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本当の強さ~称賛されなくても野に立ち、続けること

私は、本当の強さって、向かってきた瞬間、問答無用で打ちのめすことだと思っていたの

でもそんなこと、状況1つで、達成できないこともあるの。多くの警棒護身術本は、警棒を巧妙に振り回して相手の攻撃をさばくものばかり。私はなぜ、我が師はそれを教えてくれないのか、なぜそのような技法を研究しないのか、と思っていた

でもそんなこと、何もできないくらいの状況を味わった、何もできないのよ

私はそれに気付いた時、本当に悔しくて辛かった。相手を倒す、それだけが、目に見える、私が見ることができる強さだと思っていた。もちろん、敵に向き合って、敵の力とぶつかって、それで倒す、というくっだらない次元の中の話じゃないのよ

私は、そんな、「最強」「必倒」とか言ってる脳筋連中ばかりの世界なんて、小学校の頃から反吐が出ていたから。そんなんじゃない。私は小さい頃から、すでに転掌の世界にはまっていた。でも私は、転掌の中核たる、後ろに下がりながらの中でも、いかに相手を破壊するかを考えて練習してきたの。父の教える方法は下がり過ぎだ、これでは当たらない、とずっと感じていた。敵を打ちのめしてやりたかった

だから「当てなくていい、当たらなければいい」を認めなかった。そこまで達したら、それはもう、武術じゃないって、ことあるごとに反抗して、反抗して。そして組手では、常に父を倒しにいった。気が狂ったように攻撃をしたこともあったわ、だって当たらないんだもの。この人が転掌の技法に徹したら、本当に当たらないのよ。私が当てることができたのは、この人が襲ってくる役をしてくれた時だけだったから

でもね、そんな私だったけど、実際の場で私の身を守ることがあった時、破壊行動など、何もできなかった。ただ、当たらなければいい、を何とか実現できただけだった。私は何もできないと判断した瞬間、走って、2キロ近くある店まで行き、そこで助けを呼んだ。いつも強いこと言っていたけど、何もできなかったことの恐怖で、震えが止まらず、父が駆け付けた時には、恐怖から安心に変わって、泣いた

しかし実は、悔しさの方が上だったのかも。父の胸を叩きながら、日頃この人が言っていたことの方が正しかったのだと分かり、敗北感で泣いたわ。私をかすめ取ろうなどと考えたバカサラリーマンなんて、この気持ちもわかるまい。私が追い求めてきたものが、崩れ去った悔しさを!あの犬野郎!

本当の強さって、やり続けること、信じて続けること。誰も味方がいなかったとしても、野に立ち、続けることなの。

正しいやり方、とか、どうでもいいから。続けることなの。これって、いうほど簡単じゃない。苦しい時、気分が乗らないとき、それでもやり続けることは執着であり、目的を達成できない、というクッソみたいな風潮があるけど、頼むから消えろ、副業犬サラリーマンがぁ!この手の動画って、消しても消しても湧いて出てくるのよ、まるで〇キ〇リのようね

この人は、母親が亡くなった時も、誰にも称賛すらされない夜も、とにかくやり続けた。私はそれをふと思い出した。ああ、この人、真に強い人、私はそれに気づいてから、ずっと超えたい壁であり、追い続ける存在だと分かったのよ

達人ってのは、この姿勢、この土台から生まれる。「最強の格闘技は?」なんてネットで質問している匿名バカは、本当にバカなのね、そいつらも消えろ!

私なりに、判断したこと。達人になる方法。とにかく続けること。どんな時でもやり続けること。凄みが出てくる、あれは同じ土俵、つまりやり続けている者にしか分からないわ。クッソ馬鹿どもは、達人から出ている、そんな凄みのオーラすら、感じることができないのだから

今伝えているもの。董氏転掌と楊家転掌式八卦掌(水野義人伝)

先生の流派はどこの流派ですか。

そのように質問されたら、私は今、題名の通り答えを返す。

私は楊家先代師(先代師の意向により名称非公開。代継門人以上には話す。)より、楊家拳をマンツーマンで習った。4年足らずの短い期間ではあったが、私は高校生にてすでに掌継人(以後の人生を通して大成させよ、の条件付き)となり、以後研究を重ねてきた。

私の目標は、先代師より受け継いだ技法を自分のオリジナルとなるくらいまで高め,自分独自の流派を創ることだった。

日本にも、自分で名前を付け、自分で技術体系を組んで、新しい門派を創った人が幾人かいる。とても尊敬できる。凡人は、創られたその門派が、その後栄えたか否かで、その門派の価値を判断する。多くの門人が集まったらすごい、などだ。実にくだらない判断基準であると断言する。多くの門人が集まる、とは、凡人にとってその技術体系が親しみやすかっただけのこと。内容が革新的であればあるほど、凡人には理解されず、人も集まらない。

過去の例を見ても、多くの芸術が、凡人の価値判断力のひくさゆえに、埋もれてきたではないか。宮女開祖の創った、転掌式八卦掌は、弱者使用前提の技術体系が稀有であることを見抜いた宮女開祖が、その技術体系を守り残していくために、あえて世の流れに反したものを残した。

それが仇となり、宮女開祖が伝えるものに人は集まらず、転掌式八卦掌は、半ば強制的に、楊家の家伝武術のような状態となった。宮女開祖は失意のままにこの世を去り、それを見ていた後代師らは、伝えられた技術を家伝武術として伝え続け、縁あって、日本の私に伝わったのである。

私は自分の門派を創る野望を持って日々練習をしてきたため、独自の門派を形成することの難しさを思い知っている。そして私は、未だ自分の独自の門派を形成できない。なぜなら、私が習った転掌、そして転掌式八卦掌の技術体系を上回るものを、まったく創り出すことができないからである。

