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本当の瞑想をおしえてあげる。愛した瞑想は、描くこと。

瞑想をやっている。私は、ずっと四六時中、拳法をしているわけじゃあないわよ。もう、拳法は長くし続け過ぎた。もちろんこれからもするわよ、でも、描く比重を高める。それこそが瞑想、だから。

今日は、とっておきの瞑想法を教えてあげるわ。

それは、好きなことをひたすらすること。これも、館長に習ったのよ。瞑想の動画を見ると、皆目をつぶって、胡坐のような姿勢で座って、頭を空っぽにするように・・・とか、色々言ってる。一つの型になっている。それはつまらないからやらない。

私は、二つね。ひたすら、目の前の景色を描くこと。海に行くことが多いから、海の絵が多い。富山湾、三河湾、伊良湖岬、佐多岬・・・とにかく描くことだった。聖地・氷見は、どこの海岸からも一通り描いたくらいよ。

海辺で、館長と座って、ぼーっと海を見ていることもある。それも○○の瞑想か?と館長は言うが、そうよ、あなたが、私が小さい頃から、私を海に連れて行ってボーっと眺めていたのが、心地いいからしているのよ、この瞑想を。

最近の動画は、成功者の話を持ち出して、禅だ、マインドフルネスだ、そんなこと言っている。富だ利益だ一切は関係ない、お金は後から必ずついてくる。といっておきながら、その動画を見ている連中は、目が¥に変わっているような連中ばかりだ。

すぐに叶います、これを知れば人生激変します、そんな言葉にコロッとだまされ、動画を見るだけでいっつも終わっている連中ばかりだわ。お金は必ず後からついてくる?どんな価値のあるものを提供しても、それに見合った対価を得ないままこの世を去った多く天才がいる事実を無視した、耳当たりのいいだけの言葉ね。禅の先師や、ワッツは、悩み抜いた末にその境地に達したのに、動画で見ているだけの連中に、耳当たりのいい現実は来ない。少なくとも、すぐに結果はついて来ない。少なくとも、動画を見て、満足してるだけの連中は、この果てしないタイムラグに決して耐えられない。

もし価値あるものを提供して成功するならば、館長はとっくに世界道場の総裁になっているわね。禅の思想を知り、それを少しばかり実践したくらいで、すぐに人生が好転するなら、なぜあれほど多くの成功者が、散々苦しい目にあっているのか。

館長だって、私たちの手助けを拒否し、外で体を洗い、外で散髪をし、固い車の中の自作ベットで寝ているのよ。少しのお金を出し惜しむプロに対する礼を失したタ〇連中の気まぐれにもめげず、ひたすら刀を振っている。これこそが真の瞑想。どれだけ苦しくても、自分が価値を見いだしたものを無心に繰り返す。

静の瞑想は、とっても難しい。頭に色々浮かびすぎて、今「在る」状態になることができない。何もしないで座っていることが好きな人はいい。私はダメ。つまらない。好きなことをしたい。絵を描きたい。海でボーっとしたい。延べざおを広げ、釣れないなぁと言いあいながら、ぼーっとしていたい。その時無心になる。瞑想になるのよ。座ってなきゃいけないなんて、だれが決めた?ク〇自己啓発系動画の見過ぎなのよ、だから凡人のままなんだ。

呼んでいてわかる通り私の瞑想の師も、館長なんだ。インドだ、禅だ、老荘だ、といろいろ読んだが、この人がいつ何時も練習場所に立ち続け繰り返す、究極の瞑想を見て、私は何かを悟った。それは言い表せない。無理に言うならば、「それでいいじゃないか」ということ。

私の瞑想の師は、ヨガのヨギではない。道教の導師でもない。キリスト教の司祭でもない。どんな状況になっても、信じたものをし続ける、この人だった。本当に好きなものを、とにかくし続けること。家を失っても、し続けること。

 

