転掌グランド・マスター水野語録」カテゴリーアーカイブ

今この瞬間に達人になる方法

それは、今まで周りから聞いた色んな常識・他人の価値観・メディアによって紹介されたもの、SNSなどの情報(雑音)よりも、あなたの直感が心地よいと感じるものを重視し、それを今この瞬間から、自分が納得できるくらいまで、追い求め始める、ということである。

「何言っての?達人ってのは、だれからも尊敬されるような境地になっているような人のこと」

「そんなこと言ってるが、お前、実績あんの?」

「お前なんて、いっつも俺に負けてたじゃないか」

「どの先生に習ったの?どこの流派なの?正当な伝承者なの?」

ここに挙げたのは、情報という名称を用いる必要もない、単なる雑音である。もしあなたが、これらの意見によって「達人」であると宣言するのをためらっているなら、この記事を読んでもらいたい。

冒頭を読んでお分かりの通り、いますぐあなたが達人になるには、あなたの直感がいい、と思ったものを、今すぐ深掘りし始めることである。

それだけ?それだけでいきなり達人なの?そうお思いだろう。気持ちは分かる。私も、この考えに至るまで、ゆうに四半世紀はかかったのだから。

直感に従うのが難しいのなら、既存の達人の概念を捨て去ることから始めないといけない。おおかた、あなたが心に持っている達人のイメージとは

・最強である
・有名門派で正式に伝承者になった肩書がある
・誰からも尊敬されるような人格がある
・誰にも文句を言わせないような、武勇伝がある

であろう。

これらは、この記事で述べる達人の条件に入っていない。必要ないものばかりである。

これらがどうしても必要な場合とは、「達人」という名を利用して、ビジネスをするときだけである。

よく見て欲しい。これらの要素は皆、他人の評価や他人との比較によって成り立つものばかりである。

達人は最強である必要はない。最強でなければならないなら、一人しかいないはずである。そんなことはない。有名門派でならった経歴。戦うのは自分である。有名門派が戦ってくれるのではない。だれからも尊敬されるような人格。誰からも尊敬されることがないことは、あなたの日常生活でも実感できるはずだ。必ず誰かに嫌われたり、批判されるものだ。武勇伝・・・そんないい加減な不確かなものが達人であることを証明するなら、それこそ誰でもなれるのである。

達人とは、自分に対する絶対的な自信である。その自信とは、自分自身で見出したものにどれだけ、心血を注ぐかである。そして注いだ期間は問題ではない。どれだけ、自分のオリジナルを信じているか、なのである。

今すぐなるための手順をお教えしよう。

まず、自分の直感に全幅の信頼を置くこと。違和感を感じる他人の意見や価値観に、従わないようにすることである。そこからスタートする。

そのうえで、自分がいいと思ったやり方、工夫を、その瞬間から練習しまくることである。きっとあなたの心に浮かんだ直感とは、あいまいで抽象的なことばかりだ。だから動いて、試すのである。

やってみてやっぱりいい感じだ、と思ったら、本格的に行動し始めること。実はここまでくるとすでに、あなたはあなたの直感部分に関しては、誰よりも時間を注いでいるのである。

私が常々、自分のオリジナルを大事にしろ、と言っているのはそのためである。私は弟子に、マスターではなく、グランドマスター(一代宗師)になって欲しいのである。

私の中で、達人=マスター、ではない。達人=グランドマスター、なのである。

自分のオリジナルを狂信的に信じ、突き進むことは、まさに宗家の特質を持っている。宗家は、「これって間違ってませんか?」と人にお伺いを立てて流派を立ち上げたりしない。宗家はいつも、事前に誰かに尋ねることもせず、いきなり「宣言」するのである。人がそれを必要としているかどうかなど調査せず。「宣言」は、自分の直感が生み出したものに対する絶対的な信頼から発せられるのだ。

これは最高のものだ、価値にあふれているものだ、これはチャンスだ、凡人が群がってくる前に早く習いに来い、と言う。

自らを天才と確信し、実際天才なのだから、そのように決断をし、進む。達人が先生であるならば、それを指導するために様々な手段を次から次へと展開していく。怖さなど無い。一番重要で難しい部分である「スキル」が備わっているからである。

拳法教師に習いたいもの、それは拳法のスキルである。拳法を利用したビジネスの方法ではない。有名先生のところで習った肩書や満足感が欲しい連中は、少し思惑が違うが。皆その先生の技術を習いたいのである。独特のその技術を習いたいのである。

どの技術は、先生のオリジナルであればあるほど、熱心な後進を招く。その他大勢の一般人には敬遠されるかもしれない。しかしそれこそが、天才の証である。グランドマスターの証である。独自の境地を進んでいる証なのである。

凡人は、雑誌やメディアで紹介されている先生を見て、内実も知らずに「いい」と判断する。有名メディアが発する動画を見て、華麗にさばく動きを見て、いいと判断する。しかし本質を見る者は、自分の直感を信じるのである。

私のところの門弟は皆、そのような者たちばかりであった。私の古参門弟らは、私が有名流派の指導許可を得た時、明確にそれを習うことを拒否した。彼女らには本質が見えていた。そして自分の直感を信じる達人的要素がしっかりと備わっていたのだ。

古参らは、いまだに「転掌」しか練習しない。私が近代八卦掌を、転掌の術理で再編成した後、初めて習うようになった。八卦掌より、連身藤牌を学びたがった、生粋の変人たちである。

本質を見抜くための最初の一歩を踏み出そう。

もしあなたが独学であるならば、近くの先生の道場に弟子入りをし、武術を習ってみることである。きっと知らないことがあるはずである。私は、近くの公民館の太極拳教室で指導する内容に、大きなヒントを得たことが何度もある。なぜなら私は、太極拳は知らないからである。知らない領域から習う者は多い。独学のあなたであれば、知っているのはその雑誌・書籍に書いてある内容だけであろう。おおよそ基礎のみである。海外の書籍であれば、そこで教えているのと違うことが書いてある場合もある。

あなたの近所で教えている先生は、あなたよりも知っている。先人である。よって教えを請い、そこで習ったものをベースに、自分の独自の世界を築くのである。それは大変楽しい作業である。宣言するとき、先生の名前も拝借してもいい。たとえばあなたの名前が水野で、鈴木先生であったならば

「水野二十四式太極拳 鈴木先生伝」

このように堂々と宣言することである。※鈴木先生の許可は必要だろうが

これであなたは、立派な達人として、そのように振る舞っていくのである。達人として練習し、達人として発信し、達人として日々を送る。気づいたとき、周りにはあなたに影響を受けた門弟が集まっており、内外共に実感するであろう。「ああ、自分って、達人になってたんだ」と。

さあ、いますぐ行動をしよう。自分の得意なパターンはなんだろうか。それを試してみるといい。

フィクションの中であるが、織田信長の重り役平手政秀が青年信長の奇行に心を痛め自害した際、彼の死を悲しみながら、

「見たり聞いたり試したり思う存分に生きてやるわ」

と口にするシーンがあった(4:10秒あたりから)。あのシーンは、いまだに心に残っている。

試すことである。きっと一度きりである。人は批判もするだろうが、言った瞬間から自分のことなど忘れている。

今すぐ、自分の道を歩き出し、さっさと達人になってしまおうではないか。

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「誰でもできる」「本当に使える」護身術を教えよう

あなたは「護身術」と聞いた時、どのようなイメージを頭に浮かべますか?

