中国拳法の閉鎖性を侮ってはならない

中国拳法の秘密主義・よそ者不歓迎の実体を侮ってはならない。それは、私自身が、身をもって体験したからわかることだ。

例えば、いきなり道場破りに来るような人間が、返り討ちに遭って、その後頭を下げて入門を願う。そうしたら、「特別に教えてやろう」とその先生が特別に認める。

そのようなことは、私の経験から、ありえない。いきなり道場破りに来るような人間など、その才能が垣間見られたとしても、弟子にすることなどない。危険だからである。弟子の立場であった者が、師をあやめ、その門を乗っ取ることなど、いくらでもあった。国家単位で、下剋上が常に行われていた過酷な歴史の中国では、そこで生まれた武術も当然、謀反人に対して寛容ではないのだ。

それは、「〇〇門」などと名乗っているような伝統門であれば、なおのことである。つまり、八卦掌水式館の「転掌八卦門」でも同じ、ということである。私の元にも、過去3人ほど、腕試しの意図を持った人間が来た。当然、返り討ちである。そして、その瞬間に、永遠に「帰りなさい」である。そのような無礼の極みをした人間など、以後どれほど礼を尽くしても、教えることなど無いのだ。

いきなり「道場破り」などという極端な例を挙げてしまった。では、一般の門下生にはどうだろうか。

練習をしない者には、その門戸は開かれない。それが結論である。そして、中国の先生は、日本の先生みたいに「もっと練習しろ」などと言ってくれない。一度くらい言うかもしれないが、以後は言わない。もうその時点で、彼はそこの場から先に進ませてもらえないのである。練習しろと、言ってもらえないところが、中国拳法の世界の厳しいところである。練習しろといってくれる先生は、本当に優しいのである。

過酷なのは、教えないが、お金はとり続ける、という点である。練習しない人間に、本当に強くなる方法は教えないのである。ウソを教えるのである。もしくは断片的な基礎を永遠に、教えるのである。日本人の価値観からすると、「お金をもらっているのに教えないなんて・・」と思うかもしれない。しかし中国では、そのような道義的な価値観などないのである。いつまでたっても、本腰を入れて練習もせず惰性で続けているだけだから、教えない、のである。

日本の愛好家は、自分のペースで修行したがる。自分が何を習うか選び取って、自分にとってメリットとなる体系だけを、効率よく学ぼうとする。そのような姿勢を中国の先生が見たら、即効で「お客様」扱いをされ、型だけを教えらえ、お金はしっかり取られ、帰らされる。

日本の愛好家には、拳法の重要な中核技法を、無料でかすめとってやろうという人間が本当に多い。そしてこともあろうことか、教えを請うう先生に対し、値切ったりする。問題外である。私を含め、中国拳法の伝承者になるには、皆、膨大な時間・労力・お金を費やし、貫くことで多くのものを失っているのである。楊師もそうであった。過酷な経歴を聞いた。これは誰にも言うことができない。

よく問合せに、「遠いから行けません」とか、前々からわかっている指導日に、「その日は仕事が入る可能性があるからいけません」などというものがある。来る気があるなら、来るだろう。行く気があるなら、前もって日が分かっているのだから、仕事を入れない努力をし、来るだろう。

その者にとって、習うことは、日常生活を送った後で余力あれば習うもの、なのだ。そのような片手間感覚を、長年多くの人間に指導してきた中国の老師先生はすぐわかるものだ。私もすぐわかる。こいつは練習してないな、こいつは次には来ないな。そしてその直感は、おおよそ当たる。指導してきた100人近い人間の中で、心から、「学ばせてください」という気持ちで向き合ってぶつかってきた人間は、ほんのわずかである。そしてそのわずかな人間だけが、掌継人となって、全伝を受けることができるのだ。

日本人にとって最も過酷な、「外国人に対して教えない」という事実。これについて、私は本当に、恐ろしくなる。私は学生時代、関東で楊家武術の伝承者に指導を賜った。

最初の半年は、八卦掌と言われながら、斜めに移動する形意拳を教えられていた。違うものを偽って教えられていたのだ。それが中国の老師の、人を試す方法なのである。私は月2回、関東に通った。そして、習ってから愛知に帰ってからは、とにかく徹底的に練習をした。私の拳法を始めた動機が、私をそこまで駆り立てたのである。

「シュリーイェ(水野)よ、お前はなぜ、いつもそんなにやるのだ」

楊師の問いかけに、中学生の私はなんのためらいもなく、私が始めた動機・きっかけを話した。こんどこそ、大切な人を守る。こんどこそ、と真摯に訴えかけた。それが師のお目にかなったようである。

「次からは、前日の夕方と、日曜の朝に来い。そして、昼には顔を出すな」

そして次から、土曜日の夕方に個別に習った。そこで初めて、斜め後方スライドの転掌式八卦掌を習ったのである。

「この技法は、もはや誰も練習してないものだ、お前のような人間には、役立つだろう。いいか、昼に来る大人たちには見せるな。そもそも昼に来るな。」

私は土曜日に習ったものを、拠点となっていた親戚の家の前で夜通し、練習し、そのまま日曜の朝に出かけた。それくらい、衝撃的で、感じるモノがあったのだ。明確に覚えている。「これだ!」という感動を。私の前日からの進歩を、その都度、師は目を細めて、喜んでいた。そして楊師の私を呼ぶ名が、「シュリーイェ」から、「イーレン(義人)」に変わるころ、代継門人(転掌8世)となった。その積み重ねの日々があったからこそ、転掌の伝承を受けることにつながったのである。突然訪ねて頭を下げて、いきなりよそ者が教えてもらえるはずない、と私が言い切ることができるのは、その経験から言っているのである。

