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ジェダイ剣術と全く異なる「雑草刀術」の転掌刀術

映画「スターウォーズ」は、以前の作品に比べ、ますますジェダイの力や剣術がクローズアップされるようになった。

映画本編にとどまらず、多くのスピンオフ作品が生まれ、一部を除き、ジェダイの力にクローズアップされた作品がどんどん生まれている。

Youtubeでは、ジェダイの剣術を解説するものも多く、その非現実的な技法が、さも現実的に存在するかのように紹介されている。フィクションをフィクションとして終わらせず、フィクションが独り歩きをして、そのまま、現実となっている。

〇〇トで六十四掌を知った見学者が、実際の六十四掌を見た際、「もっとこうした方が、〇ジのように威力が出せますよ」と言ってきたときは、本当にあきれてしまった。こういうのが本当に増えた。

あれは生粋のフィクションである。私は八卦六十四掌になんのこだわりもないが、あの時ばかりは思わず、その意見に反論した記憶がある。

転掌刀術も、刀(実際は棒)を縦横無尽に振って、敵と相対するものである。しかしその内容は、全く異なる。

マスター・ヨーダー?

ライトセーバーという、自分をも殺めかねない危険極まりない武器が、多くのスターウォーズファン、いや、ジェダイファンにとって魅力的なのだと思う。

ライトセーバーを持つことを許され、かつそれを操る技術を持っている点、そして操ることに関わるジェダイ内の様々な伝統などが、扱う者の特別感を際立たせる。それに憧れ、その華麗な技法のみを追い求め多くのファンがレプリカを買い、ここで一大ビジネスが行われている。ここがまず違う。

転掌刀術では、刀に依存する傾向がない。ジェダイは、その者自身が持つライトセーバーに、代替品不可能の意識を感じる。だから、(ジェダイファンは)それぞれのジェダイの色にこだわったり、持ち手の形状にこだわりが出てくる。

転掌刀術にとってのライトセーバーは、そこらへんに転がっている棒っきれである。なんでも良いのだ。切り札的な伝説的武器ではない。そして当然、何の魔力も希少性もない。戦いが終れば、またそこらに放置されるような棒である。さきほど少しかっこ書きでふれた「実は棒」は、そんな単純な話ではないのである。

転掌が清朝後宮内の御用武術として採用されるために戦略的に創造された瞬間から、「棒」で戦うことが宿命づけられた。ライト・セーバーのような、それを持つだけで戦闘力が異常に上がるような武器とは無縁となることを宿命づけられたのである。

なぜ転掌が、後宮内の御用武術として採用されたのか?それは転掌が持っていた特徴による。この特徴を述べていこう。今日の本題たる「ライト・セーバー刀術との違い」を説明できないからである。

採用された第一の理由。それは弱者が使用することが前提であったこと。

紫禁城の中には、当然武官である護衛官も駐留していた。しかしそれは、満州族に限定された、出自が確かで信頼できる者だけに限定されいていた。そのような厳しい制限に加えて、さらに後宮内に武術の腕前を持つ男性武官を入れることを王族は嫌い、極力入れることをしなかった。

入れたがらなかった理由は、出生の正確さを保つこと。男性武官が後宮内で王族女子と親密になり、王族の血統に不確かさが生じることを防ぐため。これは一般に言われている、男性官吏が後宮内に立ち入ることを許されなかった理由である。よって去勢され、生殖機能を奪われた宦官だけが、後宮内に入ることを許されたのだ。

しかしあまり語られないもう一つの、シリアスな理由がある。中国では、部下の反乱は日常茶飯事である。太平天国の争乱時のような内乱状態でなくとも、後宮内は常に、権力闘争の闇で満ちていた。その不穏な内情の中で、男性武官が王族の生活の場に出入りすることは、警戒要素の何ものでもなかったのだ。よって皇帝や皇族が私生活を送る後宮内では、武官は満州族といえど容易に入ることはできなかったのである。それはかなり徹底されていた。

しかし男性武官を制限することは、自分を護衛する屈強な護衛官を手元に置いておけない状態となることを意味する。それは困る。刺客が自分の命を奪いに来た際、自分を身を貼って守ってもらう者が欲しい。しかし後宮内には、宦官・宮女(きゅうじょ※漢族八旗の子女)しか居ない。彼ら彼女らでは護衛の任務を果たすことができないのだ。

そこに董海川先生が、弱者でも護衛の任務を果たし得る技術体系を持つ武術をプレゼンしてきた。粛親王が偶然、董海川先生の影の練習を発見し、その技術に惚れ込んで宮中内の護衛の任務を任せ、宦官・宮女らに対する武術指導をさせた、というのが伝説である。しかし実際は、後宮内御用武術として採用されることをもくろんで技術体系を組み、売り込んだのである。

粛親王(清朝王族)の本音、という視点で、後宮内御用武術として採用された理由を掘り下げてみる。

弱者使用前提の武術であるため、後宮内の宦官や宮女らでも使える点。彼ら彼女らに転掌を習得させ護衛の任務も任せておけば、男性武官に頼らなくとも、いざという時の身代わりとなり我が身を守ってくれる。彼らが命を落としても、急造の身分の低い雑役官吏のため、痛くない。そして男性武官を後宮内に立ち入らせないことから生じるリスクも解消できる。

