清朝末式八卦掌は、残酷歴史から生まれた中国産護身術の一つ

八卦掌水式門(以下「弊門」)に、「遠隔地生科」がある。

愛知から遠く離れた県に在住の方でも、弊門で指導する清朝末式八卦掌を始められるように設置した科である。

遠隔地生科は、護身術の通信講座だと思っている人が多いが、そうではない。そのため、遠隔地生科に仮入門制が採用されていることを知ると、「護身術講座なのになんで気軽さがないの?」と疑問をぶつけてくる。

このことは、あらゆる場面で触れる重要なことである。弊門で指導する八卦掌は、弱者使用前提の「弱者護身武術」的性質もあるが、実は、成立当時のままの技法を貫き伝える「護衛武術」なのだ。護衛武術であるゆえ、その内容に平和的要素がない。日本国内で見られる、他者の生命に配慮した「日本式護身術」ではない。その姿勢に欠ける「中国式護衛護身術」なのである。

参考までに触れておく。中国式護身術には、日本武道に見られる「相手を傷つけない」とか「自他共栄」のような、自制の理が存在しない。

後退スライド技法が中核ゆえ、敵を傷つけない武術、などと思い違いをしている人が多い。後退スライドは、力の強い者に負けないための技法であり、逃げているわけでない。後方へ移動しながら防御しつつ、人体急所打って、殺傷したり戦闘不能にすることを躊躇なく実行する。

話を戻す。八卦掌の護衛の仕方は、こうだ。自分が力の弱い弱者であるから、他の武術のような「敵を全員倒して護衛」することはできない。

弱者であるから、縦横無尽に移動しまくって翻弄しつつ敵を引きつけ、引きつけの渦中で突然奇襲攻撃をして敵を我に集中させ、護衛する。つまり、囮(おとり)になる。

囮になっている間に、味方が来ることを期待する。囮である以上、危険を伴う。しかし使い手の生存より、あくまで皇族などの守るべき人間の命の方が重要だったのである。昔日の宦官(かんがん)が使った拳法らしい。宦官の身分は低く、ともすれば蔑視対象でもあったゆえ、命は顧みられないのである。

清朝時代は、征服を果たした支配階級民族たる満州族の皇族と、漢民族などのその他の庶民では、命の重さに明確な違いがあった。厳しい身分制度が存在していた時代だったがゆえの、悲愴感に満ちた護衛護身拳法なのである。

囮といえども、すぐに倒されてしまっては、当然護衛を果たすことができない。そのため、一定時間敵に捕まらずに攻防し続ける技法で貫かれている。この「囮として一定時間敵をさばきつづけるための技法」があるゆえ、現在の身分制のない日本で、護身術としての価値を放つのである。

清朝末式八卦掌を指導するにあたり、「護身を果たすためには敵の命を奪うことも辞さない」技法を外すことはできない。清朝末式八卦掌もしょせん中国拳法の一つであり、人を殺傷する技法であるのは変わらないからだ。

中国は、異民族に征服された過酷な歴史を繰り返した。例え自分が正義であっても、力によって征服されれば、身の周りの大切な人や善人が、平然と虐殺された残酷な歴史を何度も何度も経験している。その過酷な経験の中で、思いやり要素が強い武術が成立するはずがない。

弊門指導の清朝末式八卦掌は、「後退スライド」要素により平和的でマイルドな印象を持たれやすいが、そのようなことはない。武器術では、遠い間合いから敵の末端を斬り失血死させることを目指す技法理念があったり、重い武器を身体で扱って敵にぶつけて殺傷を目指す技法理念が存在する。

そのような殺伐とした技法を、通信講座で、面識もない人間に指導するはずがない。これは、技法ノウハウを出し惜しみしているのではなく、殺傷技法を伴う技法を指導する団体としての、社会的・道義的責任なのである。

八卦掌が成立した当時の中国は、太平天国の争乱のため国内各地で、反乱軍や清朝正規軍によって、庶民に対する非道な暴力が加えられていた(乱により命を落とした人数は、2000万人ともいわれる)。賊や野盗だけが脅威だったのではない。いつ何時、どの集団が、自分や家族の命を奪いに来るかわからない時代である。その渦中で成立した護衛護身術である。他者に対する遠慮がない技法理念で染まっているのは当然である。清朝末式八卦掌の骨の髄までしみ込んだ遠慮無用の理念を、外して指導することはできないのは分かっていただけるだろう。

よって、日本国内で見受けられるような「誰でもできる護身術」系にすることはせず、原初のままの弱者護身のための技法のままに伝える。それはこれからも変わらない。以下が、具体的な指導法である。

  • ・徹底した反復練習によって、無意識レベルで身体を後退スライドさせ得る指導を重点的に行う。とにかく敵に捕捉されず、敵の力攻撃のベクトルに抗しない技法を指導する。
  • ・危険回避知識や護身哲学たぐいの指導はしない。そのような内容の知識は、書店に行けば、複数並んでいる護身術本で習得できるから。
  • ・武器操法を重視する。日傘、雨傘、杖など、90センチ棒で対抗できるように、八卦刀法を初日より指導する。200センチ棒による双身槍法を指導し、竹、のぼり、物干し竿、工事現場の進入停止棒で対抗できるようにする。双匕首技法を指導することにより、手持ちの水筒と折り畳み傘の組み合わせなどの二刀技術で戦うことができるようにする。

見てお判りのように、徹底した繰り返し練習と、徹底した現実的練習により、実際に危機が迫った際、力任せの攻撃によって圧倒されないことを目指している。

いくら護身哲学や心構えを学んでも、この技法ができない限り元も子もない。先ほどの、中国の歴史と同じである。いくら護身哲学や心構えが立派でも、いくら自分が正しくても、力の行使に屈したら、それらで我が身が助かることはない。結局、技法の行使で敵を戦闘不能にさせるか、敵から離脱することでしか、命を守ることはできないのである。

私は海上自衛隊の護衛艦の艦長になるのが大きな夢であった。護衛艦の艦長になるなら、防衛大学校を出るのが一般的である。当時は、防衛大学校に入学するためには、兵法や戦術知識が必要であると真剣に勘違いしており、小学生の頃から、戦史や兵法学習をしていた。その中で、多くの危機管理・危険回避知識を習得した。

しかし、そのような知識があっても、命に関わる危険を回避できなかった(野生動物の突然の襲撃や、いじめから大切な人を守ることだができなかった経験など)。

野生動物襲撃の際、私の命を守ったのは、ちまたの護身術が重視しているような護身予備知識などではなく、我の身体にしみ込んだ清朝末式八卦掌の中核技法(八卦刀術の背身刀)だった。知識だけだったら、私はイノシシの鋭い歯によって、膝付近を突かれ、外傷や感染症で、タダでは済まなかっただろう。

よって、弊門では、人をも殺傷し得る危険技法による護身術たる清朝末式八卦掌を伝えるため、遠隔地生科でも、仮入門制を採り続ける。

日本で生まれた護身術ではない。異民族に征服され続けた過酷な歴史を持つ中国で生まれた「中国産護身術」であるゆえの宿命である。

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「後退スライド」移動し続けること=女性護身術最大の防御法

女性が屈強な男性の攻撃を防ぐために、清王朝末期頃成立当時の八卦掌は、極めて有効な防御法を示してくれた。

その防御法とは「移動」である。もっと具体的に言うならば、後方への移動である。弊門で「後退スライド」と呼んで指導している一大技法である。

清朝末式八卦掌の組手(実戦模擬練習である打ち合い練習)を清朝末式八卦掌のことを知らない門外漢(近代スタイル八卦掌修行者も含む)が見ると、「ただ逃げ回っている」ようにしか見えないだろう。しかし、ただ逃げ回っている、のではない。

清朝末式八卦掌は、移動することで、敵の攻撃を防いでいるのだ。「移動」には、単換掌の術理である後退スライドを含んだすべての移動方法(ウォーキングなど)が含まれる。

単換掌の術理から導き出された「後退スライド」対敵身法によって、敵中を、速度を落とさず移動し続けながら、攻撃を避け、敵の逆をつき、捕まらず駆け巡ることができる。

後退スライドは、八卦掌の歩法の名称を借りて言うならば、

「小さな擺歩(はいほ)→小さな扣歩(こうほ)→大きな擺歩→大きな扣歩(※直歩や大きな擺歩を持ちる場合もある)」の4つの歩で実行される。

このシンプルな運足技術によって、後方・側面から急速に接近してきた敵の追撃予定を狂わせ、時に、目の前に現れた敵の斜め前をスライドしながら移動逃げ打ちを展開する。

お気づきだろうか?先ほどから、私は足の使い方しか話していない。後退スライド防御法の説明をする際、必ずと言っていいほど、手技の技法解説を求められる。

「手は、後退スライドしながら、敵に向けて出すだけでいいよ。もし出すことができないなら、出さなくてもいいよ」

と答えるようにしている。

極端に言ってしまえば、手技の種類・出し方はどうでもいいのだ。それこそ、手を相手に向けて伸ばすだけでもいい。熟練者であれば、手すら出さず、後退スライド運足技術のみで、敵の追撃をすり抜け、移動し続けることができる。

なぜ手技で防御しないのか。それは

  • 「敵の力と正面からぶつかる」
  • 「敵と距離が近くなりすぎるから」
  • 「敵の力任せの攻撃に押し込まれる」

からである。

「敵の力と正面からぶつかる」ことは、なぜ手技防御を避ける理由となるのか

女性の筋力は、男性のそれより当然低い。これは紛れもない事実だ。だから、女性護身の際の敵(多くの場合男性となる)の力に、抗してはならない。

力と力がぶつかれば、当然、力の弱い者の方が不利である。そのような単純なことなのに、多くの護身術は、当たり前のように、敵の突き・蹴りを防ぐ技法を、時間をかけて指導する。

