

そしてそれは、今でも聴いている。練習をしながら聴くこともある。

私はもう、いじめで苦しんだ時から、40年近くが過ぎている。しかし未だに、あの時の敗北、同級生の泣く姿、欠席で使われない机といすがぽつんとある光景を、明確に思い出す。夢にまで見る。今年も、「うなされていたよ」と指摘されることが何回もあった。

どうしようもない悲しみが湧き上がる時は、もうその悲しみに寄り添うしかない。それだけが、己を少しばかり救ったと、実感している。

もう30数年、そうやって乗り越えてきた。

自分は、八卦掌の術理を極め、人に指導して志を実現させる道を歩き始めたならば、この苦しみや悲しみが和らぐと思っていた。しかし全く変わらなかった。何か事が実現したら、何かいい条件が起こったならば、悲しみから解放される。そう思っていたが、そうならなかった。

脅迫観念によって、どんなに体調が悪くても練習をし続け、多くの失敗を重ねてきた。練習を怠ることは、誓ったことを破ることだと思って進んできた。しかし、必要だったのは、悲しい時、一層追い込むことではなく、悲しみに寄り添うことだった。

カッチーニのアヴェマリアの旋律は、私にとって、素直に悲しみに寄り添う気持ちになるものだった。この曲に身をゆだねる時、涙があふれる。思い出す。それも無理におさえたりしない。気持ちのままに、思いだすことも頭から消さず、身をゆだねる。

何も考えず、棒を手に持って振るのと同じだ。棒を振るのは体力を奪われるし、場所も必要だが、アヴェマリアを聴くのは、いつでもできる。

練習の時も聴く、といった。その旋律が流れる時、振っていた棒を置き、空を見たりして、手を合わせ、もう戻ってこない人を想う。そうすると、少しだけ、遠くへ逝ってしまった人に、近づけたような気がして心が落ち着いたりする。

きっと君は、私と違い、まだ取り返すことできるのかもしれない。しかし悲しみは同じだ。悲しみに優劣なんてない。

「皆悲しいことの一つくらいある」「悲しいのは、辛いのはお前だけじゃない」そんな言葉は何にもならない。まったく無視しよう。悲しみを比べること自体が、意味がない。気にする必要のない心無い言葉だ。

君が悲しみに心を制され、どうにもならないときは、君が一番に寄り添ってあげて欲しい。君が君のことをもっとも大事に思って欲しいのだ。

アヴェマリアや、やたらと棒を振ることは、たった一つの例。寄り添い方は、君がもっとも心を保つことができる方法で行うのみ。

八卦掌水式門富山本科イメージ

清朝末式八卦掌三大武器術の習得で、女性護身術を完成させる

八卦掌水式門(以下「弊門」)では、武器術を大きく3つに分け、それらを必須武器術として指導する。

弊門における三大武器術は、以下の通りだ

・八卦刀術(はっけとうじゅつ)
・八卦双身槍術(はっけそうしんそうじゅつ)
・八卦双匕首術(はっけそうひしゅじゅつ)

八卦刀術は、110センチの長さの、一般刀術にくらべやや長めの刀を使用する

八卦双身槍術は、200センチの長さの長棒の両端に、10センチ程度の刃た付いたもの。

八卦双匕首術は、30センチくらいの刃物(要はナイフ)を用いる。

なぜ、これらの武器術を習う必要があるのか?それは、「護身術=我が身を守り危機から生還するための方法」であるから。ただ一つの目的「生存」のために、あらゆる手段を尽くすものであるから。

「あらゆる手段」には、自分が何かしらの武器を持って対抗する、という選択肢が当然のごとく含まれる。「あらゆる手段」には、「敵よりも有利な条件に持ち込んで戦う」という対抗方法も含まれる。

有利な条件・・・それは、相手が素手でも、こちら側が素手で対応しない、相手が何も持っていなくいなくとも、何かしら武器になりそうなモノが転がっていれば、それを武器にして対抗する、という好条件作成作業が含まれる。

