最後まで立っているだけでいい。転掌時代の八卦掌。

立っているだけでよかった。倒さなくても、最後まで立っているだけでよかった。それができていたら。

人を守るには、自分を守るには、害悪を与えてくる連中を全員、倒さなくてはならない。そう思い込んで、ずっとずっと練習をしてきた。それが、私が長年、眼前変化攻撃にこだわってきた理由だった。

八卦掌とは、そのような拳法だ。弱者使用が前提だから、敵の目の前において、側面に回り込んで、相手の逆を突いて、反対側から、敵の思わぬ方向から打つ・・・・そう思い込んで練習をしてきた。

柔道の乱取り、空手や意拳の人との組手、とにかくやり続けた。そしてずっとずっと負け続けてきた。技術に自信がない時は「練習不足」だと言い聞かせて、とにかく側面に少しでも速く回り込むことを考えて、足腰をひたすら鍛えてきた。

速度が上がり、側面から強引にでも、圧力をかけることができるようになってきた。でもそうすると、今度は体重差や力によって、踏ん張られて弾き飛ばされる。

体重が60キロくらいしかない私は、男性格闘愛好家の中では軽量級。体重差で負けることが悔しくて、やはり側面移動速度を上げることをエスカレートさせて・・・やっとなんとか、と思いきや。

今度は、内功による胸前空胸による内から外に張る膨張力によって対抗する相手に、微動だにせず弾かれて・・・。ならばこの側面移動の速さではどうだ、と変化攻撃の果てに虚を取るが、相手はわずかに身体の向きを変えただけで・・・涼しげに押し込まれて。

正直に覚えているのだが、その時は、あまりの衝撃に、帰りの車中では、涙が止まらなかった。いつになったら、「人を守ると言って負けて、同級生の学生生活をつぶしてしまった、あの瞬間に戻って違った結果を残すことができるようになるのか。いま戻っても同じことを繰り返すだけ」と泣けてしょうがなかった。

人生に挫折、というものがあるのなら、あの時も確実にその時だったと思う。

それからしばらくは、自己満足のための練習・・・。それでも自分はやってるんだ、あきらめてないんだと、思い込むための練習。それが続き、日に日に身体各所に、ガタが来始めた時・・・。

「私、単換掌理しかしないの。なまじ他のことやると疲れるし、最後まで立っていればいいでしょ。だって私の攻撃なんて、前に出ても、弾かれるだけでしょ」

と高校生女子の言葉。ハッとして、これは・・・・。ひょっとして・・・と思った。

そして、プロイセンの参謀長、モルトケの言葉を思い出す。

「目的はパリ、目標はフランス軍」

パリという目的を狙えば、我が決戦を望むフランス防衛軍は、かならず出てきて決戦となる。その言葉は、侵略軍側人間の言葉だが、逆に考えてみる

敵の目的は、自分が守るべき人。敵は、その獲物を確実に得る目的を達成するために、邪魔な自分をまず排除しようとする。威圧と力、もしくは数で。そこで、自分が敵に捕まらず、動きまくり、状況が変わるまで、いや、助けが来るまで立ち続けていられれば。倒さなくてもいい・・・立ち続けていられれば。

倒そうとするから、敵に近づき、敵の技術や体格による影響を受け、そこで動きが止まり、あの時のように、後ろから椅子の足で殴られ、つぶされるんだ。「先生や誰かが来るまで、立っていればいい」とあの時気づいていたら、あいつの前で止まらず、防衛戦はその後も続いていたのに。

決戦でフランス軍が負けないで残り続ければ、脅威は残ったままなので、プロイセン軍はうかつにパリを占領できない。そう、攻撃しても殲滅できない、しぶといフランス防衛軍であればよかったのだ。なんでそれを、誰もおしえてくれなかったのか。なんでその生き残りの知恵を、あの時私は思いつかなかったのか。

それからずっと、単換掌理による模索の日々が続く。単換掌理は知っていた。しかし眼前攻防による必倒スタイルが、それを軽視させた。

気づいてからの模索の日々でも、相変わらず負け続けた。どうしても前にでてしまう。前に出れば、もしくは技巧によって敵を抑えようとすれば、必ず敵と力がぶつかり、弾かれる。

でもうしろにスライドすれば、違った結果が出る。徹底して、敵と力がぶつからない道を考えた。すべての技術を検討し、検討を速めるために、技を厳選し・・・・・。そうすると、走圏の意味も、定式八掌のけったいな動きも、すべてがクリアになっていくのだ。

やっと昔日の八卦掌の形に触れることとなった。昔日の八卦掌は、武器と戦っていた。だから各種武器の形状や使いにくさ、不適合さから逆推して、昔日の戦闘スタイルを裏付けする作業が続いた。

移動しながら武器の先に推進力をのせる、は、移動しながら、という前提により、八卦双身槍や鴛鴦鉞、刀の技法や形状から容易に昔日の戦闘スタイルが把握できた。

下のイラスト図は、近代スタイルと昔日スタイルの特徴を簡潔に並べたもの。私自身、近代スタイルを挫折してしまうくらいまで長く向き合っていたため、その違いはよく分かる。図は近代スタイルの批判ではなく「違い」として見てほしい。昔日・近代、ともに長短があることがわかる。

対人での練習が重要な位置を占める単換掌理。眼前対一攻防が主流の現代において、掌理を理解し、実行・経験している人は少ない。

眼前対一攻防の近代八卦掌の優れた指導者は、日本各地におられる。

しかし私は「誰もが・・・守ることができる」の条件に、目をつぶることができなかったため、この道を行くことにする。流派のネームバリューもない昔日の「単換掌理」スタイルのみのいばらの道だが、構わないと思う。

なぜなら実戦では、「これなら私が心の底から願う目的を達成できる」と己が信じたスタイルで存分に戦い抜き、最後まで立っていることが最も重要だから。

いきなり木刀やリードにつながれた犬で襲ってきた人間たちには、当然、拳法をやっていることや流派の名前を知らせる時間的余裕はなかった。突然後ろから突進してきたイノシシには、当たり前だが言葉なんて通用しない。