私の先代師は、極めて保守的な指導形態であった。私は最初、斜めに移動する形意拳の劈拳を、八卦掌の技だとして指導された。其の教室に来ていた中年の男性諸氏らも、同じようなものを習っていた。その男性らは、家であまり復習をしないようらしく、いつも同じようなものを習っていた(それは後で先代師から聞いた。練習してこないことが分かるから、新しいものを教えなかったのだ)。

自分たちの伝えてきたものの栄華を捨ててまでも、守り通してきたものに誇りを持っていたのだ。私の練習態度と志望動機が先代師に気に入られ、指導する時間を他の日本人生徒らとずらしてから、本格的に転掌を教えてもらうこととなった。私はすでの、多くの道場を見て中国拳法や空手などの技術体系を見続けてきたが、ここで示されたものはまさに衝撃的だった。なぜなら、私が追い求めてきた状態に達することができるものだと、直感的に悟ったからだ。私が追い求めてきた状態とは、あのいじめの戦いに戻ったら、いじめ側を圧倒して、同級生を守りきることができる状態、である。

その後はただ黙々と、転掌と転掌式八卦掌の技術を磨いてきた。とにかく一通り理解することが先決であった。先代師に指導を受ける際は前日土曜日に新しいことを学び、その夜ほとんど寝ることもなく習った技術を繰り返し、次の日の朝にチェックしてもらう。チェックしてもらったら、それを再び練り、日本人への指導が終って帰ってきた先代師に、再びチェックしてもらう、であった。そして次の関東訪問まで、今まで先代師から習った技を、ひたすら繰り返す日々だった。そしてその生活は、今でもほとんど変わらない。

長いこと一人で練習してきて、その都度現れる多くの課題を乗り越えても、また乗り越えても、また新たな可能性を生まれる。転掌では、双換掌こそが基本型であるのだが、双換掌は洗練させればさせるほど、目指したい光の先が見えてくる。董先師はここまで考えておられたのか!宮女開祖先師は、このようなことまで整理なさっていたのか!と、嬉しさ半分の、良い意味で愕然とした気持ちが湧く。その驚きが、また私を練習に駆り立てる。飽きるなんて、あるはずがないのだ。

教室を持って指導をしていると、一回単換掌を習って、それきり来ない連中が多い。単換掌も舐められたものである。日本人の多くが知っている董海川先師の伝えた技法は、決して浅い物ではない。私はいまだに、その深度を測り得ないのだから。

私は、楊家拳の伝承者として、これ以後、護衛官武術としての技術を前面に打ち出して、指導を進めていく。一般人向けに、護身術として指導してきたが、多くの曲折を経て、護身術は「自分護衛術」として指導することができると悟った。

董氏転掌と、その全伝を受け着いた宮女開祖の創始した楊家転掌式八卦掌。そこに伝わる、段階的な護衛技術を指導する。それは

一段階目:「一定時間生存術」による自分護衛術
二段階目:電撃奇襲の理「勢掌理」を加えて対多人数相手に要人おとり護衛を実現する要人おとり護衛術
三段階目:洗練された間合いの感覚と斜め後方スライド転身技術によって、要人を側近護衛、随行護衛する、並走スライド変則撤退戦護衛術

の3つである。

天才は、凡人に失敗だと笑われても歩き続けるものだ

今回の転掌護身術の基礎講習会は、色んな場所で行われる。そしてこの講習会を終えると、私の講習会開催数は、70回を越える。

現在68回である。そのうち、人が来たのは、10回もない。今回の講習会でも、以前から活動し続けていた地域では、講習会情報のクリックすら少ない。

人は言う。まだ尚早だ。人が来ない、ということは、魅力がないからだ。何が再興祖だ。〇〇だからうまくいかないのだ、と。

何を言ってるんだ。ふざけるな。何もしらないド素人が、私に対して何を言えるのだ。ありのままの事実を言っているだけだ。私こそ、そのようにいうのにふさわしい。私こそ、再興祖で在る唯一の存在なのだ。

凡人どもの指摘は、あまりに的外れで、反論の価値すらない。私の提唱しているものが、人と同じような者しかできない凡人どもにとって、刺激が強すぎるから、だけのことだ。あまりに違い過ぎて理解できないだけだ。人に認められることは、その内容が価値がある、と同義ではない。人に認められる、ということは、人と同じようなことをしていることの証拠でしかない。私は、その他大勢の者らが群がるものは、今までの人が創ったもののリニューアル品でしかないと確信している。

かれらにそれがわかるはずもない。

八卦掌では、個人サイトで1位の検索順位であるのに、八卦掌の先生らのチャンネル登録者数に比して、脅威的な少なさを誇る。600人程度である。これこそ、天才の証である。私の提唱する技法が、あまりにとびぬけているから、習得を二の次としてる暇つぶしの愛好家どもに理解できないのである。

私が転掌の核心についての動画を上げると、必ずと言っていいほど、登録者が減っていく。素晴らしい。その他大勢の枠内にしかとどまることができない凡人が、消えていくだけである。

いつもそうである。時代はいつも、私の後についてくる。砂浜で、ルアー竿で、20cmのばかでかいルアーを投げることを、フロー状態に入る動的座禅として利用していた。当時砂浜でルアーを投げスズキを狙うことは、ほとんどだれもが思いつかない笑われる所業だったのだ。

ダイワのフィールドテスターが、その所業を世に広めてから、砂浜や河口に、多くの凡人どもが押し寄せることとなった。今じゃ、どこのマニアックな砂浜にも、ルアーを投げる連中であふれかえっている。凡人のたまり場になってしまった。つまらない。自由に行き来できなくなった。

しかし私は、フロー状態に入りたかった。座っているだけではつまらない。投げて巻いて、ひたすら投げて、そして時折食いついてくるスズキをねらうのが、楽しい修行の一環となった。ときおり、一番弟子もルアーを投げる。その腕前はなかなかのものだ。彼女こそ、動的座禅の提唱者である。私と娘が持っている竿なんぞ、砂浜に最近あふれかえるようになった凡人どもの竿に比べたら、安物である。しかし私たちは、動的座禅によるフロー状態を求めているのだ。