「敵と距離が近くなりすぎるから」は、手技防御が招く、最大の欠点である。

手技で防ぐことしか防御方法がないなら、当然、敵に向かい合って、敵の近くで、敵の出してくる攻撃を防がなければならない。「敵の攻撃を手で防ぐ=敵のすぐそばにとどまる」ということだ。

明確な攻撃意思をもった敵のそばに居続けることが、どれほど危険なことであるか、容易に想像できるだろう。

そばに居て手が届く攻撃対象者の、胸三寸で、事の帰趨が決せられる。近くに居続けることは、もっとも危険な行為なのである。

最後に、手技防御が「敵の力任せの攻撃に押し込まれる」理由を説明したい。

手技を練習し、手技をもって防御するためには、敵に対し、我の身体を正面きって向ける必要がある。その状況下で、首尾よく手技が成功し続け、その戦況にイラつき、敵が猛然と力に任せて突進してきたらどうするか。

体格と筋力にものを言わせて前に出てくる敵ほど、防ぐことの難しいものはない。猛然と突っ込んでくる敵を避けるには、急所に致命的な一撃をカウンターで打ち込むか、後方に逃げるしかない。

カウンターは、訓練を積んだボクサーでも難しい技法であるため、女性護身術技法としてアテにすることはできない。

であるならば、後方へ逃げるしかない。後方へ逃げるには、正面に向けた身体を、後方へ向け返して、そこから移動する必要がある。この「向け返して」が、時間がかかる。多くの人は、突進に身体が固まり「向け返し」すらできないか、向け返している間に、敵に捕捉され、蹂躙されてしまうのだ。

向け返しもせず、後ろ走りで下がる方法もある。しかしこれは、前に突っ込んでくる敵の速度に比して、圧倒的に遅い。たちどころに捕まってしまうだろう。後方へ逃げるなら、我の身体も完全に後方へ向け、わき目もふらず前に進む必要があるのだ。

※手技で防御するならば、敵に身体正面を向けざるを得ない。武術の中には、背中越しに構えるものもあるが、絶対少数である。そのようなマニアックな武術護身法は、当然、相当の経験を積んだ使い手のものである。

・・・・手技に頼って身体を守ることが、女性の護身術にとっていかに難しいものであるか、分かっていただけたと思う。

手技防御による護身は、不可能ではない。実際、多くの護身術道場は、その技法を指導している。このような道場を選ぶなら、とにかく通って、男性と組手・スパーリングをし、その中で手技防御技法を出来るようにする必要がある。

後退スライドを利用した清朝末式八卦掌の護身身法であれば、最初から後方へ我の身体を向けて対敵し、急速離脱しながらの撤退戦技法も事前に練習できているため、「移動+最悪の際の手技けん制」の二本立てで、その場からのスライド回避が可能となる。

※この動画には、解説音声があります。

最悪の際の「手技けん制」であることに注目してほしい。ここでも、けん制によって敵の接近を防ぐことを目指している。攻撃ではなく、けん制である。けん制とは、とにかく手を出すだけ、である。足を止めればいい。止めている間も、後退スライドで移動している我は、敵から距離をとることができる。

清朝末式八卦掌において、防御の90%以上が「移動」なのである。敵の手の届かない場所に身体を自在に「移動」させることができるならば、敵が武術の技法に優れていても、力が強大でも、関係ないことになる。

清朝末式八卦掌は、宦官(去勢された男子)によって考え抜かれ、体系化された対暴力生存技術なのである。

この稀有の技法を、ぜひ女性の皆さんに利用していただき、卑劣な暴力から身を守ってほしい。

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八卦掌の有名な「構え」では護身はできない

八卦掌の有名な構えがある。映画「グランド・マスター」でチャン・ツィイーが見せた構えだ。

梁振圃伝八卦掌では、あの構えは「推磨掌」と呼ばれている。

では実際に、八卦掌の使い手は、組手でも実戦でも、あの構えをするのか?する人もいるようだ。しかし私はしない。なぜなら、あの構えをすると、身体が特定の場所に居着き、敵の突進攻撃に対応できないからである。

しかし、映画や漫画の影響で、八卦掌はあのように構えると思っている人間が多い。門外漢ならまだしも、長年八卦掌を修行している人間ですら、あの構えをするという驚きの現状がある。

※この動画には映像音声があります。

映画のワンシーンを見てもらえばわかるが、男性拳士と真っ向からぶつかって戦っている。これはもはや弱者使用前提を離れた格闘技である。映画ゆえ、派手なアクションが受けるため、このような点が誇張されている。この戦い方は、「遊撃戦」ではなく、「変則ステップ戦」である。センスと若さ、対人練習での膨大な練習量、そして運が必要である。

実際に、約束事など設定せず、遠慮も手加減も一切ない実戦で、このような構えをして対峙してみると、この構えから反応することがいかに難しく効率が悪いかすぐわかるものだ。効率悪いを通り越して、対応できないのである。

夜間警備の職務中、野生動物(1メートル超えの猪)が3メートル後方から突進してきたことがある。アスファルトの上ゆえ、3メートル以上の距離を、わずか2秒足らずで詰めてきた。まさに突進である。

私は、手に持っていた棒で、背身刀を用いて後ろ撃ちしながら転身し持ち替え、その後後退して猪と並走しながら、2発を打った。あの構えをしている暇もなく、猪のファーストアタック時、背身刀にて後退打ちしてしのぐことしかできなかった。

後退スライドが無意識にできたから、背身刀の技も出すことができたのだ。突進してくる敵に、前にでて対応する技法しかしらなかったら、ファーストアタック時に、膝付近に、口から飛び出ている歯が刺さっただろう。

突進時、自分がとっていたのは、まさに、清朝末式の基本姿勢であった。練習時、ひたすらあの姿勢から後退スライドする練習をしているため、平素でも、無意識に清朝末式基本姿勢になっているのである。

※この動画には解説音声があります。

清朝末式八卦掌の女性護身術講座であるので、ここで明確に、構え方を示したい。

基本姿勢

手を下げ、敵を背中越しに置き、逃げるように敵から遠ざかるように歩く。傍から見ると「嫌がって逃げている」かのように見える構えだ。実際に構えているように見えない。歩いて敵から遠ざかっているので、逃げているように見えるのである。

すでに身体が入っているので、敵が急速に距離を縮めてきたら、スライド並走して距離を詰めさせない。

そして状況に応じた後退スライド撤退戦の転掌式で対応する。

簡単そうに思うかもしれないが、これは意外と難しいのだ。そもそも、敵を斜め後ろに置きながら歩くことは、潜在的に恐怖を感じるだろう。事前に、この位置に敵を置いて歩く練習をしなければならない。

その練習こそが、かの有名な「走圏」なのである。

清朝末式八卦掌の走圏では、頭を円周の中心に向けたりしない。敵は四方八方にいるため、まっすぐ前を向いて歩くのである。円の中心に顔を向けていたら、円の中心にいる敵にしか注意が向かない。これでは、側面からの攻撃に反応ができない(気づかない)。

清朝末式八卦掌の基本姿勢。手を下げ、胸をくぼませ、背中が丸くなる。そしてリラックスした状態。実は、この姿勢こそが、構えの練習でもあるのだ。敵と対峙する段階は、少しだけ顔を、敵へ向けながら逃げるが、その後は、ひたすら前を見て高速ショウ泥歩で多人数の渦中を駆け抜ける(※対一人の時は、常にその敵を見て歩く)。

近代八卦掌の走圏練習で必ずと言っていいほど出てくる「八歩で一周くらい」もほぼ気にしない。水式門の正式門弟に、八歩で一周・・・といって指導することはない。移動遊撃戦になってしまえば、その時の状況で、旋回の半径もコロコロと変わるからだ。〇歩で一周、という決まりは、移動遊撃戦の弊門八卦掌では、顧みられない。

近代八卦掌の修行者が読んでいる可能性もあるため、指導許可を得て伝人にもなった先輩八卦掌家として、近代八卦掌の走圏について触れておこう。

※「伝人」の肩書は、後に無理な条件を付され事実上覆されることになる。このような行為は先生という立場でも弟子の将来を狂わし得る行為であるため承服していない。しかしこのようなくだらないトラブルに後進を巻き込ませたくないことと、梁派技法で弱者護身は難しいと判断した2つの理由から、梁振圃伝で弟子は取っていない。

近代梁派八卦掌の走圏では、腕をねじり込み、手のひらを地面の向け平行にし、指を目いっぱい伸ばして姿勢を維持する。激しい緊張状態をし続けることで、必要な箇所だけ力が入る状態へと導く練習法である。私も、梁派の第5代にまでなった人間なので、このプロセスを経て、必要な箇所だけ力が入る状態へと達した。

しかし、このプロセスの過程で、昔東京で中国人就労生の若手先生から習った八卦掌は、ガチガチの見苦しいフォームとなってしまい、八卦掌を少しだけかじった兄弟子に「水野君の八卦掌は本当にへたくそだ」とまで言われるようになってしまった。

私が指導者になったら、この「緊張の中に弛緩を見いだす」練習方法を、必ず不採用にしてやろうと考えていた。それくらい、功罪のある練習方法なのである。実際、最初の厳しい練習段階に耐えきれず、多くの人が八卦掌に挫折するか、基本姿勢をなおざりにした状態で先に進んで、軸のない動きになってしまう。