成立過程を伝え続けるのは「開祖が言っていたから」をさける為

私は後代にも、伝えた技の存在理由を知っていてもらいたい。

私が弟子らに、転掌の成立過程を何度も何度も伝えるのはそのためだ。術理・技の成立の要因・歴史は、本当に重要なのである。

その修行者が、技や術理の意味を分からなくなった時、発生の要因・キッカケ・歴史は、その壁を打ち壊す手助けをする

私の元で習った修行者は、皆誰もが、後代にその技の発生原因などを絡めて指導ができる状態になっていることを、願っているのである。

創始者に習った者が深い境地に達するのは、創始者から、技・術理が在る理由を、飾りない言葉で、何度も何度も聞くことができるからだ。

偉大な指導者から始まった門派では、代を重ねると、その権威性だけが残り、拳法本来のシンプルな必要性・原因の点が忘れ去られ、個人崇拝だけの上っ面な伝承となる。

「先生、なぜこの技は、ここで打つのですか?」

「それは、我が門で代々、そのように伝えられてきたからだ」

権威によりかかり、その方が楽だと思うほとんど多くの凡人は、それで納得するだろう。しかし、物事の本質を追い求める、本当に少しの人間には、その答えは、深刻な心の離反を産むのだ。私は、そのような言葉を、何度も聞いたことがあった。そしてその都度、言いようのない息苦しさと物足りなさを感じたのだ。

単換掌では、最後に去り打ちをする。その理由を弟子が尋ねたとする。

なぜ去りながら打つのですか?

その敵のそばにとどまらないためだ。

なぜとどまらないのがいいのですか?

敵の攻撃をもらってしまうからだ。

しかしこれでは自分の攻撃は当たりません

あたらなくてもいい、自分がうたれなければいい。

当たらなければ、倒すことができません

倒す必要なんてない、自分が生き残り続けて、時間稼ぎをすればいいのだ

時間稼ぎですか?戦いで時間稼ぎですか?私たちは、何を期待して待つのですか?

時間稼ぎすれば、その時間分、護衛ができる。異変に気付いた仲間が救援に来る。すぐにやられてしまったら、それもかなわない。

襲撃者は、武器をもっていませんか?転掌は、素手で相手に対抗するのですか?あっという間に倒されてしまいます。私たちに、武器はありません

いい質問だ、双換掌をやってみるがいい。試しに、その服を脱いで、双換掌をやってみるがいい。服を追随させよ、複が防具になる。なぜこのようなことができる型であるかわかるか?

わかりません。

転掌は、素手で侍る身分の低い官吏用の武術だからだ。身分の低い雑事用の官吏は、武官のように武器を持つことが許されない。しかし、武器を持たないでもおとりとなって護衛ができるからこそ、転掌は発展したのだ。

どういうことですか。

武器を持たなくてもおとり護衛ができるなら、宦官や宮女に護衛の任を負わせればよく、武器を持った男性武官を警護用として後宮内に配置する必要もなくなる。清朝王族は、後宮内に、武器を持った屈強な男性武官を入れることを、心の底では警戒していたのだ。たった一人の謀反の意を持った男性武官が、後宮内の人間を全滅しかねないからだ。転掌創始者は、転掌を後宮内武術として紹介する際、武器を持たせなくてもいい点を強調した。それは後宮内武術として採用されるための重要要素だと分かっていたから。そして、転掌が武器を常時携帯できない立場の人間でも護衛力を得られるように、特に双換掌に、身の回りのモノで戦うための武器操法の理念を組み込んだのだ。その目論見は当たった。王族に転掌の技術体系は受け入れられた。

ひどく計算的な話ですね。

そうだ、転掌が後宮内武術として採用されたのは偶然でも何でもない。ある人間の考え抜いた計算と思惑がそれを実現させたのだ。創始者が練習しているシーンを、たまたま王族が見ていて、見染められた、は作り話だ。明確な計算と、意図を持ったアピールにより、転掌は後宮内の護衛武術として採用されたのだ。

なぜそこまで、採用されることにこだわったのですか?