投げて、巻いて、時折、魚食魚に追いかけられる小魚が砂浜に打ち寄せられるのを見て、また投げて・・・これを動的座禅ととらえている人間はどこにいる?おそらく、私と娘だけであろう。

講習会の金額について、よく質問がある。高いから行けません。もっと安ければ・・・。

その人間にとって、私の伝える武術の価値が、低いだけだ。質問者にとっては、3000円程度の価値しかないのである。私は、11000円でも安すぎると思っている。質問者に言いたい。君は人生において、3000円の価値しかないものに時間を費やすのか?どうせならもっと価値のあるものに費やすべきだろう。

質問者にとって、わたしのつたえるものはほぼ無価値なのだ。私はそう思っていない。私は価値あるいのちを賭けうるものだから伝えているのだ。価値を見出せない者に、私は用はない。

講習会について、積極的に宣伝を打たないのは、それゆえである。私の告示をみて、高い、遠い、用事がある、そう考える人間は、その程度の情熱しか私の伝えるものに費やすことができないのである。続くはずもない。

愛知から石川に移行して、なんらかんらの用事で来れなくなる人間、雨だから来ない人間、そういう人間は、正直いらない。避けられない用事とかなんとか、どうでもいいのである。来る気があるならば、とっくに来ているはずである。来ないのだから、その程度なのである。

ハッキリと言わせてもらおう。中国拳法を日本人が極めるなら、全身全霊をもって飛び込まなければ、極めることはできない。なぜなら、中国の先生は極めて保守的で、片手間人間に決して中核を指導しないからだ。今も昔も、まったく変わらない。用事があります、雨だから行けません。それに対する先生の返事はたったひとつだ。

君はもう来なくていい

色々と型を教えてくれる。八卦六十四掌を知っている。あれもこれも知っている。六十四掌のような、交流型を知っていることが何だというのだ。それはお客様だから教えてくれるのだ。しっかりと君はお金を払っただろう?その対価として、交流型を教えてくれたのだ。中核技法は、お金ではない信頼によってのみ、伝授される。

信頼を得るためには、どのような状況下であっても、なんとしても通い、練習し続けることだ。それをできる者こそが、天才なのである。私の周りには天才しかいない。言い換えるならば、天才以外、すべていなくなった。

愛知から石川へ行ってしまったから・・・それまでだ。それは言い訳にならない。私は中学生の時、関東まで通ったのだ。すべてを賭けて、一生懸命練習したのだ。だから私は天才のままで年を重ね、天才だからこそ得る境地に達したのだ。

日本の護身術は、転掌式八卦掌の復活をもって、ついに夜明けを迎える。

命を賭けた生存術を習いに来るといい。私は、情熱を持つ者にのみ、その全伝を授ける。生粋の伝統門で育ったからこそ、その対応が正しいことを知っている。

来たれ、情熱を宿し続ける天才よ。

中国拳法の閉鎖性を侮ってはならない

中国拳法の秘密主義・よそ者不歓迎の実体を侮ってはならない。それは、私自身が、身をもって体験したからわかることだ。

例えば、いきなり道場破りに来るような人間が、返り討ちに遭って、その後頭を下げて入門を願う。そうしたら、「特別に教えてやろう」とその先生が特別に認める。

そのようなことは、私の経験から、ありえない。いきなり道場破りに来るような人間など、その才能が垣間見られたとしても、弟子にすることなどない。危険だからである。弟子の立場であった者が、師をあやめ、その門を乗っ取ることなど、いくらでもあった。国家単位で、下剋上が常に行われていた過酷な歴史の中国では、そこで生まれた武術も当然、謀反人に対して寛容ではないのだ。

それは、「〇〇門」などと名乗っているような伝統門であれば、なおのことである。つまり、八卦掌水式館の「転掌八卦門」でも同じ、ということである。私の元にも、過去3人ほど、腕試しの意図を持った人間が来た。当然、返り討ちである。そして、その瞬間に、永遠に「帰りなさい」である。そのような無礼の極みをした人間など、以後どれほど礼を尽くしても、教えることなど無いのだ。

いきなり「道場破り」などという極端な例を挙げてしまった。では、一般の門下生にはどうだろうか。

練習をしない者には、その門戸は開かれない。それが結論である。そして、中国の先生は、日本の先生みたいに「もっと練習しろ」などと言ってくれない。一度くらい言うかもしれないが、以後は言わない。もうその時点で、彼はそこの場から先に進ませてもらえないのである。練習しろと、言ってもらえないところが、中国拳法の世界の厳しいところである。練習しろといってくれる先生は、本当に優しいのである。

過酷なのは、教えないが、お金はとり続ける、という点である。練習しない人間に、本当に強くなる方法は教えないのである。ウソを教えるのである。もしくは断片的な基礎を永遠に、教えるのである。日本人の価値観からすると、「お金をもらっているのに教えないなんて・・」と思うかもしれない。しかし中国では、そのような道義的な価値観などないのである。いつまでたっても、本腰を入れて練習もせず惰性で続けているだけだから、教えない、のである。

日本の愛好家は、自分のペースで修行したがる。自分が何を習うか選び取って、自分にとってメリットとなる体系だけを、効率よく学ぼうとする。そのような姿勢を中国の先生が見たら、即効で「お客様」扱いをされ、型だけを教えらえ、お金はしっかり取られ、帰らされる。

日本の愛好家には、拳法の重要な中核技法を、無料でかすめとってやろうという人間が本当に多い。そしてこともあろうことか、教えを請うう先生に対し、値切ったりする。問題外である。私を含め、中国拳法の伝承者になるには、皆、膨大な時間・労力・お金を費やし、貫くことで多くのものを失っているのである。楊師もそうであった。過酷な経歴を聞いた。これは誰にも言うことができない。