実戦では、もちろん、このような歩き方はしない。あくまで鍛錬のための姿勢なのだ。実戦時の動きではない練習法は、清朝末式八卦掌ではNGである。昔日に、実際の動きではない動きで練習している暇など無い。軍隊であれば、短期で徴収した農民兵を戦うことができるまでに育てる必要がある。

清朝末期は、今すぐに使う必要があるご時世(太平天国争乱の渦中)であった。今すぐに使うことができない武術など、昔日において必要とされない(岳家拳、楊家拳のような、秘匿性の強い門外不出の武術は例外である)し、繁栄もしない。

基本姿勢2

話を戻そう。

手を下げ、リラックスが要点となる、清朝末式八卦の基本姿勢で、敵から逃げるように歩き距離を保つ。必ず、その距離は、相手の手が届かない距離だ。理想は5メートルくらい。それくらい離れるようにする。

その状態から、敵が距離を縮めて来たら、すかさず後退スライド動作に入る。少し距離が縮まるが、その状態で、けん制となる推掌・穿掌などの攻撃を、相手の頸部めがけて放つ。

相手は突然の攻撃に足が止まるが、こちらは、歩きながら攻撃をしているため、移動速度は落ちていない。そこで距離が開く。

そのワンターンだけで、大きく引き離すこともできるが、そうでない場合も当然ある。そこで、このターンを、何度も繰り返す。自分の息も上がるが、相手は移動しながらの攻撃にほぼ慣れていないため、軸を失い、息が上がり、距離が開いていく。

その状態で、突如大きくスライドしてより一層大きく引き離し、相手の脚が止まるのを確認したら、キロメートル単位の「離脱」をして、身を守る。

ターンの最中も、常に基本姿勢を取り続ける。この基本姿勢こそが、「構え」なのである。

清朝末式八卦掌の走圏は、実戦で実際に採る姿勢で歩く練習のため、後退スライドの対人練習で試してみると、すんなり違和感なく動くことができる。

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ちまたの護身術では、女性が身を守ることが困難な理由2つ

「女性 護身術」と打ってインターネットで検索すると、実に多くの護身術が登場する。

しかしそのほとんどが、敵と相対し、敵の力のベクトルに対抗し、敵への積極的ダメージを狙うものだ。

これらの護身術のサイトを開き、実際に男性が暴漢役としてデモンストレーションを行っている動画を見ると、やはり難しいと感じる。

何が難しいか?それは、「(この)護身術で、女性が身を守ること」だ。根本的なところで、難しいと感じるのだ。これはいい加減な直感ではない。なぜなら、これほどまでの練習を重ね、中国拳法をお金をとって指導するまでに達した自分でも、「これはできない」と思うからだ。

理由はシンプルである。

一つ目は、敵と向かい合い、、敵の攻撃の力のベクトル方向に相対する技で対抗しているからだ。

女性の筋力は、男性のそれと比べて、想像以上に、低いものだ。

理性を失って自分の行動を抑制することを忘れ、欲望のままに突き進む暴漢(ほとんどが男性)の筋力は、理性の管理下に置かれた男性の筋力と比べて、数倍にも跳ね上がる。

逆に、襲われる側の女性(カテゴリーが女性の護身術なので、ここでは女性想定で話を進める)は、襲われたくない気持ち、そして、今まさに自分が局面している危機を受け入れる心の準備がなされない状態で身体が躊躇しているため、理性を失って襲う男性の筋力に対し、あまりにも低くなる。

その低い状態の中で、攻撃してくる相手の腕・足・身体の力のベクトルに対して抗したら、防ぐはずの手脚は一瞬で制され、弾き飛ばされ、たちどころに押さえられ、組み伏せられ、もしくは殴られ、蹴られる。

男性の私であっても、そのような経験があったのだ。そして残酷だが、弾かれ押さえつけられた後は、容赦ない攻撃と蹂躙が待っている。

女性の護身術をうたうなら、防御も攻撃も、いやそれにかかわるすべての動作が、敵の力・技のベクトルに向かってはいけないのだ。弱者使用前提の清朝末式八卦掌が、防御から攻撃までを一貫して、敵の力とぶつからない方法を採用しているのは、敵の力とぶつからないことを目指しているからである。

二つ目は、敵と接触している点である。ここが最も女性の護身を困難としている点だ。そして根本的な点でもある。

「女性の護身に対する考え方が変わった」と言われている護身動画を見ても、必ず敵を接触する段階がある。これのどこが革新的であるのか。根本的なところが抜けている。

敵と接触する。敵と接触する=敵を制する。敵を接触で制するには、敵の技法、筋力を上回る必要がある。敵の事情によって、護身の結果が大きく左右される。つまり「相手次第」の要素が結果の帰趨を分かち、生死を決するのだ。

護身術で「相手次第」はあってはならない。これは、私の口癖でもある。しかし確信に満ちているから何度も言うのである。護身に失敗は許されないなら、準備の段階から、「自分次第」の領域で勝敗を決する技術体系で準備をする必要がある。

「接触する」・・・この点を改善するために何ができるだろうか。「接触」の段階がある時点で、女性護身術として大きな問題が生じ、そこからほころびが生じるから、護身を考える女性であれば真剣に考えてもらいたい。

敵の攻撃を、接触して手技で受けている。先ほど、ちまたの護身術でよく採られている暴漢に対する手技による応戦例を示した。おそらくこれらは、武器が消え、人が徒手で行動するようになった場合を想定した対敵身法である。

八卦掌のルーツは刀術(盾兵である藤牌兵【とうはいへい】による戦場刀術)である。

双方が武器を持っている際、両者の間隔(つまり「間合い」のこと)は大きくなる。武器持ちで接近戦はありえない。つまり、相手の持っている武器が、持っている人の筋力や年齢などをまったく超越して、それだけで大変な脅威となるから離れるのだ。

藤牌兵の攻防でも、敵の力と抗する場面がある。その際は、藤牌を敵に差し向け、藤牌によって敵の攻撃を受け防ぎながら後退・側面移動し、もしくは藤牌の下から手持ちの刀を突き出して防御する。

私たちが現代において護身する際、軽い、手回しのよい藤牌などは持っていない。藤牌に類する防具も持っていない。

※「カバンで応用」などという無責任な説明をたまに見るが、カバンなどはアームシールドである藤牌とは比べ物にならないくらい扱いにくい代物であり、とてもじゃないが、防具にはならない。防具である以上、緊急時の想定を超えるような暴力の力を受ける必要があるのに、持ち手もないカバンなどでは、容易に押し込まれ暴力の矛先が身体に到達する。

藤牌も防具も持っていないなら、攻撃を接触して受けることはしてはならない。だから清朝末式八卦掌は、既存武術の概念を大きく超える後退スライドの移動距離をもって、敵を接触することを排して、それを最高の防御手段としているのである。

八卦掌水式門の練習では、八卦掌の中核・単換掌の術理を指導する際、接触した状態で教える。しかしそれは、初心の段階だけである。

私が有事速度で用法を示す際は、接触すらしない。接触すると、敵次第の要素が入り込み、こちらの思うように戦いを主導できないからだ。

敵が近づいてきたら、手も出さず大きく後退し、敵を並走しながら、届く段階で初めて手を出す。手を出す時、すでに身体は敵から一層離れる態勢に入っている。その瞬間・その直後から、大きく後退スライドし始めるのである。

既存武術を練習している男性、もしくは、まったくそのようなものを練習していない男性は、攻撃する際、必ず軸を作り攻撃する。軸を作る=軸を置いた場所に止まる、のである。

攻撃によって「止まる」瞬間にも、常に動き続けている清朝末式八卦掌の使い手は、その瞬間に敵を大きく引き離す。何度も繰り返し向かってくるならば、何度も引き離し、少しづつ距離をとっていき、敵が疲れた状態で一気に離脱する(離脱は、キロメートル単位で行う)。

※軸を作って行う技は清朝末式八卦掌では一切行わない。その場に止まってしまい、「勢(せい)」がそがれるから。よって、蹴り技は一切ない。近代八卦掌の用法を示す際、入門したての門弟に蹴り技を示すことはあるが、あれは、近代用法を示しているだけである。清朝末式八卦掌における移動遊撃戦の渦中では、一瞬の軸足作成動作のスキも無い。足は常に、移動という「防御」のために使っているから、軸足として使う暇がないのである。使いたくても使えないのだ。やってみればわかる。八卦掌における有名な「暗腿(あんたい)」ですら、清朝末式八卦掌ではほぼ行わない。

最後にまとめたい。もしちまたの護身術で真剣に護身を考えている女性がいるならば、「接触し、力がぶつかる」際の制敵技法が習得困難でない護身術を選ぶのがいい。

制敵技法の習得は、一般に大変な困難を伴う。そもそも、対人練習を相当に積まなければならない。サンドバックや木相手にいくら打ち込んでも、制敵技法に対する自信は湧かないだろう。

よって、近所で、通いやすく、対人練習もしっかりと実行できる道場・ジムを選ぶのが必須となる。そして積極的に、先生と組手を行うこと。

しかし、暴力の力を手わざによる防御と攻撃で制して護身する護身術は、攻撃できて護身術っぽくても、大きな危険が伴う一か八かの要素が強いことは忘れないで欲しい。とにかく練習し、有効な一撃を与えることができたら、その場からキロメートル単位で離脱せよ。私はここまでくらいしかアドバイスができない。