転掌の武器術は、後宮内に存在する身の周りのもので行うものばかりであった点。これにより、護衛の任務を与えても、彼ら彼女らに攻撃力の高い武器を持たせることを要しなかった。男性武官が持つような、攻撃力の高い武器を所持するものが後宮内を自由にかっ歩していては、謀反の種を後宮内の生じさせることになり、不安である。

今まで少しばかり駐在していた、武術に長けた男性護衛者を排除できる代替品となり得た点。代替品ができたため、いざという時不穏な要素となる男性護衛者を失職させることができた。これは董海川先生伝説の域を超えない話である。しかし転掌の登場をきっかけとして宦官・宮女らに護衛の任務を課すことで、宮中内の武芸者・屈強な男性の排除を徹底させることができたのは間違いない。

読んでみて思ったかもれしれない。権力者はそれほどまでに、反乱を恐れているのか?と。当然である。そもそも中国史は、下の者が上の者を殺戮して取って代わる歴史を繰り返してきた。そして、転掌成立当時は、太平天国の乱、アヘン戦争、アロー号事件など、国内で激しい争乱が発生し、治安は乱れきっていた。太平天国の乱では、実に2000万人以上の人間が命を落としたのだ。軍人だけではない、庶民も命を平然と奪われる時代だったのである。

争乱が発生し、それが長期化する、ということは、清朝の求心力(国内を治める統治力と言ってもいい)が落ちたことを露呈させる。清朝自体が、下の者から「舐められる」のだ。そうなると、清朝に盾ついてやろう、と考える者が必ず出てくる。実際、王朝が混乱すると、王族などの「雲の上の存在」の者らの暗殺が頻繁に起きる。

世情不安の中で、清朝王族が、自分の絶対的なテリトリー内に、武官や武芸者を入れたがらないのは当然である。女官はおもに満州族八旗の子女、宮女はおもに漢族八旗の子女、宦官だけが素性の知れない者であり得る。しかし、去勢されることでその人間は体力的に不安定となり、蔑視の対象となる。清朝王族は、宦官を人と見ていなかったのである。

余談であるが、中国拳法四大門派となるまでに大きくなった転掌であるが、董海川先生に宮中内で手ほどきを受けた人間の名はほとんど知られていない。なぜなら、董海川先生に習ったことを公言することは、自分の祖先が宦官であったことを公言することになるからだ。それくらい、宦官は蔑視の対象であった。師伝によると、女官や宮女に教える際、董海川先生は、彼女らに触れることが許されない状態で指導を強いられたという。彼女らは八旗という、武家の子女である。転掌創始者といえど、最底辺の身分たる宦官として扱われることによって生じた苦労話である。しかしそこから、敵に徹底的に近づかせない技術が洗練された、という重要な話も生じるが。

話を戻そう。

粛親王の本音の二つ目、いっぱしの武器を持たせないで済む、と言う話である。攻撃力の高い、人を斬ること専門の「刀」を持つことができない以上、既存の刀術と転掌刀術では、その攻撃方法が変わってくる。転掌刀術は、「刀術」という名がついているが、練習において刀を使用しない。棒を使うのである。なぜなら、実戦でも刀で戦うことができないから。宦官や宮女は、帯刀を許されていないのだから、刀で戦う練習をしても意味が無いのである。

転掌刀術では、移動推進力を活かして、敵の突出した部位の内側を、固い重い棒で打ち付けることを第一とする。襲撃者の命を奪うことが第一ではない。あくまで時間稼ぎなのである。移動して棒を振りまわしながら、人体急所を棒で叩く。そして襲撃者の動きが止まったら、手持ちの暗器やかんざしなどで突き、致命傷を負わせた。

ここでやっと、ジェダイのライト・セーバー刀術との違いに触れる。

転掌刀術がライトセーバーと違って優れている点は、特定の武器を持ち歩かなくても身の周りのもので戦うことを想定する日頃の練習によって、対処できることである。棒はそこらにこ転がっている。私が海で練習するときは、そこらにある棒っきれである。

現代日本では、武器の所持は禁止されている。銃刀法の規制対象とならない護身具でも、軽犯罪法という法律によって、一定の制限をかけられる。ひどい場合、単なる棒を持っていても、警察官の意図により不審者となって警棒などは没収される。

ライトセーバーによく似ている?携帯可能な武器たる特殊警棒は、警察に職務質問された際、突っ込まれ没収される可能性のある、やっかいな護身具なのである。よって一般人が特殊警棒を持つ際、専用の収納ホルダーなんかに入れておけない。隠して持たなければならない。その実情は「隠して持つ=すぐ取り出すことができない」という、命とりな事態を招く。特殊警棒はただでさえ、急な襲撃に対応しにくい武器なのだ。隠して持つことで、一層その不具合を悪化させる。

私は夜間の公園警備の際、特殊警棒に何の信頼もしてなかった。なぜならその職場は、暗闇から突然、野生動物が襲ってくる危険があったからだ。特殊警棒では、間に合わないのだ。私は樫材で自作した、長さ120センチのシャッターフック棒を常に手に持ち、警備に当たっていた。そして日頃より同じ長さ、同じ商品の樫材で急な襲撃に遭っても対応する練習していた。倒すための練習ではない。とにかくその場から身を逃しながら追い払う練習である。それゆえ、私は三度ほど、イノシシの襲撃・罹患野犬の駆除に際しても、自分の身を守ることができたのだ。

