なぜ君にとって対多人数遊撃戦は「実現可能」な戦法なのか

強くなりたいと願い行動し始めた君は、毎日少しづつ、自分の身体が変わっていくことを実感している。

この前までできなかった行動が、ある日ふと、できるようになっていることに気づく。

自分で撮影をしてみたら、ダメだと思っていた動作が、手本動画の動きとほぼ変わらなくなっていた。自分は、結構うまくなっているんだな、と否が応でも気づく。

練習時「ここ!」という場面で、スッと手が出る。身体が崩れた状態でも、手が届くならば、自然と打っている。考えて見れば、こんなこと、以前では想像できなかった。

今ならば、後ろから突然敵が襲ってきても、その場から身体を移動させ、なんらかの行動をとることができる。この前は、無意識に手が出た。この前は身をひるがえして、敵中から外回りで逃げおおせた。

今ならば、「対多人数遊撃戦」がリアルに感じられる。この前は「私にできるのだろうか」と不安だった。他人の「そんなこと妄想であり、できっこない」に気を落とし自信を無くし、そう感じていた。

ではなぜ、他人には妄想で、君にはリアルに感じられるのか?

理由は簡単。君が、対多人数遊撃戦と向き合い、簡単ではないその技法を己の身体で実行するための準備を、日々積み重ねているからだ。

準備を積み重ねていると、日に日に、遊撃戦を実行するための身体的土台が出来上がってくる。

足の運足がスムーズになった。以前はここで足を上げることができず、足を軸足に引っかけ、動きが止まっていた。今は、軸足を越えて自分の望む場所にもう片方の足を移動させ、そこから新たな遊撃戦を展開できる。

右方面に居る敵に穿掌で突撃攻撃をした後、すぐさま後方の敵へ攻撃を仕掛けたかったが、昔はそこで慣性が働き動きが止まって、敵に捕まっていた。この弱点に気づいてから、慣性の働いた状態から転身しながら穿掌を放つための練習を重ね、今は当たり前にできるようになった。これは、使えるぞ!

君のその日々の積み重ねが少しづつ厚みを増し、以前は想像できなかった場所へ君を自然と連れていき、そこで君は初めて気づく。

「いつの間にかこんなこともできるようになっていたんだな。今なら、敵に捕まらないで戦う自分が想像できる。できるかもしれない・・・・いや、きっとできる!」

君がそうなっても、他人はこう言う。

「そんなこと、漫画の世界じゃあるまいし、できるはずない。生兵法は大けがのもと」

以前はここで「やはりそうなんだ、絵空事なんだ」と落ち込んでいた。しかし今はすぐさま、自然にこう答えていた。

「そう?実際動かすことができるし、できるよ。なんなら見せてあげようか?この動きのことだろう?」

私の例を言おう。記録できないくらい徹底的に繰り返し、リストアップした「できるようになったら便利だけど苦手パターン」を知らないうちに克服していた。

以前はここで動きが止まっていたが、今はすぐさま、穿掌を打ちながらその場からエスケープできる。多人数想定組手でも捕まらない。当てられない。そうなったのに、他人からの言葉は変わることがなかった。

決定的な違いは、行動した者と行動してない者の違い(行動してないから悪い、という意味ではない)。他人にとっては、対多人数遊撃戦は、絵空事の妄想であるため当然実現させるための準備をしない。だからずっと妄想や絵空事のままなんだ。

君は苦労しながらもその場にとどまり、コツコツと土台を築きあげて来たからこそ、対多人数遊撃戦がリアルに感じられるんだ。

リアルに感じられる→やる気が出てくる→引き続きルーティンを繰り返すのみ→知らないうちにできるようになっている場所にたどり着いている。なのです。

第三者に、言われたことがある。

「○○○○(有名道場)のベテランたちが、ある日、一日を使って、多人数戦の組手を徹底的に練習したんだって。その猛者たちでも結局できるようにならなかったらしいぞ。そこで悟ったんだって。こりゃ無理だって。だからお前のやっていることは無理だと思うぜ」

「そう?で、その人たちは、それ以後も練習し続けたの?」

「だから!無理だと悟ったんだから、もうそんなことしないだろ。話をちゃんと聞けよ。」

「私は、今もずっとやり続けているが、おかげで、できないこともできるようになったよ。」

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思い込みは現実へ~靴底が平らに減る私は将来達人

物事を成すうえで最も大事なことは、己のやっていることを信じ抜くこと。

言い古された、耳にタコができそうな言葉だが、大変難しいことでもあります。

己の信念に揺さぶりをかけてくる出来事は、まるで、天は私のことだけを狙い撃ちしているのではないか?と思うくらい、次から次へと起こる。

天のみならず、周りの人間も、絶妙なタイミング(最もメンタルがやられている時)で、適当な批判や中傷を浴びせてくる。

打ち立てた目的に到達する過程では、きっとそんなことだらけだろう・・・事前から覚悟もしていたし、分かってもいた。事実、歩き出した瞬間に、人は怒涛の如く消え去り、ほぼ誰も居なくなってしまった。