創始者が、未来の無い最下層身分の宦官であったから。彼は明確に、転掌をネタに自身の出世を狙った。転掌が後宮内武術として採用されれば、自身もその指導者として、身分が上がる。後宮内武術となれば、転掌は世に知られ、内外から門下生が集まる。その目論見が、すべて当たったのだ。皮肉にも、発展がその技術体系を変えてしまうこととなったが。

・・・・・代継門人以上の弟子であれば、八卦掌で言い伝えられている成立過程を信じている者はいない。私が常々、この成立過程を伝えているからだ。この成立過程を知っていれば、転掌がなぜ独自の技術体系を持っているのかが分かるのだ。

近代八卦掌と転掌式八卦掌において、最も違う点は、攻撃に固執するかしないか、だ。この違いは、「敵の力に抗する」か「敵の力に抗しないか」を分ける。敵の力に抗しないからこそ、弱者が初めて、短期で、弱者のままで、使うことができるようになる。

成立過程を紐解くだけで、これだけのことが、明確な理由をもって説明できるのである。ココで個人崇拝の要素が入り込むと、「再興祖・水野先師が言っていたから」となり、根本的な理由が説明されなくなる。

理由が薄らぐと、弱者使用前提の技術体系ですら、取って代わられるようになる。近代八卦掌になったように。この発展は、間違いではなかった。男性強者の修行者が増えれば、その変化は必然であろう。しかし、転掌技術体系が、失伝状態となっているのは、行き過ぎである。

私の後に続く者は、是非とも、各技、各術理の背景にある、理由・発生要因を知り、それを正確に後代に伝えて欲しいのだ。そうすることで、代を重ねても、転掌は「使える武術」として在り続けることができるのだ。

八卦掌水式門富山本科イメージ

海の中で磨く、刀裏背走理

私は常に、「いかにして練習を、一人で、実戦に近い形で、毎日行うか」を考えてきた。それを実現させるための練習法は、実にたくさんある。私の動画によく出てくる、スポンジ支柱を使った対人想定練習は、多くの一人実戦模擬練習のうちの一つに過ぎない。

対人想定練習は、常に考え続けている。そしてそれを、常に弟子らと共にシェアしている。

その中で、弟子受けがよかったのが、海の中で、80cmくらいの棒を使い、振り回すことだ。当然、刀裏背走理を意識した練習とする。そのため、背身刀が多くなる。

コツは、ゆっくりと大きく行うことだ。海の外では、振り回す速度が速すぎて実感しにくいが、海の中で棒を振ると、水の抵抗で、振り回す速度が遅く、かつ重くなる。筋トレではないので、負荷をかけるつもりでは行わないこと。あくまで、刀裏背走状態になっていることを確認しながら行うことだ。

具体的に言うと、振る際、肩甲骨後ろ部分が収縮している状態になっていることである。

この練習は、刀の使い手である、弊館筆頭門弟が、こよなく気に入っていた。海辺に住んでいた夏は、よく皆で、海に入って素振りをし、空手道場の練習か何かと思った、と言われたものである(そんな言い分は、半分嘘だろうが)。

海水浴場で皆がいる時に、振り回すのは、いくら刀がほとんど海の中に入った状態とはいえ、気が引ける。練習が終わった後の、まだ誰も居ない海水浴場の、はしっこで行っていた。

私たちは、島尾海浜公園前の、松田江海水浴場~氷見窪海岸周辺で行っていた。水式館の聖地である。人もいなく、砂浜もしっかりとあり、練習がしやすかった。今は車の跡があったり、ゴミだらけ、である。前に比べて、散歩の人が増え、やりにくくなった感はある。

練習もひたすら工夫である。海の中で、八卦掌の練習をしています、という文を見たことがない。各人、それぞれ、やり込んだ人間であればあるほど、変わった練習法を持っている。しかし、その一線を越えない人間は、練習ですらも、常識にとらわれている。

型の練習で、美しく演じる、というのは、一つの典型だろう。カッコよくなければ、人前で恥ずかしくて練習できない、という。しかし美しさで拳法の実力を評価する人間の方がおかしいのだ。美しくないから実力が大したこと無い、と言っている人間は、未熟であることを自ら宣言しているようなものだ。

どうどうと、門で教えられた型を、練習し抜けばよい。見栄えなど、実戦では何ら意味を持たない。型通りに打ったことがあるのは、イノシシ相手に、透把式単換刀で、吹っ飛ばした(実際には吹っ飛んでない、重くて硬くて横にずらしただけ)時だけである。

確信と革新は、練習段階から始まる。あなたが思いついた練習方法は、とりあえず試してみるがいい。技を試すのと同じである。そこから達人への近道が始まるのだ。

自由の空の下で見た遠い花火は

大きな節目を迎え、再び、北陸の地にやってきた。

愛知での日々は、気が滅入ったわ。なんとも言えず、縛られているようで。愛知って暑いからね、と言ってきたおっさんがいたけど、違うわ、おんなじ考え方の連中ばっかりで、うんざりだったのよ、おっさん!