幾多の経験もあいまって、拳法は何が重要であるか、八卦掌は何が重要か、そう「生存」すること、「生還」することが重要なのだ、と確信し、すべてがつながった。数多くの基本技法も、老八掌も、定式八掌も、武器も、すべてが、つながった時だった。

これからは、講習会を開き、通信併用科も近々開設し、単換掌理を中核とした昔日の「生存」第一の八卦掌を伝えていく。

「誰もが大切な人を守り、そして自分を守ることができる」技術を、全国各地で、有志が、少しの行動で学ぶことができる・・・その環境が提供されれば、「立っているだけでいいんだ」と多くの防衛者が気づき、弱者が救われ、笑顔が増える。苦しみがそこで終わる。

このことを、真剣に考えている。

弊門の講習会では、冷やかしや、無礼な対応で肩透かしをくらわされることも多い。伝承系統を示すことができなくなってから急増した傾向だ。

武を志す者の中にそのような人間がいることは大変残念。いざとなった時、または苦しい時、優しさよりも己の利を優先させ、人を踏み台にするような人間かどうかは断言できぬが・・・・拳法なんぞ究極は人を傷つける技術。そんな人間にかかったら、不幸な人間を増やすだけと思ってしまう。

もしあなたが、君が、「誰もが大切な人を守り、そして自分を守ることができる」という度真面目でくさいスローガンに少しでも共感できるなら、君は優しさの天才。間違いない。

そんな君やあなたにこそ、教えたい、と素直に思う。そんな優しい人には、全力で「最後まで立っている」技術を伝える、と約束できる。

どんな形でもいいから、興味が少しでもあるなら、来てほしい。北陸に集え。冷やかしならいらないぞ。

目的は単換掌理「引き込み、虚打、転戦」を実行し生存する事

2023年4月16日・4月30日に愛知県刈谷市で行われる『強者に圧倒されない護身術に変える「生存」のための八卦掌「単換掌理」講座』講習会

講習でテーマとして採りあげる「単換掌理(たんかんしょうり)」は、八卦掌の真髄と私は確信しています。八卦掌は弱者が強者から生存し、己を守り、大切な人を守るための武術。己を守り、大切な人を守るための具体的な方法が「単換掌理」なのです。

私は学生時代の経験から、強者に打ち勝つための技術をひたすら求めてきました。しかし技術が上がるほどに性別・筋力・年齢あなどの身体的要素の脅威に打ちのめされてきました。

八卦掌は宦官の作った拳法(伝)。「私にはしょせん無理か。体格がよければ、運が悪かった、で終わってしまうのか」と挫折をしていた時、教えていた練習相手(女性)のスタイルから、ハッとしました。

「だって、どうせ前に進んで攻撃したって、私の攻撃なんて弾かれるだけでしょ?」

そういって老僧托鉢を繰り出す時、思い切り下がる少女。そういえば、もう一人の生徒さんも、同じことをいっておられた。気づかなかった。

これか!私はずっと、近世八卦掌の、猛然と前に出て、磨きぬいた巧みな技で圧倒するエリートスタイルに、出来もしないのに囚われていた。

八卦掌のエッセンス(真髄)と言える戦闘スタイル。「追撃してくる敵を間合いを保ち流し引き込みながら、不意に攻撃しつつ入り身、一気に身を翻し転戦離脱」。八卦掌では、この攻防を無意識でできるようになるために、全ての練習法が組み立てられ、そして帰結しています。

※転戦離脱時に前に現れた敵を斜進攻撃で引きつつ斬り込み攻撃するのは、単換掌理の派生性掌理である「順勢掌理(じゅんせいしょうり)」。単換掌理を理解すると順勢掌理も理解できる。

たったそれだけのものであるが、「追撃してくる敵を流し引き込みながら、不意に攻撃、一気に転戦離脱」の中に、弱者が強者に圧倒されないための工夫が、ふんだんに盛り込まれています。

八卦掌の練習目的は、この流れを実現するために考え抜かれた「工夫」を、どんな状況下でも実行できるようにすること。

圧倒的に多い独りでの想定練習と、想定練習におけるイメージを補うためのわずかな対人練習の組み合わせで、練習をする、と言ってもいい拳法。

このシンプルな流れの中にある、強者に負けないための工夫と練習法を、一人でも多くの、立場の不利な、でも自分を守り、大切な人を守りたい、と願う優しい人に確実に伝える。その一環として、今後も、「単換掌理」にからむ講習会は、人が来なくなっても開いていきます。

難しい技法は、やはり誰でもできるものではない。でも、水式門でとりあげる「単換掌理」ならば、練習を積み重ねれば、誰でもできる。内容は「え?これだけなの?」というもの。

上の動画中で、走圏で回っている最中に、後退しながら打つ、動作がある。ここが一番大切。これにたどり着くまでに、多くの失敗を繰り返してきた。

敵が向かってきたら、そのまま思い切り後退(もしくは横)スライドして、敵と離れながら、我の射程内に入る直前に、けん制攻撃(虚打)を放って、転戦、後方の敵に電撃攻撃をしていく。それだけ。

もちろん、練習が必要です。何度も何度も練習する必要があります。練習しないと、後方スライドができないし、そもそも歩きながら虚打を放つこともできない。

しかし後方スライドのおかげで、そもそも敵の攻撃はとどかない。届いたとしてもかする程度。自分の攻撃も届かない?届かなくていい。届いてしまうような、猛然と残酷に突っ込んでくる敵にだけ当たればいい。それ以外の敵に当てるために、あなたが危険な領域にとどまる必要はない。

生存こそが大事。立っていれば、守ることができる。

プロイセン総参謀長、モルトケは言った。「目的はパリ、目標はフランス軍」。わが軍がパリに進撃すれば、その過程で必然とフランス防衛軍がやってきて決戦となる。

少し意味は違うが、自分が立っていれば、生存していれば、敵は守るべき人ではなく、必然的に自分を攻撃してくる。獲物を確実に得るために、邪魔な存在である自分を排除するため攻撃をしかけてくる。

