初代へそ曲がり。2代目変わり者。変革者であれ!

変革者であれ!いつの時代も、ある一定の状態が続くと、ことの流れは停滞する。

停滞し、まどろむ流れを打ち砕くのは、いつの時代も、大勢や既存、定番にそぐわないへそ曲がりや変わり者である。

山田玲司氏は、その著書「非属の才能」の中で、大勢がはまる定番を「定置網」と表現した。目の前にある、「みんなやってること」に違和感を感じ、先生や上司からの「こうしなさい」に素直に従うことができないマインドを、「非属の才能」と評した。

であるならば、私は完全に非属である。

そもそも、この著書を読む前から、私は自分が「天才」であると自覚していた。

※天才=最強ではない。その辺、間違えないように。天才は最強である必要などない。最強に価値などない。いずれ取って変わられるもの。既存の群れによる同調圧力に屈しない、我が道を行くマインドこそが天才なのだ。

天才であると自覚する前は、先生や同級生、近所のおじさん、その他いろんな人に「なんで同じようにできないのか!」とイラつきまじりに言われたものだ。小さい頃は当然天才などと自覚してなかったので、自分はダメな子、自分はいけない子、自分はどんくさい子、と思って落ち込んでいた。

クラスの男子には馬鹿にされ、クラスの女子には嫌われ、小学校時代、友達なんてほとんどいなかった。遠足に行っても、誰とも過ごさない。これは友達がいないから仕方なく(実際にいなかったが)、したくもないことを、皆がしてるから参加する、というのが嫌だったので、遠足先の許された行動範囲の一番端っこで、一人ずっと、見知らぬ土地の景色を眺めていた。

小学校のころから、相当の、へそ曲がりだったのである。

小5の時、(おもちゃの)兵隊の絵を描く機会があった。自分は、当時日露戦争の戦術の研究していたため、日露戦争当時の日本陸軍の軍服のデザインで兵隊の絵を描いた。

渾身の出来栄えで、ほめられると思ったが、「これじゃない」「なにこれ」「知ってるからって見せつけか」とさんざんに言われたため、先生の前で怒って破り捨て、また余計に怒られた記憶がある。

見せつけたつもりなど一切ない。自分が知っているもの、自分のなじみのあるもの、自分が描きたいと思ったものを、素直に描いただけだ。自分に素直なのだ。

おもちゃの兵隊といって、皆同じようなものを描いていたが、私にとってはなじみの薄い、描いたこともないイギリス兵のような絵だった。だからなじみある、得意な日本陸軍兵士の軍服で描いたのだ。それが「特異」に映ったのだろう。

その天賦の才は、八卦掌においても、存分に活かされたようだ。八卦掌に価値を見出し、現行八卦掌が、八卦掌の昔の姿と違うことに、始めてから3か月足らずで気づいた。

今佐藤金兵衛先生の「中国拳法 八卦掌」を読んでも、どこにも、対多人数・対強者・弱者使用前提などと書いてない。それでも気づいたのだから、当時から相当天才だったのだろう。全く疑うこともなく、気づいた以後から、昔日スタイルに戻す旅が始まったのである。

私には、弱者使用前提・対多人数にこだわらなければならない理由があったため、ブレることは全くなかった。その目的を実現させるため、目指す職業・選ぶスポーツも定まった。

その理由で選ぶと、選ぶものも、いつも超少数派のものばかり。変人・水野と言われ続けた。本当の理由を言うはずもない。言ったところで「重い」とか言われるだけだったから、黙ってとにかく前進してきた。一番身近にいる家内だけは分かってくれたから、何ら問題もなかった。本当に恵まれていた。

既存のものに従い、進んできたら、きっと今と違った景色を見ていることだろう。皆と同じ景色を見て、流行りものをなんとなく試し、そしてすぐ飽き、また世間が用意したものをとりあえず試し、飽きて・・・と。

こだわったおかげで、この場所にたどり着いた。よく「後悔はない」というが、私は後悔だらけだった。これだけへそ曲がり人生を送っても、素直に手を出すことができなかったこともあったからだ。

「もっともっと、自分に正直になればよかった。」が正直な気持ちである。

私のもとには、多くの?2代目修行者がいる。水式門の八卦掌がまったく評価されない中、私の元に集った、変わり者たちである。

彼女彼らは、自分に正直で、外野の妨害など関係なく、練習場所にやってくる。〇〇先生直伝、などという言葉に流されず、己の判断を信じ、水式門にやってくるのだ。なんたる変わり者だ。だから2代目は「変わり者」なのだ。

しかし、既存に囚われない、己の目のみを信じる姿勢は、これから彼女彼らが取り組むものを、大いなる領域へと導くだろう。他人から習ったものを消化し、自分の価値を付加し、自分の領域へと進むことで、その人の真実が生まれる。まさに『達人』の領域である。

2代目が伝説の達人となるのは、そのためだ。今私の元にいる人間らは、伝説となる素養があるのだ。これからも、私の元にくる変わり者はいるだろう。彼らの会うのが楽しみで仕方ない。

批判したり、笑ったりする人間に接するとき、いつも思う。会ったことも技を見たこともない昔の達人の話のみで自分のやっていることを限定し、少しばかり生徒増やすために、その肩書めいたものを打ち出して枠組みに縛られる。

一度しかない自分の人生なのに、なぜ昔の、過ぎ去った人間のやり方に、自分を縛るのか?君は君だろう?君は君として、その人生を一回しか送ることができないのに。なぜ君の名で、世に名を通さないのか。

「自分のやり方を説いても、それが役に立たないものなら、自然と淘汰される」

そうだろうか?淘汰されてもいいじゃないか。世間が君のやり方を理解できなかっただけのことだ。ほとんどの人間は、定置網に引っかかった、既存の価値観の中でしかモノを選択できない凡人ばかりだ。天才の君が示した真実を理解できる可能性の方が低い。

見てみたまえ。ネットで「バズる」ものの内容を。暇つぶしにしかならない、その時の好奇心をみたすだけのものばかりだ。人に注目される=価値がある、では決してない。

くしゃみが2回だと笑われている・・・よくそんなことを言うが、私はいつもくしゃみが2回出る。そのたびごとに、「ああ、また笑われてるな」と思い嬉しくなる。

既存のものに囚われた凡人らに笑われることは、私の最大の栄誉だ。嬉しくてしょうがない。それだけ、私は独自の世界を進んでいるのだ。現状を打破する可能性のある道を、進んでいるのだ。

三十数年を経て、原初八卦掌の姿をやっと、世に問うことができた。原初八卦の姿を、もう少し鮮明にし、その技術スタイルで役に立ちながら、当スタイルをより進化させる。護身護衛のスタイルを、現代にしっかりマッチさせる作業が待っている。

原初スタイル八卦掌の本を書き、原初スタイルの優れた護身性能を存分に活かした、洗練された独習用護身術を創り(まだ洗練中なのだ)、それを全国有志が学ぶことができるようにして、大いに広める。

※あと・・・警備員らがあまりに運動不足で何も言えない事なかれ主義が多いので、警備員用の護身術も作りたいね。

さあ、ふたたび進むとしよう。いま私の元にいる変わり者(天才)らよ、そしてこれから私の元に来る変わり者らよ、遅れずついてこい。

変革者の旅は、これからもずっとずっと続いていくのだ。

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女性護身術科の失敗~3年間最大の成功は、3年間失敗し続けたこと

2024年1月27日の女性護身術科の開講に向けて、試行錯誤を繰り返し、誰でも真に護身ができるように、試してきた。

しかし応募は一切なく、これを読んだ人間なら、女性護身術科は「失敗」ととらえるだろう。そうだろうか?

