映画「スターウォーズ」は、以前の作品に比べ、ますますジェダイの力や剣術がクローズアップされるようになった。
映画本編にとどまらず、多くのスピンオフ作品が生まれ、一部を除き、ジェダイの力にクローズアップされた作品がどんどん生まれている。
Youtubeでは、ジェダイの剣術を解説するものも多く、その非現実的な技法が、さも現実的に存在するかのように紹介されている。フィクションをフィクションとして終わらせず、フィクションが独り歩きをして、そのまま、現実となっている。
〇〇トで六十四掌を知った見学者が、実際の六十四掌を見た際、「もっとこうした方が、〇ジのように威力が出せますよ」と言ってきたときは、本当にあきれてしまった。こういうのが本当に増えた。
あれは生粋のフィクションである。私は八卦六十四掌になんのこだわりもないが、あの時ばかりは思わず、その意見に反論した記憶がある。
転掌刀術も、刀(実際は棒)を縦横無尽に振って、敵と相対するものである。しかしその内容は、全く異なる。

ライトセーバーという、自分をも殺めかねない危険極まりない武器が、多くのスターウォーズファン、いや、ジェダイファンにとって魅力的なのだと思う。
ライトセーバーを持つことを許され、かつそれを操る技術を持っている点、そして操ることに関わるジェダイ内の様々な伝統などが、扱う者の特別感を際立たせる。それに憧れ、その華麗な技法のみを追い求め多くのファンがレプリカを買い、ここで一大ビジネスが行われている。ここがまず違う。
転掌刀術では、刀に依存する傾向がない。ジェダイは、その者自身が持つライトセーバーに、代替品不可能の意識を感じる。だから、(ジェダイファンは)それぞれのジェダイの色にこだわったり、持ち手の形状にこだわりが出てくる。
転掌刀術にとってのライトセーバーは、そこらへんに転がっている棒っきれである。なんでも良いのだ。切り札的な伝説的武器ではない。そして当然、何の魔力も希少性もない。戦いが終れば、またそこらに放置されるような棒である。さきほど少しかっこ書きでふれた「実は棒」は、そんな単純な話ではないのである。
転掌が清朝後宮内の御用武術として採用されるために戦略的に創造された瞬間から、「棒」で戦うことが宿命づけられた。ライト・セーバーのような、それを持つだけで戦闘力が異常に上がるような武器とは無縁となることを宿命づけられたのである。
なぜ転掌が、後宮内の御用武術として採用されたのか?それは転掌が持っていた特徴による。この特徴を述べていこう。今日の本題たる「ライト・セーバー刀術との違い」を説明できないからである。
採用された第一の理由。それは弱者が使用することが前提であったこと。
紫禁城の中には、当然武官である護衛官も駐留していた。しかしそれは、満州族に限定された、出自が確かで信頼できる者だけに限定されいていた。そのような厳しい制限に加えて、さらに後宮内に武術の腕前を持つ男性武官を入れることを王族は嫌い、極力入れることをしなかった。
入れたがらなかった理由は、出生の正確さを保つこと。男性武官が後宮内で王族女子と親密になり、王族の血統に不確かさが生じることを防ぐため。これは一般に言われている、男性官吏が後宮内に立ち入ることを許されなかった理由である。よって去勢され、生殖機能を奪われた宦官だけが、後宮内に入ることを許されたのだ。
しかしあまり語られないもう一つの、シリアスな理由がある。中国では、部下の反乱は日常茶飯事である。太平天国の争乱時のような内乱状態でなくとも、後宮内は常に、権力闘争の闇で満ちていた。その不穏な内情の中で、男性武官が王族の生活の場に出入りすることは、警戒要素の何ものでもなかったのだ。よって皇帝や皇族が私生活を送る後宮内では、武官は満州族といえど容易に入ることはできなかったのである。それはかなり徹底されていた。
しかし男性武官を制限することは、自分を護衛する屈強な護衛官を手元に置いておけない状態となることを意味する。それは困る。刺客が自分の命を奪いに来た際、自分を身を貼って守ってもらう者が欲しい。しかし後宮内には、宦官・宮女(きゅうじょ※漢族八旗の子女)しか居ない。彼ら彼女らでは護衛の任務を果たすことができないのだ。
そこに董海川先生が、弱者でも護衛の任務を果たし得る技術体系を持つ武術をプレゼンしてきた。粛親王が偶然、董海川先生の影の練習を発見し、その技術に惚れ込んで宮中内の護衛の任務を任せ、宦官・宮女らに対する武術指導をさせた、というのが伝説である。しかし実際は、後宮内御用武術として採用されることをもくろんで技術体系を組み、売り込んだのである。
粛親王(清朝王族)の本音、という視点で、後宮内御用武術として採用された理由を掘り下げてみる。
◆弱者使用前提の武術であるため、後宮内の宦官や宮女らでも使える点。彼ら彼女らに転掌を習得させ護衛の任務も任せておけば、男性武官に頼らなくとも、いざという時の身代わりとなり我が身を守ってくれる。彼らが命を落としても、急造の身分の低い雑役官吏のため、痛くない。そして男性武官を後宮内に立ち入らせないことから生じるリスクも解消できる。
