未分類」カテゴリーアーカイブ

最悪状況「腕を取られた状態」から始まる護身術を王道技法とするな

とにかく敵に近づかれないこと。これは、よくある護身術の、「脅威に近づかないこと」を言っているのではありません。近づかせないでつかまれない、はがいじめにされない具体的な技術のことを言っているのです。

この技術を徹底的に磨くならば、敵に先制攻撃を入れる必要はありません。「手をつかまれたらどうする」。手をつかまれる=相手を近づけすぎです。それは近づかせない技術がなく、かつ、護身術とはつかまれてから対処する技術、という思い込みを持っているからです。

危うきに近づかず、といっておきながら、転掌における近づかせない技術、やり過ごす技術を紹介すると、つかまれたらどうする、と反論してきます。近づかず、じゃないのか。結局、術を習いたいんですね。巧みに敵をさばき、「?」と相手に思わせてから逃げる。このスタイルに洗脳されているのです。

護身術教室は、師範の修めた、相手に抗する、相手に積極的にまじわる技術が基礎となっています。それらは皆、男性使用前提の武術ばかりです。それを少しカスタマイズしただけだから、あのような形に皆なるのです。転掌はまったくちがいます。使う人間が、非力な人間という設定です。弱者使用前提が徹底されているのです。だからつかまれる寸前まで「回避離脱」の可能性を残す技術体系を持っているのです。

つかまれたら終わりだ、という厳しい現実をしっているので、そのような体系をもっているのです。

何度も言います・・・敵に先制攻撃を入れる必要はありません。「手をつかまれたらどうする」。手をつかまれる=相手を近づけすぎ、をあたまに入れておいてください。この事態をさける技術を習うことが、弱者の習得する護身術の再興の到達点となるのです。

相手が近づいてきたら、すぐさま間隔を空けます。何を言ってもわめいていても、構わず間隔を空けます。そしてそののち、一気に斜め後方スライドで間隔の距離を広げます。

「だけど!手をつかまれたらどうするんだ!」。これは実際に言われた言葉です。

転掌では、とにかくつかまることがないように、徹底して斜め後方スライドを練り、洗練させ、急速スライドを可能にすること目指すのです。ひとりで練習する護身術です。練習相手はいません。練習相手もいなくて成功確率もあげることができない振り払い・先制攻撃の護身術に、なぜ限られた時間を費やすのでしょうか。

それは、現在の動画投稿サイトに大量に存在する、「つかまれたケースから鮮やかに離脱する」動画に影響され過ぎているからです。皆さんは、「護身術」き聞いたら、真っ先に「つかまれたケースから鮮やかに離脱する」動画を思いだしますよね。それは、すでにあなたの頭の中が、そのように洗脳されているからなのです。

昔日の弱者の護身術の大基本は、「とにかく間合いをあけること」でした。庶民に、武術を練習する時間も、機会も、そして許可もありませんでした。そして襲撃者は屈強であり、かつすでに何らかの危害を加えるつもりでつかみにきているのです。つかむならまだいい。実際、刃物襲撃者は、何も言わずにいきなり刺してきます。

眼の前で止まって、振り回す。しません。

目の前で止まって、スキを見つけてから刺してくる。様子など見ません。

とにかく刺してくるのです。ですから、視界を広く見る練習を日頃から行い、そこでつちかった「遠目」の技法で接近者を察知し、接近者の反対側へ斜め後方スライドします。その技術を、とにかく養うのです。その技術を習得すると、つかまれる本当に寸前まで、離脱回避のチャンスを創り出すことができるようになります。

その技法こそが、護身成功を高める技術なのです。忘れましたか。転掌は、徹底した「弱者使用前提」の武術。強者に対し、つかまれた後に巧妙な技法が通用しないことなど百も承知です。もし強者相手に、華麗に絡めとったり転ばしたりする技法で転掌が構成されていたら、軍事・武術の知識も経験もある王族集団からダメだしをされ、宮中内護衛武術になど採用されなかったでしょう。

柔道や合気道で、力任せの攻撃をされたことのある女性や子供であれば、すぐにわかるはずです。私ですら、体格のいい男性には、腕を取る系の技を決める自信がないのです。それは、何度も失敗し、力任せの攻撃にねじ伏せられた経験があったから。相手次第だから。相手の事情は、その都度変わるもの。そのようないきあたりばったりの極まて不確定な要素に、私は常に不安を感じていたのです。

転掌にも、つかまれた後や、押し倒された後の対処法が存在します。転掌は、やるかやられるかの熾烈な歴史を繰り返してきた中国大陸の武術です。つかまれる、倒されるなどのわが命存亡の危機に、手を払う、崩して逃げるなどの活人的対処法はありません。油断した相手の命を一気に奪うことで、その絶対的危機を逃れます(転掌では、その技法を実現するための下準備を、初歩より行う)。

