月別アーカイブ: 2024年12月

2025年末には達成されているから、皆に、ありがとう。

ウーマン・ライト・ガードの未来に担う、女性警護人候補に、たくさん出逢い、成長していく姿を目の当たりにしている。大和町広場においえて駆け回る将来の達人らを頼もしく見守っている。

水式館の本拠地・北陸の冬にあわせて、スバルのフォレスターに乗っている。ワゴンRはセカンドカーとして、水式館の掌継人らの足として活躍をし続けている。

電子書籍・ペーパーバッグ版の『八卦掌原型・清朝護衛官武術「転掌」から学ぶ自分護衛術』が、英語・中国語・ヒンディー語で出版されている

転掌・転掌式八卦掌の海外サイトが完成しており、日本国内のアクセスをはるかに上回るアクセスが得られ、大きな反響を得る。転掌の世界における知名度が2024年のそれをはるかに上回り、海外において真の護衛術を求める修行者らが、金沢を訪れることを憧れとする。

『八卦掌原型・清朝護衛官武術「転掌」から学ぶ自分護衛術』の高い評価より、当然のごとく商業出版の流れとなり、内容を変えないままの、転掌自分護衛術の解説本が全国の書店に並び、多くの護衛術を必要とする者がそれを手に取り自信を得て将来に希望をもち立ち上がっている。

北陸地方における警備会社への指導のグランドスラムをさっさと達成しており、警備会社のみならず、指導の場が、銀行・病院・その他の事業所に及び、北陸地方における、プロの護衛術指導機関として、その名をとどろかせている。

海外から、転掌・転掌式八卦掌のインストラクター希望者が金沢を訪れ、真摯に習って、それがものになっていく姿を見て、世界への広がりを実感している。

入身法(Rushenfa)の完成がなされており、緊急窮迫の事態においても、わずかな入り身のみで多人数の襲撃を処し、対多人数移動遊撃戦連続20分を、真夏に達成して、笑いながら戦っている自分となっている。

転掌のグランド・マスターとして、転掌の本格的な執筆を始動させ、執筆し続けている。

北陸金沢本館のメドがたち、北陸金沢を任せる後継者の候補を渇望し始めている。

第五日曜日に、各地で行う講習会は、常に定員がいっぱいとなり、そこで学んだものは、革新的な東洋人専用の技術体系に感動を受け、転掌門を叩く。

日本全国から、指導員候補生が入れ代わり立ち代わり金沢を訪れるため、温泉付き宿泊施設の確保を考え始め、めぼしい施設と交渉をしている。

楊家連身藤牌の基本型の統一と整理がなされ、日本国内で、清朝緑営藤牌兵営直系の転掌式藤牌術が伝わる。

これらはすべて、列挙しながら明確にイメージすることができるものである。イメージしながら、苦笑する自分を体験し、フォレスターの新車のにおいを感じ、北陸新幹線の滑るような走り出しを実感する。イメージしている最中の感覚はあまりにリアルであり、嬉しくて涙すら出る時もある。

このことから、来年の今日に、これらは当たり前になっている。実現される過程の中で、協力してくれた諸氏に、この場を借りて、心から感謝しておく。これから先も、水式館の理念の実現のため、多くの人の屈託のない幸せのため、力を貸し続けて欲しい。

心から、ありがとう。

強くなりたいのか。有名先生のお知り合いになりたいのか。

日本語版での出版が終了し、次の段階へと進む。

英語版に修正しながら、日本語版の原稿を変えていく。英訳は、必ず自分でおこなう。伝えたいことが、専門的過ぎるし、すべてをチェックできない。完璧でなくてもいい、今から進める。英語版の出版である。

今回の出版内容は、完全ではない。

しかし言いたい。

「完了」は「完璧」に勝る。これは私の信念の一つである。

とにかく転掌を世に出すことで、転掌のステージが、また一つ上がったのである。これで一層、世界に広がっていくのだ。世界各地にいる天才らは、日本語であっても、何の問題もなく、あらゆる手段を駆使して、それを読み、インスピレーションを受けるのだ。