転掌成立時の清朝末期は、国内が乱れていたけれど、庶民は当然、本当の刀を持つことはなかった。それは、許されなかったからである。庶民が身を守るうえで、攻撃力の高い武器は選択肢に入れることができないのである。映画やアニメで見る一般的な刀は、いざという時使うことができない、頼りにならない・あてにならないシロモノだったのである。

そうなると、本当に実戦を考えている庶民武術家は、練習でも刀で練習しない。棒である。それどころか、刀術を、棒操術に特化させたりする(斬る・刺すではなく、叩く・ぶつけるをメインの技術体系にする、ということ)。そのようにして生まれたのが、「転掌刀術」なのである。弊門でも、模造刀は練習で使わない。木刀ですら使わない。使うのは棒である。おおよそ、身長160センチ以下が110センチ・160センチ以上が、120センチの棒を使う。そしてその棒は、必ず移動しながら扱う。ここもまったく違う。

ジェダイらは、皆、ライト・セーバーで戦うための修行を、小さい頃から積み重ねていく。彼らは常に、ライト・セーバーを持ち歩くことができたからだ。使う道具が明確に決まっていたから、「ライト・セーバー」を扱う練習をするのである。しかし転掌マスターは、経験を積めば積むほど現実的になっていき、心の中に残っていた、わずかな、刀術に対する未練すらも消し去る。そして棒を扱う技術に没頭し、術理を究め、真の転掌マスターとなるのである。

ジェダイの戦闘シーンを見ていると、前敵攻防である。目まぐるしく移動して戦っているように見えるが、よく見ているとそうでないことに気づく。両者は足を頻繁に動かしステップさせているだけで、その場にとどまっている。殺陣としては見栄えがいい。これは映画であるのだから。しかし実戦で敵の面前で斬り合っていると、甲冑でも身に付けていないかぎり刃先が身体のどこかしこに当たり、戦闘が終ってしまう。ライト・セーバーならなおのこと、末端をたちどころに斬り落とされてしまうだろう。実際にアナキンも、ルークも、片腕を焼き斬り落とされているではないか。

ジェダイの刀術は、多少の移動攻防は見られるが、基本的に敵の眼前にとどまり、テクニックで防ぎ、テクニックで攻撃するスタイルである。一般的に中国武術で習う刀術はこのスタイルである。日本の現代の「伝統刀術」も同じである。その戦闘スタイルは、フォース・先天的身体能力・専門機関での英才教育によってのみ実現可能な、エリートの技術体系である。つまり「選ばれし者のエリート刀術」なのだ。転掌刀術は、用いる者が昨今まで素人であった「身分の低い者の使う雑草刀術」。決定的に違うのである。

しかし行きついた後のスタイルは、雑草の刀術とは思えないものとなる。ジェダイのグランドマスターである、マスター・ヨーダが見せたデューク―伯爵との一戦。ヨーダは全身を使った激しい移動戦で、敵と渡り合った。転掌マスターの刀術は後ろに下がりながら変則的な斬撃で東から西から打ち付ける。極めると、この点だけが似てくる。

しかしこれは、極めきった者の話である。転掌刀術の本質は、身体的資源不利者の、なんとか生き残るためにの生存技法なのである。よって誰でもできるのである。誰でもできるから、宦官・宮女でも、わずかな修練で、とりあえず「おとり護衛」という護衛法だけは習得でき、急造護衛官として活躍できたのである。その中からわずかに真のマスターが生まれ、変則スライド撤退戦刀術が可能となった。

徹底した移動遊撃戦による多人数相手のおとり護衛は、実は初歩の段階なのである。しかし誰でもできる技法で他者を圧倒するためには、誰でも出来る技法ですらも、徹底的に繰り返し磨きぬかないと、襲撃者を圧倒することができない。誰でもできる技法だから、習い始めの人間でも、ある程度できる。ある程度できるシンプルで簡単なものであるから、ほとんどの人間はすぐ飽きてしまい、洗練される遥か手前で止めてしまう。そこに、繰り返す者・突きつめる者・追い求め続ける者ならではの優位性が生まれ、勝利の可能性が生まれる。

そして夢があることに、シンプルで誰でも出来る技法でも、磨きぬけば、一部の選ばれしエリートしかできない高度な技法にも対抗できるのである。敵がライト・セーバーを振り回してきても、我は移動しまくって勝機を見いだす。ライトニングやフォースによる締め上げを、現実世界で実行する者がいないことを、後は願うだけである。

人は人のことなど気にしていない。は嘘ね。

人は、自分が思っているほど、人のことなんて気にしていない。そうよく言われるが、そんなことないね。

私のことを気にしているなら、それは明らかにわかる。

自信をもって言うことができる。私は外で、人のことなんてほとんど気にしていない。海に行く。海岸に立つ。人はいる場合もあるが、私は海しか見ていない。そこにいる人間のことなんて、気にしていない。でも人は、そうでないようだ。

転掌の目で見ると、全体を大きく瞬時に見渡す。視界の端っこにある動きも見逃さない。顔を動かない状態で、自分に意図を配っている人間の動きが分かる。これは職業病である。

後輩らに言うが、館長が頭を動かさないのは、この眼力が養われているのもある。それ以外の理由もあるが、眼力を鍛える意味もある。知ってた?もし知らなかったのなら、せめて頭に入れておくこと。頭に入れても初心者はできない。でもそのポイントを知っておくと、いつかフッとできていることに気づく。

転掌の移動練習をしていると、もはや目標物を見る必要はない。通り過ぎるだけである。安い

自分は海を見たかったから、この場所に来たんだ。人と交流するための来たんじゃない。

私は趣味で、色んな場所に行く。そして、人のほとんどいない場所が好きだ。没頭したいから。しかし没頭できないときもある。見たこともない人が声をかけてくる。こいつは、人と交流したいのか?何のためにここに来たのか?