よく問合せに、「遠いから行けません」とか、前々からわかっている指導日に、「その日は仕事が入る可能性があるからいけません」などというものがある。来る気があるなら、来るだろう。行く気があるなら、前もって日が分かっているのだから、仕事を入れない努力をし、来るだろう。

その者にとって、習うことは、日常生活を送った後で余力あれば習うもの、なのだ。そのような片手間感覚を、長年多くの人間に指導してきた中国の老師先生はすぐわかるものだ。私もすぐわかる。こいつは練習してないな、こいつは次には来ないな。そしてその直感は、おおよそ当たる。指導してきた100人近い人間の中で、心から、「学ばせてください」という気持ちで向き合ってぶつかってきた人間は、ほんのわずかである。そしてそのわずかな人間だけが、掌継人となって、全伝を受けることができるのだ。

日本人にとって最も過酷な、「外国人に対して教えない」という事実。これについて、私は本当に、恐ろしくなる。私は学生時代、関東で楊家武術の伝承者に指導を賜った。

最初の半年は、八卦掌と言われながら、斜めに移動する形意拳を教えられていた。違うものを偽って教えられていたのだ。それが中国の老師の、人を試す方法なのである。私は月2回、関東に通った。そして、習ってから愛知に帰ってからは、とにかく徹底的に練習をした。私の拳法を始めた動機が、私をそこまで駆り立てたのである。

「シュリーイェ(水野)よ、お前はなぜ、いつもそんなにやるのだ」

楊師の問いかけに、中学生の私はなんのためらいもなく、私が始めた動機・きっかけを話した。こんどこそ、大切な人を守る。こんどこそ、と真摯に訴えかけた。それが師のお目にかなったようである。

「次からは、前日の夕方と、日曜の朝に来い。そして、昼には顔を出すな」

そして次から、土曜日の夕方に個別に習った。そこで初めて、斜め後方スライドの転掌式八卦掌を習ったのである。

「この技法は、もはや誰も練習してないものだ、お前のような人間には、役立つだろう。いいか、昼に来る大人たちには見せるな。そもそも昼に来るな。」

私は土曜日に習ったものを、拠点となっていた親戚の家の前で夜通し、練習し、そのまま日曜の朝に出かけた。それくらい、衝撃的で、感じるモノがあったのだ。明確に覚えている。「これだ!」という感動を。私の前日からの進歩を、その都度、師は目を細めて、喜んでいた。そして楊師の私を呼ぶ名が、「シュリーイェ」から、「イーレン(義人)」に変わるころ、代継門人(転掌8世)となった。その積み重ねの日々があったからこそ、転掌の伝承を受けることにつながったのである。突然訪ねて頭を下げて、いきなりよそ者が教えてもらえるはずない、と私が言い切ることができるのは、その経験から言っているのである。

楊師は、私が書籍で発表した内容を含めた転掌の全伝技法を、特別のものとして扱っていた。だから、日曜の昼に来る、進歩しているのかどうか分からない程度の練習しかしてこない日本人に、お金をとって「ウソ」を教えていたのである。

それがいいか悪いかは、さておき、これくらい、伝統門で育った中国の老師というは、閉鎖的なのである。だから中国拳法を学ぶ者は、まずのその門派の入り口に立つことである。紹介状などを求めて特別扱いしてもらおうとする人間が私の元にも来たことがある。

しかし、そんなもの、何の役にも立たない。中国拳法の師に信頼され、その全伝を受け継ぐための唯一にして最速の方法は、誰もが立つことができる入り口に立って素直に学び続けることだ。その人間が今までやってきた武術について、師にとやかく講釈を垂れる何ぞ、もってのほかである。素直に学べ。その武術については、その者は初心者なのであるのだから。

この文を読み、反発するならば、あなたはいつまでたっても、本当のものを教えてもらえない。私も、この文を読んで反発するような人間に、教えることはない。一通り学んでもいない人間が、何がよくて何が不要か、など分かるはずもない。私は楊師よりその技術を一通り学んだ時、とても自信がなかった。しかし毎日練習場所に立ち、続けることで、私の身体という、もう一人の師が、転掌の深い部分を、教えてくれくれたのである。

その「もう一人の師」に逢うためには、だれもが通る道を通り、そこで腰を据えて練習をし続けることで一握りの存在となり、全伝を一通り受けるプロセスを経る必要がある。

厳しいだろうか。そんなことはない。だれもが通る道は、誰もが通ることを認められているのだ。つまり、だれもが、スタートラインに立つことができるのである。そういう意味では、一族にしか教えない家伝武術と違った可能性がある。

私は、この厳格な道を、私に続く者に経験させる。そうすることで、きっとその弟子は大きな誇りを得るからだ。気軽にサックっと学びたいなら、そのような場所に行けばよい。私のところは、中国伝統門で学ぶことのやり甲斐を感じることができる、国内有数の伝統門道場である。変えるつもりはない。

探すものではない、目的というもの

私は幸せである。物心がついた頃から、目的となるものが前に居て、それをひたすら追いかけてきたのだから

私はただ、おいかけてきただけだった。目的となるものが、余りにも浮世離れしているものだから、わたしもどんどん不適合者になっていくわ

人は私のことを、やれ空気を読まないなどと言ったりする。でもそれは私のせいじゃないのよ

目的が、目標が、余りにも現実から離れているからよ。でもこれはとても幸せな事なのよ。みんなと同じはぜったいに嫌だから。同じが嫌な自分にとって、この目的は最善のものだった。

時折思う。みなと同じが嫌なのは、きっとこの目的たるこの人が原因なのではないかと。皆と同じが嫌、のおかげで、私は散々、色んな人とぶつかってきた。人と違う道をひたすら歩むこの人がいつまでも違う道街道を進み続けるから、もう他の道が考えられなくて。私はきっと、洗脳されたのね

おおよそ、心底幸せを感じるような目的なんて、探すもんじゃない

私に言ってきた連中どもは、誇らしげに、自らの旅の無鉄砲さをアピールしてきた。武勇伝になっているものばかり、それですごいなんて思われたいの?