そして自分は、事前に鍛えぬいた八卦掌の両掌理で、徹底的に逃げまくって翻弄し、時に斬り込んで電撃戦を展開し、思うようにさせない。てこずらせる。そのうちに、助けが来る。相手を倒していない。でも、相手の意図が打ち砕かれた。

これだ!これしかない!10分もてばいい。

それを実現するための方法こそ、「単換掌理」。これから、解説ページ、動画、講習会、色んな場で伝えていきます。一人で練習する人も、昔単換掌を習った経験はあるがどう使っていいかわからない人も、そして今まさに習っている人も、是非見てほしい。そして実行してほしい。

八卦掌が、護身の切り札に変わることを実感できるはず。単純だけど、極めて実用的。いざという時に、自分と大切な人の命運を託すことができるようになるため、今すぐ練習しよう。

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転掌術理の八卦掌は対複数移動遊撃戦ゆえ護衛武術たりうる

八卦掌は対多人数戦専門の遊撃戦武術だから護衛武術たりうる(対多人数遊撃戦拳法だから、大切を人を守ることができる)。これは、30年以上八卦掌と向き合い、考え続けて実践してきたうえで確信したことがだから間違いない。

この命題は、私の中では揺るぎない真実となった。師伝で「対多人数専門だから」と言われたから言っているのではない。人に言われだけのもので、断言などできません。よって、人が「それは違う」と言っても一切変えることもないし、考え直すこともない。

なぜこんなことをわざわざ言うのか?まず動機から。

それは、八卦掌を信じ、日々苦しい練習と向き合う優しき修行者を後押ししたいから。「対多人数戦専門の遊撃戦護衛武術・八卦掌」の言葉を信じて弊門をくぐってくれた有志を後押ししたいから。

守るべき人を守ることができず、どん底からここまでやってきて、その努力が報われた瞬間もあったり、うまくいかないこともあったり・・・そんなことを繰り返す中で、明確に確信した。この道を進みたいがために、流派のネームバリューにも、ライトポップな路線にも進まなかった。

その決断が様々な苦痛を招き寄せたが、今この瞬間も、しっかりこの道を進んでいる。

では確信している理由を。

敵側が多人数であっても、我が動き続ける以上、敵は誰一人として油断することができない。滑歩で移動する際の八卦掌の動きは、速さもさることながら、次に進む方向を読むことができない。

高機動力拳法であるゆえ、不意をつかれて逆を取られると、逆をとられて慌てて振り返っても、逆を取った先でも我は移動しつづけているため、とらえることは難しい。

敵は対多人数の有利さを活かすことができず、移動し続ける我に気を取られ、かつ警戒して気を抜けないため、八卦掌で戦っている護衛者が守っている「ターゲット」に近づく余裕がないのである。

分かりやすい例を話そう。「人を護衛するために八卦掌で戦う者は、太平洋戦争において艦船を護衛するために戦った戦闘機(ゼロ戦)と同じ」という話である。

航空機の出現により、艦船にとって空からの爆撃攻撃は大変な脅威となった。

太平洋戦争初期の日本海軍の爆撃機(主に中島99式艦上爆撃機の急降下爆撃)による攻撃命中率は、80%を超えていた。このセンセーショナルな攻撃能力によって諸外国は航空機攻撃の有効性を知り、日本艦船にも攻撃爆撃機の脅威が跳ね返ってくるようになった。

通常爆撃隊は、数十機の大編隊(時に数百機)で押し寄せてくるため、対空砲火だけでは、防ぎきることはできない。そこで、機動力に劣る艦船や爆撃機・雷撃機を守るため、戦闘機が大活躍したのです。日本海軍の主力戦闘機は、もちろん零式艦上戦闘機、ゼロ戦です。

ゼロ戦の戦い方は、その高機動力性から、旋回・急激転身・きりもみ旋回などでアメリカ軍の戦闘機や爆撃機を圧倒しました。その戦い方は、移動遊撃戦を採り、敵を翻弄し続ける八卦掌戦闘者そのものです。

日本艦船や爆撃隊を攻撃しようにも、ゼロ戦が飛び回って護衛している以上、アメリカ軍戦闘機はゼロ戦を無視できない。無視して艦船を攻撃しようものなら、対空砲火に加えてゼロ戦による追撃攻撃を喰らい、たちどころに撃ち落とされる。

よってアメリカ軍戦闘機は、まずゼロ戦を叩き、そののちに後続の爆撃隊に攻撃のバトンを渡す必要がある。しかし開戦当初のゼロ戦の搭乗員の技術はすさまじく、アメリカ軍戦闘機は歯が立たず、戦闘機も攻撃隊も多大な被害を受け続け、日本艦船に打撃を与えることができなかった。

※そこで、高機能レーダーの開発や、戦闘機の横で弾けるVT信管技術の開発などでアメリカ軍は挽回を図った

八卦掌で護衛を志す者は、この歴史の出来事を、修行の励み、そして参考としてほしい。

どこを「参考」にするか。それは、ゼロ戦の戦闘スタイルである。ゼロ戦は、搭乗員の操縦技術の高さと、機の高機動力性によって、護衛の目的を果たした。

高い技術による絶え間ない移動遊撃戦で、敵の戦闘機を圧倒し、敵爆撃雷撃隊を蹂躙し、日本海軍爆撃雷撃隊を守ってアメリカ艦船に対する空襲を支えた。

基本技術の徹底的な身体浸透化による操身技術と身のこなしで自由に動き回り、多勢にモノを言わせようともそのメリットを活かない移動遊撃戦に慣れていない敵を、移動遊撃戦の渦中に引きずり込み、ほんろうして、圧倒せよ。