私は趣味をしにきただけだ。それだけなのに、人と関わりたがる人間が最近多いため、魔除けが必要である。

魔除けも私の行きたがる場所と同じような場所に行きたがる。しかし魔除けは、海で釣ることが好きなので、最近海の絵ばかりとなる。かといって、一人で出かけると、声をかけられ大変面倒くさい。

へぇ、いいねぇ、絵なんて・・俺も、絵でも描いてゆっくりしようかな?いつも来てるの?

それ、どうでもいい。もうここには二度と来んから、安心してむこう行ってろ。

書籍発刊で転掌を公開する理由~正しい伝承を守るため

インターネットでは、ノウハウをちらつかせて、利益を得ようとする広告が目立つ。

それも立派なビジネスであろう。しかし私は、お金儲けで水式館をひらいているのではない。

明確な目的がある。それこそが第一である。誰もが使える護身術を世界の隅々まで広めること。それが当面の大きな目標である。

ならばお金を払わないと閲覧できない「書籍」ではなく、サイト内で無料公開すればいいのではないか?という声が上がる。ノウハウは惜しみなく公開せよ、というネット上の常識があるからだ。

しかしそれも真実ではない。皆がそれを言うから真実になるのだ。そして自信を持って言えるのは、転掌にそのノウハウは当てはまらない。

誰もができる、ということは、公開しさえすれば、誰でもできる、というのとは同義ではない。

公開された情報が、その情報を知り尽くした人間によって管理された状態で維持される。これが伴っていないと「誰でもできる」を実現できない。

公開された情報を、広めることは簡単である。その情報をクリックしてコピーし、ペーストすれば、誰でも広めることができる。そしてその内容を、自分の考えたものとして公開することだってできるのだ。

このような、無断での転載は、無料でインターネット上において、無制限に公開するから、実行されやすくなる。ネット上に公開する、ということは、その情報を自分の管理下から外すことも意味する。閲覧者の自由利用を、ある程度認めることだからだ。

私はそのような事態を招く行為(ネット上への無料公開)は、決してしない。

今回水式館が発刊した書籍で扱う技や術理は、ネット上で公開しても、読む人間を選ばない分かりやすいものであっただろう。しかし分かりやすい=誰でもその術理を説明し伝承できる、では決してないのである。

それは、長年術理・技を研さんし、知り尽くした師から伝承を託されるくらい精通した人間だから、文字に著し、かつそれによって一定レベル伝承を実現できるのである。

弊館では、伝承活動は、掌継人以外おおやけに認めていない。指導するのはいいが、掌継人とならないと、その者に正式な指導の資格を与えたことを館として、転掌八卦門として公認しない。

掌継人となる以前の者が、仮に書籍を出したとしても、館として公認しない。

これはノウハウを独占したいなどの狭い了見で言っているのではない。転掌は、命を賭ける場面で使う、弱者の最後の切り札となるから、いい加減な人間による伝承で、いい加減な内容が流布されてしまうのを防がなければならないからだ。

転掌に伝わる「絶法(ジェファア)」のような重大な門伝を気軽の公開してしまうことで、心無い人間による無辜への虐待が引き起こされるのを防ぐためだ。

ネットに公開してしまうと、それらを防ぐためのコントロールが効かなくなる。書籍という形を採れば、著作権による一定の抑止力をもって、その内容を保護できるのだ。

しかし書籍での発刊、という形をもってしても、転掌の上級術理までは解説しない。もちろん「出し惜しみ」ではない。

それは、公開しても、習得ができないからである。師との一定時間の研さんが必要なのである。それは私自身が、ずっと長年向き合ってきたからわかるのだ。どこまでが独学で習得でき、どこからが師との研さんが必須となるか。

私は転掌に関して、だれよりもそれを知っている。近代八卦掌の指導許可も得、国内の八卦掌指導者の誰よりも深く長く向き合い、その源流たる転掌を極めたものとして、誰よりも知っているのである。

私の公開する転掌の動画に、低評価を押す連中は、転掌の戦い方が受け入れられないから押すのだろう。まさか、私の説明する転掌の術理などが違う、と判断して押しているのではあるまい。そのような行為は、ピアノを弾いたこともない私が、小さい頃からピアノを練習してプロのピアニストになった人間に、「お前のピアノの弾き方は間違っている」と指摘するのと同じくらい、バカげている。バカげている、と通り越えて、恥ずかしい。

私は、私の伝えた技法・術理が、誤った方向に進んで、それを利用する者に害を及ぼさないよう、しっかりと管理する責任がある。それは楊師から命じられた「然るべき人間への然るべき手段による伝承」である。

だから私は、掌継人として認めることに、厳しい技術的条件を設定している。私の遠慮ない攻撃に対し、転掌の斜め後方スライドの術理で、バックスライドアタック、フォワードスライドアタックができるようにならなければならない。

