間もなく電子書籍出版。行動が生み出した大きな一歩。

近いうち、電子書籍を発表する。年初の能登地震で、その時期が大きく遅れてしまったのは事実だ。

しかし昨年大みそかのブログで打った通り、コツコツと用意をしてきた。

まずプロトタイプとして、『最低限の時間で仕上げる「清朝末式八卦掌」女性護身術』を上げた。どのような形であれ、まずその内容を公開できるくらいまで整理整頓して出すことが重要だった。

そこで初めて、具体的な欠点が見えてくる。このWEB上フリー護身術講座を開いたおかげで、目安がたった。どのようにまとめたらよいのかが分かってくるのだ。

自費出版するお金は全くない。

複数社に企画書を出しても、相手にされない。

SNS利用したり、時にノウハウ本を真似てトライしてみたり、相談してやってみたりしたが、「○○だから売れない、だから○○なら売れますよ」といったアドバイスを受けて自分の意図と違うことでチャレンジしても、やはり結果は出なかった。

出版コンサルタントは、「あなたの○○は××だから売れない」「売れる人の本は○○を実行している」といって、相談料をせしめるが、そんなことをやってみたところで、自説を曲げられ、全く面白くもない。

売れることが目的にすげかわってしまい、自分の努力だけで積み重ねてきたノウハウまでも否定され、全くもって面白くないことに気づいたのだ。

そんな愚に気づき、私は年末、改めて行動をし直すことを決意した。

己の努力だけで得てきたノウハウを信じ抜くことから始めた。

そのノウハウだけを頼りに、とにかく形にした。それは不完全ではあるだろうが、ノウハウは、惜しみなくつぎ込むことができる。やっていて、本当に楽しかった。自分が発表したいものの内容に、一切妥協しなくていい。それがとてつもなく心地よかった。

人を守る護衛武術である。命がかかっているんだ。だから、研ぎ澄まされたノウハウに、削るところなんてない。出版をするために、蓄積のノウハウに嘘をついて迎合し始めた途端、私はその積み重ね自体を失うことになる。

「清朝宮中内囮護衛武術「八卦掌」から学ぶ、弱者生存の護身技術」

題名の大まかなイメージである。

何度となく失敗を繰り返し、やっと反応が良くなってきた題名だった。しかしまだ不完全のようである。

いつも思うが、「誰でもできる」類のものは、多くの人がとりあえずチャレンジするため、最初はまず、うまくいかない。人に言えば、「それ言った通りだ」と言われる。

しかしたいがいの場合、言った人間は何もしてないで言ってる。だから全く気にならない。なぜなら、自分はすでに行動して、失敗という名の貴重な経験をしているからだ。

これから、実際に出版という形で練習をしていく。目標は、紙での商業出版だ。それも自分の希望の通りの内容でだ。節を曲げての出版なんぞ何の意味もない。

紙での商業出版も、しょせんは通り過ぎる目標に過ぎない。目的は、全国各地に、この弱者使用前提護衛武術を学ぶことができる環境を用意し、誰もが取り返すための技術を学ぶことができる機会を創り、いじめ撲滅の大きな力となること。

引き続き進んでいこう。

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夏は護衛官武術家の血が騒ぐ・・そんな風に感じてみよ

どうせ拳法をやっていくならば、誰かを守るためにやってみよ。

どうせ拳法をやるならば、誰かを守り切ることができるくらいまでになってみよ。

これは、今でも私が弟子らに言う言葉である。

「ボディーガードでもあるまいし」と思われるだろうが、私は常にド真面目に、そのように考えて練習してきた。

自分のため、よりも、人のため、大切な人のため、とした方が、断然やる気が湧いてくる。

大切な人たちのことを考え、その人たちに、ほんの少しでも、苦しい想いや悲しい想い、痛い想いをさせたくない

多くの人は、きっとそのように考えるだろう。子供がいたり、配偶者がいたり、家族がいたり、恋人がいたりする人なら、共感もしてくれると思う。

以前、夏祭りに関する話をした。護衛官らの夏、だ。

今年も、8月に、護衛官の任務を授かった。毎年恒例ながら、私はこの任務を授かると、がぜん練習に気合が入る。わたしにとっては、この日、この時期こそが、最も身体をピークに持っていく時期だ。最高のパフォーマンスで護衛の任を遂行するために。

護衛の依頼者も八卦掌第7世の掌継人で、もはや護衛もいらないのかもしれない。しかしこの時期、ずっと任を授かっていたために、これが恒例行事となった。

おおげさだろうか?子供じみてるだろうか?

ここまで人を守るために考えぬかれた護衛武術を追い求めていると、自然とそのような考えも湧いてくる。何より、血が騒ぐ。

守りたい。確実に守り切りたい。まだこの部分が甘い、もっと磨けば、より確実に、守ることができる・・・そんなふうに、よりリアルな緊張感の中で練習もできる。

私は、託されている。これからもずっと、守っていって、と託されている。その人も私に護衛を依頼してくれて、練習する意味を与えてくれた。その人の子も今、それを理解し、必要なあるない関係なく依頼してくれて、私に練習する意味を与えてくれる。

「私には大切な人などいない」と言うならば、周りをみてごらん。

皆、誰かにとって大切な人。

嫌悪感を抱くような「嫌な奴」に対してまで、そんなことを無理に感じる必要もない。しかし君が「いい奴だなあ」とか、惹かれる人に対して、もしくは「素敵な人だなぁ」「すごい奴だなぁ」と感じる人には、「この人も誰かにとってかけがえない人」と考えてみると、何かあった時に、「ちからになってあげたい」「まもりたい」と思うことができる。

だから誰にも、「守るべき人」は存在する。

そして何より、君自身も、誰かにとって大切な、かけがえのない存在だ。

天涯孤独の人でも、自分は「自分」にとって大切な存在なのだ。

生存し続けようとすることは、生物の本能である。人間はその本能に、生きる意味や、楽しいこと、したいこと、大切な人、などが加わって、「もっと生きたい」という気持ちを持つ