敵の武器がナイフなら、我は、それよりも長いモノを手に取って、遠くから打ちのめす。だから、双身槍術まで必須であるのだ。ナイフだからナイフで・・・ではない。

意外と多くの修行者が、各武器術を練習する際、「敵は自分が持っている武器と同じ武器を持っている」と無意識に想定している。

相手が素手なら、我は、まず双身槍(長い棒)で戦う。双身槍がないなら、八卦刀(90センチ程度の棒)で戦う。八卦刀がないなら、双匕首(30センチ程度の棒2本)で戦う。双匕首がないなら、着ている服を脱いで、もしくは、持っているカバンを手にもって、果ては鞄に入っているタオル、マフラーをもって、八卦刀術の術理で振り回し、対抗する。

そういう考えを持つのだ。素手で対抗、など、もっとも最悪の、他に採るべき方法のない最終手段なのである。常に、どのような武器を使うことができるか考える。そして、どのような武器であっても、八卦刀術・双身槍術・双匕首術を練習しておけば、使いこなすことができる。

正々堂々と同じ条件で・・・は、いかにも日本武術らしい考えだ。中国では、間違っても「敵に塩を送る(※1)」ことはしない。

※1:上杉謙信が武田方に塩禁輸策を採らなかった逸話である。謙信は、今川・北条の塩禁輸策に苦しむ武田方に塩は送ってないが、武田方への塩の禁輸策・塩の価格高騰策は意図的に採らなかったため、そこから「塩を送る」という美談的故事が生まれたのだろう。

中国では、正々堂々と戦う、という発想は、「宋襄の仁(※2)」の故事になぞららえられ、笑われる。

※2:中国春秋時代、宋国の国王・襄公(じょうこう)が南方の強国・楚国軍と対峙したとき、襄公の息子である目夷が、敵の布陣の乱れがあるうちに先制攻撃を仕掛けるよう進言したが、襄公は「君子人の弱みにつけこまず」と言ってこれを退け、楚国軍の陣形が整うまで攻撃命令を下さず、その後、敗北した、という逸話。

以前「八卦掌は、冷酷な中国護身術」という記事をアップした。上記で説明した「相手が素手なら、こちらは武器を手に持ち徹底的に打ちのめして護身せよ。少しでも有利な条件で戦い、圧倒せよ」という考えは、護身術として大変重要な考えであるため、必ず頭に入れておいて欲しい。

この知識こそが女性護身術の成功のカギともなる。弊門以外で護身術を習っている女性の方は、ここでしっかり、武器術を習うことの大切さを理解してほしい。そして、今すぐにでも、武器術を練習に採り入れてほしいのだ。

大切なのは、特定の道具(例えば、スタンガンや催涙スプレー)を扱う練習をするのではなく、どんな道具でも扱うための土台的な身法を身につけるのことだ。

  • 基本姿勢走圏
  • 対敵イメージ走圏
  • 敵に背を向けないで行う後退スライド対敵身法
  • 敵に背を一瞬背を向けて行う後退スライド対敵身法
  • 前の敵にスライドして回避しながら攻撃しつつ去る対敵身法

これらは、「どんな道具でも扱うための土台的な身法」そのものである。言い換えれば、清朝末式八卦掌は、身の回りの、武器になりそうな道具を、意のままに操るための拳法と言えるのだ。

逃げる、といって、カニさん歩き(横歩き)を、ステップをして行っているようでは、たちどころに捕まってしまう。そうではなく、一番速く移動できる身法、敵の追撃をかわす後退スライドの身法を身につけること。その土台があって初めて、特定の道具が活かされるのである。

この前提知識をもって、各主要武器術を練習する意味を述べていく。

八卦刀は、八卦掌の原型となった、太平天国の乱当時の、藤牌営兵(※3)の戦場刀術に関係している(諸説あり)。

※3:片手に藤(とう)の牌(はい・盾のこと)を持ち、もう片方で90センチ超えの片刃の刀を持った、最前衛の盾歩兵のこと。

この戦場刀術から、八卦掌の原型である「単換刀」が生まれ、「単換刀」から「単換掌」ができ、主要転掌式(後方スライド転身撤退戦の身法)となり、主要転掌式から、逆輸入の形で、八卦刀術が生まれたと推定される。

中国片刃刀は、日本刀と違い、重く、刃がそれほどトキントキンに研がれていない。重たいものを敵にぶつける、という意識が強い(人数が多いため、研ぎ切れ味を維持する、という作業ができないから)。

その重たい武器を、宦官(かんがん・去勢された男性官吏のこと)であった八卦掌創始者・董海川先生が、「弱者でも操ることができるためにはどうしたらよいか」の発想から生み出したのが、単換刀である。

後方敵へ刀を振り回してけん制し、後方へ移動しながら身体移動で持ち上げ刀の下をくぐって我の身体を移動させ防御しつつ、くぐり終わったら、重さを利用して、追撃で突出した敵の身体に、刀を当てるのである。

この動作では、重い武器を動かさない(動かせない)かわりに、自分自身が移動して角度をつけ斬りシロを作って、その場から斬りつけ動作を行う。武器を振った際、我の身体をその場から移動させないとどうなるか?