だからとにかく、英版出版は、集中的に翻訳に取り組んだ。この人の文章って、ほんっとうに、分かりにくいし、訳しにくい。

でも、こうでなければならんのだから、仕方ないのよね、それは私が一番わかっているのよ

もちろん、私だけで訳したわけじゃない。存分に、Google翻訳に、活躍してもらうつもりだった。でも、やっぱり、概念がないのよね。的外れが多く。結局、一文一文、この人と一緒に、確認しながら、作業を進めてきた。

途中で、金沢の拠点を失ったため、その作業は難航した、でも、私は分かっていた。北陸の連中の熱意、とか、資質、そういうのをみて、この人の拳を受け継ぐ人はいないとね。

室内じゃなきゃ、とか、福井のくせに金沢は遠い、とか、そんなんばっかりだったからね

方向修正を得意顔で提案して、この人に営業してきたコンサルバカがいたけど、バッカじゃない!?この人の道が、どういう過程を経て、定められているのか、分かってるの?

サイトに書いてある。その部分すら、読まず営業掛けてきてるってこと。そこを読めば、私なら、決してそこに触れない。読んでもいない、その状態で方向修正なんて、レベルが低過ぎね。

私は、学ぶ気もない土地に、縛られる必要はない、と前から進言していた。楊家拳は、あまりに凡人どもに理解できないのだから。その土地での生徒募集は、反対だった。

拠点を失ったことは、私にとって、大きな転機だった。きっとこの人は、拠点を失うよりも、スキルを失うことの方を嫌がる。案の定、この人は、道を追い求めることを最優先し、大きな自由を得た。

久しぶりに、氷見のまっくらな夜空を見たなあ、昼間が多かったからね。

見渡すと、富山の花火と、魚津の花火が見えるわ。本当に小さい。金沢にいれば、北國花火を、河川敷あたりでみることができたろうに。きっと普通の人間は、館長の決断を批判するわね。

しかし私にとって、この花火は、別格だった。再び、理想の空の下に戻ってきたのよ、それ見なさい

「自由」の空の下で見た花火だったから。たとえ小さくても、何ものにも縛られない気持ちで見たものは、故越栄に幸せだった。ただただ進む。少年のような、この人は、きっと将来、大きな形を示す。

誰よりも近い位置で、それを目の当たりにするのよ。

一つの戦い方で、素手・刀・長短棒・盾を使いこなす転掌

多くの武術は、すべての戦い方で、勝ちに行く。しかし転掌・転掌式八卦掌は、一つの戦い方で、あらゆる方法・あらゆる手段・あらゆる道具(武器)を駆使し、一定時間生存による時間稼ぎのおとり作戦による護衛を目指す。

全ての戦い方とは、接近戦・遠い間合い戦・関節技・抑え込み技・投げ技などを駆使するということ。そして最終目標は、「相手を倒す」である。

しかし転掌は違う。一つの戦い方だけを練習する。一つの戦い方とは。撤退戦を基本とした、移動遊撃戦である。撤退戦とは、敵の力と抗しない戦い方である。倒すことよりも、生存し続けることを第一とする、斜め後方スライドの対敵法による一定時間生存術である。

転掌・そして本来の八卦掌では、この戦い方しかしなかったのである。相手を巧妙な技で倒す八卦掌は、転掌が有名になって、修行者のほとんどが屈強な男性になった後に成立した、次世代の武術的戦い方なのである。

素手・刀術・双身槍術・大刀術・双短棒術・藤牌術すべてにおいて、この一つの戦い方だけをマスターするのである。その根源は、戦場の藤牌兵刀術である。そこから単換刀が生まれ、単換刀から、単換掌理・勢掌理が抽出され、単換掌・双換掌・勢掌単招式が一定の形として具現化されたのだ。