そんな気持ちを持った自分のために、練習をしてごらん。大切な君自身を守るために、練習をしてごらん。

八卦掌は護衛武術だ。一定時間生存して敵を引きつけ、時間稼ぎをして守るべき人を守る囮(おとり)護衛の武術だ。

一定時間生存するための技術を徹底的に磨き、まず自分を守り切るスキルを得てごらん。

そうすると、世界が変わる。嫌な要求・いわれなき言動に対し、「おかしい」「受け入れられない」「納得できない」「それは嫌だ」と考えるようになり、それが態度にはっきりと表れ、ごく自然に、「NO!」ということができるようになるから。

そうしたら自分の気持ちに正直になり、立ち向かうこと。相手を倒す必要なんてない。ただただ、移動し続けて、翻弄してやればいい。君は現実的な方法で護身を果たすことができ、よってたかってかかっても捕まえることすらできないいじめ側連中の権威は失墜するから。

もし君が、いじめられている・暴力にさらされている大切な人を守るなら、その磨きぬいた移動攻防の技術で、ぞんぶんに我に気を引きつけ、引きずり回し体力を奪い、そのうえで電撃的に襲い掛かれ。

単換掌(もしくは推磨掌転掌式)と双換掌(もしくは陰陽魚掌転掌式)、順勢掌理による単招式(平穿掌・双按連捶・一按一捶・遊歩連捶)、転掌刀理による棒操法だけでいい。

いじめや暴力から我が身を守る方法は、いじめ護身部~取り返すための技術解説最低限の時間で仕上げる「清朝末式八卦掌」護身術にすべて書いてある。

今年の夏は、かけがえのない誰か、かけがえのない自分を守るために、時をすごしてみないか。

君にとって「誰かを守る」という映画の主人公のような生き様は、決して非現実的な話ではないのだ。

今この瞬間から、受け入れられないものと戦うために武術を始めた時点で、それは確実に現実的なものへと変わっていく。

花火の下で、海で、うだるように暑い市街地の一角で、夏祭りの灯りがともる中で、心に熱い想いをもって、大切な人・大切な自分と過ごそう。

後に続く護衛官らよ。今年の夏も、「誰かにとって大切な人」を守る任務を任せたぞ。

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己のノウハウだけで勝負する講習会に最高の価値を感じる

2024年6月16日の講習会を終えて、充実した気分でこの時を過ごしている。

講習会で心掛けていることは

  • 練習することで積み重ねてきた己のノウハウのみで勝負すること
  • 講習会では、必ず何かしらの成果を得て帰ってもらうこと
  • 人が来なくても、全力を尽くして準備し、遂行すること

である。

本日は、清朝末式八卦掌の刀術たる「転掌刀」の主要型を伝授する講習会であったため、主要型たる「陰陽上斬刀」の型練習だけは、必ず伝えようと考えていた。

陰陽上斬刀を理解するためには、徒手における転掌式たる「陰陽魚掌」または八卦掌に大基本の一つ「双換掌」を理解してもらわなければならないため、そこに多くの時間を割いた。

本日は、参加者の方が、八卦掌の術理を再現することが上手だったため、陰陽魚掌ではなく、双換掌を指導した。

刀術講習会を開くに当たり、参加者さんが後日、なんらかの形で習った動作を復習する際のよりどころとなる場を作っておきたかった。そのため、八卦掌水式門の武器の解説のカテゴリーの中に、転掌刀術主要型の説明ページを事前に作っておいた。

清朝末式八卦掌刀術「転掌刀」解説

これらを全部準備するために、講習会を開く前は大いに忙しい。ましてや、現在私は愛知における拠点を失っているため、効率が悪く大変である。

しかし、講習会を開くにあたっての上記心掛けを思い出し、向き合ってきて、なんとか間に合わせることができた。

全力で用意することと、自信をもって独学できるツール(型)を持ち帰ってもらうことは、講習会に来てくれた方への、感謝の気持ちである。これからも、各講習会ごと、感謝の気持ちを、言葉だけでなく、事前準備と成果で表したい。

私は、八卦掌修行初期、独学で学ぶことの不安さを身をもって体験している。最初にして最大の対面指導恩師・楊先生に教わった時、とても嬉しく、不安の多くから解放され、安心した。その感動と安心感を味わってもらいたいのである。

心掛けている事項の最初に挙げた、「練習することで積み重ねてきた己のノウハウのみで勝負すること」について。

これは、私が講習会を開くにあたって最も意義を感じている事項である。

講習会というものは、私にとって、己の名で告知し、己のノウハウで指導することでなければ、開く意味がないものだと感じている(有名先生を招いて開く講習会を、意味のないものと言っているのではないことに注意)。

私は、清朝末期成立当時の『転掌』だった頃の八卦掌「清朝末式八卦掌」を、ほぼ己の研鑽だけで確立し、発表している。

私が清朝末式八卦掌を、先生から習ったのは、中学生から高校生にかけてのわずか2年少しだけだ。あとは皆、自分でトライ&エラーを繰り返し、単換掌と双換掌・勢掌(順勢掌)の型と、それに連動した武器術の動きだけを頼りに、術理の真髄を探り当ててきた。

期間にして、35年以上の積み重ねである。もはやここまでくると、他人の説く理論や技術に頼る必要もない。単換掌・双換掌・勢掌と武器術に、己の練習からくるノウハウが積み上げられすぎた。

人の説く身体操作法やコツというものは、たいがい経験してきたのだ。今更、名前が知られているからという理由だけで、有名先生を招くことは、己のノウハウを伝えるうえで効率を悪くするだけである(その先生にも失礼にあたる)。

そして、中国国内の先生らの示している八卦掌は、そのほぼ全部が、近代格闘術八卦掌、つまり強者使用前提・対一人・他流試合用の格闘技的八卦掌だ。中国語の本を取り寄せて研究しても、皆近代格闘術八卦掌である。

私は講習会では、清朝末式八卦掌の真髄を最低限の形ではあるけれど、本門生以外の人にも伝えたい。清朝末式八卦掌を日本国内で最も知っているのは間違いなく私である(※国内にもいるかもしれないが、発表してない時点で教えていないのも同じである)。