刀を持ち上げたりしないと、再び斬りつけ動作ができないのだ。重い刀を、その場にとどまった状態で上げるには、大きな腕力が必要となる。宦官や女性には不可能であるのが想像できるだろう。

八卦刀術の中でも主要中の主要術である、「按刀(あんとう)」と「陰陽上斬刀(いんようじょうざんとう)」は、重い刀を身体で振り回すために、とにかく身体を移動させる。刀を持ち上げるために、5~6歩近くも移動するのだ。その「移動」こそが、八卦掌における防御となる。その場に止まらないために、敵の攻撃から常に離れ続けることができ、敵の攻撃間合いから身を避難させることになるのだ。

清朝末式八卦掌を知らない人間は、この「移動」をどうしても「防御」と認識することができない。「逃げてばっかり」として、その術理を採り入れようとしない。

結果、相手が屈強でも、技術が上でも、果ては男性でも、敵前にとどまって技で真っ向から受け、手数で圧倒された際、身体に攻撃を喰らい、敗北するのである。

主要刀術を練習することで、「技のたびに移動しながら行い、止まらない」術理が身体に入り、後退スライドによって敵の力と真っ向からぶつかることがなくなり、撤退戦によって身体を守りつつ、攻撃ができるのである。

八卦双身槍術は、対多人数の敵中を移動し続ける際の防御から生み出されている。柄の中心部を持ち、移動しながら通りすがりの敵に、柄の先端部分をぶつける。

演武で見られるような、複雑な取り回しは必要ない。必要なのは、八卦刀術で習った主要刀術操法を、双身槍を使っても同じように実行できる能力だ。

この能力の土台のもとに後退スライドすれば、後退スライド時の転身動作によって双身槍の先端部分が大きく孤を描き回って勝手に敵に当たり、敵を殺傷する。もしくは当たらないにしても、敵は回転する槍先によって、近づくことができず、足を止めることになる。

主要刀術の中でも、按刀・陰陽上斬刀・背身刀の動きをそのままに行う。それくらい、八卦刀術と双身槍術は密接に結びついている。

よって、八卦刀術術理を身体入れた後に取り組むと、実にスムーズに体得できる。弊門で、八卦刀術を理解した後に双身槍術を指導するのはそのためである。

八卦双匕首は、もっとも射程距離の短い武器である。敵が素手の場合のみ、その優位性を発揮する。射程距離が短いため、敵の胴体などの中心部分を攻撃すると、攻撃時我の身体が必要以上に敵に近づいてしまうため、危険である。

ゆえに、遠い間合いから、末端部分を、移動で敵の照準からずらしながら狙って、斬る。斬って失血死をねらう。そういう意味で、目的の明確な冷酷な護身法である。

棒であれば、敵の血管を斬ることはできないが、末端部分をねらうことで、武器を落としたり、腕を使えなくさせることは可能である。棒であるメリットは、振り回しても自分が傷つかないことだ。よって、思い切り速い速度で、手返しよく、ためらわず攻撃できる。

ナイフなど、そもそも持ち歩くことはできないし、あったとしても、一般人はそれで人を斬りつけることにためらいを感じるものだ。法律上も、過剰防衛・殺人罪の可能性が生じる。その意味で、双短棒術として練習することは、現実的護身術を習得するうえでの魅力ある選択となる。

短いリーチで末端部分をねらうため、間合いには大変気を遣って練習することになる。その気遣いこそが、各武器における間合いの間隔を養うのである。

武器術は間合いが重要である。短い武器ゆえ、他の長い武器でおろそかになりがちな間合いの感覚習得の練習に向き合うことができる。

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清朝末式八卦掌は、残酷歴史から生まれた中国産護身術の一つ