やっぱりそうか・・・仕方ないこと。割り切っているのだが、そんなことにずっとずっとさらされているので、毎日、不安や焦りを感じない日はないんですね。

そんな時に考えること。

「自分は天才だから、誰からも理解されないんだ。」

そう考えるのは自由だし、誰もにも迷惑もかけない。自分は真剣にそう考えているし、ずっと取り組んでいると、その考えを裏付ける出来事が起こってくる。

練習し始めの30年以上前、拳法の練習は靴への負担が大きくて、一カ月くらいでダメになっていた。はっきりと覚えているだが、左足の親指付け根付近だけが減り、それで靴寿命が縮まっていた。

長いこと、その状態が続いたが、ふっとした瞬間に、靴の減り方に変化が起きたのです。まず、左右の親指付け根わずか下が均一に減るようになり、立て続けに、今度は、靴底全体が、ほぼ均一に減るようになってきたのですね。

遊撃戦練習における、外転翻身・内転翻身・半斜翻身、そして滑歩外転が左右両方、時計回り反時計回り両方とも、対多人数遊撃戦総合練習の中で自在に用いることができるようになったあたりからです。

昔、下駄の歯が均一に減ってないのを見た達人が、挑戦者に「未熟者、出直してこい」と言った逸話を思い出し、「ってことは、自分は達人になったってことか?」と思ったのです。

実際、そのあたりから、態勢がバラバラでもいかようでも打つことができるようになったし、身体流の慣性状態から、全方向への身体展開ができるようになってきました。そして何より、型どおりでなくなったこと。大きな変化を感じました。

それ以後、辛いことや無気力状態が訪れるたびに、靴底全体減りを己を鼓舞する材料としてきました。

現在、靴の寿命周期は、40日くらい。少しだけ伸びました。均一に減るため、どこが一番最初に穴が空くかわからない状態ですね。一番減りやすいのは、土踏まずより少し前方。

思い込んだもん勝ち。信じたもん勝ち。それは誰にも迷惑もかけない。そして、なにより、思い込むことができるなら、それは間違いなく真実になってしまうということ。

そうならば、自分にとって都合のいい出来事を材料に、自分にとって望ましい内容を思い込んでしまおう。それは間もなく、真実となる。

もし君が、あなたが、自分のサイトや、他の情報をもとに、真摯に練習をしているなら、きっと強くなるし、未来に大きな変化が起きる。もうすでに起こり始めている。それは「そうなるといい」のレベルではなくて、「間もなくやってくる」こと。

さっそく思い込もう。俺は、私は、強くなる。取返し、望む生活を送る。想い出を作る。好きなあの人の前に堂々と立つ。

思い込んでしまえば、望むものは近づいてくる。苦しいことが起こっても大丈夫。その都度、思い込んだらいい。

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心に残る言葉は、きっと真理。信じて前に進もう。

「大丈夫だと思うよ。」

優しいその言葉に、長いこと助けられてきました。人の優しさから出たささやかな、そんな短い言葉が、長い時間、今もずっと心に残り続け、私を励ましてきてくれました。

その言葉をかけてくれた時の場所、表情、天気・・・克明に覚えている。多くを忘れてしまったが、優しい言葉は忘れられない。

「誰からも相手にされない」「みんなにバカにされる」「何にも期待されない」

自己否定の言葉に溺れてしまったあなたでも、ふとした時、誰かから優しい言葉をかけられたこともあると思う。

なんの根拠もなくていい、その言葉、全面的に信じよう。心から信じよう。この世の真理にしてしまおう。

人は、なかなか人など褒めない。私自身も、褒められたことなど数えるほど。

「大切な人を守る八卦掌を広めて、少しでも多くの人が暴力から守られるようにしたい」と真面目に語れば、たちどころに笑われ、「現実を見ろ」「で、生活は成り立ってるの?」「拳法で守るなんて、妄想もいいとこ」なんて言葉を機関銃で打ち込まれるがごとく浴びせられる。

でも、そんな言葉、全く心に残らない。私の中では、ずっとずっと、優しさから出た言葉が心のそばにあって、癒してくれる。

言ってくれた本人に聴いてみると、「そんなこと言ったっけ・・・・」との返答。

言った本人すら覚えていない言葉でも、その言葉が心に響き、心を揺さぶるならば、ずっとずっと残り続けるんだ。

そして、残り続けた言葉は、いつしか真理となり、何度も何度も失敗をしている私を、いまでもずっと支えている。

もしあなたの中で、言った本人すら覚えていないような言葉であっても、あなたの心の中に残り続けている言葉があるならば、その言葉はきっとあなたにとって真理なのだから、信じ、支えとしよう。

いいことがきっとたくさん起こるよ。私もそうだから。

対多人数遊撃戦八卦掌は、道なき道を行くようなもの。答えなど用意されてないし、拳法界で市民権も得てない未踏の領域。

手ごたえを感じなかったり、人からドタキャンやウソをつかれてタダ受講されたりして、屈辱のなみだを流す時も、いつもそばにいて支えてくれた。

多人数戦総合練習で、身体が動かず手が止まってしまった時も、カッと心に思い出され、手や足に力が入る。「手を止めない、あきらめない」って、何度も思い直すことができたことか。

私はその人からもう二度と、直接言ってもらうことはできないけれど、きっと自分の人生の最後までずっと忘れず、支えてくれる。本人が覚えていない言葉でも。

ある時、改めて聞いてみたことがあったのだけど、その時言ったことも、忘れられない。

「意思の強さの達人だからね。覚えてないけど、今でも大丈夫って、言うと思う」

人の優しさは、本当に偉大で、かけがえのないもの。私も、そんな言葉を、少しでもかけていけるなら嬉しい。

護衛護身五型、更新し、より詳しく説明しなおしているので、全国で孤軍奮闘して強く成ろう、取り返そうと思っている、君やあなた、是非とも見て欲しい。

きっと大丈夫!

