女性護身術科は、囮護衛武術の一定時間生存技法を伝承する

2024年10月5日(土)、愛知本部愛知教室に続き、北陸本部においても、富山教室として、女性護身術科を開催します。

本日は、八卦掌第7世の一人、修行を一通り終えた者の一人として、女性護身術科について触れたいと思います。

※弊門では、女性護身術科に関する一切の名称をすべて仮称とし、術科生の写真・動画も例外なく掲載せず、個人を特定できないイラストとします。インターネット上に画像・名称が流出することを、大きな危険と捉えているからです。ご了承ください。

富山において女性護身術科に対する需要があるか否かは、正直、開催してみないと分かりません。近代八卦全盛の時代です。それ以外は、亜流などと揶揄されるのを肌で感じてきました。

よって、水式門では、10月5日(土)・11月2日(土)・11月30日(土)において、試験的な意味もこめて女性護身術科を開催していきます。

女性護身術科について、一人でも有志が駆け付けるならば、弊門代表・水野は、転掌式八卦掌の清末囮護衛の技術をお伝えします。師は昔より、利で動く人ではありません。私は指導を受けることで、それを強く感じてきました。

そして、今から以下で触れますが、弊門女性護身術科では、指導者が現在の格闘技に合わせた「護身術化のカスタマイズ」はしていません。

代表・水野が、清朝末期護衛武術であった転掌式八卦掌を、伝えられたままに、伝承する場です。よって女性護身術科は、護身教室ではなく、れっきとした中国拳法伝統門教場となります。ご理解ください。私自身も、小さい頃からずっと、そのように言われて習ってきたものです。

女性護身術科詳細

題名でも触れましたが、転掌式八卦掌は、護身術ではなく、清朝末期の宦官(かんがん)が使用した護衛術となります。

宦官とは、清朝後宮内で王族や王族寵姫らの身の回りの世話をするために、後宮内にとどまることを許された男性官吏です。血統に疑義を生じさせる一大事を避けるため、彼らはすべて、去勢されていました。術後の処理が不完全な時代です。身体はホルモンバランスが崩れ、排泄機能の低下も相まって、身体が貧弱となる傾向にあったのです。去勢手術による感染症等で、命を落とす者もいたほどです。

彼らは、通常の、武術を修めた男性に比べると明らかに身体的資源不利者(以下「弱者」と呼ぶ)でありました。

創始者が宦官であり、かつ彼が宮中内拳法として採用されることをもくろんで創始した武術であるため、強者の力とぶつからない、弱者使用前提の、徹底した移動遊撃戦の武術となりました。

弊門女性護身術科では、伝承の内容を「護身術化」するなどのカスタマイズ指導はしません。すでに弱者使用前提の武術として成立したものであるため、カスタマイズする必要が無いのです。清朝末期当時の、囮護衛の技術をそのままに伝えることができるのです。

通常の護衛術と違う点は、直接倒すことを主としないことです。攻防は、自分の身体を後ろに下げ、常に我の身体(肩)を入れながら、我に伸びてくる敵の攻撃手を、後ろに下がって外(もしくば内)に払いながら、いなして防いでいきます。

いなし防ぐ過程で、敵の横を通り過ぎる「機会」に、スッと手を出し、頸部急所を打ち抜きます。ここで注意してもらいたいのは、「機会」という言葉です。

積極的に自分から近づいて攻撃するのではありません。移動遊撃戦の過程の中で、転身や揺身行動の中で敵の近くを通る際、間合いがあった時にのみ、手を出すのです。これは、何度も者を打つ練習をしたり、師自身に襲ってもらう中でつかむ感覚です。

移動遊撃戦の渦中では、敵が多人数である場合も想定されるので、振り向き様に敵が現れる状況も八卦掌は想定しています。そこで移動しながらの電撃攻撃を加え、敵を殺傷します。

繰り返しますが、転掌式八卦掌は、護衛術であるため、斜め後方スライドによる対敵行動ばかりをしていると、敵に「攻撃の意図はない」と見抜かれ、敵はその攻撃を、襲うべき要人に向けることになります。これでは、護衛術が求められていた宮中内では、御用武術として採用されませんね。

よって、私たちは後方スライドしてかわしながら、振り向き様に、その場にいる敵に対し、威力のある攻撃をする必要があるのです。そうすることで、敵は要人を安心して攻撃することができなくなるのです。

「(この邪魔な宦官を)片付けてから襲おう」と考え、要人が襲われるまでの時間を引き延ばすことにつながるのです。

この「片付けてから襲おう」の段階で、鍛えぬいた移動遊撃戦を展開し、出来る限りの長き時間自分に攻撃の目を向けさせるのです。ここで囮になるのです。この囮としての護衛行動が時間稼ぎとなり、味方の救援まで持ちこたえ、王族を守ります。

しかしこの護衛法では、(相手が有利である点からも)衛者は命を落とすことも考えられます。しかし当時の、満州民族支配社会の中では、落命も名誉につながったです。

女性は、将来誰か(我が子や家族など)を愛しいつくしむ立場になりやすく、かつ、男性よりも相対的に、強者の暴力にさらされやすい立場にあります。

水式門における女性護身術科では、この「移動遊撃戦」をしっかりと伝承させていきます。私は女性の中では割と身体が大きい方でしたが、高校にあがるにつれ、男性と女性の体格差・筋力差を実感し、一層、転掌技法・術理の合理性を知ったものです。

もしあなたが、護身というものを真剣に考えるならば、映画やアニメのフィクションにとらわれず、現実的目線で進路を決してください。北陸の女性有志は、2024年10月5日(土)に、ふるってご参加くださいませ。

