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「転掌式」と「交手式」~昔日と近代格闘術を分けるもの

年越しの記事である。あけましておめでとう・・・などどうでもいい。年初から、読んで役立つものを届ける。

転掌式とは、斜め後方スライドの術理で構成された、転掌スタイルだ。交手式とは、敵と向き合って手を交え、打ち合う近代格闘術スタイルだ。それは明確に分けられて伝承された。

宮女開祖は、交手式になること断じて拒否した。一時でもそのスタイルに染まると、それが他の八卦掌と同じ末路を迎えると判断したからだ。

転掌式は、現代においてほとんど評価されない。護身の世界では必須の身法であるのに、護身術の世界においてもその技法は軽視される。転掌式は、昔日、転掌だけに限定されたスタイルではなかった。庶民用武術は皆、転掌式と採用していたのだ。

なぜなら、打ち合うことができなかったから。甲冑を身に付けることが許されなかった。武器を持つことが許されなかった。ただ、敵から逃げ続け、その中で活路を見いだすしかなかったからだ。その意味で、極めて不利な状況を生き抜く知恵が結晶された、大変シビアで技術的な世界である。

であるのに、敵の力とぶつからないために下がる技術を、「技術なし」と知らない者は判断する。愛好家レベルの者が言うのは仕方ないが、指導者レベルの人間が言っているのを見た時、大変驚いた。それも八卦掌の指導者が、である。あなたの拳法の源泉は、移動して活路を見いだす庶民用武術だったのだぞ。

私が梁派八卦掌の伝承者の道を選ばなかった大きない理由の一つが、梁派のスタイルで護身を果たす自信がなかったからだ。我が身を守る技術として自信のないものを、他人に「護身に!」と言って指導することはできない。それは不誠実であると映るからだ。命がかかっているのだ。私は、自分で実際に使って、実際に我が身を守ったものだけしか、教えることはできない。

梁派八卦掌では、兄弟子との組手の中で、勝ったり負けたりした。いや、体格のいい、武術経験者の兄弟子には、全く歯がたたなかった。結局、体格のいい人間は武術のスキルではなく、フィジカルで圧倒してくる。それを嫌というほど、思い知らされた

弊館の一番掌継人たる筆頭門弟も、一番に弟子となった一番弟子も、梁派八卦掌を習うことを明確に拒否した。彼女らは、筋力や体重で圧倒的に上回る男性らと戦うにあたって、技術でその差を埋める近代八卦掌に、直感的に「無理」をかんじたのである。そしてその直感は、正しかった。

私は指導者として、力がぶつからないスタイルだけに取り組むわけにはいかなかった。力がぶつかるスタイルも経験して、その欠点と長所も含め、総合的に理解したうえで、転掌を伝承していく方が合理的で誠実だと思ったのだ。

転掌も近代格闘術八卦掌も修行を終わらせたうえで、やはり私は、近代格闘術八卦掌を指導することは控えようと思った。「私は近代格闘術八卦掌で護身を果たす自信が無い指導者ですが、それでも大丈夫ですか」と了承を求めたうえで、それでもいいと思う者にしか教えることはできない。

日本の八卦掌の指導者は、そのすべてが近代格闘術八卦掌の指導者である。きっと彼らは、その技術を使って武術的目的を果たすことができるから、お金を取って指導しているのだろう。私は、自信を持つことができなかった。近代格闘術八卦掌の巧妙な技で相手を倒し、我が身を守ることができない。そのようなものを指導できない。

私はプロの職業武術家である。プロである以上、自信のあるものしか指導できない。教えるものの価値が揺るぎないものしか、指導できない。これは当然である。

交手式も指導者レベルまで修行したうえで、転掌式の技術の奥深さを痛感する。四半世紀以上もずっと練習してきたが、董先師や宮女開祖の示した技法を、未だに超えることはできない。技術がないなど、とんでもないのだ。

私は、董先師・宮女開祖の伝えたものを超越した時、自分の名前で新たに転掌門を立ち上げるのが夢だった。自分で流派を創る。それはプロの武術家であれば、一つの大きな夢である。しかし越えてないのに、自分の名前で立ち上げることなどできない。ましてや、自分で創ったなどとウソをつくのは、先代師に対する冒とくであろう。その時が来るまで、プロならではの夢はとっておこう。

昔日の岡山にこのような逸話がある。

野盗の襲撃に悩まされていた農民が、在野の柔術の達人に、その技の指導を請うた。そこで達人は、大きな円を描き、そこでひたすら、鬼ごっこのような掴み合いをさせた。時に一人対複数、時にそれぞれ自由につかみ合わせるなど。