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遊撃戦色が一層強まった新しい「八卦掌護衛護身五型」

護衛護身科の再開講、そして10月30日(日曜日)の愛知県講習会、11月6日(日曜日)の富山県講習会で五型を主役にして八卦掌の攻防を説明する機会を得て、「八卦掌護衛護身五型」の閲覧数の増えています。

間もなく開かれる愛知・富山の講習会では、五型を一気に伝える機会を得たたため、参加を迷っている人は、とにかくにも参加し、五型を通して遊撃戦八卦掌の攻防技術に触れてもらいと思います。

身近な人からも、内容について質問があるため、ここで改めて説明しましょう。新しい五型は、従来のものと何が変わったのか。

  • 遊歩連捶(ゆうほれんすい)の動作を加え、定式八掌で練る、力を伝えながら歩く練習を五型に採用した
  • 穿・推・捶・拳を選ぶことができるようにした
  • 五型の型を、原形となった鴛鴦鉞の単式にほぼ同化させ、五型に慣れたらすぐに武器をもって練習することができるようにした

これらの変更点について、説明しましょう。

◆遊歩連捶(ゆうほれんすい)の動作を加え、定式八掌で練る、力を伝えながら歩く練習を五型に採用した

歩きながら打って相手に力を伝えることは、遊撃戦の八卦掌における一大発力(発勁)方法です。

今までは、五型の一部の型(双按連捶)でのみ練習していましたが、新しい五型では、すべての五型で「遊歩連捶」を加え、移動発力の動作を練習できるようにしました。

◆穿・推・捶・拳を選ぶことができるようにした

手法に限定感のあった従来の五型に比して、今回は、自由性を持たせています。これは、五型を練習する者のユニークな経歴に配慮したもの。

例えば、弾腿や少林拳・空手などの、拳を用いる武術を練習したことがある方に配慮して、拳を用いても練習することができるようにしています。

掌で相手をつかんで攻防を展開する技でなく、シンプルに敵の側面を通過しながら攻撃する技メインとしたものです。

掴む動作から展開する技は、かなりの習熟度を要し、私のように長いこと柔道に取り組んできた者でも成功させるのは容易ではありません。遊撃戦渦中で相手をつかむことはなお難しいため、新五型では、通過戦法に活路を見いだしています。

掴む動作に固執しなければ、掌でなくても対応しやすくなります。それによって、拳や手刀に得意感を持つ練習者に、一層のやりやすさを感じてもらえるようになりました。

◆五型の型を、原形となった鴛鴦鉞の単式にほぼ同化させ、五型に慣れたらすぐに武器をもって練習することができるようにした

五型の原型となった、子母鴛鴦鉞の単式技法型に、五型を内容を回帰させました。これは、「徒手習熟、即武器習熟」の理念を実現させるための大き対策です。

五型習熟で、鴛鴦鉞練習なし習熟、とはもちろんなりません。しかし、ほぼ同じ型を用いることで、徒手と武器の橋渡しが極めて効率よくなりました。

五型を一通り練習した後、もしくは一型ごとに、鴛鴦鉞、そして双短棒を練習してみるとよいでしょう。きっと徒手の技術に一層の深みが出るはずです。

・・・・2022年の講習会も、富山はおそらく11月6日が最後(あくまで予定)。ましてや今回は、五型を一気に解説する講習会内容であるため、武器直結の実戦技法を知りたい方は、是非ご参加ください。

愛知で、富山で、参加を待っています。

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「レッテル」なんて何の価値もない。君の道を進め!

高校を卒業した後、卒業証明書が必要となり、母校に取りに行ったことがあった。

いい思い出と嫌な思い出が交錯する場所。嫌な思い出の中に、高校2年の時の担任の先生に見下ろされていた記憶、があった。

だから、高校に行くならば、その先生だけには遭遇したくないなと思っていたのだけれど、よりによって、遭遇してしまったんだよね、それも校舎に入った瞬間に。

その時出会い頭に言われた言葉が、「ちゃんと社会で生きていけてるか?」という侮辱的な言葉。ニヤニヤ笑いながらだった。ほほえましい中で言われたものではなく、高校の時見下ろされていた時と同じ言い方。

彼はその言葉を、安易な気持ちで言ったのかもしれないが、あれから30年近くたった今でも、言った態度も内容も、その時の悔しい気持ちも、はっきりと覚えている。

それくらい不快だった。

恐ろしいことは、何かうまくいかないことがあるたびに、その言葉を思い出してしまい、「やはり俺はダメな奴なのか」と考えてしまうこと。そんな気持ちになると、ダメな状況はますます悪化する。

その状況が収まると、痛烈に思う。人にレッテルを貼るのは、本当にしてはならないことだ、と。そのレッテルは、私に何の教訓もプラスの影響も与えない。苦しい時、戒めにもならない。落ち込む気持ちを、余計落ち込ませるだけの、無価値なもの。

