2024年4月21日(日)、24年度の北陸富山本科が開講する。
北陸富山本科は、少数精鋭の状態だ。今北陸富山本科に来た者は、少数精鋭の中で、内容の濃い指導を受け、そして達人へと駆け足で上がっていくだろう。
富山本科門弟は、行動した。だから八卦掌の術理に、ハイペースで近づいていくのだ。
行動こそ、すべての成果の源なのである。
あなたはどうだっただろうか?行動できただろうか?
草創期門弟が言っていた。先生の八卦掌が受け入れられないこと。
それは、既存のものと違うから。前人未踏の領域へと進んでいく道だから。
八卦掌水式門の八卦掌は、八卦掌成立当時の、「転掌」だった頃のままの八卦掌。よって、全く新しいものではない。
しかし、国内外の八卦掌は、そのほぼすべてが、近代化した流れの果ての八卦掌であり、本来の八卦掌の目的から大きく移動した八卦掌である。
悩んだ時期もあった。人にあまりにも受け入れられない。そんな時、「自分のやっていることは、必要ないことなのでは」と。
間違ってないのは間違いない。八卦掌誕生から100年以上たった異国の地・日本にて、原初のスタイルに気づいた自分には、八卦掌と生涯関わっていく運命があるのだと確信している。
なぜあの時、同級生に対するいじめがひどくなりかけた時、八卦掌に巡りあったのか。
なぜ初めて指導者に習った時、その指導者が、力のぶつからない、後ろに下がる技術を知っていたのか。
なぜ自分は弱かったのか。弱かったことが重大な結果を招き、弱者護身の強烈な動機へとつながった。なぜそのような強烈な動機を持つことになったのか
認めたくなかったが、やはり運命的なものをかんじずにはいられなかった。
認めたくない点。武術ごときを習得するきっかけなんかに、かけがえのない人の悲痛な経験がなってしまったことが認めたくない。この人の悲しい経験があったから、私が八卦掌の原初の姿に達したのは、間違いない。しかしそれを考えたくなかった。
武術の成就ごときのために、人の犠牲なんていらなかった。絶対にいらなかった。もしそれが、神様とか、宇宙の意思とかなら、なぜそんなことをしたんですか。あまりにもひどいじゃないですか。もし時を戻して、過ちとかを修正できるならば、私は間違いなく、戻っていじめ自体をなくしたい。
いじめがなくなって、同級生が悲しいことに翻弄されなかったら、私は八卦掌を習得することもなかっただろう。
それで全くいい。これまでの積み重ね、八卦掌の技術が無くなってもいい。そうすれば、この、どうしようもない無念な現実も失くすことができる。あの時のことがなかったなら、きっと今、どこかで、私のはるか上で君臨して輝いていたあの笑顔の人が、幸せの中でどこかの場所で、素敵な人と存在し続けてくれていただろう。
それがたまらなく無念。身を切られるとはこのこと。自分の今の苦しみとかなんてどうでもいいこと。とるに足らないこと。自業自得だから。
戻すことも、やり直すこともできない。ならば・・・あの事実を、せめて、意味のあったことにしたい。でなければあまりにもむごいじゃないか
意味あることにするためには、弱者として招いてしまったことに、向き合う必要があった。向き合うこと、それは「弱者でも、受け入れられないものに立ち向かい、克服することができる方法」を確立することだった。
「弱者は、強い者の思惑を甘んじて受ける運命にある」だと?
冗談じゃない、絶対に屈しない、絶対に認めない。思いやりのない、強者の理屈だ、認めない、ゆるせない。
弱者でも、きっと道はある。それを私がこれからも確立する。
その方法が、地味で人気のないものとなっても、地道に積み重ねたならば、きっと護身できる、身をまもることができる、大切は人の盾となることができる、一筋の光として提供する。
その決意が、私を、人と違う道へと導いた。
これから先も、きっと変わらない。この道だ。この進路だ。
私のプロフィールページに載っている、苦しみが始まってしまった渦中における、あの、一時の安らぎの笑顔。
氷見の海で見た、あの笑顔。水式門の名前をくれた時の、あの笑顔。あの場所にまたあさっても立つ。北陸富山本科の中で、立つ。
さあ、2024年の新しい時が始まる。伝承に全力を尽くす。この日に備えて練習をしてきた。最高のパフォーマンスを見せて、門弟の良きイメージであり続ける覚悟だ。これは私の、最大の実戦なのである。全国の勇気ある者たちの見本であり続けるための、最大の実戦が、今年もやってきた。
これからもずっとずっと、走り続けていきますよ。とりあえず明日、会いに行きます。この冬のこと、報告します。
この日のために、冬の間、駆け抜け続けてきた。さあ・・・富山だ!