専用武器の携帯を許されなかった後宮内の宦官(かんがん)・宮女(きゅうじょ)が、割と短期で、身の回りのもので護衛を果たすことができるようになる技術体系を持ち、弱者でも護衛をし得る道を切り拓いた。転掌は、一つの戦い方(一つの術理)をマスターすれば、この理であらゆる道具が、すべて同じように使える技術体系を持っていたのも、短期習得を可能ならしめた。

転掌と転掌式八卦掌に、関節技はない。当たり前である。たとえ相手が一人であっても、敵の眼の前にとまらないのだ。身体を残して攻撃するだけでも、敵に捕捉される危険が生じる対多人数戦の最中である。関節技など、かけている暇もない。

これは、八卦三十六歌訣。四十八法でも、言及されていることだ。昔日の転掌本来の戦い方を示した、数少ない貴重な資料である。歌の中には、近代化した後の技法に言及され者もある。しかし、三十六歌訣は、昔日転掌の拳風を、色濃く残す、貴重な資料である。

現代の八卦掌家は、自身の拳法が、対多人数に有効な拳法であることを公にしない。なぜか。彼らの習った八卦掌が、対一人・対他流試合用化した八卦掌であり、そこに対多人数を想定した技法が伝わってなく、習ってないからである。ひどい場合、昔日の転掌が、自分たちの習っている近代八卦掌と対して変わらないもの、と思っている。

董海川先生が創ったころの転掌と、近代八卦掌は、まったくの別物である。其の目的を違えた時点で、両者の分離はさけられないものとなった。私の伝える転掌を見て、そのシンプルさ、現行主流八卦掌とのあまりの違いに、落胆する者が多くいる。

宦官が、宮女が使っていた武術が、強者使用前提であるはずがないだろう。少し考えれば分かることだ。

私の持っているものは

すべて。私はすべてを持っている。

私の目に映るもの、すべてを持っている。目に映らないものは知らないわよ。持っているかどうかなんて、私にはわからないから。

他人の家に行くといつも思うのは、「なんでこんなに持ってるの」ってことだわね

あらゆるスペースに、モノが押し込められている感覚ね。いっつも思うのは

「この人、引っ越しする場合どうするんだろう?」

引越しなんて当たり前。父といると、将来どこに行って、どこでどうなるかなんてわからないから。持つことに、何のあこがれもないわね。

わざわざ持つ必要なんて、ないと、ずっと思っていた。

ものを持って一番嫌なのは、住んでいる場所に執着してしまうってこと。

いつでも、思い立った時に、思い立った場所に、私は行きたい。ついていきたい。この人は流動的な人だから、ものなんて貯めこんだら、置いてかれてしまう。

もたないのは、大変なこともあるけど、両手が空いていることの喜びを味わったら、もう戻ることはできない。

いつもどこかの空の下だからね。あの空の下。あの山のふもと。たくさんの星が見える場所では、一緒に星の祭りに参加したりする。

山間部の朝は、車から出ると、むせ返るような新鮮な空気。あれは本当に楽しい。

穏やかな天気の時は、人のいない漁港で、あの人は釣りを、私は絵を描き、時間がゆっくりと流れる。

そのたびに思う。別に、楊家拳の伝承になんて、こだわらなくてもいいんじゃない?と。

必要としている人なんて、おおよそ私たちの周りにはいないものよ。そこまでして教える必要なんてないじゃない。

私んちの、オカモトタロウ

ジョン・バリーの「ある日どこかで」という映画のテーマ音楽が大好きなんだわよね。

知ってる?「ある日どこかで」は、私が生まれる前の映画「スーパーマン」に出てた、クリストファー・リーヴ主演の映画。内容を言い出すと、長いし、私がここで言っても、何も感動しない。見て初めて、感動を覚える映画なんだわよ。

主人公は、時空を超えた恋愛を経て、幸せを獲得する寸前で、時空によって引き裂かれる。本当は再開してたんだけど、気づかないまま、しかし、それがきっかけで主人公は時空を超え、その人の若い頃に旅立ち、恋に落ち、引き裂かれる。

主人公は、もう巡り逢うことが出来ないヒロイン(ジェーン・シーモア)のことを思いつめすぎて食事も摂らなくなり、憔悴。薄れゆく意識の中で、先に旅立ったヒロインと、再開を果たす。