人に凄いと思われたいから、目的が欲しいの?それも、内容にこだわっている。世間がすごい、と言ってくれそうな内容を求めている

だからみんなと一緒になるのよ、自分探しでイチイチ旅に出ること自体、もう演じてるよね

そんなもの、探すものじゃない、目的を持つことに、前向きな理由じゃないときもある、私の目的たるこの人は、この人自身が目的を持つ時、余りに苦しんで、この人が今持っている目的を持たざるを得なかった

目的が人を苦しめることもある。目的は、自ら求める者ではないときもある

聞いてみた、その目的がなかったら、どうしていた?

拳法はしなかった、鉄道模型を作って・・・今周りにいる人たちと、時は過ごせなかったが、それで救われたこともあっただろう、って

そうなっていたら、私はどうなっていたのだろう。楊家拳を修めることはなかった、もう少し、凡人になっていたのかも

この人には悪いけど、それはもう考えられない。目的は、私の意図で生じたものではないのだから、「もし」を考えるのは、もう怖いから、ここあたりで、やめておく

どちらにしろ、戻ることは無いのだから、私はこれからも何も考えず、目的を追いかける。何も考えなくてもいいのだから、わたしはやはり幸せなんだと思う

語り継ぐこと~生殺与奪の術を受け継いだ者として

語り継ぐ。伝え渡す。多くの出逢い、悲しみ、別れ、導きを経て、私はひとつのバトンを受け取った。

それは人の生き死にをも左右する、中国の武術である。その道のりは険しく、多くの人の涙を伴った。二度と逢えなくなった人もいる。

重大な道程の中で、自分はその技術を正確に伝えることを心掛け、「兎にも角にも練習し続けること」を最大最高のルーティンとしてきた。

どんな時でもフィールドに立ち続け、伝えられた型の意味を考えながら、先師の意図を推しはかり、確立してきた。

伝えられたもののなかには、あまりにも残酷な技法もある。それは仕方のないことだ。庶民までもが、虐殺の対象に当たり前になりうる太平天国の乱当時に生まれた武術である。そこに「遠慮」や「人道的配慮」などあろうはずもない。

自分の身を守るために最も有効な手段は、相手の命を奪ってしまうことだ。転掌はまだ、そこまでの残虐性はない?とんでもない、道を極める者は、その残虐性とも、向き合わねばならぬ。

転掌八卦門が、一定時間生存術以上の技法を、正式門人以外に指導しないのは当然である。一定時間生存術以降の技術をも、無料で自分の都合に合わせて習いたがる人間がいる。

中国拳法の秘密主義・保守的主義を軽く見ている。私自身、先代師より本当の転掌正式課程を習うまで、一年弱の期間を経て、やっと転掌技法を教わることができたのだ。

そして先代師より、師自身の名前・楊家開祖の名称・絶法技術体系などの公開を禁止されている。「〇〇門」とは、固く閉ざした門の中で、一部の、ずっと練習をし続けると認められた者だけに伝える閉鎖的な指導方針だったから、そう呼んだのである。

漫画かなんかで、三日三晩頼みこんだら教えてくれた、などの話があるが、それは考えられない。中国であれば、三日三晩頼み込んだ者にはお金をとって伝えられているものと違うものを教える。そこで覚悟、とか、人格を見て、本当に気に入られたら、初めて本当に教えられている者を教えるのだ。私も一年に及ぶ期間を経て、やっと本当の転掌が教えられた。それまでは八卦掌と言いながら、斜めに動く形意拳を教えられていた。しかしそれらもあまりに練習した為、今でも得意であるが。

武術愛好家は、武術に取り組む姿勢に、自分のスタンス・ペースを貫こうとする。しかし真伝を伝える伝承者にしたら、それは都合のいい時に来て、いなくなる、信頼のできない訪問者にしか見えない。人にものを教わる時の態度からしても、そもそも失礼である。そのような者に教える中国拳法伝承者はいない。私も教えない。信頼できない。昔であれば、教えた瞬間に命を取られることだってあるのだから。

先ほども言ったが、人の生き死にをも左右する技法を、抜き差しならぬ人間になど教えないのは当然だ。突然眼の前に技法を受け継いだ謎の達人が現れて技法を授けてくれるなど、漫画の見過ぎである。

出し惜しみ、だとか、秘密主義だとか、そう言った的外れな批判をする者がいる。

重大な技法を受け継いだ者には、それを、人を殺めかねない不適切な人間に伝えない義務がある。そこが一番重要である。これは何ら秘密主義でもない。いつの時代も社会から武術家に要求される、守るべき義務なのである。

夕暮れを見ながら、私はいつも、伝承者となったことの意味を考えている。転掌式八卦掌の確立など想像もできない未熟者だったころ、元ちとせさんの「語り継ぐこと」を聞いて、こうなりたいと思っていた。責任は重たいだろうが、こうなりたい、この技法を全国に伝えたい、そう願っていた。

そして今、確立をして、伝承者として、身に起こるすべてを受け入れながら進んでいる。不必要なものはほとんど、必然的に、手元から消えていった。

あれこれやりながら・・・と思ったりもしたが、している暇がないのだ。そして余裕もない。あれこれやるつもりなら、そのために余分に、働かないといけない。しかしそれはしない。そうなると、強制的に練習と伝承活動以外、何もできなくなる。

それでもいい。元さんの歌にあるように、時代のうねりを渡って、荒波に飲まれながらも、進むのみだ。私はこれだけだ。私は、語り継ぐ者として、語り継ぐために、残りの生を使い切るのだ。そのために、生涯、転掌式八卦掌の職業武術家で「在」り続ける。