だから自分は、、人に対して、「○○さんは◇◇だね」を始めとした、軽いものですら、言わないようにしている。言葉は本当に恐ろしい。

元担任の、無責任で思いやりのない無配慮なレッテルに、これほど苦しめられとは。自分のすることをある程度こなしきった今、やっとそのようなレッテルに対抗できるようになった。

今まで散々、あらゆる人からレッテルを貼られてきた。振り返ってみて思うのは、身近な人が貼り付けてきたレッテルが、もっとも深刻な影響を与えた、ということ。

両親によって、「おまえは本当に不器用だ」と言われた。その言葉は、何かができたないたびに、私に「おれはなんて不器用なんだ、やはりいう通りだ」とという気持ちを湧かせ、行動を止めてきた。

友達によって「お前に責任のある立場はこなせない。俺だったらお前を任命しない」と言われた言葉は、社会人になってから仕事がこなせないたびに頭の中に蘇り、自信を奪ってきた。

レッテルに苦しめられ、落ち切った自分だったが、八卦掌だけはやり続けた。

そしてやり続けた結果、修行開始直後自分が思い描いていたよりもっと先のところまで来ていた。そこでやっとレッテルに対抗できる心構えが出来上がってきた。

気持ちの持ちようで、ここまで苦労しなくても、克服できる方法がインターネットにはたくさん載っているが、私はそれらを活用できなかった。だからこれだけの時間がたってしまった。本当にもったいない時間だった、とつくづく思う。

この記事をここまで読んだ君は、きっと今、周りの人間の無責任なレッテル貼りで、苦しんでいるのだと思う。

前に、護衛護身五型の練習をする人の中で「しょせん弱い奴は何をやっても弱いままで、強い奴は何もしなくても強い」という言葉を浴びせられて、悩んでいる人が居た。

そこで「練習すれば、その分可能性は生まれる、自力が強い人間の虚をつくことができるようになるかもしれない、練習しなければ、可能性はゼロに近いまま」と言葉を掛けました。

私の経験から言って、レッテル貼りには、大方根拠なんてない。言った人間の、一時の情報・記憶から発せられた無責任なもの。言われた人間は、言われた時に比べて、何らかの努力や行動で、言われた時よりも進化している。

だから、レッテルなんて、「ふんっ、何言ってやがる」とあしらえばいい。

レッテルほど、百害あって一利なしを地で行くものはないから。

強くなる過程では、「決めたノルマをこなさなければ弱くなっていく」という引き算的法則ではなく、「今日はこれだけやったから、その分これだけ強くなった」という足し算的法則が成り立つ。

だからもし「自分は弱い奴だ、その通りだ」と思って、練習や体力づくりに不安を感じてしまうなら、聴いて欲しい。

やった分だけ確実に強くなり、やった分だけ未来の可能性が生じる。例外は一切ない。一切ないんだよ。だから安心して進んでいこう。

確かに言えることは、毎日少しづつでも行動するならば、あなたの未来は、ゆっくりと確実に変わっている、ということ。

君は、戦うと決めて動いたから、、このサイトを見つけることとなった。見つけたから、理不尽な強者に立ち向かうための強力な五型を知ることとなった。

このサイト、いじめや暴力に対し穏健策を取る他のサイトに比べて、ストレートに戦うことを前提にして、究極の具体策(対暴力制圧法たる五型)を示した究極のスタンスをとる内容。

戦う決意をした者でないと、巡りあうことは極めて難しい。戦う決意を固めた者でないと、心に届かず、目に入ってもスルーしてしまうだろう。

しかし君は巡りあった。スルーしなかった。それだけも大きな成果だ。勇気をもって戦う決意をし、動いたゆえの成果だ。動かなかったら、ネット上にあふれる「強い者にはしょせん勝てない」「護身術など無駄」という決めつけの意見に絶望するだけだった。

無駄なことなんてない。五型をとおして八卦掌を練習し、身にしみ込ませたら、君の気持ちは変わり、大きく未来は変わっていく。その時、他人がはりつけたレッテルの内容に大きな違和感を感じるだろう。

「何言ってるんだ、的外れもいいところだ。私はそんなんじゃない。残念だったな。私はこうだ。私が言うのだから間違いない。」

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本科と護衛護身科、私はどっちがいい?

本科と護衛護身科、私ならどちらのコースがいいのでしょうか?という質問を受けることがあります。

明日護衛護身科の内容が大きく変わってリニューアル開講するため、この記事をあげます。

どちらがいいのか?どちらも八卦掌なので、八卦掌にこだわりたいと思っているだけなら、どちらでも問題ないということになります

多くの人は、実戦か伝統か、護身として使えるか、実際につかうことができるのか、キレイに型を演じられるようになるか、そして付随してダイエットにもなるか?など、特定の目的に興味が向いています。

その興味の向いている方向性に沿って決めるのがいいでしょう。

いろいろな例をとって考えてみましょう

「将来的に、人を守るための術を身につけていきたい」場合

例えば、将来は警察官や警備員など、人を守る仕事に就きたいと考えている人。その人がいますぐ保安職に就く場合で、短期間でスキルを手にしたいのなら、護衛護身科の方が向いていることになります。