多くのものが残った。開講に向けて、女性門弟たる子供らと試行錯誤を重ね、真の女性護身術をまとめ上げた。女性護身術科を開講しなければ、ここまで完成度の高い護身術はできなかったであろう。

まだ改良の余地はある。それは実感する。しかし、現時点でちまたの女性護身術の次元を超えたと自信がある。全く問い合わせがなかったのは、あまりに弊門の女性護身術が、ちまたの女性護身術よりもリアル・実用的で先を行きすぎていて、理解できなかったからだ。

年初からの「失敗(経験値が上がった出来事)」で、顧みる機会があった。八卦掌水式門を本格的に始動させ、サラリーマン武術家でなく、職業武術家として歩み始めてから、間もなく3年が立とうとしている。

人生最大の悲しみを経験した3年前から歩んできて、世間一般の物差しで測るなら、「失敗だらけ」だった。

振り返ってみて、この3年間、上手くいったことって、なんだっけ?とふと思ったので考えてみた。

意外とすぐに頭に浮かんだ。

それは、職業武術家として後戻りできない環境の中で、3年間、失敗し続けたこと。これってすごいことだ。

手放し失った数多くの物、背負った負債、崩した体調、去っていった人間、自ら絶ち切った人間関係・・・持っていたもの・ことを失ったのがあまりにも膨大で、それだけを見たら、私は完全な敗北者となろう

しかし、ここまでしても職業武術家としてこの場にとどまり、誇りと技術を磨き上げ、そのおまけに、納得できる情報発信の場まで、創り上げた。

私が目指していた理想の技術を一層磨き上げ、堂々と自信を持って発信できるまでに至った。

これらは失敗する中で、得たものだ。そして、「失敗」ごときであきらめなかったから得たのだ。「やっぱだめだわ」といって諦めたら、これらの最大副産物を、一つも得ることはなかっただろう。

2年半前くらいに、一度、追い詰められた者として、追い詰められている君へ、メッセージを送ったことがある。見てくれただろうか。あの最高傑作の動画を。

あの時、動画の中で、あきらめない、決してあきらめない、と誓った。それ以後、罵倒をうけたり、笑われたり、見下されたりもした。辛いこともあり、泣いたこともあった。

でも誓い通り、私は今でも、この場に踏みとどまっているぞ。約束は守った。君に宣言した約束は守った。

そしてこれからも、この誓いは変わらない。私の最大の武器は、「鉄の意志」だ。なんたって私は、八卦掌の達人であると同時に、「意志の強さの達人」なのだから。

失敗してもやり続けたおかげで、上手くいかなくても動じないマインドを手に入れた。

追い詰められても、職業武術家として、プロとして、練習だけは全力でやりぬいてきたため、そこから揺るぎないプロ意識がつちかわれた。私が自分の技術を、無料で垂れ流さないのはそのためだ。こび売って安売りしないのはそのためだ。

私の技術を学ぶ際に、常識的設定の水式門の月謝代金すらも出し惜しむ人間がいたが、文句なく去らせたのは、揺るぎない誇りがあったからだ。ケチるくらいなら、さっさとどこか行ってしまえ。

君も失敗しているだろうか?

何度つまずいてもいい。練習した技術を自信にして立ち向かい、倒されてしまうかもしれないが、それも構わない。

やり続けてみることだ。

もし怖いなら、私と一緒に、失敗していこう。私はこれからも挑み続ける。死ぬまできっと挑み続けるから、失敗は避けられまい。私と一緒なら、怖くないだろう?

失敗を乗り越えた先の景色は、辛いことも多いが、心地いいぞ。乗り越えた先でも、失敗や悲しみのマイナス要素はある。しかしそのたびごとに、君の顔つきは変わってくる。私のように。

その境地、そこの景色、その心地よさを、味わってみたくないか?

味わってみたいなら、この瞬間から、水野と一緒に歩き出そう。

恥ずかしい話、私も昨日、お金やら事業の未来やらいなくなった人への寂しさやらで不安になり、一人布団の中で泣いていた。でも立ち上がって、とりあえず何か前に進もうと思い、「遠隔地生科・護身術通信講座科」の解説ページをまとめ、立ち上げた。

この行動が己を上に引き上げるための 最重要行動となるのだ。そしてまた一つ、可能性が生まれた。八卦掌水式門が、全国にその技術を伝えるための、新たな可能性を生んだのだ。

女性護身術科。私が最も経験を積んできた、女性護身術の分野。多くの女性門弟を掌継人に導き、そのうちの一人は、水式門最強の筆頭門弟となった。護身術拳法・清朝末式八卦掌を、愛知の女性は学ぶ絶好に機会であったのに、失ったのだ。なんとももったいないではないか。

悔しさもあるが、やり切った実感はある。一連の女性護身術科最後の仕事だ、本日10時30分、刈谷総合運動公園バス停横芝生啓がに立とう。そこで、職業武術家としての誇りを、再確認しよう。

失敗し、また一つやり切った誇りを積み上げ、また何のためらいもなく次の手段を打ち出し、可能性をつなげる。それを繰り返す水式門の目標が、叶わないはずがない。

きみも、今回の私の「失敗」という名の経験を、参考にしてもらいたい。上掲の動画の気持ちはまったく変わっていない。

あきらめるはずがない。前に進むだけだ。君も、取り返す予定なら、一緒に前に進もうではないか。迷わず、水式門の公開する技術を練習せよ、きっと未来は明るいぞ。

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己を貫け。批判も、貫いた者だけの証~万葉の地・富山高岡で

富山県高岡市は、万葉集ゆかりの街である。

市内には、「万葉線」が走り、有名観光地の雨晴海岸(あまはらしかいがん)は、かの有名な万葉歌人・大伴家持(おおとものやかもち)ゆかりの地である。

今年の歌会始では、敬宮愛子内親王様の御歌が大評判であられた。力強くストレートな内容でありながら、千年の時の流れをも感じさせる壮大な歌。歌風敵には、ますらおぶりの、男性的な壮大な歌。まさに万葉風である。

万葉歌人といえば、やはり大伴家持。家持の生きた時代は和歌が盛んになり始めた頃の時代。歌の名手ひしめく奈良時代に、敬宮様の御歌は、どう庶民に響くだろうか?