女性護身術科詳細

八卦掌水式門富山本科イメージ

教室にとどまらないため「単招式」をやるんだよ

八卦掌水式門の『最低限の時間で仕上げる八卦掌原型「転掌」式弱者専用護身術』では、単招式をとりあげてない。時間がない、そして、当面重要でない、からである。

しかし、いじめ護身部|辛いいじめと戦う護衛武術「八卦掌」護身術では、そうはいかない。必要だから、そこに単招式の指導が加わる。専用の動画まで、作成した。

なぜ必要なのか、それは、狭い教室から抜け出すため。その狭い、誰も助けてくれない、君にとって不利な場所から、その身を離脱させるために、単招式が必要なのである。

ある一つの戦いにおいて、指導している4つの単招式すべてを使う必要があるわけではない。しかし4つとも知っておくと、前方向に現れ、君が自由な地に移動する際に邪魔をする敵を、いかようにもやりすごすことができる。

電撃的におそって、ひるんだすきに、離脱する。実際の戦争・戦いにおいては、「血路をひらく」ともいう。

古来の戦争では、取り囲まれた部隊が、敵の一面に強襲を敢行し、その部分の敵を倒して包囲網に穴をあけ、そこから敵包囲網外へ突破移動することが行われた。

もちろん、いじめの戦いでは、取り囲んだ同級生の命をおびやかすことなど、あってはならないことだ。

しかし君が教室にとどまっていては、狭い空間、ともすれば敵の頭数が増える可能性もあるため不利なのだ。順勢掌の術理である「前敵スライド回避攻撃」を行って、敵を振り切りつつ、攻撃、そして足が止まった瞬間に、距離を拓き、囲みを突破する。

そこには、広い世界が広がっている。味方・助っ人などはいないが、君が練習してきた技術を、いかんなく発揮することができる広い空間が待っているのだ。

先生に怒られたらどうしよう →→ 先生に怒られることのすべてが、正しいわけではない。君は、自分自身に危害が及ぶのをさけるために、やむを得ず電撃突破をしたのだ。合理的な理由がある。

失敗して突破できなかったらどうしよう → 何度も突破を試みよう。狭い空間だ。自由移動がしにくい、その狭い場に居続けたならば、君は高い確率で捕まってしまうことになる。

思いだして欲しい。君の戦いでは、全員を倒す必要なんてない。戦いの流れはこうだ。

理不尽な要求がやってきたら、とにもかくにも、拒否する。嫌だね、お断りする、そんなことはしたくないね、と。

暴力をちらつかせたり、何ら行ってくるかもしれない。しかしすべて無視でよい。いじめに正当性など、一切ないからだ。何を言われても、全く気にすることはない。とにかく、先制攻撃に気を付けよ。距離を無意識に保つのだ。

敵の攻撃。すぐに斜め後方スライドせよ。戦局を見る。その場が広い空間ならば、引き続き移動遊撃戦で攻防し、引き釣りまわすこと。それだけで、君のすごさと、いじめ連中のふがいなさを見せつけることができる。

頃合いをみて、突然一人のてきに猛然突撃せよ。ひるんでも構わず、連続攻撃で集団の外へと移動せよ。そして離脱行動を開始する。戦いの場となった教室を後方へ置き去り、先生も無視すること。

校外へと離脱せよ、ここまで離れるから「離脱」である。当時の連中は、ここまで離脱することをもって「脱走癖」と呼んだ。何を言ってる?助けもしない連中のたわごとである。

古来より、戦いの終盤において、弱者が頃合いをみて戦線離脱することで身を守るのは、正当な手段であった。敵はそれゆえ、思惑を失敗するのである。因縁の都度拒否し、そして手を出して来たら、かわし続け、電撃攻撃し、ひるんだら離脱せよ。

その先に、取り返す君の時間が待っている。

八卦掌水式門富山本科イメージ

どうしようもなく辛いことがあった時は・・練習した

何度やってもうまくいかないときは。どうした?

とにかく練習した。

花火大会の最中に、普通に一人で歩いている時、警察官に職務質問され、公衆の面前で身体検査され、指紋をとられ、不良少年たちに指をさされながら、「おまわりさん!その悪い奴を捕まえて!」と言われた時は、どうした?

とにかく練習した。

伝染病がはやり、今まで培ってきた生徒が、一気に去って振り出しに戻った時は。どうした?

とにかく練習した。

流派の後押しを奪われ、問い合わせが一気に減り、途方に暮れた時は。どうした?

とにかく練習をした。

場所を借りて講習会を開いたが、誰も来なくてお金だけ無くなった時は、どうした?

とにかく、練習をした。

お金がなくて、家賃を払うことができなくなり、拠点を、選択肢のない中で失った場合は、どうした?

とにかく、練習をした。

疲労がたまったのか、倒れて病院に運ばれたばあいは、どうした?

とにかく、練習をした。

学年で上位をとりつづけても、通知表の数字があまりに低く、文句を言ったら「お前の胸に聞いてみろ」と笑いながら言われた時は、どうした?

とにかく、練習をした。

これらの、うまくいかなくてもいい「どうでもいい」時でも、練習したのだ

では、どうしようもなく、辛い時は、どうした?