その人が保安職に就くのが先の場合(2~3年先)や、すぐにではなく、じっくりと実力をつけていきたいなら、本科でよいでしょう。

本科では、八卦掌技法を行う身体を作るためある程度の時間をかけますが、それは実際の場面で役立たないことを学ぶわけではありません。

相手の様々な攻撃に対抗しつつ、プレッシャーを与え続け得る土台を作るためです。相手は様々な攻撃をしてくるでしょうが、内情をよく観察すれば、仕掛けてくる攻撃はある程度パターン化できます。

格闘技や武術を練習してい居ない、もしくは経験があっても未熟な者・今は練習していない者の場合、違う攻撃をしているように見えても、実は変化の域を超えていないだけで、ほとんどパターンは同じです。

その場合に対抗手段としては、目まぐるしく我を移動させて翻弄する八卦掌の移動遊撃戦で十分対抗できることになります。本科では、徹底した移動遊撃戦を実現するためのプログラムが組んであるため、時間的猶予があるならば、本科をおすすめするのです。

「今まさに、大切な人を守る必要性がある」場合

今まさに、大切な人を守る必要性がある場合。例えば、家族・恋人・友達が、変質者やストーカーに付きまとわれている場合など。しかるべき相談機関への連絡などの対応のほかにあなたが選択する方法の一つは、護衛護身科で学ぶことでしょう。

私が中学生の時がそうでした。同級生に対するいじめがあり、ケンカ自慢のいじめ連中にいざというとき対抗するために、身を守る術が今すぐにでも必要だったケースでした。

本科では着実な実力をつけることを目指しますが、ある程度の時間をかける必要があります。護衛護身科では、インプットではなく、いきなりアウトプットからのスタートとなるため、護衛護身五型の型がその人にとってやりやすいものであれば、割と短期間で身体の変化を実感できるようになります。

護衛護身科では、短期間(1~3カ月くらい)で一通りの対抗手段を身につけることができます。後はそれを有事に備えて繰り返すのみです(一通りやるだけではダメだから)。

「対抗する手段は一通り学んだ。あとはできる限り精度を上げるのみ」と、迷いも無くなり、自信も湧いてきます。この自信、精神論云々ではなく、本当に大事なことです。

組手や散手をやることの大きな意義の一つが、組み合う際の恐怖を克服し、戦いのスイッチを入れることができるようにするため。一人のみで練習する者に、組手を行う機会はほぼ無く、実戦速習型のひたすらな繰り返しで自信をつけるしかありません。

「人を守りたいという考えはないが、護身術を学びたい。どうせなら伝統武術を学んで強くなりたい」場合

人を守りたいなどと大それた考えはないが、護身術を学びたい。しかしどうせなら伝統武術を学んで強くなりたい。そう考える方がおられるなら、それはまさに護衛護身科のコンセプトに合致するため、護衛護身科をおすすめします。

手軽にできる護身術の最大の欠点は、練習にのぞむ際のモチベーションの維持の難しさです。

護身術は、単純シンプルで有効なものでしっかり練習すれば効果はありますが、自分を守る目的以外のものがありません。今まさに迫っている危機に対抗するためのみ技法であり、それ以外も目的(奥深い技術体系や、形として見えるスキル)がないからです。

護衛護身科で指導する「護衛護身五型」は、当然に八卦掌技法で構成されており、「着実」より「速習」に焦点を当てて履修課程を変えただけのものであり、八卦掌そのものです。

よって護衛護身科を学ぶということは、護身術を学んでいると同時に、伝統中国武術を学んでいることにもなるのです。水野が勝手に技を生み出し、それを教えているのではありません。

護衛護身の型は、短期間に移動遊撃戦を学ぶためのものであり、型に習熟したら、当然に個々で変化をしていくもの。

「型ではこうなっているけど、自分はここでこうした方がやりやすいぞ。」・・・自然とそうなります。その時は、その感覚に従ってください。そうすることで、一段と「強く」なっていくのです。

変化した先で行きついたものが、水野の教えた型と大きく(まったく)違っていても、それが八卦掌を出発点にしたものであり、かつ当門で学んだ者が八卦掌を名乗ることを希望するならば、水式門では当然に八卦掌後代を名乗ることを公認し、バックアップします。

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成果が感じられず辛い時は、サイトを見て欲しい

「強くなりたい」「現状から抜け出したい」「もういじめられたくない」

そう願って動き始めたが、毎日練習してもしてもうまくいかない。進んでいる実感が感じられない。どうして僕は、私は、こんなこともできないんだ。どうしてダメなんだ・・・・。

そう思うこと、実はいつもなんだ。行動している人間こそが味わう、栄光の未来への通過点なんだ。

だから安心して、また明日から・・・・と言いたいところだが、落ち込む時の気持ちの辛さというのは、想像をはるかに超えるものがある。だから、辛い君へ、メッセージを送りたい。

私も今この瞬間も、常に恐怖や不安と戦っている。君と同じなんだ。そして、落ち込むこともいつもなんだよ。今日だって朝、走圏をしている時、悲しい気分になって、泣きながら練習していた。

君と今まさに同じ気持ちを背負って前に進んでいる同志だからこそ、言えることがある。どんなに辛い時でも、思い描いた先に向かって歩き続けていれば、着実に成果は上がり続ける、ということを。

