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一つの戦い方で、素手・刀・長短棒・盾を使いこなす転掌

多くの武術は、すべての戦い方で、勝ちに行く。しかし転掌・転掌式八卦掌は、一つの戦い方で、あらゆる方法・あらゆる手段・あらゆる道具(武器)を駆使し、一定時間生存による時間稼ぎのおとり作戦による護衛を目指す。

全ての戦い方とは、接近戦・遠い間合い戦・関節技・抑え込み技・投げ技などを駆使するということ。そして最終目標は、「相手を倒す」である。

しかし転掌は違う。一つの戦い方だけを練習する。一つの戦い方とは。撤退戦を基本とした、移動遊撃戦である。撤退戦とは、敵の力と抗しない戦い方である。倒すことよりも、生存し続けることを第一とする、斜め後方スライドの対敵法による一定時間生存術である。

転掌・そして本来の八卦掌では、この戦い方しかしなかったのである。相手を巧妙な技で倒す八卦掌は、転掌が有名になって、修行者のほとんどが屈強な男性になった後に成立した、次世代の武術的戦い方なのである。

素手・刀術・双身槍術・大刀術・双短棒術・藤牌術すべてにおいて、この一つの戦い方だけをマスターするのである。その根源は、戦場の藤牌兵刀術である。そこから単換刀が生まれ、単換刀から、単換掌理・勢掌理が抽出され、単換掌・双換掌・勢掌単招式が一定の形として具現化されたのだ。

専用武器の携帯を許されなかった後宮内の宦官(かんがん)・宮女(きゅうじょ)が、割と短期で、身の回りのもので護衛を果たすことができるようになる技術体系を持ち、弱者でも護衛をし得る道を切り拓いた。転掌は、一つの戦い方(一つの術理)をマスターすれば、この理であらゆる道具が、すべて同じように使える技術体系を持っていたのも、短期習得を可能ならしめた。

転掌と転掌式八卦掌に、関節技はない。当たり前である。たとえ相手が一人であっても、敵の眼の前にとまらないのだ。身体を残して攻撃するだけでも、敵に捕捉される危険が生じる対多人数戦の最中である。関節技など、かけている暇もない。

これは、八卦三十六歌訣。四十八法でも、言及されていることだ。昔日の転掌本来の戦い方を示した、数少ない貴重な資料である。歌の中には、近代化した後の技法に言及され者もある。しかし、三十六歌訣は、昔日転掌の拳風を、色濃く残す、貴重な資料である。

現代の八卦掌家は、自身の拳法が、対多人数に有効な拳法であることを公にしない。なぜか。彼らの習った八卦掌が、対一人・対他流試合用化した八卦掌であり、そこに対多人数を想定した技法が伝わってなく、習ってないからである。ひどい場合、昔日の転掌が、自分たちの習っている近代八卦掌と対して変わらないもの、と思っている。

董海川先生が創ったころの転掌と、近代八卦掌は、まったくの別物である。其の目的を違えた時点で、両者の分離はさけられないものとなった。私の伝える転掌を見て、そのシンプルさ、現行主流八卦掌とのあまりの違いに、落胆する者が多くいる。

宦官が、宮女が使っていた武術が、強者使用前提であるはずがないだろう。少し考えれば分かることだ。

再興祖で在ること~底になっても変わらないもの

達成は間違いない、現実が遅れてるだけ。なぜそう言い切れるのか。

それは、グランド・マスターとして、ずっと昔から行動してきたから。昔とは?ずっとずっと昔である。200年前にもさかのぼる。長き行動は、何ものにも属さない体系を、現実を創るのは間違いない。私は、私自身がグランド・マスターであることに疑いがない。疑っていないから、そのようにずっと動いてきた。動いたら・・・現実はそのようになるのである。

事実、今回のどん底が再び、私自身を、私が本当に心の奥底で描いた理想の状態に近づけている。私は時折、居場所もなく、そのときの流れに従い、各地を放浪する未来を見てきた。寝ている時の夢であったり、ふとした時(多くの場合、旅先)に心地よさを感じたり。今、居場所のない状態で、私は、寝ている中で見ている自分と一体となった感じがしている。

現在私が置かれている状況は人間の、浅はかな判断基準で見たら、失敗で、望ましくないことかもしれない。しかし、何か大きな存在の意思だとしたら・・・・。人智をはるかに超えた大きな存在の導きだとしたら。そう考えると、何ともこの現状も、楽しいではないか。わたしは、拠点がある時よりも、今の方が、なんとも活き活きとしているのだ。