しかしそれは最終手段であり、庶民や身分の低い者などのような命をかけて戦う経験の乏しい庶民には、心理的に実行しにくいことを創始者も知っていた。だから、絶対的危機におちいらせないための、つかまれるかつかまれないかの分かれ目まで回避行動が可能な移動護身技術を開発したのです。相手を殺傷することにためらいのある庶民でも、これならば命がかかれば無我夢中でも実行できます。

昨今の護身術動画では、つかまれているシーンから物事がスタートしていると、先ほど言いました。あのような動画は、護身術対処法の定番の「型」を私たちの頭に植え付けてしまっています。あのような対処法が最も優れたものであり、最も合理的で、かつ護身成功確率も高い、と。指導者が武術の達人であったり、警察・軍隊出身者で実戦経験も豊富、などと書いてあったりすると、なお疑うことなく信じてしまいます(だから多くの武術家は、軍隊や警察での指導を、たとえそれが数日であってもアピールする)。

転掌の自分護衛術を紹介すると、学習者は必ず敵に手をつかまれた後の対処法を求めます。「つかまれてしまうまでが勝負だから、その練習(つかまらない練習)をとにかく繰り返してください」と言うと、多くの者(特に男性)は次から来ることがなくなります。

男性もしくは襲撃者の接近に、もっと過敏になるべきでしょう。それは海外では当たり前です。

海外では、女性や弱者を狙った犯罪がとにかく多いです。しかし海外では、流麗華麗な「つかまれたあとの護身術」は普及していません。あくまで、武術等に興味のある女性が、たしなむ程度です。

それは海外でも、「敵の手を巧妙な技で外して逃げる」のような護身術を潜在的に「役に立たない非現実的な技法」と考えているからです。海外での護身術の弱者護身術のスタンダードは、とにかく「近づけさせないこと」。銃で威嚇するのは、その典型例です。近づいた人間には、容赦ない発砲が待っています。海外(特にアメリカ都市部)の女性は、見知らぬ人間に関しては、男性はもちろんのこと、女性ですら近づけさせません。

その疑念の対象は、当然親族にも及びます。夫婦間でも、その中が険悪となれば、たちまち近づけさせない対象になるのです(アメリカにおいて夫によって命を奪われる妻の数は、本当に多い)。

本当に襲うつもりの男性は、何も言わず、グッと近づいてきます。転掌の移動練習では、頭を固定させ、広い目で周囲を見る能力をやしないます。それは、視界の端にいる人間でも、近づいてきたことが分かるようにするためです。視界の端から中心点(自分)に分け入ってきた敵に、無意識レベルで身体を入れて回避行動をする練習を、後述の推掌転掌式や、単換掌で繰り返し練ります。

とにかく、近づけさせない練習を、日頃から徹底すること。こちらに来ることが分かったら、少しでも速く、その場から機動し軌道を変え、敵を離します。近づけさせてしまっても、触られる程度なら、回避の可能性はまだ十分残っています。触られない状態ならば、日頃繰り返しの練習の中でつちかった、洗練された斜め後方スライドと虚打けん制で、十分間隔を作り出すことができます。

頭の中から、たくさんの動画で見られる鮮やかな振り払い系護身技術を追い払うこと。すくなくとも、あれがスタンダードだ、という思い込みを手放すこと。

もしあなたが、何かしらの理由でこれらの技術を欲するならば、習うのは意義あることでしょう。一般人レベルが習う護身術に、何十年もかける人間はいません。短期習得が求められます。それは昔日の農民徴収兵に指導をするのとよく似ています。

生存の可能性を生み出すための最も早い手段を実行すること。転掌は、その指導対象が、武術ど素人の宦官・宮女であり、最低限の一定時間生存術の短期習得を宿命づけられた武術。その時代背景・成立背景もかんがみ、私は女性護身術に、転掌の一定時間生存術を自信をもってすすめるのです。

ウーマン・ライト・ガード|指導員候補生募集開始。始動!

ウーマン・ライト・ガードは、指導員候補生の募集を開始します。いよいよ始動します。

詳細は、ウーマン・ライト・ガードのサイトにてご確認ください。

ウーマン・ライト・ガードは、国内で初の、身体柔弱東洋人向け護衛術をマスターした、女性警護人を養成する専門教育機関である。

その基盤は、成立過程なれど、多くの希望を見て、手ごたえを感じている。

興味のある方は多いと感じていた。なぜなら、女性にとって、ボディーガードを依頼することは、大変敷居の高いものであるからだと、一番弟子や筆頭弟子から聞いていたから。

理由の一番は・・・やはりボディーガードが、男性であること。こればかりは、女性の立場で考えてみないと分からなかった。

国内には、少なからず女性の警護人がいる。警察にも、皇宮護衛官にも、女性の護衛官・SPはいる。しかし、女性警護人の本音は、男性に対する力不足の実感と、不安であった。