必ずバトンは、私から次の代へ渡すのだ。そしてそれがずっとつながれていくよう、迷いのない形で、引き渡す。

すべては、語り継ぐ技法によって、守られるべき者が守られるために。

この想いに賛同する者よ、我に集え。未来の掌継人よ、守るべき者を守るために、生殺与奪の術まですべてを受け継ぎ、後代へとつなげ。

実戦経験~満点のとりにくい試行錯誤なもの

今、なぎさドライブウェイより、このブログを打っている。

実戦とは満点の無いものである。そしていつも、後になって「ああすればよかった」と思うものである。実戦について、水式館で実戦経験の最も豊富な一番弟子とよくその話をドライブウェイでしていた。今日はいい機会である。

私も、私の子らも、多くの実戦経験を積んだ。それは人間相手であったり、獣相手であったり。獣相手は私だけだが。

彼女らと話していて分かることは、後になって誰もが、「もっとああすればよかった」と思っていることだ。

実戦経験は、突然やってくる。なんの前触れもなくやって来る。私は、なんの前ぶれもなくやってくる突然の極限を、弟子らにも少しだけ味わってもらいたいと思っている。

そのために、練習中に、突然、緊張する場面を用意する。今回の講習会では、複数人がいたため、突然、多人数戦を経験してもらった。

掌継人には、私が熱くなった状態で向かってくる緊張感を味わってもらっている。何度もこの手を使ったので、バレバレとなってしまったが。

しかしいつも、それなりに緊張してくれているはずである。

私自身、多人数組手をする予定であったが、いつ披露するかは全く決めないで臨む。公園内の人の流れ、周りに人が居なくなったタイミングなど、いつ行うかきめられないこともあるからだ。自分が襲われる側となると、近くに人が寄ってきたことが分かりにくくなる。自分が襲われる役の場合、完全に周りに人がいなくなった状況でないと、できないのだ。そしてベストのタイミングが来たときに、突然、多人数戦を行う。それは、模範を示す立場にとっては大変なことなのである。いきなり動けなければならない。模範を示す以上、いつでも、最高の手本を見せなければならない。いつ多人数戦の模擬を行うことができるか、分からない。タイミングが来たら、どのような状況であっても、ベストの状態で多人数戦の模範を示す必要がある。

それを実現させるためにはどうしたらいいのか。先ず第一に、いつでも動くことができるよう、毎日練習することである。そして、体重をふやさないなどの身体管理をすることである。そして究極的に、どのような状況であっても、敵の急襲に際し、敵の力の反対側へ移動し、距離を創出することができるように、基礎練習を繰り返すことである。

多くの方が、自分がいきなり人に襲わせて、すぐにトップスピードで動くことができることに驚く。準備体操なんていらない。練習は、その日の未明には終わらせているので、自信がある。これは大きい。そしてやはり、身体もすぐに動く。

この私の教えに、最も忠実に取り組んだのが、弊館一番弟子である。その準備が危機を引き寄せてしまうのだろうか?彼女は何度も、時に命に関わるような実戦経験をしている。

そこまでいかなくても、戦い慣れからくる落ち着きと凄みで、不審者を追っ払ったこともある。

一番弟子の練習技は、いつも「普段着」だった

もっとも印象的だった話をしよう。

私と一番弟子が、海岸で少し離れて座り、目を空けた瞑想をしていた時。一番弟子のすぐ隣に、30代後半くらいの、割と大柄な、髪の茶色の男性が突然座った。

なんだかいい感じだね、何してるの?と。男性。ナンパである。

そうすると、一番弟子は、その男性を注意しようとした私を手で無言で制止し、カバンから警棒を取り出して、思い切り伸ばす。そして男性にむけて警棒の刃部を向け、突き出し、しばらく無言を貫く。

男性は、ぬおっ、と言った後は何も話せずに、とまどったような顔を見せる。

そこで私が、男性の横で、同じように警棒を振り出し、棒を下に垂らし,自然体で、何も言わずに見つめる。男性の顔が険しくなってきたからだ。片や一番弟子の表情も、すごい形相になっていた。

そこで一番弟子が沈黙を破り、

「はよう、どっか行けよ」

と一言放つ。そうすると男性が、「はぁ?」と不満そうに言い返す。

一番弟子は、自身のいつものスタイルで身体を入れて構え、見すえ始める。完全に目が座った状態で、細目で睨む。来たら打つぞ、の意思表示である。

その姿勢をみて、男性はついに一番弟子から離れる。凄みと構えだけで、追っ払ったのである。

この対応が満点とは言わない。戦いを誘発する危険もある対応である。しかし、大柄でかつ、突然間合いを詰めて横に座るような男性に、冷静さと、日頃のスタイルで対抗することを貫いた一番弟子は見事に映った。

彼女は常に、実戦を意識している。高校時代は、常に学生服で練習をしていた。襲われることがあるなら、きっとこの格好の時だろうからと言っていた。実際に、不審者に言い寄られ、転掌の推掌転掌式で打って離脱回避したときは、学生服だった。

実戦経験とは、突然来るものだ。一番弟子や私のように準備を常にしていても、満点には届かない。常に襲われる危機感をもって、練習するしかない。何度も経験できないのなら、練習会でとにかく襲撃してもらうことだ。

本当の実戦でなくても、その動きを体験することで、私の話す「ここはこうするように」の意味が分かる。私がヒントを与え、あなたが自分自身の体験で、術理を悟るのだ。

私は、これからも、訪れる有志に、ヒントを与え続ける機会を設ける。参加してほしい。そこで経験をし、何かを掴んで欲しい。

本当の瞑想をおしえてあげる。愛した瞑想は、描くこと。

瞑想をやっている。私は、ずっと四六時中、拳法をしているわけじゃあないわよ。もう、拳法は長くし続け過ぎた。もちろんこれからもするわよ、でも、描く比重を高める。それこそが瞑想、だから。

今日は、とっておきの瞑想法を教えてあげるわ。

それは、好きなことをひたすらすること。これも、館長に習ったのよ。瞑想の動画を見ると、皆目をつぶって、胡坐のような姿勢で座って、頭を空っぽにするように・・・とか、色々言ってる。一つの型になっている。それはつまらないからやらない。