楊師は、私が書籍で発表した内容を含めた転掌の全伝技法を、特別のものとして扱っていた。だから、日曜の昼に来る、進歩しているのかどうか分からない程度の練習しかしてこない日本人に、お金をとって「ウソ」を教えていたのである。

それがいいか悪いかは、さておき、これくらい、伝統門で育った中国の老師というは、閉鎖的なのである。だから中国拳法を学ぶ者は、まずのその門派の入り口に立つことである。紹介状などを求めて特別扱いしてもらおうとする人間が私の元にも来たことがある。

しかし、そんなもの、何の役にも立たない。中国拳法の師に信頼され、その全伝を受け継ぐための唯一にして最速の方法は、誰もが立つことができる入り口に立って素直に学び続けることだ。その人間が今までやってきた武術について、師にとやかく講釈を垂れる何ぞ、もってのほかである。素直に学べ。その武術については、その者は初心者なのであるのだから。

この文を読み、反発するならば、あなたはいつまでたっても、本当のものを教えてもらえない。私も、この文を読んで反発するような人間に、教えることはない。一通り学んでもいない人間が、何がよくて何が不要か、など分かるはずもない。私は楊師よりその技術を一通り学んだ時、とても自信がなかった。しかし毎日練習場所に立ち、続けることで、私の身体という、もう一人の師が、転掌の深い部分を、教えてくれくれたのである。

その「もう一人の師」に逢うためには、だれもが通る道を通り、そこで腰を据えて練習をし続けることで一握りの存在となり、全伝を一通り受けるプロセスを経る必要がある。

厳しいだろうか。そんなことはない。だれもが通る道は、誰もが通ることを認められているのだ。つまり、だれもが、スタートラインに立つことができるのである。そういう意味では、一族にしか教えない家伝武術と違った可能性がある。

私は、この厳格な道を、私に続く者に経験させる。そうすることで、きっとその弟子は大きな誇りを得るからだ。気軽にサックっと学びたいなら、そのような場所に行けばよい。私のところは、中国伝統門で学ぶことのやり甲斐を感じることができる、国内有数の伝統門道場である。変えるつもりはない。

礼節は、己の命を守るためにするものと心得よ

中国は、殺戮の歴史であり、生き馬の目を抜くようなことが当たり前に行われてきた。

転掌は、そんな過酷な歴史の国の武術である。人を制圧して捕縛・・・という、相手を活かすことを前提とした行動や思想がない。

ただ弱者使用前提、というだけである。おとり護衛、というだけである。使用する者の前提が他の武術と違うだけで、仮想敵は他の武術と全く同じである。仮想敵は、王族を暗殺しに来る謀反人や刺客である。そのような輩が、他の敵に比して優しいわけがない。相手は、命を捨てて任務を果たそうとする。こちらも、どのような護衛方法であれ、決死の人間を止める方法を学ぶ必要がある。

その方法の最も手っ取り早く確実なものが、襲撃者の命を奪うことだ。中国の拳法が、徒手技法であっても命を奪うことを前提に作られているはそのためだ。容赦のない相手に、有無を言わせず攻撃をやめさせる確実な手段が、命を奪ってしまうことであるからだ。

中国の武術が、「他の国の武術より高級である」から、殺傷技術で構成されているのではない。情け容赦のない敵が想定されるから、技術が殺傷技術とならざるを得ないのである。

よって、世間にその実力を認められた武術は、皆生殺与奪の技術を伴った過酷なものばかりだ。

「礼節」は、苛酷な武術を修めた者が、他の武門と争わないために必要とされ、重視された。礼によって治世する、は儒教の教えである。漢民族国家が平原を制したときに唱えられていたものにすぎない。中国の歴史を見たまえ、その半分以上が、異民族によって蹂躙された歴史ではないか。

北部の民族にとって、その資源の少なさから、他人の領土を占領し、そこのものを奪うことは、生きるための手段だったのだ。其の北方民族が統治した国家、秦・北魏・遼・金・元・清のもとでは、儒教の教えはほぼ遠慮され、時に弾圧され、礼の意義もすたれていくのである。

中国武術において、礼節とは、他の門派と争わないための、身を守る手段である。命を奪う技法を備えた武門同士が争えば、流血の惨事は避けられない。そこで、最低限の礼節を持って、争わない道を選び、己を身を守ったのだ。自分のためなのである。

互いの技を習いあい、そこで統一した型を作ってその中で双方唯一の判断基準とする。その代表的な型が「八卦六十四掌」である。近代八卦掌の既存の型に、形意拳の要素を多く加え、それを一つの型として、八卦掌の修行者が学習した。