術理は、私が実演で示し、それを何度も実演実行し、弟子にも実行させ理解させ、理解が弟子によって体現されなければならない。

これはあくまで一例である。やり取りの中で、見るべきポイントというのがある。私は弟子にそれを何度も言う。ここはどうでもいい、この点が重要である。ここをしっかりと意識せよ、と。

この方法による伝承は、共にやり取りをしあう中で実行することで、実現できる。もちろん、掌継人となる者は、一人での研さんを求められる。長い拳法人生の中で、掌継人は一人で拳理と向き合う必要があるからだ。

掌継人として認める条件を、色々と挙げた。命を賭ける技法だから、それくらい真剣に伝承するのだ。これくらいしないと、転掌の術理はいい加減な方向へと進む。掌継人が、自身の研さんのすえにその技法を変えていくのは全く問題ない自然なことだ。私はそれを望むし、そのようにしていけと言う。これは、掌継人となるくらい研さんを積んだから、オリジナルに進むインスピレーションが、自然と湧くのである。

私が本を通して転掌の基礎たる自分護衛を公開するのは、習得可能な範囲を厳選し、それをコントロール可能な状態の下に置き続けるためである。

書籍で示す内容は、だれよりも転掌と向き合った私が、「真面目に定期的に練習する」ことで一人でも習得できると確信した内容である。よって本書を手に取り学習をしようとする者は、安心して、信頼して、その身を守るために繰り返して欲しい。

転掌八卦門として、世界武術・転掌を支えていく

八卦掌水式館は、世界武術・転掌の拡大と浸透化を支えていくために、伝承のための門「転掌八卦門」を形成します。

北陸本科のページを見ている人であれば、お気づきかもしれません。現在、護身術指導と伝統継承の二つの指導フレームを作成しています。

転掌の護身術としての素晴らしい特徴に絞り全国に伝播させるため、極限までシンプル化し敷居を低く習いやすいくし、隅々の諸氏に届けるための方法を具現化してきました。しかし独学システムを構築するまで打ち出してきた多くの施策は、全国の諸氏に届けるうえで敷居の高いものであり、弊館指導部の対応力も無尽蔵ではく、限界を感じるものでした。

この点を踏まえ、独学者のテキストに徹した書籍による最低限にして十分な護身技術の教授に限定することで、『売り切り+自動サポート』のシステムを構築、独学での習得の現実化と、リリース後の対応力の飛躍的向上を実現しました。この実現により、多くの力を、世界武術展開に向けることができるようになりました。

いよいよ、世界武術への本格的始動が始まります。護身術の全国・全世界への波及を実行していきながら、まず日本国内にて、転掌八卦門の成立を宣言致します。

水式館にて全伝を授かり掌継人となった者は、自動的に、八卦掌の代継門人・転掌の掌継人に加え、転掌八卦門の伝人とします。

厦門転掌門楊家より館長・水野が受け継いだ董海川先師創始のままの技法は、楊師爺の師伝によってしかるべき人間にお伝えしていくことを求められています。弊館では、館長と、私を含めた掌継人が、幾度となくその伝承方法を試してきました。

その中で、検討と模索によって打ち出した以下の方策を実行していきます。

  • 常識と思いやりを備えた人間に伝承するため、応募制を採用し、転掌八卦門正式門人となるための選考を設ける
  • 転掌八卦門の門人となることを希望者は、転掌における護衛最高段階たる「並走遁走東西変打虚打」を目指すこと
  • 水式館の現行本拠地(館長・水野の生活拠点のある市町村)は、その都度変わる可能性がある(現在は石川県金沢市)ため、遠隔地になっても半年に一度でもいいため定期的に通う熱意を持つことができる者に限定する

今後、機を見て転掌八卦門への入門を希望する方に向けて、必要な情報を示していきます。

私はプロの武術家であり、転掌のグランド・マスターである

冒頭から、今更ながら当たり前のことから入った。しかし、すべての出発は、題名にある、当たり前で普遍的な真実の宣言から始まる。

私なんて・・・。末席にでも・・・。私はそれらの言葉が大嫌いである。「そう言っておけば角が立たないだろう?」

しかし全く人なんて馬鹿にしてない。自分はこうだ、と当たり前の真実を宣言しているだけである。そう言っても「うぬぼれ」だと言ってくる人間もいた。「集まりの場では言うことも必要だ」とも聞いたことがある。

解決策は簡単である。そのようなことを言わないとうまくいかないような集まりの場には、行かないことである。自分は至らない、という発言は、多くの望ましくない現象を引き起こす。そのようなものを引き起こすならば、その場に行かなければよい。

私が他の武術家とつるまないのは、そのためである。私は事実の通り、朝から晩まで、そしてこれからもずっと生粋のプロで、最高のグランド・マスターであるのだから、その事実に、ほんの少しの泥もかけたくない。

よくない現象、それは、知らず知らずのうちに、自分に対して限界を持ってしまうことである。

自分に対する限界を作ってしまうと、それ以上先に進むことが困難になる。行き詰った時、そこで言い訳に走る。行き詰まりは、行き止まりでもなんでもない。ただ単に、そこで行き詰っただけだ。すぐに穴は空き、事態は変わるのに。

行き詰った時考えない方がいいことは、「もうだめだ」である。かといって、無理に前向きに考えろ、とも言わない。そんなこと考える必要もないからである。ただ何も考えない。それで十分なのだ。