その内容。「難き時代」・・・で、能登地震の被災者のお気持ちにも寄り添う、感動的な御歌であられた。

そんな中で、秋篠宮佳子内親王様のお歌につき、敬宮様との比較にて、批判をするコメントを見て、とても悲しく思った。

私は・・・以前も触れたが、眞子様のご結婚問題で、いじめにも近い集中砲火的な中傷が横行した際、お姉さまのために身体をはってお味方になられた佳子様に、深いお優しさを感じた。

いっしょに暮らす親族が批判にさらされ、心を痛め、その人のために力となる。当たり前のことではないか。相手がどうとか、過去がどうとか、そういう問題ではなく、今現在、結婚したいと思う両者がいて、それが親族で、いじめに等しい批判を受けている。

なんとかしなきゃ、いや、なんとかする、私が味方になる、当たり前のことではないか。

私もきっとそうする。私もそうした。突き動かされるがままに動いた。そこで立ち上がれば、自身もどうなるか想像はついた。

佳子様も、きっと想像がついたであろう。心無い、辛辣な批判に、自身もさらされることなど、容易に想像つく中、お姉さまのために寄り添われた。想像すればするほど、怖いこと。

そしてその危惧は、現実のものとなった。今佳子様に寄せられる批判的コメントは、貫いた人間こそを受ける、貫いた証である。

目に見えない、匿名という安全(彼らは安全だと思っているが安全でない場所)なところで、多数派の流れに乗って、思いやりの気持ちを忘れ、配慮なく辛辣な言葉を並べる連中と、佳子様のように貫いたがゆえに言われない言葉を浴びせられる人間のふたつがあるならば、私は後者の方に文句なしの敬意を感じる。

後者でありたい。今までも、そうあり続けようと心掛けてきた。先も触れたが、実行してきた。

佳子様のお歌につき、自身の結婚をにおわすものだとか、己のことのみだ、とかいう意見もある。何をやっても文句を言われるのだ。私はこのお歌を、素直で素敵だと思う。

昔の和歌を見ても、恋の歌ってとても多い。それでも名歌として選ばれ、後世にしっかりと残っているではないか。

もし、自身の結婚や恋について歌っているにしても、己の気持ちに正直で、いい意味で衝動的で、素敵だと思う。心に沿って歌ったのだろうと、感嘆してしまう。

私も、内親王様のように、まっすぐに進みたい。そして、今日も進んでいる。このブログを打つのだって、そうだ。今トレンドのキーワードで記事を書くのではなく、己が打ち立てた誓いに近づくために、記事の内容を選び、心をこめて書く。

文もイラスト(※イラストは助けてもらっている)も、皆オリジナルだ。己の今の気持ちに沿ったものを挙げている。

そしてその気持ちは、いじめで守ることができなかったあの時から、変わっていない。貫いている。

貫ききった証が、清朝末式八卦掌なのだ。多くの人に笑われ、ダメ出しをされたが、何の問題もない。笑う連中は、私をとらえることができないため、倒すことができない。

倒してみろ!簡単に、倒されないぞ!私の後ろにいる人に、手を出してみろ!どんなことがあっても、倒されないぞ!

そう念じて、貫いてきた。倒す、攻撃して打ちのめす。そうではなく、勝算があっても、カラスを流すタカのごとく、悠然と引き回し、頃合いをみて突き放す。

そのようにぶれずに進んで来たら、八卦掌の原型に気づいたのだ。貫いた者に与えられた、紛れもない証である。

貫いて欲しい。失うことだらけだったが、誓いと信念を曲げない意志だけは失わなった。それゆえに、少数であるが、本当に私のことを理解してくれる人・技術だけが残った。

君も貫いたら、多くを失うだろう。しかし、貫くことで生み出されるものもある。それはほんの少しかもしれないけど、それが支えだったと、実感できる時が、近い未来にやってくる。安心してほしい。

きっと大丈夫、大丈夫。

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2024年3月3日(日)清朝末式八卦掌原点「単換掌・単換刀」講習会

2024年3月3日(日)愛知県刈谷市総合運動公園にて、『清朝末式八卦掌原点「単換掌・単換刀」講習会』を開催します。

この場を借りて、当講習会の詳しい内容を説明していきたいと思います。

八卦掌は太平天国の乱時の、戦場刀術の影響を受けた拳法だと考えられます。

当時の軍の最前衛歩兵は、片手に藤製の盾(牌・はい)を、もう片手に90センチ超えのやや重い刀を持って戦う「藤牌兵」でした。相対的に体格の小さいものが藤牌兵・相対的に背の高い者が、藤牌兵に後ろに備える長槍兵だったと考えられます。

※明末はこの編成であったが、大清帝国時代の軍装には、銃や大砲が加えられたため、多少の違いはある。

八卦掌の定式八掌では、藤を持っていた名残のある型も存在しています(例:叉子掌・さししょう)。その戦場刀術から生まれたのが、八卦掌のエッセンス型である「単換掌」へと橋渡しをする「単換刀」です。

水式門では、愛知より遠いが独学にて学びたい方のために、web上にて独習ができるように、「いじめ護身部・取り返すための技術解説」・「最低限で仕上げる清朝末式八卦掌・女性護身術」を公開しています。

清朝末式八卦掌は八卦掌水式門の門外不出の技法です。しかし、上記技法は最小限のものなれど中核技法であり、初学独習者が学習するうえで誤った方向へと進まないために、定期的に講習会を開くことを決定しました。

八卦掌は護身術。命に関わる技法を公開する者として、学習者の学びの場を提供するという、当然の義務を果たしてまいります。

今回は、八卦掌草創期刀術の「単換刀」・清朝末式八卦掌の原点であり中核術理「単換掌の術理」の元となる「単換掌」に絞って特別講習をします

指導は、八卦掌水式門代表・八卦掌第6代掌継人・梁振圃伝八卦掌第5代の水野が担当します。清朝末式八卦掌を真摯に学びたい方は、ぜひご参加ください。

◆開催日・開催時間
2024年3月3日(日):10時00分~16時00分(途中1時間昼休憩あり)

◆講習会のタイムスケジュール

【午前の主な指導内容(午後にかぶる場合があります)】

・基本姿勢走圏と対敵イメージ走圏

・清朝末式八卦掌における「歩き方」

・単換掌を通して学ぶ後退スライド(単換掌の術理)

【午後の主な指導内容】

・単換掌

・単換刀

・単換刀の派生技術(陰陽上斬刀と単換掌)

◆参加人数

12名

◆参加資格

中学生以上の男女で、清朝末式八卦掌を真摯に学びたい方。

◆参加に際しての注意事項

・当練習会に参加するに際しては、募集期間中における事前の申し込みと支払期日までの受講料のお支払いが必要となります。支払期日を過ぎても支払を確認できない場合、例外なくキャンセルとして扱わせていただきます。
・真摯に学ぶ姿勢の参加者を求めます。指導者の指示に従わない者は、それ以後指導せず、退出していただきます。
・一日単位での参加希望者のみの対象講習会となります(午前と午後の内容が密接に結びついているため)。
・参加できなくなりましたら事前にメールにてご連絡ください。連絡無しでキャンセルした方は、今後の水式門の活動への申込みはお断りさせていただきます。
・発熱・体調不良・心身故障中の状態の中での無理な参加は、受講生の安全な受講に配慮する立場からお断りしています。
・一般参加者の学習環境配慮と技法の漏えいを防ぐため、保護者・知人・親族等による見学行為は例外なくお断りしています。
・本講習は、有料の特別指導であるため、見学目的・無料体験目的での参加はお受けしません。
・当講習会内は屋外で開催するため、マスクの着用は義務としません。気になる方は、各自マスク着用での参加をお願いします。