命を落とすくらい衰弱してまで想い詰めて、その果てに、人生を棒に振ってしまうくらいまで、進み続けた主人公。それが私の心を打った。そこまで想いつめる人って、ほとんど見たことない。

その映画のサントラを聴こうとすると、Youtubeの広告がガンガン流れる。おおよそ、お金儲けの話だったりする。関連動画では、生き方についての動画。人生について、悟りについて、願望実現について・・。今って、あふれんばかり。しかし内容は、みんなおんなじ。つまり、これ作ってる人って、悟りも、何かを成すこともしないで、ただ視聴回数が稼げるから作ってるってこと。当然、心に響かないわ。

いっつも思うんだけど、あのような動画って、人と違う、革新的な思考法を説きながら、よくよく聞いていると、「しかし○○ということではありません」とか、「それは周りを無視した行動をしていいというわけではありません」なんて、「社会の常識」的な考えや横やりが入る。

何言ってるの?偉業を成し遂げた人間なんて、社会に迎合なんてしていない。皆とことん、自分の道をまっすぐ進むために、大きな危険をおかしている。破産やホームレスなんて当たり前。人間づきあいが全くダメで、周りの人間からダメ出しをされまくっていた、とか、そんな現代でいうところの「ダメ人間」ばかり。

願望実現・引き寄せ法則・自己啓発動画に、現代社会的な修正が入る、ということは、この動画を作っている人間が、現代社会の枠を飛び出てない、ということ。だってあの手の動画って、作成者がまったく見えない。何を成したうえで、あのような悟りについての動画をつくっているのか分からない。

オカモトタロウって、いるよね。芸術は爆発だ!で有名の、作家・岡本かの子の息子さん。私が生まれた直後に亡くなった、天才。リアルタイムで見てみたかった。なぜなら、この人、本で言ってることが、とっても共感できるから。このひとって

「迷ったらダメな方を」

って言う。その内容をみてみると、本当にダメな方を選べ、というの。全部を敵にまわす。命の危険すら生じるような、ダメな方へ。「こっちに行ったら世間のすべては反対する」ほどダメな方へ、行くことを、自ら宣言している。本当に、現代社会の常識に言わせたら、「そっちだけはだめ」という方へ行くことの重要性を、堂々と言っている。ダメな方へ行った方が、生命の活力が「モリモリっ」と湧いてくるからいい、みたいなことを言って。

これなのよ。これこそが、過去の偉大な業績を成し遂げた人間たちの通った道なんだわよ。成功してない時はきっと、まわりからボロカスに言われていたと思う。多くの人に笑われ、あいつはダメだ、あいつは終わった、と言われていたと思う。周りに迷惑をかけ、わずらわしく思われていただろうね。

エセ成功の法則提唱者どもは、間違ってもこのような道は選ぶまい。動画ですでに、そう言ってるし。この連中の動画の通りに行動したら、まちがいなく凡人決定だわね

私の身近にいる困ったさんは、オカモトタロウそのもの。ありえない選択をする。100人中99人が選ばないような道を歩んできた人だった。私はそれを、ずっとそばで見ていたから、同じような反応・コメントをし、同じような場所に誘ってくる、スマートさを気取ってるもやしバカどもが、つまらなくてたまらなかった。

人の見てるところで、格好つけてるんじゃないわよ。本当のすごみは、人の見ていないところで積み重ねることで生じるの。そしてその積み重ねは、あまりに膨大な時間の中で、ずっとずっと、行われてるものなのよ。だから、誰も対抗できないのよ。気づいた時には、この人は、圧倒的な時間の積み重ねのアドバンテージを持っているから。なぜ自分がまける?と食ってかかって言ってきたもやしバカがいた。かなうわけないでしょ。あんたが、気晴らしや、店での無駄遣いをしている間にも、この人はフィールドに立ち続けていたのだから。私はいっつもそれを、見てきたからわかる。言いようのない、そこに「在る」ことから出る雰囲気は、この人からしか感じたことが無いのよ。

何を思ったか、口説いてきた合気道の師範は、ふわふわしていて、軽く感じた。同じ武術家とは思えない。絡んできた、何かの武術の連中は、まるでゴロツキだった。気高さのかけらもない。すべてを備えているのは、、このタロウしか、私は知らない。

