達成は間違いない、現実が遅れてるだけ。なぜそう言い切れるのか。
それは、グランド・マスターとして、ずっと昔から行動してきたから。昔とは?ずっとずっと昔である。200年前にもさかのぼる。長き行動は、何ものにも属さない体系を、現実を創るのは間違いない。私は、私自身がグランド・マスターであることに疑いがない。疑っていないから、そのようにずっと動いてきた。動いたら・・・現実はそのようになるのである。
事実、今回のどん底が再び、私自身を、私が本当に心の奥底で描いた理想の状態に近づけている。私は時折、居場所もなく、そのときの流れに従い、各地を放浪する未来を見てきた。寝ている時の夢であったり、ふとした時(多くの場合、旅先)に心地よさを感じたり。今、居場所のない状態で、私は、寝ている中で見ている自分と一体となった感じがしている。
現在私が置かれている状況は人間の、浅はかな判断基準で見たら、失敗で、望ましくないことかもしれない。しかし、何か大きな存在の意思だとしたら・・・・。人智をはるかに超えた大きな存在の導きだとしたら。そう考えると、何ともこの現状も、楽しいではないか。わたしは、拠点がある時よりも、今の方が、なんとも活き活きとしているのだ。
何より、自由である。拠点がない、ということは、拠点に縛られないといことだ。縛られる=執着、である。執着は、自由なフットワークを阻害する。これはまずいだろう。
失敗も損も、すべてが決まった道である。いや、そんなことはない、俺はこの瞬間、であるならば、想定外の道を選んで、その「決まった道」とやらに反抗してやる!といって、決断しなおしても、それすら想定内なのである。
言葉遊びでも、屁理屈でもない。そのように行動していくことで、すべてが流れていく。いい意味で、どうしようもない流れの中で、私は転掌を再確立した。運命かな、現在に、転掌を公式に伝えているのは、自分だけである。
私はこの、あまりに顕著な実情に、転掌再興祖グランド・マスターとしての宿命を感じたのだ。
200年前の董海川という名の私は、地方においてある「異人」と逢った、という。その異人は、200年前の私に、敵の力に抗しない、当時としては潮流から外れた、技術体系を持つ武術を「手渡した」。
清朝の王族に目をかけてもらうためのカスタマイズが、まるですでに整っていたかのような技術体系である。現在に生きる私たちが知っているような、敵の面前で、巧妙華麗な技術で戦う八卦掌であったなら、「その他大勢の武術の一つ」であったため、清朝後宮の護衛武術には採用されない。メリットがないからである。
積極的攻撃技術で、敵の力と抗するものであったら、その修行者の多くは,武術経験の豊富な、屈強な男性である。200年前の私からプレゼンを受けた王族は、
- これならば、男性武官を後宮内に立ち入らせなくてもよい
- これならば、武器を護衛官に目ざとい武器を携帯させなくてもよい
- 男性武官による護衛官吏がほぼ不要となり、宦官・宮女だけで護衛まで任せてしまうことができてしまう
などの、自分たちの身の安全に関わる幾つかのメリットを見い出して、既存の宮中内武芸者(伝・沙某)を罷免までして、200年前の私を採用した。このように、転掌が後宮内武術として採用されるためには、合理的な理由があったのだ。清朝王族が転掌に目を付けたのは、転掌を護衛武術として採用すれば、上記のような、具体的なメリットがあったからである。
この眼を付けられ得る技術体系は、偶然にそうで「在った」のではない。転掌が、後宮内護衛武術として採用されるために、狙って創造されたものであった。えっ?あの「異人」が?
異人なんて、おそらく存在しなかった。それは私だからわかるのである。必要最小限にして必要最低限の知識・指導だけで、転掌を再確立した私だからわかるのだ。
異人がこれらの技術体系を創ったのではない。200年前の私に、採用され得る技術体系を創り得るヒントを与えた人間は、いたと思う。そう、現在の私の場合のように。
現在の私にとっての異人は、福建省楊家の、転掌7世楊師である。200年前の私と、現在の私とでは、弱者使用前提の武術を求める動機が異なる。しかし、出来上がったのは、同じである。動機の違いは、創造を意図するより大きなものにとって大きな問題とはならない。現在日本において、後宮というものが存在しない以上、創造を意図するものは、なにか違う作用で、託した者(現在の私)にこの技術体系を確立させたのだ。
私の確立したものを、証明できぬもの、として批判されることがある。しかし、200年前の私ですら、謎のままである。どのように転掌が確立されたのか、全く分かっておらぬ。しかし私は、200年前の技術体系のベースを知っており、必要なタイミングで、技術体系を極めるためのヒントを、与えられ続けてきた。
この技術を洗練させるのは、私の後代の仕事である。私は、ここまで来るまでに多くの時間と体力を使った。現在の価値によって重宝されるものを、私は一切所有していない。しかし私の心が認める、真の「善」なるものは、毎日、私の生活の中に「在る」のだ。

上の写真は、今日の私の練習場所である。石川県かほく市。私に、大きな存在のあることを知らしめた、西田幾多郎先生の、出身地である。ここより少し南に下がった宇ノ気の浜で、西田先生は、何かを感じていたはずだ。私と同じように。
私の練習場所は、その都度違う。流れる私にとって、日々が新しいことの連続である。日本一周なんてしなくても、移動が常の私にとって、その都度「旅」なのである。三木清先生が言っておられた、「旅=非日常」であろう。
この新鮮な、非日常に満ちた「自由」こそが、私の心の底から認められる、「善」なるものである。縛られぬ状況で浜に立つ時、説明のできない安堵感を覚えるのだ。その中で、転掌を磨く。そして、この経験を、ブログなどを通じて共有する。十分である。
私は近いうちに、まず日本の有志に、この技術を伝え歩くことになる。拳客である。何度も、眠りの中で見た拳客の日々がやってくる。その中で見た景色を、鮮明に覚えているのだ。これは避けられない未来である。私はそれを、抗することなく受け入れる。なぜなら、練習しつづけるのと同様に、この技術を伝えることは、再興祖として「在る」うちの、欠かすことのできないひとつだからである。
世間のいう「どん底」でも変わらぬものだった。修正?改善?冗談じゃない。理想の道に一直線なのに、なぜ世間の一般的な修正が入る余地があろうか。怖いに決まっているだろう。しかし、奥底では、こちらが正しいと、指し示しているのである。