日頃から「滑歩移動」の激しい身体流の慣性がかかる状況下で、技を打ち込む練習をし、通り過ぎながら突然打ち、すぐ離れ、違う角度・方向から打つ、を繰り返す。

息が上がることを恐れるな。息が上がっても動き続けることができる体力を、日ごろの練習で養うことだ。息が上がった状態で動き続けるための練習は、大変苦しい。しかしそこから目を背け、気持ちいい移動速度で練習しても、実戦ではすぐに捕捉され、役に立たない。

移動遊撃戦の土台は、有酸素運動の積み重ねによる基礎持久力だ。この基礎持久力は、年齢が70を越そうが、女性であろうが、身体の小さい者であろうが、積み重ねるならば、積み重ねていない者を圧倒する要素となる。

八卦掌は言い訳の効かない拳法である。日ごろから移動遊撃戦を練習していなければ、実戦で息があがり身体をコントロールできず使い物にならない。しかし、逆を言えば、日ごろから練習している者ならば、敵の身体的優位さを乗り越える可能性を味わうことができるのだ。

ゼロ戦たれ。ゼロ戦となって、あなたが守りたいものを守り切って見せよう。大編隊で飛んでくる思いやりのない敵を、移動遊撃戦の渦中に引きずり込んで、徹底的に撃退せよ。

「八卦掌は対多人数戦専門の武術だから護衛武術なのである」

辛い時は、この言葉を、私がしているように心の中で何度も唱え、大切な人を守っていこうぜ。

遠隔地・多忙等門下生制度の再設のお知らせ

コロナ禍以前にありました「遠隔地・多忙等門下生(料金)制度」を復活させます。

コロナ禍により県外をまたいだ移動の自粛が叫ばれ、県外からの学習者が来県する機会が減っていました。しかし、政府によるコロナの5類化・弊門の全国支部構想の本格始動に伴う各土地7代指導員の養成のため、当制度を復活させることにします。

料金体系と遵守項目は、以前と同じです。

遠隔地・多忙等門下生制度

  • 受講料金は、一回定額制とし、その金額は2,200円(税込)とする。18歳以下の金額は、1,100円(税込)とする。
  • 受講料金は、当日、お釣りのない形で、練習開始前に支払うこと。
  • 当制度を利用する際は、前月の25日までにメールにて月謝制から当制度を利用する旨を申し出ること。月途中での制度変更は認めない。
  • 当制度を利用する者で、弊門練習会に参加する者は、必ず前日までにメールにて申し出ること。

支部指導員を目指す方に対する優遇措置

弊門全国展開の趣旨と理念に賛同し、支部指導規約を守り、指導員として活動したい方には、弊門入門後の制度利用時において、経済的負担を軽減し、指導を受ける機会を保証する優遇措置を適用します。

  • 一回の本部訪問中における練習会参加料は、3回までに限り2,200円のみとする。

※優遇措置を利用する際は、必ず事前に申請すること。後日指導員として活動したいと翻意したら、それ以後の申請後のみ優遇措置を適用します。

制度復活に際し、代表より

この制度の再設は、「誰もが大切な人・自分を守ることができる対多人数戦専用の遊撃戦護衛武術「八卦掌」を全国に広めることで、大切な人を守る」という弊門の目的を実現させるための大きな一歩となります。

遠隔地から愛知県まで来て指導を受けることは経済的にも大変なことではありますが、志を胸に門を叩いてください。

そのような苦労を乗り越え、それでも前に進もうとする優しいあなたを、八卦掌水式門は歓迎し、真剣に指導いたします。

待っています。

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歩いている道が自分の道なら、どこに出ようが問題なし

「どこに行ってしまうのか?」「俺はどこに向かっているんだろうか」

何からしらの目的を立て、行動している人なら、必ずと言っていいほど、このような不安を感じたことがあるだろう。

私はいま、人生で最も厳しい状況にあるため、このような不安を感じない日はない。その不安が湧き上がると、未来への希望を胸に強引に湧き上がらせ、自分を鼓舞している状態だ。

自信満々のように見えて、いつも君とまったく同じ。仲間だぜ。

「ゴーイング・マイ・ウェイ」。私が今まで過ごしてきた学校や職場では、この言葉は常にマイナスの言葉として使われてきた

職場で嫌われている人を揶揄する言葉として使われたり、悪い社員の典型例として上司がたとえ話として使ったりしていた。

日本語に訳せば「我が道を行く」だが、なぜそれが悪口になるのか、全く理解ができなかった。とっても潔くて、とっても心が躍る言葉だったのに。

「同調圧力(どうちょうあつりょく)」が特に強い日本、と言われるが、まさにその通りで、周りに合わせることを強く意識する国民性と相まって、考えることや行動様式はまったく同じと化していく。

例えば、パワハラ研修をしている研修中の研修員によるパワハラに、こちらが「おかしい」というと、なんと誰も賛同者は出ず、かつ賛同者どころか「そんなこと言って・・めくじら立てて・・」と周りからひんしゅくを買う。

そんな涙がちょちょぎれるようなことが、何度も行われていた。学校や会社というのは、掲げている理念こそ「生徒(社員)の個性を重んじ豊かな発想による・・・」が多いが、やっていることは「没個性」作業そのもの。

自分の目指すものに理解を示さず、それならまだしも、攻撃したりけなしたりする集団から、私はある時から、徹底的に距離を置くようになった。集団の中で戦うのもよいが、中で戦う必要がないなら、あえて外に出て、我が道を行く、そう決めた。

「毎日まいにち、望む道に進むための行動をしていないのに、自分の決めた道を歩いてないのに、未来に自分の望む場所にたどり着くはずがない。今だとどんどんずれている」と考えた。

飛び出した後の日々は、不安と、当たり前だったことが当たり前でなくなった、嵐の中に裸でいるようなむき出しの状況だったけど、その中では常に、自分の望むことができる状態だった。