・つかまれた手を巧みに払いのけて逃げるもの
・強烈な男性襲撃者の攻撃を、両手で防いで我が身を守るもの
・捕まえてきた、もしくは手をつかんできた男性に、関節技のような巧妙な技で外して、もしくは、身体各部位を使った奇襲攻撃で先制攻撃してひるませ、逃げるもの

このようなものを頭に思い描くでしょう。そしてこれらの技法と共に必ずと言っていいほど書いてあるのが、「力のいらない」「力のぶつからない」「誰でもできる」というフレーズです。

そしていつもこのように結ばれます。「本当に使える護身術」と。あなたは、これらの技術を、襲撃者相手に成功させることができますか。

「力がいらない」「誰でもできる」「力がぶつからない」なら、今この記事を読んでるあなたでも、その後ろにいる運動不足の御家族にも、練習次第でできるはずです。

しかし私は、これらの護身術を見ても成功させる自信がありません。わたしよりも体格のいい男性襲撃者が、理性を失った状態で私の手をつかんできたら、振り払うことはできません。私は何度も、練習をしました。練習すればできるかもしれないと思って。でもできませんでした。成功するときもあります。しかし成功の数よりも多くの失敗をします。これでは、いざという時の備えになりません。

私のように、何十年も一日何時間も、上を目指して練習してきた者でも、成功するかしないかはその時次第なのです。言い方を変えれば、その時襲ってくる「相手次第」なのです。もう一度聞きます。あなたは襲撃者相手に成功させることができますか。

できない、難しそうだ、と思ったあなたへ。ご安心ください。

「つかまれない」技術を磨くことで、「力のいらない」「誰でもできる」護身術にすることができます。私がずっと習ってきた拳法にして、八卦掌原型の「転掌」という王宮護衛官武術です。

先に言っておきます。私はこの拳法に偶然に出会ったのではありません。ここで示す護身術は、たまたまやっていた拳法を、弱者護身術にカスタマイズしたものではありません。弱者護身の道が無いか?と心の中で求め続けたからこそ、転掌のなかに弱者護身の術理を見い出し、かつそれをし続けることで、失伝寸前の転掌の技術体系を復活させることができたのです。

転掌は、王族をも守った護衛武術です。その担い手は、武術素人で身体的不利者の、宦官(去勢され蔑視対象の身分であった男性官吏)・宮女(下級漢族八旗の娘)でした。

転掌には、護衛技術に二つの段階があります。

一つは、スライド移動距離を長く取り、移動の長さで敵を離し離して、「つかまれない」で一定時間生存し、時に電撃奇襲を仕掛け気を引きつけ、囮(おとり)となって、おとり護衛する段階。この段階は、転掌経験の浅い者が行う段階です。

もう一つは、主に一人の敵にたいし、自分の攻撃は当たるが、敵の攻撃は届かない入身法によって保たれた距離を武器に並走スライドし、変則的な撤退戦で東から西から攻撃し、倒し護衛する段階。この段階は、転掌の達人レベルの段階です。

「力のいらない」「誰でもできる」護身術は、移動遊撃戦によって一定時間生存し続ける「つかまれない」技術を磨く「一定時間生存術」によって実現可能となるのです。

日本の護身術教室は、「危険を避ける」「危険に近づけさせない」啓蒙を行いながら、その技術はまったく違うものです。

そこで行われる多くの技法が、すでに敵に手をつかまれていたり、身体をはがいじめにされている状態から始まるものばかりです。つかまれないための技法を教える教室はぼほありません。あってもついでに教える程度。それがメインではありません。

転掌では、逃げ方(※本当は移動戦の仕方)、敵の足を止めるけん制攻撃の打ち方、けん制攻撃を打ったあとの移動方法、目の前に立ちふさがった敵への電撃攻撃方法までが、シンプルで明快な説明で展開されます。

とにかく「つかまらない」ことにこだわって、つかまる直前まで、なんとか回避するための技術が、堂々と正規に、伝わっているのです。

ここで一般の護身術の流れを見てみましょう。

1.つかまれた時に、つかんで拘束してきた相手に、身体の各部位で、先制攻撃する

2.一発目を打たれてひるんだ敵に、連続攻撃として、再度攻撃

3.完全にひるんだ敵に目もくれず、ひたすら人にいるとこまで離脱回避する。

その技法の担い手が「弱者」であった転掌は、「つかまられる」「捕まる」状態を最悪な状態と位置づけました。弱者にとってつかまれることによって生じる「相手次第」の状況は、「死」を意味すると考えたからです。

とにかく「生存」することを目指すために、攻撃を当てることを犠牲にしても敵につかまれない技術を開発・確立し、「自分次第」の護身術にしたのです。

ここで最もシンプルな転掌の技法をお教えしましょう。

敵が接近してきたらすぐ敵の反対側へ移動し、両者の間に物理的な間隔を作ります(これは、相手にとって感覚的なものではなく、実際に課間隔を作りだす、ということ。相手の主観による間隔は、相手次第であるため)。

頭をまっすぐにして敵に背をほぼ向けて移動します。接近してきたら、手を出して敵の攻撃軌道上に手を出し(当てる必要はない)敵の攻撃をさえぎり、すかさず身体を入れ、肩が入った瞬間に手を出し、その入り身で身体向きが変わった方向へ移動方向を変えます。この一連の動きで敵との距離は、一段と離れるので、それを繰り返し、敵の足が止まったら、ここで初めて離脱するのです(㎞単位で)。

この一連の流れこそ、転掌の単換掌であり、八卦掌でもっとも有名な型「単換掌」に相当する型です。

追撃してくる強者たる敵が、急接近し実際に攻撃してきた・・・転掌における戦いの中で最も危機的な状況をやり過ごすための、最もシンプルで最も省エネ的な方法だからこそ、「単換掌」は「転掌」「八卦掌」の基本技となり、一番早く理解すべき型となっているのです。

ここで近代格闘術的護身術を知る人などは、思うでしょう。

「でも、敵がつかんできたらどうする?」

そこでどうしても「つかまれた」状態からスタートするのは、あなたの頭の中が、その状態から離れられてない証です。つかまれた後のことが心配なら、つかまれた後の対処法を習いに行けばよいのです

しかしつかまれた後の対処法をマスターするよりも、つかまれない方法をマスターするほうのが、圧倒的に時間は短縮でき、かつ成功率も高いのです。転掌のつかまれない技術は、本当につかまれる直前、まで、回避可能な技法となっています。頭の中で、どんなことがあってもつかまれない、決意をして、その技法に精通すれば、おおよそつかまれることはなくなります。

つかまれないための具体的な方法をお教えしましょう。

つかまれないために。まず常に視野を広く保ち、自分の直感を信じることです。視界の端から自分に接近してくる不穏な人間がいたら、即座に、その接近人物と反対側へ移動します。移動方向へ追随してきたら、それは危険の明確なサインであるため、すぐさま離脱行動に入ります。「Go!」です。かなり広い間隔から行動することで、敵の思惑である「スッと」近づく意図をくじきます。これは先制攻撃ではありませんね。だれも傷つけることもない、100%合法的で、あとくされの無い先制行動なのです。

それでも「つかまれた」後の技法を知りたいあなた。ご安心ください。

日本には、たくさんの優秀なレベルの高い護身術教室があり、それらはすべて「つかまれた」後の対処法専門教室です。多くの選択肢の中から、あなたの納得できる教室を選んでください。あなたに合った教室で、「つかまれた」後の行動をしっかいと磨いて、その不安を解消しててしまえばいいのです。

「つかまれたらどうするんだ」と言う暇を利用して、そのスマホで優秀な「つかまれた」時の対処法を教えてくれる道場を探し、想いを遂げてください。

ここで近代格闘術式護身術道場を選ぶ際の、アドバイスをふたつ。

まずひとつめです。筋トレをプログラムに入れているところは、時間のない人はやめておきましょう。時間がない人、とは、すぐさま護身術が必要な人のことです。筋トレで筋骨を鍛え敵への対抗力を増すアプローチは、強者になるためのプログラムです。弱者が強者に変わるためには、非常に多くの時間を要します。今すぐ必要な方は、有事に成果を間に合わせることができません。

ふたつめ。先生が、常に相手をしてくれる道場を選びましょう。先生の模範は、技術上達において欠かすことができません。一番良いのは、自分自身が敵となって襲い掛かり、先生がそれに対応する際の動きを見続けること。それはあなたの頭の中に鮮明なイメージとなって残り、そのイメージをしながら練習することで、あなたの動きはそれに近づくのです。これは、横から先生の動きを見るのとは決定的に違います。入る角度、両者の距離感、入身法使用時の急速転身さなどを体感することで、あなたの頭が次からあなたの動きに模範の動きをさせるようにしてくれます。近代格闘術的護身術では、これに加え、自ら人の力任せの攻撃の中で技をかける練習をすることです。独りよがりを避けるためにこれは欠かせません。同時に、先生が力任せの攻撃に、どのように対処しているかを何度も見せてもらいましょう。見せたがらない先生の道場は、即止めておきましょう。できない可能性があるからです。

自信がない。行動が大変そう。そんなあなたへ。

ご安心ください。

転掌は、その技法が敵との一定の距離を保って、離れて行う技術体系であるため、要点を押させた一人練習による技術練習である程度のレベルを確保することが可能となります。独習に最適なのはこの点です。

一人練習の良い点は、人の協力を必要としないことです。自分さえやる気があれば、いつでもどこでも、気の済むまで、繰り返すことができます。おおよそ、護身術を練習する人は、一人である場合が多いものです。人を使って練習することできないから役に立たない、と決めつけるのではなく、その欠点を、膨大なくり返しで跳ね返してやればいいのです。私はずっとそのようにして、転掌を再興させる境地にまで達したのです。