八卦掌水式門(以下「弊門」)に、「遠隔地生科」がある。

愛知から遠く離れた県に在住の方でも、弊門で指導する清朝末式八卦掌を始められるように設置した科である。

遠隔地生科は、護身術の通信講座だと思っている人が多いが、そうではない。そのため、遠隔地生科に仮入門制が採用されていることを知ると、「護身術講座なのになんで気軽さがないの?」と疑問をぶつけてくる。

このことは、あらゆる場面で触れる重要なことである。弊門で指導する八卦掌は、弱者使用前提の「弱者護身武術」的性質もあるが、実は、成立当時のままの技法を貫き伝える「護衛武術」なのだ。護衛武術であるゆえ、その内容に平和的要素がない。日本国内で見られる、他者の生命に配慮した「日本式護身術」ではない。その姿勢に欠ける「中国式護衛護身術」なのである。

参考までに触れておく。中国式護身術には、日本武道に見られる「相手を傷つけない」とか「自他共栄」のような、自制の理が存在しない。

後退スライド技法が中核ゆえ、敵を傷つけない武術、などと思い違いをしている人が多い。後退スライドは、力の強い者に負けないための技法であり、逃げているわけでない。後方へ移動しながら防御しつつ、人体急所打って、殺傷したり戦闘不能にすることを躊躇なく実行する。

話を戻す。八卦掌の護衛の仕方は、こうだ。自分が力の弱い弱者であるから、他の武術のような「敵を全員倒して護衛」することはできない。

弱者であるから、縦横無尽に移動しまくって翻弄しつつ敵を引きつけ、引きつけの渦中で突然奇襲攻撃をして敵を我に集中させ、護衛する。つまり、囮(おとり)になる。

囮になっている間に、味方が来ることを期待する。囮である以上、危険を伴う。しかし使い手の生存より、あくまで皇族などの守るべき人間の命の方が重要だったのである。昔日の宦官(かんがん)が使った拳法らしい。宦官の身分は低く、ともすれば蔑視対象でもあったゆえ、命は顧みられないのである。

清朝時代は、征服を果たした支配階級民族たる満州族の皇族と、漢民族などのその他の庶民では、命の重さに明確な違いがあった。厳しい身分制度が存在していた時代だったがゆえの、悲愴感に満ちた護衛護身拳法なのである。

囮といえども、すぐに倒されてしまっては、当然護衛を果たすことができない。そのため、一定時間敵に捕まらずに攻防し続ける技法で貫かれている。この「囮として一定時間敵をさばきつづけるための技法」があるゆえ、現在の身分制のない日本で、護身術としての価値を放つのである。

清朝末式八卦掌を指導するにあたり、「護身を果たすためには敵の命を奪うことも辞さない」技法を外すことはできない。清朝末式八卦掌もしょせん中国拳法の一つであり、人を殺傷する技法であるのは変わらないからだ。

中国は、異民族に征服された過酷な歴史を繰り返した。例え自分が正義であっても、力によって征服されれば、身の周りの大切な人や善人が、平然と虐殺された残酷な歴史を何度も何度も経験している。その過酷な経験の中で、思いやり要素が強い武術が成立するはずがない。

弊門指導の清朝末式八卦掌は、「後退スライド」要素により平和的でマイルドな印象を持たれやすいが、そのようなことはない。武器術では、遠い間合いから敵の末端を斬り失血死させることを目指す技法理念があったり、重い武器を身体で扱って敵にぶつけて殺傷を目指す技法理念が存在する。

そのような殺伐とした技法を、通信講座で、面識もない人間に指導するはずがない。これは、技法ノウハウを出し惜しみしているのではなく、殺傷技法を伴う技法を指導する団体としての、社会的・道義的責任なのである。

八卦掌が成立した当時の中国は、太平天国の争乱のため国内各地で、反乱軍や清朝正規軍によって、庶民に対する非道な暴力が加えられていた(乱により命を落とした人数は、2000万人ともいわれる)。賊や野盗だけが脅威だったのではない。いつ何時、どの集団が、自分や家族の命を奪いに来るかわからない時代である。その渦中で成立した護衛護身術である。他者に対する遠慮がない技法理念で染まっているのは当然である。清朝末式八卦掌の骨の髄までしみ込んだ遠慮無用の理念を、外して指導することはできないのは分かっていただけるだろう。