また今回も、オカモトタロウだった。多くの人がきっと、「何やってんの!」って言うような道を、いっつも震えながらも選んだ。私は歓迎するわよ。そして当然の行動だよね。自ら、原点として君臨し続けることを選んだ人だから。この人は、源泉として行動し、源泉として、今この時に「在る」のだから。私が、まっさきに支持する。

私もワクワクしていた。これからどうなるか。来年の今ごろ、どこの星の下で、この人と練習しているのか。諸行無常の生き写しのような、このタロウと一緒にいると、先が見えなくて、本当に楽しい。空(くう)こそ、すべてなり。私はこの人から、空の実例を学んだ。

ありがとう。ずっとこれからも、支持してあげるから。

歴代を個人崇拝しないこと

歴代になる者は、師にむかって、叩頭をする。私もそうした。親であっても、である。

これは、師に対する服従なの?そうではない。そうなら、わたしはしないね。一番近くにある、「真実」に対する敬意である。そして、すぐそうなる「自分」に対する敬意である。わかる?私も言葉では言い表しにくい。

館長は言う。私は崇拝される存在ではない。私どころか、董海川開祖や、その他の歴代も、崇拝されるものではい。いずれあなたもなるのだ、いずれその立場になるのだ。もう耳タコです。

何を崇拝するかは、叩頭の儀式にヒントがある。師と共に、より大きな深淵なるものに対する叩頭がある。それすらも崇拝されるものではない。私の内にあるもの、よくわからないもの。それは外にあり、内にあり、そして全部が同じである。

老子とか、ヴェーダンダを読んでいると分かるのだが、外にある絶対的なものに対する服従、ではないのである。それは自分の内にも存在しているし、外にもあるし、実は全部一緒なのである。

転掌八卦を追っていると、そこにはいろんなヒントが湧いてくる。もしそれが外にあるものならば、何かしらの啓示が、外からしか見えない。しかし、自分が自分の最良の師(館長がよく言う話である)になる過程で、そのヒントは、外よりも、内から、湧いてくる。こんなこと、よく思いついたなって、そう思う時が。

私、成績は良かった。テストで順位がある時代は、テストでは、いつも上位だった。これは自慢じゃないからね。ここで自慢しても、仕方ないでしょ?そこから続く話があるんだ。そのときは、テストの点を取ることだけだった。人に認められる。他人との比較だ。

しかし、ある難問が分かった、ということはあっても、自分の内からの、ハッとするようなことはなかった。学年で一番になったこともある。しかしそれで得たのは、優越感だけ。きっと上には上がいるし。その時の苦闘が、何か人生を変えたと、今考えても思わない。

それよりも、八卦の練習で、人と一緒にすべりながら下がっていくあの感覚を得た時のほうが、圧倒的に感動的。いんや、比べ物にならない。

学校の成績とかって、誰もが自慢したがる。どうでもいいことなのに。私も天狗になってそうなって、今考えると、なんの感動もないし、どうでもいいことなのに、転掌八卦の、分かった時は、違うのよ

私は何を求めていたんだろうと、思う時がある。外っ面ばっかりだった。真実は、内にある。一生懸命、いいとこ見せようと、悪ぶったり、ワイルドっぽくするけど、むなしく見えるだけなのに

転掌八卦の中核技は、単なる一つの、やり方に過ぎないってことも。ブルース・リーと、館長は、おんなじことを言っている。それをずっと感じていた。私がそれを教えてあげてから、館長は、彼を好きになった。しかし、館長は、今でも、人に相手にされない人だけど。

でも私にとっては、ヒントをくれたメインの「外なるもの」だ。わかる?

