世界武術の原点~氷見市島尾海岸

今日は記念すべき日である。

前人未踏の道は、想像以上に辛いものだ。今日は、グランドマスターの愚痴に付き合って欲しい。

道を貫く、といことが容易でないことなど、頭ではわかっていたのだが、そこに待っているものは、圧倒的なことばかりであった。努力や心掛けでなんとかなるものでもなかった。

Youtube上にて最近量産されているにわかスピリチュアル教師どもは、どん底からの好転、を説く。私はずっと以前、その言葉を聞いて、毎日毎日底からの脱出を夢みて、進んできた。実はあれから、もう、3年以上もたってしまった。

その三年の中で、あまりにも過酷な底が続いた。多くのものを失った。家は3回も失った。自分の目指す道を共に歩むと言ってくれた人もこの世からいなくなった。いつも請求書におびえ、のたうちまわった。生き急いだ青年の死を見た時は、恐ろしくて夜いつも震えていた。そして・・・・本当に支えてくれた人も失ってしまった。その人の死に目に会うことも、送ることもできなかった。ここまでするのかよ・・。

それでも私は今日も、島尾の海岸に立って、いつもの通り、今日も進むと報告をした。

ここは世界武術・転掌の原点である。転掌は、私がこの世に生まれ、約束した人を守ることができず、そして楊師に巡り会ってその技の皆伝を得た時も含め、すでに世界武術になっていた。それは宿命である。

私は今この瞬間も、自分の島尾での想いを書くことで、転掌が世界に広がっていくことを実行している。

この場所から氷見市街の方向を見る時の景色は、今も変わらない。あの時は、すでに6月であったから、立山連峰は影のみであったと記憶する。そこには未来の家内がいて、水式門の名をくれた同級生が座っていたのである。プロフィールに掲載してあるイラストは、あの時のことを思い出してかいたのだ。

そんなこと書くの?書く!これは原点だからである。

何があっても練習場所に向かったのは、あの時の笑顔があるからである。私は苦しくない。この世に生きてられる。生きてられる以上、吹雪で吹き付ける氷雪も、土砂降りの雨も、苛酷に照り付ける太陽も、すべてが祝福である。私はそれを受け、何かを感じることができるのだ。

私に想いを託してくれた人たちは、それすらも味わうことはないのである。私がその分も受けないでどうする。

名付け親

死ぬまできっと動き続ける。移動遊撃戦でできなくなってきたら、何が違う手を考える。ずっと進化し続けるのだ。そうすることで、転掌が世界の隅々の本当に深いところまで浸透し、それが根底から、大切な人達の日常を守る。この世は幻想かもしれないが、私たちはここで泣き笑うのだ。だから退場させない。その役目を果たすことができるのは、転掌である。

多くのかけがえのない宇宙が、私の近くから去っていった。でも私はずっと、一緒にいると感じている。そして見渡すと、私の周りに、私の宇宙に共感する愛すべき宇宙もいる。共感し、志を汲んでくれる宇宙たちもいる。

今日は感謝しかないのである。あまりに最近、走り続けたばっかりに、さすがに身体が熱くなってきた。桜も咲いてきたことだし、明日は少し、花を愛そう。

独学システム

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