そして歩いた時間や距離は関係ない、ということ。

いつも常々言っていることだけど、辛い時は、泣きながらでもいい、ふてくされながらでもいい、自暴自棄になりながらでもいいから、何か一手でも動いて欲しい。

たった一手打つだけでも、その分前にすすむことができる。枕に顔を押し付けて号泣している時でも、そこでなんとか立ち上がり、私のサイトに掲載している技を、一回だけでもいいから繰り出してごらん。その分だけ、前に進むから。

そして再び枕に顔を押し付けて泣いてもいい。君は何かをやった。安心して泣いていいんだ。

もし顔を上げることができるなら、私のサイトを見てほしい。ブログもいいけど、私のサイトも見てほしい。

たくさんの技が説明されている。説明しているものは皆、何の隠し事もない。そして、強くなるために役立つものしか掲載していない。

だから、強くなりたいという気持ち、いや、強くなりたいと思った原因を思い出しながら、読んで欲しい。

私はサイトのページを追加するとき、「大切な人を守りたい」という想いをこめて計画を立て、動画を撮影し、説明文を書いている。

君が、強くなりたいと思った要因をかみしめながら読んでくれたなら、きっと共感でき、胸が高まるだろう。

ブログ中における、メッセージ集には、君へのエールしか書いていない。君のために書かれたものだから、どうか読んで欲しい。この記事もそう。

辛い時、前に進んでないと思う時、思い出して欲しい。

「そんなことはない。例外なく、前に進んでいる。大丈夫。」

もうすぐ、夜が明ける。さあて、一緒に歩きはじめるとするか。また前に進もう。今日は辛いから、動きたくない?

OK!了解。それで大丈夫。君の心がそれを思ったなら、それこそが心の声。ただ、一手だけ前に進もう。

そして終わったら、望む未来をイメージして、また休めばいい。その繰り返しが、前に進む。抑えられない気持ちのままに動きたくなる時が、また来るから、きっと大丈夫。

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自分だけで考えた理念だけが、苦境を乗り越える理念となる

君の理念は、本当に君だけが考え出したものなのだろうか。

何を当たり前のことを・・・と思うかもしれないが、自分の理念、意外と人の意見を丸写しのものが多い。極端な場合、偉人やインフルエンサーの言葉をそのまま利用している例もある

人間が10人十色なので、同じ考え方をする人はほぼいない。性格を見ているとわかるのだが、本当にいろんな考え方をしている。そのような状況で、考え方や生き様が顕著に表れる「理念」なるものが、同じなはずがない。

他人からの借り物の理念では、本当の苦境に立った時、その苦しみを乗り越えることができない。

理念が完全オリジナルであれば、それに伴った決断がなされ、現状がそれに見合ったものになる。そこで生じた苦境も、己自身の選択した結果であると考えることができるため、あきらめもつく。

なぜ人はくじけるのか?その答えの一つは、このような借り物の理念であるケースが多いからだ。自分オリジナルの理念では、人に笑われるのではないか、そう思って、皆、理念ですら、人の顔色をうかがったものとしてしまう。

私が以前ブログ記事であげた、ジェダイの騎士を目指す少年、彼の考え方を大いに参考にしてもらいたい。彼は心の底からジェダイの騎士を目指していた。そして今も。

人から「創作の中のもの」とか「妄想はよせ」などと言われても、彼は曲げない。ジェダイのように・・・ではなく、「俺はジェダイになるんだ」と言い切るその考えを、私たちは真剣に学びたい。

夢・理念・理想・目標・・・・・これらは掲げれば、辛いことだらけ。掲げた直後の高揚感は甘美で心地よいが、世間の扱いは極めて冷たいもの。冷たい仕打ちを受けるたびに、心が折れそうになる。

そんなとき、ふと苦しさから、「逃げてしまおうか」と思う時がある。私のように、かけがえのない理由を持つ者にすら、その「魔の時」がくる。

そんな時、どう乗り越えてきたのか。次から次へ押し寄せる、冷たい重い波を乗り越えてきた原動力は、たった一つ、オリジナルな理念一つだけだった。

「今度こそ、大切な人、誰かにとって大切な人を守り切る。もう絶対失敗をしない。誰も苦しませない。強くなったら、あの時の佐藤金兵衛先生なような本を書いて、強くなりたいと願う人にその術を伝える。」

この100%オリジナルな理念が、私を支えてきた。その都度、理念形成にかかわった人の涙や苦しみの姿が、私を奮い立たせ、その場に押し止まらせたのだ。

大切な人を守る手段として、あらゆる方法を考えた。柔道を習った。警察官を志した。社会保険労務士や法曹職を目指すべく、法律の勉強もした。労働組合を立ち上げ、不当な使用者と闘った・・・・・」

それら多くの手段を講じ、全力で臨んできた。しかしこれらはすべて、社会に受け入れられるためのフィルターが入っており、私の心の底からの理念と異なっていた。その結果、行き詰るたびに耐えきれなくなって挫折を繰り返し、笑われ続けてきた。