私の周りにには、転掌を修めていて、かつ英語がネイティブな門弟はいない。いないなら、自ら引き寄せるのみである。金沢で、いや、日本で、「転掌」てんしょう!などと叫んでいても仕方ない。

これだけ技術を磨き、洗練させ、核心に迫る革新的な内容を紹介しても、自分のプロフィールばかり見て、そこから離脱しいなくなる。有名先生に就いてない自分が気にくわないか?はっきり言う、実戦で強くなりたいのか?それとも、有名先生のお知り合いになりたいのか?

海外からの閲覧ユーザーと、日本国内の閲覧ユーザーは、見る所があきらかに違う。日本国内のは、プロフィールと梁派八卦掌解説ぺージ。海外のは、転掌と最低限で仕上げる護身術だ。

海外のは、実行と実用に重きを置いている。海外のは、私のプロフィールなんて見ない。大好きだ。愛してる。君たちこそ、大切な人を守り、自分を守ることができる存在だ。日本の愛好家をあっと言う間に追い越し、さっさと転掌のマスターとなるだろう。

必要としている人の元に、必要なものを、誠心誠意、最大限の労力を費やして、届ける。それこそが、世界に転掌を広げ、転掌を再興させる董海川師の生まれ変わりたる自分の使命だ。

董海川先生の生まれ変わりだと?と笑う人間の中で、成立当時の姿が現行八卦掌と違うのでは?と想定した人間はどれくらいいるか?何の疑問も持たず、八卦掌は八卦掌のまま成立当時から、このままのスタイルと型で推移してきたと思ったのではないか?

私は、中学生の時に佐藤先生の本を読んだ時に、すでに直感を感じた。この戦い方を宦官が実行し得るのか?佐藤先生の本には、董海川先生が宦官だったことについて言及してなかったが、清朝粛親王府で、出自の不明な男性が奉仕している=「董海川先生は宦官」はすぐに分かった。中国兵法や三国志を読んでいた経験も、その直感を助けた。

この戦い方をしたら、かえって不利ではないか?ひどく技巧的な拳法だと、感じた。きっと本では分からない何かがあって、それが宦官であってもこの戦い方を可能にしていると感じたのだ。だから中学生にして、無理やり行動して関東まで習いに行ったのである。

そこからは奇跡の連続であった。斜め後方スライドの単換掌・双換掌から、大きな感動を受け、感動を受け一生をかける覚悟をした直後に指導を受けられなくなり、そこからは自分で術理を後追いしていく日々が始まった。

董先生は、諸国漫遊の旅の中で、「異人」より技術を授けられ、転掌を創り出した、と語られている。中国で「異人」とは、おおよそ「外国人」を指す。中央アジア、東南アジア、モンゴル、ロシア・・・西洋、そして日本。この革新的な技法は、西洋人がもたらしたものとは考えにくい。身体柔弱な東洋人によるものだと考えている。「異人」が日本人であった可能性も、決してゼロではないのだ。

私は、中学の時の熾烈な経験から、強者化を強いる既存武術に心が向かなかった。楊師より転掌を習った時、電撃が走った。これだ、これなんだ、おねがいだ、東京に定期に連れてってくれ、そう頼んで、一生懸命練習した。

楊師は、私にとって、「異人」そのものであった。私は時折、董海川先生の人生を追体験しているかのような感覚を受ける。時折夢の中で、大声で叫びながら、大平原を、棒を持って走り回っている夢を見る。何度もだ。あの夢は、太平天国軍の盾持ち雑兵の自分なのだろうか。

生まれ変わり、やら、過去生やら、色んなものがあり、ともすれば直ちに批判されそうなものだが、侮ってはいけないとも思う。転掌の修行の過程で生じたこれらの奇跡を、単なる偶然と、とても片付けられないのが大きな理由である。