そして実際に歩いてみると、飛び出さず中途半端だったころにはわからなかった色んなことが判明した。それが到達点であろうと思っていた景色・方向性を若干変える。その変化は、まさに自分が歩いた証となる。自分が他人を導く立場になったら、現場での奮闘の中で生まれた変化・独自性こそが武器になる。

自分で工夫し、編み出した技や練習方法、戦法や技の連環スタイルが、従来他人が行ってきたものと違っていたとしても、己の歩んできた結果であるならばどうどうとしていればいい。

どこに行くかは重要ではなかった。どこに行くか、どの場所にたどりつくか、なんて、途中の道の過ごし方でいくらでも変わってしまう。

それは、自分の道を歩いてなくとも、である。ならば、自分の道を歩いていた方がいい。君は現状が嫌で、このサイトにたどり着き、単招式や連招式を練習しているんだろう?また今までの道に戻るか、そのまま進むか、君次第だが、違う景色にたどり着きたいならば、違った道を歩くのが一番だ。

いじめが辛い君へ|八卦掌の単招式・連招式で取返しに行こう

試合に勝つため、ブランドを得るため、遊撃戦スタイルにこだわるのではなく既存の道を歩くのも一つの価値ある道。

しかしそれは今の自分が望むことではない。私は、この瞬間も、自分の道を歩くがゆえのスリリングさと高揚感を味わっていたい。

苦しいこともある。だけど、黙って進む。苦しいと言えば「好き勝手やってるんだから、文句言うなよ。俺なんてもっと苦しい」なんて言われるだけだし、人に言っても何も解決もせず気も晴れることはないため、そんな無駄な時間は過ごさない。

自分の道を歩んで、それがまったく相手にもされないものならば、それは確実に独自性があふれる「自分ウェイ」なので、大喜びだ。

君が取り組んでいる八卦掌は、今でも日本では珍しい存在。だから迷わず進め。上手くなって独自性が出て来たら、それはますます「君ウェイ」となる。何も考えないでいいから、とにかく八卦掌を信じて進め。

待っているのは、いじめや暴力、理不尽を圧倒的に超えていくマインドだ。英雄的な結果が待ってるぞ。伝説になるぞ。楽しみにまっていようぜ。間もなくやってくるその現実を。

『いじめに苦しむ君へ贈る、勇気が出るメッセージ集』のトップ

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いじめが辛い君へ|八卦掌の単招式・連招式で取返しに行こう

全国各支部で後進門下生を指導する八卦掌第7代目門下生募集

将来、八卦掌水式門(以下弊門)は全国にその技術を伝える支部を作ると、以前ブログ記事にて報告しました。ビジョンを構築し、仕組みを吟味し、そのうえで行動に移していきます。

まず、支部で実際に指導する指導員を養成する必要があります。通信門下生のスクーリングを実施し、八卦掌の技術を対面にて確実に伝えるためには、全国各所に技術を伝える指導員がいることが前提となります。
※私が全国各所に出向き続けることは、かなり無理があります。

八卦掌の術理を全国各所で確実に伝えるために、指導員の粗製乱造だけは絶対に避けなければなりません。護衛・護身を掲げる弊門技術を信じて門をくぐり、有事にはそこで得た技術を信じて戦う門下生を、生命の危険にさらすことになるからです。

しかし当然ですが、八卦掌の技術をしっかりと体得するためには時間がかかります。

よって支部設立のビジョンが見えたこの瞬間より、本格的に、支部で指導を担い八卦掌の技術を確実に後進に伝える八卦掌第7代目の指導員を募集することとします。

支部指導員として活動をしたい方の応募先は、八卦掌の術理を時間をかけて学ぶ「本科」のみとさせていただきますのでご了承ください。

実現予定の支部展開の理想の状況は全国各都道府県ごとに支部がある状態なので、以下で掲げた拠点都市以外に在住の方も、ご応募していただきたい。

あなたの習った八卦掌の実力を上げるうえで、後進門下生や講習会参加者に指導することは大きな効果をもたらします。弊門で八卦掌を一通り学んだ門下生に対し「自分なりの体系を創り上げ、それを人に指導すること」を勧めているのはそのためです。

ですから「私にできるだろうか?」などと不安にならず、中国拳法の指導者として活動したい想いが少しでもあるならば、是非チャレンジしていただきたいと思います。

八卦掌を習うだけでも、きっと大きな変化があります。それは身体の変化・心の変化です。たとえ指導員としての未来を担うことにならなくとも、その変化を味わうだけでもチャレンジした意味が残るのです。

ですから、武術経験・性別・過去の運動歴など一切気にせず、門を叩いてください。指導は愛知で行いますので、支部指導員を志し愛知に通う方には、指導料金での優遇措置をとらせていただきます。

※遠隔地等門下生優遇措置(一回税込2,200円での参加・参加は本科のみ。毎月25日までに優遇制度申請必要。優遇制度適用月に練習に参加する際は、2日前までに事前連絡必要。)の再復活をしますので、そちらをご利用下さい。

弊門では、程派・尹派・梁派の特定流派の継承を指導の前提条件としないため(※弊門基本技術は梁派)、弊門で八卦掌の学習を終えた後は、支部指導の場においては、八卦掌の原理(対多人数想定の遊撃戦武術)と以下の設置運営条項以外で制約をうけません。自由に自分のやり方で指導が展開できます。その醍醐味を、是非とも味わっていただきたいと思います。