やはり、とにかく、練習をした。

どんなことがあっても、練習をした。子に頭をひっぱたかれても、それがあなたが達人になった唯一の理由だから、それがあなたが、他の人と違う、最大の武器だから、と言ってくれたから、練習をしてきた。

なにかあった時、練習できるか?ではなく、いかにして普段どおり練習をするか?をまず、考え、そしてすぐ実行する。

やりはじめにどれだけ辛くても、やり始めてしまえば、ほぼ使命を果たすことができる。

私は達人である。

達人は、練習を苦にしない。嫌なものととらえない。師の教室に行くときは、いつも希望をもって臨んでいたから、とにかく参加したかった。

「今日は○○だから練習はいいや」は、いつか「やったりやらなかったり」となり、その後、達人となくなる

私は、もう、何十年、練習をし続けたか、わからない。学生の時であろう、きっと、休んでしまったのは。覚えているはずが無い。

これからも、きょうも、いまから、練習をしにいく。

達人になるのは、これが最も重要だ。とにかく、練習すること、だ。流派とか、有名先生の指導とか、一切関係ない。君次第だ。例外はない。私は、休まないでずっとずっと積み重ねてきたから、自然と術理を極めた達人となったのだ。まだ先があるが、でも、あの日思い描いたもっと先まで、到達したのだ。

きみもなることができる。とんでもない境地に来るだろう。

辛い時は、せめて、未来を楽しみにするといい。正しいやり方?そんなもの、人が教えられるはずもない。そいつは、そういって、金を儲けたいだけだ。正しいやり方は、君が練習をし抜いた果てにだけ、気づくことができるものだ。安心してほしい、もっとも効果的なやり方は、君はずっとやり続けた先にのみ、待っている。

一緒に練習しようか、私も、今日はとっても気持ちが落ち込んだ。

一人を実感した。最も逢いたい人に、やっぱりこれからもずっと逢えないことを痛感した。花火に行って、人が笑いあう中で、それを悟った。横に居た人が、もういないことを悟って。

最も辛い時だ。さて・・・・とにかく、練習しにいこうか!

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必ず前に進む盆~城端トンネルを抜け、砺波平野に行くために

「帰ってきました、ただいま」

東海北陸自動車道の城端トンネルを抜けると、長かった一車線の区間が終り2車線となり、進行方向右手に、砺波平野が見えてくる。

スケールの大きい扇状地に沿った高速道路を下っていくときの達成感と、安心感は格別である。

そして冒頭の言葉をいつも言う。一人の時も、子らといる時も。

今年の盆休みは、富山に帰ることができない。仕事の都合、金銭面の都合だ。しかし今すぐにでも、富山に行き、大切な人に逢いに行きたい。

しかし、いま帰っても、自分の望む未来には近づくことができない。ここは、ぐっとこらえて、盆の時間を前に進むために使う。

鬼籍に入った人たちが「帰ってくる」と言われる盆。

昔は、そのことについて、特別な思いが湧かなかった。でも、今は、居ても立っても居られない心境になってしまった。

今年もとっても後悔した。お金がない?時間がない?そんなこと、どうでもいいじゃないか、帰ればよかったじゃないか、とずっと考えていた。

8月頭の富山行き。その時、本当にゆっくりとした。筆頭弟子や一番弟子と語り合い、想いを馳せ、釣りをしながら亡き大切な人のことを考えて、能越道高岡インターに入るまで、ずっとしのんでいたのだが。

盆休みはいけない。ちょっとした買い物でも、どこにいっても、父親と母親、その間で笑う子供たちの姿を見る。あまりのまぶしさに、ぼうぜんとしてしまう。

自分がいつも考えていることは、もうこの世に姿を残してない人のことばっかりだ。どれだけ何かが起ころうと、触れたり、話したりできない人のことだ。

夢にも出てこない。そばにいるんだ、と思うことができるようなサインも一度もない。生前「これがそばにいるサイン」というものを、決めてなかった。決める心の余裕なんて私にはなかった。心にいる。心にいるんだけど、姿が見えない。話したい。できることなら、逢ってみたい。

2年以上の時が流れても、何も変わっていない。むしろ、時が過ぎていくことに、焦ってしまう。昔のこと、なんて、絶対に思うものか。

とにかく、忘れたくない。どんなことがあっても忘れない。そう思って、一緒に見た未来を、今も追っている。

でも、一人はやはり大変だ。前に進む、必ず進むと決意しても、これまでと同じように、積み重ねていくしかない。圧倒的に多くの時間を、一人で戦わないといけない。

しかし孤独だからといって、子を、必要以上に巻き込むことはできない。それぞれの道がある。20歳以上も上の人間の、夢に付き合わせるわけにいかないのだ

こんなことを、これからも毎年思うことになるのは、とっても大変だと少し前まで思っていた。

家族連れを見るたび、心に負担がかかり落ち込んでいた。そんな中、最近、ふと思い出したことがあった。

「優しいフリでもして、偽善者にでもなって、幸せを願ってみるのよ、時に泣けるくらい、救われるから」

別れが来ることなど考えてなかったときの、ほんの冗談だったのだろうが、それを最近、何の脈絡もなく、ふといだしたのだ。

その冗談を実行してみた

家族連れや、恋人たち、友達と集い笑いあう人たち、BBQで盛り上がっている人たちに、こっそりと

「いつまでも幸せに」

「別れもなく、そのままずっと一緒でいられますように」

「最高の笑顔だね」

「盛り上がってるね、今年の夏は熱くなりそうだね」

なんて、独り言で呟いてみる。思ったままに。

そうすると、一時だけど、どんな本やサイトに書いてあるピンチ克服法よりも、心が救われた。あの人は、この効果を知っていたのだろうか?