下の動画で、私の単換掌の動きを、敵目線から何度も見てください。師の実際の動きを、自分が技をかけられて体験することが、最も早く上手くなる方法なのです。手を出す瞬間、実際に敵が接近する際に合わせた動き、頭の向き、姿勢。すべてがあなたにとって参考となる材料です。

やる気のあるあなたであれば、一人練習でも、本当に使える護身術をマスターできます。マスターした後の世界を考えたことがありますか。理不尽な要求に屈する必要のない世界です。大切な自分とあの人を守ることができる世界です。やる気のあるあなたには、是非この世界を味わってもらいたいと思います。

転掌はシンプルです。しかし「シンプル=簡単」ではありません。転掌の自分護衛術をマスターする際は、膨大なくり返しを要します。そうではあっても、「自分次第」の技術体系は、修行期間を大幅に短縮させることに役立っています。

昔の武術は、まともな学校教育を受けたことのない「学識レベル」の低い者が、「すぐに使える」技術体系を備えてないと、相手にされなかったのです。転掌も例外ではありません。特に転掌は、想定使用者が、武術素人の身体柔弱者に限定されていました。より一層、短期で無理のない、一切の華やかさもない、実用直結の技術体系を求められました。

理屈が複雑だったら理解できません。技法習得が難しかったら、誰も使うことができるようになりません。習得に時間がかかったら、いつ来るか分からない「いざという時」に間に合いません。

転掌のシンプル・即効性のある技術体系を信じ、そのシンプルさに飽きることなく信じ続け練習を重ねる者は、いずれ来る「いざという時」に実用レベルへの昇華が間に合い、大切な自分・大切な人を守る「必然の結果」を生じさせることでしょう。

そしてそれは、誰にでも可能なのです。あなたにも。自分を守る、大切な人を守る、その決意を抱いて行動した者に、女神は微笑むことでしょう。転掌が求める「すべきこと」は、誰にもできることだけだからです。

これこそが、すべての人に希望を与える、「本当に使える」護身術なのです。

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転掌式(清朝末式)八卦掌は、現存流派に縛られない成立当時原点スタイル

八卦掌水式館で指導するのは、転掌(てんしょう)と八卦掌である。八卦掌には、名前がある。「転掌式八卦掌(清朝末式八卦掌)」だ。

名前なんてどうでもいい?いや、国内主流の近代スタイル八卦掌と同一視されると問題があるため、この名をつけた。それくらい、清朝末式八卦掌と近代スタイル八卦掌は、別物体系なのである。

程派、尹派、梁派・・・それら著名流派に加え、八卦掌にはたくさんの流派がある。

そもそも「派」とは「派生」や「枝分かれ」のニュアンスを含む。

だから私は、自分が指導する八卦掌に、「~派」という名称はつけない。原初スタイルゆえつけたくないし、そもそも、~派という名称の入り込む余地がない。

なぜなら、私のたどり着いた楊師伝の八卦掌は、原初のままの、枝分かれする前の八卦掌だからだ(原初と近代に優劣はない。スタイルの違いである)。厳密にいうと、「転掌」である。

「原初のやり方に忠実に従った原初のスタイルによる」の意味なら、「~式」こそがふさわしい。よって、清朝末式八卦掌・転掌式八卦掌と呼んでいるのである。私は、この呼び名を大変気に入っている(~派と呼ばれるのは、本当に嫌だった)。

この呼び名は、サイト上にて言うにとどめている。門弟にとって、このようなことはどうでもいいことだからだ。私に続く門弟は、各人思うように進むのがいい。

そもそも、弊門指導の八卦掌が、原初スタイルと言い切ることができるのはなぜか。

それはもちろん、楊師より「原初スタイル」だと聞いていたこともある。しかし何より、各流派に共通して残っていた型・姿勢から推しはかり、そのうえで、30年以上もかけて実戦・組手・単独練習の果てに確信したものだからだ。

他人の文献をを参考にしたからではない。現在の中国国内の著名先生の書籍にも、清朝末式八卦掌に関わる記述はまったくなかった。隠しているのか、それは分からない。しかし書いてないのは事実である。皆、敵に向かって積極的に攻防する八卦掌である。

拳法は、書物での伝習は難しいとされる。すべてを書物から、では確かに大変だ。しかし、究極の達人先生から教わらずとも、(指導許可を得るくらいの実力を持つ)先生から、動作の仕方・手順を教わりさえすれば、あとは、ひたすら繰り返すことで、技の術理も含め、すべてを君の身体が教えてくれる、のも実感している。

私たちの身体は、あまりにもすごい有機体である。科学の力をもってしても複製することなどできない、奇跡の物体である。

その奇跡の物体が、教えてくれたものだ。「このやり方・・・いいな」「やっとわかった、こういうことか!」突然感じるその悟り・サインこそ、真実が分かった時だ。そのサインを積み重ねていき、たどりついたのが、この清朝末式八卦掌。だから「確信」しているのである。

もちろん、いまだに謎の部分もある。しかしそれは、これからの研究の果てに、きっと明確にわかるもの(つまり、引き続き、死ぬまで、ずっとずっと追い求める、ということだ)だと確信している。

だから君は、師を選り好みする必要などないのだ。雑誌やyoutubeに出てくる先生だけが、先生じゃない。私は有名先生は意図的に避ける。なぜなら、どうせその先生から習うことはできないから。おおかた、その先生の弟子に習うのが関の山である。わたしなら、無名でも、独自のスタイルで教える先生がいい。何より生徒が少ないから、ほぼマンツーマンで習うことができる。そしてその先生は、そのスタイルのグランドマスターである。最も深く、その体系を理解している人だ。最高の先生である。

よく人は言う。原点回帰ですか?原理主義ですか?と。いいや、違う。「清朝末期頃のスタイル」にたどり着くのは、ゴールではない。通過点だ。

私は、もっともっと先を見据えている。しかし、ここまで時間がかかり過ぎてしまったのも、事実。大きな回り道ををした。その過程を含めると、ゆうに38年。試合想定・強者使用前提となり、本来の八卦掌が持っていた最大の特徴から離れてしまった現在主流の近代八卦掌からの離脱は、想像以上に大変であった。

習っていた近代梁派門を事実上追い出される形となり、当時は相当憤っていたが、考えようによっては、全く自由に行動できる、ということ。

事実、所属門を辞してからの技術の向上は、すさまじいものがあった。所属していた時は、梁派の技術体系に疑問を持ちながらも、それに追随する自分がいた。しかし今は、問題なく離れ、どんどん後退スライドし、縦横無尽に駆け巡っている。自在である。敵や固定観念にとらわれない、自在な動きを、転掌と転掌式八卦掌は与えてくれた。

練習の最中、敵前にとどまる練習を少しだけ行っている。その後、後退スライド術理に沿った清朝末式で練習をし始める時、いつも思う。「なんて自由に動くことができることか!」

以前の私は気づかないうちに、著名流派の形式主義に陥っていたらしい

近代スタイルでは、敵の力とぶつかるのを避けられない。どこかしこで必ず、敵の力と積極的に抗する場面がある。その抗する瞬間をやり過ごす技法が、あまりにも難しく、成功を妨げる。

やり過ごす技法を完璧にこなす人を、ほとんど見たことが無い。「相手次第」という極めて厳しい技術体系を克服するような技法は、相当習得が困難だ。私はとにかく練習したが、結局、勝ったり負けたりで、攻撃を受けることが絶対に許されない「護身術」として、教える自信を持つことができなかった。

※打ち合いや、打たれづよい体で対抗する発想は、試合想定の発想である。護身の場面では、攻撃されるは、斬られる、刺される、である。打ち合い前提の技術体系では、対応できない。

近代格闘術で護身をするには、膨大な対人練習(相手を必要とする練習)が必要となる。転掌式八卦掌は、最初こそ術理をマスターした人間の導入が必須であるが、その後は、対人想定練習(対人を想定した一人練習)でかなり上まで技術を上げることができる。しかし、近代における力とぶつかる瞬間を制する技術は、対人練習でないと独りよがりとなってしまう。

正直、近代八卦掌を練習している者の中で、対人練習を定期的に行えている人間はどれほどいるだろうか?私は、師の会に所属していた時、必ず、対人練習に積極的に挑んだ。

相手に圧倒されても、そこから得るもののために立ち上がって臨んだ。あれほど積極的に対人練習に挑んでいる人がどれくらい、近代八卦掌修行者にいるだろうか?八卦掌の経験者と手合わせをしたことは何度もあるが、対人練習をやり込んだと推定できる人に出会ったことが無い。