教場で始動されている護衛術を学んでも、それらはほぼ、男性使用前提である。そもそも、軍隊格闘術などは、一般的な男性使用前提武術を元に考案されているのだから、仕方ないのだ。出発点が、もう女性の習得を考慮していないのである。

軍隊格闘術などは、シラットなど、聞き映えのする武術・格闘術がもとになっている。しかしいくらそれらがすごさを感じようと、しょせんは男性使用前提である。だれでもできますを売りにして、市内各所で指導しているのを見たことがあるが、女性や一般人向けに練習カリキュラムが大幅に変更されていて、これでは技術の向上が望みづらい。

挙句に、筋トレなどを要求されることもあるようだ。自分の一時通っていた柔道場と同じである。弱者が強者になることを前提とするカリキュラムは、男性向けのカリキュラムである。そして男性でも多くの者が脱落をする。女性が従来の武術のカリキュラムで行うことは、想定すらされていない。そして、指導者によって、きつくない練習に替えられ、中途半端になるのである。

女性が人を守るためには、弱者使用前提の武術を学ぶ必要がある。繰り返すが、弱者が強者になるためのカリキュラムでは、いつまでたっても女性は自信をもって要人・自分・自分の大切な人を警護し得る警護人になることはできない。

弱者が弱者として、身法をもって、強者の土俵を避けて対抗する武術でなければならない。

ここではっきりと言っておきたい。私はたまたま、弱者使用前提の武術に巡り会ったのではない。とにかく、弱者使用前提の武術が存在することを願って、常に探していた。

学生の時の拳法を始めたキッカケが原因で、とにかく弱者使用前提の武術にこだわったのだ。だから、指導するまで30年以上もかかったのだ。どこにいっても、強者使用前提の武術ばかりだから。指導許可まで得ていた梁派伝八卦掌も半ば放棄する感じで、転掌にとどまったのだ。

であるから、自信をもって、女性警護人を養成する機関を設立できるし、その資格がある、と確信している。

ライト・ガードのバナーには、一番弟子が描いてある。普段の服で練習するのが好きで、かつ、武器も、特定のものにこだわらない。得意は、双匕首(双短棒)であるが、なんでもこなす。

彼女は、ライト・ガードの最初を飾るにふさわしい。とにかく、練習をした。一番弟子の彼女と、筆頭門弟は、とにかく練習をした。日本海側の冬は、雨・雪ばかりであるが、どのような天候でも、私に追いつけ追い越せの勢いで練習をし続けた。

その彼女の継続の意欲を支えたのが、学んでいる武術「転掌」に対する信頼感である。彼女はいつも言っていた。

「本当に、よく考えられている。矛盾が感じられない。」

私もつくづく、そう感じていた。私は転掌(八卦掌)を超えるつもりであったが、その奥深さに白旗を上げた。いま再び、そのような野望を持ち始めたが、それは一生かかるだろう。

 

何度も打たれ強くなった鉄の意志だから

うまいこと言ってあげようか

意志の強さは「鉄」だね、そう「鉄の意志」。

強いってこと?それだったら、はがねの意志、とかでもいいんじゃない?鉄ってさぁ、燃え盛る火の中で、何度も何度も打ちのめされるんでしょ?そして強くなるんだよね。私はその例を、そばで見てきた。

何度も何度も打ちのめされるには、打ちのめされるたびに、へこたれて脱落してたんじゃ、打ちのめしようがないよね?私って、何度も打ちのめされたこと、知ってるのよね。

いっつも何か為そうとするときに、大きな邪魔や困難がやってきて、いっつも箸にも棒にもかからず、敗れ去ってるの。でも、いっつも、ここで終わるわけにはいかない、自分の苦しみなんて、そよ風だ、なんて言って、毎日、台風の日も、出かけてる。

これから先も、ずっとこのままかもしれないね。下のまま。どこにも行けないかもね。でも、一つだけわかることは、毎日の積み重ねは、これからも続いていくんだろうなぁって、こと。

きっと、本当に身体が動かなくなるまで、続くんだろうなぁ。練習が途切れるのは、きっとその時までないのかも。他の人なら大げさでも、あなたならあり得ることね。

見てみたい気もする。でも正直、あまりにも行き過ぎないでねって、言いたくもなるの。

鉄って、はがねにはならない。強くなっても、ある一定の力の下では、もろいものよ。曲がってしまったら、なまじ強いだけに、元に戻らないじゃない。

そこまでいかないでね、それは見たくないわ。

「ぶつける」に徹する現代刀術~逆転発想の清朝末式八卦掌

逆転の発想で護衛護身武術を八卦掌を極め、現代における護身を果たす。

今回は、刀術について考えてみたい。

私は、常日頃から疑問に思っていた。刀術だからといって、「斬る」ことに現代もこだわらないといけないのか?