よって、日本国内で見受けられるような「誰でもできる護身術」系にすることはせず、原初のままの弱者護身のための技法のままに伝える。それはこれからも変わらない。以下が、具体的な指導法である。

  • ・徹底した反復練習によって、無意識レベルで身体を後退スライドさせ得る指導を重点的に行う。とにかく敵に捕捉されず、敵の力攻撃のベクトルに抗しない技法を指導する。
  • ・危険回避知識や護身哲学たぐいの指導はしない。そのような内容の知識は、書店に行けば、複数並んでいる護身術本で習得できるから。
  • ・武器操法を重視する。日傘、雨傘、杖など、90センチ棒で対抗できるように、八卦刀法を初日より指導する。200センチ棒による双身槍法を指導し、竹、のぼり、物干し竿、工事現場の進入停止棒で対抗できるようにする。双匕首技法を指導することにより、手持ちの水筒と折り畳み傘の組み合わせなどの二刀技術で戦うことができるようにする。

見てお判りのように、徹底した繰り返し練習と、徹底した現実的練習により、実際に危機が迫った際、力任せの攻撃によって圧倒されないことを目指している。

いくら護身哲学や心構えを学んでも、この技法ができない限り元も子もない。先ほどの、中国の歴史と同じである。いくら護身哲学や心構えが立派でも、いくら自分が正しくても、力の行使に屈したら、それらで我が身が助かることはない。結局、技法の行使で敵を戦闘不能にさせるか、敵から離脱することでしか、命を守ることはできないのである。

私は海上自衛隊の護衛艦の艦長になるのが大きな夢であった。護衛艦の艦長になるなら、防衛大学校を出るのが一般的である。当時は、防衛大学校に入学するためには、兵法や戦術知識が必要であると真剣に勘違いしており、小学生の頃から、戦史や兵法学習をしていた。その中で、多くの危機管理・危険回避知識を習得した。

しかし、そのような知識があっても、命に関わる危険を回避できなかった(野生動物の突然の襲撃や、いじめから大切な人を守ることだができなかった経験など)。

野生動物襲撃の際、私の命を守ったのは、ちまたの護身術が重視しているような護身予備知識などではなく、我の身体にしみ込んだ清朝末式八卦掌の中核技法(八卦刀術の背身刀)だった。知識だけだったら、私はイノシシの鋭い歯によって、膝付近を突かれ、外傷や感染症で、タダでは済まなかっただろう。

よって、弊門では、人をも殺傷し得る危険技法による護身術たる清朝末式八卦掌を伝えるため、遠隔地生科でも、仮入門制を採り続ける。

日本で生まれた護身術ではない。異民族に征服され続けた過酷な歴史を持つ中国で生まれた「中国産護身術」であるゆえの宿命である。

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「後退スライド」移動し続けること=女性護身術最大の防御法

女性が屈強な男性の攻撃を防ぐために、清王朝末期頃成立当時の八卦掌は、極めて有効な防御法を示してくれた。

その防御法とは「移動」である。もっと具体的に言うならば、後方への移動である。弊門で「後退スライド」と呼んで指導している一大技法である。

清朝末式八卦掌の組手(実戦模擬練習である打ち合い練習)を清朝末式八卦掌のことを知らない門外漢(近代スタイル八卦掌修行者も含む)が見ると、「ただ逃げ回っている」ようにしか見えないだろう。しかし、ただ逃げ回っている、のではない。