こんな奇跡的な巡り合わせによってここまで来た自分である。日本国内で、最低限の生活をすることを目指して、月々数千円の月謝を出し惜しみする武術愛好家らの反応に一喜一憂するなどうんざりである。

強くなることより、肩書やらステイタスやらに興味のある人間の顔色をうかがうなど、まっぴらである。youtubeは、派手派手しいデモンストレーション動画を見て、行動せず結果的に毎回暇つぶしをする人間のたまり場であることも分かった。

必要とする場所に届ける。必要とする環境を求める。

軍師門弟は毎回、金沢の浜にて、私に問いかける。

「見てごらん、このペットボトル、中国語。あれは・・・ハングルね。あれも・・・・中国語。ここはもう、日本じゃない。事実、先生の発信しているものは、先行して海を渡っている。これを感じてもらいたかった。遠州灘や、倉敷では、これは感じられない。」

動き続ける。外注に出すお金がない?前に進めば、きっとその機会はある。まずできることから始めよ。今すぐにだ。このブログも、行動の一つである。董海川師の生まれ変わり、の宣言である。

そうしているうちに、海外から、有能な志をもった門弟が私の元に来て就き、私の代わりとなって世界のあちらこちらで転掌を広げてくれる。転掌の術理を訳してくれる。間もなくこの試みも、実現される。もう動いているからだ。

今この瞬間、そしてこれから、世界各地に居る、志のあるものよ、天才たちよ。今という時に、転掌に価値を見いだした、突然変異の天才たちよ。疑うことなく、200年前の天才が創ったものを追体験せよ。私は、その天才の意図を、残された技を通して、感じた者。現世に復活させたる者なり。

その技法を感じ、盗み、採り入れ、己の既存のものと融合させ、己の真実を新たに創り出し発展させ、己の描く想いを遂げよ。「身の程」なんてものは知る必要のないものだ。とどまるな、自分の心の命じるままに、その道を進め。

警備員指導科での指導は、服で戦う技術があるから可能

服で戦う。よく時代劇で、布や手拭いで対抗するシーンがある。

確かインドネシア辺りでは、布で戦う武術もあるようだ。あれがしばらく、どうしても実行できなかった。モノで戦うことの最後の砦が、服で戦うことだった。

しかしそれも、転掌をマスターしたら実行できるようになった。奥が深く、その方法を悟ってからすでに10年以上が過ぎているが、いまだに上達の余地がある。楽しみである。

さて、どのように戦えばよいのか、どのようにすれば、服でも戦うことができるようになるのか。それは、身体の移動に追随させることである。身体の移動の後を、ついて来させるのである。

服が先行しては、うまく扱うことが出来ない。コシやハリが当然のごとく、全く無いからである。前方向への攻撃を、全くできないわけではないが、服を使っての突き技は、コシ・ハリの無さから有効ではない。サッと出して敵の顔にかぶせてしまうなどは、有効ではあるが。

転掌では、その練習をすでにしていた。答えはすでに、37年前に、楊師より教えてもらっていたのだ。考えてみれば、楊師は、作業着っぽい上着で、何度も何度も刀術を指導してくださった。あれは実は大きなヒントだったのだ。

その時、最も多く見た技は、服を持っての翻身拍打→上翻サイ刀→服を持っての翻身拍打→按刀、であった。翻身拍打で、外方向斜め後ろから迫る敵にけん制の斬撃をし、その服を背負い投げのように背負いながら上斬し、すかさず持ち替え再び前敵に翻身拍打による斬撃、そして離脱しながら按刀、である。

2番目の翻身拍打による斬は、前敵に対するものであるが、移動を止めないことによって服自体に慣性がかかっているため、振り回す服に芯が入り勢いを保ちながら斬撃できるのである。これは、200センチ程度の長い棒を振りまわす遊身大刀の術理に同じである。