私はこれを誰よりも言う資格がある。追い詰められたのに打開もできないとき、私は今まで通りを繰り返した。安っぽいスピリチュアル動画だと、そこで奇跡は起こる。しかし私は何も起きなかった。もっとひどいことも起こった。大切な人を失った。家を失って車中生活に三回なった。親を亡くし、死に目にもあえず、葬式にも行くことができなかった。それでも今まで通りを繰り返した。

人に批判され、役人に見下されても、己の毎日のルーティンを変えなかった。

何も起きてない時に、「苦しい時は○○しろ」と言うのは簡単である。しかし私は、その時も本当に、今までどおり、改善もせず、日々を実行し続けた。そしてそれが実は、今私持っているゆるぎない確信の最大の源なのである。

今までやってきたことを、ただ繰り返すだけである。行き詰った時は、たいがい精神的に苦しくなっている。立ち直れないと思う時もある。そのようなときに、ポジティブに考えようとすると、余計に負担がかかる。自分が以前住んでいた愛知県は、トヨタ自動車の影響もあり、中小零細企業でも、「改善」を採り入れる。本当にあれが嫌いだった。あれが嫌いだったから、愛知県も嫌いになったくらいだ。

事態を打開する必要もない。自分を信じるのみである。トヨタ系の人間は、他人(おそらく大野耐一)が考えた思考の一つを、貴重な自分の中に無理に取り込む。心酔して取り込むならいいが、ほとんどの人間たちは、会社の業務命令のために、そう考えるのである。寒気がする世界だった。

行き詰まるということは、「自分」という宇宙が、それだけやってきた証なのだ。自分のすごさを信じきって丸投げをし、何も考えず、改善などというしょうもないこともしようともせず、ただ繰り返せばいい。少し汗をかき、気持ちも変わるかもしれない。かといって、すっきりしたことで苦しさがなくなるわけでもない。でもそれでいい。自分が心底、自然に、気持ちいいと思ったのだろう?人に押し付けられた思考のフレームワークで生じさせたものより、はるかに価値がある。いや、くらべものにならない。とにかく、惰性でもいいから、繰り返すだけである。

的を外す、やたらと息があがってしまう、やたらと棒をつかみ損ねる、これだけ毎日動いているのに体重が増えた・・・すべて全く問題ない、すべてオーケーである。なにが起きても、繰り返せばいい。あえて言おう。これまでの君の積み重ねは、そんなことどうでもいいくらい、すごいのだ、うまくいかないことは、君を下げない。行き詰まりの時生じる事象ごときは、君を下げられないのである。君が自ら自分を激しく攻撃して下げない限り、下がることはない。

定期的に、惰性で、行う。それは実は、前に進むうえで、十分プラスに機能する。何もしなくても下がらないのに、惰性でもいいから動いているなら、下がるわけないだろう?

私は完全なプロ、グランドマスターだから、何も躊躇せず、転掌・八卦掌を指導する。私は近代八卦も膨大な量を積み重ねたし、そのうえ八卦掌の原型・転掌を再興させたのだから、国内外の誰にも劣らない八卦掌・転掌のマスターなのである。

だから私は、董海川先生と、楊コクチュウ先生、そして最高の師である水野義人宇宙先生以外、誰にもへりくだることはない。礼節は当然に尽くすが、自分を下に置かない。

董先生は、私が大好きで夢中になる、いつまでたっても上を目指すことができる技術体系を、この世に具現化してくれた恩人である。感謝しても感謝しきれない。

楊コクチュウ先生は、その具現化された、行き止まりのない技術体系を、私に教えてくれた。私の姿勢だけを評価し、色眼鏡なく私を信じ、伝えてくれた。そのおかげで私は、近代八卦から転掌へと移行する大きな飛躍を得たのだ。感謝しても感謝しきれない。

指導経験も圧倒的に長いうえに、イノシシや狂暴化した野犬、複数人の侵入者と、身の毛もよだつような実戦経験もしている。プロとして最高の経験をしており、なんら不足もしてないのである。

わたしが国内で最善・最高である。私の目指す境地において、他者の下に少しも置かれてないからである。他人の境地は知らない。他の武術家と比べることなど一切する必要もないから、当たり前に最高なのである。

私の優秀な弟子が、いいことを言っていた。「達人に必要なのは、対応力」だと。きっと彼には、もっと深い考えもあろう。しかしこの言葉だけでも、十分素晴らしい。明晰な彼は、今この瞬間も先に進み続ける天才である。

自分の心が示す行先に忠実になり、進路の変更や変化を恐れない。イメージした「目的に続く進路」へのこだわりを捨てて、引き続き進み続ける。これは、自分に対する揺るぎない信頼があるからこそ、自然にできることだ。

今このブログ文章自体、自分に忠実に書いた結果だ。どういうことかって?

