夜に見える立山~もう一度見たかった景色

「夜にも見えるのよ、立山。月が明るい時。」

そう言って皆を連れて見せてくれた景色が、満月の夜の富山湾だった。

「雪が降って、月が出て、そして晴れていれば」が、あの人の教えてくれた「見える条件」だった

そして土曜日、満月ではなかったが、満月に近い状態。晴れ、昼は立山が金沢から絶景をさらしていた

これはあの景色を見るチャンスだと思った。北陸の冬を車上生活で過ごす事態に陥っていて、お金もない。でもそんなことはどうでもよかった。

転掌の動画は、フェイクマスター・デストロイ(偽マスタ―が打ち破られる)系の動画におすすめとしてyoutubeに挙げられ、書籍は途端に売れなくなり、完全に追い詰められた。

多くの人間は、私の動画に顔隠しでも出ることを嫌がり、水式館で習っていることを隠す。キャンセルばかりで、ひどいものは無断。習いに来ると言って、今まで誰一人、私の住所県に習いになど来なかった。

多くの者が、この拳法を人生の主要とせず、必要とせず。三十数年、必死になって積み重ねてきたものは、「無料」以外では見られることもなく、値切られ、一回経験したら、もうそれでよい、と見限られる。

用事を入れず、教えるために時間を作っても、習いに来る者らは用事ばかりで、勝手に習う時間を短くし、さもそれだけで十分かのように、さっさと去っていく。随分と浅く見られたものだ。片手間の習い事かよ。

怒りを通り越して、もう悲しい。転掌八卦門の敷居を高くしたのは、習い通す覚悟のある者だけしか、相手にしないためだ。今になってやっと、楊老師があれだけ、楊家拳を指導する者を選別していた意味が分かった。楊老師も、実に多くの苦汁をなめてきたのだろう。

コロナを契機に、門の技術を門戸開放したら、待っていたものが、「フェイクマスター・デストロイ(偽マスタ―が打ち破られる)系」お薦め動画とは。俺は愕然としたよ。

そんな、ここ数年の腹をえぐられるような現実が、次から次へと押し寄せる中で、どうしても、あの人と見た夜の立山がみたかったんだ。腹をえぐられるような現実の最たるものが、人災と言われるなかであの人を失ったことだ。あれからずっと、希望を持って進もうとはいつくばってきたが、適当に流されて生きている連中に嘲笑される過程で、心はとがる一方だった。

転掌は武術だ。私はそれを先代師より受け継ぎ、人生のすべてをかけて練習し、発信している。でもそれが受け入れられないのも現実だ。もう自分は、この拳法を第一に考える者としか、時間を持つつもりはない。私は、転掌の第一段階である、一定時間生存術を世界に広める。それは独学ができるシステムを作って、だ。そして、転掌の術理を伝える伝承者には、転掌のことを第一に考える者にしか伝えない。片手間で習得できるほど、武術は甘くない。命がかかった技法だ。

私は今でも、無礼不遜な態度で突進してくる総合格闘技のクソ野郎を叩きのめすつもりで、殺意を持って練習している。おまえは、それほどの気持ちで練習できるか?

私は氷見の海岸線に立っていた。見えた。夜の立山連峰だ。あの時の景色だ。あの人だけ、いない。でも私の横には、楊家拳を第一に考える一番弟子がいる。ありがとう、今私が立っていられるのは、娘が楊家拳を大事に思ってくれるからだ。ありがとう。

ふとみると、その横顔は、あの人の面影を残している。当たり前ではあるが、性格などもあまりに違うため、それに気づかなかった。

あの人はあまりに大きなものを残してくれた。転掌では、ほとんど沈みかけているが、私には、本当に大切なものが残っている。

この記事を見て、転掌門を敬遠するなら、それでいい。真面目に学ぶ者には、こちらも誠実に、指導する。都合よく、サクッと、ライトに、ならば、他に行け。私は私の道を貫き、転掌を、私のオリジナルとし、再興する。水野義人伝転掌の誕生に全力を尽くす。

150年前の私を越える。越えて、転掌は世界に、当たり前のたしなみとして広がり、多くの弱者を救う。

「きっとできる、式人ならできる」

その言葉を胸にして。

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