正直、今年の夏はかなり厳しかった。やることなすこと、すべて失敗になり、安い拠点すら、維持できず愛知の定住先を失い、後継のメドなどまったくたちもせず、八方ふさがりだった。愛知では何もうまくいかず、見限っていた。

その状況を救ってくれた言葉だった。もう愛知にも、刈谷にも、こだわらない。本当に必要とする人のもとに行けばいい、と思った。

どん底の気分の中でふと脈絡もなく、自分を救う、あの人のこの言葉を思いだしたのは、人知を超えた存在のサインだったのかもしれない。そうならば、どれだけ嬉しいことか。

今年の夏は、偽善者になって、幸せでも願ってみる・・・・か。サインであると、信じてみるのも、いい。

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「護衛武術として伝えていく」と報告をする富山旅へ出発

八卦掌水式門の八卦掌は、護衛武術である。

八卦掌修行者で、そう言い切る人は少ない。しかし私は、初めての八卦掌の師から、八卦掌は「護衛拳法」だと教えてもらった。そして、これからも、今度は師として、必ず弟子に「八卦掌は護衛拳法である」と宣言していく。

その方針を、氷見にて報告する。節目節目で氷見に帰って報告するのは、これからずっとである。誰よりも理解し、誰よりも描いた目的を望んだ人、そしてその目的を実現するための旅に旅立つことを楽しみにしていた人への報告は当然である。

この方針は極めて重要だ。なぜなら、師として、伝える武術の最終目的を明確に示すのは、師の最も重要な使命であるから。そして、中学生の私は、その言葉を聞いて、心が激しく震えたのをハッキリと覚えているから。「護身術」に需要があるから、護身術の方が、人のとっかかりがいいからといって、水式門の八卦掌を、「護身術」化したくない。あくまで「護衛術」だから。

心が激しく震えたのは、私が拳法を始めた理由が、人を守るためだったため。ケンカに強くなりたい、とか、武術やカンフーが好き、とかではなかった。とにかく、人を守るくらいの力をつけたかった。間に合わなかったが。

そのように、私は護身術として練習したことなどない。常に「護衛術」として練習してきた。だからいまだに、斜め後方スライド撤退戦対敵身法(単換掌術理)と同じくらい、前敵スライド回避攻撃対敵身法(順勢掌術理)も練習するのだ。

八卦掌水式門は、以後、護衛武術として指導していく。師よりそのことを託され、示された技術を体得し、自由に身体を動かすことができるようになった。しかし、まだ先がある。満足なんてしていない。董海川先生が創出した「転掌」を現代に再興し、それを広め、その仕事をしつつ、転掌式八卦掌を極めていきたい。

私ももう、50を越えた。私は師として、弟子に模範で在り続けたい。しかし、加齢は人間の宿命であるため、これから先、模範で在り続ける期間は無限ではないのだ。

明日から富山である。八卦掌水式門発祥の地、氷見にて、もう一度、護衛武術を再興させる決意をする。私についてきてくれる一番弟子とともに。

くしくも、明日は氷見で花火があがる。一年で、最も氷見がにぎわう日である。

今日も暑い中、すべきことをした。己に課した使命をこなした。

明日もまた、堂々と、富山入りをし、練習をし、教え、釣り糸をたらし、花火を見、大切な宝を守る。そして報告する。

今年の盆休みの前半は、きっと愛知である。本当は、ずっと氷見にいて、「帰ってくる」期間中、そばにいたい。まだ実感が湧かない。実体がなくなったことも、もう実体に二度と逢うことができないことも。

まだ3回目の盆だから、実感が湧かないのかもしれない。

日本映画には、死んだ人がよみがえる映画が結構ある。「黄泉がえり」や「今、会いにいきます」「異人たちとの夏」などだ。私は、死んだ人を見た事や、感じたことすらない。だから、そのような世界がリアルにあることを考えたこともない。きっとこれからも考えることはない。

しかし、大切な人を失って、その悲しみや空虚感から抜け出すためにも、ある種の「体験」は、意味のあることかもしれない。東日本大震災でも、多くの遺族の「体験」が語られていた。世の中には、そのような「体験」を意味あるものとして導く人もいるのだし。

実体に逢えなくても、今でもそばにいると思っている。最期が近づく中、いつでもそばにいると約束してた。約束は破らない人だった。だからきっと、そばにいるという気もちのままで、旅立った。

だから、私は今、どんな怖いことがあっても大丈夫。例えどれだけ寒い暗い時間の練習でも、誰もいない野生動物だらけの夏の公園の暗闇でも、あの人も、振るのを見ていた、そして今も変わらず持っている、あの時からずっと毎日練習でも使っている樫のシャッターフック棒さえあれば、一人でどんな闇に入っていける。

これほど心強い道具があるだろうか。そしていつも、危険を感じた時には、私の手元にあった。イノシシの時も、野犬の時も、ピエロの時も。私にとっては、ジェダイのライトセーバーに匹敵するもの。だから今日も、今までも、そして明日も、練習し続ける。持ち続ける。決して離さない。

あの人も知っている、この棒。操る自分を、すごいと言ってたあの時の笑顔の顔。

何が一番心強いって、すごいすごい、と言ってくれて、「それさえあれば式人が追っ払ってくれる」と安心してくれていたから、あの人の気持ちが宿っているようだから、安心しているんだろうなぁ。つまり、自分の心にも、樫棒にも、居続けてくれるんだ。なんとも言えない安心感。気持ちがこもった伝説の武具みたいなもの。

真っ暗闇でも、恫喝されても、きっと切り抜ける、自分は大丈夫だ、って、勇気が湧いてくるんだ。燃え上がるような、全身の毛が逆立つような激しい勇気が、恐怖の感情とともに。絶対にここから先に行かせない、倒してみろ、自分を倒すのは、とっても難しいぞ!かかってこい!って、熱く燃える衛者の情熱が湧いてくる。

あの人の実体がなくなっても、いつもそばに居るから、だれかにとって大切な人を守りたくて、今でも守るために、練習ができています。そんなこと、いまでも本気で考えて練習していますよ。いつも心に居てくれてありがとう。今から、そちらに行きます。あなたの宝と一緒に、会いにいきます。