最初は上手くいかなかった。達人は彼らに、捕まらない技術を徹底的に指導した。相手を攻撃する技法を、一切指導しなかったのである。

農民らの逃げきる技術が上がり、もはやその円の中でも逃げ切る技術が着いた時、農民らは不満を漏らす。逃げる技術ばかりで、相手を倒す技術を教わっていません、と。

達人は言った。

「お前たちは農民だろう。相手を倒す技術など、その本分から外れすぎている。お前たちが相手を制する技術を習うと、お前たちはそれにのめり込み、本分がおろそかになる。そして何より、相手を倒そうという欲が出て、逃げ切る技術が下がり、命を落とす。お前たちの中で必要なものは、相手を倒す技術ではなく、相手に絶対捕捉されない技術だ。それこそがお前たちの柔術である。」と。

農民らはハッとする。自分たちの置かれた立場の中で、その達人は、最善最適のものを教えてくれたのだ、と。農民らは以後、郷のものに移動技術を指導し、襲撃があった際は、個々人が自分だけをそれぞれ守ることで、襲撃に対する護身に大きな効果を発揮した・・と。

董先師が、宮女宦官に、最初から必倒護衛ではなく、おとり護衛に絞って技術を指導したのも、これと似ている。各人が置かれている状況に応じた技術ことが最善最適である。各人の状況を無視し、弱者を強者に変貌させるような技術体系を指導してしまうから、力任せの攻撃に圧倒されてしまうのである。

時間があり、練習環境がそろっており、かつ攻撃力の高い武器を携帯でき、かつ打ち合って斬られても大丈夫ならば、交手式でよいだろう。しかし私たちは、武官でもなければ、警察官でもないのである。武器はもつことができない。筋力に頼めば、体格のいい男性に圧倒される。

現状を見つめよ。あなたは護身で使うのか、試合で勝つためなのか。試合で使うなら、負けてもいい。命を落とすことは無い。練習して、次に挑めばいい。

護身ならば、次は無い。常に生還のために確率の高い道を選べ。私が交手式でイノシシに挑んだら、私は今頃、感染症にかかり命が無かったかもしれない。転掌式で瞬時に反応したからこそ、かろうじてイノシシの突進をかわし、けん制の連打で追い払うことができたのだ。

これは、ずっと練習し、技術をみにつけてきたからこそである。転掌式は技術である。技術である以上、練習をせよ。練習して練習して、生還を果たせ。大切な人を守る遊子となれ。

遊子として動き回り、暴漢の攻撃を一身に受け、ぜったいに守りきれ。

職業武術家(プロ)で在るということ

私が師事した一人が、職業武術家などなるものではない、という考えを私に紹介してくれた。師の知り合いの中国人指導者が、そのように言っていたようだ。

私はその考えに、賛同しない。私は、中国武術の指導者である以上、職業武術家としてのみ活動したい。いや、もうそうすると決意し、そうで在るのだ。そしてその事実・現状は、どのような状況になろうと、節を曲げないことを意味する。生徒が来なくて生活が困窮しようとも、大切な人の死に目に立ち会えなくとも。

私は常にプロ(職業武術家)で在り続ける。私はアマチュアになるために、多くのものを失ってきたのではない。

所持金が無くなり、寒空の中で水で身体を洗う事態に陥っても、私は先に進み続ける。

毎月末に請求書に心を追い詰められ、そのような状況下で約束を違えらえても、私はプロで在り続ける。

サラリーマンに戻るのは簡単なことだ。十数年も経験しているが、今の方がはるかに苦しいし、不安である。プロを貫くことは、想像をはるかに超える苦しさを伴う。この瞬間も、このように打ち続けている。家で、ではないぞ。ショッピングセンターのフードコートや、公共の場で、時に白い目で見られながら。でも構わない。心には熱い志がある。

指導のために多くの手段をうってきた。そのほとんどが失敗である。多くの時間をかけ、それが水泡に帰すとも、君は向き合い続けることができるか。心を保ち、次のドアをノックすることができるか。

何の理屈もない。ただこの道に、揺るぎない使命を持っているからである。転掌を世界に広げ、そして、多くの人が、自分を、そして大切な人を、守ることができる世界を創造する。これは約束だから。理不尽な暴力の果てに、人生を意に反して終わらせてしまった人に誓ったのだから。

心が壊れそうになり、目の前が真っ暗となった時。絶望すると同時に、あの時の、悲しみに打ちひしがれる人々の姿が見える。目がカッと見開く。時に泣きながら、時にさけびながら、時に泣き叫びながら、再び立ち上がり、進んできた。

職業武術家である以上、自分を養う必要がある。だから当然、安売りなどしない。法外な金額ではない。月7,000円程度だ。受けて然るべき、報酬である。でないと、全国キャラバン指導ができない。