何より、自由である。拠点がない、ということは、拠点に縛られないといことだ。縛られる=執着、である。執着は、自由なフットワークを阻害する。これはまずいだろう。

失敗も損も、すべてが決まった道である。いや、そんなことはない、俺はこの瞬間、であるならば、想定外の道を選んで、その「決まった道」とやらに反抗してやる!といって、決断しなおしても、それすら想定内なのである。

言葉遊びでも、屁理屈でもない。そのように行動していくことで、すべてが流れていく。いい意味で、どうしようもない流れの中で、私は転掌を再確立した。運命かな、現在に、転掌を公式に伝えているのは、自分だけである。

私はこの、あまりに顕著な実情に、転掌再興祖グランド・マスターとしての宿命を感じたのだ。

200年前の董海川という名の私は、地方においてある「異人」と逢った、という。その異人は、200年前の私に、敵の力に抗しない、当時としては潮流から外れた、技術体系を持つ武術を「手渡した」。

清朝の王族に目をかけてもらうためのカスタマイズが、まるですでに整っていたかのような技術体系である。現在に生きる私たちが知っているような、敵の面前で、巧妙華麗な技術で戦う八卦掌であったなら、「その他大勢の武術の一つ」であったため、清朝後宮の護衛武術には採用されない。メリットがないからである。

積極的攻撃技術で、敵の力と抗するものであったら、その修行者の多くは,武術経験の豊富な、屈強な男性である。200年前の私からプレゼンを受けた王族は、

  • これならば、男性武官を後宮内に立ち入らせなくてもよい
  • これならば、武器を護衛官に目ざとい武器を携帯させなくてもよい
  • 男性武官による護衛官吏がほぼ不要となり、宦官・宮女だけで護衛まで任せてしまうことができてしまう

などの、自分たちの身の安全に関わる幾つかのメリットを見い出して、既存の宮中内武芸者(伝・沙某)を罷免までして、200年前の私を採用した。このように、転掌が後宮内武術として採用されるためには、合理的な理由があったのだ。清朝王族が転掌に目を付けたのは、転掌を護衛武術として採用すれば、上記のような、具体的なメリットがあったからである。

この眼を付けられ得る技術体系は、偶然にそうで「在った」のではない。転掌が、後宮内護衛武術として採用されるために、狙って創造されたものであった。えっ?あの「異人」が?

異人なんて、おそらく存在しなかった。それは私だからわかるのである。必要最小限にして必要最低限の知識・指導だけで、転掌を再確立した私だからわかるのだ。

異人がこれらの技術体系を創ったのではない。200年前の私に、採用され得る技術体系を創り得るヒントを与えた人間は、いたと思う。そう、現在の私の場合のように。

現在の私にとっての異人は、福建省楊家の、転掌7世楊師である。200年前の私と、現在の私とでは、弱者使用前提の武術を求める動機が異なる。しかし、出来上がったのは、同じである。動機の違いは、創造を意図するより大きなものにとって大きな問題とはならない。現在日本において、後宮というものが存在しない以上、創造を意図するものは、なにか違う作用で、託した者(現在の私)にこの技術体系を確立させたのだ。

私の確立したものを、証明できぬもの、として批判されることがある。しかし、200年前の私ですら、謎のままである。どのように転掌が確立されたのか、全く分かっておらぬ。しかし私は、200年前の技術体系のベースを知っており、必要なタイミングで、技術体系を極めるためのヒントを、与えられ続けてきた。

この技術を洗練させるのは、私の後代の仕事である。私は、ここまで来るまでに多くの時間と体力を使った。現在の価値によって重宝されるものを、私は一切所有していない。しかし私の心が認める、真の「善」なるものは、毎日、私の生活の中に「在る」のだ。

上の写真は、今日の私の練習場所である。石川県かほく市。私に、大きな存在のあることを知らしめた、西田幾多郎先生の、出身地である。ここより少し南に下がった宇ノ気の浜で、西田先生は、何かを感じていたはずだ。私と同じように。

私の練習場所は、その都度違う。流れる私にとって、日々が新しいことの連続である。日本一周なんてしなくても、移動が常の私にとって、その都度「旅」なのである。三木清先生が言っておられた、「旅=非日常」であろう。

この新鮮な、非日常に満ちた「自由」こそが、私の心の底から認められる、「善」なるものである。縛られぬ状況で浜に立つ時、説明のできない安堵感を覚えるのだ。その中で、転掌を磨く。そして、この経験を、ブログなどを通じて共有する。十分である。

