インターネットでは、ノウハウをちらつかせて、利益を得ようとする広告が目立つ。
それも立派なビジネスであろう。しかし私は、お金儲けで水式館をひらいているのではない。
明確な目的がある。それこそが第一である。誰もが使える護身術を世界の隅々まで広めること。それが当面の大きな目標である。
ならばお金を払わないと閲覧できない「書籍」ではなく、サイト内で無料公開すればいいのではないか?という声が上がる。ノウハウは惜しみなく公開せよ、というネット上の常識があるからだ。
しかしそれも真実ではない。皆がそれを言うから真実になるのだ。そして自信を持って言えるのは、転掌にそのノウハウは当てはまらない。
誰もができる、ということは、公開しさえすれば、誰でもできる、というのとは同義ではない。
公開された情報が、その情報を知り尽くした人間によって管理された状態で維持される。これが伴っていないと「誰でもできる」を実現できない。
公開された情報を、広めることは簡単である。その情報をクリックしてコピーし、ペーストすれば、誰でも広めることができる。そしてその内容を、自分の考えたものとして公開することだってできるのだ。
このような、無断での転載は、無料でインターネット上において、無制限に公開するから、実行されやすくなる。ネット上に公開する、ということは、その情報を自分の管理下から外すことも意味する。閲覧者の自由利用を、ある程度認めることだからだ。
私はそのような事態を招く行為(ネット上への無料公開)は、決してしない。
今回水式館が発刊した書籍で扱う技や術理は、ネット上で公開しても、読む人間を選ばない分かりやすいものであっただろう。しかし分かりやすい=誰でもその術理を説明し伝承できる、では決してないのである。
それは、長年術理・技を研さんし、知り尽くした師から伝承を託されるくらい精通した人間だから、文字に著し、かつそれによって一定レベル伝承を実現できるのである。
弊館では、伝承活動は、掌継人以外おおやけに認めていない。指導するのはいいが、掌継人とならないと、その者に正式な指導の資格を与えたことを館として、転掌八卦門として公認しない。
掌継人となる以前の者が、仮に書籍を出したとしても、館として公認しない。
これはノウハウを独占したいなどの狭い了見で言っているのではない。転掌は、命を賭ける場面で使う、弱者の最後の切り札となるから、いい加減な人間による伝承で、いい加減な内容が流布されてしまうのを防がなければならないからだ。
転掌に伝わる「絶法(ジェファア)」のような重大な門伝を気軽の公開してしまうことで、心無い人間による無辜への虐待が引き起こされるのを防ぐためだ。
ネットに公開してしまうと、それらを防ぐためのコントロールが効かなくなる。書籍という形を採れば、著作権による一定の抑止力をもって、その内容を保護できるのだ。
しかし書籍での発刊、という形をもってしても、転掌の上級術理までは解説しない。もちろん「出し惜しみ」ではない。
それは、公開しても、習得ができないからである。師との一定時間の研さんが必要なのである。それは私自身が、ずっと長年向き合ってきたからわかるのだ。どこまでが独学で習得でき、どこからが師との研さんが必須となるか。
私は転掌に関して、だれよりもそれを知っている。近代八卦掌の指導許可も得、国内の八卦掌指導者の誰よりも深く長く向き合い、その源流たる転掌を極めたものとして、誰よりも知っているのである。
私の公開する転掌の動画に、低評価を押す連中は、転掌の戦い方が受け入れられないから押すのだろう。まさか、私の説明する転掌の術理などが違う、と判断して押しているのではあるまい。そのような行為は、ピアノを弾いたこともない私が、小さい頃からピアノを練習してプロのピアニストになった人間に、「お前のピアノの弾き方は間違っている」と指摘するのと同じくらい、バカげている。バカげている、と通り越えて、恥ずかしい。
私は、私の伝えた技法・術理が、誤った方向に進んで、それを利用する者に害を及ぼさないよう、しっかりと管理する責任がある。それは楊師から命じられた「然るべき人間への然るべき手段による伝承」である。
だから私は、掌継人として認めることに、厳しい技術的条件を設定している。私の遠慮ない攻撃に対し、転掌の斜め後方スライドの術理で、バックスライドアタック、フォワードスライドアタックができるようにならなければならない。
術理は、私が実演で示し、それを何度も実演実行し、弟子にも実行させ理解させ、理解が弟子によって体現されなければならない。
これはあくまで一例である。やり取りの中で、見るべきポイントというのがある。私は弟子にそれを何度も言う。ここはどうでもいい、この点が重要である。ここをしっかりと意識せよ、と。
この方法による伝承は、共にやり取りをしあう中で実行することで、実現できる。もちろん、掌継人となる者は、一人での研さんを求められる。長い拳法人生の中で、掌継人は一人で拳理と向き合う必要があるからだ。
掌継人として認める条件を、色々と挙げた。命を賭ける技法だから、それくらい真剣に伝承するのだ。これくらいしないと、転掌の術理はいい加減な方向へと進む。掌継人が、自身の研さんのすえにその技法を変えていくのは全く問題ない自然なことだ。私はそれを望むし、そのようにしていけと言う。これは、掌継人となるくらい研さんを積んだから、オリジナルに進むインスピレーションが、自然と湧くのである。
私が本を通して転掌の基礎たる自分護衛を公開するのは、習得可能な範囲を厳選し、それをコントロール可能な状態の下に置き続けるためである。
書籍で示す内容は、だれよりも転掌と向き合った私が、「真面目に定期的に練習する」ことで一人でも習得できると確信した内容である。よって本書を手に取り学習をしようとする者は、安心して、信頼して、その身を守るために繰り返して欲しい。