◆開催場所

愛知県刈谷市 刈谷総合運動公園 バス停横芝生広場
※雨天時は、刈谷総合運動公園内の「ウィングアリーナ」前のベンチまでお越し下さい。基本雨天決行です。ウィングアリーナ等が不明の場合は、電話にて遠慮なくお尋ねください。

◆受講代金

一日5,500円円(税込)

当金額を、下記の指定口座に支払期日までにお支払いください。

【受講料 振込先情報】

銀行名  :三菱UFJ銀行
支店名  :知立(ちりゅう)支店 店番号 412
預金種別 :普通口座
口座番号 :1213489
口座名義人:ミズノ ヨシト

【受講料についての注意事項】

※必ず振り込む前に、「キャンセルポリシー」をお読みください。
※下記支払期限までに金額を上記指定口座に受講料としてお振込みください。申込みがありましても、期日までにお支払いが無い場合、申込みのキャンセルがあったということで扱わせていただきます。
※講習会当日や後日における支払いには一切応じておりません。ご了承ください。

◆応募締切日・講習会代金お支払い期限日

申込み・代金支払い期限:2024年2月28日(水)

※事前連絡参加者がいない場合は、講習会は開催しません。参加希望者は必ず事前にご連絡ください。
※お申込みがありましても、2月4日講習会は2月28日24時時点で、上記指定口座において申込者様からの講習会代金振込が確認できない場合は、理由のいかんを問わずキャンセルされたものとして扱わしていただきます。
※お申し込み後、代金お支払い期限までに振込みがなく、かつキャンセルメールをいただけなかった無断辞退の申込者様は、次回以降の参加はお断りさせていただきます。

◆泥酔者・不行跡者への対応

泥酔者や、他の参加者に迷惑行為を行う者、手合わせ目的等学習目的以外の参加者に対しては、他の参加者の安全・学習環境配慮のため、参加を直ちに禁止し退場していただきます。
当措置に従わず迷惑行為を続ける者には、警察への通報などの厳格な対応をいたします。

※不行跡行為等が原因で退場していただいた方のお振込み代金につきましては、当日キャンセル扱いとさせていただき、消費税分も含め一切返金いたしませんのでご了承ください。

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カラスの猛追を流すタカの姿で悟った「清朝末式」八卦掌

昨年からずっと、肌寒くなりタカが練習場所に来始めると、ビデオカメラをすぐに撮影できる場所において、撮影していた。

撮りたかったのは、タカとカラスの空中戦である。なわばりを侵されたカラスが、タカを追いかけまわす動画である。

何十本と撮り、何度も何度も失敗して、やっと撮ることができた。私が大きな悟り(開き直り)を得た野生のやり取りを、、当ブログを読む方に紹介するためである。

見てもらいたいと思ったのは、清朝末式の八卦掌の戦い方に似ていて、かつ、命を賭けた真剣なやり取り(戦い)として、この両者の戦いこそが最も分かりやすくふさわしいと思ったから。少し小さく、かつ、対象物の動きが速いため見にくいと思うが、是非参考にして欲しい。

※動画には、BGM(ロッシーニ歌劇・ウィリアムテル序曲)があります。

動画中のタカは、身体も大きく、追跡しているカラスと戦っても、フィジカル面が原因の敗北などしないだろう。私が今までこの場所で見てきた幾多の空中戦においても、カラスに体格で劣るケースは少なかった。

このように、追われるケースというのは、タカがカラスの縄張り付近でエサを探して飛び回るから起こるケースが多い。タカは自分がカラスの縄張りに入っていることを認識しているかもしれない。

ここからは想像も加わっての解説となる。その点、ご了承いただきたい。

眼の前のカラスと戦ってもいいが、なわばりにいる他のカラスも戦いに加わってくる可能性もあるため、無駄に争わず、離脱第一で対処していると思われれる。

タカとタカが互いに戦う場合は、どちらかが傷つくまで戦う。しかしここで体格に勝るタカがカラスと敢えて戦わず早々に離脱するのは、そういった理由からであると推測される。

理由はさておき、タカの対敵行動に注目をしてもらいたい。

タカは常にカラスを後ろに置き、追わせている。向かってくるカラスに、正面切って戦ってないことがわかる。敵の力のベクトル方向に向かうようなことは一切していない。力に抗しない戦いを貫いている。

そして、移動向きを変える時に、後方カラスに、一瞬けん制攻撃をしているのもわかる。もしくは、移動の進行方向を変え、カラスをその都度ごと引き離しにかかる。

カラスにあえて背を見せ自分自身を追わせ、追いつかれそうになったら、さっと身をひるがえし、進行方向を変えて、カラスの逆をつくのだ。カラスはタカの一連の対敵行動のため、なんとかタカの身体に触れることができたとしても、致命傷を与えることなどはできない。

追わせ、引きつけ、カラスが速度を上げて追いつく瞬間に向きを変え引き離し、また追わせ・・・を繰り返す。

人間に例えよう。追跡者が速度を上げて追いつこうとすると、その瞬間に動きを高めるため、一気に息が上がる。インターバルトレーニングのようなものである。インターバルトレーニングは、息の上げ下げを意図的に行って心肺に負荷をかけ、心肺機能を高める。

トレーニングでこれを行うならいいのだが、実戦でこれを強いられるとスタミナを著しく奪われる。たとえ怒りや欲望を満たすために猛然と襲い掛かっても、息が上がると、とたんに戦う気持ちが失せてくる。

1分足らずの空中戦の中で、カラスは何度も何度も、急速接近攻撃を試みてはタカにかわされている。明らかにカラスの方が、羽ばたいている回数が多い。これは疲れるだろう。タカはカラスのチェイスのたびに、少し向き変え、流している。

清朝末式八卦掌においては、使用者が弱者であることが前提となっているので、最初から敵と距離を置く。

そのためには、敵がいいがかりをつけてきた瞬間から後方へと小走り状態に移動し始め、勢(いきおい)を身体に付ける。敵の急接近がくるまで待っていない。すでに勢がついている状態なら、敵が言いがかり状態から急接近してきた時、すぐさま日頃連取している後退スライドへと移行することができるのだ。

敵の速度に合わせることはない。サッサと、自分の日頃練習している後退スライド時速度へと引き上げて対応すればいい。まさに『先んずれば即ち人を制し、後るれば則ち人の制せらるる所と為る』(司馬遷「史記」項羽本紀)である。