これでは力任せの攻撃をいなす技法は手にすることができない。「相手は体格がいいから仕方ないね」とよく耳にする!が、それは実戦では「死」もしくは「蹂躙」を意味する。私は学生時代、理不尽な暴力を押し通され、大切な人を失い、身をもって実戦での敗北の悲惨さを経験したから間違いない。

これからますます、転掌・転掌式八卦掌の指導を加速させていく。弱き者が立っているためには、このスタイルしかないと信じているからだ。

全く迷いがない。梁振圃伝八卦掌で指導許可を得た自分だが、指導許可をひっくり返された経緯があり、梁派に未練も湧かない。

個別指導科では、梁派近代八卦掌コースを新設している。しかし、当コースは仮入門制なしで教える(グループでの指導にも応じる)。仮入門制を採らないくらい、梁派の名にこだわってないということだ。(梁派近代八卦掌コースでは、それだけの履修修了で八卦掌第7代掌継人にはしない。護身や指導ができないからである)。そしてもう、このコースは、金沢移転とともに閉鎖した。

強者の力任せの攻撃に圧倒されているなら、弊館で転掌・清朝末式八卦掌を練習するといい。

女性に護身術は意味がない、と言われて行き詰っているなら、弊館のウーマン・ライト・ガード(女性警護人養成科)で、転掌・清朝末式八卦掌の術理を学ぶといい。

いじめで体格のいい複数人の同級生に、意に反する要求をのまされているならば、いじめ護身部の動画を参考に練習をし、通信講座を利用して学ぶといい。勇気を出した君を、私は真摯に指導する。

本当に身を守ることができる護身術を学びたいならば、君が・あなたが、よほど体格や筋力等で恵まれてない限り、力がぶつかるスタイルの格闘技をもとに作った護身術では、護身を果たすのは難しい。清朝末式八卦掌の弱者護衛術・弱者護身術そのものの技術体系を味わうといいだろう。

斜め後方スライドし、縦横無尽にかけめぐり、護身のみであれば、頃合いをみて、キロメートル単位で離脱しなさい。確実に護身を果たすことができる。既存武術のような小手先の手技で防御するな、清朝末式八卦掌の術理による、圧倒的な移動距離で防御せよ。

映画「グランドマスター」を見たことがあるか。あのスタイルは、攻撃時敵に向かっている。よって近代格闘術八卦掌である。転掌式をマスターすると、あの華麗な攻撃を、前に出て攻撃してくる敵と並走スライドしながら、行う。達人レベルになれば、あの映画のような攻防をすることができるのである。だから夢を持て。

趣味やファッションで護身術を学ぶなら、それはそれでいい。しかし、本当に護身が必要ならば、力がぶつかるスタイルは、対人練習環境が整っている道場でない限り、避けよ。

もし一人で練習するしかないなら、八卦掌水式館の入り口を叩いてほしい。転掌・清朝末式八卦掌の転掌術理を学びに来なさい。やる気のある者との出逢いを楽しみにしている。

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最悪状況「腕を取られた状態」から始まる護身術を王道技法とするな

とにかく敵に近づかれないこと。これは、よくある護身術の、「脅威に近づかないこと」を言っているのではありません。近づかせないでつかまれない、はがいじめにされない具体的な技術のことを言っているのです。

この技術を徹底的に磨くならば、敵に先制攻撃を入れる必要はありません。「手をつかまれたらどうする」。手をつかまれる=相手を近づけすぎです。それは近づかせない技術がなく、かつ、護身術とはつかまれてから対処する技術、という思い込みを持っているからです。

危うきに近づかず、といっておきながら、転掌における近づかせない技術、やり過ごす技術を紹介すると、つかまれたらどうする、と反論してきます。近づかず、じゃないのか。結局、術を習いたいんですね。巧みに敵をさばき、「?」と相手に思わせてから逃げる。このスタイルに洗脳されているのです。

護身術教室は、師範の修めた、相手に抗する、相手に積極的にまじわる技術が基礎となっています。それらは皆、男性使用前提の武術ばかりです。それを少しカスタマイズしただけだから、あのような形に皆なるのです。転掌はまったくちがいます。使う人間が、非力な人間という設定です。弱者使用前提が徹底されているのです。だからつかまれる寸前まで「回避離脱」の可能性を残す技術体系を持っているのです。

つかまれたら終わりだ、という厳しい現実をしっているので、そのような体系をもっているのです。

何度も言います・・・敵に先制攻撃を入れる必要はありません。「手をつかまれたらどうする」。手をつかまれる=相手を近づけすぎ、をあたまに入れておいてください。この事態をさける技術を習うことが、弱者の習得する護身術の再興の到達点となるのです。

相手が近づいてきたら、すぐさま間隔を空けます。何を言ってもわめいていても、構わず間隔を空けます。そしてそののち、一気に斜め後方スライドで間隔の距離を広げます。

「だけど!手をつかまれたらどうするんだ!」。これは実際に言われた言葉です。

転掌では、とにかくつかまることがないように、徹底して斜め後方スライドを練り、洗練させ、急速スライドを可能にすること目指すのです。ひとりで練習する護身術です。練習相手はいません。練習相手もいなくて成功確率もあげることができない振り払い・先制攻撃の護身術に、なぜ限られた時間を費やすのでしょうか。

それは、現在の動画投稿サイトに大量に存在する、「つかまれたケースから鮮やかに離脱する」動画に影響され過ぎているからです。皆さんは、「護身術」き聞いたら、真っ先に「つかまれたケースから鮮やかに離脱する」動画を思いだしますよね。それは、すでにあなたの頭の中が、そのように洗脳されているからなのです。

昔日の弱者の護身術の大基本は、「とにかく間合いをあけること」でした。庶民に、武術を練習する時間も、機会も、そして許可もありませんでした。そして襲撃者は屈強であり、かつすでに何らかの危害を加えるつもりでつかみにきているのです。つかむならまだいい。実際、刃物襲撃者は、何も言わずにいきなり刺してきます。

眼の前で止まって、振り回す。しません。

目の前で止まって、スキを見つけてから刺してくる。様子など見ません。

とにかく刺してくるのです。ですから、視界を広く見る練習を日頃から行い、そこでつちかった「遠目」の技法で接近者を察知し、接近者の反対側へ斜め後方スライドします。その技術を、とにかく養うのです。その技術を習得すると、つかまれる本当に寸前まで、離脱回避のチャンスを創り出すことができるようになります。

その技法こそが、護身成功を高める技術なのです。忘れましたか。転掌は、徹底した「弱者使用前提」の武術。強者に対し、つかまれた後に巧妙な技法が通用しないことなど百も承知です。もし強者相手に、華麗に絡めとったり転ばしたりする技法で転掌が構成されていたら、軍事・武術の知識も経験もある王族集団からダメだしをされ、宮中内護衛武術になど採用されなかったでしょう。

柔道や合気道で、力任せの攻撃をされたことのある女性や子供であれば、すぐにわかるはずです。私ですら、体格のいい男性には、腕を取る系の技を決める自信がないのです。それは、何度も失敗し、力任せの攻撃にねじ伏せられた経験があったから。相手次第だから。相手の事情は、その都度変わるもの。そのようないきあたりばったりの極まて不確定な要素に、私は常に不安を感じていたのです。

転掌にも、つかまれた後や、押し倒された後の対処法が存在します。転掌は、やるかやられるかの熾烈な歴史を繰り返してきた中国大陸の武術です。つかまれる、倒されるなどのわが命存亡の危機に、手を払う、崩して逃げるなどの活人的対処法はありません。油断した相手の命を一気に奪うことで、その絶対的危機を逃れます(転掌では、その技法を実現するための下準備を、初歩より行う)。

しかしそれは最終手段であり、庶民や身分の低い者などのような命をかけて戦う経験の乏しい庶民には、心理的に実行しにくいことを創始者も知っていた。だから、絶対的危機におちいらせないための、つかまれるかつかまれないかの分かれ目まで回避行動が可能な移動護身技術を開発したのです。相手を殺傷することにためらいのある庶民でも、これならば命がかかれば無我夢中でも実行できます。

昨今の護身術動画では、つかまれているシーンから物事がスタートしていると、先ほど言いました。あのような動画は、護身術対処法の定番の「型」を私たちの頭に植え付けてしまっています。あのような対処法が最も優れたものであり、最も合理的で、かつ護身成功確率も高い、と。指導者が武術の達人であったり、警察・軍隊出身者で実戦経験も豊富、などと書いてあったりすると、なお疑うことなく信じてしまいます(だから多くの武術家は、軍隊や警察での指導を、たとえそれが数日であってもアピールする)。

