転掌八卦門を世界に広げる未来の転掌9世へ。護身の真髄。

一つの通過点が過ぎた。

グーグル検索で、八卦掌で一位表示となった。愛好家たちと違い、検索アルゴリズムは、日々の更新、発信の熱心さを、物理的結果から的確な評価をしてくれる。雑誌やメディア、漫画によってガチガチに洗脳された愛好家とは違う。

転掌八卦門が立ち上がったあたり(今年1月後半)から、真剣に閲覧する訪問者が増えてきた。滞在時間が長いサイトとなってきた。一位表示は、当然の結果である。

しかしこれはただの通過点である。次は、「護身術」での一位表示である。これも通過点である。しかし護身術一位表示は、かなり厄介である。なぜなら、格闘技カスタマイズ強者化プログラム護身術が、上位50以内を独占しているからである。

「弱者でも使える」の内容を見ても、合気道を改編したものが多く、内容は・・・襲撃者の攻撃ベクトルと防御者の防御ベクトルのぶつかり合いである。向き合って、手技で対処するスタンスから、全く抜け切れていない。それを、護身術の専門家(と皆が思わず感じてしまう)警察や警備会社が、バンバン流す。

心身を落ち着かせて、対処・・・。というものが多い。そこに「弱者向け」を感じさせる要素が見える。しかし現在の護身術とは、丸腰の一般人が、襲撃の意図を持った人間から身を守ることができなければならない。襲撃者は、突然襲ってくる、ということを知らなければならない。

公園警備時のピエロも、イノシシも、罹患した野犬も、私に何ら予告もせず、突然近づいてきた。心身を落ち着かせている暇など無い。イノシシは、3メートル以上の間合いを、わずか2秒で縮めてくるのである。暗闇で姿を確認した瞬間、間髪を入れず突進してくるのである。呼吸を整えている暇など一切ない。

二ホンジカのオスと対峙した時は、その圧倒的な角からくる身体の圧迫感で、全身に戦慄が走った。警棒なんて出してる暇はない。手持ちのシャッターフック棒を、身体を入れて逃げる態勢をとりつつ構えるのみである。とにかく距離を置くことの重要性を、身をもって体験した。

上位50を占めている護身術は皆、事前の危機管理・危険予知・危険回避をうたいながら、いきなり「つかまれた時の対処法」にすっ飛ぶ。危機管理とつかまれた後の間にある「つかまれない・捕まらない・近づかせない護身技術」を、ほぼ説明しない。そして襲撃者が刃物を持っているのが当たり前であった昔は、現代すっ飛ばされる近づかせない護身技術こそが、護身術だったのである。

備中伝竹ノ内流の達人が、農民らに野盗から身を守るために教えた技術も、中国明朝藤牌兵が機動戦を展開する際に使った部隊行動技術も、宮本武蔵が、四十数人の吉岡一門門下生らから身を守った技術も、すべて機動戦による近づかせない技術であったのだ。

昔はそれが当たり前であった。機動戦こそが命だったのである。レグニツァの戦でモンゴル帝国軽騎兵部隊は、斜め後方へ散開離脱しながら、軽弓で後方上方へ矢を放ち、後方から迫るヨーロッパ連合軍に矢の雨を降らせ近づかせなかった。プロイセンのフレデリック大王は、常に寡兵での戦いを強いられたがゆえに、戦力の柔軟的集中による高い機動性を持って部隊を操り、ロスバッハ・ロイテンにおいてオーストリアを圧倒した。

最近私が挙げた動画では、持久戦について語るパートで、多くの者が動画を離れる。昔ながらの、不利者の王道的手段を説く最も大事なパートで、それを受け入れることができないのである。護身術動画や格闘技試合中継のために、99%の人間が、戦いとは「まず向き合って戦い始めるもの」という常識のウソを刷り込まれてしまったのである。

切実な危機感をもって護身を考えれば、現代格闘技が、護身に不向きであることはすぐわかるはずだ。しかしあくまで趣味の一貫、そういわれているから何となくやってみる、ダイエットに、などの理由のためシリアスな向き合いは不必要になったのである。

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