言いがかりをつけてきた段階から後方へと小走りに移動し始めるため、いきなり敵との間に一定の距離(2~3メートルくらい)がを作り出すことができる。敵は我を倒そうとするならば、いきなり開いたこの間合いを詰め、かつ、移動しながら強力な一撃を入れなければならない。移動して離れていく攻撃対象に、強烈な一撃を加えることは男性でも大変難しい。

移動し始めて推進力が身体に加わっているため、攻撃される側は、敵の急速接近に対し、すばやく後退スライド対応ができる。

動画を見ればわかるが、タカは常に前をむいて逃げている。カラスの方向を向きながら逃げているわけでないのだ。八卦掌走圏でいうならば、前を見て進行方向にまっすぐ進み、敵がチェイスをしてきたら、後退スライドで勢を保ちながらけん制し、向きを変え、再び別方向の前方へと移動しなおす。

対一人戦であれば、この動きを繰り返す。

距離を保ち、チェイスをしてきたらその都度転掌式でかわし、けん制し、向き変えてふたたび移動する。自分の息も上がるが、日頃から息が上がった状態で練習して慣れているため、息があがっても、割と冷静に対応できるのだ。

動画の最後に、タカは急上昇し、悠然とその場から離脱を図っている。動画中では分かりにくいが、カラスが突然追跡を止めたのは、タカが縄張りから離れたからではない。カラスの追跡体力が切れたからである。

カラスの脱落を確認したから、タカは悠然とその場(カラスの縄張り上空)を離脱するために上昇している。ただ「逃げる」のではない。カラスが体力がある時に逃げても、すぐに追いつかれることを知っているのだろう。疲れ果てて脱落させてから逃げるのだ。

私も、何度も後退スライドで繰り返し相手の息を上がらせ、敵の足が鈍り少し距離が離れた瞬間に、一気に離脱する。その瞬間、多くの敵は、あきらめる。この戦法は、タカの戦いの終わらせ方から学んだのである。

宝蔵院の胤栄は、池面に浮かぶ月を見て術理の大きなヒントを得た。少林寺の王朗は、蟷螂が獲物を補足する瞬間を見て、蟷螂拳への道をひらいた。

水野義人は、タカがカラスを移動遊撃戦で翻弄し、翻弄のすえに脱落させた後離脱する戦い方を見て、清朝末期頃の成立当時の八卦掌の姿・術理に気づき、そこからの修行やり直しで、清朝末式八卦掌を確立した。

それを複数人に話したことがある。「であるならば、やってみよう」という話になった(友達とか知人である)。相手には武術未経験者もいたが、剣道の有段者や空手の有段者もいた。体格も私より大きかった。誰一人、私に痛烈な一撃を加えることができなかった。私がすごいのではなく、敵の力に抗しない対敵身法を徹底したからあしらうことができたのだ。

この戦い方は、誰でもできる(※膨大な反復練習は、当然必要である。勘違いしないように)。一人でも練習できる(※術理を会得した指導者の最初の導入は必要)。人の協力はさほど必要ではない。圧倒的なくり返しで身体に染み込ませ、息が上がる状態に慣れ、そのスキルをもって敵を翻弄し、間合いを一層広げた後、命を賭けてキロメートル単位で離脱するのだ。

タカはカラスに対し弱者ではない。そんなタカでも、カラスと敢えて抗しないのだ。これぞ護身術のあるべき姿である。

倒す必要なんてない。倒すことは最終目的ではなかった。身を守るための一つの手段であったはずだ。八卦掌が近代格闘スタイルへと変遷したがため、倒すことが大きな目的となり、「八卦掌の勁力は強い」などというフレーズが言われるようになった。

圧倒的な打撃力を求めるのは、弱者使用前提だった清朝末期頃の八卦掌ではない。護身術として八卦掌を考えるならば、そこをしっかりと頭に入れておく必要があろう。

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24年2月4日開催:弱者護身術たらしめる「清朝末式八卦掌」基本身法講座

2024年2月4日(日)愛知県開催『弱者護身術たらしめる「清朝末式八卦掌」基本身法講座』を、愛知県刈谷市の刈谷総合運動公園にて開催します。

指導内容は、「いじめ護身部」「最低限の時間で仕上げる女性護身術」の内容に準じた、最小限のものです。最小限のものなれど、初学者には十分な内容となっています。

また日頃、一般的に普及している八卦掌を何気なく練習している方にも、昔日の命のやり取りが当たり前だったころの弱者護身術が、どのような技術体系であったかを知るうえで、大変興味深いものとなっています。

指導は、八卦掌第6代掌継人、梁振圃伝八卦掌第5代にして、八卦掌水式門の代表・水野が直接行います。

清朝末式八卦掌は、仮入門期間を経て正式に正式門弟になった人間にしか指導しない門外不出の技法です。今回以後、「いじめ護身部」・「最低限の時間で仕上げる女性護身術」において初学護身術希望者向けに公開された内容に限って、指導をすることになりました。

定式八掌転掌式、八卦刀術、八卦双身槍術、遊身八卦大刀術などの中核技法については、技法の冷酷性も相まって指導・公開しませんが、現代人が護身を達成するための基本身法を学ぶ上で、本講習は大変役立つでしょう。

◆開催日・開催時間

2024年2月4日(日):10時00分~16時00分(途中1時間昼休憩あり)

◆講習会のタイムスケジュール

午前の主な指導内容(午後にかぶる場合があります)

・推磨式基本功

・清朝末式八卦掌における「基本姿勢」走圏

・清朝末式八卦掌における「歩き方」

午後の主な指導内容

・「対敵イメージ」走圏~走圏とは何のために行うのか

・斜め後方スライド撤退戦の対敵身法「単換掌の術理」

・推磨掌転掌式で学ぶ、八卦掌中核技法

◆参加人数

先着12名

◆参加資格

中学生以上の男女で、清朝末式八卦掌を真摯に学びたい方

◆参加に際しての注意事項

・当練習会に参加するに際しては、募集期間中における事前の申し込みと支払期日までの受講料のお支払いが必要となります。支払期日を過ぎても支払を確認できない場合、例外なくキャンセルとして扱わせていただきます。

・真摯に学ぶ姿勢の参加者を求めます。指導者の指示に従わない者は、それ以後指導せず、帰宅させる。

・一日単位での参加希望者のみの対象講習会となります(午前と午後の内容が密接に結びついているため)。

・参加できなくなりましたら事前にメールにてご連絡ください。連絡無しでキャンセルした方は、今後の水式門の活動への申込みはお断りさせていただきます。

・発熱・体調不良・心身故障中の状態の中での無理な参加は、受講生の安全な受講に配慮する立場からお断りしています。

・一般参加者の学習環境配慮と技法のいたずらな漏えいを防ぐため、保護者・知人・親族等による見学行為は例外なくお断りしています。

・本講習は、有料の特別指導であるため、見学目的・無料体験目的での参加はお断りします。

・当講習会内容では、実際に参加者同士が手を交える対人練習が行われますが、屋外で開催するため、マスクの着用は義務としません。気になる方は、各自マスク着用での参加をお願いします。