自分は、そこまで考えていなかった。言い換えるならば、その動きの中に、転掌の術理を見い出すことができなかった。その時すでに、楊師より数年マンツーマンで習っていたはずだったが、分からなかった。ただ、楊師の服のチャック部分が当たるのが怖くて、半分聞いてなかったのかもしれない。でもそれは言い訳。やはりまだ、転掌について、何もわかっていなかったのだ。

先ほどの技の例を読んで、ある程度水式館で習った人間ならわかるであろう。そうである。服の扱い方を有効にするヒントは、「刀裏背走理」なのである。刀裏背走理を用いるとは、どういうことか。

つまり服を、身体移動で引っ張る、背負う感じで大きく振り回すことだ。その振り回した服が、敵の手に絡めば、十分相手を引っ張り崩す力となる。先ほど言った、振り回す服に帯びた遠心力が、服についているチャックを、凶器に変えることもある。

刀裏背走理による術理で服の武器化を維持するためには、とにかく自分が止まらないことが重要だ。止まらないことで、服自身が、自分と一緒についてきてくれる。出した手(服)の方向の、反対側へ、例えば揺身法を用いて身体を移動させ、伸びきった服を、自分で背負いながら移動していく。追随する服には、移動による慣性の力が宿り、重さを増し、それが敵の手や身体に絡んだりすると、武器を落としたり、敵の態勢を崩したり、敵の眼をくらますことにつながる。

上翻サイ刀によって服を背負うようにして前に進んでいく動きは、楊家連身藤牌における「甲下走牌(こうげそうはい)」に似ている。連身藤牌には、自分の外側に迫った敵に、藤牌を手刀のように出し、反対側へ揺身法で急速移動しながら藤牌を背負って、転身しながら反対側もしくは襲ってきた敵に小旋回して再び振り下ろす、という用法を持った「甲下走牌」がある。この動きが、服を使った戦いのヒントになった。

そのことを思い出し、今朝、暗闇の大和町広場で、黙々と連身藤牌を練習していた。子供たちにもそのことを教えたら、「そんなのわかっていたよ」とのこと。考えてみれば、服で戦う技術に関しては、この子たちはかなり早くからできるようになっていた。一番弟子でもあるこの子は、目的をもって制服で練習していたが、その時来ていた学校のコートを、走りながら脱いで振り回す練習をしていた。学校指定の高額コートゆえ、面食らったものだったが、そのような試みが、彼女に術理の気づきを与えたのかもしれない。

刀裏背走理を学習したことがある門弟の方は、是非とも自分の着ている服で試してみるといい。刀裏背走理の実用性の高さを実感できるはずである。どうせなら、緒戦では着たままにして、移動しながら脱いでそのまま振り回す、などもやってみるとよい。

昔日の転掌では、宦官や宮女は武器を表立って携帯することを許されていなかったため、移動しながら引き出す練習をしていた。それはウーマン・ライト・ガードでも必ず練習してもらう。身分の高い女官は、頭に忍ばせてある丈夫なかんざしを有事にすぐ引き抜き、双匕首のようにして使ったとのことである。ほとんど暗殺技である。

身体移動で引っ張って、その去り打ちの軌道で、前に突出してきた敵の身体部位を、出会いがしらに斬る。服にも使うことができる、その戦闘法に気づいていた草創期の門弟らは、大したものである。

特殊警棒を持つことができないことについて、マイナスの反応をする警備員もいる。しかし、日本のサムライのように、腰に差してすぐに引き抜くことができる状態で携帯してない限り、警棒について有効性は?だと思っている。

私が以前勤めていた、野生動物が最大の脅威であった勤務地では、特殊警棒よりも、常に手に持っているシャッターフック棒の方が頼りだった。シャッターフック棒は120センチの樫材によるものを使用していた。そしてそれと同じ長さの樫材棒で、日頃から練習をしていた。