転掌の自分護衛術を紹介すると、学習者は必ず敵に手をつかまれた後の対処法を求めます。「つかまれてしまうまでが勝負だから、その練習(つかまらない練習)をとにかく繰り返してください」と言うと、多くの者(特に男性)は次から来ることがなくなります。

男性もしくは襲撃者の接近に、もっと過敏になるべきでしょう。それは海外では当たり前です。

海外では、女性や弱者を狙った犯罪がとにかく多いです。しかし海外では、流麗華麗な「つかまれたあとの護身術」は普及していません。あくまで、武術等に興味のある女性が、たしなむ程度です。

それは海外でも、「敵の手を巧妙な技で外して逃げる」のような護身術を潜在的に「役に立たない非現実的な技法」と考えているからです。海外での護身術の弱者護身術のスタンダードは、とにかく「近づけさせないこと」。銃で威嚇するのは、その典型例です。近づいた人間には、容赦ない発砲が待っています。海外(特にアメリカ都市部)の女性は、見知らぬ人間に関しては、男性はもちろんのこと、女性ですら近づけさせません。

その疑念の対象は、当然親族にも及びます。夫婦間でも、その中が険悪となれば、たちまち近づけさせない対象になるのです(アメリカにおいて夫によって命を奪われる妻の数は、本当に多い)。

本当に襲うつもりの男性は、何も言わず、グッと近づいてきます。転掌の移動練習では、頭を固定させ、広い目で周囲を見る能力をやしないます。それは、視界の端にいる人間でも、近づいてきたことが分かるようにするためです。視界の端から中心点(自分)に分け入ってきた敵に、無意識レベルで身体を入れて回避行動をする練習を、後述の推掌転掌式や、単換掌で繰り返し練ります。

とにかく、近づけさせない練習を、日頃から徹底すること。こちらに来ることが分かったら、少しでも速く、その場から機動し軌道を変え、敵を離します。近づけさせてしまっても、触られる程度なら、回避の可能性はまだ十分残っています。触られない状態ならば、日頃繰り返しの練習の中でつちかった、洗練された斜め後方スライドと虚打けん制で、十分間隔を作り出すことができます。

頭の中から、たくさんの動画で見られる鮮やかな振り払い系護身技術を追い払うこと。すくなくとも、あれがスタンダードだ、という思い込みを手放すこと。

もしあなたが、何かしらの理由でこれらの技術を欲するならば、習うのは意義あることでしょう。一般人レベルが習う護身術に、何十年もかける人間はいません。短期習得が求められます。それは昔日の農民徴収兵に指導をするのとよく似ています。

生存の可能性を生み出すための最も早い手段を実行すること。転掌は、その指導対象が、武術ど素人の宦官・宮女であり、最低限の一定時間生存術の短期習得を宿命づけられた武術。その時代背景・成立背景もかんがみ、私は女性護身術に、転掌の一定時間生存術を自信をもってすすめるのです。

強くなりたいのか。有名先生のお知り合いになりたいのか。

日本語版での出版が終了し、次の段階へと進む。

英語版に修正しながら、日本語版の原稿を変えていく。英訳は、必ず自分でおこなう。伝えたいことが、専門的過ぎるし、すべてをチェックできない。完璧でなくてもいい、今から進める。英語版の出版である。

今回の出版内容は、完全ではない。

しかし言いたい。

「完了」は「完璧」に勝る。これは私の信念の一つである。

とにかく転掌を世に出すことで、転掌のステージが、また一つ上がったのである。これで一層、世界に広がっていくのだ。世界各地にいる天才らは、日本語であっても、何の問題もなく、あらゆる手段を駆使して、それを読み、インスピレーションを受けるのだ。

私の周りにには、転掌を修めていて、かつ英語がネイティブな門弟はいない。いないなら、自ら引き寄せるのみである。金沢で、いや、日本で、「転掌」てんしょう!などと叫んでいても仕方ない。

これだけ技術を磨き、洗練させ、核心に迫る革新的な内容を紹介しても、自分のプロフィールばかり見て、そこから離脱しいなくなる。有名先生に就いてない自分が気にくわないか?はっきり言う、実戦で強くなりたいのか?それとも、有名先生のお知り合いになりたいのか?

海外からの閲覧ユーザーと、日本国内の閲覧ユーザーは、見る所があきらかに違う。日本国内のは、プロフィールと梁派八卦掌解説ぺージ。海外のは、転掌と最低限で仕上げる護身術だ。

海外のは、実行と実用に重きを置いている。海外のは、私のプロフィールなんて見ない。大好きだ。愛してる。君たちこそ、大切な人を守り、自分を守ることができる存在だ。日本の愛好家をあっと言う間に追い越し、さっさと転掌のマスターとなるだろう。

必要としている人の元に、必要なものを、誠心誠意、最大限の労力を費やして、届ける。それこそが、世界に転掌を広げ、転掌を再興させる董海川師の生まれ変わりたる自分の使命だ。

董海川先生の生まれ変わりだと?と笑う人間の中で、成立当時の姿が現行八卦掌と違うのでは?と想定した人間はどれくらいいるか?何の疑問も持たず、八卦掌は八卦掌のまま成立当時から、このままのスタイルと型で推移してきたと思ったのではないか?

私は、中学生の時に佐藤先生の本を読んだ時に、すでに直感を感じた。この戦い方を宦官が実行し得るのか?佐藤先生の本には、董海川先生が宦官だったことについて言及してなかったが、清朝粛親王府で、出自の不明な男性が奉仕している=「董海川先生は宦官」はすぐに分かった。中国兵法や三国志を読んでいた経験も、その直感を助けた。

この戦い方をしたら、かえって不利ではないか?ひどく技巧的な拳法だと、感じた。きっと本では分からない何かがあって、それが宦官であってもこの戦い方を可能にしていると感じたのだ。だから中学生にして、無理やり行動して関東まで習いに行ったのである。

そこからは奇跡の連続であった。斜め後方スライドの単換掌・双換掌から、大きな感動を受け、感動を受け一生をかける覚悟をした直後に指導を受けられなくなり、そこからは自分で術理を後追いしていく日々が始まった。

董先生は、諸国漫遊の旅の中で、「異人」より技術を授けられ、転掌を創り出した、と語られている。中国で「異人」とは、おおよそ「外国人」を指す。中央アジア、東南アジア、モンゴル、ロシア・・・西洋、そして日本。この革新的な技法は、西洋人がもたらしたものとは考えにくい。身体柔弱な東洋人によるものだと考えている。「異人」が日本人であった可能性も、決してゼロではないのだ。

私は、中学の時の熾烈な経験から、強者化を強いる既存武術に心が向かなかった。楊師より転掌を習った時、電撃が走った。これだ、これなんだ、おねがいだ、東京に定期に連れてってくれ、そう頼んで、一生懸命練習した。

楊師は、私にとって、「異人」そのものであった。私は時折、董海川先生の人生を追体験しているかのような感覚を受ける。時折夢の中で、大声で叫びながら、大平原を、棒を持って走り回っている夢を見る。何度もだ。あの夢は、太平天国軍の盾持ち雑兵の自分なのだろうか。

生まれ変わり、やら、過去生やら、色んなものがあり、ともすれば直ちに批判されそうなものだが、侮ってはいけないとも思う。転掌の修行の過程で生じたこれらの奇跡を、単なる偶然と、とても片付けられないのが大きな理由である。

こんな奇跡的な巡り合わせによってここまで来た自分である。日本国内で、最低限の生活をすることを目指して、月々数千円の月謝を出し惜しみする武術愛好家らの反応に一喜一憂するなどうんざりである。

強くなることより、肩書やらステイタスやらに興味のある人間の顔色をうかがうなど、まっぴらである。youtubeは、派手派手しいデモンストレーション動画を見て、行動せず結果的に毎回暇つぶしをする人間のたまり場であることも分かった。

必要とする場所に届ける。必要とする環境を求める。

軍師門弟は毎回、金沢の浜にて、私に問いかける。

「見てごらん、このペットボトル、中国語。あれは・・・ハングルね。あれも・・・・中国語。ここはもう、日本じゃない。事実、先生の発信しているものは、先行して海を渡っている。これを感じてもらいたかった。遠州灘や、倉敷では、これは感じられない。」