◆開催場所

八卦掌水式門・大平洋側定期練習場所:愛知県刈谷市 刈谷総合運動公園 バス停横芝生広場

※雨天時は、刈谷総合運動公園内の「ウィングアリーナ」前のベンチまでお越し下さい。基本雨天決行です。ウィングアリーナ等が不明の場合は、電話にて遠慮なくお尋ねください。

◆受講料について

受講代金

一日5,500円円(税込)

当金額を、下記の指定口座に支払期日までにお支払いください。

受講料 振込先情報

銀行名  :三菱UFJ銀行

支店名  :知立(ちりゅう)支店 店番号 412

預金種別 :普通口座

口座番号 :1213489

口座名義人:ミズノ ヨシト

受講料についての注意事項

※必ず振り込む前に、当ページで後述する「キャンセルポリシー」をお読みください。

※下記支払期限までに金額を上記指定口座に受講料としてお振込みください。申込みがありましても、期日までにお支払いが無い場合、申込みのキャンセルがあったということで扱わせていただきます。

講習会当日や後日における支払いには一切応じておりません。ご了承ください。

◆応募締切日・講習会代金お支払い期限日

申込み・代金支払い期限:2024年1月26日(金)

※事前連絡参加者がいない場合は、講習会は開催しません。参加希望者は必ず事前にご連絡ください。

※お申込みがありましても、2月4日講習会は1月26日24時時点で、上記指定口座において申込者様からの講習会代金振込が確認できない場合は、1理由のいかんを問わずキャンセルされたものとして扱わしていただきます。

※お申し込み後、代金お支払い期限までに振込みがなく、かつキャンセルメールをいただけなかった無断辞退の申込者様は、次回以降の参加はお断りさせていただきます。伝える内容は、殺傷技法を伴う制敵技法であるため、常識的対応を持ち合わせない人間に伝えることによる社会的損失を事前に防ぐためです。

八卦掌水式門富山本科イメージ

2024年が明けて。

年初からとても悲しいことが起こってしまい、その対応に追われていた。

今後もしばらく、自分にできることに集中して動く。大原則、「自分の影響力の範囲内で」を守る。

正直、衝動にかられるが、何の技術もない自分が、勇んで駆けつけるようなことは絶対にしない。今行っても、何もできない。必ず、最大限に、家族のために、役立つことができる「その時」が来る・・・と何度も言い聞かせてきた。

「その時」が来るまで、現在状況を見続け、把握し、計画を立てる。今愛知でも、しっかりとできることがある。1日・2日は、気持ちが落ち込んだが、冷静になって分析することはできた。

家内と二人で歩きソフトクリームを食べた番屋街も、一番弟子・二番弟子らと練習し続けた比美乃江の芝生広場周辺も、大きな被害を受けた。私の心の支えとなって存在し続けてくれた氷見の街と人に想いを馳せながら、動き出す。

年初は、抱負を書こうと思ったが、昨年末の最後のブログでそれは書いた。今日は、書く時間を、1月27日の準備に充てることにする。それが今の私にできる最大のことだ。

八卦掌水式門の2大拠点にして、発祥の地、氷見市。ここまで来させてくれてありがとうございました。

こころからお見舞い申し上げます。今は心から復興を願います。「その時」が来たら、必ず駆けつけます。

水式門が2024年に確実に実行する事。待っとれよ、来年。

◆倉敷本科の橋頭堡が築かれ、四国・中国地方の将来の門人らが「八卦掌じゃないか、習ってみたいな」という気持ちを思わず持ってしまう。

◆代表・水野が、愛知と富山の多拠点生活状態となり、北陸富山本科に清朝末式八卦掌の根が張り始める。北陸各県・新潟から、有志が清朝末式八卦掌を習うため、富山本科の氷見に集う。

◆団体指導で、多くの警備会社が水式門の技術を習う。その会社らは、「守ってくれる警備員」を求める病院などを始めとする顧客から仕事を得て、実際に守って感謝され、清朝末式八卦掌が護衛力の高さを実感。それが広まる。

◆電子出版で、清朝末式八卦掌に”はく”がつく。過去数回の企画書脚下の経験が活き、ついに紙出版における商業出版がなされ、店頭に「囮護衛武術八卦掌から学ぶ、弱者の命をかけた護身技術」なる本が出版される。

◆遠隔地本科生が、第2・第4日曜日、入れ替わりで愛知を訪れる。来るたびに「この拳法ならいける」と感動して帰り、各地で単換掌の術理を練習する人間が増えていく。

◆各科とも、定員がいっぱいとなってしまい、狭き門となる。代表・水野が、愛知・富山に教練門人を置かざるを得なくなる。

◆各支部の支部長候補生が名乗りを上げる。「私は水野の弟子のままでいい」と言って、水野に「そんなこと言ってないでさっさと独自の境地に行け」と叱られる。

2024年に起こるこれらの出来事は、以下の水野の行動・成果によって引き起こされる。

追撃者目線から撮影された水野の後退スライド動画が増えることで、その動画が「無名でも清朝末式八卦掌になぜか興味を持ってしまった」運命的才能を持つ将来の7代目達人らの背中を押し、彼ら彼女らを愛知に導かせる。

毎日の心拍数150程度の持久力土台養成的後退スライド練習が、2024年も引き続きずっと実行されるため、そこでつちかった土台が真夏に活きる。真夏の苛酷な環境の中でも、18分の対人想定総合練習が可能となる。18分を告げるアラームが鳴るまで、初速の「勢(せい)」が保たれる。

八卦双匕首の背中越し末端斬りの成功率が、スポンジ支柱を使った毎日の背中越し対敵練習のおかげで、2023年の50%から飛躍して、80%となる。それを可能にする技術(蹴り技を使わず、すべての動作を歩きながら行う技術)が完全に身に付く。

後退スライド対敵身法のノウハウを学校戦に照準をあてて再構築した動画・解説が、水式門の「いじめ護身部」で公開されたことで、いじめに関係ない三河地方の八卦掌の有志に知られる。その内容の真剣度が彼らを動かし、愛知本科へ足を運ばせる。

倉敷で習いたい人が現れ、彼と協議することで練習場所の目安が立つ。倉敷本科の芽生えとなる。そのことで北陸・下越の潜在的有志が焦り、こぞって習いに来るようになる。

双身槍術・八卦大刀術練習における2メートル棒における間合いが、苦手の背身刀術であっても明確となる。先端より15センチも入ったところで当てて満足していた未熟な気持ちが消える。先端より5センチの部分だけで敵の袈裟、手首、膝内側痛穴を確実に打つことができるようになる。

八卦掌水式門富山本科イメージ

悲しみを話せない時。君だけは君の悲しみに寄り添って欲しい

いじめから抜け出す決意をしたとき、気分の高鳴りで、一時、勢いよく先に進む。

しかしほとんどの場合、気持ちの上下により、どうしようもなく落ち込む時がある。そのような時ほど、練習が辛いものはない。

気分の上下で落ち込むだけならいい。いずれ回復することもある。しかし、悲しいことが起き、それがもはや、取り返しのつかないこととなった場合はどうか?

落ち込むのとは比べ物にならないくらいの、心の奥底に貫通し、とどまるような悲しみの時は?