全国各支部の八卦掌第7代目指導員候補に応募する

支部設置と運営・指導展開における設置運営条項です。

  • 支部における指導では、八卦掌の原理原則から外れないこと(対多人数を相手に遊撃戦で戦う八卦掌の基本攻防体系のこと)。料金体系は本部の体系と同じとすること。
  • 八卦掌の原理原則から外れない限り、支部における指導カリキュラムは自由であるが、通信門下生へのスクーリング指導に関しては、本部の展開する通信教育履修課程の技術・指導順序で指導すること
  • 本部への上納金等はなく支部における月謝等の収益は支部指導員の収益とするが、通信門下生のスクーリング指導・講習会参加者へのアフターフォロー指導については、指導料金を別途取らず誠実・熱心に指導すること
  • 支部名は、「八卦掌水式門○○県○○市支部」とする。※弊門の支部であることを明確に示すため
  • 支部指導員が、己の名において支部以外で道場等を持つのは自由である(この場合、指導内容等に一切の制限はない)が、上記支部名と多くをかぶらせるなど入門志望者を混乱させるような名称を用いないこと
  • 支部指導員は、半年に一度、本部にて技術研修を受け、かつ活動状況を報告すること
  • 支部における履修課程・愛知本部における本部指導研修課程を終えた支部門下生に対し、本部から修了証兼七代目認定証を代表・水野と支部指導員連名で発行すること
  • 上記条項を守らない場合、支部指導員の資格のみを取り消すが、当措置に異議を唱えないこと

八卦掌水式門の太平洋側本部は、愛知県岡崎市周辺の三河地方を考えております。

日本海側の拠点は、講習会の定期会場のある氷見市の属する、富山県の呉西地方を予定しております。

参考までに、全国の必須拠点支部を挙げておきます。

北海道札幌市・北海道釧路市・青森県青森市・山形県山形市・宮城県仙台市・群馬県前橋市・茨城県かすみがうら市・滋賀県米原市・和歌山県和歌山市・島根県松江市・岡山県倉敷市・愛媛県西条市・福岡県北九州市・宮崎県宮崎市・佐賀県佐賀市・沖縄県那覇市

先ほども申しましたが、上記都市のある都道府県以外の県の都市でも支部を作るのを目指しているため、上記都市以外の都市で支部を担いたいと志望する方の応募もお待ちしております

気負わず、不安よりも希望を持って、弊門に来ていただきたいと思います。八卦掌の実戦性と健身性に魅せられることは間違いありません。

その上に未来の可能性まで感じられるならば、それはとても素晴らしいこと。私自身、八卦掌の持つ実用性と奥深さ、そして未来を切り拓く可能性に救われながら前に進んできました。

人生を真剣に考え、人を思いやり、自分の居場所を見つけたい方との出逢いを、心から待っております。

23-3-19愛知・4-2富山「発力法を練る走圏」講習会

2023年3月19日(日)愛知県刈谷市・同年4月2日(日)富山県氷見市にて、

『「何気なく歩く」走圏から「基本姿勢・発力を磨く」明確な実戦準備のための走圏練習に変える講座』

を開催します。

午前の主な指導内容(午後にかぶる場合があります)です。

  • 下搨掌(かとうしょう)を用いた走圏における基本姿勢を作るための姿勢要求とは。
  • 下搨掌の姿勢の意味と使用例(用法)を理解する。
  • 対人練習用の下搨掌で、使用例を参考にした力の伝え方、逃がし方を学ぶ。

午後の主な指導内容(午前にかぶる場合があります)です。

  • 「敵の力を逃し敵に力を伝えること」を意識した推磨掌・叉子掌の姿勢のとり方。
  • 推磨掌(すいましょう)と叉子掌(さししょう)の使用例練習。力伝達の意識を実戦的に理解する。
  • 推磨掌・叉子掌の対人練習を通して、3発力による意識を明確にし、敵への力伝達意識と伝達経路を体感する。

午前中に走圏の基本姿勢の学習をするため、走圏を独学等で学習している初学者の方も受講できる内容となっております。

講習会の材料として用いる下搨掌・推磨掌・叉子掌の各用法(代表的なもの)について触れるのは、その用法が発力を理解するうえで役立つ知識であり、かつ理解するうえでの前提知識でもあるためです。

拳法の世界ではひんぱんに、「足で打つ・手30足70」という拳諺(けんげん・拳法のことわざのこと)があります。

かみくだいて説明するならば、「手の力や技術で敵を攻撃し力を伝えるのではなく、手・腕をを始めとする上半身を支える下半身の推進力・移動する力を伝えて打つ。手で力を伝える割合は、全体の3割程度である」というような意味です。

移動遊撃戦を展開する八卦掌では、身体移動や翻身・転身によって生じる力で打つのが完全に主役となるため、先ほどの割合が「手10足90」のくらいになると言っても過言ではなくなります。

身体移動・転身・翻身によって力を伝える方法が発力法であり、発力法を練習する具体的な技術解説を、サイト上で対多人数戦を解説するカテゴリー内の遊撃戦渦中で身体を自在に操り敵に力を伝える八卦掌3大発力で紹介しています。

そして我々八卦掌修行者が最初に練習する走圏でも、最重要技術である基本姿勢・歩法と併せて、発力法を練るのです。今回の講習会では、その点をクローズアップし、講習を進めてまいります。

発力法がメインであるため基本姿勢については一通りの学習となりますので、基本姿勢に自信のない方は、事前に弊門サイトにおける基本講座八卦掌「走圏」マスターのためのヒント:上中下盤・八の字走圏にて基本姿勢を予習しておいてください。

以下に弊門作成の走圏の動画も掲載しておきますので、学習の参考にしてください。

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どうせなら、グランド・マスター(一代宗師)になろうぜ

これは何も、映画「グランド・マスター」の中の主人公のようになろうと言ってるのではありません。

惚れ込んだもの(ここは八卦掌がらみのブログのため拳法など武術を指すが、武術に限らずなんでもいい)があるならば、徹底的に練習しまくって、独自の境地に至ろうぜ、と言っているのだ。そのほうが目指しガイがあるというもの。

そしてどんどん、己のうけた名前で、己の方法で教え、発信していけばいいと思う。到達点は、とてつもなく大きく持とう。

徹底的に練習すると、「この方法はいいぞ」と思ったオリジナルな「ポイント・要領・コツ」に、どんどんと気づくようになる。私自身、先生から使用例(用法・ようほう)やコツを教わった記憶などほとんどない。実はその方法こそが、古来よりの中国拳法の指導法でもあるようだ。