私は、清朝末式八卦掌を指導しているから、この拳法を例にとって話しているが、数多くある武術・格闘技の中には、清朝末式八卦掌に匹敵するくらい、敵と接触をさけ、敵の力とぶつからない技術体系をもった武術・護身術があるかもしれない。

それを見つけるのはやはり困難である。国内では、女性向けと言われる八卦掌の道場の中でも存在しない。しかしあるかもしれない。

ここで、見分け方を教えたい

(1)手技で防ぐことを指導する武術は、敵と力がぶつかる武術である。格闘技をアレンジして護身術として指導している道場の護身術は、ほとんどこの部類である。近代八卦掌は、この分類に属する。

(2)防御後、前に出て攻撃をするスタイルも、力がぶつかるスタイルである。既存の護身術は、この手のパターンも多い。しかし、攻撃で前に出る瞬間、接触し、力がぶつかる。

(3)防御も攻撃も、一貫して下がって行う技法を持つ武術なら、それは接触しない、力がぶつからない護身術となり得る。女性には、このスタイルこそが、最適の護身術となる。清朝末式八卦掌は、まさにこのスタイルである。そして、対武器を想定していた各拳法の原初スタイルもこれに該当する。攻撃を当てるよりも、攻撃に当たらないことを徹底し、手わざにほぼ頼らず、移動による身体移動で防御する。

真剣に護身を志し、護身第一を考えている女性がいるならば、(3)のスタイルを採る護身術を探し、教えを請うてほしい。

(3)のスタイルは、はたから見ていると、逃げ回っているようにしか見えない(移動して防御している、という概念が皆には理解できないのだ)。持久力も必要だ。華美な技はほぼ無い。しかし女性が護身を果たすうえで、もっとも適したスタイルだ。この言葉を念頭に入れ、あなたの命を守る技術体系とめぐりあって欲しい。

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逃げ続け「捕まえてみろ!」と一喝し戦う自分をイメージせよ

いじめ連中との戦いでは、キレイに鮮やかに「勝つ」必要なんて一切ない。そんな無駄なことは目指す必要が全くないことをここで確認しておく。

逃げ打ち、転身し、とにかく逃げること、つまり、撤退戦を正規の攻防手法とする武術・八卦掌を練習するならば、逃げ続けていじめ連中をほんろうしている自分をしっかりとイメージするんだ。

逃げ続けて逃げ続けて、「コイツ!捕まらねぇ!」と言って肩で息をして、こっちを見ているだけのいじめ連中の情けない姿をリアルに想像するんだ。そのイメージをもって練習することで、本当にそうなっていく。

「逃げ続けるだけでいじめが収まるのか?」と思うかもしれない。確信して言える。きっと収まる。

私は、いじめとの戦いで、あの時、膨大な時間と情熱を注いだ。大経験者の私が言うのだから間違いない。

逃げ続けることでいじめを打ち砕くには、周りの人間の力が必要だ。でも大丈夫だよ、そいつらに助けを求めるわけじゃない。求めても助けてなんてくれないから。そんな不確かなものにゆだねるのではなく、逃げ続けていじめ連中のみっともない姿をさらし、見て見ぬふりを決めこむ同級生の心の中に君のすごさを見せつけるんだ。

もっと分かりやすく言おう。君が逃げ続けることで、いじめ連中の「ふがいなさ」を皆に見せつけてやるんだ。いじめ連中の権威の失墜作戦である。

どういうこと?つまり、こういうことだ。日頃偉そうなことを言って命令したりパシリにしておきながら、こいつらは集団でかかっても捕まえることもできない。なんとも口ばかりで、よってたかっても大したことのない連中・・・・と思わせるんだ。

逃げ続けて、君の身体のエンジンと気持ちの高ぶりが最高潮に達したら、連中に大きい声で、堂々と、言ってやるといい。

「ほら、どうした、捕まえてみろ!」

その言葉にキレて、連中は猛然と突っ込んでくるかもしれない。しかし、猛然と突っ込んだって、私が指導した身法をマスターしているなら、恐れることはない。さっきまで通りに、移動距離を長く取りながら、逃げ続けよ。大丈夫。捕まることはない。

小回りの利く身体移動法は、下の動画で解説している。

実はこの動画中における移動方法は、多くの、小回りを要するスポーツにおいて、トップ選手が自然と行っている動きに酷似しているんだ。ハンドボールの知人が同じような動きをしていて、私に教えてくれたことがある。門弟の指摘で、サッカー選手も似たような動きをしていることを知った。

八卦掌では、この歩き方(移動方法)を、「ショウ泥歩(しょうでいほ)」と呼んでいる。

この移動方法によって、小刻みに、君の望む移動ラインをトレースでき、路面がぬれていても滑りにくくなり、かつ、敵に力を伝えやすくなる。砂浜などの足場の平面じゃない場所でも、ほぼ動きを制限されることなく動くことができるようになるんだ。

そして、逃げ続けるために必要な、スピードを落とさないで防御しながら駆け回るには、後退スライドによる撤退戦戦法をとる必要がある。この撤退戦戦法は、いじめ護身部では2つを教えよう。

八卦掌では、この方法に多くの手技技法が存在する。しかし君の戦いは、学校内であり、ナイフなども一般的に使用されない戦いを前提しているため、ふたつをマスターすれば、逃げ続けることができる。

そこでまず出てくるのが、敵に背をむけないで撤退戦をする方法。

動画では、初心者に最もやりやすい撤退戦法(推磨掌転掌式・すいましょうてんしょうしき)を指導している。

自分の子供が、突如迫ってきて手をつかもうとした中年男性から身を守った、実績のある技だ。

先ほども言ったが、後方や側面から襲ってくる敵を、自分の移動速度を落とさないでかわす方法が、八卦掌には8つある。その中で、もっとも初心者がやりやすく、八卦掌の拳理からも外れず、効果のあるやり方を選んだ。

私自身も、弟子とのやり取りの中で自然と使っている。

コツは、手を出す動きなどすべての動きを、足を止めず、歩くことを止めず、動きながら行うことだ。そうすると流れるようにうまくスライドできるし、かつ、八卦掌では、動きながら(歩きながら)行うことを義務付けられている。

「止まる=死」とすら八卦掌の中では言われるくらい、重要なポイントである。

「ただ動き回っているだけ」と、自身の拳法の常識を盾に批判するトンチンカンな馬鹿タレがいるが、八卦掌のことを何も知らない人間のたわごとである。

動き回ること、移動しまくることを正規の戦法とする八卦掌。自信をもって移動しまくってほしい。移動し続けることが、弱者に与えらえた最大の対抗手段なのだ。

次は、敵に一瞬背を向けて撤退戦をする方法。これは撤退戦、と言うよりも、身をひるがえして敵を振り切り、振り向きざまに前方にいる敵に電撃奇襲攻撃をする技である。

遊歩連捶の動画を見てほしい。振りかぶったあとの電撃戦は、この「敵に一瞬背を向ける」方法から来ている。私が最も得意とする技であり、もっとも信頼している技だ。

平面上できりもみ旋回しながら敵に手を出すことで、少なくとも君は手痛い攻撃を受けることはなく、敵の足を止めることができる。

・・・・・移動方法と、この二つの撤退戦方法を、徹底的にやり込んで、逃げ続けよ。

君が強くなるために、君は多くの時間を取ることはできないはずだ。今すぐにでも、いじめの暴力から逃げなければならない。

であるならば、多くの技など練習している暇はない。今すぐ、この動画3本を見て、練習し始めよう。

最後に再度言っておこう。

倒さなくていい。逃げまくって逃げまくって、連中に「捕まえてみろ!」と一喝するだけでいい。

それができただけで、君が取り返すための戦いは、大きな局面を迎えるだろう。

狭い教室で戦えない?だったら、連中が向かってきたら、広い廊下に出ればいい。なぜ、誰も助けてくれる奴もいない教室内にこだわるのか?どんどん広いところに行こう。先生が怒鳴っても関係ない。君は自分の身を守ることを最優先にせよ

君は今、人間として、生物として、生存をはかるための最も自然な行動をしようとしている。人の意見など、すぐに消えてしまう無責任なものだ。今すぐ、自分の身と尊厳、そして自由な意思を守るために、広い場所に突破し、逃げまくって「捕まえてみろ!」と叫ぶんだ。

「広さ」は、周りのモノは、そして移動できるその身体は、君の大きな味方だ。壁も、椅子も、机も、移動身法と後退スライド撤退戦を身につけた君ならば、すべてが味方になってくれる。

さあ、移動しよう。一緒にやっていこう。君の戦いの局面は、大きく動く。

八卦掌水式門富山本科イメージ

清朝末式八卦掌は、現存流派に縛られない成立当時原点八卦掌

八卦掌水式門で指導する八卦掌には、名前がある。「清朝末式八卦掌」だ。

名前なんてどうでもいい?いや、国内主流の近代スタイル八卦掌と同一視されると問題があるため、この名をつけた。それくらい、清朝末式八卦掌と近代スタイル八卦掌は、別物体系なのである。

程派、尹派、梁派・・・それら著名流派に加え、八卦掌にはたくさんの流派がある。

そもそも「派」とは「派生」や「枝分かれ」のニュアンスを含む。

だから私は、自分が指導する八卦掌に、「~派」という名称はつけない。つけたくもないし、そもそも、~派という名称の入り込む余地がない。

なぜなら、私のたどり着いたものは、原初のままの、枝分かれする前の八卦掌だからだ(原初と近代に優劣はない。スタイルの違いである)。

「原初のやり方に忠実に従った原初のスタイルによる」の意味なら、「~式」こそがふさわしい。よって、清朝末式八卦掌と題うっているのである。私は、この呼び名を大変気に入っている(~派と呼ばれるのは、本当に嫌だった)。