そしてその悲しみは、たいがいの場合、誰にも話せない。なぜなら、いじめの戦いの時、多くの人が孤独だからだ。誰も味方になんかなってくれない。私の場合も、話を聴いてくれる人間など周りに一人もいなかった。先生など言うに及ばず、親族ですら話すことができなかった。

その時になってみるとわかるが、目上の人の対応は・・・多くの場合、こちらの至らない点を指摘され、「がんばれ」と言われて終わる。ひどい場合叱られる。言えるはずなかろうに。

※私の場合は、親にも話すことができなかった。でも、もし可能なら、親御さんにだけは打ち明けてみて欲しい。君のその話を聴いてくれるかもしれない。ほとんど多くの親御さんは、君の悲しみを、悲しいと思ってくれる。

その場合、己の悲しみに寄り添うのは、自分しかいない。

私の場合、とにかく外に出た。外に出て、見晴らしのいいところに行って、遠く灯りを見つめた。空を見上げ、星を見ていた。

練習する、という気持ちをその時一切捨て、そこらにある棒を持って、八卦刀術で一人斬りまくった。汗をかくとか、疲れるとか、そんなことをは一切考えず、後先考えず、やみくもに振り続けた。

それができないときは、クラッシックを聴いた。歌詞付きのJ-POPではなく、クラッシックでも、神にささげる部類の曲を。

私はよく、カッチーニのアヴェマリアを聴いていた。

そしてそれは、今でも聴いている。練習をしながら聴くこともある。

私はもう、いじめで苦しんだ時から、40年近くが過ぎている。しかし未だに、あの時の敗北、同級生の泣く姿、欠席で使われない机といすがぽつんとある光景を、明確に思い出す。夢にまで見る。今年も、「うなされていたよ」と指摘されることが何回もあった。

どうしようもない悲しみが湧き上がる時は、もうその悲しみに寄り添うしかない。それだけが、己を少しばかり救ったと、実感している。

もう30数年、そうやって乗り越えてきた。

自分は、八卦掌の術理を極め、人に指導して志を実現させる道を歩き始めたならば、この苦しみや悲しみが和らぐと思っていた。しかし全く変わらなかった。何か事が実現したら、何かいい条件が起こったならば、悲しみから解放される。そう思っていたが、そうならなかった。

脅迫観念によって、どんなに体調が悪くても練習をし続け、多くの失敗を重ねてきた。練習を怠ることは、誓ったことを破ることだと思って進んできた。しかし、必要だったのは、悲しい時、一層追い込むことではなく、悲しみに寄り添うことだった。

カッチーニのアヴェマリアの旋律は、私にとって、素直に悲しみに寄り添う気持ちになるものだった。この曲に身をゆだねる時、涙があふれる。思い出す。それも無理におさえたりしない。気持ちのままに、思いだすことも頭から消さず、身をゆだねる。

何も考えず、棒を手に持って振るのと同じだ。棒を振るのは体力を奪われるし、場所も必要だが、アヴェマリアを聴くのは、いつでもできる。

練習の時も聴く、といった。その旋律が流れる時、振っていた棒を置き、空を見たりして、手を合わせ、もう戻ってこない人を想う。そうすると、少しだけ、遠くへ逝ってしまった人に、近づけたような気がして心が落ち着いたりする。

きっと君は、私と違い、まだ取り返すことできるのかもしれない。しかし悲しみは同じだ。悲しみに優劣なんてない。

「皆悲しいことの一つくらいある」「悲しいのは、辛いのはお前だけじゃない」そんな言葉は何にもならない。まったく無視しよう。悲しみを比べること自体が、意味がない。気にする必要のない心無い言葉だ。

君が悲しみに心を制され、どうにもならないときは、君が一番に寄り添ってあげて欲しい。君が君のことをもっとも大事に思って欲しいのだ。

アヴェマリアや、やたらと棒を振ることは、たった一つの例。寄り添い方は、君がもっとも心を保つことができる方法で行うのみ。

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清朝末式八卦掌三大武器術の習得で、女性護身術を完成させる

八卦掌水式門(以下「弊門」)では、武器術を大きく3つに分け、それらを必須武器術として指導する。

弊門における三大武器術は、以下の通りだ

・八卦刀術(はっけとうじゅつ)
・八卦双身槍術(はっけそうしんそうじゅつ)
・八卦双匕首術(はっけそうひしゅじゅつ)

八卦刀術は、110センチの長さの、一般刀術にくらべやや長めの刀を使用する

八卦双身槍術は、200センチの長さの長棒の両端に、10センチ程度の刃た付いたもの。

八卦双匕首術は、30センチくらいの刃物(要はナイフ)を用いる。

なぜ、これらの武器術を習う必要があるのか?それは、「護身術=我が身を守り危機から生還するための方法」であるから。ただ一つの目的「生存」のために、あらゆる手段を尽くすものであるから。

「あらゆる手段」には、自分が何かしらの武器を持って対抗する、という選択肢が当然のごとく含まれる。「あらゆる手段」には、「敵よりも有利な条件に持ち込んで戦う」という対抗方法も含まれる。

有利な条件・・・それは、相手が素手でも、こちら側が素手で対応しない、相手が何も持っていなくいなくとも、何かしら武器になりそうなモノが転がっていれば、それを武器にして対抗する、という好条件作成作業が含まれる。

敵の武器がナイフなら、我は、それよりも長いモノを手に取って、遠くから打ちのめす。だから、双身槍術まで必須であるのだ。ナイフだからナイフで・・・ではない。

意外と多くの修行者が、各武器術を練習する際、「敵は自分が持っている武器と同じ武器を持っている」と無意識に想定している。

相手が素手なら、我は、まず双身槍(長い棒)で戦う。双身槍がないなら、八卦刀(90センチ程度の棒)で戦う。八卦刀がないなら、双匕首(30センチ程度の棒2本)で戦う。双匕首がないなら、着ている服を脱いで、もしくは、持っているカバンを手にもって、果ては鞄に入っているタオル、マフラーをもって、八卦刀術の術理で振り回し、対抗する。

そういう考えを持つのだ。素手で対抗、など、もっとも最悪の、他に採るべき方法のない最終手段なのである。常に、どのような武器を使うことができるか考える。そして、どのような武器であっても、八卦刀術・双身槍術・双匕首術を練習しておけば、使いこなすことができる。

正々堂々と同じ条件で・・・は、いかにも日本武術らしい考えだ。中国では、間違っても「敵に塩を送る(※1)」ことはしない。

※1:上杉謙信が武田方に塩禁輸策を採らなかった逸話である。謙信は、今川・北条の塩禁輸策に苦しむ武田方に塩は送ってないが、武田方への塩の禁輸策・塩の価格高騰策は意図的に採らなかったため、そこから「塩を送る」という美談的故事が生まれたのだろう。