形意拳にも、八卦掌のように円を回って練習する型がある。それは、八卦掌の動きを採り入れ、双方唯一の技法の判断基準とするものだ。
両門が一同に会した際は、八卦掌修行者は、「八卦六十四掌」を披露し、形意拳修行者は、八卦掌の動きを採り入れた型を披露する。

そうすることで、互いの秘伝を守り、互いのメンツを守り、争いを避けたのである(私は師より六十四掌の話を聞いたとき、そのように教えてもらった)。

相手を重んじ、相手に尊敬の念をもって・・・は、日本武術・武道の考え方である。中国の武術とは、成立の風土も違うのである。私にとって初めての武術は転掌式八卦掌であったため、苛酷な技術体系が当たり前だと思っていた。

後に柔道を修めるとき、嘉納治五郎先生の『精力最善活用、自他共栄』の話を聞き、驚愕した。両国の敵に対する処し方の根本的な違いを、垣間見た気がした。

私は代継門人に、ケンカでの転掌の使用を禁じている。使う場面とは、自分の命が奪われそうになった時、大切な人の命が奪われそうになった時だけだ。

不良漫画などに当たり前に出てくるケンカなど、愚か者のすることである。そこには、命のやり取りを前提とした覚悟など、存在しないではないか。礼節を保て。すべきことをして、それでもだめならば、一気に後方へスライドせよ。転掌における戦いは、すべて「後方へスライド」してから始まる。

その前までは、「礼節」でその身を守れ。

探すものではない、目的というもの

私は幸せである。物心がついた頃から、目的となるものが前に居て、それをひたすら追いかけてきたのだから

私はただ、おいかけてきただけだった。目的となるものが、余りにも浮世離れしているものだから、わたしもどんどん不適合者になっていくわ

人は私のことを、やれ空気を読まないなどと言ったりする。でもそれは私のせいじゃないのよ

目的が、目標が、余りにも現実から離れているからよ。でもこれはとても幸せな事なのよ。みんなと同じはぜったいに嫌だから。同じが嫌な自分にとって、この目的は最善のものだった。

時折思う。みなと同じが嫌なのは、きっとこの目的たるこの人が原因なのではないかと。皆と同じが嫌、のおかげで、私は散々、色んな人とぶつかってきた。人と違う道をひたすら歩むこの人がいつまでも違う道街道を進み続けるから、もう他の道が考えられなくて。私はきっと、洗脳されたのね

おおよそ、心底幸せを感じるような目的なんて、探すもんじゃない

私に言ってきた連中どもは、誇らしげに、自らの旅の無鉄砲さをアピールしてきた。武勇伝になっているものばかり、それですごいなんて思われたいの?

人に凄いと思われたいから、目的が欲しいの?それも、内容にこだわっている。世間がすごい、と言ってくれそうな内容を求めている

だからみんなと一緒になるのよ、自分探しでイチイチ旅に出ること自体、もう演じてるよね

そんなもの、探すものじゃない、目的を持つことに、前向きな理由じゃないときもある、私の目的たるこの人は、この人自身が目的を持つ時、余りに苦しんで、この人が今持っている目的を持たざるを得なかった

目的が人を苦しめることもある。目的は、自ら求める者ではないときもある

聞いてみた、その目的がなかったら、どうしていた?

拳法はしなかった、鉄道模型を作って・・・今周りにいる人たちと、時は過ごせなかったが、それで救われたこともあっただろう、って

そうなっていたら、私はどうなっていたのだろう。楊家拳を修めることはなかった、もう少し、凡人になっていたのかも

この人には悪いけど、それはもう考えられない。目的は、私の意図で生じたものではないのだから、「もし」を考えるのは、もう怖いから、ここあたりで、やめておく

どちらにしろ、戻ることは無いのだから、私はこれからも何も考えず、目的を追いかける。何も考えなくてもいいのだから、わたしはやはり幸せなんだと思う

緒戦の過ごし方~襲撃者の言うことは全部無視しろ

緒戦の過ごし方は、技術を習うのと同じくらい重要である。

緒戦の過ごし方は、実際に戦った者から聞くのが一番である。実際の戦いを経験した者として、緒戦行動で真っ先に伝えたいことを示す。それは「襲撃者の言うことは全部無視しろ」ということだ。

絡まれたり、因縁をつけられると、襲撃者はいろんなことを言ってくる。しかし皆、無視しろ。例外はない。雑音であり、聞いても何の得もないのだ。

我々は転掌を習得しようとするものである。その戦い方を信じよう。じっと敵を見つめ、一定の距離を保つ。言葉は常に無視しろ。答える必要なんてない。とにかく、動きに注目せよ。

そして少しでも近づいたら、声のトーンがあがったらなど、の変化が生じたら、すぐさま斜め後方へ移動せよ。その後は、練習してきたことを実行すればいい。かわし続けよ。けん制攻撃をして、敵の足を止めよ。何回もかわし続けよ。ひたすら追いかけてきても、焦るな、きっと足は止まる。

けん制攻撃が当たっても、遠慮するな。過剰防衛にはならない。ケガの責任は、絡んできた相手が負う必要があるからだ。

あなたは窮地におちいることはない。転掌護身術は、そのすべてを考慮している。襲撃者にけがを負わしても、それは後方への移動による「致し方ない」防御行動の中で起きたものだ。