日本の中国武術指導者の開く講習会は、有名先生を招く者が多い。人を多く集めることができるからである。日本の中国武術愛好家は、先生の動きで実力を判断しない。習った先生の肩書で先生の実力を判断している。だから中国の有名先生を招くだけで、人が来やすくなる。

私はそれは嫌である。上手く実行するための最も練習時間を要し、かつ最も実力を上げるうえで効率的だった「スポンジ支柱を指第一関節部分だけで打つ練習」を、誠実にアップする。当然、再生速度を加工なんかしてない。人が撮影した、人の眼から目線の後退スライド動画も、全神経を集中しての一発撮りである。

斜め上からの撮影は、横から撮影するよりも遅く見えるが、その位置からみる方が、学習者が動きを理解するうえで役立つため、斜め上からの動画にこだわっている。

そして・・・短パンの薄着で撮影し、脚・膝の使い方を明快に示す。最も重要な八卦掌真髄「斜め後方スライド」時の膝の動きを明確に分かるようにしている。

※指導動画と言いながら、脚の動きを見せてない動画が多すぎる。私はそのような不十分な動画だけは、極力避けたいと心掛けている。

有名先生の名で開かないから、いつも参加者はごくわずかである。一人も来ないのも当たり前にある。しかし、一人でもいいから、絶滅しかけの弱者使用前提武術・清朝末式八卦掌の真髄を伝えたいのだ。

就労生だった楊先生の教えてくれた、攻撃すら斜め後方スライドして行う生存第一の原初八卦掌。董海川先生に習った南方出身の弟子によって福建省に伝わり、田舎ゆえに他流派の影響をうけず、成立当時のままで奇跡的に残りつづけ、弱者使用前提の武術を必要としていた遠く離れた日本の少年に伝わったのだ。

その日本の少年は、自身の弱さゆえに大切な人を守る約束を果たせず取り返しのつかない悲しみを生み、それゆえ、後方スライドする原初八卦掌に並々ならぬ意義を見出した。

これは運命である。奇跡であると確信している。我が人生における最大のミッションが、この奇跡の出逢いによって、与えられた。弱者使用前提の囮護衛の武術を世に広め、昔日の八卦掌を蘇らせ、弱者が泣く現実に一石を投じる。

この奇跡の前に、人を呼んで開くことが意味がないことが分かるだろう。一番わかっているのは、水野義人だ。だから開くのは、指導するのは、水野義人が実行する。当たり前のことである。

・・・・外は激しい夕立の後である。湿気と熱さの中、心はさわやかである。

今回も、講習会を開くにあたっての決意に、忠実であり続けることができた。この達成感は、なんとも心地いい。

また7月6日(土)に、富山県小矢部市にて、清朝末式八卦掌における護身技術の講習会がある。この三週間、全力を尽くしたい。

志のある者、真に弱者護身に興味のある者は、小矢部市のクロスランドに集まって欲しい。

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どん底・逆境の道に入って、新たな可能性が見えた

いま私は、かなりの逆境にいる。生活拠点を失っている。

しかし、悲愴感はない。なぜなら、すでにかなり前から、この時に備えて、事前準備をしてきたからだ。

仕事量を増やす選択は全くなかった。拳法を磨く時間がそがれるからだ。それは私のようなプロにとって、最も避けるべきこと。

技術があるから後進に指導する立場でいることができる。後進は、貴重な時間を使って水式門の指導の場に来るのだ。それなのに、己を磨くことに甘さを持つ指導者であるならば、なんとも申し訳ないじゃないか。

前にも、逆境時、動画でメッセージを送ったことがある。今回はそれ以上に厳しい。そもそも、動画を編集する時間的余裕、空間的余裕がない。本ブログ記事も、少しづつスマートフォンで下描きをして、このパソコンに送信し、一気にアップしている。

しかし、本拠地がなくとも、何とかなるのだ。トイレも、水も、日本国内である以上、公園や公共施設、買い物時のショッピングセンターで、済ますことができるからだ。

いま私が焦点を合わせてるのが、練習と、サイトの更新作業と、清朝末式八卦掌の研究である

練習が最も気を遣う。今は一年で最も準備が必要な時期だ。練習による体温上昇を抑えるための氷水入りのクーラーボックスの準備、6時間以上の練習・研究を乗り越えるための6リットルの経口補水液、そして、着替えウェアの洗濯準備である。

風呂は、氷水で練習後、しっかりと身体を拭けば何とかしのぐことができる。寝ることもである。未明から練習をすれば、夜間に車を停める不審行為を避け、涼しい時間に練習できる。

ここまで工夫するなら、いっそのこと、朝から晩まで仕事すればいいだろうと言われる。しかし6時間でも足りない練習研究時間は、今の私の最も必要な時間なのだ。

何十年とやってきて、今こそ研究練習が最も必要だと、心から感じる。一時の安心のために、その貴重な時間を食いつぶすことは考えられない。

私も、拠点を失った瞬間は、その苦しさから「道を違えたか!?」と思った。しかし冷静になると、そうでもないのだ。拠点が無くても、このようにブログを打つこともできる。全国の志ある者に、メッセージを送ることができるのだ。

ネットを見ると、あまりに、不安や危険をあおる記事が多い。逆境になった際は、「頼れる人に相談しろ」とか、「支援金を申請しろ」といったアドバイスばかりだ。

しかし、それは、満たされ過ぎた環境(今まで当然のようにあって、不安すら感じることもなかった、揃い過ぎた環境)を失うことを防ぐための手段だ。揃い過ぎた環境など、その多くが無くなっても、何とかなるのだ。

私は迷わず、「普通に働いてそこそこ拳法と付き合う」道よりも、「とことん拳法と向き合うグランドマスターへの道」を選んだ。

そしてその道を選んだことで、拠点を維持する重荷が消え、身軽となり、新たにできることが見えてきた。そう、全国の有志に、直接、この清末八卦掌を伝える可能性だ。

この可能性を実現するためには、まだまだ多くの困難が待っているだろう。しかし困難など、今更珍しくもない。困難に負けているなら、とっくに私は、朝から晩までアルバイトして、「趣味・八卦掌!」とプロフィールに書いていただろう。