常に自分で、「八卦掌は対多人数を想定した遊撃戦の拳法(※このことに中学時代から気づいていたが、師匠に教わるようになったあと、師伝でもそのように言われ確信した)」という前提に沿って、そこから型の使用例を想定し、散手や組手、対多人数遊撃戦総合想定練習で試しながら編み出してきたものばかりだった。

発力法という言葉も分類も、身法という言葉も分類も、単招式も、連招式も、老八掌の滑歩も、基本歩法も、走圏の実戦的な練習法の工夫も、間合いを徹底的に練る対人想定練習も、買い物カゴで戦う術も、刀術を元にした40~200センチの刀棒術も、そして最も得意とする双短棒も、すべて、八卦掌の元からある技術の術理に沿って、整理し、体系化して、私の八卦掌を確立してきた。

これらの術は己の工夫と苦労の果てに、馬鹿の一つ覚え同然に繰り返して身につけたので、自信のある実用的な技術となっている。

実際、仕事で不審者やらに注意喚起をしなければならないときなどは、買い物カゴや収穫カゴなど不審者を刺激しない類似の道具を持って万が一に備えながら対処することで、多くの実戦的経験を積んできた。

※乱闘やケンカを好んできたから実戦経験が多くなったのではなく、『大切な人を守る』と言う強い信念を持って生きてきたため、不穏な状況に直面した時ごとに、その信念が実戦につながりやすくなる行動を選択させ、結果人よりそのような経験が多くなった、のだと考えている。

これらの経験を踏まえ、師伝であったり、暗黙の了解となっていたりしていた対多人数戦の口伝(教えらえた要領)を己の経験に加えまとめる作業を真剣に行っている。これは、経験の浅い人間が書く無責任で非現実的なポイント・要領ではない。

私こそ、このポイントを書くにふさわしい(最強とか、そういうおごりたかぶった意味ではない)。

対多人数遊撃戦のポイントをまとめる人間としてふさわしいと確信している理由。それは、実戦の初めてが、対多人数数遊撃戦だったから。そしてその戦いの結果で、人を苦しめ、そして自分も苦しという、真剣に向き合わざるを得ない事態を招き、以後そこから逃げることなく努力を重ねてきたから。

今まで、人と争うのが嫌いで、ケンカもしたことがなく、そして暴力を否定し、「強くあること」を真向から不要なもの、と軽視してきた。その態度が人を巻き込む思わぬ事態を招き、人を守りきることができなかった日からずっと、決意して向き合ってきた。そんな私だからこそ、腹の底から真実の声のもと、身を切るがごとく書くことができる。

目の前でいじめの精神的暴力に苦しむ人を守り切ることができず、その子を不登校へと追い詰め、そんなこと、もうさせないと必死で強さを求めてきた自分だから、書くことができる。

散手や組手・乱取りで強い人間相手に試し、話にならないくらい全く通用せず、そこで得た感覚や教訓をまた試す、という繰り返しを十数年以上にも及ぶ長い期間実行し進み続けてきた私だからこそ、書くことができる。

つまり私の伝える八卦掌は、梁振蒲先生伝八卦掌の技術を原点としてはいるものの、私の経験・練習を通して新たな原点を作り、古来のごとくの移動遊撃戦の要素が強くなった技術体系となった八卦掌。

今年の年初、梁派伝の継承を採るか、己の経験にそった八卦掌の道を進むかの決断をするとき、全く迷うことなどなかった。それくらい、自分の得た技術の根幹は、八卦掌の術理ではあるが、己の独自の経験から気づき、そして生み出され影響を受けたものばかりだった。

この境地、拳法でもなんでも、周りがあきれるくらい積み重ねたものがある人であれば、分かってくれる境地だと思う。

よく1万時間の法則(物事を極めるには1万時間くらい費やすと結果が出てくる、という目安の法則)が言われるが、自分の場合、2万時間を越えたあたりから、もう数えるのも止めてしまった。そういう世間の目安ではピンとこなくなるくらい、己の経験によって得た目安のほうが頼りになってくるから。

流派も、誰それ伝の系統も、こだわりがなくなってくる。実際に人と組み合う時、その時の状況に応じて、繰り出される技なんて、流派の違いなどほとんどない。色んな角度や色んな態勢から打つため、どんな技かもわからないのだ。

組み合った時に、私より強い人間なんていくらでもいる。しかし、大切な人が後ろに控えている時、そんなことは全く考えない。己の経験と技術、体力の限り死力を尽くし、守るのみ。その時は流派なんてももちろん、八卦掌であるか、だれであるかも関係ない。

ただ守るだけ。そのためだけに同級生の前で宣言したあの日からずっと練習してきた。だから常に護衛拳法だと言い続けてきた。

強くなりたい。もう誰も苦しめたくない。大切なこの子の笑顔、決して曇らせたくない。そのために君が八卦掌を選んでくれたならば、メッセージはひとつ。

強くなるのは間違いない。だからグランド・マスターになるくらいまで強くなってやろうぜ。グランド・マスターになって、大好きなあの人、守っていこうぜ。泣いて感謝される英雄的な瞬間が、きっと訪れる。その時、今から練習の旅で味わう苦労が、一層幸せな気分をもたらしてくれるんだ。

『いじめに苦しむ君へ贈る、勇気が出るメッセージ集』のトップへ

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成らぬは人のなさぬなりけり~練習!練習!知識二の次

知識だけ増やしても、うまくいった試しがなかった

長いこと八卦掌にほれ込んで練習してきたが、できないこともあった。そしてある時、改めて振り返ってみて、出来なかったことを検証してみると・・・・

大して練習もせずに、自分で「こりゃぁ無理だ」と判断したものばかりだった。できるようになった技や身法、技術に比して、圧倒的に練習に費やした時間が少なかった。

出来ないときの練習ほど辛いものはない。いくらやってもできる兆しが見えない。一日のすべてを練習のみに費やすわけにはいかないので、また次の日に、再度チャレンジをする。しかしやはりできない。