動き続ける。外注に出すお金がない?前に進めば、きっとその機会はある。まずできることから始めよ。今すぐにだ。このブログも、行動の一つである。董海川師の生まれ変わり、の宣言である。

そうしているうちに、海外から、有能な志をもった門弟が私の元に来て就き、私の代わりとなって世界のあちらこちらで転掌を広げてくれる。転掌の術理を訳してくれる。間もなくこの試みも、実現される。もう動いているからだ。

今この瞬間、そしてこれから、世界各地に居る、志のあるものよ、天才たちよ。今という時に、転掌に価値を見いだした、突然変異の天才たちよ。疑うことなく、200年前の天才が創ったものを追体験せよ。私は、その天才の意図を、残された技を通して、感じた者。現世に復活させたる者なり。

その技法を感じ、盗み、採り入れ、己の既存のものと融合させ、己の真実を新たに創り出し発展させ、己の描く想いを遂げよ。「身の程」なんてものは知る必要のないものだ。とどまるな、自分の心の命じるままに、その道を進め。

モノ言う警備員・倒れない警護人の養成をする決意

私は、警備員として、複数年、勤めていたことは、何度もブログ等で話したことがある。

多くの時間の中で、警備員第4号業務(身辺警護)の警備員教育指導者資格を持ち、業務経験もある方に会ったことがある。しかし、危機が迫った時、護衛すべき人を守ることができ得る警護人に会ったことはほとんどない。

そもそも運動不足である。毎日技術を磨いていないことが一目見てわかる。歩き方を見ていると、がに股であり、身体が居着いている。突然の襲撃に対応できない。

民間企業の警護人は、警察の警護人たるSPとは違う。彼らは危機を想定した訓練を重ね、かつ拳銃と防弾ベスト、護身道具で武装している。いざという時、襲撃者を射殺するなどの職務遂行上の特権を持っている。彼らの強みは、装備と国家権力なのである。

民間の警護人は、警棒を持つことができるのみだ。現行犯逮捕しか認められず、かつ、警棒で打つ箇所も、肩より下、などという無茶な規則に縛られている。多少取り押さえても、相手は抵抗できるならば、構わず押し込んでくる。こちらが警察官でないため、心理的制限が、相手に湧かないからである。

私も複数回「殴るんか?やってみろよ!」たぐいの挑発を受けたことがある。これが警察官ならば、そこまで相手も強気になってこない。この点が大変怖いのだ。民間警備員にとって、いざという時、頼るのは身法のみなのである。

第四号の身辺警護業務ならまだしも、施設警備員に、特殊警棒すら携帯することは認められていない。「肩より下の部分のみ」というくだらない制限すら、適用されない(関係ない)のだ。そもそも持ってはいけないからである。

そのような制限だらけの民間警護人・施設警備員であるからこそ、身体を磨き、技法の完成度を高め、いつでも動くことができる状態を作っておかなければならない。施設警備員の武器は、懐中電灯くらいである。身体移動で勝負するしかないのだ。

そんな危険な目に遭わない?そんなことない。施設警備員は、第4号業務身辺警護人より、はるかに危険な目に遭う確率が高い。もっとも、巡回をしっかりとしているならば、の話であるが。

夜の公園なんかが含まれていれば、そこに集会行為をする若者(ほぼ若者ばかりだった)がやってくる。集団でたむろう彼らに、「施錠するので、移動願います」といって、素直に移動してくれるのは、ほぼ50%程度だ。半分は、言っても動かない。複数回頼むと、恫喝してきたりする。それが怖くて、多くの警備員は、一回言ったら、後は見て見ぬふりをする。それでは意味がない。

施設が山などに面していれば、夜は野生動物が出没する。施設警備員は、暗闇を照らし、異常を察知するのが仕事だ。暗闇を照らせば、そこに潜んでいた野生動物(イノシシ・タヌキ・二ホンジカ・カモシカなど)が突然逃げ出す。逃げるならまだしも、こちらに向かってくることも、まれにある。私は、夜間の公園施設警備で、2年の内に三回も、イノシシの突進と対した。野生動物は、命がけなのだ。命を賭けてこちらに向かってくる。3メートル以上の距離を、わずか2秒たらずで縮めてアタックしてくる。そこらのペラペラしゃべってばかりの少年たちの脅威とは、訳が違う。逃げながら棒で叩いてかわすことしかできない。

警護は、海外(マレーシア)で経験がある。拳法を習っていた先生の屋敷の周りの警護である。先生が出かける時、身体の小さい自分は、後からついて最後の切り札的警護(ロー・プロファイル警護)をした。実戦となったのは、屋敷の警護である。邸宅の周辺をウロウロする野犬などは、日本と違って狂犬病を持っている可能性が極めて高い。現地では、野犬を駆除するのは責務なのである。最大の任務は、野犬の駆除であったと思われる。野犬の駆除は、日本でも経験した。

現地の警護人らは、日本のSPのような、カチッとしたものではなかった。サンダルを履いて警護していた同僚(修行者)もいた。無線なんて持たない。しかし襲撃者に対し、容赦ない反撃をするのだ。当然である、マレーシアは、民間人も、許可を得れば携帯小銃が所持できる(日本も許可制であるが、護身用ではだめで、狩猟用のみ)。手加減をすれば、自分が命を失うからだ。このような切迫感が、日本の警護人にはやはり足らない。そもそも、戦った経験のない警護人が圧倒的に多い。

民間警護人のクライアントで最も多いのが、地方公共団体の長や、大企業の役員らの警護だ。大切な仕事であるが、実戦に至ることはあまりないため、経験不足となるのは仕方ない。

海外では、命の危険が伴うから、試合のように敵に自ら向かって堂々と戦う、という美学がない。とにかく斬られないために後ろに下がりつつ、好機を見て反撃をして、可能ならばその場から離脱をしながら、仲間らと制圧する。これはまさに、転掌の戦い方である。転掌は、身体的に不利な者が、それであっても要人や自分を守るために考えられた武術である。

多くの民間警護人は、日々の練習すらしない。昔いくら柔道〇段、剣道〇段、空手〇段、であったとしても、今動くことが出来なければ、素人も同然である。これらの話は、日頃積み重ねていない者にとっては、耳の痛い話となろう。しかし逆の場合を考えてみて欲しい。毎日の練習を積み重ねていれば、身体はおのずと、自在に動かすことができるようになってくる。

先ほども言ったが、民間の警備員にとって、頼みの綱は、自在に動かすことができる身体なのである。護身グッズ会社では、見た目に強力そうな道具を売って、動画でもデモンストレーションし、大いに盛り上がっているが、動けなければ何を持っても同じである。いくら攻撃能力の高い護身具を持っていようが、敵の突進に対しその場から動くことが出来なければ、道具を使う暇もない。

転掌の技法の良いところは、身体さえ、敵のファーストコンタクトに対し、後方スライドできるならば、後は技法の成熟度にとらわれず、我が身を守ることができるところである。敵の突進に並走しながら、払い打ちをして、持久戦に持ち込み、しぶとく対するのである。当然である。何十年も練習しないと使うことができないものならば、清朝後宮で宦官・宮女らの使う護衛武術として採用されることはない。

ここで真の護衛法を学び、日々日常生活の中で練習してほしい。敵とぶつかる技法だと、勝ったり負けたりするため、いざという時に対する不安が残るものだ。私もそうだった。近代格闘術的八卦掌の指導許可を得たのちも、勝てるかどうか不安があった。だからいまだに、近代格闘術八卦掌たる、梁派伝八卦掌は指導しないのである。

転掌のマスターとなったのちは、自信をもって事態に対処してきた。いざとなっても、相手が屈強でも、負けない自信があったからだ。この自信を身につけると、警備員として、自信をもって集会行為等に対処できる。警護人として、自信をもってクライアントのお供ができる。

八卦掌水式館で、身体柔弱な東洋人でも護衛を果たすことができる東洋人専用護衛術を、基礎から学んでほしい。最初をしっかりとやっておくと、今後の皆さんの人生に役立つだろう。

2024年12月8日、金沢にて、北陸本科の第一回目の指導を開始する。その日、真の中国拳法を、金沢の人間に見せることになるだろう。北陸地方の方はこの機を逃さないで欲しい。

氷見まで一時間・・・心のよりどころがあれば

八卦掌水式館発祥の地・氷見市まで、金沢から有料道路を使わないでも一時間である。

一時間・・近くはないが、何も遠さを感じない距離である。

新しい環境になり、いくら何度か尋ねたことがある場所でも、住むのでは大違いである。住んだことのあるお隣のお隣のお隣たる高岡市とは、雰囲気がまったく違うことを実感した。