清朝末式八卦掌は、移動することで、敵の攻撃を防いでいるのだ。「移動」には、単換掌の術理である後退スライドを含んだすべての移動方法(ウォーキングなど)が含まれる。

単換掌の術理から導き出された「後退スライド」対敵身法によって、敵中を、速度を落とさず移動し続けながら、攻撃を避け、敵の逆をつき、捕まらず駆け巡ることができる。

後退スライドは、八卦掌の歩法の名称を借りて言うならば、

「小さな擺歩(はいほ)→小さな扣歩(こうほ)→大きな擺歩→大きな扣歩(※直歩や大きな擺歩を持ちる場合もある)」の4つの歩で実行される。

このシンプルな運足技術によって、後方・側面から急速に接近してきた敵の追撃予定を狂わせ、時に、目の前に現れた敵の斜め前をスライドしながら移動逃げ打ちを展開する。

お気づきだろうか?先ほどから、私は足の使い方しか話していない。後退スライド防御法の説明をする際、必ずと言っていいほど、手技の技法解説を求められる。

「手は、後退スライドしながら、敵に向けて出すだけでいいよ。もし出すことができないなら、出さなくてもいいよ」

と答えるようにしている。

極端に言ってしまえば、手技の種類・出し方はどうでもいいのだ。それこそ、手を相手に向けて伸ばすだけでもいい。熟練者であれば、手すら出さず、後退スライド運足技術のみで、敵の追撃をすり抜け、移動し続けることができる。

なぜ手技で防御しないのか。それは

  • 「敵の力と正面からぶつかる」
  • 「敵と距離が近くなりすぎるから」
  • 「敵の力任せの攻撃に押し込まれる」

からである。

「敵の力と正面からぶつかる」ことは、なぜ手技防御を避ける理由となるのか

女性の筋力は、男性のそれより当然低い。これは紛れもない事実だ。だから、女性護身の際の敵(多くの場合男性となる)の力に、抗してはならない。

力と力がぶつかれば、当然、力の弱い者の方が不利である。そのような単純なことなのに、多くの護身術は、当たり前のように、敵の突き・蹴りを防ぐ技法を、時間をかけて指導する。

「敵と距離が近くなりすぎるから」は、手技防御が招く、最大の欠点である。

手技で防ぐことしか防御方法がないなら、当然、敵に向かい合って、敵の近くで、敵の出してくる攻撃を防がなければならない。「敵の攻撃を手で防ぐ=敵のすぐそばにとどまる」ということだ。

明確な攻撃意思をもった敵のそばに居続けることが、どれほど危険なことであるか、容易に想像できるだろう。

そばに居て手が届く攻撃対象者の、胸三寸で、事の帰趨が決せられる。近くに居続けることは、もっとも危険な行為なのである。

最後に、手技防御が「敵の力任せの攻撃に押し込まれる」理由を説明したい。

手技を練習し、手技をもって防御するためには、敵に対し、我の身体を正面きって向ける必要がある。その状況下で、首尾よく手技が成功し続け、その戦況にイラつき、敵が猛然と力に任せて突進してきたらどうするか。

体格と筋力にものを言わせて前に出てくる敵ほど、防ぐことの難しいものはない。猛然と突っ込んでくる敵を避けるには、急所に致命的な一撃をカウンターで打ち込むか、後方に逃げるしかない。

カウンターは、訓練を積んだボクサーでも難しい技法であるため、女性護身術技法としてアテにすることはできない。

であるならば、後方へ逃げるしかない。後方へ逃げるには、正面に向けた身体を、後方へ向け返して、そこから移動する必要がある。この「向け返して」が、時間がかかる。多くの人は、突進に身体が固まり「向け返し」すらできないか、向け返している間に、敵に捕捉され、蹂躙されてしまうのだ。

向け返しもせず、後ろ走りで下がる方法もある。しかしこれは、前に突っ込んでくる敵の速度に比して、圧倒的に遅い。たちどころに捕まってしまうだろう。後方へ逃げるなら、我の身体も完全に後方へ向け、わき目もふらず前に進む必要があるのだ。

※手技で防御するならば、敵に身体正面を向けざるを得ない。武術の中には、背中越しに構えるものもあるが、絶対少数である。そのようなマニアックな武術護身法は、当然、相当の経験を積んだ使い手のものである。

・・・・手技に頼って身体を守ることが、女性の護身術にとっていかに難しいものであるか、分かっていただけたと思う。

手技防御による護身は、不可能ではない。実際、多くの護身術道場は、その技法を指導している。このような道場を選ぶなら、とにかく通って、男性と組手・スパーリングをし、その中で手技防御技法を出来るようにする必要がある。

後退スライドを利用した清朝末式八卦掌の護身身法であれば、最初から後方へ我の身体を向けて対敵し、急速離脱しながらの撤退戦技法も事前に練習できているため、「移動+最悪の際の手技けん制」の二本立てで、その場からのスライド回避が可能となる。