このようにすれば、引き出す手間がかからない。最も危険な襲撃の際は、3メートル以上あった距離を、わずか2秒で詰められ、身体を入れて流し払い逃げをし続けることだけしかできなかった。特殊警棒で対応していたら、引き抜くことすらできなかったであろう。

実戦的とは、こういうことである。組手で顔面ありを行っていることが、その道場の実戦性を必ずしも示しているのではない。リアルな戦いの現実を知り、「その時」が来たとき、練習でつちかった動きを実行するために、事前準備をするか、である。

だから転掌には、槍術に、扎のような、滑らせる技法がないのである。そこらにある棒の表面は凸凹で傷だらけ、手袋でもつけてない限り、あの技法は実行できない。転掌に伝わる双身槍が持ち替える技術ばかりなのは、そのためである。ここまで想定して、「実戦的」だと宣言できる。

服で戦うことは、棒など持ち歩くことができない人に、大きな希望となる。服ならば、高い確率で持っている(着ている)し、いつでも携帯し得る武器?となるだろう。

一番弟子は、万が一の時制服の上着を脱いで振り回すため(セーラー服だったので、ブレザー制服のような上着がなかった)に、下にかならずTシャツを着ていた。そこまで考えていた。彼女の発想は、警備や警察の仕事に就いている人間に大きなヒントをもたらすだろう。そこまで考えて職務に臨んでいる職員がどれだけいるだろうか。

警察官には、やはりどうして特権意識が見え隠れする。そして武術を学ぶことに懐疑的である。「おまわりさんもどうですか、柔道をやっていたのは、もうかなり昔のことでしょう?」と言っても、「何を言っているか、いまさら」程度の反応を何度もされた。

警察官も転掌を学ぶとよい。柔道技で足を引っかけ、倒して制圧するだけが「取り押さえる」のではないのだ。警察官は、持っている拳銃と国家権力(公務執行妨害による現行犯逮捕や緊急逮捕権限)により、すでに一般人を大きくしのぐ強みがある。あとは攻撃を受けないための身法だけである。彼らこそ、「当たらないこと・斬られないこと」に注意を払わなければならない。

有事の際、一般人をまもるのはあなたたちなのだから。最後の砦なのだから。警察学校で学んだ時の身体で戦うことはできない。今その時の身体で対処するしかないのである。であるならば、今この瞬間に、その身体に、身をかわし、持ち得る道具で対処しうる身法を身につけようではないか。

真に身を守る技術とは、護身グッズを扱う技術ではない。身体を即座に動かし間をとり、逃げる余裕、けん制攻撃をする余裕、護身グッズを使う余裕、身の周りのものを使う余裕を生み出す技術である。それには、移動技術が必要である。移動技術は、転掌などの、昔日の武術で学ぶことができる。