そんな中で、ひどい虫歯になって歯医者に通う事態になったり、練習中にけげんな顔で見られたり、新生活で思わず出費して苦しんだり・・・で、愛知が少し恋しいと思うこともあるくらいだった。

しかし来てしまったのだ。来たことで、得られた喜びもある。

なんといっても、筆頭門弟の子供らと、昔のように練習ができることだ。これが嬉しい。いつも二人で、ジェダイのごとく斬り合っていると、緊張感と実戦力が得られる。これは彼女らも言っていて、そう言ってくれると、来てよかったと思う。

海がきれいである。どこにいってもきれいである。日本海、そして富山湾。

私は海さえ見れたらそれでいい。筆頭門弟の一人は、自分の釣りの傍らで、スケッチをするのが好きだが、海は富山湾のが好き、とのことだ。優美で、景色に変化があり、楽しい、と。日本海は、少し怖さを感じるが、富山湾は、いついっても穏やかで優しい。荒れていても、やはり優しい。

冬は、おいそれといけないだろうが、近くに氷見があると、本当に心強い。月一回しか家族に、家内に会えない日々が続いたが、今ならその気になれば、いつでも・・・と思うことができて、気持ちが救われる。

早く新環境に慣れて、以前のごとく、毎日いつでも挑戦し続ける日々に戻りたい。

新環境になると、失敗も多い。勝手の分からぬ場所だから、効率の悪いことも多い。しかし、この新環境への挑戦こそが、すべて未来へとつながるのだ。そう確信して疑わない。

挑戦こそが、自分の心のよりどころだから。挑戦こそが、未来を拓く。苦しいと思ったときは、すぐに空を見よう。金沢の砂浜から、遠く北京の方向を見渡そう。

氷見があり、家族に会え、門弟らと練習できる。大きな志を得た。金沢でもやはり、満たされている。

とりあえずやってみようぜ。少し近づくから。

とりあえずやってみよう。私が教えるときに重視することである。やってみないと分からないじゃないか。

分からないじゃないか、は、上手くいくかどうか「分からないじゃないか」、じゃない。とりあえずやってみたって、最初のうちは失敗ばかりであろう。

分からないじゃないか、は、やってみないと、何がよくなくて、その目指すものを成功させることができないか「分からないじゃないか」!である

足らない箇所を見つけるためのチャレンジならば、失敗は失敗にはならない。できない原因を探す為の、欠かすことのできないの作業なのだ。

会社では、失敗をするたびに𠮟りつけてくるアホ上司がいる。上司に求められる資質は、問題が起きた時に、自分が直接関与してなくても頭を下げることと、部下の失敗を叱らないことだ。

寛容でなければならない。失敗を叱るアホ上司は、部下のチャレンジ精神を奪っていることに気づく必要がある。試すことで人は成長する。失敗を叱る上司や先生に、人を導く立場になる資質はない。

挑戦と積み重ね(日々の努力)こそ、達人になるための最も有効な手段である。

○○先生伝、とか、○○直系、とか言って伝統をかたくなに守っていくのも、一つの道であろう。しかし私はその道を決して選ぶことはないだろう。

試したいんだ。挑戦したいんだ。どうせここまで来たんだ。誰かの言う、外見的肩書きに頼る日本人的一流コースなんて、なんとあじけなく感じることか。

「まだこちらに来るチャンスはあるぞ」

有名商社につとめる部活の先輩に、28歳の時、言われたことがある。その時も、迷わずなにも言わず、この道を選んだ。先輩のような生き方に、私は魅力を感じなかったからだ。

あれから22年。今私のもとで学ぶ、筆頭門弟や一番門弟らも同じ年齢にさしかかっているが、自分と同じ道を進みたいと願っている。大手企業に行かなくても、生活が苦しくて住まいをなくしたとしても、己の道を行けば、こんな喜びがあるから分からない。

・・・インターネット上には、「人と違う生き方・自分のしたいことだけをして生きていく生き方」を説く自己啓発系本・サイトがあふれかえっている。

これほどまでに「悟った」人間が多いのか?と思うくらい、猫も杓子も「自然の法則・宇宙の法則」なんかを説き、すべてのものに対する愛を語る。本当にそこまでの境地に達したのか?と疑問に感じるくらいだ。

気になるのは、積み重ねることを否定することだ。努力を明確に否定するのには驚いた。彼らは、願えば叶っている、を決まり文句に、「努力」という言葉をとにかく嫌う。努力をするのは、叶ってない現状にフォーカスしているから、叶ってないで努力ばかりする日々の現実が叶う、とのことらしい。そのくせ、夢をかなえた人間なら、日々行動をするから、と言って、日々の行動を諭す。言葉遊びなこれらに、ウンザリする

君はすこしちがうことを実感してほしい。君はきっと天才である。取り返してやろうと考える時点で、君はそんな扱いをされることに甘んじてないということだ。君はきっとそんなところで終わらない。だから、迷わず積み重ねて欲しいのだ。

言ってる本人が悟っているかどうかもわからないような、ネット上の、積み重ねを否定する記事なんか無視してほしい。やり続ければ、実力もついてくるし、効率のよい練習法もわかる。正しい練習法や正しい成功法をうたって金儲けを企むヤツが多すぎる。そんな、害にしかならないものに目をくれず、君はとことん君の方法で積み重ねて欲しい。

悩みながら、迷いながら、時にミスなんかして落ち込み、その果てに自分なりの境地に達した者は、すでに達人になりかけているのである。

転掌という形で、大きな意思が、必要なものを届けた。

清朝宦官・董海川先生が、王宮内で立身出世を達成する野心の元に生まれた八卦掌原型の護衛武術「転掌」。

現在国内外で行われている八卦掌は、そのほぼすべてが、他の武術と同じの、屈強な男性向けの技術体系で構成された、敵と至近距離で打ち合い、倒して勝つための八卦掌だ。

弊門の伝える「転掌」時代の技法に、疑問を持つ人間もいる。確かに、中国国内の入手可能な有名先生の著書は、そのすべてが近代の八卦掌である。この体系が、昔のままの体系だと勘違いしても致し方ない。

しかし冷静に考えれば、すぐにわかるはずだ。近代の激しく打ち合う八卦掌の技術体系が、清朝の御用武術として採用されるだろうか。

宮中内は男性禁制の場である。男性で入ることができるのは、清朝王族男子と、宦官(かんがん※去勢された身分の低い男性官吏)だけである。董海川先生も、宦官であった。

董先生は、武術の経験があったが、その技術体系では宮中内御用武術として採用されない。男子がいないのに、男子使用想定の技術体系武術など、採用されるはずもない。よって「宦官・女官でも王族を護衛することができる技術体系で構成された武術」を、作る必要があった。

弱者使用前提技術体系無くして、八卦掌なし。

なぜなら、宮中内御用武術として採用されなければ、転掌は有名とならなかった。有名にならなければ、八卦陰陽理論をあてつけることができるような知能の高い学のある弟子は門に入らなかった。よって、弱者使用前提は「八卦掌」になる前の必然の歴史だったのである。

しかしこれは皮肉でもある。有名になったから、男性修行者が董先生の元に集った。彼らが転掌をより発展させるため、他流試合で勝つことができる打ち合いの技術体系を構築していくことで、弱者使用前提が薄れていったのだ。

転掌が有名になることで、転掌がその技術体系と名称を変えていくことは、避けがたい運命であったのだろう。大きくならなければ、四大門派にならず、修行者も少ないままであった。

清朝粛親王府で宮中内御用武術として採用されたことは、以後の転掌の運命を分かつ大きな転機であったのだ。

転掌技法は、普通なら御用武術として採用された時点で、そのほぼすべてが失われるはずであった。

しかし武術に関わる大いなる意思は、それは許さなかった。大げさではない。これは奇跡の始まりであったのだ。私は、転掌技法が私に伝わるまでの経緯を考えると、大きな意思の存在を、感じずにはいられない。

八卦掌について、誰にも負けないくらい、向き合ってきたとやっと確信した今だから、このブログを書くことができる。

大きな意思は、転掌技法を、私の師の祖先に届けた。

その技法は、伝わった土地の環境もあり、他の武術との技術比べから無縁な中ではぐくまれたがゆえ、変わることが無かった。

変わらないまま、その技法を真に必要としていた天才の少年に伝わった。わたしである。天才とは、最強、という意味ではない。大きな意思に選ばれた、特別な存在である。

少年は、その技法を必要としていた。その少年が必要だった時に、その技法はその少年の近くになかった。

少年が守るべき人との約束を果たすことができず、悔恨の中でとりつかれるように強さを求めている中で、その動機を知らない楊師から、少年が約束を果たすうえで必要だった技法が、伝えられた。

