すべて。私はすべてを持っている。
私の目に映るもの、すべてを持っている。目に映らないものは知らないわよ。持っているかどうかなんて、私にはわからないから。
他人の家に行くといつも思うのは、「なんでこんなに持ってるの」ってことだわね
あらゆるスペースに、モノが押し込められている感覚ね。いっつも思うのは
「この人、引っ越しする場合どうするんだろう?」
引越しなんて当たり前。父といると、将来どこに行って、どこでどうなるかなんてわからないから。持つことに、何のあこがれもないわね。
わざわざ持つ必要なんて、ないと、ずっと思っていた。
ものを持って一番嫌なのは、住んでいる場所に執着してしまうってこと。
いつでも、思い立った時に、思い立った場所に、私は行きたい。ついていきたい。この人は流動的な人だから、ものなんて貯めこんだら、置いてかれてしまう。
もたないのは、大変なこともあるけど、両手が空いていることの喜びを味わったら、もう戻ることはできない。
いつもどこかの空の下だからね。あの空の下。あの山のふもと。たくさんの星が見える場所では、一緒に星の祭りに参加したりする。
山間部の朝は、車から出ると、むせ返るような新鮮な空気。あれは本当に楽しい。
穏やかな天気の時は、人のいない漁港で、あの人は釣りを、私は絵を描き、時間がゆっくりと流れる。
そのたびに思う。別に、楊家拳の伝承になんて、こだわらなくてもいいんじゃない?と。
必要としている人なんて、おおよそ私たちの周りにはいないものよ。そこまでして教える必要なんてないじゃない。