明かそう。ネット上であふれる、「ブログ記事の書き方」のセオリーをまったく無視して書いているのだ。その文の書き方が、人の共感を得るから、そのように書く。しかしそのような書き方では、私は面白くないのだ。自分が出ない。自分を表現できない。最高の存在である水野義人というグランド・マスターを表現できないのだ。

起承転結など、くっそくらえだ。だから出版社に、あれこれ言われるのだ。それもいいだろう。無視されるのだ。それもいいだろう。

口を挟まれ、相手にされなくても、自分は変わらず最高の職業武術家である。プロである。現世最高の、グランドマスターである。

だから私は、いつも習いに来る人間に、転掌の原則をしっかりと実行させる。まだ何も知らない者に、口出しさせない。自由にやらせるのは、どうでもいい箇所だけである。

八卦掌や転掌を習いに来たのなら、未熟者は、一通り習うまで、素直に習え。何も知らないのに、この方がいい、と、積み重ねられた原則術理にケチをつけるな。だから私は、見学しに来た者が次から来なくても、落ち込むことはないのだ。何も知らない人間が、一度の見学ごときで、「これはいい、これはだめだ」などと性能を評価できるはずがないからだ。やりたい、やりたくない、が判断できるだけである。

転掌と八卦掌の指導をするとき、私の胸は否応なく高まる。楽しくてしょうがない。世界にとんでもない勢いで広がっている転掌を感じる時が、最高にいい瞬間である。これからもずっと見ていく。海で砂浜に立っている時も、木々の中で野鳥たちを見ている時も、浜辺で延べ竿を伸ばして釣り糸を垂れている時も、心には転掌の拡大が見えている。

だから堂々と言えるのである。八卦掌を習いたければ、私の元に来い。転掌を習いたければ、私の元に来い。金沢の人間は幸せ者である。今行動しないと、後悔する、と。大切な人を守りたければ、私の伝える転掌が最高である、と。

世界武術の原点~氷見市島尾海岸

今日は記念すべき日である。

前人未踏の道は、想像以上に辛いものだ。今日は、グランドマスターの愚痴に付き合って欲しい。

道を貫く、といことが容易でないことなど、頭ではわかっていたのだが、そこに待っているものは、圧倒的なことばかりであった。努力や心掛けでなんとかなるものでもなかった。

Youtube上にて最近量産されているにわかスピリチュアル教師どもは、どん底からの好転、を説く。私はずっと以前、その言葉を聞いて、毎日毎日底からの脱出を夢みて、進んできた。実はあれから、もう、3年以上もたってしまった。

その三年の中で、あまりにも過酷な底が続いた。多くのものを失った。家は3回も失った。自分の目指す道を共に歩むと言ってくれた人もこの世からいなくなった。いつも請求書におびえ、のたうちまわった。生き急いだ青年の死を見た時は、恐ろしくて夜いつも震えていた。そして・・・・本当に支えてくれた人も失ってしまった。その人の死に目に会うことも、送ることもできなかった。ここまでするのかよ・・。

それでも私は今日も、島尾の海岸に立って、いつもの通り、今日も進むと報告をした。

ここは世界武術・転掌の原点である。転掌は、私がこの世に生まれ、約束した人を守ることができず、そして楊師に巡り会ってその技の皆伝を得た時も含め、すでに世界武術になっていた。それは宿命である。

私は今この瞬間も、自分の島尾での想いを書くことで、転掌が世界に広がっていくことを実行している。

この場所から氷見市街の方向を見る時の景色は、今も変わらない。あの時は、すでに6月であったから、立山連峰は影のみであったと記憶する。そこには未来の家内がいて、水式門の名をくれた同級生が座っていたのである。プロフィールに掲載してあるイラストは、あの時のことを思い出してかいたのだ。

そんなこと書くの?書く!これは原点だからである。

何があっても練習場所に向かったのは、あの時の笑顔があるからである。私は苦しくない。この世に生きてられる。生きてられる以上、吹雪で吹き付ける氷雪も、土砂降りの雨も、苛酷に照り付ける太陽も、すべてが祝福である。私はそれを受け、何かを感じることができるのだ。

私に想いを託してくれた人たちは、それすらも味わうことはないのである。私がその分も受けないでどうする。

名付け親

死ぬまできっと動き続ける。移動遊撃戦でできなくなってきたら、何が違う手を考える。ずっと進化し続けるのだ。そうすることで、転掌が世界の隅々の本当に深いところまで浸透し、それが根底から、大切な人達の日常を守る。この世は幻想かもしれないが、私たちはここで泣き笑うのだ。だから退場させない。その役目を果たすことができるのは、転掌である。

多くのかけがえのない宇宙が、私の近くから去っていった。でも私はずっと、一緒にいると感じている。そして見渡すと、私の周りに、私の宇宙に共感する愛すべき宇宙もいる。共感し、志を汲んでくれる宇宙たちもいる。

今日は感謝しかないのである。あまりに最近、走り続けたばっかりに、さすがに身体が熱くなってきた。桜も咲いてきたことだし、明日は少し、花を愛そう。

「良師三年」の本当の意味~先生探しは時間の無駄である

あなたが今でも、「良師三年」の言葉に影響され、有名先生に習いたいと思い、先生を探す放浪の旅をしているなら、そんな無駄なことは今すぐやめてしまえ。

あなたは今すぐ、その場で、あなたが今まで習ったものを復習するのがいい。

良師三年。日本でやたらと有名になった言葉である。それは、日本人中国拳法愛好家が大好きな漫画による影響だろう。

私はこの言葉を、高校生の時、転掌の楊師より教えてもらった。

愛好家が言っている「良師三年」とは、全く内容の異なるものだ。楊師は言った。

『どんな先生でもいい。どんな武術でもいい。簡化二十四式太極拳でももちろんいい。その先生が、健康法としての武術しか知らなくてもいい。その先生に教わった技を、術理を、自分の身体で完全に再現できるようになるまで、徹底的に繰り返すことだ。やり込むことだ。