逆境にいる君に・あなたに、「共に行こうぜ」と言えるのは、周りからもあきられるくらいになった自分しか出来ない。

頑張る必要なんてない。君はすでに奮闘してきた。もうとっくに、「辛い人」そのものなんだ。

世間はいつも、「辛い時ほど己を見つめ、出来ると信じよ」とか、「お前よりも辛い人はいくらでもいる」などといって、辛い人の中に加えてすらくれない。

そんなことはない。君が辛いなら、もう十分「辛い人」なんだよ。

そんな中でも、現状を嫌い、取り返したいと願い、君は少しでも前に出た。それってすごいことじゃないか!私は君を、あなたを、心から尊敬する。私も君と同類に見られたいくらいだ。

今、打つ手を止めると、外は曇った田園地帯。誰も居ない。今日も誰も、私を認めることはなかった。でもそれが普通。

三十数年と八卦掌を練習して来て、一体どれだけ、人の称賛を受けたことがあったか?リップサービスなど、いくらでもあった。でもそんなもの、心から言ってないことはすぐわかる。心からの称賛は、ほんんの少しだ。これだけやってきてもその程度。最近は、人に認められることに期待などしなくもなった。

だから君は、君の心の道を進んでいいよ。行こうが行かまいが、人は気にもしてない。なにか言ってきても、言った瞬間からそいつは君をことを忘れ始めるのだから。

そんな人間のことばなど、君の決断の参考に、少しでもしてはいけない。君の心に従え。

わたしもそうした。明らかに、その他大勢の人間、つまり多数派が採らない道の方を選んだ。そして、先ほども言ったが、本当にやりたかったことの道が、少し見えてきた。こちらの道に進まなければ、見えなかった。

応援している。再度言う。君の、あなたの心に従え。苦しむも楽しむも、全て君だけにかかってくる。だから、君の心に従え。人は君のために少しも、苦しんでくれない。君だけが、選択によって苦しむのだ。だから、君だけに、選択権があるのだ。

私もまだまだいじめの戦いのど真ん中に居る。私は進み続けるよ。君も、その道を進むなら、共に進んでいこうじゃないか。

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7月6日(土)小矢部市開催『「清朝末式八卦掌」における護身技術練習会IN富山クロスランドおやべ』について

かねてより周知のとおり、水式門Web上フリー講座『最低限の時間で仕上げる「清朝末式八卦掌」護身術』 の対面での練習会を、
富山県小矢部市クロスランドおやべの交流ひろばにて開催します。

※当日は、イベント開催によるクロスランドセンター内貸し切りと、移動遊撃戦指導のため、屋外交流ひろばでの開催となります。

クロスランドおやめ交流ひろばとクロスランドタワー

7月の高気温高湿度の時期での開催のため、各自熱中症対策をしてご参加ください。

『最低限の時間で仕上げる「清朝末式八卦掌」護身術』において、対人練習によって理解すると技術上達に大きな効果を発揮する部分を重点的に指導します。

その部分は

  • 八卦掌の最重要基本技・単換掌を素早く発出するための歩き方
  • 移動遊撃戦における敵のかわし方
  • 斜め後方スライド撤退戦対敵身法の実際の使い方
  • 斜め後方スライドをより洗練させるための、脚の運用方法(翻身旋理・刀裏背走理)

となります。

攻撃すらも後方スライドしながら打つことによって、敵の攻撃に「当たらないこと」を最善とし、生存の可能性を見い出す、動乱期清王朝末期に誕生した、弱者使用前提の護衛武術が、八卦掌です。

成立当時の八卦掌(弊門では「清朝末式八卦掌」と呼ぶ)は、使用する人間の想定を宦官(かんがん※去勢され宮中内で雑役を行う男性官吏)・女官とし、一定時間移動遊撃戦で敵の攻撃をかわし生存することで時間稼ぎをして囮(おとり)となって囮護衛を実行できるように技術体系が組まれた護衛武術となります。

八卦掌水式門は、八卦掌歴38年の八卦掌マスター・水野義人の主宰する八卦掌専門の伝統門道場です。

その技法は、時に敵の命を脅かすものも含まれるため、指導対象は、仮入門期間を経た正式門弟のみとなります。

富山は八卦掌水式門の発祥地であり、かつ北陸地方の本拠点でもあるため、定期的に、正式門弟以外の一般の方向けに、八卦掌の技法による護身技術を対面指導します(※愛知県でも開催中)。

成立当時の八卦掌は、現在日本国内外で普及している近代格闘術八卦掌と違い、弱者使用前提・対多人数想定・対強者想定・対武器想定であるため、徹底した移動遊撃戦による「生存第一」の理念で全技術・全戦闘理論が構成されています。

弱者が強者相手に、生存の可能性を生じさせる戦い方とはどのようなものか?

弱者でも命を守ることができる技法として、昔日ではどのような方法を考えたのか?

弱い自分でも、自分の命と安全だけは守りたい!

そのように考える方は、7月6日(土)の講習会にて、清朝末期の護衛武術の精華を学んでください。

【開催日・開催時間】
2024年7月6日(土):10時00分~13時00分 ※13時~より変更

【開催場所】

富山県小矢部市 クロスランドおやべ 交流ひろば

※小雨決行。大雨時は中止。開始2時間前までに、メールにて連絡します。

【講習会のタイムスケジュール】

・基本姿勢走圏・対敵イメージ走圏

・斜め後方スライド身法

・指導者と行う、対人想定練習

【参加人数】

先着定員10名まで

【受講料について】

◆受講代金
4,400円(税込)

当金額を当日の練習開始前に、必ずお釣りのない形で現金で、水野にお支払いください。

◆受講料についての注意事項
※必ず申しこむ前に、後述する「キャンセルポリシー」をお読みください。

事前にお申し込みいただいても、講習会開始前までに受講代金をお支払いいただけない場合、例外なく指導いたしませんのでご了承ください。

【応募締切日】

2024年7月3日(水)