八卦掌水式門富山本科イメージ

北陸本科開講と、『八卦掌原型・清朝護衛官武術「転掌」から学ぶ自分護衛術』発刊

12月8日(日)、八卦掌原型護衛武術・転掌の本邦初の解説本が、八卦掌水式館よりアマゾン電子書籍にて発刊されます。

※間もなく、ペーパーバッグ版も発刊されます。値段もさほど変わらないため、紙書籍を希望する方はもう少しお待ちください。

同日10時より、北陸金沢にて、転掌と転掌式八卦掌を伝えるための科である「北陸本科」が開講します。

『八卦掌原型・清朝護衛官武術「転掌」から学ぶ自分護衛術』販売リンク

北陸本科

八卦掌水式館となってから、多くの「スタート」を経験しました。今日はその大きな節目となります。この日に合わせて、多くの行動をしてきました。

次は、紙版での書籍の発行と、商業出版です。どんどん進んでいきます。止まる理由など、一切ないですから。

今回出版の書籍のタイトルは『八卦掌原型・清朝護衛官武術「転掌」から学ぶ自分護衛術~西洋格闘術でない東洋人専用護衛術による自分護衛術』です。

内容は、転掌の転掌の修行段階たる3つの段階のうち、一段階目の『対多人数想定移動遊撃戦による自分護衛』の段階についての解説となります。

『八卦掌原型・清朝護衛官武術「転掌」から学ぶ自分護衛術』販売リンク|https://amzn.to/3ZtuFtp

「独学で護身術の基本を習いたい」
「護衛術に興味がある」
「八卦掌水式館の伝える転掌とはどんなものか見てみたい」

武術に興味を持たれる方の動機は様々です。しかし本書は、指導経験を活かして、すべての面で私が書き下ろした内容の為、自分護衛の基礎を築くうえで本格的な内容となっており、初学者には自信をもっておすすめする解説書となっています。

北陸地方にお住まいの方は、北陸にて指導活動をし始めた今こそが最大のチャンスとなります。くしくも、本日12月8日の日曜日より、金沢市にて、転掌・転掌式八卦掌指導の「北陸本科」の指導がスタートします。人が増えてからよりも、人が少ない今だからこそ、上達速度も格段にあがるものです。

本書にて護衛術・転掌に興味を持たれたのならば、水式館の門を叩いて、転掌の深奥に触れてみてください。行動こそが、未来を変えます。

迷うのもいい。迷うというのは、まだ気持ちが固まっていないこと。しかし、あれこれ考えても何もならない。飛び込んでみることです。

行動しないのは、すべて自分にかかってくる。自分の直感を信じ、行動した者は、今まさに飛躍的に実力を上げ、自分から一本取るくらいにまで成長しています。

いまは人も少ない。私に直接指導を受ける絶好の機会です。いま始めると、将来、あなたは伝説の直弟子になるでしょう。続いてください。

『八卦掌原型・清朝護衛官武術「転掌」から学ぶ自分護衛術』販売リンク

北陸本科

『北陸本科|清朝護衛官吏武術「転掌」による護衛術』開講

今週末(12月8日・日曜日)、八卦掌水式館は、北陸本科を始動させます。

伝承内容は、清朝粛親王府宦官・董海川先生が創始した、八卦掌原型の護衛武術「転掌」です。

ブログを読んでいる人にお伝えしたいのは、水式館の伝承武術が、護身術や格闘技でない点です。人を守るための武術であり、清朝護衛官の武術であった、という点です。

護衛武術は、試合に勝つための格闘技ではありません。格闘技が強いから護衛力がある、の式は成り立ちません。逆もそうです。護衛力があるから格闘技が強い、のではありません。

両者は別物の体系である、ということです。護衛術と格闘術は別、ということです。武道を教えていて、生活のために、そのまま護身術も教える、というパターンがおおいのですが、両者は別体系のものであり、ついでに教える、ということは、難しいものです。

体系を根本から換えたうえで、初めて指導できるものだと考えています。館長は、常にそれを考えていました。私たち女性が使うことができる体系を作ることを考えていました。

両者の体系のあまりの違いゆえ、私は館長に、護衛術としての指導を提案いたしました。もはや格闘術と護身術は相いれない体系である故、一時しぼってみてはいかがか、と。本拠地の移転すら提案したのですが、館長はこれを受け入れ、今回の本拠地の移転となったのです。

私は館長から、現代の八卦掌というものを習っておりませんので偉そうなことは言えないのですが、先輩諸氏の動きを見るに、私のようのな年も低く経験もない者には、あのような高等な技術は使いこなす自信はありません。

初心者向け、というわけではないのですが、乱世当時の武術ゆえすぐに使うことができる体系のため、結果的に、初心者でもすぐに結果を出しやすくなっております。

護衛術に興味のある方は、水式館の本科、もしくは女性警護人養成の、ウーマン・ライト・ガードに参加してみてください。

北陸本科の詳細はこちらから。

ウーマン・ライト・ガードの詳細はこちらから。