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清末転掌式八卦掌が掲げる「護身術」の鉄則とは

護身術にロマンはいらない。これは常々、言っていることである。

敵を一撃のもとに倒す。敵を一瞬の動きで、倒す。敵を強大は発勁にて倒す。〇〇拳、〇〇先生伝、〇〇派・・・我が門派こそが正統派だ・・・・

ロマンに走ると、これらの、実際の戦闘で使うことも役立ちもしないことばかりに気が向く。現在の修行者は、本や動画で紹介されただけで、その内容を見もしないで、編集された「魅せる」ための動きで、すぐさま「強い」「実戦的だ」とし、人気店に行列をなす群れのごとく群れる。

自分も含め、真に実戦を想定して動く動きは、何とも簡素で、味気もなく、不格好である。『魅せるのも技術』というが、実際の戦いに「魅せる」時間などない。相手はそんなもの見ていない。だったら、「魅せる」のは不要である。不要なもののために自分の練習時間を使いたくない。無意味である。

私は、どんな状況でも弱者が護身を果たす技術を、もっともっと洗練させたいのだ。魅せて勝つ、は私の目指す世界と全く逆の方向性である。

八卦掌水式門が、昔日転掌のエッセンスを公開しても何の反応もないのは、多くの愛好家が、強くなりたいのか、華麗に戦いたいのか、ただ趣味でやっているから自己満足したいのか、気づいてもないからである。

有名門派に所属せず、一匹狼の私は、武術におけるエリート街道を歩んでいない。武術に関わる人間・愛子家らから、全く遠慮もされず、畏怖ももたれないため、何度もしょうもないトラブルに見舞われた。遠慮のない実戦を経験した。

野生動物は、圧倒的フィジカルで我を襲い、やんちゃな兄ちゃんたちは、警察官でない自分を侮り、幾度も一触即発の場面を味わわせてくれた。

まるで、江戸時代に、町奉行や火付け盗賊改役の下で働く、捕り方のような戦いである。その底辺の戦いの中で、清末転掌式八卦掌が諭す、実戦における生存の鉄則が理解できた。

それは以下の6つである。

  • (1)まず一番最初に「敵と向き合って構え・・」というテレビの格闘技試合や映画で植え付けられた対敵の常識を捨て去れ。
  • (2)とにかく距離を保て。距離を保つことは、対多人数・対強者・対武器における護身の絶対的基本である。
  • (3)防御はもちろん、攻撃すらも「斜め後方スライド」しながら行う「けん制撤退戦」を貫け。当てなくていい。当たらなければいい。
  • (4)「移動遊撃戦」で敵を引き回し、敵の足が止まったらキロメートル単位で離脱せよ。そのための持久力をとにかく養え。
  • (5)脚は常に移動防御・移動攻撃で使うため、蹴り技を使う暇はない。よって練習する必要もない。
  • (6)刀術ベースの棒操術を身につけ、有事の際に身の回りにある棒で対抗できる可能性を生み出せ。練習しなければ可能性は生まれない 。

清末転掌式八卦掌は、この鉄則を技術体系に反映させ修行者の身体で体現することを課し、「対多人数・対強者・対武器」における生存の可能性を生みださせる。

ロマンを求める愛好家らは、(1)~(5)までの鉄則を、大変に困惑した表情で受け止める。彼らの求める戦い方とは、全く逆の行為だからである。

ことに(4)に対する反応がすこぶる悪い。持久力で戦うことを嫌う。魔法のような身体操作で、息も上がらない状態で、涼しげに、一瞬にして、相手を倒す・・・という幻想的達人芸にこだわっているからだ。

戦いに魔法もマジックもない。あれだけ走り込んだマラソンの選手が、息も上がらない状態で完走しているだろうか。技術が上がれば、自分の動きも速く激しくなるため、息が上がることは避けられない。

実戦に向き合うこととは。息を上げるのを抑える技術を得るのではなく、息が上がっても磨いた技術を実行できるように平素から練習して慣れておく、のが「実戦的練習法」なのである。

八卦掌水式門富山本科イメージ

水式門各都道府県支部館設立へ。伝承決意ある門弟はどこに。

愛知拠点の放出は、八卦掌水式門・各都道府県支部館設立への大きな転機となった。

支部館設立について

岡山倉敷始動は、昨年末の宣言中の主要内容。必ず実現すること。私の中で、あまりにリアルにその場を描くことができる。必ず岡山に立ってくれると信じる門弟がいる。そんな中で、確信のままに淡々と行動を積み重ねてきた。

途中、能登地震による経済的打撃、それに付随する愛知の拠点の喪失、などもあったが、それらは前に進む際に立ち止まる言い訳にもならない。

こうした方がいい、ああした方がいい、何をやってるんだ、あなたは。そんなことも聞いたが、その都度してきたことは。それは、とにかく前に進むことだった。まさに、清末転掌式八卦掌そのものである。

やるかやらないかだ。ただそれだけと思って、どれだけ苦しかろうと、とにかく前に進んできた。

拠点を失った後の愛知での生活は、すでに慣れた。ブログで宣言した19時間後に、能登地震である。その激震で愛知に回避してきてから間もなく、現在の状況に陥る可能性を察知し、素早く準備をしてきた。

一番一年で不快な時期の真っ只中での拠点喪失だったが、そんなものは年初から分かっていたことだったので、事前に拠点無しでも快適に過ごすことができるように、実験を繰り返してきた。なんとか間に合ったと思う。

今では、部屋を借りて生活することすら、必須のものではなくなった。住民票を置くことができる拠点すらあれば、アドレスホッパーにはならない。

拠点を手放したことによって、難関中間目標の一つであった「全国支部館設置」すらも、具体的行動指針が見えるくらいまでになってきた。愛知拠点があれば、それは快適さと引き換えに重荷となり、機動性が落ちる。今は、どこでも行くことができる。目下の目標は、愛知での仕事からの解放である。具体的指針を見い出し、行動に移したい。