この呼び名は、サイト上にて言うにとどめている。門弟にとって、このようなことはどうでもいいことだからだ。私に続く門弟は、各人思うように進むのがいい。

そもそも、弊門指導の八卦掌が、原初スタイルと言い切ることができるのはなぜか。

それは、各流派に共通して残っていた型・姿勢から推しはかり、そのうえで、30年以上もかけて実戦・組手・単独練習の果てに確信したものだからだ。他人の文献をを参考にしたからではない。現在の中国国内の著名先生の書籍にも、清朝末式八卦掌に関わる記述はなかった。隠しているのか、それは分からない。しかし書いてないのは事実である。

拳法は、書物での伝習は難しいとされる。すべてを書物から、では確かに大変だ。しかし、究極の達人先生から教わらずとも、(指導許可を得るくらいの実力を持つ)先生から、動作の仕方・手順を教わりさえすれば、あとは、ひたすら繰り返すことで、技の術理も含め、すべてを君の身体が教えてくれる、のも実感している。

私たちの身体は、あまりにもすごい有機体である。科学の力をもってしても複製することなどできない、奇跡の物体である。

その奇跡の物体が、教えてくれたものだ。「このやり方・・・いいな」「やっとわかった、こういうことか!」突然感じるその悟り・サインこそ、真実が分かった時だ。そのサインを積み重ねていき、たどりついたのが、この清朝末式八卦掌。だから「確信」しているのである。

もちろん、いまだに謎の部分もある。しかしそれは、これからの研究の果てに、きっと明確にわかるもの(つまり、引き続き、死ぬまで、ずっとずっと追い求める、ということだ)

よく人は言う。原点回帰ですか?原理主義ですか?と。いいや、違う。「清朝末期頃のスタイル」にたどり着くのは、ゴールではない。通過点だ。

私は、もっともっと先を見据えている。しかし、ここまで時間がかかり過ぎてしまったのも、事実。試合想定・強者使用前提となり、本来の八卦掌が持っていた最大の特徴から離れてしまった現在主流の近代八卦掌からの離脱は、想像以上に大変であった。

習っていた門を事実上追い出される形となり、当時は相当憤っていたが、考えようによっては、全く自由に行動できる、ということ。

事実、所属門を辞してからの技術の向上は、すさまじいものがあった。所属していた時は、梁派の技術体系に疑問を持ちながらも、それに追随する自分がいた。しかし今は、問題なく離れ、どんどん後退スライドし、縦横無尽に駆け巡っている。

練習の最中、敵前にとどまる練習を少しだけ行っている。その後、後退スライド術理に沿った清朝末式で練習をし始める時、いつも思う。「なんて自由に動くことができることか!」

私は気づかないうちに、著名流派の形式主義に陥っていたらしい

近代スタイルでは、敵の力とぶつかるのを避けられない。どこかしこで必ず、敵の力と積極的に抗する場面がある。その抗する瞬間をやり過ごす技法が、あまりにも難しく、成功を妨げる

やり過ごす技法を完璧にこなす人を、ほとんど見たことが無い。「相手次第」という極めて厳しい技術体系を克服するような技法は、相当習得が困難だ。

それには、膨大な対人練習(相手を必要とする練習)が必要となる。清朝末式は、最初こそ術理をマスターした人間の導入が必須であるが、その後は、対人想定練習(対人を想定した一人練習)でかなり上まで技術を上げることができる。しかし、近代における力とぶつかる瞬間を制する技術は、対人練習でないと独りよがりとなってしまう。

正直、近代八卦掌を練習している者の中で、対人練習を定期的に行えている人間はどれほどいるだろうか?私は、師の会に所属していた時、必ず、対人練習に積極的に挑んだ。

相手に圧倒されても、そこから得るもののために立ち上がって臨んだ。あれほど積極的に対人練習に挑んでいる人がどれくらい、近代八卦掌修行者にいるだろうか?八卦掌の経験者と手合わせをしたことは何度もあるが、対人練習をやり込んだと推定できる人に出会ったことが無い。

これでは力任せの攻撃をいなす技法は手にすることができない。「相手は体格がいいから仕方ないね」とよく耳にする!が、それは実戦では「死」もしくは「蹂躙」を意味する。私は身をもって経験したから間違いない。

これからますます、清朝末式八卦掌の指導を加速させていく。弱き者が立っているためには、このスタイルしかないと信じているからだ。

全く迷いがない。梁振圃伝八卦掌で指導許可を得た自分だが、指導許可をひっくり返され、一方的に苛酷な条件を付された経緯があり、梁派に未練すら湧かない。

個別指導科では、梁派近代八卦掌コースを新設している。しかし、当コースは仮入門制なしで教える(グループでの指導にも応じる)。仮入門制を採らないくらい、梁派の名にこだわってないということだ。(梁派近代八卦掌コースでは、それだけの履修修了で八卦掌第7代掌継人にはしない。護身や指導ができないからである)。

強者の力任せの攻撃に圧倒されているなら、弊門で清朝末式八卦掌を練習しなさい

女性に護身術は意味がない、と言われて行き詰っているなら、弊門女性本科で、清朝末式八卦掌の術理を学びなさい。

いじめで体格のいい複数人の同級生に、意に反する要求をのまされているならば、いじめ護身部の動画を参考に練習をし、遠隔地生科を利用して学びなさい。

本当に身を守ることができる護身術を学びたいならば、君が・あなたが、よほど体格や筋力等で恵まれてない限り、力がぶつかるスタイルの格闘技をもとに作った護身術では、護身を果たすのは難しい。清朝末式八卦掌の護身術そのものの技術体系を味わいなさい。

後退スライドし、縦横無尽にかけめぐり、護身のみであれば、頃合いをみて、キロメートル単位で離脱しなさい。確実に護身を果たすことができる。既存武術のような小手先の手技で防御するな、清朝末式八卦掌の術理による、圧倒的な移動距離で防御せよ。

趣味やファッションで護身術を学ぶなら、それはそれでいい。しかし、本当に護身が必要ならば、力がぶつかるスタイルは、対人練習環境が整っている道場でない限り、避けよ。

もし一人で練習するしかないなら、八卦掌水式門の入り口を叩け。清朝末式八卦掌の術理を学びに来なさい。やる気のある者との出逢いを楽しみにしている。

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後退スライド身法は、弱き者同士で模索した形。今からだ!

相手の状況や技術、体格などに影響されないこと。

そのためには、相手と接触することは極力さけること。私が習ってきた武道・武術・護身術は、皆、敵の力とぶつかるものばかりだった。

敵の攻撃を、手で防御している時点で、すでに敵の力とぶつかっている。武術・武道をやる男性の中で、私は確実に体格が劣る。体重は少なく、背も低い。自分の未来を変える戦いの後、ずっと、力任せの攻撃に、弾き飛ばされてきた。

八卦掌に初めて出会った時、間もなく、この技術が力のぶつからないスタイルを目指しているものだと分かった。普通はその点に気づかない。佐藤先生の本には、力がぶつからないスタイルであることにあまり触れていなかった。それでも分かった自分は、やはり八卦掌の天才のようだ。

それ以後習っていく八卦掌技法は、まともに力がぶつかるものが多く、中国拳法の会得の方法が「師匠から習う」ことしか思いつかなかった当時の自分は、愕然とした。

力がぶつかった時に、それを補うため、繊細な技法、秘伝めいた技法、何年も練習しないと習得できない技法が必要となるからだ。

その現実を知った時、一部の高度技術を習得した人間の周りでしか、弱者は守られない、と思った。この先、たとえ自分がその技術を習得したとしても、自分の周りの人間しか守ることができない。何も、現実は変わらない、と思った。

目指していたのは、「誰もが習得できる弱者向けの護身術」だった。一部の才能ある武術家と、その周りの人間だけしか救われないのでは、やっている意味がない、とまで思った。

「何か突破口はないか・・・」その現実に気づいたときから、人知れずの、探求の日々が始まった。人知れず・・・本当にほぼ誰にも言わなかった。

協力してくれた(シャアを敬愛している)バイトの後輩とその友達たちには話したが、「その(拳法)のことって、よくわかんねぇえっすよ!」とのことで、さりげなく襲って(協力して)くれた(本当にありがとう)。

だから、自分の目指すものは、誰にも知られることはなかった。身内以外は。

時間がないと思った。体が動くうちにその技術体系を確立し、志ある者に伝えたいと思った。

その瞬間、自分を偽って合わせている集まり・人との関係から、一切身を引き、ひたすら練習をする態勢を作り始めた。

うっすらと分かり始めてから、すでに20年以上、やっと形になって、何が重要で何が重要でないか、分かった。そこから初心者や武術にまったくなじみのない人が練習できるようなものを考え出して・・・やっと公開することができる。

攻撃の成功よりも、移動による防御の成功を目指す昔日の体系。難しい言葉、実在しない空想の動物の名を冠して気取りたくなりから、そのままの名称で呼ぶことにした。

斜め後方スライド撤退戦対敵身法。

清朝末期頃、この技法をどう呼んでいたかはわからない。しかし水野義人という中興の祖の中で再び体系化したのだから、このように呼ぶ。

単換掌の術理による、力がぶつかるのを避ける清朝末頃の八卦掌の中核技法を出来る限り簡素化したもの。

今まさに、いじめにあっていて、理不尽な要求をのまされる屈辱を味わっている君に練習してほしいもの。あの時から、ずっと君たちと同じく、戦ってきた成果を、やっと少し形にできた。