襲撃者の言うことに、少しも正当性はない。全部無視。あなたは、日頃練習してきた対敵法で、襲撃者をやり過ごし、離脱することだけに集中せよ。それだけで、あなたの護身成功の可能性は、ぐっと高まるのだ。

私が警備員の時の経験を話そう。夜間の閉鎖時間を過ぎた公園に、車が停まっていた。私は退出をお願いしたが、それが気に入らなかったらしく、なにやら大きな声を上げ、警備員は犬だ、とか騒ぎながら追いかけてきた。

私はその言動を一切無視して、警察に通報した。警察に通報する間、ずっと追いかけられていた。走りながら、110番通報をしたのである。追いかけられている間、ずっと罵声を浴びられていたが、全部無視して、通報と回避行動に集中した。

通報が終わるくらいで、敵(そのおじさん)の足は止まり、息を切らせながら、またこちらに大声で騒ぐ。私はずっと無視をしながら、おじさんの動きに集中する。近づいてきたら離れる、それを警察が来る15分の間、繰り返した。

ここでおじさんの話に答えたりしたら、私の動きは鈍り、かつ通報もできなかったであろう。転掌の距離をとる戦法がうまくいったのである。

けっかてきにそのおじさんは、飲酒していたため、その駐車場から動けなかったようだ。施設管理者たる警備員を追いかけまわしたため、警察署に連行されたが、ケガなどは双方していないため、大事に刃ならなかった。最もうまくことが済んだ、事例であろう。

敵・襲撃者・不審者の言動は無視して、動きに集中することだ。少しでもこちらに近づいてきたら、斜め後方スライド転身技術で距離を創る。追いつかれそうになったら、手を出して足を止める。それでいい。実戦の中でそれを行えば、それだけでも震えるくらい緊張するはずである。

語り継ぐこと~生殺与奪の術を受け継いだ者として

語り継ぐ。伝え渡す。多くの出逢い、悲しみ、別れ、導きを経て、私はひとつのバトンを受け取った。

それは人の生き死にをも左右する、中国の武術である。その道のりは険しく、多くの人の涙を伴った。二度と逢えなくなった人もいる。

重大な道程の中で、自分はその技術を正確に伝えることを心掛け、「兎にも角にも練習し続けること」を最大最高のルーティンとしてきた。

どんな時でもフィールドに立ち続け、伝えられた型の意味を考えながら、先師の意図を推しはかり、確立してきた。

伝えられたもののなかには、あまりにも残酷な技法もある。それは仕方のないことだ。庶民までもが、虐殺の対象に当たり前になりうる太平天国の乱当時に生まれた武術である。そこに「遠慮」や「人道的配慮」などあろうはずもない。

自分の身を守るために最も有効な手段は、相手の命を奪ってしまうことだ。転掌はまだ、そこまでの残虐性はない?とんでもない、道を極める者は、その残虐性とも、向き合わねばならぬ。

転掌八卦門が、一定時間生存術以上の技法を、正式門人以外に指導しないのは当然である。一定時間生存術以降の技術をも、無料で自分の都合に合わせて習いたがる人間がいる。

中国拳法の秘密主義・保守的主義を軽く見ている。私自身、先代師より本当の転掌正式課程を習うまで、一年弱の期間を経て、やっと転掌技法を教わることができたのだ。

そして先代師より、師自身の名前・楊家開祖の名称・絶法技術体系などの公開を禁止されている。「〇〇門」とは、固く閉ざした門の中で、一部の、ずっと練習をし続けると認められた者だけに伝える閉鎖的な指導方針だったから、そう呼んだのである。

漫画かなんかで、三日三晩頼みこんだら教えてくれた、などの話があるが、それは考えられない。中国であれば、三日三晩頼み込んだ者にはお金をとって伝えられているものと違うものを教える。そこで覚悟、とか、人格を見て、本当に気に入られたら、初めて本当に教えられている者を教えるのだ。私も一年に及ぶ期間を経て、やっと本当の転掌が教えられた。それまでは八卦掌と言いながら、斜めに動く形意拳を教えられていた。しかしそれらもあまりに練習した為、今でも得意であるが。

武術愛好家は、武術に取り組む姿勢に、自分のスタンス・ペースを貫こうとする。しかし真伝を伝える伝承者にしたら、それは都合のいい時に来て、いなくなる、信頼のできない訪問者にしか見えない。人にものを教わる時の態度からしても、そもそも失礼である。そのような者に教える中国拳法伝承者はいない。私も教えない。信頼できない。昔であれば、教えた瞬間に命を取られることだってあるのだから。

先ほども言ったが、人の生き死にをも左右する技法を、抜き差しならぬ人間になど教えないのは当然だ。突然眼の前に技法を受け継いだ謎の達人が現れて技法を授けてくれるなど、漫画の見過ぎである。

出し惜しみ、だとか、秘密主義だとか、そう言った的外れな批判をする者がいる。

重大な技法を受け継いだ者には、それを、人を殺めかねない不適切な人間に伝えない義務がある。そこが一番重要である。これは何ら秘密主義でもない。いつの時代も社会から武術家に要求される、守るべき義務なのである。