八卦掌水式門(館)全国支部館組織図

愛知の仕事からの解放よりも大きな山場は、支部館教練長を務めるほどの熱意のある門弟の獲得である。ここが一番難しい。なぜそのように感じるか。

支部館教練である以上、こころがしっかりと、八卦掌に向いている必要がある。

私は、私の伝える八卦掌原型「清末転掌式八卦掌」に当然自信がある。膨大な時間を積み重ねて、やっと思いで形にしたもの。そこらの初心者が私の動きを見て言及することがあるが、たいがい、的を外している。

最近の拳法愛好家は、拳法技術を極めるうえで必須でない知識を知り過ぎている。その浅い知識で、他にほとんど資料のない清末転掌式八卦掌を、他の拳法の特集記事や動画で得た知識でもって、判断しようとする。

私は、必須でない知識など知らない。必要ないから、覚えることもしなかった。拳法関連書籍・雑誌などほぼ見ることはない。必要ないから。

愛好家が知っていることを知らないことの方が多い。よくもここまでしっているものだな、と感心する。しかし、それまでである。「では自分も勉強しなきゃ」とならないのだ。それら雑学で、人を守り、自分を守るための技術は上がらないことを知っているから。今まで通り、練習するだけである。

愛好家はおおよそ、軸ができてない。軸ができてないのに、周辺知識ばかりあって、意識が末端部・枝葉部分にばかり向かい、軸に向かっていない。目移りしたり、素直に指導内容に従わなかったりで、進み・上達が必然的に遅くなる。

水式門の掌継人が女性ばかりなのは、偶然ではない。男性の修行者も多かった。多くの男性が、弊門を叩いた。でも、多くのことをやたらと知っている男性は、軸すらできないうちに、いなくなっていった。

女性は、さっさと軸をつくり、その先の自分の独自性すらもつくって深奥に達した。彼女らも、色んな知識に触れたが、枝葉であることを見抜いていた。

男性修行者は、すでの自分の中で修行の計画ができており、どこか第三者的な立場で接しようとする。深くかかわろうとしないのだ。まず自分の思惑があり、その思惑を通すことを最優先する。

しかし、一つの術理を得るなら、一時没頭する必要がある。渦中に飛び込み、どっぷりつかる必要がある。我が身をその術理の森に投じず、外からつついたって、本質は得られない。真に本質を得るなら、失敗、失敗を繰り返し、悩むくらい没頭し、「ああ、そういうことだったのか」と身体レベルで理解するまでやり込む必要がある。頭で考えて理解(しているつもり)、では、有事に身体は動かない。

また、伝統門の先生であればあるほど、そのような人間に深いことを教えない。

伝統門の先生に、知識をひけらかすなど問題外である。その瞬間に「お客さん」となる。一般的な型だけ教えて帰ってもらう「お客さん」となり、最も大事な術理など、まず指導してもらえない。

運よく入ったとしても、おおよそ伝統門の先生は指導経験が豊富であるため、門弟の練習頻度・熱意が分かるものである。その門弟が練習しているか否か、すぐ分かるのだ。私も、当然よくわかっている。

自分も、今でも門弟と同じく、一修行者である。やっている状態、と、やれてない状態、は、はっきりとわかる。私はその門弟が練習を「やってない」と分かっても、あまり注意しない。優しい先生は、厳しく注意し、もっと気合入れて練習しろ、と促してくれる。

没頭し家で練習している人間は、具体的な質問をどんどんぶつけたり、もしくは、練習成果を私に見せる時、間違っていようが、堂々と演じきる。心が向ききってない人間は、練習できなかった理由をいきなり語って、結局順序すら覚えていない。

拳法を志す者は、本格的なものが習いたいのなら、なおのこと、先生をなめてはいけない。うまくできなくてもいい。とにかく定期的に練習をし、言い訳などしないことだ。

清末転掌式の機縁を与えてくださった楊先生は、愛知から東京に通い、その都度、間違えて演じきってしまうくらい練習してくる中学生だったからこそ、時間外に、一般的でない八卦掌を教えた。その中学生が、習っただけで復習もしてこないだけの熱意ならば、きっとその中学生に清末転掌式八卦掌は伝わらなかっただろう。

支部館の教練長は、支部館であるがゆえの制約があるため、ちゅうちょもするだろう。熱意も必要である。清末転掌式八卦掌は術理がシンプルであるが、簡単ではないため、膨大なくり返しと、試行錯誤が必要である。現実的な持久力が求められ、マジック的な身体操作で巧妙華麗に勝つ、は一切ない。

しかし、門弟にとって、「伝統を受け継ぎ、次代に伝える」というなかなかできない『経験』をすることができる。その経験をもとに、支部館以外に自分の道場を開き、そこで自分の修行によって得られた真実をもって伝えるといい。

教練長が自分の道場を、支部館以外で別個に持つことは、当然自由であるから。

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清末転掌式八卦掌~「八」で構成される考えが無い

水式門で指導する、成立当時のままの「転掌」時代の八卦掌には、「八」で型数を構成するなどの考えがほぼ無い

転掌時代は、八卦陰陽理論などの影響は受けていなかった。

流派によっては、董海川先生の時代にすでに、八卦陰陽理論で技術体系が組まれていた、とする説もある。それについては確証もない。

しかし、董海川先生は、文字を読むことができなかったとの説も多い。当時の中国の下層の人間は、読み書きなど当然にできなかった。

宦官に身をやつし、かつ若き日の記録もほぼ無いことから、董海川先生の身分は高い地位でなかった(下層の人間であった)可能性が極めて高い。野盗や盗賊・太平天国軍の残党であった可能性すらある。