自分も、すべてを自分自身で考え出したのではない。やはり協力してくれた人がいた。ほぼ同時の一番弟子で、傍にいて、一番一緒に練習してくれた二人。まもなくまた一人加わって三人。

記念すべき動画の見出しイラストは、後退スライドを海岸で一緒に練習している時の一番弟子の子供の写真をイラストにしたもの。

女性でも通用する技法にたどり着いたのは、彼女らが試し、時にダメ出しをし、時に「これいける!」とはしゃいでくれたからだった。繰り返しになるが、あの時から今日まで、何度言っても言い足りないくらいのありがとうがあった。

理不尽な暴力を跳ね飛ばすことを夢見た君は、跳ね飛ばすための才能がある。この技法を見て、自分にもできるのでは?と思ったならできる。この技法を見て、興味を持った君ならできる。

自分も、敗北から始まって、力任せや体格による圧倒に負け続けて、それでも食い下がってきたもの。膨大な失敗の果てにたどりついた境地は、まさに弱者使用前提の技術体系なんだ。

実績もある。ある子は、言い寄ってきた中年男性の手を触れる前に振り切り、1キロ先まで後退スライド離脱して、難を逃れた。

ある子は、どさくさに紛れて後ろから抱き着いてきた男性に拍打ではたいて弾き、二度とその集まりに参加しなかった。

私は、アスファルトの上で突進速度がすさまじかった猪の突進を何とかかわし、後退しながら応戦することで、なんとかその難を逃れた。

かっこいい戦いではないが、君の戦いにも、きっと役立つ。何より、練習すれば、自信がつく。今までではできなかった動きができるようになり、空が高くなり、開放感に満ち、「さあ、やってやろうか!」と気持ちが前向きになる。そして、君が君自身を誇りに思うだろう。

動画は是非見てほしい。そして解説ぺージも読んで欲しい。動画では触れることができなかったポイントも書いてある。堅苦しい解説ではなく、いじめで自分と大切な人を苦しめられた先輩として、詳しく真剣に解説している。他人事(ひとごと)じゃないから当然のことさ。

君の健闘を祈る。きっとうまくいく。きっと取り返すことができる。

失ったものがある。取り返せないことがある。しかし、動いたことで、色んな景色を見て、色んな人の優しさに気づき、自分なりのドラマが生まれた。さあ、今から、主人公になって歩き出そうぜ。

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清朝末式八卦掌は、”相手次第”を排したから護身術たりうる

八卦掌という武術に興味を持ち、八卦掌を護身術として考え、取り返すために練習をし始めた君へ。

この拳法は、他の拳法と、大きく異なるところがある。それは、相手の状況いかんにも屈しない対処法を身につける、という点である。そのことを念頭に入れて、少し長いが、読んで欲しい。

私の八卦掌修行の過程は、常に「”相手次第”を排すること」に費やされてきた。

八卦掌は護身によって護衛を実現する拳法。護身術である以上、相手次第の要素が多いのは致命的である。相手の状況によって、生死が決するならば、そのような技術に時間を費やす意味がない。

その点について、話していきたい。

近代八卦掌を練習している時は、どれだけ練習しても、体格がいい手足が長い、それだけの理由で、自分よりも圧倒的に練習の少ない人間に圧倒されることがたくさんあった。

勝ち負けなんてどうでもいい。負けることは悔しくなかった。それよりも、「相手次第」の攻防スタイルしか採ることができない自分の無力さ・至らなさに、悲しさよりもいきどおりを感じていた。

八卦掌は護衛術である。護衛術・・・しかしその「守り方」とは、我をおとりにして守る悲愴な方法である。

そのような悲愴な方法であっても、自滅などという破滅的な戦い方はしない。そこを創始者は、考え抜いていた。

単換掌は実に合理的な考えのもとに考えられた戦法である。複数の敵の中を、勢(せい)を落とさずに立ち回るための根幹的身法である。しかし敵は、後ろから来るだけではない。

単換掌の術理でやり過ごし転身した先にも敵はいる。どこにも敵は居る。その都度、後退スライドが合理的な対処法であるとは限らないと創始者は考えた。そこで、前の敵に対処する方法が考えられた。

順勢掌(梁派における順勢掌の術理を持つ前敵対処の技法)が考えられた。そこから、単式練習が考えれ、近代にいたり、スライドのない単式練習となった。

近代にいたる過程で、勢の大原則から離れた。対多人数戦の八卦掌では、勢は外すことのできない絶対的に近い原則である。そこを離れた時点で、近代と昔日の八卦掌は、ほぼ別物となったと言っていい。

これは、マイナスの進化ではない。戦いの場が、殺し合いから割と穏やかになった他流試合となり想定が対一人がメインとなり、体格も同じくらいの人間と戦う配慮もされ、修行者も拳法経験者の男性が多くなったから生じた、自然の変遷である。

近代の拳法を取り巻く状況の下で、後退スライドで、我の攻撃が当たらなくても敵の攻撃が当たらないために、スライド離脱を繰り返す生存第一スタイルなど採る必要はない。私がこだわっているのは、過去の敗北と蹂躙の出来事と、教える門弟が、ほぼ女性ばかりであったから。

敵のそばにとどまって、勢に頼らず技法で戦うということは、相手の都合(技術・体格など)に左右されることを意味する。

あれだけ回り込むことが難しかった近代変則スタイル斜進攻防でも、相手の技術や体格が自分より不利であったりすると、十分に通用する。逆に、不利な面が少しでもあると、ほとんど通用しない。

その現実に対抗するために、膨大な時間の対人練習が必要だったりする。螺旋功などの精密で才に左右されるような技術の会得が必要だったりする。事の帰趨は、多分に相手にかかっている。

相手次第・・・これは、わが身を守ることの成否も、わが身を守って立ち続け、守るべき人を守ることの成否も、相手の事情にかかってくる。どれだけ練習しても、相手次第で左右されてしまう技法に、わが身ならともかく、大切な人の命を預けることはできないのは当然の考えである。

相手の側面にとどまれば、我も連続攻撃ができるため、あてることができるだろう。しかし相手の攻撃をもらう可能性も生じる。そして、相手は我よりも強大である。時間の経過とともに、我の様々な資力は減り、いずれ動くことができなくなるだろう。敵よりも早くに。

孫子の兵法における『小敵の堅(けん)なるは、大敵の擒(とりこ)なり』に通じる事態である。

ここで原則に戻りたい。八卦掌の大切な人の守り方は、我をおとりにすることである。ならば、喰らってはいけない。止まってもいけない。そして止まらずに、移動のついでにランダムに、敵に襲い掛かる必要がある。

そうなると、前敵対処法におけるスライド攻撃の方法は外すことができない。スライドしないと、敵にぶつかり、勢がそがれ、我の攻撃が敵に脅威を与えなくなる。「いつ襲ってくるかわからないから、見てないといけない」と敵に思わせないと、敵の魔の手が守るべき人に伸びてしまう。最悪である。

スライド攻撃することで、敵の事情による勝敗結果の左右を、大きく下げることができる。はなから防御するつもりなんてない。通り過ぎながら手を出す。手を出して当たるスライド軌道を、練習の時からひたすら繰り返している。

私の修行で、清朝末期頃の八卦掌に回帰するために、この方法で考え続けてきた。常に原則に立ち返る。この方法をとったら、勢に影響はないだろうか?

AとBの方法がある。どちらかで迷ったならば、八卦掌のおとりによる護衛を実現するために、どちら方法が有効か?の視点で考える。おとり戦略による護衛のためには、「勢」だけはぜったいに外すことはできない。

この試行錯誤の作業をずっと繰り返し、二十数年の歳月ののち、気づいたのである。単換掌の術理に。”相手次第”との格闘の果てに、やっと気づいた。先生に教えてらったわけではない。先生は、「八卦掌は多人数戦専門の拳法」と言っていたが、具体的な方法は示さなかった。中国拳法らしく、自分で考えろ、とのことだったのだろう。

単換掌の術理は、誰にも言うことなく過ごしてきた。前に所属していた道場の兄弟子らにも言ってない。

後ろに下がる、後ろに下がりながら攻撃もする、が、あまりに特徴的なので、否定されるのが不本意だったのがある。隠して独り占め・・・なんてことを考えていたわけではない。

その時は、まだ、相手次第、の要素をぬぐいきれていなかったから。もっともっと磨く必要があったから。その時すでに、後退スライド撤退戦の対敵身法を採るようになってから数年が過ぎていたが、まだ相手次第の要素に翻弄されていた。

「相手次第を排する」という視点に立って物事を考えていると、中国拳法を習うにあたって当たり前である常識的基本技に対しても、○○次第でないか?と考え、「これは本当に極限で使い得るだろうか」と一考するようになる。

槍術の基本を例にとる。「モノ次第」と考え、技術体系を組み直したいい例である。

中国拳法界でなぜかやたらと有名な、槍の基本である「ラン・ナ・サツ」であるが、ランとナはともかく、サツは、実戦では非常に使用が厳しい。技が難しいとかではなく、槍の柄部分を、手の平の中を滑らせる行為が、実戦では己を傷つけることにつながるからだ。