※事前連絡参加者がいない場合は、講習会は開催しません。参加希望者は必ず事前にご連絡ください。

※当日に、キャンセルメールをいれず欠席されました申込者様は、次回以降の水式門活動への参加はお断りさせていただきます。

【参加資格】
中学生以上の男女で、清朝末式八卦掌を真摯に学びたい方。

【参加に際しての注意事項】

・公園内での開催となるため、模造刀・木刀の使用はできません。弊門にて、スポンジ棒を用意いたしますので、そちらをご使用ください。

・当練習会に参加するに際しては、募集期間中における事前の申し込みと支払期日までの受講料のお支払いが必要となります。支払期日を過ぎても支払を確認できない場合、例外なくキャンセルとして扱わせていただきます。

・真摯に学ぶ姿勢の参加者を求めます。指導者の指示に従わない者は、それ以後指導せず、帰宅していただきます。

・参加できなくなりましたら事前にメールにてご連絡ください。連絡無しでキャンセルした方は、今後の水式門の活動への申込みはお断りさせていただきます。

・発熱・体調不良・心身故障中の状態の中での無理な参加は、受講生の安全な受講に配慮する立場からお断りしています。

・一般参加者の学習環境配慮と技法のいたずらな漏えいを防ぐため、保護者・知人・親族等による見学行為は例外なくお断りしています。

・本講習は、有料の特別指導であるため、見学目的・無料体験目的での参加はお断りします。

・当講習会内容では、実際に参加者同士が手を交える対人練習が行われますが、屋外で開催するため、マスクの着用は義務としません。気になる方は、各自マスク着用での参加をお願いします。

八卦掌水式門富山本科イメージ

清朝末式八卦掌=生徒集め用に護身術化してない純な護衛武術

清朝末期成立当時のままの転掌と言われていた頃の八卦掌(以下「清朝末式八卦掌」と呼ぶ)は、単なる護衛武術である。

八卦掌が説明される時、女性向けの護身術と言われたり、最も真伝を得るのが難しい高級内家拳と言われたり、変幻自在の神秘の拳法、などと言われているが、原初スタイルの八卦掌は、単なる護衛武術である。

自分は、近代格闘術化した八卦掌である梁振圃伝八卦掌の指導許可を得たが、ある程度の段階まで上がっても、勝ったり負けたりはあるな、と感じ、不安だった。その不安を払拭するための、神秘的な攻防技法・理論(螺旋をひんぱんに使った変則攻撃・八卦陰陽理論など)も実際に使ってみたが(使っている余裕がないほど力と速さで押し切られ)無理を感じ、実行できないと痛感した。

つまり、近代格闘術八卦掌は、女性向けのものでは到底なかった。武術経験のある屈強な男性向け、もしくは体格・筋力のある若い男性向けの武術である。

映画や演武大会で、女性が優美に流れるように演じ戦う映像を見つづけ、かつ各道場が「女性向け」と明確な理由を明示せずに発信するため、多くの人の中で八卦掌は「女性向け」「女性が使ってこそ」という認識が生まれた。

変則攻撃や斜めに移動して技を発出するも、女性向け、と言われる原因となっている。しかし、これらの攻防技術だけでは、身体的資源不利者に有利さを生み出さない。

身体的資源不利者が変則攻撃や斜めに入る攻防を行うならば、それらは単なる『遠回り』に成り下がる。身体的に不利な者が、遠回りなんてしたら、一層攻撃が当たりにくくなるのは明らかである。

有利者が最短距離で攻撃してくるのに対し、ただでさえ攻撃速度や技術が低い不利者が遠回りなんてしていたら、到達時間も長くなるうえに丸見えとなり、当たらないのどころか「格好の的」となってしまうのだ。これは十数年と練習して倒され続けたがゆえに分かったことである。

今まで、「女性をはじめとする、筋力・体格等身体資源要素で格闘するに不利な者」に向く理由を明確に説明できる指導者がいなかった、のである。

私が女性に向いている、と説明するには、明確な理由があるから、「女性をはじめとする身体的資源不利者に適した」とはっきり言うことができ、女性クラスの門弟も募集することができるのである。

女性をはじめとする身体的資源不利者に八卦掌が向いている理由は以下のとおりである。各自吟味し、実行してほしい。

先制攻撃などしないで、敵が少しでも近づいてきたり、威圧をかけてきたら、ためらうことなく力のぶつからない場所(一番望ましいのは敵のいない場所)へ移動(という名の防御)を開始する。そうすると、勝手に敵は接近してくるため、移動を止めることなく移動の勢いを保って自分の攻撃がまったく当たらないくらい遠い間合いを維持しながら、斜め後方へスライドしつつ攻撃をする(撤退戦)。そのため自分の攻撃は相手に当たらなくなるが、生存第一なので敵の攻撃さえ自分に当たらなければ成功なので問題ない(自分の攻撃が当たる、ということは、敵に近いことを意味し、敵の攻撃が当たりやすい状態でもあるから)。
移動し続けることで敵と接近攻防することがなくなるため、技術・筋力の影響を受けない位置で一定時間敵の攻撃を喰らわないための攻防ができる。そのため、その「一定時間」を長引かせるための練習を、日頃よりすればいい。螺旋功や変則歩法で敵の力をいなすような、複雑で人との練習でしか技術を高めることができない技法に頼る攻防スタイルであると、対人練習が毎日できる恵まれた環境を持つ人間にしか、技術を高めることができないことになる。清朝末式八卦掌は、敵との接触攻防をしない技術体系であるため、一人練習メインでも十分に練度を高め、男性なみに攻防持久力を作り上げることができる。そのため、いざという場面でも、相手から間合いをとり『自分次第』の領域を保つ技術さえ発揮できれば、生存できる可能性をもって戦うことができる。