私は楊師に習う時、稼いだ金額をすべてかけて習った。伝統門である。やる気のない、ご都合主義の愛好家に用は無い。真に技法の伝承をのぞむ者のみと向き合っていく。

転掌八卦門は、オンライン全国道場を展開する。それは、拳客として、全国諸氏に逢いにいくための大きな一歩である。その一歩を踏み出すため、伝える内容を厳選し、整理してきた。これは、拳客として全国展開をする上で、軍師弟子が私に示してくれた策である。よって転掌八卦門の初代バナーには、軍師門弟を掲載した。ずっと支えてくれた恩人だからだ。

倉敷で一緒に練習していた頃の瀬戸大橋の写真であるが、門弟のイラストは高校時代のものである。

現状で全国キャラバンをしても、習いに来る者は少ないだろう。多くの者は、近代格闘術スタイルに染まり、移動戦を特異・亜流なものとみる。しかし護身護衛を真剣に考えるならば、移動戦の有効性がすぐわかるはずだ。私はすでに中学生の時、そのことに気付いていた。だから移動戦技法を求め、求めたがゆえ、楊家拳にたどりついたのである。

もし愛知にいなければ、北陸に行く。北陸にいなければ、全国に行く。その間に、絶え間ない発信を続け、転掌を広める。私は我が身が朽ちるまで、可能性あり限り、目指すべき世界に向けて進み続ける。

前述の軍師門弟は、愛知にて、私に献策をし続けることを誓ってくれた。頼もしい存在である。私には、先に進み続けるためのものがすべて備わっている。達成する目的。技術。揺るぎない情熱。すべて存在している。

軍師門弟らの存在は、あまりに恵まれ過ぎた要素だ。それらがあるのだ、先に述べた創造が、達成されないはずが無いのだ。

達成するために、この命終わるまで、プロの転掌マスターで居続けよう。これは使命である。

転掌刀術の構え~練習した型がそのまま「構え」となる

転掌刀術において、「構え」はあるのか?

一般の剣術や、剣道のように、向き合って相手の隙を伺いつつ・・・というものはない。なぜなら、初撃を、剣で受けることをしないからだ。

その緒戦方法だと、敵の予測できない斬撃に対し対処できない場合が生じる。むしろ、対処できない場合が多くなり、一瞬で斬られて、命を落とす。

よって、どのような敵がどのような手段で襲ってきても一定時間生存する必要があった転掌では、向き合って構えるようなことは決してしない。これは、徒手でも、双身槍でも、連身藤牌でも同じである。

肩を入れ半身となり、敵が少しでも動いたら、けん制斬撃しつつ後方へ移動することができるようにする。だから脚を止めず、移動し続ける。「敵が動いたら」なのである。どのように受けるとか、そのようなことをいささかも考える必要はない。ただ、動いたら、敵の反対側へ移動するのである。

上掲イラストは、遊身大刀の「大上斬」の型で、対峙している状態である。この構えで当然に居着かず、移動し続け、敵が前に出て来たら、けん制の「単推刀」をしながら身体を刀の下をくぐらせ、反対側へ移動しつつ、刀を自分の身体の後ろで移動斬りさせるのである。

「ただ反対側へ移動するだけかよ」

というバカげたツッコミをする人間がいる。安易で誰でもできるから、技術が無いと勘違いしているのである。指導者レベルでもそのようなことをいう人間がいる。そのような人間のいう後方移動とは、単なる「後ずさり」である。転掌の緒戦技術は全く異なるものだ。

格闘技試合や映画、アニメに洗脳され、敵の攻撃と交差した状態の中で勝利をつかみ取る格闘法を、実戦での戦闘だったと勘違いしているのだ。審判がいて、武器を持つことが禁止されている、正々堂々の「試合」ではないのである。このような戦闘法(交差法)は、小手などの甲冑を身に付けることができた武人か、斬撃の危険がない「試合」でのみ成り立つ戦い方である。

武術である以上、それが現代格闘技の価値観に合わなくとも、多くの人の気を引くような華麗な戦い方でなくても、命を守るために確率の高い道を選ぶ必要がある。

それを実行し、貫き、後代にまで守らせたのが、楊家拳(楊家転掌式八卦掌)の開祖でもあった、宮女開祖なのである。董海川先師ですら、自分の後に続く男性修行者の影響を受け、転掌の術理から離れる転掌を傍観した中で、宮女開祖は、生存のために確率の高い道を、勇気をもって選び続けたのである。それが例え、指導門として衰退する結果となっても。

転掌刀術を習うにあたり、緒戦技術から示した、演武のみの動画をアップしたことがある。その動画を見ると、敵を肩越しに見て、いきなり移動し、間隔が開いた状態で、技に入る。初心者用でもあるが、実戦では最も有効で、最も安全な方法である。

上記イラストの弊館一番弟子は、今でも、いきなり移動する緒戦行動による刀術を、真剣に練習している。後方移動を安易な防御法だと揶揄する考えがあると知った時、気性の激烈な一番弟子は