なぜなら、現代(特に日本)では刀など持ち歩くことができないからだ。刃がついてない模造刀であっても持ち歩けないのである。

武士は常に、刀を持ち歩き、かつ、いつでも抜けるように腰に差していたので、剣術を練習する意味があった。裏を返せば、帯刀を許されなかった庶民にとって、剣術など、いざという時に役立たない無用のものであった。

例えば、庶民が襲われた時、ありえない話であるが、何らかの理由でその場に日本刀が転がっていたとしても、日頃扱ってない(練習してない)から、意味が無いのだ。

慣れないのに真剣など使用したら、自分を斬ってしまうのがオチである。

私は自分で技術体系を編み出す過程で、まず長年引っかかっていた、「斬る」技術をなんとか処理しようと考えた。これから先、いくら社会情勢が変化しようとも、刀を庶民が持つことができる時代は来ないだろうと考えたからだ(海外では不明)。

そして「斬る」よりも「斬られない」ことを目指した。暴漢は、法律で禁じられても持つ。刃物で襲われることは、十分想定できる。「斬られない」ために、刀を棒で防ぎ、生還することを目指した。

「斬られない」ための技術は八卦刀術なのに、「斬る」をあてにしない。「斬る」をしないなら、その分、八卦刀術の他の攻撃技法「ぶつける」をメインにしようと考えた。

「ぶつける」だけにするなら、不利なのでは?

ぶつけるために、重く、長い物を振り回す。長くなくてもよい。遠心力がかかるものを、身体操作(移動)で自在に操り、自分は重たい物の柄の付近にとどまり、自分と敵の刃物との間に、重たい物の先を常に回し続けて刃物の到達を妨害し、防御・攻撃する。

「斬る」だと、刀(刃物)が必要であるし、所持が法律違反なので、多くの不安が残る。しかし重たい棒であれば、そこら辺に転がっているし、使う際に手にするだけなので、法律を犯すリスクもないのだ。

つまり「斬る」手段に見切ることの代わりに、「ぶつける」ことで身を守ることに意識を集中させることで、法律を犯してないという安心感と、その時の環境を味方につける現場対応力・事前準備をするモチベーションを得るのである。

護身術は、事前の準備が必要である。事前の準備には、当然「練習」も含まれる。練習と同じくらい、実際に使うことが想定される場面で、自分が持っている物で何が一番確率が高いか?もしくはどの「物」であれば、いつも持っていられて、かつ有事に身を守る道具に流用できるか、を考えるのである。

持ち歩くことができる道具と、自分の生活環境の中で「これならいざという時流用できる」と想定できる道具を特定し、それらは間違いなく「刃物」でなく「斬る」攻撃ができないのだから、それらの物で「ぶつける」技法を磨くのだ。

私の場合、自前のシャッターフック棒であったり、細長い径の小さい水筒であったり、長めの降りたたたみ傘であったりする。

私の環境の中で振り回すことができる物は、物干しざおであったり、シャッターフック棒であったり、カバンであったり、工事現場にある進入停止バーなど。

それらは「斬る」ことはできないが、「ぶつける」攻撃に流用できる。ならば、それら「ぶつける」ための武器でない物を使って、「ぶつける」攻撃ができる事前の練習を徹底的に実行ことで、「ぶつける」攻撃と心中するのである。

刀は現代で使うことができない→ざという時護身の技術となり得ない→「斬る」型は見切りをつけ、『ぶつける』技法を磨く

という逆転の発想で、大切な人を守って欲しい。

八卦掌水式門富山本科イメージ

本科と護衛護身科、私はどっちがいい?

本科と護衛護身科、私ならどちらのコースがいいのでしょうか?という質問を受けることがあります。

明日護衛護身科の内容が大きく変わってリニューアル開講するため、この記事をあげます。

どちらがいいのか?どちらも八卦掌なので、八卦掌にこだわりたいと思っているだけなら、どちらでも問題ないということになります

多くの人は、実戦か伝統か、護身として使えるか、実際につかうことができるのか、キレイに型を演じられるようになるか、そして付随してダイエットにもなるか?など、特定の目的に興味が向いています。

その興味の向いている方向性に沿って決めるのがいいでしょう。

いろいろな例をとって考えてみましょう

「将来的に、人を守るための術を身につけていきたい」場合

例えば、将来は警察官や警備員など、人を守る仕事に就きたいと考えている人。その人がいますぐ保安職に就く場合で、短期間でスキルを手にしたいのなら、護衛護身科の方が向いていることになります。