そうなるとネガティブな言葉が湧いてきて、感情の上下動が激しくなる。

上手くいっている時に「ポジティブ」を心掛けるのは容易だが、うまくいってないときにこの心を持ち続けるのは本当に大変だ。この時こそ、取り組んでいるものに対する情熱とか、本気度が試されるのだろう。

わたしは何度もそのような危機に直面したが、どんな状況下でもあっても、私が経験した最も辛い状況下であっても、やり続けることができた。あとで振り返り、そして今改めて振り返り、私の情熱と真剣度は、とてつもないものだと、誇りに思っている。

名君として名高い、上杉鷹山公の言葉である「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」がある。

自分に言い訳をし、努力を怠っていた小学生の頃は(小学生の頃、すでにこの言葉を知っていた)、なんとも厳しい言葉だと思った。

しかし毎日の積み重ねが当たり前となった今では、限りない励ましの言葉となっている。

毎日積み重ね、どんどん行動している私にとって、「行動すれば必ず成る。」は、後押しの言葉でしかない。

「成らぬ(うまくいかない・実現しない・成らない)」は、行動している自分には全く無縁のこと。だから大丈夫だ!必ずうまくいく!と心が震え立つ。

拳法の練習をしていると、色んな人に逢う。残念ながら、人のすることに口出しをしてきたりする人もいる。どうでもいいことに心を囚われ、時間を使っている人がたくさんいる。

正直、自分は若い世代とはなくなり、時間も有限であると痛烈に実感しているため、間違っても人のしていることに批判したりするなどの無駄な時間を取る余裕はない。

あと、知識もどうでもよくなった。拳法に関しては、もう八卦掌だけで十分。何それ拳法はこうこうこうだ系の知識はもういい。もともと興味がわかなかったが、ここまで向き合ってきた八卦掌を通して、色んな拳法の特色もおのずと触れてきた。もう十分である。

今はただ、前に進むための行動をしたい。そして実行している。毎日の積み重ねは当たり前。そのうえで「今日は何をしてやろうか?」と考え、実行している。そしてその考えのもと、指導し始めてから5年以上、実に多くの経験を積んだ。

分かってもないのにお金なんて取って教えて・・・と無責任な批判をする人間もいたが、そうであっても「道場を開いて指導」という行動をとったからこそ、かけがえのない経験を積むことができたんだ。これも、鷹山公の言葉に恥じぬ行為だ。

最も貴重な経験となったのが、人を見る目が養われたこと。問い合わせをしてくる人の中には、時に極めて礼を欠く人間もいるが、そのような人間は、じきに本質を見抜くことができるようになってきた。これも、幾度と様々なタイプの人間に接してきたから。

問い合わせフォームに、詳しい経歴質問欄を設けないのは、私自身が、その人をニュートラルな気分で見るためである。良い意味で、先入観を持ちたくないからだ。

有名な先生でない私のところには、問い合わせの段階で気合の入っていない、失礼な対応をとる人間がくる。無断キャンセル、質問に答えてもお礼のメールも来ない、などだ。

そのような人間には、こちらも一切興味がないため、心が動じることもない。行動し、目的に常に忠実な自分にとって、このようなことに対する対応は、脇道の無駄な積み重ねしかないため、深追いや心を乱されることなどありえない。

自分がこれからも取るのは、行動のみ。それも、自分の定めた目的に近づくための行動のみ。毎日の練習は当たり前。対多人数戦を乗り切るための、食事や体力維持などに対する配慮も当たり前。

その積み重ねの果てに、今度こそ、大切な人を守りぬくことができる結果が待っていると信じている。そこで初めて、努力の成果を感じられるのだ。

八卦掌の積み重ねの過程で、多くのトラブルに勇気をもって接し、時に人に感謝されたこともあった。しかし満足などしない。自分が自分の自由意志で動くことができる限り、「誰かにとって大切な人を守る」ための行動を選び続ける。

そこで初めて、顔向けができる。そのように行動し切ったならきっと、人生を終える瞬間、満足のファンファーレがなるだろう。

これからとる行動も、きっと何かを成す。そう信じて、今からまたルーティンをこなしに行こうか!

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大切な人・自分を守ることができる八卦掌を全国に広める

誰もが大切な人、そして自分を守ることができる対多人数遊撃戦の八卦掌を、日本全国に広める。

全国各地で遊撃戦八卦掌を学んだ人が危機に瀕した時、八卦掌で大切な人を守りぬき、そして自分の身を守る。

結果、一人でも多くの人が全国のいたるところで理不尽で卑劣な暴力から守られる。そのために、全国に広める。

全国に広めることは、一人でも多くの人を理不尽な暴力から守る、と決意した私にとって、避けて通ることができない必須の段階。

いくたび失敗しても、通信講座の開設にチャレンジしているのは、そのため。対人想定練習を重視しているのも、そのため。出張講習に力を入れているのもそのため。みんな、全国を股にかけて指導するための準備。

だから、志に共鳴する優しき未来の達人を求めている。一人では限界がある。

八卦掌水式門は、大切な人を守りたい、そう願う人が全国から来て学び、そしてそれぞれの土地で指導を展開されることを心から願っています。

全国各地で、八卦掌の指導拠点ができるなら、昔の私みたいに、突然学ぶ必要が生じた人間が、その場所にいって基礎から確実に学ぶことができるようになります。通信講座の受講生が、スクーリングの場所として、その場を利用できるようになります。

八卦掌を学んで、自分の近所で指導してみたい。そのように考えるならば、是非八卦門の一員となってほしい。

八卦掌第6代目として、八卦掌の掌理を、志ある者に誠実に伝え、7代目として活動してほしいと思います。

遠隔地等門下生は、月謝制を免除し、一回1,100円(税込)の回数制を選択できるなどの準備をしているため、愛知にて新たな可能性を学び、持ち帰ってもらいたい。

今考えている、全国16か所に点在する、八卦掌水式門の拠点。これは現時点で予定であり、拠点責任者の都合もあるが、近い未来、現実となる。

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