夕暮れを見ながら、私はいつも、伝承者となったことの意味を考えている。転掌式八卦掌の確立など想像もできない未熟者だったころ、元ちとせさんの「語り継ぐこと」を聞いて、こうなりたいと思っていた。責任は重たいだろうが、こうなりたい、この技法を全国に伝えたい、そう願っていた。

そして今、確立をして、伝承者として、身に起こるすべてを受け入れながら進んでいる。不必要なものはほとんど、必然的に、手元から消えていった。

あれこれやりながら・・・と思ったりもしたが、している暇がないのだ。そして余裕もない。あれこれやるつもりなら、そのために余分に、働かないといけない。しかしそれはしない。そうなると、強制的に練習と伝承活動以外、何もできなくなる。

それでもいい。元さんの歌にあるように、時代のうねりを渡って、荒波に飲まれながらも、進むのみだ。私はこれだけだ。私は、語り継ぐ者として、語り継ぐために、残りの生を使い切るのだ。そのために、生涯、転掌式八卦掌の職業武術家で「在」り続ける。

必ずバトンは、私から次の代へ渡すのだ。そしてそれがずっとつながれていくよう、迷いのない形で、引き渡す。

すべては、語り継ぐ技法によって、守られるべき者が守られるために。

この想いに賛同する者よ、我に集え。未来の掌継人よ、守るべき者を守るために、生殺与奪の術まですべてを受け継ぎ、後代へとつなげ。

11/8(土)・11/9(日)愛知講習会 自分護衛を実現するための厳選基本講習会

2025年11月8日(土)と9日(日)、愛知県にて、八卦掌水式館の「北陸転掌八卦門」で指導する楊家伝転掌式八卦掌」の初歩段階(自分護衛のための一定時間生存術)を伝承する講習会を開きます。

申込みフォーム

詳細はこちらから

◆開催時間

11月8日(土) 13時~17時 途中30分程度休憩有。(刈谷総合運動公園バス停前芝生広場)

11月9日(日) 10時30分~12時30分 13時30分~15時30分(大高緑地公園 JR南大高駅周辺芝生広場)

◆開催場所

11月8日(土) 刈谷総合運動公園バス停前芝生広場

11月9日(日) 大高緑地公園 JR南大高駅周辺芝生広場

◆参加者資格

中学生以上の男女

必ず本人の意思によってご参加ください。保護者による見学行為は、お断りしております。

◆参加費

一般参加者:5,500円(税込)

門下生・学生・過去講習会受講経験者:3,500円(税込)

◆本講習会採用指導方法

本講習会における指導方法は、重要事項について一通り指導した後、自由練習をさせながら各人の経験に沿った指導を個別に指導して回る、中国拳法独特の指導形態で展開させていだだきます。
指導は、転掌の再興祖にして掌継人(楊家門における伝承者名)たる水野が、直接指導いたします。

◆参加に際しての注意点

・参加費は5,500円となりますが、8日・9日のいずれの時間も参加可能となります。門下生・過去に水式館の講習会を受講した方の本講習会参加費は、3,500円となります。
・本講習会は最小催行人数制を採ります。参加者が4名に満たない場合は、講習会の参加をお見送りさせていただきますので、ご了承ください。

◆応募締切日

2025年10月30日(木)

正式開催のご連絡は、翌日の2025年10月31日(金)に致します。最小催行人数に満たない場合も31日、参加予定者宛にメールにて未開催のご連絡を致します。

◆講習会代金お支払い期限

開催する場合は、参加希望者は、11月講習会費を、11月6日(木)までに下記指定口座までお支払いください。6日の24時までにお支払いが確認できない場合は、キャンセル扱いとさせていただきます。

・銀行名  :三菱UFJ銀行
・支店名  :知立(ちりゅう)支店 店番号 412
・預金種別 :普通口座
・口座番号 :1213489
・口座名義人:ミズノ ヨシト

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実戦経験~満点のとりにくい試行錯誤なもの

今、なぎさドライブウェイより、このブログを打っている。

実戦とは満点の無いものである。そしていつも、後になって「ああすればよかった」と思うものである。実戦について、水式館で実戦経験の最も豊富な一番弟子とよくその話をドライブウェイでしていた。今日はいい機会である。

私も、私の子らも、多くの実戦経験を積んだ。それは人間相手であったり、獣相手であったり。獣相手は私だけだが。

彼女らと話していて分かることは、後になって誰もが、「もっとああすればよかった」と思っていることだ。

実戦経験は、突然やってくる。なんの前触れもなくやって来る。私は、なんの前ぶれもなくやってくる突然の極限を、弟子らにも少しだけ味わってもらいたいと思っている。

そのために、練習中に、突然、緊張する場面を用意する。今回の講習会では、複数人がいたため、突然、多人数戦を経験してもらった。

掌継人には、私が熱くなった状態で向かってくる緊張感を味わってもらっている。何度もこの手を使ったので、バレバレとなってしまったが。

しかしいつも、それなりに緊張してくれているはずである。

私自身、多人数組手をする予定であったが、いつ披露するかは全く決めないで臨む。公園内の人の流れ、周りに人が居なくなったタイミングなど、いつ行うかきめられないこともあるからだ。自分が襲われる側となると、近くに人が寄ってきたことが分かりにくくなる。自分が襲われる役の場合、完全に周りに人がいなくなった状況でないと、できないのだ。そしてベストのタイミングが来たときに、突然、多人数戦を行う。それは、模範を示す立場にとっては大変なことなのである。いきなり動けなければならない。模範を示す以上、いつでも、最高の手本を見せなければならない。いつ多人数戦の模擬を行うことができるか、分からない。タイミングが来たら、どのような状況であっても、ベストの状態で多人数戦の模範を示す必要がある。