その人が保安職に就くのが先の場合(2~3年先)や、すぐにではなく、じっくりと実力をつけていきたいなら、本科でよいでしょう。

本科では、八卦掌技法を行う身体を作るためある程度の時間をかけますが、それは実際の場面で役立たないことを学ぶわけではありません。

相手の様々な攻撃に対抗しつつ、プレッシャーを与え続け得る土台を作るためです。相手は様々な攻撃をしてくるでしょうが、内情をよく観察すれば、仕掛けてくる攻撃はある程度パターン化できます。

格闘技や武術を練習してい居ない、もしくは経験があっても未熟な者・今は練習していない者の場合、違う攻撃をしているように見えても、実は変化の域を超えていないだけで、ほとんどパターンは同じです。

その場合に対抗手段としては、目まぐるしく我を移動させて翻弄する八卦掌の移動遊撃戦で十分対抗できることになります。本科では、徹底した移動遊撃戦を実現するためのプログラムが組んであるため、時間的猶予があるならば、本科をおすすめするのです。

「今まさに、大切な人を守る必要性がある」場合

今まさに、大切な人を守る必要性がある場合。例えば、家族・恋人・友達が、変質者やストーカーに付きまとわれている場合など。しかるべき相談機関への連絡などの対応のほかにあなたが選択する方法の一つは、護衛護身科で学ぶことでしょう。

私が中学生の時がそうでした。同級生に対するいじめがあり、ケンカ自慢のいじめ連中にいざというとき対抗するために、身を守る術が今すぐにでも必要だったケースでした。

本科では着実な実力をつけることを目指しますが、ある程度の時間をかける必要があります。護衛護身科では、インプットではなく、いきなりアウトプットからのスタートとなるため、護衛護身五型の型がその人にとってやりやすいものであれば、割と短期間で身体の変化を実感できるようになります。

護衛護身科では、短期間(1~3カ月くらい)で一通りの対抗手段を身につけることができます。後はそれを有事に備えて繰り返すのみです(一通りやるだけではダメだから)。

「対抗する手段は一通り学んだ。あとはできる限り精度を上げるのみ」と、迷いも無くなり、自信も湧いてきます。この自信、精神論云々ではなく、本当に大事なことです。

組手や散手をやることの大きな意義の一つが、組み合う際の恐怖を克服し、戦いのスイッチを入れることができるようにするため。一人のみで練習する者に、組手を行う機会はほぼ無く、実戦速習型のひたすらな繰り返しで自信をつけるしかありません。

「人を守りたいという考えはないが、護身術を学びたい。どうせなら伝統武術を学んで強くなりたい」場合

人を守りたいなどと大それた考えはないが、護身術を学びたい。しかしどうせなら伝統武術を学んで強くなりたい。そう考える方がおられるなら、それはまさに護衛護身科のコンセプトに合致するため、護衛護身科をおすすめします。

手軽にできる護身術の最大の欠点は、練習にのぞむ際のモチベーションの維持の難しさです。

護身術は、単純シンプルで有効なものでしっかり練習すれば効果はありますが、自分を守る目的以外のものがありません。今まさに迫っている危機に対抗するためのみ技法であり、それ以外も目的(奥深い技術体系や、形として見えるスキル)がないからです。

護衛護身科で指導する「護衛護身五型」は、当然に八卦掌技法で構成されており、「着実」より「速習」に焦点を当てて履修課程を変えただけのものであり、八卦掌そのものです。

よって護衛護身科を学ぶということは、護身術を学んでいると同時に、伝統中国武術を学んでいることにもなるのです。水野が勝手に技を生み出し、それを教えているのではありません。

護衛護身の型は、短期間に移動遊撃戦を学ぶためのものであり、型に習熟したら、当然に個々で変化をしていくもの。

「型ではこうなっているけど、自分はここでこうした方がやりやすいぞ。」・・・自然とそうなります。その時は、その感覚に従ってください。そうすることで、一段と「強く」なっていくのです。

変化した先で行きついたものが、水野の教えた型と大きく(まったく)違っていても、それが八卦掌を出発点にしたものであり、かつ当門で学んだ者が八卦掌を名乗ることを希望するならば、水式門では当然に八卦掌後代を名乗ることを公認し、バックアップします。

ホームぺージのトップへ

八卦掌は護身術として使えるか~八卦掌は護身護衛専門拳法。

水式門で教えている八卦掌は護身術として使えますか?