撤退戦の最も基本的な技が「単換掌」である。移動し続ける際の移動練習が「走圏」である。実行するための練習方法も、明確に示すことができる。

単換掌をはじめとする型をたくさん覚え綺麗に演じることに時間を費やしたり、走圏に神秘的な内功要素を詰め込むことが、実戦において有効でないことがよくわかるはずだ。

理由だけが明確でもいけない。実際に使ってみて、本当に一定時間護身し続けられなければならない。その点は、昔日の実績があるから安心である。

その実績とは?成立当時の八卦掌(転掌)が、宮中内で仕える者が使用する武術として採用された実績である。屈強な武術経験ありの男性しか使うことができないシロモノであれば、採用されることはない。宮中に、屈強な男性(宦官以外の男性)が入ることはできなかったからだ。

※董海川先生は、武術教官・護衛官吏として出世するために、自身の経験してきた武術(戦場刀術)を元に、身体的資源不利者向けの拳法を編成し、アピールした、戦略的野心家であった。

もっと明確に理由を学んでみたい方は、『最低限の時間で仕上げる「清朝末式八卦掌」護身術』の前半にて詳しく説明してある。ぜひ読み、試しに練習し、講習会などへも参加してほしい。

一貫しているのは、弱者使用前提という点。私が護身術として指導するために、30数年時間がかかったのは、護身術として攻防理論が矛盾しない技術体系を持つ武術を見つけることにこだわったことが原因であった。

近代格闘術八卦掌では、矛盾が払しょくできなかった。昔就労生先生に習った、昔日スタイルの清朝末式八卦掌を再現するまで時間がかかったのである。

言い換えるならば、強者使用前提のあまたの武術の一つとなった近代格闘術八卦掌を、護身術としてカスタマイズするのではなく、弱者護身を目的として作られた技術体系を見つけるための模索をしぬいたから、教えるまでに時間がかかったのである。

模索の徹底が、十代初期に習った後方スライドする八卦掌こそが、弱者護身術となりうる武術であると気づかせ、清朝末式八卦掌の成立の道を拓かせたのだ。

ほぼすべての道場では、たまたま自分が習った近代格闘技(例えば空手やキックボクシングなど)を、弱者護身の護身術にカスタマイズして指導している。

もともと強者使用前提の格闘技を、弱者護身にカスタマイズするのである。格闘技と護身術は、全くの別物である。

倒すのが第一義の格闘技と、生存の可能性を生みだすのが第一の護身術。使用者の前提が強者と弱者。いくらか攻撃をもらうことを前提とする試合前提ならではの格闘技と、刃物や強者の強打が一発でも当たると命取りとなる命を賭けた戦いの場が前提の護身術。

その真逆の前提を克服せず、技法を少しカスタマイズしただけであるから、その護身術は身体的資源不利者を救わないのである。そもそも、敵と向き合っている時点で、その技法は、強者使用前提を証明しているようなものである。

まったく別物の格闘術を、護身術へ換えるならば、そもそも根本から換えなければならない。しかしその作業は極めて大変である。自ら新しい拳法自体を、作らなければならないからだ。

※日本国内にも、自ら拳法を創り出し、指導をしている先生らがおられる。これは大変すごいことであり、心から尊敬する。

自ら拳法を創るなど、学生の頃の自分には想像もつかなかった。よって、弱者護身の技術体系をもつ武術を探したのである。

私は本当に運が良かった。一番最初に巡り会った拳法の原型が、弱者護身の技術を取り扱う拳法だったから。厳密に言うと、自ら護身し、一定時間生存することで囮(おとり)となり要人を守る、囮護衛の武術だった。

「自ら護身し、一定時間生存することで囮(おとり)となり」・・この箇所が極めて護身術として役立つ点である。護衛まで念頭に置くなら、電撃奇襲攻撃に関わる技法と、攻防を支える移動遊撃戦持久力に一層の磨きをかける必要がある。

独学で始めた八卦掌は、近代化した後の八卦掌であったが、それが弱者による護衛を実現するためのものであることは、薄々気づいていた。就労生先生に、後方へ下がりながら攻防をする単換掌を教えてもらった時、「やはりさがるのだな」と納得した記憶がある。

時を重ね、多くの八卦掌を見たが、皆、近代格闘術スタイル八卦掌である。

これは、日本だけの傾向かと思った。理論の学習をしようと考え、中国から本を直接取り寄せたが、何十冊にも及ぶ八卦掌の本は、皆、近代格闘術八卦掌であった。

成立当時の董海川先生の教えが盛り込まれていると伝えられる八卦三十六歌訣も、その解説はすべて、近代格闘術八卦掌であることが前提で解説をされていた。

そうならば、以後、私が、成立当時の八卦掌の術理で、三十六歌訣などの理論を解説していくのみである。

八卦掌水式門ホームページ内の、清朝末式八卦掌全伝 では、昔日スタイルの清朝末式八卦掌の術理を解説していく。

弱者護衛の真髄を学びたい方は、清朝末式八卦掌全伝を参考にするといい。

そして、頭で理解したと考えたならば、水式門の門を叩いて欲しい。直接私の指導を受けることで、「龍の絵に瞳を描き魂を入れる」のだ。

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中国・四国方面を制する倉敷。倉敷本科準備旅

水式門の全国戦略は、のっけから苦しい戦いとなっている。しかしそれは、前人未踏の道を進む水式門であるがゆえ。

技術を誠実に公開し、指導動画を貫くため、極力薄着で動画を撮り、膝・足の動きをさらし、真に学びたい者へ動作のヒントを供してきた。

手技ばかりをクローズアップし、流麗華麗に魅せるだけの動画が多い中で、実用にこだわってきた。

そこでの指導内容は原初のままの八卦掌であるが、どの道場も近代格闘術八卦掌ばかりのため、本末転倒で異端状態となってしまった。・・・・これも宿命である。

すべて計画のままに進んでいるため、年末に宣言した通り、倉敷本科始動の準備をし始める。三番弟子の親友でもある、岡山在住四番弟子に、その道しるべを頼んできた。

平日の人の少ない心地よい美観地区

倉敷と言えば、美観地区。いい天気の中、久々の散歩であった。三番弟子と四番弟子は、岡山で会うと、いつも美観地区を好んで訪れる。散歩にいいようである。おいしいソフトクリームをいただく。