のたうち回り、自信を失い、人からあざとく笑われ続け、ふらふらになりながらたどり着いたものが、やはり先ほど触れた中学生の時の志だったんだ。

大切な人だけでなくすべての人がいなくなり、一人になった時、そこにあったものに気づいた。

今この記事を読んでいる君は、あなたは、私よりも若いかもしれないし、年齢を重ねているかもしれない。しかしそれは全く関係ない、と言っておこう。

どの年齢、どの立場の人であれ、軌道を修正し、再起を期すための再スタートは、いまこの瞬間がベスト。今こそ、このときこそ、再スタートにふさわしい。

まずあなたの理念を思い出してもらいたい。その理念は、あなたがだれに遠慮するのでなく作ったものですか。そこからすべてが動き出す。

スマホやパソコンでこの記事を見ている人で、強くなりたいと願っている人がいるならば、さっそく私のサイトで説明されている型や基本功を試しにやってみよう。その分だけ、君は、あなたは強くなる。

授業などの拘束時間にこの記事を見た人は、自由になった時、真っ先に採る行動を考えてみよう。そしてそれをメモか何かに筆記して、自由になった瞬間、それを実行するんだ。

くじけそうなあなたを救い、行動する気持ちを奮い立たせ、かつ継続させてくれるのは、たった一つのモノだった。

心の底から湧き上がった、利得や建前・しがらみを超越した、完全オリジナルの理念。

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2022年9月10日更新:2022年年10月30日(日)・11月6日(日)、『「八卦掌護衛護身科」学習型から学ぶ遊撃戦攻防の基本』 開催のお知らせ

2022年年10月30日(日)・11月6日(日)、『「八卦掌護衛護身科」学習型から学ぶ遊撃戦攻防の基本』 開催のお知らせ

開催日・開催時間

・愛知県刈谷市講習会|2022年10月30日(日):9時15分~11時45分13時00分~15時30分

・富山県氷見市講習会|2022年11月 6日(日):9時15分~11時45分13時00分~15時30分

※両日とも内容は同じ

参加資格

15歳以上の方

参加に際しての注意事項

・当練習会に参加するには、事前の申し込みが必要です。

・参加できなくなりましたら事前にメールにてご連絡ください。

・一般参加者の学習環境配慮のため、保護者・知人・親族等による見学行為はご遠慮いただいております。また、見学目的・無料体験目的での参加もご遠慮いただいております。

参加申込みはこちら

愛知県刈谷市講習会|2022年10月30日(日):開催場所

愛知県刈谷市 刈谷総合運動公園 刈谷市バス停留所付近芝生広場

※コロナ対策のため、外の開放的な場所にて開催しますが、マスク着用と、30分に一回、アルコール消毒(アルコールは用意します)をお願いしています。

※新型コロナ感染予防対策で屋外公園での開催のため、小雨決行。大雨などによる荒天の場合は中止。雨天時は、まず刈谷総合運動公園ウィングアリーナ前の外ベンチにご集合ください。開催か否か・当日の練習場所を決定します。

富山県氷見市講習会|2022年11月 6日(日):開催場所

富山県氷見市島尾 島尾海浜公園 松田江海水浴場横芝生広場

※コロナ対策のため、外の開放的な場所である島尾海浜公園にて開催しますが、マスク着用と、30分に一回、アルコール消毒(アルコールは用意します)をお願いしています。

※新型コロナ感染予防対策で屋外公園での開催のため、小雨決行。大雨などによる荒天の場合は中止。雨天時は、まず島尾海浜公園駐車場ご集合ください。開催か否か・当日の練習場所を決定します。

受講料

一日5,500円(税込)

※事前に上記金額を以下の口座に受講料としてお振込みください。

受講料 振込先情報

銀行名  :三菱UFJ銀行

支店名  :知立(ちりゅう)支店 店番号 412

預金種別 :普通口座

口座番号 :1213489

口座名義人:ミズノ ヨシト

指導内容

主に護身目的のため速習問題集形式で学ぶ水式門の人気科「八卦掌護衛護身科」。

当科において学習教材型として学ぶ以下の5つの型

  • 型1:胸前換手(きょうぜんかんしゅ)
  • 型2:双按連穿(そうあんれんせん)
  • 型3:回身斧脚(かいしんふきゃく)
  • 型4:翻身拍打(ほんしんはくだ)
  • 型5:半斜三穿(はんしゃさんせん)

この5つの型を通して遊撃戦八卦掌の基本攻防に触れてもらうのが、今回の講習会の目的です。遊撃戦攻防の基本を学びたい、護身術を習いたいと考えておられる方に最適の内容となっています。

参加して護身護衛武術「八卦掌」を学ぶ

指導者

水野義人:護衛護身武術「八卦掌」指導者。八卦掌水式門代表。八卦掌6代目。

応募締切日

・2022年10月30日(日)愛知県刈谷市講習会の応募締切日は10月26日(水)まで

・2022年11月6日(日)富山県氷見市講習会の応募締切日は11月2日(水)まで

※事前連絡参加者がいない場合は、講習会は開催しませんので、参加希望者は必ず事前にご連絡ください。参加者おひとりでも決行いたします。

代表・水野からひとこと

短期速習の型とはいえ、八卦掌の典型攻防のみから編集した型であり他門派の技法は入っておらず、内容は八卦掌そのものです。よって八卦掌の基本を知る上でも大いに役立つでしょう。

従来の八卦掌履修課程では技術の会得に時間がかかり、護身術としてお考えの方には、間に合わないものでした。完全な強さより、完成度よりも速習性を重視してすぐに使うべき立場の方のニーズに応える護衛護身科の典型型「護衛護身五型」を、是非学びに来てください。

お申込み・お問い合わせは こちら のフォームから

※お問い合わせ時にいただいたメールアドレスには、お申込みいただいた練習会の日程や開催が変更となった時などの緊急の場合を除き、当門からメールすることはありません。商品購入や練習会参加・入門を促すような勧誘メールは一切いたしませんので、安心してお問い合わせください。

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「孤独で味方なんて誰もいない」~それは強さへの最短経路!