私は近いうちに、まず日本の有志に、この技術を伝え歩くことになる。拳客である。何度も、眠りの中で見た拳客の日々がやってくる。その中で見た景色を、鮮明に覚えているのだ。これは避けられない未来である。私はそれを、抗することなく受け入れる。なぜなら、練習しつづけるのと同様に、この技術を伝えることは、再興祖として「在る」うちの、欠かすことのできないひとつだからである。

世間のいう「どん底」でも変わらぬものだった。修正?改善?冗談じゃない。理想の道に一直線なのに、なぜ世間の一般的な修正が入る余地があろうか。怖いに決まっているだろう。しかし、奥底では、こちらが正しいと、指し示しているのである。

宮女の護衛官刀術は一般の刀術と何が違うのか

生存か、必倒か、の違いである

そのあたりは徹底している。大切な人を守る剣術、と言いながら、緒戦から一か八かの戦術を採っている剣術アニメが多すぎる。

あれは全く非現実的である。甲冑具足に身を包んだ戦場の武者なら理解できる。多少斬られても、具足や小手が、我が身を守ってくれるからだ。

しかし、服一枚しかまとってない剣士が、敵の眼の前から後退せずに斬り合っているのは、明らかに非現実的である。

服で戦っているイメージの強い新選組だって、小手や銅は身に付けていたし、頭を斬られた際のヘッドガードはつけていた。

宮本武蔵が吉岡一門に報復された時の状況は、四十数人対一であった。まともに斬り合うはずが無い。私が研究の果てに知った説はこうだ。

吉岡一門の若き新責任者たる14歳くらいの少年を、いきなり叩き斬って距離を空け、追ってくる敵に対し、斬っては逃げ、けん制しては逃げ、突出して我に近づいてきた敵を、各個撃破していったのである。そのうち、多勢であっても、足を止め、追撃をためらうようになる。その機を逃がさず、決闘の場から離脱したのである。

14歳の少年をいきなり斬ったことについての、道義的判断はここでしない。これが実戦である。相手は、自分の命を、なりふり構わず奪いに来たのである。こちらもあらゆる手段で対抗しなければならないのは当然のことだ。

前の公園警備では、私はイノシシ・二ホンジカと夜に相対する脅威があった。そこで私が考えたのは、敵の把握である。

クマが出るならば、いきなり逃げる対策はかえって危険である。しかしその公園では、過去に熊が出た記録はなかった。よって最も脅威となる、イノシシ対策に特化したのである。

イノシシの突進速度を考えると、特殊警棒を取り出し、それを伸ばしている暇はない。よって特殊警棒を練習する意味が薄いのである。

そこで私は、シャッターフック棒を110センチの樫材で自作し、護身の切り札としての棒としての機能を兼ねさせ、それと同じものをもう一個作り、家で練習をした。

警備員は、闇を照らすのは義務である。よって、野生動物が潜んでいる可能性があるからといって、闇を照らすのを躊躇することはできない。

そして、襲われる時とは、闇を照らした瞬間なのである。そこで音がした瞬間に、その場から離脱する戦法を採る必要がある。実はその戦法こそが、転掌刀術で習った型なのである。円を回りながら練習するバージョンは、狭い場所で練習するための工夫である。間違っても、八卦掌の走圏によるものではない(転掌と転掌式八卦掌に走圏はない。)

カッコよさは要らない。美しさに至っては、本当に不要なものなのである。人生が終るか否かの瀬戸際に、見栄えなど、必要あろうか?

生存のために、一定時間生きなければならないのである。おとり護衛を実現するためには、まず下がることである。動画のサムネイル(表紙)にある、「一太刀目を外せ」は、真実なのである。一太刀目を確実に避ける方法、それは、受けの剣術技を磨くことではない。とにかく、後方へ下がってから、その後対応する流れを磨くことである。

具体的には、斜め後方スライド移動の移動身法をマスターし、去り斬りたる、刀裏背走理を実行し、けん制斬撃することである。

スターウォーズや、アニメの剣士らの動きは、フィクションである。見栄えを重視している。当たり前である。あれは魅せるためのものだから。しかし私が、護身を果たしたい、本当に大切な人を守りたいと考えるあなたに教えるものは、生き残るためのものである。

生き残ってこそ、あなたは大切な人、大切な自分を守ることができるのだ。いきなり斬られたら、後は誰が、あなたの大切な人を守るのだろうか?フィクションを捨てよ。現実を見よ。剣術の師範ですら、それに気づいていない。名前や名声、雑誌によく登場する師範か否かで、その者の実力を測るな。

私の教える転掌刀術で、最強剣士にはならない。しかし生存をすることができる。実戦では、生存こそが、最終目的である。それで十分ではないか。