師の技法は、弱者使用前提の稀有な技術体系で貫かれた「転掌」であった。そこに大きな運命、大きな意思による大きな操作を感じるのだ。

今の私は「身の程を知れ」という言葉が大嫌いである。最も嫌いな言葉の一つである。多くの人間の無限の可能性を奪う、悪魔の言葉である。その言葉を、何度も何度も、何度も・・・言われてきた。

しかし私は、この運命的なめぐり合わせだけを励みに、己の伝承する技法を磨き、伝えてきた。

映画のような戦い方をしないため、すぐにサイトページを閉じられる。「逃げてるだけ」「走ってるだけ」「いつ攻撃するの」「また水式門?ここはいいや」と、初心者にもならないほどの素人から、笑われたこともある。

たまに見学・学習しに来る男性志願者も、単換掌の型を覚えて少しできるようになると、何かを悟ったかのように来なくなる。もうこれで練習できる、これでいいや、と思ったのだろうか。

去って言った者の中で、相手の猛然とした攻撃を単換掌でもって護身することができる技術を身につけた者は一人もいない。皆、力でかなわないときの一つの対処法を、知っておきたいだけの者ばかりである。よくあるのが、午前だけ来て、単換掌を教えると、用事が・・・と言ってさっさと帰っていく。型さえ覚えてしまえばいい、と考えているのだろうか。

今までの多くの工夫をしてきた。再度習いに来ないのは、私の伝え方は悪いのでは?と考えたからだ。※改めて確認のために言うが、技法を疑ったことは一度もない。

しかし、身を入れて練習する気のない者に、何をどう工夫しても同じである。三十数年の歳月でもって、やっとのことでここまで来た技法を、どうして初めて来た、2時間体験して程度のものが、その拳法の有益性を知ることが出来ようか。

現代は、「なんとか○○をしてもらおうと思って○○の試みをする」までして、その道を極めた人間が、初心者になんとか来てもらおうとして、門戸を開いている。私はそれがどうしても理解できない。

転掌式八卦掌の修行は、移動し続ける息の上がる練習が多いため、持続し続けるための明確な目的が必要となる。

気まぐれな通りすがりの人間も同然の、何度言っても、何度アプローチしてもこちらに近寄ってこない人間に。私は、そのような通りすがり同然の人間に、必死になって転掌のすばらしさを説いていた。

水式門軍師門弟曰く、「なんの意味もないこと。もうこれからする必要もない」。

技法を貫け。技法に誇りを持て。あなたの技法は、これまでも同じくこれからもずっと必要である。

一番門弟曰く「少なくとも、あの時、少年はその技法を必要としていた。それが偽りでないから、今でもずっと、毎日練習しているのでしょう?ここで止まったら、あの子が取り返す時、間に合わないかもしれない。止まって遅れたら、止まったことを悔やむかもしれない。だからできることは、今までと同じく、繰り返しを続けること。進み続けること。届かない人間には、何をやっても届かない。必要としてないのだから。」

運命を与えられたと確信している。ほぼ消えかかった転掌技法を、この世に再び出すために、色んなものが流れてきて、時に消えていったと思っている。

消えたものが、あまりに大きすぎて、大きな意思なるものを、憎んだ時もあった。

でももう、それらは取り返すことができないのだ。それが正解であったと認めることは絶対にしたくない。転掌技法を伝えるために、失われたものが失われたと、認めたくない。そんな残酷なことを考えたくもない。きえていくものが無念すぎる。自分は残って、さまざまなことを今でも感じることができるから、こんな勝手なことが言えるのだ。だから決して、転掌の再興ごときのためになんて認められない。

・・・できることは、転掌技法を、全国の必要な人に届けることだけだ。辛い考えを頭から打ち消すかのように、これからも、休まず進み続ける。

それしかない。死ぬまで、身体が動く限り、この道を進むのだ。

八卦掌水式門富山本科イメージ

軍師曰く「北陸本部はどこに設置する?」

自分だけで判断できないこともある。

ことに、地理的な視点にたった場所の選定については、その土地の事情を知っている者や、地理的位置における戦略の要因について、分析の出来る者の協力・アドバイスが必要となる。

当然、私はそのようなことに明るくない。そこで、門弟の一人に、そのことをよく尋ねる。

彼女は専門家ではないが、その分野に関する勉強は、好きの気持ちから、ずっと続けている。戦略論・兵法・地政学などが大好きで、高校時代は、それが高じて防衛大学校の入試にも合格したほどである。もし防大の試験が兵法とかだったら、首席で合格するんじゃないの?と思うくらい、兵学の勉強が好きだった(当時の彼女の愛読書は、ジョミニの戦争概論)。

現在は中国地方で、のんびりとしている。趣味は、備中高松城周辺で、戦略の勉強をすること、といってはばからない変人である。北陸富山での活動を再開してから、気持ちがこちらに向くようになって、何かと協力をしてくれるようになった。

「北陸地方最大の都市は、金沢だよ」

と言い出したのは、ここ最近のことである。当門弟は、自分が富山に北陸本部を置くことを認めつつも、金沢を抑えることは、譲らずに話す。

「富山は確かに、そこを通らないと東西に移動できない。岐阜からの人の流入も多少期待できる。しかし新潟はどうか?」

多くの新潟人口は、200キロ以上先に集中する。途中、天険親不知があり、かつ、新潟市から富山まで抜けるのは、いまでも果てしない8号線ルートが想起され、精神的な防波堤となり、難所である。

新潟から人はなかなか呼ぶことはできない。富山と新潟では、文化圏が違うのが何よりの証だ、と説明する。

金沢は、北陸地方最大の都市であり、金沢から離れている北陸地方の人間にも、訪問の意欲を湧き起こさせやすい。メディアに取り上げられやすく、注目度が高い。水式門の格式は厳格で敷居が高いため、人が集まる場所で、広く知らしめ変人に出逢う確率を高める必要がある、と説く。

「全て私の分析であり、これをもって性急に判断する必要はない」と言いつつも、「今の時点で富山に北陸本部を置くと決めるのも、性急である」と熱く語ってくれる軍師みたいな門弟だ。

そんな当門弟が、富山に帰郷する可能性を示唆している。

表向きな理由は、修行のし直しである。しかし本当の理由は、水式門の陰の参謀となりたい、のと、倉敷本科開催を阻止するため、の二つの考えからである。前者の気持ちは、大変嬉しい。

戦略的思考に長けた彼女らしい、素直で優しい動機である。岡山倉敷に拠点を置くことを考え、しばらく連絡をとりあって行動してきたが、この気持ちもわかる。門弟は、皆自由である必要がある。今後の動向に注目している。きっと彼女のことだから、北陸に戻ってくるのだろう。

もし本拠地が、富山もしくは石川に設置される際、彼女の協力が間近で得られるなら、それはとっても心強いと感じた。彼女自身、八卦のマスターでもあるからだ。

水式門草創期、まだ梁派の伝承を示して問い合わせもあったころ、練習後に氷見の比美乃江公園にて、未来の門構造について語りあうのが楽しかった。現実的に見ても、不可能と感じなかった。どのような状況下でも、少しの可能性があれば、そこに理由と活路、目的と中間目標、そして具体的方策を即座に見い出す能力を持っていた。さすがである。

当門弟は、その場にて具体策の実行手段すらも提示するため、こちらも具体的行動をリアルに感じざるを得ない。

「ここからは、先生が動くか動かないか、だよ」

と名参謀に言われたら、もはや動くしかあるまい。

現在は、問い合わせも激減し、苦しい中で、厳しい現実ばかりが浮かぶ。しかし当門弟は、このまま水式門が消滅することなど、微塵も考えていない。近い未来、多くの人間に水式門の伝承する転掌式八卦掌が広まり、全国へ展開することを確信している。

彼女の頭の中では、広まるかどうか、ではなく、広まった時にいかに運営していくか、に焦点が定まっている。

「広まって当たり前。その後どうするかの方が、興味があるから。だからここにいるのよ」

彼女はそう言って、広めることに頭を悩まさない。そして躊躇なく行動に移す。

そんな当門弟と行動をしていると、すでにかなったかのような気分となり、練習にも熱が入る。

彼女が言っていた、逆転の発想の一つ、八卦掌水式門を女性専用中国拳法門にする、という案も、真剣に考える時かもしれない。

八卦掌水式門富山本科イメージ