※この動画には、解説音声があります。

最悪の際の「手技けん制」であることに注目してほしい。ここでも、けん制によって敵の接近を防ぐことを目指している。攻撃ではなく、けん制である。けん制とは、とにかく手を出すだけ、である。足を止めればいい。止めている間も、後退スライドで移動している我は、敵から距離をとることができる。

清朝末式八卦掌において、防御の90%以上が「移動」なのである。敵の手の届かない場所に身体を自在に「移動」させることができるならば、敵が武術の技法に優れていても、力が強大でも、関係ないことになる。

清朝末式八卦掌は、宦官(去勢された男子)によって考え抜かれ、体系化された対暴力生存技術なのである。

この稀有の技法を、ぜひ女性の皆さんに利用していただき、卑劣な暴力から身を守ってほしい。

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八卦掌の有名な「構え」では護身はできない

八卦掌の有名な構えがある。映画「グランド・マスター」でチャン・ツィイーが見せた構えだ。

梁振圃伝八卦掌では、あの構えは「推磨掌」と呼ばれている。

では実際に、八卦掌の使い手は、組手でも実戦でも、あの構えをするのか?する人もいるようだ。しかし私はしない。なぜなら、あの構えをすると、身体が特定の場所に居着き、敵の突進攻撃に対応できないからである。

しかし、映画や漫画の影響で、八卦掌はあのように構えると思っている人間が多い。門外漢ならまだしも、長年八卦掌を修行している人間ですら、あの構えをするという驚きの現状がある。

※この動画には映像音声があります。

映画のワンシーンを見てもらえばわかるが、男性拳士と真っ向からぶつかって戦っている。これはもはや弱者使用前提を離れた格闘技である。映画ゆえ、派手なアクションが受けるため、このような点が誇張されている。この戦い方は、「遊撃戦」ではなく、「変則ステップ戦」である。センスと若さ、対人練習での膨大な練習量、そして運が必要である。

実際に、約束事など設定せず、遠慮も手加減も一切ない実戦で、このような構えをして対峙してみると、この構えから反応することがいかに難しく効率が悪いかすぐわかるものだ。効率悪いを通り越して、対応できないのである。

夜間警備の職務中、野生動物(1メートル超えの猪)が3メートル後方から突進してきたことがある。アスファルトの上ゆえ、3メートル以上の距離を、わずか2秒足らずで詰めてきた。まさに突進である。

私は、手に持っていた棒で、背身刀を用いて後ろ撃ちしながら転身し持ち替え、その後後退して猪と並走しながら、2発を打った。あの構えをしている暇もなく、猪のファーストアタック時、背身刀にて後退打ちしてしのぐことしかできなかった。

後退スライドが無意識にできたから、背身刀の技も出すことができたのだ。突進してくる敵に、前にでて対応する技法しかしらなかったら、ファーストアタック時に、膝付近に、口から飛び出ている歯が刺さっただろう。

突進時、自分がとっていたのは、まさに、清朝末式の基本姿勢であった。練習時、ひたすらあの姿勢から後退スライドする練習をしているため、平素でも、無意識に清朝末式基本姿勢になっているのである。

※この動画には解説音声があります。

清朝末式八卦掌の女性護身術講座であるので、ここで明確に、構え方を示したい。

基本姿勢

手を下げ、敵を背中越しに置き、逃げるように敵から遠ざかるように歩く。傍から見ると「嫌がって逃げている」かのように見える構えだ。実際に構えているように見えない。歩いて敵から遠ざかっているので、逃げているように見えるのである。

すでに身体が入っているので、敵が急速に距離を縮めてきたら、スライド並走して距離を詰めさせない。

そして状況に応じた後退スライド撤退戦の転掌式で対応する。

簡単そうに思うかもしれないが、これは意外と難しいのだ。そもそも、敵を斜め後ろに置きながら歩くことは、潜在的に恐怖を感じるだろう。事前に、この位置に敵を置いて歩く練習をしなければならない。

その練習こそが、かの有名な「走圏」なのである。

清朝末式八卦掌の走圏では、頭を円周の中心に向けたりしない。敵は四方八方にいるため、まっすぐ前を向いて歩くのである。円の中心に顔を向けていたら、円の中心にいる敵にしか注意が向かない。これでは、側面からの攻撃に反応ができない(気づかない)。