下層の人間が、複雑難解な八卦陰陽理論を読み解き、もしくは教育を受けて習得し、それを自分の練習している武術に理論的融合させたなど、実に考えにくい。

私は師伝で、転掌の技は3つのみ、と聞いている。習っている期間中、八歩で一周、とか、八〇掌とか、〇〇八式、などの型や名称を聞いたことがない。

単換掌・双換掌・勢掌(順勢掌)の三つのを、徒手・棒・長棒・双短棒にて使いこなすことを重視されていた。

先生曰く「どうせ難しい技なんて出せない。手を出すのが精一杯だ」

この3つですら、未だ練習するたびに疑問がわくときがある。追い求めても追い求めにくい、尽きせぬ興味の対象である。これ以上、型は必要ない、あったら練習に困る、練習時間がいくらあっても足らない、と、切に思う。

時間と体力がいくらでもあるなら、習う型も多くていいのだろうが、私を含めた人間には、時間は有限である。現代人はなおさら、社会的制約や多くの誘惑にさらされている。よほど集中しないと、時間の確保ができない。

わたし自身、練習時間を確保したくて、愛知の拠点を切ったのである。それほどまでして確保した時間を、多くの型の時間に費やすことはない。とにかく、この3つの基本型の術理を、もっともっと洗練させたいのである。

弊門での八卦掌には、よって老八掌や八大掌・八母掌・定勢八掌などのものが必須となっていない。

定式八掌については、そのうちのいくつかが、昔日より転掌動作として伝わっているので、指導する。しかし、定式八掌のキメの姿勢は、ほぼ指導しない。転掌式八卦掌にとって、そこが重要ではないからだ。

清末転掌式八卦掌の技術体系は、近々まとめる。

近代格闘術八卦掌とは、全く技術体系が異なるからだ。走圏などの練習のとらえ方も、全く異なっている。目的が違うから当然である。生存第一と、倒すこと重視では、その内容は全く異なる。

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清末転掌式八卦掌の初代(開祖)としての覚悟が決まった

時代の変遷により弱者使用前提から離れた八卦掌が隆盛を誇る中で、自分の中の違和感に素直に従い、八卦掌を超えるつもりで・・・つまり新門派を創るつもりで、突き進んできた。

しかし、練習をして、し抜いて、自分の追い求めているものが、練習しているものが、成立当時の原初八卦掌たる「転掌(てんしょう)」であると気づいた時、超えるべき壁が限りなく遠くへと、飛んでいくのを感じた。

超えられなかった絶望ではない、己の進んできた道は、己が最も追い求めていた道だったとわかった、涙が出るくらい、心が震えたのだ。

八卦掌原初のスタイルである「転掌」こそ、自分が求めていたものだった。身体的資源不利者(弱者)使用前提で徹底的に技術体系が組まれている武術。こんな武術は、なかなかない。

中学時代の師(楊先生)より、転掌の技術体系とシンプルな術理、術理に沿った武器術を知り感動を受け、成年から壮年時代を通して修行をしていくにつれて、弱者使用前提武術がほぼ無い事実に気付き、運命を感じてしまった。

よって私は、清末転掌式八卦掌の開祖となる。新門を拓く。

八卦掌第6世掌継人。清末転掌式八卦掌初代(再興祖)。

※「掌継人」は、楊先生による、伝承者の名称。伝承者の名称は各派によって異なる。例)梁派は「伝人」。

私の拳法修行開始のきっかけは、同級生に対するいじめに対抗するためである。受け入れられないいじめから守るため、ケンカなどしたこともなかった弱虫の私が本で空手と八卦掌を知り練習し、取り返しのつかない敗北をした。そして力任せの暴力の残酷さ・容赦のなさを知った。

何も嫌われることもしてないのにいじめられる同級生、それを守ろうとする少年。どう見ても、いじめる方が責められる。しかし数や体格差・人気や目立ち具合で勝る相手たち、そして見て見ぬふりの同級生の圧力の合わせ技で、加害側が笑いなんらおとがめも受けない結果となった。

このいじめで、何が起こったのか?同級生がわずか2箇月の中学生生活でその未来を奪われ、少年は先生に嫌われ、加害者の笑顔が一時大きく響き、何事もなかったかのように、皆忘れただけだ。

私は決して忘れない。絶対に忘れない。戦いは終わらせない。私があの学校の学区内に本部を置くのはそのためだ。あの事を誰も覚えていないなら、私だけはどんなこととがあっても忘れず、この現代に影響を与える。

弱き者は、強者の暴力に屈するしかないのか?古来より、人間の歴史はその繰り返しであるが、同級生の悔しさと無念さを目の当たりにし、弱き者でも強者の暴力に屈しない武術をとにかく求めてきた。

強い動機付けをもった少年だった私だから、転掌に巡り会ったのかもしれない。

そのような動機がなければ、近代八卦掌を女性が華麗に演じるのを見て、何の疑いもなく、女性向けの拳法、と言われてるのを鵜呑みにしていたのかもしれない。

弱者使用前提の技術体系を徹底して貫いた稀有な武術、清末転掌式八卦掌。

奇跡的に私に伝わったこの技術体系を、全国の、私のような少年少女に、成年有志に、届けなければならない。

そのためには、私がこの技術体系を曖昧さなど無い状態で明確に示し、この技術体系の最大の模範として在り続け、転掌の有効性を分かりやすく示し、暴力に立ち向かう者に希望を与えなければならない。

他の門派は、決して間違ってなどいない。魅力的であるし、合理性もある。しかし、どのような魅力的な技術体系があったとしても、ここ(転掌)にとどまる覚悟が、初代には必要なのだ。

有名流派の後押しもない。有名先生の弟子でもない。私の梁派の先生は、名前を明かすことを希望しないため公開できない。系統に公開できない箇所があるため、伝統性も公には強調出来ない(本門生や仮入門生には、私の属した梁派に沿った系統は、しっかりと示している)。