身の回りのモノで戦うのは、実戦の大基本である。しかし槍の代替品たるものは、そこらの長い竹や、緑の農業用支柱、工事現場の進入抑止バーである。

それらは通常野ざらしで表面が傷んでいるのが普通で、 手の平を滑らせたら、とたんに皮膚を傷つけてしまう。つまり、滑らせる技は使用できないのだ。管槍(くだやり)でもない限り、これは厳しいと感じた。

昔の武芸者は、手入れしたお気に入りの槍を常に持ち歩き、かつ戦場では手袋をしていたため、あの技法を活かすことができたのだ。そもそも、置かれた状況や使用環境が違う世界での技法となる。であるならば、それは使うことができない。

よって弊門では、槍術に関して、「モノ次第」の要素を排するために、双身槍の操法に忠実になり、手のひらの中を滑らす技法は使用しない。皆、槍の中央付近で持ち替えて、先端部分で攻撃をする。

※ランとナに相当する技法(名称も動作の大きさも違うが、やっていることはよく似ている)は、八卦双身槍の基本であり、もちろん一番最初に指導しているため、中国拳法界の常識にとらわれている人でも、納得して練習している。

○○次第を排するための技法の総見直し(オーバーホール)の作業に多大な時間がかかり、清朝末式八卦掌のある程度の確立までに、単換掌の術理に気づいてから、十数年の歳月を費やした。これでも短い方である。身近に、単換掌の術理に素直な子達がいて、常に練習をして重ねることができたから、十数年で済んだのだ。

時折問い合わせの中で、とらえ方は違うが、年齢や相手との体格差とかで、行き詰まり・疑問を感じ、申し込んでくる人がいる(そのうちのほとんどは、その後、何らの断りもなく消える)。この前も、そのような疑問を感じて真摯に問い合わせて来たので、仮入門を認めアドバイスをした(その人も来なかった。いつものことであるが)。

質問後・問い合わせ後の態度・対応はともかく、相手次第に疑問を感じている人は一定数いるようだ。私は、その中で、その疑問をそのままにせず行動できる人に、指導していきたい(行動しないで待ってるだけの人間には教えようもないし、指導してもすぐいなくなる)。

他武術の経験が長い人間は、力と力がぶつかるスタイルからなかなか離れることができない。プライドが邪魔をするときもある。習いに来ているのに、後退スライドに勝負を挑む馬鹿タレもいた(そういう人間は、当然叱る。なんのために来てるんだと)。

相手次第を排することを至上命題として常に意識して練習を積み重ねても、十数年もかかったのだ。わたしから術理を教わることができるとはいえ、清朝末式八卦掌の力のぶつからない術理を採りいれる気のない以上、いつまでたってもうまくなることはない。

後退スライド撤退戦対敵身法はシンプルゆえ、さわりだけを習っただけで、来なくなる人間もしかり(講習会に来る人間に多かった。講習会を開かなくなった一因である)。最初から、核心部分になど触れることはできない。シンプル=すぐできる、ではない。シンプルでも、こちらは段階に応じて指導内容を変える。自分が理解してきた道に沿っているのだ。命がかかっている技法だから心底理解させないと危ない。当然である。

護身術を考えているなら、術理が最も大事である。どこで開催される、とか、室内だから快適に練習できるから、などというどうでもいい理由で、命を賭ける技術を習う場所を選ばないことだ。もし力がぶつかるスタイルの護身術を習うなら、対人練習をコンスタントに行うことができる道場がいい。家の近くで、かつ、対人練習を積極的に行ってくれる道場となろう。

弊門は力のぶつからない術理ゆえに、遠方の人間でも後退スライドの練習方法をしっかり理解し地道に積み重ねるならば、実戦に耐えうるレベルまで上がる。練習による上達においても「相手次第」を排し、「本人次第」としている。

君が、あなたが我が身を守り、大切な人を守りたいなら、「相手次第」を克服せよ。その先に、大切な人の笑顔が待っている。

大切な人、の中には、当然、君やあなた自身も含まれる。君も、あなたも、誰かにとって、大切な人。そして自分にとっては、間違いなく大切な人だから。

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八卦陰陽理論は、考えた人間にだけの真実。君の真理に従え!

八卦陰陽理論なんて知らなくても、八卦掌で十分に達人になることができる。確信している。

もっと言えば、たくさん伝わっている八卦掌の理論も、知らなくてもいい。

知ったところで、最初に素晴らしいスタートをきることができるわけでもない。途中で知ったところで、修行が大きく前進するものでもない。行き詰っている時知ったところで、その行き詰まりが解消されるものでもない。

37年の歳月の中で、理論を読み解いて技術が改善した記憶など無い。私の八卦掌の先生は理論を学べと言っていたが、私は同じ助言を、私の後に続く門弟に言うつもりは全くない(学ぶのはまったく自由)。

八卦掌成立時の、清王朝末期頃は、庶民の識字率など極めて低かった。中国王朝時代は、庶民が字を知り、反逆の知識・知恵をつけるのを恐れていたため、庶民に対する字の普及は意図的に避けられた。国体を維持するための国策だったのだ。

つまり、多くの拳法名手を生み出した清王朝末期~中華民国初期頃の修行者は、字など読むことも書くこともできず、ゆえに理論で技術を理解することもできなかった。それでもあれだけの達人らが出たことは、理論の学習が拳法深奥到達に必須でないことを意味するのである。

私は、冒頭に出た「八卦陰陽理論」など、勉強もしてないからほとんど知らない。ただ一つの箇所を除き。

後ろから迫る敵を引きつけ後退スライドして撤退戦をするとき、後ろから迫る敵は深追いをして「前方向に進む」慣性にどっぷりつかった状態となっている。

そこで追撃を狂わされ反撃される事態が生じたら、敵はその事態に対応できない。つまり、追撃という圧倒的有利な「陽」の状態のなかに、追いかける相手の変化に対応できない「陰」の要素が生じるのだ。

昔日スタイルの八卦掌は、その部分で撤退戦を仕掛ける。撤退戦を成功させるために、対敵イメージ走圏をし、ショウ泥歩で歩ごとに居着かない歩き方をし、扣歩→擺歩の後退スライドを練習する。

私が正式門弟となった人間に話す八卦陰陽理論は、その部分だけだ。それ以外を話したことがない。読んだことはある。

敵が入ってくる方向や、それに対する変化などを、八卦の卦にて説明する、極めて難解なものだった。八卦掌の術理に気づき、身体を自在に動かして捕まらない状態と、電撃戦をどこからでも仕掛けられる状態となった後のことだった。

しかし、その理論で我の動きの裏付けをすることなどできないと即座に感じた。

移動遊撃戦は、相手や我のその時の動きによって、その都度変わるもの。到底理論などで、移動遊撃戦の緒戦から終戦までを、説明できるものではない。

私の成長とともに技術を上げてきた女性門弟たちも、その考えになっていった。洗脳したわけではない。彼女らは、私に匹敵するくらい練習する。その中で、十代半ばにして、そのことに気づいたのだ。

「理論で、私の動きを妨げないで欲しい」と、強がりでなく、誇り高く宣言する彼女らに、私は大きな手ごたえと嬉しさを感じた。

理論に触れず、「これは大事だ」と、我の修行の過程の中の気づきだけで判断した「中核部分」で、門弟が強くなる過程を目の当たりにすることができたからだ。

八卦陰陽理論は、それを作った人(八卦掌の技術体系を八卦陰陽理論で裏付けた人)、作った人に直接学ぶ門弟、陰陽理論に触れて心底感動して悟った者とその者に直接習った者のみ、意味がある。

八卦陰陽理論は、自然の法則を人間が頭で考えて、当てはめたもの。であるならば、当てはめた人は、彼の表現としてまとめ上げたのだから、大変意味がある。そして、彼に習う門弟も、八卦陰陽理論を通して八卦掌をとことん理解した彼に習うのだから、意味があるのだ。

残念ながら、八卦掌水式門の水野義人には、この理論はしっくりとこなかった。しっくりこない理論なのに、八卦掌内で権威があるから、有名だから、という理由だけで理論教授や技術指導をされても、水野義人の門弟が分かるはずが無いのだ。そもそも、水野が深い箇所まで、説明しつくすことができないのだから。

私は八卦掌が、(1)創始者が、清王朝の宮廷に入った宦官(身体能力的弱者)であったこと、(2)斜進戦法を特徴とする力のぶつからないスタイルを採っていること、(3)手の動き、創始者の逸話のなかに、刀術のにおいが立ち込めていたこと、(4)師から「八卦掌は多人数専用の武術である」と言われ続けたこと、(5)八卦掌が、おとり作戦で守るべき人を守る悲壮な護衛拳法であること、などから、長い繰り返しのなかで、「単換掌の術理」と「前敵スライド離脱攻撃の術理(順勢掌の術理)」に気づいた。

気づいた時、すべてがつながり、目の前が開け、身体の動きが今までの次元を大きく超えたことを、抑えられないくらいに実感した。あの時の感動と胸の高鳴りは、今でも忘れられないくらいだ(どれくらい泣いたか覚えてないくらい、ずっと泣いていた)。

私にとって、単換掌の術理は、八卦陰陽理論で八卦掌を説明した天才にとっての「八卦陰陽理論」に匹敵するくらい、重大な真理なのである。

だから、この真理は、正式な門弟にしか指導しない。講習会や体験で時折来る、斜に構えて様子をうかがいに来る、八卦掌の「初歩の初歩」すらわかってない人間、デモンストレーションと実戦を区別もできない暇つぶしの動画視聴者になど、教えるはずもないのである(習う気もないからである)。