清朝末式八卦掌の基本姿勢。手を下げ、胸をくぼませ、背中が丸くなる。そしてリラックスした状態。実は、この姿勢こそが、構えの練習でもあるのだ。敵と対峙する段階は、少しだけ顔を、敵へ向けながら逃げるが、その後は、ひたすら前を見て高速ショウ泥歩で多人数の渦中を駆け抜ける(※対一人の時は、常にその敵を見て歩く)。

近代八卦掌の走圏練習で必ずと言っていいほど出てくる「八歩で一周くらい」もほぼ気にしない。水式門の正式門弟に、八歩で一周・・・といって指導することはない。移動遊撃戦になってしまえば、その時の状況で、旋回の半径もコロコロと変わるからだ。〇歩で一周、という決まりは、移動遊撃戦の弊門八卦掌では、顧みられない。

近代八卦掌の修行者が読んでいる可能性もあるため、指導許可を得て伝人にもなった先輩八卦掌家として、近代八卦掌の走圏について触れておこう。

※「伝人」の肩書は、後に無理な条件を付され事実上覆されることになる。このような行為は先生という立場でも弟子の将来を狂わし得る行為であるため承服していない。しかしこのようなくだらないトラブルに後進を巻き込ませたくないことと、梁派技法で弱者護身は難しいと判断した2つの理由から、梁振圃伝で弟子は取っていない。

近代梁派八卦掌の走圏では、腕をねじり込み、手のひらを地面の向け平行にし、指を目いっぱい伸ばして姿勢を維持する。激しい緊張状態をし続けることで、必要な箇所だけ力が入る状態へと導く練習法である。私も、梁派の第5代にまでなった人間なので、このプロセスを経て、必要な箇所だけ力が入る状態へと達した。

しかし、このプロセスの過程で、昔東京で中国人就労生の若手先生から習った八卦掌は、ガチガチの見苦しいフォームとなってしまい、八卦掌を少しだけかじった兄弟子に「水野君の八卦掌は本当にへたくそだ」とまで言われるようになってしまった。

私が指導者になったら、この「緊張の中に弛緩を見いだす」練習方法を、必ず不採用にしてやろうと考えていた。それくらい、功罪のある練習方法なのである。実際、最初の厳しい練習段階に耐えきれず、多くの人が八卦掌に挫折するか、基本姿勢をなおざりにした状態で先に進んで、軸のない動きになってしまう。

実戦では、もちろん、このような歩き方はしない。あくまで鍛錬のための姿勢なのだ。実戦時の動きではない練習法は、清朝末式八卦掌ではNGである。昔日に、実際の動きではない動きで練習している暇など無い。軍隊であれば、短期で徴収した農民兵を戦うことができるまでに育てる必要がある。

清朝末期は、今すぐに使う必要があるご時世(太平天国争乱の渦中)であった。今すぐに使うことができない武術など、昔日において必要とされない(岳家拳、楊家拳のような、秘匿性の強い門外不出の武術は例外である)し、繁栄もしない。

基本姿勢2

話を戻そう。

手を下げ、リラックスが要点となる、清朝末式八卦の基本姿勢で、敵から逃げるように歩き距離を保つ。必ず、その距離は、相手の手が届かない距離だ。理想は5メートルくらい。それくらい離れるようにする。

その状態から、敵が距離を縮めて来たら、すかさず後退スライド動作に入る。少し距離が縮まるが、その状態で、けん制となる推掌・穿掌などの攻撃を、相手の頸部めがけて放つ。

相手は突然の攻撃に足が止まるが、こちらは、歩きながら攻撃をしているため、移動速度は落ちていない。そこで距離が開く。

そのワンターンだけで、大きく引き離すこともできるが、そうでない場合も当然ある。そこで、このターンを、何度も繰り返す。自分の息も上がるが、相手は移動しながらの攻撃にほぼ慣れていないため、軸を失い、息が上がり、距離が開いていく。

その状態で、突如大きくスライドしてより一層大きく引き離し、相手の脚が止まるのを確認したら、キロメートル単位の「離脱」をして、身を守る。

ターンの最中も、常に基本姿勢を取り続ける。この基本姿勢こそが、「構え」なのである。

清朝末式八卦掌の走圏は、実戦で実際に採る姿勢で歩く練習のため、後退スライドの対人練習で試してみると、すんなり違和感なく動くことができる。

八卦掌水式門富山本科イメージ