どん底から再起を期すには

新年度と、9月の前は、いつもさけぶ。

どん底があり、右も左も分からぬ、どうにもならない辛い時がある。そのようなときがあっても、生きているならば、生きていてほしいということを。

自分は、どうにもならない時を、何度も経験した。辛い時に、優劣はつけられない。公に言うことができる辛い時とは、大切な伴侶を失い、それゆえに働くことができなくなり、家を失い、寒い北陸の冬に、車を宿にしてさまよっていた時だ。

体調を崩し、帰る家もなく、使う金はすべて借金になっていく状態である。練習しても練習しても、何の反応もない、訳の分からない転掌のての字もしらない連中に笑われ、それでも練習だけは、していた時だ。

門弟でもある子らに頼ることは決してできない。彼女らにも生活がある。出口が見えない状況の中で、しばらく何も考えることはできなかった。

ただ惰性で、ひたすら単換掌と、単換刀ばかりをひたすら繰り返していた。本当に惰性だった。何も考えていなかった。考えて集中してやらないと意味ない、と言われるが、本当に、何も考えないでひたすら繰り返していた。

何も考えなくても、辛いことや、想い出なんかがあふれてきて、とにかく感情が上下する。涙が止まらなくなって、その場にうずくまることもしょっちゅうであった。それでも、涙も鼻水もぬぐわず、ただやり続けた。

拳法まで失った時、私はもはや私でない、人生に意味がないと、思っていたからだ。それは今でもそうである。

この、ただ惰性でやっていた期間は、単なる自己満足や、義務感だけで動いていた時間だったのだろうか。何度となくこのような時を経験して、その、惰性で繰り返していた期間は、実は大きな発見をするときであった。

少し残念な話になるが、その惰性で繰り返していた時に、発見をしたのではない。その後、その繰り返していた期間の積み重ねが、底から湧き上がるような見えない土台となって、実はステージを少し上げていて、ある時フッと、気づくのである。

それがいつ来るかは分からない。しかし拳法・武術に関して言えることは、何も考えないで繰り返している時ですら、高みに達するうえでの無駄な時間にならない、ということである。住処をうしなうまで追い込まれても、転掌の道を求めてきた私である。この挫折と苦闘の経験は、きっと今、取り返すための戦いを決意したが、追い込まれている諸氏に役立つ。

とにかく、繰り返すことである。頭の中に敵を想定し、何度も繰り返しさばいて、穿掌を打ち込んでやればいい。

あとに引けないのなら、後に引かなければいい。後に引かない道中は、半端ないくらいに辛いもの。でも、後に引いたって、まっているのは悲惨な、今までと同じ道である。

なんで自分だけが?何か悪いことでもしたのですか?と、すがるように天にむかって手を合わせたこともある。でも、きっと、それは自分の信念に従って進んでいるからなんだよね。信念を早々に見切り、何も考えず流され、安心のために理念に目をつむり練習もせず・・・君、あなたであれば、言われるがままに日々を過ごしていたら、その場ですら未知の世界よりも居心地がよいものと感じる(何が起こるかある程度予想できるから)のだから、苦しみもひどく感じたりしない。

現状を変えたいと思って立ち上がったなら、そこにまっているものはとっても辛いことばかりかもしれない。しかし!

みずから手をかけなければ、君は命を失うことはない。もっとも最悪な状況にはならないのだから。だから、ふらふらになりながらも生きている自分をよそからみているようにみつめつつ、進んでみるといい。

ただ繰り返していけばいい。これは、達人を志す愛好家らにも言えることだ。いい条件なんて、いい先生なんて、そんなもの自分次第でなんとでもなるのだから。

誰も助けてくれない。命の電話にかけても、こちらの話をただ、聞いてくれるだけである。もちろん、聞いてくれる環境があるのは貴重なことだ。しかしそれでは救われない場合もある。

どん底に陥っている時に、「行動せよ」は正直辛い。私も、そのようなことが書いてある記事は、シャットダウンしたし、見もしなかった。その状況の中で、大きな動作を必要としない何かを、ただ惰性でやり続けていく。私は単換掌だったし、筆頭門弟には単換刀だったし、三番弟子には双身槍であった。

拳法以外でももちろんいいんだよ。絵を描いたり、ガンプラ作ったり。ただひたすら浜辺にてルアーを投げる釣り人を見て、その繰り返しの行動から自分も浜辺に立って、来る日も来る日もルアーを投げ続けていたこともあったし。時折釣れるヒラメやスズキが心を癒し、描いた絵が傑作だと自分で感じ・・・それでいいんだよ。拳法でなければいけない、というならば、それはひどく窮屈な話。

あなたが、君が、今何も考えないでもできるものってなんだろうか。きっとそれは、あなたが、君が、最も得意とするもの、好きなもの。下手でもいいんだよ、最も得意なもの、好きなものを繰り返してごらん。拳法に関係なくてもいい。

実は自分はひたすらどん底の時期に単換掌ばかりを繰り返して、状況がどんどん悪化していった。しかしそれは世間一般の判断基準から見た結果。自分の中では、自分と向き合っている安心感みたいなものに安心していた。

そのような紆余曲折が、きっとあなたのステージを、見えない形で上げる。そう信じて欲しい。私は何度もそうして、それがステージを上げたことで、今こうして、むきあっていられる。実は、それこそが、「強さ」なんだ。自分の芯であり、自分そのものなんだ。君の心の奥底であり、君そのものだ。だから、惰性で繰り返すものは、拳法に関係するものでなくてもいいんだよ。

私自身、突き抜けて成功を収めている立場、ではない。君とおんなじ。明日をも知れぬ身だ。だから、ともに、何も考えないでもやれること、何も考えずやっていこう。

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