中国では、正々堂々と戦う、という発想は、「宋襄の仁(※2)」の故事になぞららえられ、笑われる。

※2:中国春秋時代、宋国の国王・襄公(じょうこう)が南方の強国・楚国軍と対峙したとき、襄公の息子である目夷が、敵の布陣の乱れがあるうちに先制攻撃を仕掛けるよう進言したが、襄公は「君子人の弱みにつけこまず」と言ってこれを退け、楚国軍の陣形が整うまで攻撃命令を下さず、その後、敗北した、という逸話。

以前「八卦掌は、冷酷な中国護身術」という記事をアップした。上記で説明した「相手が素手なら、こちらは武器を手に持ち徹底的に打ちのめして護身せよ。少しでも有利な条件で戦い、圧倒せよ」という考えは、護身術として大変重要な考えであるため、必ず頭に入れておいて欲しい。

この知識こそが女性護身術の成功のカギともなる。弊門以外で護身術を習っている女性の方は、ここでしっかり、武器術を習うことの大切さを理解してほしい。そして、今すぐにでも、武器術を練習に採り入れてほしいのだ。

大切なのは、特定の道具(例えば、スタンガンや催涙スプレー)を扱う練習をするのではなく、どんな道具でも扱うための土台的な身法を身につけるのことだ。

  • 基本姿勢走圏
  • 対敵イメージ走圏
  • 敵に背を向けないで行う後退スライド対敵身法
  • 敵に背を一瞬背を向けて行う後退スライド対敵身法
  • 前の敵にスライドして回避しながら攻撃しつつ去る対敵身法

これらは、「どんな道具でも扱うための土台的な身法」そのものである。言い換えれば、清朝末式八卦掌は、身の回りの、武器になりそうな道具を、意のままに操るための拳法と言えるのだ。

逃げる、といって、カニさん歩き(横歩き)を、ステップをして行っているようでは、たちどころに捕まってしまう。そうではなく、一番速く移動できる身法、敵の追撃をかわす後退スライドの身法を身につけること。その土台があって初めて、特定の道具が活かされるのである。

この前提知識をもって、各主要武器術を練習する意味を述べていく。

八卦刀は、八卦掌の原型となった、太平天国の乱当時の、藤牌営兵(※3)の戦場刀術に関係している(諸説あり)。

※3:片手に藤(とう)の牌(はい・盾のこと)を持ち、もう片方で90センチ超えの片刃の刀を持った、最前衛の盾歩兵のこと。

この戦場刀術から、八卦掌の原型である「単換刀」が生まれ、「単換刀」から「単換掌」ができ、主要転掌式(後方スライド転身撤退戦の身法)となり、主要転掌式から、逆輸入の形で、八卦刀術が生まれたと推定される。

中国片刃刀は、日本刀と違い、重く、刃がそれほどトキントキンに研がれていない。重たいものを敵にぶつける、という意識が強い(人数が多いため、研ぎ切れ味を維持する、という作業ができないから)。

その重たい武器を、宦官(かんがん・去勢された男性官吏のこと)であった八卦掌創始者・董海川先生が、「弱者でも操ることができるためにはどうしたらよいか」の発想から生み出したのが、単換刀である。

後方敵へ刀を振り回してけん制し、後方へ移動しながら身体移動で持ち上げ刀の下をくぐって我の身体を移動させ防御しつつ、くぐり終わったら、重さを利用して、追撃で突出した敵の身体に、刀を当てるのである。

この動作では、重い武器を動かさない(動かせない)かわりに、自分自身が移動して角度をつけ斬りシロを作って、その場から斬りつけ動作を行う。武器を振った際、我の身体をその場から移動させないとどうなるか?

刀を持ち上げたりしないと、再び斬りつけ動作ができないのだ。重い刀を、その場にとどまった状態で上げるには、大きな腕力が必要となる。宦官や女性には不可能であるのが想像できるだろう。

八卦刀術の中でも主要中の主要術である、「按刀(あんとう)」と「陰陽上斬刀(いんようじょうざんとう)」は、重い刀を身体で振り回すために、とにかく身体を移動させる。刀を持ち上げるために、5~6歩近くも移動するのだ。その「移動」こそが、八卦掌における防御となる。その場に止まらないために、敵の攻撃から常に離れ続けることができ、敵の攻撃間合いから身を避難させることになるのだ。

清朝末式八卦掌を知らない人間は、この「移動」をどうしても「防御」と認識することができない。「逃げてばっかり」として、その術理を採り入れようとしない。

結果、相手が屈強でも、技術が上でも、果ては男性でも、敵前にとどまって技で真っ向から受け、手数で圧倒された際、身体に攻撃を喰らい、敗北するのである。

主要刀術を練習することで、「技のたびに移動しながら行い、止まらない」術理が身体に入り、後退スライドによって敵の力と真っ向からぶつかることがなくなり、撤退戦によって身体を守りつつ、攻撃ができるのである。

八卦双身槍術は、対多人数の敵中を移動し続ける際の防御から生み出されている。柄の中心部を持ち、移動しながら通りすがりの敵に、柄の先端部分をぶつける。

演武で見られるような、複雑な取り回しは必要ない。必要なのは、八卦刀術で習った主要刀術操法を、双身槍を使っても同じように実行できる能力だ。

この能力の土台のもとに後退スライドすれば、後退スライド時の転身動作によって双身槍の先端部分が大きく孤を描き回って勝手に敵に当たり、敵を殺傷する。もしくは当たらないにしても、敵は回転する槍先によって、近づくことができず、足を止めることになる。

主要刀術の中でも、按刀・陰陽上斬刀・背身刀の動きをそのままに行う。それくらい、八卦刀術と双身槍術は密接に結びついている。

よって、八卦刀術術理を身体入れた後に取り組むと、実にスムーズに体得できる。弊門で、八卦刀術を理解した後に双身槍術を指導するのはそのためである。

八卦双匕首は、もっとも射程距離の短い武器である。敵が素手の場合のみ、その優位性を発揮する。射程距離が短いため、敵の胴体などの中心部分を攻撃すると、攻撃時我の身体が必要以上に敵に近づいてしまうため、危険である。

ゆえに、遠い間合いから、末端部分を、移動で敵の照準からずらしながら狙って、斬る。斬って失血死をねらう。そういう意味で、目的の明確な冷酷な護身法である。

棒であれば、敵の血管を斬ることはできないが、末端部分をねらうことで、武器を落としたり、腕を使えなくさせることは可能である。棒であるメリットは、振り回しても自分が傷つかないことだ。よって、思い切り速い速度で、手返しよく、ためらわず攻撃できる。

ナイフなど、そもそも持ち歩くことはできないし、あったとしても、一般人はそれで人を斬りつけることにためらいを感じるものだ。法律上も、過剰防衛・殺人罪の可能性が生じる。その意味で、双短棒術として練習することは、現実的護身術を習得するうえでの魅力ある選択となる。

短いリーチで末端部分をねらうため、間合いには大変気を遣って練習することになる。その気遣いこそが、各武器における間合いの間隔を養うのである。

武器術は間合いが重要である。短い武器ゆえ、他の長い武器でおろそかになりがちな間合いの感覚習得の練習に向き合うことができる。

八卦掌水式門富山本科イメージ