◆転掌の武器術は、後宮内に存在する身の周りのもので行うものばかりであった点。これにより、護衛の任務を与えても、彼ら彼女らに攻撃力の高い武器を持たせることを要しなかった。男性武官が持つような、攻撃力の高い武器を所持するものが後宮内を自由にかっ歩していては、謀反の種を後宮内の生じさせることになり、不安である。
◆今まで少しばかり駐在していた、武術に長けた男性護衛者を排除できる代替品となり得た点。代替品ができたため、いざという時不穏な要素となる男性護衛者を失職させることができた。これは董海川先生伝説の域を超えない話である。しかし転掌の登場をきっかけとして宦官・宮女らに護衛の任務を課すことで、宮中内の武芸者・屈強な男性の排除を徹底させることができたのは間違いない。
読んでみて思ったかもれしれない。権力者はそれほどまでに、反乱を恐れているのか?と。当然である。そもそも中国史は、下の者が上の者を殺戮して取って代わる歴史を繰り返してきた。そして、転掌成立当時は、太平天国の乱、アヘン戦争、アロー号事件など、国内で激しい争乱が発生し、治安は乱れきっていた。太平天国の乱では、実に2000万人以上の人間が命を落としたのだ。軍人だけではない、庶民も命を平然と奪われる時代だったのである。
争乱が発生し、それが長期化する、ということは、清朝の求心力(国内を治める統治力と言ってもいい)が落ちたことを露呈させる。清朝自体が、下の者から「舐められる」のだ。そうなると、清朝に盾ついてやろう、と考える者が必ず出てくる。実際、王朝が混乱すると、王族などの「雲の上の存在」の者らの暗殺が頻繁に起きる。
世情不安の中で、清朝王族が、自分の絶対的なテリトリー内に、武官や武芸者を入れたがらないのは当然である。女官はおもに満州族八旗の子女、宮女はおもに漢族八旗の子女、宦官だけが素性の知れない者であり得る。しかし、去勢されることでその人間は体力的に不安定となり、蔑視の対象となる。清朝王族は、宦官を人と見ていなかったのである。
余談であるが、中国拳法四大門派となるまでに大きくなった転掌であるが、董海川先生に宮中内で手ほどきを受けた人間の名はほとんど知られていない。なぜなら、董海川先生に習ったことを公言することは、自分の祖先が宦官であったことを公言することになるからだ。それくらい、宦官は蔑視の対象であった。師伝によると、女官や宮女に教える際、董海川先生は、彼女らに触れることが許されない状態で指導を強いられたという。彼女らは八旗という、武家の子女である。転掌創始者といえど、最底辺の身分たる宦官として扱われることによって生じた苦労話である。しかしそこから、敵に徹底的に近づかせない技術が洗練された、という重要な話も生じるが。
話を戻そう。
粛親王の本音の二つ目、いっぱしの武器を持たせないで済む、と言う話である。攻撃力の高い、人を斬ること専門の「刀」を持つことができない以上、既存の刀術と転掌刀術では、その攻撃方法が変わってくる。転掌刀術は、「刀術」という名がついているが、練習において刀を使用しない。棒を使うのである。なぜなら、実戦でも刀で戦うことができないから。宦官や宮女は、帯刀を許されていないのだから、刀で戦う練習をしても意味が無いのである。
転掌刀術では、移動推進力を活かして、敵の突出した部位の内側を、固い重い棒で打ち付けることを第一とする。襲撃者の命を奪うことが第一ではない。あくまで時間稼ぎなのである。移動して棒を振りまわしながら、人体急所を棒で叩く。そして襲撃者の動きが止まったら、手持ちの暗器やかんざしなどで突き、致命傷を負わせた。
ここでやっと、ジェダイのライト・セーバー刀術との違いに触れる。
転掌刀術がライトセーバーと違って優れている点は、特定の武器を持ち歩かなくても身の周りのもので戦うことを想定する日頃の練習によって、対処できることである。棒はそこらにこ転がっている。私が海で練習するときは、そこらにある棒っきれである。
現代日本では、武器の所持は禁止されている。銃刀法の規制対象とならない護身具でも、軽犯罪法という法律によって、一定の制限をかけられる。ひどい場合、単なる棒を持っていても、警察官の意図により不審者となって警棒などは没収される。
ライトセーバーによく似ている?携帯可能な武器たる特殊警棒は、警察に職務質問された際、突っ込まれ没収される可能性のある、やっかいな護身具なのである。よって一般人が特殊警棒を持つ際、専用の収納ホルダーなんかに入れておけない。隠して持たなければならない。その実情は「隠して持つ=すぐ取り出すことができない」という、命とりな事態を招く。特殊警棒はただでさえ、急な襲撃に対応しにくい武器なのだ。隠して持つことで、一層その不具合を悪化させる。