「私なんぞ、二十数年以上も、練習し続けているのに!」

と激高していた。

転掌刀術の真価を見出すことができた者のみに言う。洗脳され、自分のやっていること以外のものにマイナス評価して得意がっている暇な凡人に用は無い。

敵の眼の前で、いつも行っている刀術型を演じよ。敵が少しでも動いたら、すぐさま後方へスライドせよ。初撃を、刀や棒で決して受けてはならない。

その緒戦法に徹することで、相手次第から自分次第の戦いへと入っていけるのだ。

夜に見える立山~もう一度見たかった景色

「夜にも見えるのよ、立山。月が明るい時。」

そう言って皆を連れて見せてくれた景色が、満月の夜の富山湾だった。

「雪が降って、月が出て、そして晴れていれば」が、あの人の教えてくれた「見える条件」だった

そして土曜日、満月ではなかったが、満月に近い状態。晴れ、昼は立山が金沢から絶景をさらしていた

これはあの景色を見るチャンスだと思った。北陸の冬を車上生活で過ごす事態に陥っていて、お金もない。でもそんなことはどうでもよかった。

転掌の動画は、フェイクマスター・デストロイ(偽マスタ―が打ち破られる)系の動画におすすめとしてyoutubeに挙げられ、書籍は途端に売れなくなり、完全に追い詰められた。

多くの人間は、私の動画に顔隠しでも出ることを嫌がり、水式館で習っていることを隠す。キャンセルばかりで、ひどいものは無断。習いに来ると言って、今まで誰一人、私の住所県に習いになど来なかった。

多くの者が、この拳法を人生の主要とせず、必要とせず。三十数年、必死になって積み重ねてきたものは、「無料」以外では見られることもなく、値切られ、一回経験したら、もうそれでよい、と見限られる。

用事を入れず、教えるために時間を作っても、習いに来る者らは用事ばかりで、勝手に習う時間を短くし、さもそれだけで十分かのように、さっさと去っていく。随分と浅く見られたものだ。片手間の習い事かよ。

怒りを通り越して、もう悲しい。転掌八卦門の敷居を高くしたのは、習い通す覚悟のある者だけしか、相手にしないためだ。今になってやっと、楊老師があれだけ、楊家拳を指導する者を選別していた意味が分かった。楊老師も、実に多くの苦汁をなめてきたのだろう。

コロナを契機に、門の技術を門戸開放したら、待っていたものが、「フェイクマスター・デストロイ(偽マスタ―が打ち破られる)系」お薦め動画とは。俺は愕然としたよ。

そんな、ここ数年の腹をえぐられるような現実が、次から次へと押し寄せる中で、どうしても、あの人と見た夜の立山がみたかったんだ。腹をえぐられるような現実の最たるものが、人災と言われるなかであの人を失ったことだ。あれからずっと、希望を持って進もうとはいつくばってきたが、適当に流されて生きている連中に嘲笑される過程で、心はとがる一方だった。

転掌は武術だ。私はそれを先代師より受け継ぎ、人生のすべてをかけて練習し、発信している。でもそれが受け入れられないのも現実だ。もう自分は、この拳法を第一に考える者としか、時間を持つつもりはない。私は、転掌の第一段階である、一定時間生存術を世界に広める。それは独学ができるシステムを作って、だ。そして、転掌の術理を伝える伝承者には、転掌のことを第一に考える者にしか伝えない。片手間で習得できるほど、武術は甘くない。命がかかった技法だ。

私は今でも、無礼不遜な態度で突進してくる総合格闘技のクソ野郎を叩きのめすつもりで、殺意を持って練習している。おまえは、それほどの気持ちで練習できるか?

私は氷見の海岸線に立っていた。見えた。夜の立山連峰だ。あの時の景色だ。あの人だけ、いない。でも私の横には、楊家拳を第一に考える一番弟子がいる。ありがとう、今私が立っていられるのは、娘が楊家拳を大事に思ってくれるからだ。ありがとう。

ふとみると、その横顔は、あの人の面影を残している。当たり前ではあるが、性格などもあまりに違うため、それに気づかなかった。

あの人はあまりに大きなものを残してくれた。転掌では、ほとんど沈みかけているが、私には、本当に大切なものが残っている。

この記事を見て、転掌門を敬遠するなら、それでいい。真面目に学ぶ者には、こちらも誠実に、指導する。都合よく、サクッと、ライトに、ならば、他に行け。私は私の道を貫き、転掌を、私のオリジナルとし、再興する。水野義人伝転掌の誕生に全力を尽くす。

150年前の私を越える。越えて、転掌は世界に、当たり前のたしなみとして広がり、多くの弱者を救う。

「きっとできる、式人ならできる」

その言葉を胸にして。