◆トップページ◆ブログ「対多人数遊撃戦八卦掌という護衛護身法を求めて」トップページ◆カテゴリー「いじめに苦しむ君へ贈る、勇気が出るメッセージ集」トップページ>◇

味方になってくれる友達とかが誰もいない。いつものけ者にされている。いつも一人で時間を過ごしている。

戦う決意をしたはいいが、誰も近寄ってこない。近寄ってくるのは、いじめられる時やバカにされる時だけ。こんなの辛すぎる・・・。

はっきり言ってしまうよ。あなたが辛い時に寄り添ってくれない同級生なんて、間違いなく友達じゃない。上っ面で「友達」を演じているヤツなんて、強くなる過程で邪魔なだけだからちょうどいいんだ。

あなたがいじめられているその渦中にいるならば、現時点で、誰もあなたに降りかかる理不尽な暴力に声を上げてくれなかったのだろう?

我が身がかわいいのか、それともあなたが好きじゃないから黙っているのか・・・・。あなたのことを好きじゃない、という理由なら、それはあなたにはどうすることもできないこと。

考えるだけ時間の無駄だから、あなたを好きじゃない連中は、今このブログを読んでいる最中に忘れてしまっていい。あなたに責任なんてないし、どうすることもできないから。

クラスの連中が声を上げないのは、保身のためがほとんど。いじめられているあなたに寄り添うよりも、見て見ぬフリをして一緒に馬鹿にし、あなただけをのけ者しあう連帯感でつながり、保身を図っている場合がほとんどなんだよ。

そんな連中と一緒にいたいかい?私なら、金を積まれても一緒に居たくないね。

孤独になったことは、強くなるうえで望ましい状況なんだ。まず、自分の時間として学校以外の空いた時間を全部使うことができる。手始めに、早速八卦掌の型の練習をしてみよう。

えっ?もうしている?ならば、誰も居ない場所にある立木や橋脚、電信柱の前に立ち、八卦掌護身護衛科の「胸前換手」を練習してみよう。

何度も何度も繰り返し、動作をとりあえず覚えてしまうこと。その後、慣れた状態で型の細部の意識を付け加える。おもいきり打ち込んでみる。基礎体力向上のために毎夜ランニングをする・・・・。

一人で居る時間が長ければ長いほど、技の精度があがっていく。強くなるのに、人と一緒に練習することは必ずしも必要ない。世界最強の格闘王になるならまだしも、そうでないのだから大丈夫。

人と一緒に練習すれば、相手の都合に合わせたりしなければならない。一人なら、いつもでもどこでも、そして納得いくまでどれくらいでも練習できる。

対人練習ができないなら、一人練習で圧倒的な時間を重ねてしまえばいい。動作をあなたの身体に染み込ませ、「その動きしかできない」くらいまで身体に覚えさせる。

これは誰からも相手にされない孤独な状況だからこそ可能。クラスの連中がぼーっとしているうちに、連中の想像をはるかに超える強さを得てしまえばいい。

そうなってくると、つるむことの無意味さを強く感じるようになる。たとえ授業の中でペアを組む機会やグループを作る機会があっても、自ら動く必要もない。あなたには誰も声をかけないだろうが、それでいいじゃないか。

日頃無視したり見て見ぬフリをしている連中なんかとはっきりいってつるみたくもない。日本には、群れない自由も当然あるのだから。

今あなたがすることは、ひたらすら前に進むこと。あなたがしたいことは、冷たいクラスの連中とつるまないとできないことだったのかな?そうじゃないなら、ただただ前に進み続ければいい。

そして手始めに、今度バカにしてきたら、「黙れ、うるさいぞ」と言おう。そんな扱いをされることを「私は望まない」とはっきりと言ってやろう。

生意気だ、とか、裏に来い、とか言われても、全く応じる必要もない。その場で言うだけでよい。呼び出しなんて完全に無視しよう。同級生ごときの命令に従う必要なんて全くない。

暴力をふるってきたら、身を守るために、動き回ろう。全力で。相手をにらみつけながら。一切の手を抜かずに、全力で。

その気迫が、きっと大きな変化を生じさせる。笑われるかもしれないが、一部の人間には、きっと届く。必死で真剣な態度は、人をいつの時代も動かすのだから。

あなたはこの時のために、孤独の時間の中で、圧倒的な積み重ねをしてきた。護衛拳法八卦掌の実戦技法をあきれるくらい繰り返してきた。だからあとは、流れに身を任せよう。技も、積み重ねてきた記憶も、そして真剣さも、きっとあなたの力になってくれるよ。

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