私は、二つね。ひたすら、目の前の景色を描くこと。海に行くことが多いから、海の絵が多い。富山湾、三河湾、伊良湖岬、佐多岬・・・とにかく描くことだった。聖地・氷見は、どこの海岸からも一通り描いたくらいよ。

海辺で、館長と座って、ぼーっと海を見ていることもある。それも○○の瞑想か?と館長は言うが、そうよ、あなたが、私が小さい頃から、私を海に連れて行ってボーっと眺めていたのが、心地いいからしているのよ、この瞑想を。

最近の動画は、成功者の話を持ち出して、禅だ、マインドフルネスだ、そんなこと言っている。富だ利益だ一切は関係ない、お金は後から必ずついてくる。といっておきながら、その動画を見ている連中は、目が¥に変わっているような連中ばかりだ。

すぐに叶います、これを知れば人生激変します、そんな言葉にコロッとだまされ、動画を見るだけでいっつも終わっている連中ばかりだわ。お金は必ず後からついてくる?どんな価値のあるものを提供しても、それに見合った対価を得ないままこの世を去った多く天才がいる事実を無視した、耳当たりのいいだけの言葉ね。禅の先師や、ワッツは、悩み抜いた末にその境地に達したのに、動画で見ているだけの連中に、耳当たりのいい現実は来ない。少なくとも、すぐに結果はついて来ない。少なくとも、動画を見て、満足してるだけの連中は、この果てしないタイムラグに決して耐えられない。

もし価値あるものを提供して成功するならば、館長はとっくに世界道場の総裁になっているわね。禅の思想を知り、それを少しばかり実践したくらいで、すぐに人生が好転するなら、なぜあれほど多くの成功者が、散々苦しい目にあっているのか。

館長だって、私たちの手助けを拒否し、外で体を洗い、外で散髪をし、固い車の中の自作ベットで寝ているのよ。少しのお金を出し惜しむプロに対する礼を失したタ〇連中の気まぐれにもめげず、ひたすら刀を振っている。これこそが真の瞑想。どれだけ苦しくても、自分が価値を見いだしたものを無心に繰り返す。

静の瞑想は、とっても難しい。頭に色々浮かびすぎて、今「在る」状態になることができない。何もしないで座っていることが好きな人はいい。私はダメ。つまらない。好きなことをしたい。絵を描きたい。海でボーっとしたい。延べざおを広げ、釣れないなぁと言いあいながら、ぼーっとしていたい。その時無心になる。瞑想になるのよ。座ってなきゃいけないなんて、だれが決めた?ク〇自己啓発系動画の見過ぎなのよ、だから凡人のままなんだ。

呼んでいてわかる通り私の瞑想の師も、館長なんだ。インドだ、禅だ、老荘だ、といろいろ読んだが、この人がいつ何時も練習場所に立ち続け繰り返す、究極の瞑想を見て、私は何かを悟った。それは言い表せない。無理に言うならば、「それでいいじゃないか」ということ。

私の瞑想の師は、ヨガのヨギではない。道教の導師でもない。キリスト教の司祭でもない。どんな状況になっても、信じたものをし続ける、この人だった。本当に好きなものを、とにかくし続けること。家を失っても、し続けること。

 

成立過程を伝え続けるのは「開祖が言っていたから」をさける為

私は後代にも、伝えた技の存在理由を知っていてもらいたい。

私が弟子らに、転掌の成立過程を何度も何度も伝えるのはそのためだ。術理・技の成立の要因・歴史は、本当に重要なのである。

その修行者が、技や術理の意味を分からなくなった時、発生の要因・キッカケ・歴史は、その壁を打ち壊す手助けをする

私の元で習った修行者は、皆誰もが、後代にその技の発生原因などを絡めて指導ができる状態になっていることを、願っているのである。

創始者に習った者が深い境地に達するのは、創始者から、技・術理が在る理由を、飾りない言葉で、何度も何度も聞くことができるからだ。

偉大な指導者から始まった門派では、代を重ねると、その権威性だけが残り、拳法本来のシンプルな必要性・原因の点が忘れ去られ、個人崇拝だけの上っ面な伝承となる。

「先生、なぜこの技は、ここで打つのですか?」

「それは、我が門で代々、そのように伝えられてきたからだ」

権威によりかかり、その方が楽だと思うほとんど多くの凡人は、それで納得するだろう。しかし、物事の本質を追い求める、本当に少しの人間には、その答えは、深刻な心の離反を産むのだ。私は、そのような言葉を、何度も聞いたことがあった。そしてその都度、言いようのない息苦しさと物足りなさを感じたのだ。

単換掌では、最後に去り打ちをする。その理由を弟子が尋ねたとする。

なぜ去りながら打つのですか?

その敵のそばにとどまらないためだ。

なぜとどまらないのがいいのですか?

敵の攻撃をもらってしまうからだ。

しかしこれでは自分の攻撃は当たりません

あたらなくてもいい、自分がうたれなければいい。

当たらなければ、倒すことができません

倒す必要なんてない、自分が生き残り続けて、時間稼ぎをすればいいのだ

時間稼ぎですか?戦いで時間稼ぎですか?私たちは、何を期待して待つのですか?

時間稼ぎすれば、その時間分、護衛ができる。異変に気付いた仲間が救援に来る。すぐにやられてしまったら、それもかなわない。

襲撃者は、武器をもっていませんか?転掌は、素手で相手に対抗するのですか?あっという間に倒されてしまいます。私たちに、武器はありません

いい質問だ、双換掌をやってみるがいい。試しに、その服を脱いで、双換掌をやってみるがいい。服を追随させよ、複が防具になる。なぜこのようなことができる型であるかわかるか?