それを実現させるためにはどうしたらいいのか。先ず第一に、いつでも動くことができるよう、毎日練習することである。そして、体重をふやさないなどの身体管理をすることである。そして究極的に、どのような状況であっても、敵の急襲に際し、敵の力の反対側へ移動し、距離を創出することができるように、基礎練習を繰り返すことである。

多くの方が、自分がいきなり人に襲わせて、すぐにトップスピードで動くことができることに驚く。準備体操なんていらない。練習は、その日の未明には終わらせているので、自信がある。これは大きい。そしてやはり、身体もすぐに動く。

この私の教えに、最も忠実に取り組んだのが、弊館一番弟子である。その準備が危機を引き寄せてしまうのだろうか?彼女は何度も、時に命に関わるような実戦経験をしている。

そこまでいかなくても、戦い慣れからくる落ち着きと凄みで、不審者を追っ払ったこともある。

一番弟子の練習技は、いつも「普段着」だった

もっとも印象的だった話をしよう。

私と一番弟子が、海岸で少し離れて座り、目を空けた瞑想をしていた時。一番弟子のすぐ隣に、30代後半くらいの、割と大柄な、髪の茶色の男性が突然座った。

なんだかいい感じだね、何してるの?と。男性。ナンパである。

そうすると、一番弟子は、その男性を注意しようとした私を手で無言で制止し、カバンから警棒を取り出して、思い切り伸ばす。そして男性にむけて警棒の刃部を向け、突き出し、しばらく無言を貫く。

男性は、ぬおっ、と言った後は何も話せずに、とまどったような顔を見せる。

そこで私が、男性の横で、同じように警棒を振り出し、棒を下に垂らし,自然体で、何も言わずに見つめる。男性の顔が険しくなってきたからだ。片や一番弟子の表情も、すごい形相になっていた。

そこで一番弟子が沈黙を破り、

「はよう、どっか行けよ」

と一言放つ。そうすると男性が、「はぁ?」と不満そうに言い返す。

一番弟子は、自身のいつものスタイルで身体を入れて構え、見すえ始める。完全に目が座った状態で、細目で睨む。来たら打つぞ、の意思表示である。

その姿勢をみて、男性はついに一番弟子から離れる。凄みと構えだけで、追っ払ったのである。

この対応が満点とは言わない。戦いを誘発する危険もある対応である。しかし、大柄でかつ、突然間合いを詰めて横に座るような男性に、冷静さと、日頃のスタイルで対抗することを貫いた一番弟子は見事に映った。

彼女は常に、実戦を意識している。高校時代は、常に学生服で練習をしていた。襲われることがあるなら、きっとこの格好の時だろうからと言っていた。実際に、不審者に言い寄られ、転掌の推掌転掌式で打って離脱回避したときは、学生服だった。

実戦経験とは、突然来るものだ。一番弟子や私のように準備を常にしていても、満点には届かない。常に襲われる危機感をもって、練習するしかない。何度も経験できないのなら、練習会でとにかく襲撃してもらうことだ。

本当の実戦でなくても、その動きを体験することで、私の話す「ここはこうするように」の意味が分かる。私がヒントを与え、あなたが自分自身の体験で、術理を悟るのだ。

私は、これからも、訪れる有志に、ヒントを与え続ける機会を設ける。参加してほしい。そこで経験をし、何かを掴んで欲しい。

本当の瞑想をおしえてあげる。愛した瞑想は、描くこと。

瞑想をやっている。私は、ずっと四六時中、拳法をしているわけじゃあないわよ。もう、拳法は長くし続け過ぎた。もちろんこれからもするわよ、でも、描く比重を高める。それこそが瞑想、だから。

今日は、とっておきの瞑想法を教えてあげるわ。

それは、好きなことをひたすらすること。これも、館長に習ったのよ。瞑想の動画を見ると、皆目をつぶって、胡坐のような姿勢で座って、頭を空っぽにするように・・・とか、色々言ってる。一つの型になっている。それはつまらないからやらない。

私は、二つね。ひたすら、目の前の景色を描くこと。海に行くことが多いから、海の絵が多い。富山湾、三河湾、伊良湖岬、佐多岬・・・とにかく描くことだった。聖地・氷見は、どこの海岸からも一通り描いたくらいよ。

海辺で、館長と座って、ぼーっと海を見ていることもある。それも○○の瞑想か?と館長は言うが、そうよ、あなたが、私が小さい頃から、私を海に連れて行ってボーっと眺めていたのが、心地いいからしているのよ、この瞑想を。

最近の動画は、成功者の話を持ち出して、禅だ、マインドフルネスだ、そんなこと言っている。富だ利益だ一切は関係ない、お金は後から必ずついてくる。といっておきながら、その動画を見ている連中は、目が¥に変わっているような連中ばかりだ。