戦うのは、その先生の身体でではない。お前の身体で戦うんだ。仮にお前が武術界で名を馳せた先生に習ったとしても、戦う時はお前の身体で戦うんだ。それを忘れるな。

お前の身体は、やればやるほど、その技をより高い次元でできるようなるヒントをくれるようになる。転掌で言ったら、小成と言われる3年くらいから、そのヒントを身体がおのずと教えくれるのだ。

もう分かっただろう?そうだ、3年くらいから、お前の身体が、お前の身体でより高度に実行し得るためのヒントを、勝手に教えてくれるようなるのだ。外部の先生は、お前の身体と同一ではない。よってどれだけ高名な先生であっても、どれだけの名手であっても、お前の身体にとってベストの技法を教えることができないのだ。

私はお前に転掌の必要にして十分なものを教えた。それは技だ、術理だ。あとはお前がやり込んで洗練させていけ。迷ったときは、できないなりにただ繰り返せ。お前は「○○ができなくなった」と言ったが、横から見ていても、今の方がうまくいってるように見える。

それくらい、外から見ている人間には、お前の中で起きている感覚がつかめないのだ。お前が一番知っている。

お前の身体は間もなく、お前に多くのことを教える「良師」となる。いいか水野、良師三年とは、そういうことなんだ。有名な先生とか、歴代の達人とか、そんなんじゃない。

私はそのことが当たり前だと思った。しかしそのことを理解している人間は、どこにもいなかった。指導者にもいなかった。

水式館では、掌継人となった後、その弟子に自由にさえるのはそのためである。自由の範囲は、練習はもちろんのこと、指導・発信なんでも自由だ。自由にしておかないと、その弟子にとって最良の師の指導の邪魔をしてしまう。掌継人になった弟子の身体は、間違いなく良師となる。あとはその先生に任せるのみだ。そうすることで、その弟子はとてつもなく成長していく。

ブルース・リーは私と同じようなことをいう滅多にいない先生だ。私がブルース・リーが好きなのは、わたしと考え方がそっくりだからである。やはり天才同士は考え方も似通ってくる。

彼も弟子に、自分のコピーとなることを戒めた。だから彼は、ジュンファングンフーではなく、ジークンドーとして、その伝承を試みた。特定の具体的な技法を伝えると、その技法が独り歩きし、神格化され形式主義に陥り、パリサイ人(形式主義者)量産の集団となり果てる。

しかし残念なことに、ジークンドーと名を冠して教えながら、自身の修めた型を強いる指導者が多くなっている。

私は転掌(八卦掌)を教える際、最小限とする。それは省いているのではない。長年の発展という名の装飾化によって外にへばりついた余分なものをそぎ落としただけだ。

八卦六十四掌は知っていた。しかし中身は、形意拳と八卦掌の混在である。この型を作った人間は歴代の名拳士であるが、そんなことは関係ない。彼にとってはこの型はしっくりときたのかもれない。でも私には、違和感しかなかった。そして型が長すぎる。一通りやるだけで時間がなくなってしまう。

磨いていく技は最小限にせよ。技を創りたいなら、最小限の技を極めて、その術理から導かれる動きの中で「実行しやすい技」を、自分が使用する目的だけだと決めて、確立すればいい。

水式館発祥地・氷見島尾海岸で、一番弟子が転掌双短棒(双匕首)を練習しているイラストを見て欲しい。

彼女はいまだに、一番最初に習った「推掌転掌式」を好む。それが高じて、推掌転掌式とリンクしやすい双短棒を、最も得意な武器術をしたくらいである。

彼女は言う。「これ(推掌転掌式)はいまだに、上手くいくときといかない時があるんだ。上手くいかないときに限って、とんでもないインスピ(直感)が来るんだよ!飽きる、という発想が分からない。いまだに私に教えてくれるのに。」と。

このインスピこそ、彼女のもう一人の師だ。己の身体こそ良師だ。

つまり、ずっと続ける姿勢さえあれば、雑誌で毎月紹介される魔術師のような先生らに踊らされることもなく、すごそばで、最も近い場所で良師に巡り逢えるのである。

『幸せは、足元にあった』とよく言うが、それは拳法の世界にも当てはまる。

雑誌や動画で人気が集中している先生の所に行ったって、どうせその先生に習うことなどできない。「その他大勢の一人」とみられるだけである。有名先生の講習会を見てみればわかる。人が多すぎる。そして、教えているのはその先生の弟子だ。濃度が大幅に落ちたものから、あなたは多大な労力をかけて、何を感じるのか。

日本人は真面目であるが、自信が無さすぎる。横暴であるのはいただけないが、うぬぼれぐらいなら、誰にも迷惑はかけない。自分の見出したオリジナルを最善だと、思い切り勘違いしてしまえ。真の勘違いは、すぐに真実となる。だから今すぐ宣言せよ。

「私は稀代の達人である。偉大なグランド・マスターである」

そのように宣言すればいい。誰の許可も承認もいらない。あなたが自分のオリジナルを信じ、そう宣言した瞬間から、あなたは偉大なマスターとなる。このことに例外はない。

達人になりたければ、私の元に来い。しっかりと達人になるマインドを指導する。しかし各自の練習は当然必要だぞ。練習すると、それは自分が未熟であると脳に信じさせるからよくない、と言ってのける人間がいたが、そういう奴はイメージだけで強くなればいい。自分はそのアプローチは採らない。

水式館では、転掌と同時に、達人道も教えているのだ。