わかりません。

転掌は、素手で侍る身分の低い官吏用の武術だからだ。身分の低い雑事用の官吏は、武官のように武器を持つことが許されない。しかし、武器を持たないでもおとりとなって護衛ができるからこそ、転掌は発展したのだ。

どういうことですか。

武器を持たなくてもおとり護衛ができるなら、宦官や宮女に護衛の任を負わせればよく、武器を持った男性武官を警護用として後宮内に配置する必要もなくなる。清朝王族は、後宮内に、武器を持った屈強な男性武官を入れることを、心の底では警戒していたのだ。たった一人の謀反の意を持った男性武官が、後宮内の人間を全滅しかねないからだ。転掌創始者は、転掌を後宮内武術として紹介する際、武器を持たせなくてもいい点を強調した。それは後宮内武術として採用されるための重要要素だと分かっていたから。そして、転掌が武器を常時携帯できない立場の人間でも護衛力を得られるように、特に双換掌に、身の回りのモノで戦うための武器操法の理念を組み込んだのだ。その目論見は当たった。王族に転掌の技術体系は受け入れられた。

ひどく計算的な話ですね。

そうだ、転掌が後宮内武術として採用されたのは偶然でも何でもない。ある人間の考え抜いた計算と思惑がそれを実現させたのだ。創始者が練習しているシーンを、たまたま王族が見ていて、見染められた、は作り話だ。明確な計算と、意図を持ったアピールにより、転掌は後宮内の護衛武術として採用されたのだ。

なぜそこまで、採用されることにこだわったのですか?

創始者が、未来の無い最下層身分の宦官であったから。彼は明確に、転掌をネタに自身の出世を狙った。転掌が後宮内武術として採用されれば、自身もその指導者として、身分が上がる。後宮内武術となれば、転掌は世に知られ、内外から門下生が集まる。その目論見が、すべて当たったのだ。皮肉にも、発展がその技術体系を変えてしまうこととなったが。

・・・・・代継門人以上の弟子であれば、八卦掌で言い伝えられている成立過程を信じている者はいない。私が常々、この成立過程を伝えているからだ。この成立過程を知っていれば、転掌がなぜ独自の技術体系を持っているのかが分かるのだ。

近代八卦掌と転掌式八卦掌において、最も違う点は、攻撃に固執するかしないか、だ。この違いは、「敵の力に抗する」か「敵の力に抗しないか」を分ける。敵の力に抗しないからこそ、弱者が初めて、短期で、弱者のままで、使うことができるようになる。

成立過程を紐解くだけで、これだけのことが、明確な理由をもって説明できるのである。ココで個人崇拝の要素が入り込むと、「再興祖・水野先師が言っていたから」となり、根本的な理由が説明されなくなる。

理由が薄らぐと、弱者使用前提の技術体系ですら、取って代わられるようになる。近代八卦掌になったように。この発展は、間違いではなかった。男性強者の修行者が増えれば、その変化は必然であろう。しかし、転掌技術体系が、失伝状態となっているのは、行き過ぎである。

私の後に続く者は、是非とも、各技、各術理の背景にある、理由・発生要因を知り、それを正確に後代に伝えて欲しいのだ。そうすることで、代を重ねても、転掌は「使える武術」として在り続けることができるのだ。

八卦掌水式門富山本科イメージ

海の中で磨く、刀裏背走理

私は常に、「いかにして練習を、一人で、実戦に近い形で、毎日行うか」を考えてきた。それを実現させるための練習法は、実にたくさんある。私の動画によく出てくる、スポンジ支柱を使った対人想定練習は、多くの一人実戦模擬練習のうちの一つに過ぎない。

対人想定練習は、常に考え続けている。そしてそれを、常に弟子らと共にシェアしている。

その中で、弟子受けがよかったのが、海の中で、80cmくらいの棒を使い、振り回すことだ。当然、刀裏背走理を意識した練習とする。そのため、背身刀が多くなる。

コツは、ゆっくりと大きく行うことだ。海の外では、振り回す速度が速すぎて実感しにくいが、海の中で棒を振ると、水の抵抗で、振り回す速度が遅く、かつ重くなる。筋トレではないので、負荷をかけるつもりでは行わないこと。あくまで、刀裏背走状態になっていることを確認しながら行うことだ。

具体的に言うと、振る際、肩甲骨後ろ部分が収縮している状態になっていることである。

この練習は、刀の使い手である、弊館筆頭門弟が、こよなく気に入っていた。海辺に住んでいた夏は、よく皆で、海に入って素振りをし、空手道場の練習か何かと思った、と言われたものである(そんな言い分は、半分嘘だろうが)。

海水浴場で皆がいる時に、振り回すのは、いくら刀がほとんど海の中に入った状態とはいえ、気が引ける。練習が終わった後の、まだ誰も居ない海水浴場の、はしっこで行っていた。

私たちは、島尾海浜公園前の、松田江海水浴場~氷見窪海岸周辺で行っていた。水式館の聖地である。人もいなく、砂浜もしっかりとあり、練習がしやすかった。今は車の跡があったり、ゴミだらけ、である。前に比べて、散歩の人が増え、やりにくくなった感はある。

練習もひたすら工夫である。海の中で、八卦掌の練習をしています、という文を見たことがない。各人、それぞれ、やり込んだ人間であればあるほど、変わった練習法を持っている。しかし、その一線を越えない人間は、練習ですらも、常識にとらわれている。

型の練習で、美しく演じる、というのは、一つの典型だろう。カッコよくなければ、人前で恥ずかしくて練習できない、という。しかし美しさで拳法の実力を評価する人間の方がおかしいのだ。美しくないから実力が大したこと無い、と言っている人間は、未熟であることを自ら宣言しているようなものだ。

どうどうと、門で教えられた型を、練習し抜けばよい。見栄えなど、実戦では何ら意味を持たない。型通りに打ったことがあるのは、イノシシ相手に、透把式単換刀で、吹っ飛ばした(実際には吹っ飛んでない、重くて硬くて横にずらしただけ)時だけである。

確信と革新は、練習段階から始まる。あなたが思いついた練習方法は、とりあえず試してみるがいい。技を試すのと同じである。そこから達人への近道が始まるのだ。