私自身、岡山には縁もゆかりもない。指導で何度か足を運び、慣れ親しんだ練習場所すらあるのだが、富山のように、居を構えたことはない。それゆえに、楽しみであった。

四番弟子によると、「倉敷を抑える者は、中国と四国を制す」である。女性であるのに、地政学に興味を持つ、少し変わった弟子である。

確かに、瀬戸大橋によって、車で四国を行き来できるのは大きい。私も何度も、四国高松に指導旅をしたが、その便利さは感動的ですらあった。

富山では、大きな成果を出すことができた。きた人数は、ほんのわずかである。しかしそれでも、志ある者に巡り会ったことが、素晴らしいと思った。

きっと倉敷でも、熱い出会いがあると確信している。

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八卦掌水式門・本部「愛知本科」開催日変更のお知らせ

八卦掌水式門本部「愛知本科」の開催日を変更します。

現在、極めて参加者が少ない状態が続いており、他の機会を創出するためとなります。

なお、当状態がしばらく続く場合は、現在の定期開催から不定期開催に移行します。

【変更前】

・毎週金曜日 18時30分~20時30分

・第2・第4日曜日 10時00分~12時30分・13時45分~16時15分

【変更後】

・第2・第4日曜日直近の金曜日 18時30分~20時30分

・第2・第4日曜日 10時00分~12時30分・13時45分~16時15分・18時30分~20時30分

参加の際は、必ず以下のグーグルカレンダーを参考のこと

八卦掌水式門の「代継門人」と「掌継人」の公認は厳しく行う

中国拳法の世界でよく聞く「拝師弟子(はいしでし)」。

師匠の前で、その門派内で決められた儀式を行って先生を師と仰ぎ、いくらかの誓約を誓い行う。おおよそ、その儀礼を経て、指導許可なり、系譜に○代目として名を連ねる。

近年は、その前近代的?儀礼を好まず、拝師・系譜を渡さないで代目を与えたりする。

私の八卦掌の先生もそのようであった。先生が志す昔日武術家が、形式的拝師制を採ってなかったため、踏襲していた。

水式門では、「何もしない」内弟子化は、採らない。明確に認め、明確に伝承図を渡し、証書にて代継門弟なるを認める。そしていったん認めた以上は、取り消さない。

内弟子となりたがらない人間もいる。その門派に囚われたくないからである。

そのような者に、こちらから代継弟子になってください、などと決して頼みはしない。するはずもない。そもそも、そのようなことは、昔日では考えられなかった。師匠が弟子に、「なってください」などということは考えられないことだ。

強い弟子や、有望な弟子に、こちらからスカウト、などという話を聴くが、私はしない。上から目線ではない。師弟関係だって、ギブアンドテイクなのである。

師匠は、弟子に教える段階において、すでにあまりの多くの時間をかけているのである。練習を毎日行うために膨大な準備をして犠牲を払い練習場所に毎日立ち、情熱を維持するためにあらゆる悩みを抱えても心を保ち、一般サラリーマンが行う無駄遣いもせず、多くのお金を学習にかけている。

指導するにあたっても、法外な金額を吹っ掛けるのではない。月々1万円以内の金額である(弊門本科は、月々5,000円程度である)。常識的な金額である。

その設定金額のうえで、先生が片手間にサラリーマンしながらほどほどにやってきたものを、空いた時間で・・・ではない。長年積み重ねてきた技法を指導するのである。

出し惜しみをし、少しでも安く習おう、あわよくば極力お金を払わずに・・・と考える輩もたくさんいる。お金も問題ではない。たかだか5,000円程度の金額だ。その程度の額ですら、膨大な時間を費やして指導している師匠に払うのを渋り、ケチる人間に、私は指導の情熱を注ぐことはできない。

このように、その拳法について先んじてより多くの時間を費やしているのである。少しばかり技法の飲みこみが早かろうと、ただそれだけをもって先達が初心者に頭を下げるなど、あるはずもないし、あってはならない。その弟子が慢心するだけである。私は決してすることはない。

代継弟子になろうと、八卦掌の修行過程では、まだ入り口に立ったばかりである。これから先、膨大な「自分なりのノウハウ」を積み重ねていく必要ある。この段階では、全体像が分かっていないため、気づきも、その多くは一過性のものである。私もそうであった。

「これこそ真理か!」と初期段階で気づいたことなど、今思えば、途中段階の未完成なものばかりであった。成長の過程でその気づきは必要ではあるのだが、それが八卦掌のすべてを悟らせるもの、ではなかったのである。成長過程における、成長の一段階に過ぎないものである。

代継弟子でもその状態である。まして代継弟子になる前の状態は「初心者」だ。初心段階の人間に、おおよそ3万時間以上を費やした師匠が頭を下げるなど、ありえない。

掌継人は、もっと先の段階である。

掌継人は、弟子に明快に術理を示さなければならない。自分でできるのと、その出来る技術を人に伝える、のでは、また違った段階となる。代継弟子になってから掌継人までの道のりは厳しい。

弊門を修了した掌継人は、皆例外なく、掌継課程で膨大な時間を費やしている。すべからく毎日練習場所に立ちつづけ、悩み、時に泣き、時に苦しさの中で続けることすら苦痛の中でも、とにかく向き合ってきた者ばかりである。

ここまでやるのは、いざという時命を賭ける今すぐ使う技法を、弟子に示す必要があるからである。掌継人は、八卦掌の技法を、後代に伝える立場の人間である。自分だけで修行しているだけの立場ではない。

今すぐ使う技法が、清朝末式八卦掌の特徴である。いますぐ、明日にでも使う技法ゆえ、術理は明快でなければならない。

何年先使用を前提とするならば、あいまいで抽象的な説明でも、今この時点でごまかすことができる。しかし今すぐ使う予定の、清朝末式八卦掌では、それはゆるされない。

今、目の前にいる教えを請いに来た弟子に、明快に術理を示さねばならぬ。その技法は、その弟子が間もなく誰かを守るために使う可能性もある。そのような重大な技法をを伝える作業をしなければならない。