これを書くと、個人崇拝するな!って言われそう。伝えた者より、伝えられた内容を重視し、それを自分にしてしまえ、そしてじぶんのいちぶんしてしまえ、これがやっと、この年になって分かったかな。

学生の頃の自分に言ってやりたい。いつも言われていたのに、ただ噛みついていただけだったな、私は。

人は人のことなど気にしていない。は嘘ね。

人は、自分が思っているほど、人のことなんて気にしていない。そうよく言われるが、そんなことないね。

私のことを気にしているなら、それは明らかにわかる。

自信をもって言うことができる。私は外で、人のことなんてほとんど気にしていない。海に行く。海岸に立つ。人はいる場合もあるが、私は海しか見ていない。そこにいる人間のことなんて、気にしていない。でも人は、そうでないようだ。

転掌の目で見ると、全体を大きく瞬時に見渡す。視界の端っこにある動きも見逃さない。顔を動かない状態で、自分に意図を配っている人間の動きが分かる。これは職業病である。

後輩らに言うが、館長が頭を動かさないのは、この眼力が養われているのもある。それ以外の理由もあるが、眼力を鍛える意味もある。知ってた?もし知らなかったのなら、せめて頭に入れておくこと。頭に入れても初心者はできない。でもそのポイントを知っておくと、いつかフッとできていることに気づく。

転掌の移動練習をしていると、もはや目標物を見る必要はない。通り過ぎるだけである。安い

自分は海を見たかったから、この場所に来たんだ。人と交流するための来たんじゃない。

私は趣味で、色んな場所に行く。そして、人のほとんどいない場所が好きだ。没頭したいから。しかし没頭できないときもある。見たこともない人が声をかけてくる。こいつは、人と交流したいのか?何のためにここに来たのか?

私は趣味をしにきただけだ。それだけなのに、人と関わりたがる人間が最近多いため、魔除けが必要である。

魔除けも私の行きたがる場所と同じような場所に行きたがる。しかし魔除けは、海で釣ることが好きなので、最近海の絵ばかりとなる。かといって、一人で出かけると、声をかけられ大変面倒くさい。

へぇ、いいねぇ、絵なんて・・俺も、絵でも描いてゆっくりしようかな?いつも来てるの?

それ、どうでもいい。もうここには二度と来んから、安心してむこう行ってろ。

転掌八卦門として、世界武術・転掌を支えていく

八卦掌水式館は、世界武術・転掌の拡大と浸透化を支えていくために、伝承のための門「転掌八卦門」を形成します。

北陸本科のページを見ている人であれば、お気づきかもしれません。現在、護身術指導と伝統継承の二つの指導フレームを作成しています。

転掌の護身術としての素晴らしい特徴に絞り全国に伝播させるため、極限までシンプル化し敷居を低く習いやすいくし、隅々の諸氏に届けるための方法を具現化してきました。しかし独学システムを構築するまで打ち出してきた多くの施策は、全国の諸氏に届けるうえで敷居の高いものであり、弊館指導部の対応力も無尽蔵ではく、限界を感じるものでした。

この点を踏まえ、独学者のテキストに徹した書籍による最低限にして十分な護身技術の教授に限定することで、『売り切り+自動サポート』のシステムを構築、独学での習得の現実化と、リリース後の対応力の飛躍的向上を実現しました。この実現により、多くの力を、世界武術展開に向けることができるようになりました。

いよいよ、世界武術への本格的始動が始まります。護身術の全国・全世界への波及を実行していきながら、まず日本国内にて、転掌八卦門の成立を宣言致します。

水式館にて全伝を授かり掌継人となった者は、自動的に、八卦掌の代継門人・転掌の掌継人に加え、転掌八卦門の伝人とします。

厦門転掌門楊家より館長・水野が受け継いだ董海川先師創始のままの技法は、楊師爺の師伝によってしかるべき人間にお伝えしていくことを求められています。弊館では、館長と、私を含めた掌継人が、幾度となくその伝承方法を試してきました。

その中で、検討と模索によって打ち出した以下の方策を実行していきます。

  • 常識と思いやりを備えた人間に伝承するため、応募制を採用し、転掌八卦門正式門人となるための選考を設ける
  • 転掌八卦門の門人となることを希望者は、転掌における護衛最高段階たる「並走遁走東西変打虚打」を目指すこと
  • 水式館の現行本拠地(館長・水野の生活拠点のある市町村)は、その都度変わる可能性がある(現在は石川県金沢市)ため、遠隔地になっても半年に一度でもいいため定期的に通う熱意を持つことができる者に限定する

今後、機を見て転掌八卦門への入門を希望する方に向けて、必要な情報を示していきます。