このようなことをたびたび聞かれることがあります。形を変えて聞かれることもあります。水式門の八卦掌は護身法としての役割を果たし得るか・・・

水式門の八卦掌は、護身術として使うことができます。そもそも、護衛護身のためにだけ考えて練習し、工夫してきたため当たり前です。

試合で勝つため、や、健康増進のため、美容・ダイエットのため、という視点で練習や工夫をしてこなかったから、護衛護身の目的以外の成果について、「効果あります」と安易にいうことはできません

試合での勝利・美容・健康・ダイエットで成果を挙げるためには、それに見合ったカスタマイズが必要です。それを考えてこなかった当門の八卦掌について、これらの成果がでることをうたうのは不誠実だと考えています。

八卦掌は、ルールのある中で用いることを前提としていない武術です。これは、試合形式の格闘技を馬鹿にしているわけではない。

格闘技は、フィジカルの優位性を除かれた極めてフェアの条件の中で、己の技術とか精神力でのみしのぎを削る、苛酷で壮烈な世界。あの世界で戦う格闘家らの肉体が皆研ぎ澄まされているのは、その壮烈さの現われです。

八卦掌水式門には、初学者向けにふたつの道があります。

八卦掌の従来からの履修課程にのっとり、着実に八卦掌体から構築していく「八卦掌基本科」過程。

今まさに必要とされる方に、土台の構築に不完全さを残すのを前提として「典型攻防」を通して、典型基礎に絞って学ぶ、短期速習問題集形式の「八卦掌式護衛護身法」過程。

どちらの科でも、習うものは八卦掌。八卦掌式護衛護身法でも、他の拳法要素は入っていません。

私ごとき中途半端に習ったものを八卦掌に組み込み、門下生に押し付けるなどもってのほか。練習すればするほど、その奥深さに魅入られ、新しい自分の拳法など創始する意欲も失くしてきました。

奥深さとは、八卦掌の持つ、弱者のための実戦での戦闘性です。体格差などの優位性で支配される敵前攻防を徹底的に避けるためのいさぎよい技術体系に、多人数の暴力による敗北からスタートした私は、心底魅せられてしまっています。

これは盲目になっているのではなく、柔道などの他武道を経験したうえで改めて感じている本心です。

体格がいい。筋力に自信がある。若いため、身体がどれだけでも動く。フィジカル面での優位性がある人であれば、眼前攻防主体の武術・格闘技でも、当然、護身護衛の成果が得られるでしょう。

しかしそれらの優位さを持ち合わせていない者。私のように、背も低く、体重も軽い方などは、是非とも八卦掌を練習してもらいたい。

このブログでも、八卦掌の基本動画を、今まさに挙げている最中です。それらを学習に役立てて欲しい。

当門で指導する、対多人数遊撃戦八卦掌は、護衛護身を実現することを第一に考えている八卦掌。そのほかの効果は、護衛護身の実戦力を追い求めていく過程で、自然とついてくるもの。そのようにとらえてください。

ホームぺージのトップへ

八卦螺旋功解説4「左右分掌」:護身護衛武術「八卦掌」基本講座

左右分掌は、左右へ肩を入れながら螺旋をかけて身体を絞ることで、螺旋のテンションと感覚を股や足などの各部位に掛け、実感させる螺旋功です。

動作は単純ですが、ねじりながら腕を伸ばす動作は意外と難しく、速く行うと腕が曲がったりするなど、各螺旋功の中で出来るようになるまで最も時間のかかる螺旋功となります。

典型用法としては、(1)穿掌で突いたあと後方の敵へのけん制攻撃をする(2)突いた腕を引かずそのまま相手の腕をつかみ走り去りながら引き倒す、などの例があります。

左右分掌・動作解説

まず両足を肩幅より大きい幅で並べて立ち、腰を落とし、その状態から一方にねじっていきます。

ねじりきったら、ねじりきった状態をいったん戻してねじりを解消し両腕を伸ばした状態にし、そこから反対方向へねじりこんでいきます。

自分一人で自分の身体をぞうきんで絞るがごとくねじりこんでいきます。

ねじって螺旋をかける時は、肩を入れることでねじる動作を後押ししてねじります。

肩を入れながら伸ばすことで、もう片方の腕も自然とねじれます。その腕にもねじる意識を伝えて螺旋の意識の通った「強い腕」を作っていきます。

左右分掌・用法解説

用法(1):後方けん制

左右分掌で練った身体動作は、穿掌などの突き攻撃後の後方けん制動作に用います。

転身攻撃では、穿掌を用いることが多いのですが、「拍」・「撩」も用いやすいでしょう。

後方へのけん制攻撃後、再度眼の前に居た敵に攻撃しなおす動作も練習しておきましょう。

用法(2):引き倒し

突いた腕で相手の腕や手をつかみ引き倒す動作は、左右分掌の代表的用法です。

突いた腕を引きながら相手の手をつかみ、引き倒しながら後方敵へのけん制攻撃をします。

軟体側へ身体と目線を移した状態で引き倒します。

腕をつかむことができなくても次の敵へと向かっていき、固執しないのがコツとなります。

『八卦掌水式門の「強くなる動画」速報』のトップへ

ホームぺージのトップへ

八卦螺旋功解説3「翻身旋掌」:人・大切な人を守るための第一歩。護衛護身武術「八卦掌」基本講座

◆トップページ◆ブログ「対多人数遊撃戦八卦掌という護衛護身法を求めて」トップページ◆カテゴリー「八卦掌水式門の「強くなる動画」速報」トップページ>◇八卦螺旋功解説3「翻身旋掌」:人・大切な人を守るための第一歩。護衛護身武術

