自由の空の下で見た遠い花火は

大きな節目を迎え、再び、北陸の地にやってきた。

愛知での日々は、気が滅入ったわ。なんとも言えず、縛られているようで。愛知って暑いからね、と言ってきたおっさんがいたけど、違うわ、おんなじ考え方の連中ばっかりで、うんざりだったのよ、おっさん!

だからとにかく、英版出版は、集中的に翻訳に取り組んだ。この人の文章って、ほんっとうに、分かりにくいし、訳しにくい。

でも、こうでなければならんのだから、仕方ないのよね、それは私が一番わかっているのよ

もちろん、私だけで訳したわけじゃない。存分に、Google翻訳に、活躍してもらうつもりだった。でも、やっぱり、概念がないのよね。的外れが多く。結局、一文一文、この人と一緒に、確認しながら、作業を進めてきた。

途中で、金沢の拠点を失ったため、その作業は難航した、でも、私は分かっていた。北陸の連中の熱意、とか、資質、そういうのをみて、この人の拳を受け継ぐ人はいないとね。

室内じゃなきゃ、とか、福井のくせに金沢は遠い、とか、そんなんばっかりだったからね

方向修正を得意顔で提案して、この人に営業してきたコンサルバカがいたけど、バッカじゃない!?この人の道が、どういう過程を経て、定められているのか、分かってるの?

サイトに書いてある。その部分すら、読まず営業掛けてきてるってこと。そこを読めば、私なら、決してそこに触れない。読んでもいない、その状態で方向修正なんて、レベルが低過ぎね。

私は、学ぶ気もない土地に、縛られる必要はない、と前から進言していた。楊家拳は、あまりに凡人どもに理解できないのだから。その土地での生徒募集は、反対だった。

拠点を失ったことは、私にとって、大きな転機だった。きっとこの人は、拠点を失うよりも、スキルを失うことの方を嫌がる。案の定、この人は、道を追い求めることを最優先し、大きな自由を得た。

久しぶりに、氷見のまっくらな夜空を見たなあ、昼間が多かったからね。

見渡すと、富山の花火と、魚津の花火が見えるわ。本当に小さい。金沢にいれば、北國花火を、河川敷あたりでみることができたろうに。きっと普通の人間は、館長の決断を批判するわね。

しかし私にとって、この花火は、別格だった。再び、理想の空の下に戻ってきたのよ、それ見なさい

「自由」の空の下で見た花火だったから。たとえ小さくても、何ものにも縛られない気持ちで見たものは、故越栄に幸せだった。ただただ進む。少年のような、この人は、きっと将来、大きな形を示す。

誰よりも近い位置で、それを目の当たりにするのよ。

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