私は夜間の公園警備の際、特殊警棒に何の信頼もしてなかった。なぜならその職場は、暗闇から突然、野生動物が襲ってくる危険があったからだ。特殊警棒では、間に合わないのだ。私は樫材で自作した、長さ120センチのシャッターフック棒を常に手に持ち、警備に当たっていた。そして日頃より同じ長さ、同じ商品の樫材で急な襲撃に遭っても対応する練習していた。倒すための練習ではない。とにかくその場から身を逃しながら追い払う練習である。それゆえ、私は三度ほど、イノシシの襲撃・罹患野犬の駆除に際しても、自分の身を守ることができたのだ。
転掌成立時の清朝末期は、国内が乱れていたけれど、庶民は当然、本当の刀を持つことはなかった。それは、許されなかったからである。庶民が身を守るうえで、攻撃力の高い武器は選択肢に入れることができないのである。映画やアニメで見る一般的な刀は、いざという時使うことができない、頼りにならない・あてにならないシロモノだったのである。
そうなると、本当に実戦を考えている庶民武術家は、練習でも刀で練習しない。棒である。それどころか、刀術を、棒操術に特化させたりする(斬る・刺すではなく、叩く・ぶつけるをメインの技術体系にする、ということ)。そのようにして生まれたのが、「転掌刀術」なのである。弊門でも、模造刀は練習で使わない。木刀ですら使わない。使うのは棒である。おおよそ、身長160センチ以下が110センチ・160センチ以上が、120センチの棒を使う。そしてその棒は、必ず移動しながら扱う。ここもまったく違う。
ジェダイらは、皆、ライト・セーバーで戦うための修行を、小さい頃から積み重ねていく。彼らは常に、ライト・セーバーを持ち歩くことができたからだ。使う道具が明確に決まっていたから、「ライト・セーバー」を扱う練習をするのである。しかし転掌マスターは、経験を積めば積むほど現実的になっていき、心の中に残っていた、わずかな、刀術に対する未練すらも消し去る。そして棒を扱う技術に没頭し、術理を究め、真の転掌マスターとなるのである。
ジェダイの戦闘シーンを見ていると、前敵攻防である。目まぐるしく移動して戦っているように見えるが、よく見ているとそうでないことに気づく。両者は足を頻繁に動かしステップさせているだけで、その場にとどまっている。殺陣としては見栄えがいい。これは映画であるのだから。しかし実戦で敵の面前で斬り合っていると、甲冑でも身に付けていないかぎり刃先が身体のどこかしこに当たり、戦闘が終ってしまう。ライト・セーバーならなおのこと、末端をたちどころに斬り落とされてしまうだろう。実際にアナキンも、ルークも、片腕を焼き斬り落とされているではないか。
ジェダイの刀術は、多少の移動攻防は見られるが、基本的に敵の眼前にとどまり、テクニックで防ぎ、テクニックで攻撃するスタイルである。一般的に中国武術で習う刀術はこのスタイルである。日本の現代の「伝統刀術」も同じである。その戦闘スタイルは、フォース・先天的身体能力・専門機関での英才教育によってのみ実現可能な、エリートの技術体系である。つまり「選ばれし者のエリート刀術」なのだ。転掌刀術は、用いる者が昨今まで素人であった「身分の低い者の使う雑草刀術」。決定的に違うのである。
しかし行きついた後のスタイルは、雑草の刀術とは思えないものとなる。ジェダイのグランドマスターである、マスター・ヨーダが見せたデューク―伯爵との一戦。ヨーダは全身を使った激しい移動戦で、敵と渡り合った。転掌マスターの刀術は後ろに下がりながら変則的な斬撃で東から西から打ち付ける。極めると、この点だけが似てくる。
しかしこれは、極めきった者の話である。転掌刀術の本質は、身体的資源不利者の、なんとか生き残るためにの生存技法なのである。よって誰でもできるのである。誰でもできるから、宦官・宮女でも、わずかな修練で、とりあえず「おとり護衛」という護衛法だけは習得でき、急造護衛官として活躍できたのである。その中からわずかに真のマスターが生まれ、変則スライド撤退戦刀術が可能となった。
徹底した移動遊撃戦による多人数相手のおとり護衛は、実は初歩の段階なのである。しかし誰でもできる技法で他者を圧倒するためには、誰でも出来る技法ですらも、徹底的に繰り返し磨きぬかないと、襲撃者を圧倒することができない。誰でもできる技法だから、習い始めの人間でも、ある程度できる。ある程度できるシンプルで簡単なものであるから、ほとんどの人間はすぐ飽きてしまい、洗練される遥か手前で止めてしまう。そこに、繰り返す者・突きつめる者・追い求め続ける者ならではの優位性が生まれ、勝利の可能性が生まれる。
そして夢があることに、シンプルで誰でも出来る技法でも、磨きぬけば、一部の選ばれしエリートしかできない高度な技法にも対抗できるのである。敵がライト・セーバーを振り回してきても、我は移動しまくって勝機を見いだす。ライトニングやフォースによる締め上げを、現実世界で実行する者がいないことを、後は願うだけである。