翻身旋掌・概説

翻身旋掌は、後方・側面敵からの攻撃を、螺旋の意識の通った強い腕で払う意味などを含んだ螺旋功です。
胸前で手のひらを上にして、脇下から後方へ伸ばし、伸ばしきった所から大きな円を描いて胸前まで回し戻す、という動作で構成されます。

身を翻すと同時に、螺旋の意識の通った腕を後方へ伸ばして後方敵の攻撃を不意に弾き、意表を突かれた相手が反応する前に穿掌の連打を打ち込みます。

翻身旋掌・片手練習

最初は片手のみで動作を身につけます。そのあと螺旋の感覚を強く意識していきます。

胸前で手のひらを上にした状態で指先を自分の身体の方へ向け、脇下を刺すようにして後方へと伸ばし、伸ばしきったところでねじれている腕ごとねじりを解消して手のひらを上に向け、そこから大きな円を描いて胸前まで回し戻す、の動作を繰り返します。

胸前における「手のひらを上にした状態で指先を自分の身体の方へ向ける」動作と、「その状態のまま後方へと伸ばす」動作をしっかり行うと、敵の攻撃を不意に弾き得る力強い螺旋の腕を作ることができます。

後ろから前に戻す動作は、後方敵への防御後、眼の前の敵に再度攻撃をしてけん制する意味もあるため、戻す動作も意識を通してしっかりと行います。

翻身旋掌・両手練習

両手練習では、後方敵への攻撃を防ぐ動作を行いながら眼の前の敵へのけん制攻撃をするという対多人数遊撃戦動作を、腰の回転によってより速く、より滑らかに行うつもりで練習していきます。

翻身旋掌では、腰の回転は「回す」というより「腰をたたみながら回す」つもりで行います。後方へ腕を伸ばす軌道が小さくなり、素早く伸ばすことができるからです。

後方へ腕を伸ばしきったと同時に、胸前にあるもう片方の腕の手の指先を自分に向け、脇下にさしはじめ、後方の腕を胸前まで回し戻す、という動作を腰とともに行い、繰り返します。

両手練習では、後方へさす動作も前に戻す動作も、腰の回転と一緒に行う意識を強く持ちましょう。

敵の横での変化攻撃をする際、身体の固まりを防ぎ、かつ足が動きやすくなり、加えて腕を出す威力も高まるからです。

『八卦掌水式門の「強くなる動画」速報』のトップへ

ホームぺージのトップへ

八卦螺旋功2「分開旋掌」:人・自分を守るための第一歩。護衛護身武術「八卦掌」基本講座

◆トップページ◆ブログ「対多人数遊撃戦八卦掌という護衛護身法を求めて」トップページ◆カテゴリー「八卦掌水式門の「強くなる動画」速報」トップページ>◇<八卦螺旋功2「分開旋掌」:人・自分を守るための第一歩。護衛護身武術「八卦掌」基本講座/p>

分開旋掌とは

分開旋掌は、払う・つかむの意味を含んだ、内から外への螺旋動作で行う螺旋功です。

内から外へ螺旋をかけながらかき分けつつ脇下までもっていき、脇下から手のひら上にした状態の穿掌で突き出し、またかき分ける・・・の動作を繰り返します。

分開旋掌には、敵の攻撃を払って、次の攻撃につなげる意味と、敵の手をつかんで動きを制御し、大きな打撃をくらわす意味が含まれています。

分解旋掌・片手練習

内から外へ、払う・つかむを意識しながら大きく回します。

脇下に手のひらを上にして置き、そこから胸前を横切って斜め前に出し、出し切った場所から、大きくかき分けるようにして後方へ回し、再び脇下まで戻します。

前方よりも後方・側面へ回す際の円の半径の方が大きいくらいであることが分かると思いますが、それは後方・側面からの敵の攻撃にも対応し得る動作であることを示しているのです。

脇下に手を置く際は、しっかりと手のひらを上にして穿掌を作りましょう。螺旋のかかっている感覚を腕に感じやすくなります。

分開旋掌・両手練習

両手同時行う際は、腰の回転で腕を出す意識で行います。

腰の回し方は、翻身旋掌や推磨式基本功における腰の回し方と同じです。ただ単に回すのではなく、「たたみ折りながら回す」意識で行います。

かき分け動作を終えて脇下へ手をひるがえして穿掌を作って戻すと同時に、もう一方の手を脇下から斜め前方へと突き出し、そしてかき分け動作に入っていく・・・を繰り返します。