すぐに叶います、これを知れば人生激変します、そんな言葉にコロッとだまされ、動画を見るだけでいっつも終わっている連中ばかりだわ。お金は必ず後からついてくる?どんな価値のあるものを提供しても、それに見合った対価を得ないままこの世を去った多く天才がいる事実を無視した、耳当たりのいいだけの言葉ね。禅の先師や、ワッツは、悩み抜いた末にその境地に達したのに、動画で見ているだけの連中に、耳当たりのいい現実は来ない。少なくとも、すぐに結果はついて来ない。少なくとも、動画を見て、満足してるだけの連中は、この果てしないタイムラグに決して耐えられない。

もし価値あるものを提供して成功するならば、館長はとっくに世界道場の総裁になっているわね。禅の思想を知り、それを少しばかり実践したくらいで、すぐに人生が好転するなら、なぜあれほど多くの成功者が、散々苦しい目にあっているのか。

館長だって、私たちの手助けを拒否し、外で体を洗い、外で散髪をし、固い車の中の自作ベットで寝ているのよ。少しのお金を出し惜しむプロに対する礼を失したタ〇連中の気まぐれにもめげず、ひたすら刀を振っている。これこそが真の瞑想。どれだけ苦しくても、自分が価値を見いだしたものを無心に繰り返す。

静の瞑想は、とっても難しい。頭に色々浮かびすぎて、今「在る」状態になることができない。何もしないで座っていることが好きな人はいい。私はダメ。つまらない。好きなことをしたい。絵を描きたい。海でボーっとしたい。延べざおを広げ、釣れないなぁと言いあいながら、ぼーっとしていたい。その時無心になる。瞑想になるのよ。座ってなきゃいけないなんて、だれが決めた?ク〇自己啓発系動画の見過ぎなのよ、だから凡人のままなんだ。

呼んでいてわかる通り私の瞑想の師も、館長なんだ。インドだ、禅だ、老荘だ、といろいろ読んだが、この人がいつ何時も練習場所に立ち続け繰り返す、究極の瞑想を見て、私は何かを悟った。それは言い表せない。無理に言うならば、「それでいいじゃないか」ということ。

私の瞑想の師は、ヨガのヨギではない。道教の導師でもない。キリスト教の司祭でもない。どんな状況になっても、信じたものをし続ける、この人だった。本当に好きなものを、とにかくし続けること。家を失っても、し続けること。

 

9/13(土)福井 9/14(日)金沢 9/20(土)富山 「身の周りの物で戦うための転掌刀術基礎講習会」

9月13日(土)、福井県福井運動公園にて、『身の周りの物で戦うための転掌刀術基礎講習会In福井』を開催します。時間は、17時30分~20時となります。

翌日の9月14日(日)、金沢大和町広場にて、『身の周りの物で戦うための転掌刀術基礎講習会In金沢』を開催します。時間は、18時~20時30分となります。

次の週の9月20日(土)、八卦掌水式館の石川定例練習場となっている、富山市稲荷広場にて、『身の周りの物で戦うための転掌刀術基礎講習会In富山』を開催します。時間は、10時~12時30分となります。

今回は、他の護身術教室もよく話題にする、『身の周りにある物』を使った本当の身の守り方を指導します。

日本剣術でもない、短兵器でもない、そこらに転がっている棒の操り方、短棒の操り方などをメインに、指導します。

あなたは、服を使って身を守ることを想像できますか。今回の講習会は、「服ですら武器とすることができる」と想像できるまでの経験をしてもらいます。転掌は、日本刀や中国柳葉刀などの攻撃力の高い武器を持つことが許されなかった雑役兼務護衛官らの護衛武術です。よって、「身の周りの物」に、棒はもちろん、服・布なども入っていたのです。

身の周りの物を武器化するためのキーワードは「刀裏背走理(とうりはいそうり)」です。自分の背中の後ろで引っ張りながら、「引き斬り」「去り斬り」を行うことによって、物に攻撃性(威力)を与え、それをもって自分の身を守りるのです。

◆参加費:3,300円
※当日、お釣りの無い形で、時間開始前に、現金でお支払いください。後日払いには応じていませんのでご了承ください。

◆参加資格者:15歳以上の男女

◆指導:八卦掌水式館 館長 水野義人(転掌8世掌継人・転掌式八卦掌6世承継人・転掌八卦門初代・八卦掌第6世・梁派八卦掌第5世)

◆応募締切日:13日福井講習会・14日金沢講習会 9月11日(木曜日)
:20日富山講習会         9月18日(木曜日)
※必ず事前に連絡してください。飛び入り参加は例外なくお断りしています。

