なぜこんなにシンプルなのか。それは、以下の目標達成のため。
- 護身術を必要に迫られて学ぼうとする者の「迫りくる危機」に間に合わせるため
- 都市部に出かけなくても、全国各地のすべての場所で今すぐ学び始めることができるため
この2つのを目標を達成し、最終目的たる、「守られるべき者が守られるため」を実現するため、私はずっと、転掌護身術の複雑化を避けてきた。
カスタマイズをしたのではない。転掌成立当時の技法を抽出し、その技法を、ずっと磨いてきた。
楊家転掌門は、楊家伝武術の開祖(名称非公開)が、門伝として転掌の弱者使用前提の技祷体系を厳格に守らせたため、転掌成立当時の技術体系が失われることはなかった。これは本当に貴重なことである。
楊家伝武術の開祖は、弱者使用前提の技術体系の維持と、シンプルさの維持を徹底した。楊家に入って整理されたと思われる主要転掌式は、その技法が、単換掌・双換掌の術理をほとんど逸脱していない。単換掌・双換掌の術理をしっかりと身体にインストールしておけば、主要転掌式は、すんなりと実行できる。
そして特筆すべきは、武器術である。転掌刀・双身槍・遊身大刀・双匕首・連身藤牌と、5種類あるが、皆、単換掌・双換掌の術理をしっかりと体現できるならば、すぐに実行できる。
極めて整合性があり、一貫性に満ち溢れている。一つの大きな柱「弱者使用前提」を道を指し示す羅針盤として、すべての技法が整えられているのだ。
楊家伝武術の開祖は、転掌を八卦掌と名乗り直して指導を展開してたと考えられる。家伝武術だけならば、転掌のまま、教えただろう。当時中国国内で有名になった転掌次世代の八卦掌の名で、門名を構成し直した時点で、公の活動を展開していたことが分かる。
しかし、技法の複雑化はしなかった。多くの門人を集めるためには、複雑華麗な技法の方がアピールしやすい。しかし開祖はそれをしなかった。技法に対する誇りと自信が、ひしひしと感じられる。
この姿勢のおかげで、私は今、場所の制限をうけず、日本全国に転掌の護身の術理を示すことができる。私の掲げた理念を顕現化するためには、金沢周辺の希望者だけに指導しているだけではだめなのである。
北海道でも、沖縄であっても、そこで転掌の護身術を学びたいと思う者がいれば、その門戸を開かなければならない。
全国各地の希望者を対象とするならば、金沢に来ることができない志願者にも、可能性を作りたいのである。書籍による独学のシステムを構築したのは、そのためである。
