これは何も、映画「グランド・マスター」の中の主人公のようになろうと言ってるのではありません。
惚れ込んだもの(ここは八卦掌がらみのブログのため拳法など武術を指すが、武術に限らずなんでもいい)があるならば、徹底的に練習しまくって、独自の境地に至ろうぜ、と言っているのだ。そのほうが目指しガイがあるというもの。
そしてどんどん、己のうけた名前で、己の方法で教え、発信していけばいいと思う。到達点は、とてつもなく大きく持とう。
徹底的に練習すると、「この方法はいいぞ」と思ったオリジナルな「ポイント・要領・コツ」に、どんどんと気づくようになる。私自身、先生から使用例(用法・ようほう)やコツを教わった記憶などほとんどない。実はその方法こそが、古来よりの中国拳法の指導法でもあるようだ。
常に自分で、「八卦掌は対多人数を想定した遊撃戦の拳法(※このことに中学時代から気づいていたが、師匠に教わるようになったあと、師伝でもそのように言われ確信した)」という前提に沿って、そこから型の使用例を想定し、散手や組手、対多人数遊撃戦総合想定練習で試しながら編み出してきたものばかりだった。
発力法という言葉も分類も、身法という言葉も分類も、単招式も、連招式も、老八掌の滑歩も、基本歩法も、走圏の実戦的な練習法の工夫も、間合いを徹底的に練る対人想定練習も、買い物カゴで戦う術も、刀術を元にした40~200センチの刀棒術も、そして最も得意とする双短棒も、すべて、八卦掌の元からある技術の術理に沿って、整理し、体系化して、私の八卦掌を確立してきた。
これらの術は己の工夫と苦労の果てに、馬鹿の一つ覚え同然に繰り返して身につけたので、自信のある実用的な技術となっている。
実際、仕事で不審者やらに注意喚起をしなければならないときなどは、買い物カゴや収穫カゴなど不審者を刺激しない類似の道具を持って万が一に備えながら対処することで、多くの実戦的経験を積んできた。
※乱闘やケンカを好んできたから実戦経験が多くなったのではなく、『大切な人を守る』と言う強い信念を持って生きてきたため、不穏な状況に直面した時ごとに、その信念が実戦につながりやすくなる行動を選択させ、結果人よりそのような経験が多くなった、のだと考えている。
これらの経験を踏まえ、師伝であったり、暗黙の了解となっていたりしていた対多人数戦の口伝(教えらえた要領)を己の経験に加えまとめる作業を真剣に行っている。これは、経験の浅い人間が書く無責任で非現実的なポイント・要領ではない。
私こそ、このポイントを書くにふさわしい(最強とか、そういうおごりたかぶった意味ではない)。
対多人数遊撃戦のポイントをまとめる人間としてふさわしいと確信している理由。それは、実戦の初めてが、対多人数数遊撃戦だったから。そしてその戦いの結果で、人を苦しめ、そして自分も苦しという、真剣に向き合わざるを得ない事態を招き、以後そこから逃げることなく努力を重ねてきたから。
今まで、人と争うのが嫌いで、ケンカもしたことがなく、そして暴力を否定し、「強くあること」を真向から不要なもの、と軽視してきた。その態度が人を巻き込む思わぬ事態を招き、人を守りきることができなかった日からずっと、決意して向き合ってきた。そんな私だからこそ、腹の底から真実の声のもと、身を切るがごとく書くことができる。
目の前でいじめの精神的暴力に苦しむ人を守り切ることができず、その子を不登校へと追い詰め、そんなこと、もうさせないと必死で強さを求めてきた自分だから、書くことができる。
散手や組手・乱取りで強い人間相手に試し、話にならないくらい全く通用せず、そこで得た感覚や教訓をまた試す、という繰り返しを十数年以上にも及ぶ長い期間実行し進み続けてきた私だからこそ、書くことができる。
つまり私の伝える八卦掌は、梁振蒲先生伝八卦掌の技術を原点としてはいるものの、私の経験・練習を通して新たな原点を作り、古来のごとくの移動遊撃戦の要素が強くなった技術体系となった八卦掌。
今年の年初、梁派伝の継承を採るか、己の経験にそった八卦掌の道を進むかの決断をするとき、全く迷うことなどなかった。それくらい、自分の得た技術の根幹は、八卦掌の術理ではあるが、己の独自の経験から気づき、そして生み出され影響を受けたものばかりだった。
この境地、拳法でもなんでも、周りがあきれるくらい積み重ねたものがある人であれば、分かってくれる境地だと思う。
よく1万時間の法則(物事を極めるには1万時間くらい費やすと結果が出てくる、という目安の法則)が言われるが、自分の場合、2万時間を越えたあたりから、もう数えるのも止めてしまった。そういう世間の目安ではピンとこなくなるくらい、己の経験によって得た目安のほうが頼りになってくるから。
流派も、誰それ伝の系統も、こだわりがなくなってくる。実際に人と組み合う時、その時の状況に応じて、繰り出される技なんて、流派の違いなどほとんどない。色んな角度や色んな態勢から打つため、どんな技かもわからないのだ。
組み合った時に、私より強い人間なんていくらでもいる。しかし、大切な人が後ろに控えている時、そんなことは全く考えない。己の経験と技術、体力の限り死力を尽くし、守るのみ。その時は流派なんてももちろん、八卦掌であるか、だれであるかも関係ない。
ただ守るだけ。そのためだけに同級生の前で宣言したあの日からずっと練習してきた。だから常に護衛拳法だと言い続けてきた。
強くなりたい。もう誰も苦しめたくない。大切なこの子の笑顔、決して曇らせたくない。そのために君が八卦掌を選んでくれたならば、メッセージはひとつ。
強くなるのは間違いない。だからグランド・マスターになるくらいまで強くなってやろうぜ。グランド・マスターになって、大好きなあの人、守っていこうぜ。泣いて感謝される英雄的な瞬間が、きっと訪れる。その時、今から練習の旅で味わう苦労が、一層幸せな気分をもたらしてくれるんだ。
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