私はいつも思う。修行をしている者には、他の門派の内情や、他の拳法のデモンストレーションなんかに目もくれず、とにかく習っている門派の中核部分を繰り返して欲しい、と。

繰り返す理由はただ一つ。習っている中核部分を、その修行者の身体を通して、その修行者の理解方法で、理解してもらいたいからだ。

水式門の承継人には、いつも言っている。「君の気づいた理解プロセスに絶対的自信をもち確信し、君の理解の仕方で解釈したものを、八卦掌の術理として伝えよ」と。

修行者から指導者となったその者にとって、気づいた術理は、どんな有名先生の説く理論よりも真実に近い。その瞬間、彼にとっては、彼の理解の仕方で悟った八卦掌理こそが、「真実」なのだ。

彼に習う門弟は、彼が気づいた「真実」をもとにして、また新たな、門弟にとっての「真実」へと進むことができる。これこそが、伝承である。

先生は、自分自身の、膨大なくり返しによって気づいた真理に忠実となり、それをあますところなく伝える義務がある。その義務をしっかりと果たす指導者こそが、「良師」なのである。

誰それ先生に習った、とか、そんな上っ面なものにこだわっているだけの先生は、間違っても良師ではない。

そういう点で私は、梁振蒲伝八卦掌の伝人の道を捨ててでも、我の真理に向き合って指導しているため、「良師」なのである。我の真理に従って進んでいるから、胸を張って指導することができるし、これからも進化していくだろう。

講習会や体験で、一回習っただけで来なくなるような人間はいくらでもいた。きっと期待外れだったのだろうが、それについて、何ら気にもならない。

指導者になる際それを心配する人もいるが、「大丈夫だよ、そうなったからといって、君の真理がつまらないとかではない」と心の底からアドバイスしている。

八卦掌をやるなら、ここまで行こう。人を導く立場になろう。そのために、君の真理まで行こう。そこまで行くと、指導する以外にも、色んなことができる。

仕事で、自信をもってお願いができる。危険かどうかがわかる。野生動物の気配を感じとることができる。その瞬間、トップスピードで、その場から離脱することができる。これらは具体例。もっと素晴らしいことができるかもしれないのだ。

その世界を見てみたいと思わないか?誰それ先生の名でなく、君の名で、自由に堂々と、伝承活動をしてみたいと思わないか?

不安なんて感じる必要はない。私自身、人が来ないだけで、すべてうまくいっている。自分が目指す世界へまっしくぐらだ。

水式門でなくてもいい。君が習いたいものがあるなら、今すぐ動くがいい。人生は短いぞ。動けば、大変なこともあるけど、それがまた、君の「真実」へと、君を連れていく。

習っている最中は、先生の真実に素直になれ。でないと、上達しないし、失礼でもある。なぜなら、君は何もわかってないからだ。しかしひとたび一通り学んでわかってきたら、人の考えたものを崇拝するな。君の真実への、足掛かりとせよ。

八卦掌水式門富山本科イメージ

久々の八卦連身牌(盾)指導~習った背景・盾の準備

前の記事で、少し牌術(はいじゅつ)について触れた。牌術とは盾術のこと。主に、虎衣藤牌兵の伝説について触れたと思う。

今回は、八卦牌を連身牌として習ったいきさつと、実際に練習するための準備について、少し触れていきたい。伝説話から、実用への橋渡しである。

八卦連身牌(はっけれんしんはい)。名前は適当である。なぜなら、教えてもらった先生も、そのように(おそらく)呼んでいたし、その都度、呼び方も変わっていた。

その技術を指導するとき、「八卦の連身牌だ、牌は・・・盾ね」と言っていたことだけ、明確に覚えている。

教えてもらった時は、まだドラゴンクエストがメジャーでなかったときだ。日本で盾を持った戦いはなじみがない。当時から、日本と世界に歴史についてはそれなりの知識があったため、盾術を教えてもらった時は、強烈なインパクトを受けた。

先生は片言で、「タイカーソルチャー」と言いながら、虎の動きを模倣し、その後、生徒さんの御年輩の方らに手拍子をさせながら虎衣藤牌兵(こい・とうはいへい。この呼び名は後で知った)の演武を見せてくれた。あの時の驚きと衝撃は忘れられない。カッコよかった。

次に教えてもらった時は、なぜか牌術のまた呼び名が変わっていた。その名を覚えていない。今となっては、そもそも八卦掌に関係した牌術なのかも不明である。

いろいろと八卦掌の文献(中国語の文献)を見たが、八卦の牌術について記されたものはなかった。だからといって、「そんなものは八卦掌ではない、違う。」と決めつけるは当然しない。

衝撃と、魅力、そして高い実戦性は、長年の練習で実感した。きわめて後退スライド術理と相性がいい。そのことは、わたしにとって、習った牌術が八卦掌のものであるという確信的なよりどころである。

だからあの時、横方向への、半円軌道の打ち方を教えてくれたのか(ホンロウ勁)。先生は、形意拳を教えるために、劈拳を教えたのではなかった。であるならば、斜めに進む劈拳など教えない。斜進の劈拳には、八卦掌の打ち方の一つであることと、それが牌術における重要技法であったために触れたのだ。意味があったのだ。

東京まで行って、八卦の連身牌術だ、と言われながら八卦掌の先生から教わったこと。それはきっと、大きな縁であり、意味がある。自分の求めてきた八卦掌のスタイルに到達し、技術も備わり、八卦掌の本当に意味、何が重要で何がそうでないかが分かった今でも、牌術を練習する必要性を感じる。

定式八掌に中にも、牌術でなければ説明しにくいものがある。そして、相性のいいものもある。仙人観棋掌、そして・・意外と、推磨掌。推磨掌は、手で刀を持ちかえるより、盾と刀の両方で、その都度の位置に対応する動きをすると、大変やりやすいのだ。

牌術技法は、武器術の必須ではないが、術理の説明では必ず登場する。よって、興味をもって取り組み、今でも続けている門弟もいる。

興味をもって練習するには、当然、盾が必要となる。

盾など、当然そこらのショッピングセンターには売ってない。かといって、中国から本物の藤牌を取り寄せるのも大変だ

よって自作となる。

私は、ホームセンターで必要なものを買ってきて、一気に仕上げる。ゴミ箱のフタで作った盾である。ゴミ箱の青いフタであれば、60センチほどの盾を作ることができる。

  • ゴミ箱のフタ(直径60センチ)
  • 木の取っ手
  • ソフトまな板(大サイズ)
  • アウトドアとかで使うベルト

実際に藤牌兵が持っていた盾は、直径が80センチくらいの大きなもの。野戦時、藤牌兵が前衛に立ち、盾を掲げ身を隠しながら敵の陣形に突撃をする。あとの槍兵らは、後からついていくのだ。突撃時、敵陣から飛んでくる弓や、待ち構える敵兵の長い槍や騎兵による手持ち槍による突き攻撃を防ぐため、藤牌は必然と大きなものとなる。

時の流れとともに、この戦法は主流から外れていく。列強の中国侵略時、虎衣藤牌兵は、そのままのスタイルで近代装備と近代戦法で武装・編成されたイギリス軍と対決。

藤牌は、弓矢・槍による刺突攻撃・火縄銃の弾丸には、それなりの防御力を持った。しかしイギリス軍の主装備は、マスケット銃とカノン式野戦砲・榴弾式野戦砲である。マスケット銃の弾丸は藤牌を突き破り、榴弾式野戦砲の炸裂弾の破片は、四方から無差別に清朝兵を殺傷する。

下の写真は、アヘン戦争時の履門(アモイ)攻防戦である。藤牌営らを含めた清朝正規兵営は、イギリス軍のアイルランド連隊をはじめとする近代軍団の優勢な火力により押され、多大な犠牲者を払った。どさくさにまぎれたイギリス軍・野盗らによる略奪・暴行などで、周辺は蹂躙され多くの惨劇を生む。

「虎衣藤牌兵」の名は、「栄光の部隊」から、「悲劇の部隊」の代名詞へと変わり、福建省周辺で伝説となり、その舞が民間に伝承されていく。

水式門では、盾の代わりとなるものをもって戦う場面の練習であるため、そこまで大きなもので練習しない。

しかし、大円に沿った刀の円孤軌道による斬撃を実感してもらいため、大きな径の盾(40~60センチ)を使用してもらう。動作を学ぶには、動きは大きい方がいい。大きい盾の円孤で練習すれば、動作も自然と大きくなる。

これは直径60センチのゴミ箱フタでつくった牌である。

一般的には、アームシールドとなる。アームシールドを持った手は、八卦掌の手法で操ることができれば、敵に勝手に当たり、ダメージが大きい。

振り回せばいい・・・簡単そうに思えるが、丸い物体を振り回せば、徒手の場合よりも腕の軌道を身体より離す必要がある。徒手の場合を同じように降っていたら、当然盾の端が自分に当たってしまうからだ。

基本は、後退スライドからの斬撃である。なるべく身を牌の後ろに置き、牌の外径に沿って刀を半円を描きながら斬り下ろす。

上からと下からの両方ともを練習する。持ち替えはできない(持ち替えている暇などない)。

持ち手を変えないで、敵に近い側の手で、敵前で居着かず、歩きながら対処する練習をするのだ。体幹を鍛えるのに、極めて大きな効果をもたらす。

八卦掌の移動遊撃戦における牌では、守るのは、側面・前面だ。後方は、自分は勢を保って猛然と進みながら攻防するため、いることが分かっていても、とにかく前に進む。

八卦掌水式門富山本科イメージ