当講習会の申込みは、こちら のフォームより行ってください。

成立過程を伝え続けるのは「開祖が言っていたから」をさける為

私は後代にも、伝えた技の存在理由を知っていてもらいたい。

私が弟子らに、転掌の成立過程を何度も何度も伝えるのはそのためだ。術理・技の成立の要因・歴史は、本当に重要なのである。

その修行者が、技や術理の意味を分からなくなった時、発生の要因・キッカケ・歴史は、その壁を打ち壊す手助けをする

私の元で習った修行者は、皆誰もが、後代にその技の発生原因などを絡めて指導ができる状態になっていることを、願っているのである。

創始者に習った者が深い境地に達するのは、創始者から、技・術理が在る理由を、飾りない言葉で、何度も何度も聞くことができるからだ。

偉大な指導者から始まった門派では、代を重ねると、その権威性だけが残り、拳法本来のシンプルな必要性・原因の点が忘れ去られ、個人崇拝だけの上っ面な伝承となる。

「先生、なぜこの技は、ここで打つのですか?」

「それは、我が門で代々、そのように伝えられてきたからだ」

権威によりかかり、その方が楽だと思うほとんど多くの凡人は、それで納得するだろう。しかし、物事の本質を追い求める、本当に少しの人間には、その答えは、深刻な心の離反を産むのだ。私は、そのような言葉を、何度も聞いたことがあった。そしてその都度、言いようのない息苦しさと物足りなさを感じたのだ。

単換掌では、最後に去り打ちをする。その理由を弟子が尋ねたとする。

なぜ去りながら打つのですか?

その敵のそばにとどまらないためだ。

なぜとどまらないのがいいのですか?

敵の攻撃をもらってしまうからだ。

しかしこれでは自分の攻撃は当たりません

あたらなくてもいい、自分がうたれなければいい。

当たらなければ、倒すことができません

倒す必要なんてない、自分が生き残り続けて、時間稼ぎをすればいいのだ

時間稼ぎですか?戦いで時間稼ぎですか?私たちは、何を期待して待つのですか?

時間稼ぎすれば、その時間分、護衛ができる。異変に気付いた仲間が救援に来る。すぐにやられてしまったら、それもかなわない。

襲撃者は、武器をもっていませんか?転掌は、素手で相手に対抗するのですか?あっという間に倒されてしまいます。私たちに、武器はありません

いい質問だ、双換掌をやってみるがいい。試しに、その服を脱いで、双換掌をやってみるがいい。服を追随させよ、複が防具になる。なぜこのようなことができる型であるかわかるか?

わかりません。

転掌は、素手で侍る身分の低い官吏用の武術だからだ。身分の低い雑事用の官吏は、武官のように武器を持つことが許されない。しかし、武器を持たないでもおとりとなって護衛ができるからこそ、転掌は発展したのだ。

どういうことですか。

武器を持たなくてもおとり護衛ができるなら、宦官や宮女に護衛の任を負わせればよく、武器を持った男性武官を警護用として後宮内に配置する必要もなくなる。清朝王族は、後宮内に、武器を持った屈強な男性武官を入れることを、心の底では警戒していたのだ。たった一人の謀反の意を持った男性武官が、後宮内の人間を全滅しかねないからだ。転掌創始者は、転掌を後宮内武術として紹介する際、武器を持たせなくてもいい点を強調した。それは後宮内武術として採用されるための重要要素だと分かっていたから。そして、転掌が武器を常時携帯できない立場の人間でも護衛力を得られるように、特に双換掌に、身の回りのモノで戦うための武器操法の理念を組み込んだのだ。その目論見は当たった。王族に転掌の技術体系は受け入れられた。

ひどく計算的な話ですね。

そうだ、転掌が後宮内武術として採用されたのは偶然でも何でもない。ある人間の考え抜いた計算と思惑がそれを実現させたのだ。創始者が練習しているシーンを、たまたま王族が見ていて、見染められた、は作り話だ。明確な計算と、意図を持ったアピールにより、転掌は後宮内の護衛武術として採用されたのだ。

なぜそこまで、採用されることにこだわったのですか?

創始者が、未来の無い最下層身分の宦官であったから。彼は明確に、転掌をネタに自身の出世を狙った。転掌が後宮内武術として採用されれば、自身もその指導者として、身分が上がる。後宮内武術となれば、転掌は世に知られ、内外から門下生が集まる。その目論見が、すべて当たったのだ。皮肉にも、発展がその技術体系を変えてしまうこととなったが。

・・・・・代継門人以上の弟子であれば、八卦掌で言い伝えられている成立過程を信じている者はいない。私が常々、この成立過程を伝えているからだ。この成立過程を知っていれば、転掌がなぜ独自の技術体系を持っているのかが分かるのだ。

近代八卦掌と転掌式八卦掌において、最も違う点は、攻撃に固執するかしないか、だ。この違いは、「敵の力に抗する」か「敵の力に抗しないか」を分ける。敵の力に抗しないからこそ、弱者が初めて、短期で、弱者のままで、使うことができるようになる。

成立過程を紐解くだけで、これだけのことが、明確な理由をもって説明できるのである。ココで個人崇拝の要素が入り込むと、「再興祖・水野先師が言っていたから」となり、根本的な理由が説明されなくなる。

理由が薄らぐと、弱者使用前提の技術体系ですら、取って代わられるようになる。近代八卦掌になったように。この発展は、間違いではなかった。男性強者の修行者が増えれば、その変化は必然であろう。しかし、転掌技術体系が、失伝状態となっているのは、行き過ぎである。

私の後に続く者は、是非とも、各技、各術理の背景にある、理由・発生要因を知り、それを正確に後代に伝えて欲しいのだ。そうすることで、代を重ねても、転掌は「使える武術」として在り続けることができるのだ。

八卦掌水式門富山本科イメージ