両手同時の練習では、動作の意味を理解するよりも、たたみ折る腰の回転と、腕の動きの滑らかな連動を目指します。

腰と腕の連動に気を取られ過ぎて、腕に螺旋のテンションをかけることを忘れないようにします。かき分けのあと脇下に戻す際は、しっかりと手のひらを上にした穿掌を作るように心がけましょう。

『八卦掌水式門の「強くなる動画」速報』のトップへ

ホームぺージのトップへ

八卦掌基本功1「回肩功」:人・自分を守るための第一歩。護衛護身武術「八卦掌」基本講座

◆トップページ◆ブログ「対多人数遊撃戦八卦掌という護衛護身法を求めて」トップページ◆カテゴリー「八卦掌水式門の「強くなる動画」速報」トップページ>◇八卦掌基本功1「回肩功」:人・自分を守るための第一歩。護衛護身武術「八卦掌」

毎日行うことで肩の可動域を開拓し射程距離の伸長につなげる

「回肩功」は、八卦掌独特の基本功ではありません。腕を激しく伸ばしたり振ったりするような拳法流派で、よく見られる基本練習です。その名称は、各拳法流派によって異なっています。

八卦門においても、流派によって言い方が異なりますし、動作に若干の違いも見られます。しかしここで示す方法だと思ってもらって構いません。

回肩功では、肩を回転の元として、おおきくゆったりやや大げさに回します。この単純な動きを、練習を始める最初に行います。

このような、身体の各部位を動かす練習は毎日行うのがベストです。各功とも、多くの時間を割く必要はありません。サッと行うだけでもいいでしょう。

私が毎日練習開始前に行っているのは、以下の基本功(名称は一部オリジナル)です。

  • 回肩功
  • 伸肩功
  • 螺旋功(龍玉遊掌)
  • 仆腿功(仆歩功)
  • 金鶏独立功(バランス功)
  • 推磨式基本功(推磨式五法)

日頃から肩を可動域一杯に回すことで、有事におけるとっさの防御反撃の動作の中で肩が攻撃の動きの速さ・精度を邪魔することがなくなります。

そして何より、肩を柔軟にしておくことで、穿掌を放つ際の射程距離が格段に伸びます。その差五センチも。「なんだ、たったの五センチか?」と思われた方は、間合いの重要性についてもう一度考えてもらいたい。

五センチの差で当たる、当たらないが決まったらどうでしょうか。当たらなければダメージは一切ない(穿掌に対する脅威は感じるかもしれないが)が、当たれば大きなダメージを与えることができる。

それは当たりまえのことではありますが、その違いで倒すことができた相手を倒すことができなかったら、特に対多人数戦で一人でも人を減らしたい場面では、倒すことできなかった相手によって後々大きなマイナスの結果が生まれるかもしれないのです。

ですから、射程距離を大きく取るような武術では、肩の可動域を伸ばす基本功(回肩功や伸肩功など)が発達しているのですね。

「開・合」を意識して目いっぱい大きく行う

動画中では、腕の動きを使って肩を回す動作を助けていますが、肩のみで行う場合もあります。皆さんのやりやすい方で取り組んでください。初学のうちは、腕を使って肩の回転を助ける方法がやりやすいでしょう。

回肩功の目的は、肩の可動域を開拓して、自在な動きを得る、もっと具体的に言えば、肩をフレキシブルにして穿掌の射程距離を少しでも長くする、というものであり、その点からも練習時に「大きく大げさに」は理にかなっています。

回肩功で重要な内的意識は、「開・合」の意識。大きく肩を回している場合、後ろ方向に回しきっている場合を開、そして前方向に回し戻してきた場合を合、というように、肩を回すことによる胸の開きと閉じを意識します。

多くの技は、開と合をもって、動作が始まりそして完結します。よってこの「開」「合」の意識を養うことは大変重要であるのです。

動画中の回肩功では、両手指を肩の起点に置き両肩を同時に同じ方向へ回す方法、両肩を違う方向へ回す方法、左右の肩を互い違いに方向を逆に回す方法、腕を伸ばして行う片腕づつ行う方法、そして両腕互い違いに同時に行う方法を紹介しています(方法はほかにもありますが、これだけでも十分です)が、すべてに開・合の意識を伴わせます。

両腕を互い違いに違う方向へ、同時に回す回肩功では、膝の動きも伴わせると、腕の動きが安定しかつ可動域目いっぱいに回すことができます。

回肩功は、拳法の本格修行者のみならず、健康志向で拳法に取り組みたい方にも大変お薦めする基本功となります。その際は、ゆったり大きく、ゆっくり行うことで、身体に負担をかけず行います。

『八卦掌水式門の「強くなる動画」速報』のトップへ

ホームぺージのトップへ