つまり、その責任ある作業を実行できる実力者だけが、掌継人になることができるのだ。

今までの掌継人は、皆それができたから、女性でもなったのだ。それが出来なければ、屈強な男性でも、掌継人になることはない。弊門では、認めることはない。

多くの屈強な男性は、掌継人どころか、代継門弟にすらもならなかった。清朝末式八卦掌の技法に、心を向けきることができなかった。一時でも心を向けきることのできない人間に、先に進むのは難しい。

女性は、力と力がぶつかるスタイルに未練もないため、代継門弟・掌継人ともになりやすい。

八卦掌水式門では、以後も、代継門弟・掌継人にたいする公認は、厳しく行う。でないと、技術伝承において一定のレベルを確保できないからである。

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無料体験ではなく、有料仮入門で技術を学び判断すること

八卦掌水式門では、無料体験制度を設けてない。

無料体験制度を設けると、無断キャンセル者が大量発生するからである。

無料でしか来ないからといって、その中にも将来有望な者が・・・・だから修行の機会を、という意見もあった。

だが、無料体験を設定することによって生じる、圧倒的多数の非常識人間に時間をとられる方のが大問題である。

真面目に修行に取り組む者に力を注ぎたい。課題や超えるべき壁を越えるべく向き合う者に情熱を注ぎたい。

無料でしか来ない。体験もないのかよ、と文句を言う。仮入門期間中に払う5,000円程度の金額を出し惜しみ、極力お金を使わないようにする姿勢を見せつける。この手の人間は、人に何かを教わる姿勢がそもそもない。お金を払うのだから、教えて当然、と考えている。

師弟関係によって脈々と受け継ぐ武術の伝承形態をまったく理解してない。命がかかる殺傷技法である。指導した人間がならず者であれば、教えた先生や、学んだ者の周りの人間、その他関係に無い人を、ならず者の弟子が傷つける可能性がある。

シリアスで人の命に関わる技法の伝承だから、これほどまでに教える人間を選ぶのだ。出し惜しんでいるのではない。誰それ構わず教えることによる弊害に、伝統門指導者は責任もって向き合う必要がある。

水式門では、最低限に護身ができるまでの技法を、サイト上や弊門Youtube動画にて公表し、独学ですら可能なくらいまで公開指導している。流麗華麗な技を、足さばきなどの肝心な部分を見せずに実は道場の宣伝目的で挙げている動画と、一線を画す。

その中で、技法の内容や、私自身の動きの質・身体の体軸レベルなどは事前に分かるはずである。自分の技術レベルはそこでおおよそ推しはかることはできるであろう。

それでも「5,000円の月謝を払う価値があるかわからない」と映るなら、その人にとっては、私の伝える技法は、5,000円の価値すらも無いのである。価値を見いだすことができない者に、修行の継続は難しい。

膨大な時間を、修行に費やしてきた。会社に正規雇用で籍を置き、皆が楽しむことを一通りしながら、そのついでに空いた時間で練習を・・・ではない。仕事も最小限に抑え経営と練習ができる環境を、何年もかけて準備しそして時機到来後実行した。家族をかえりみること以外はその時間のほぼすべてを、八卦掌の修行と水式門の運営・指導に費やしたのである。

八卦掌に向き合った時間は「誰よりも」かは不明である。しかし、自分の中では最大限に、出来る限り、いや、経済的に追い詰められる状況があっても、向き合ってきた。「誰にも負けない」と胸をはって言える。

なんとなく八卦掌がよさそう、とか、始めたばかりで他の武術と天秤にかけ、どちらもつかずでスマートにこなす(本人はそう思っている)愛好家の人間に、出し惜しみをされることは極めて心外である。そのような人間に教える技法は、ここにはない。数千円程度の金額が惜しいなら、無料体験制ある教室に行き、想いを遂げればよい。

水式門では、有料仮入門期間中も、それが八卦掌である以上、使えないシロモノを伝えない。家に持ち帰って真摯に練習すれば、その身を守るための基礎となるものを真剣に指導する。

一度でも弊門を訪問したことがある人間なら、指導内容がシリアスなものばかりなのが分かるはずだ。ブラックボックス化し、よくわからない例えでお茶を濁す指導はしない。具体的な術理と、拳法成立背景の説明により、「八卦掌の目的」から導かれる理由で明快に指導する。

仮入門生にも、真摯に向き合う。本門生と同じように接し、指導する。命を賭けた技法なのである。当然である。

ここまで真剣なのである。時にわが命を守り、時に大切な人を守る護衛護身の技術だから当然である。そのような技法を、無料でライトにポップに指導などしない。

怒鳴ったり、殴ったり・・・そのような指導は、中国拳法界では行われない。許されない。弊門でも決して行わない。しかし、中国拳法界の伝統に従い、不真面目な者にはそれ以後の内容を指導しない。上達しなければ、その先を指導しない。そこは理解してほしい。中国拳法界の厳しいところはしっかりとあるのだ。

日本の道場であれば、不真面目者には先生がその点を指摘し、改善を促してくれる。しかし中国拳法の指導の場では、そんなこと言われない。上達しない者は、いつまでたっても何も教えてもらえない。これは、先生から大目玉を喰らうよりも、はるかに怖いことなのである。

私の八卦掌の先師・馬傳旭先生も、この厳しさがあったと、我が師より何度も聞いたことがある。上達しない者には、いつまでたってもその先を指導しない。わたしだって、何年もたってからは初めて、師に老八掌の単換掌を教えてもらったのだ。

八卦掌水式門における、無料体験制不採用の意味を理解していただけただろうか。

弊門は、職業武術家である私・水野義人が指導する、八卦掌専門の伝統門である。お気軽に、ライトに、楽しく気軽に、と考える愛好家には、不向きな道場である。

しかし、身体能力などがなくとも、真摯に練習するならば、こちらも真摯に指導する。

なぜなら、毎日真摯にコツコツと継続する者こそが、達人になる才能のある者だからである。ちょとばかし飲みこみが良くとも、継続して積み重ねない者は、決して達人になることはない。

八卦掌に向き合い、上達を願う者よ、その熱意と、大切な自分・大切な人を守りたいと願う優しささえあれば、私は大歓迎である。そのような者との出逢いが、とても楽しみである

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