だから、初代となる。昔日の転掌の技術体系を受け継いだものとして、私が現代に復活した転掌式八卦掌の初代となって、技術のみで有志の心をつかむ必要があるのだ。開祖となって宣言するのは、拳法の伝承者としての責任を全うするためである。

覚悟することで、すべきことがパッと目に開く。

練習を一層する、ではない。もちろん練習は従来通りどんどんやる。練習するのは当たり前のこと。

その技術体系に我が身を投じるのだ。身を託すと言ってもいい。迷いなく託すのだ。前に出て打ち合う、格闘技試合の影響を受けた格闘技的価値観(格闘ロマン)を未練なく置いていく。

どんな状況でも、開祖は、転掌の斜め後方スライドの術理で対応するのだ。開祖はとにかく、馬鹿の一つ覚えでなくてはならない。

董先生がしたように、私も転掌復活の祖として、前に出て戦う格闘技的スタイルではなく、斜め後方スライドの生存第一主義を貫く。

そうすることで、転掌スタイルに共感をしめす有志に巡り会うことができる。

最初はだれにも相手にされないだろう。実はこの3年、このことを嫌というほど思い知った。家内の生前は家内に、その後は、一番弟子たる長女に、いつも励まされて立ち上がる、を繰り返す苦しい日々だった。

でも、苦しい中で、私の指導する内容に共感し、積極的に学ぶ弟子と、新たに巡りあうことができた。

何の後ろ盾もない無名道場を、わざわざ選んでやってくる門弟は、間違いなく将来伝説の達人となる天才である。系統や○○伝などの外面よりも、本質を見極めることを優先し、それに従う勇気と選ぶ決断力・行動力があるから、初代に続く2代目は天才であり伝説となるのである(初代の非効率的な遠回りをしないのも大きな要因)。

その天才らに、出来る限り最高のパフォーマンスで指導をしたい。天才をこのスタイルに縛るのではない。天才らに、このスタイルで戦う選択肢を示し委ねるのだ。私があたえることができる外面的肩書など、「八卦掌第7世」でしかない。それよりも、天才は各々のノウハウによった真実を、きっと確立してくれる。

繰り返し言う。この記事は、初代・再興の開祖となる私の覚悟である。他の武術の技術体系と隔離を図って、我の技術における転掌の純度を高めるためである。

この記事は後々追記して、完成させる。富山への道中のため、今日はこれまで。

興味のある方は、都度ごとに覗いてみて、全文を読み、私の決意を見て欲しい。

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間もなく電子書籍出版。行動が生み出した大きな一歩。

近いうち、電子書籍を発表する。年初の能登地震で、その時期が大きく遅れてしまったのは事実だ。

しかし昨年大みそかのブログで打った通り、コツコツと用意をしてきた。

まずプロトタイプとして、『最低限の時間で仕上げる「清朝末式八卦掌」女性護身術』を上げた。どのような形であれ、まずその内容を公開できるくらいまで整理整頓して出すことが重要だった。

そこで初めて、具体的な欠点が見えてくる。このWEB上フリー護身術講座を開いたおかげで、目安がたった。どのようにまとめたらよいのかが分かってくるのだ。

自費出版するお金は全くない。

複数社に企画書を出しても、相手にされない。

SNS利用したり、時にノウハウ本を真似てトライしてみたり、相談してやってみたりしたが、「○○だから売れない、だから○○なら売れますよ」といったアドバイスを受けて自分の意図と違うことでチャレンジしても、やはり結果は出なかった。

出版コンサルタントは、「あなたの○○は××だから売れない」「売れる人の本は○○を実行している」といって、相談料をせしめるが、そんなことをやってみたところで、自説を曲げられ、全く面白くもない。

売れることが目的にすげかわってしまい、自分の努力だけで積み重ねてきたノウハウまでも否定され、全くもって面白くないことに気づいたのだ。

そんな愚に気づき、私は年末、改めて行動をし直すことを決意した。

己の努力だけで得てきたノウハウを信じ抜くことから始めた。

そのノウハウだけを頼りに、とにかく形にした。それは不完全ではあるだろうが、ノウハウは、惜しみなくつぎ込むことができる。やっていて、本当に楽しかった。自分が発表したいものの内容に、一切妥協しなくていい。それがとてつもなく心地よかった。

人を守る護衛武術である。命がかかっているんだ。だから、研ぎ澄まされたノウハウに、削るところなんてない。出版をするために、蓄積のノウハウに嘘をついて迎合し始めた途端、私はその積み重ね自体を失うことになる。

「清朝宮中内囮護衛武術「八卦掌」から学ぶ、弱者生存の護身技術」

題名の大まかなイメージである。

何度となく失敗を繰り返し、やっと反応が良くなってきた題名だった。しかしまだ不完全のようである。

いつも思うが、「誰でもできる」類のものは、多くの人がとりあえずチャレンジするため、最初はまず、うまくいかない。人に言えば、「それ言った通りだ」と言われる。

しかしたいがいの場合、言った人間は何もしてないで言ってる。だから全く気にならない。なぜなら、自分はすでに行動して、失敗という名の貴重な経験をしているからだ。

これから、実際に出版という形で練習をしていく。目標は、紙での商業出版だ。それも自分の希望の通りの内容でだ。節を曲げての出版なんぞ何の意味もない。

紙での商業出版も、しょせんは通り過ぎる目標に過ぎない。目的は、全国各地に、この弱者使用前提護衛武術を学ぶことができる環境を用意し、誰もが取り返すための技術を学ぶことができる機会を創り、いじめ撲滅の大きな力となること。

引き続き進んでいこう。

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