確実に達人になる方法~リアルすぎるイメージで動き続ける

いつ何時も、素晴らしい動きをしている。パーフェクトである。当然、自分の動きが、である。

今打った瞬間、敵は全く反応できなかった。我の虚打をかわして安心したようだ、そこに実打が飛んでいく。あっ、と言う顔をした瞬間、敵は全くその場から動いていなかった。

練習していると、誰もが自分の動きを見ている。思わず足を止めてみている人。見ちゃいけないと思いながらも、あまりに自分の動きがすごいから、思わず見てしまう人。私は常にいろんな方向に身体を動かすため、私の身体が見ている人の方向へ向いた瞬間、見ている人は反応できず、私が見てから慌てて、目をそらす。

遅い!視線も動きも、丸分かりだ。見えすぎてしょうがない。

水式館筆頭門弟が、私の動きを見ながら、口を横に広げ、ワクワクしている。私もそうなりたい、私もきっとそうなるって、言いながら、慌てるように剣を手に取り、彼女の最得意の技・背身刀で激しく動き始める。

焦るな、ゆっくりでいい。もうおまえは立派な達人ぞ!

そう励ましながら、私は再び、剣を取る。そして走り回る。自由に動けてしょうがない。自在でしょうがない。物足りない。もっと困難な状況にならないのか?

ぬかるんだグランドでも、旅先の荒れた林道でも、波が激しくて砂がふかふかになった過酷な砂浜でも、いつでもどこでも自在に動くことができる。たとえ身体バランスを崩したり、身体流れで横方向に身体が振られても、すぐさま敵にとって厳しい斬撃を叩き込みことができる。それを防ぐために敵は対処しなければならない。そして対処した後自分に攻撃してくる。

でも、そこにはもう自分はいない。遅い!そんな対応では、私を倒し得る攻撃を当てることはできないぞ。

一番弟子が、自分の動きを独り占めしたいと言う。このすごみは、私だけのものにしたい、と言う。

この技術は、世界に広まっているから、もう特定の誰かのためだけのものではないぞ。あきらめよ。そういうと、一番弟子は憎まれ口をたたいて、再び自分と組手をし始める。

・・・これすべては想い出の話か?いや、自分がずっと昔、達人になったらそうなるだろう、と考えてノートに書いていたリアルなイメージだ。

筆頭門弟や一番弟子との、これらのやり取りは、あっという間に現実となり、これは想像から、「すでに起こったこと」に変わった。

これを紙に書いて「いずれ必然的の起こること」として想像してから、間もなく、これらは現実となった。毎日、どんなことが外界で起こってもイメージし続けたから、その実現化は本当に速かった。

どんなことがあっても。誰にも相手にされなくても。人とのつながりを失っても。家賃を払うお金が無くなって、車中生活になっても。伴侶を亡くしても。どんなことがあっても、イメージをし続けることが当たり前であり、実は知らないうちにそれはイメージではなく現実的な確信となっており、イメージをする、という考えも起こっていなかった。

自分が自分のオリジナルに忠実になり、「達人である」と宣言した瞬間から、君は達人になる、と前に書いたことがある。それはこの経験から言っているのだ。

相手や世間・世界にお伺いをたてない。許可や評価を求めない。ただ当たりまえのことだから宣言すればいい。宣言した瞬間、世界は「君が達人として生きている世界」になったのだから、もう当たり前に生きていけばいいのだ。

歩き方も、話し方も、決断も、人との対応も。世界は変わっていないように見えても、実は変わっている。

大切なこと以外、何も固執しなくてもいい。君が宣言によって世界を変えたように、他人にも宣言や意識によって、他人自身の世界を変えることができるのだから、君に関わらないことは、勝手にさせておけばいい。もし君に何か影響を与えるようなことがあるならば、胸を張ってコミュニケーションをとればいいのだ。

家を失ってそれがために、手続上色んな人に何か言われても、人格否定や生き方否定は、言われる理由がない。だからその時は、堂々と言いうのだ。それ、何の関係もない。あなたの意見は必要ない。たったこの時、それは「起こっただけ」なのだから。努力が足らない、とか、もっと人生を真剣に考えろ、とか、皆我慢しているんだ、とか、そんな言葉であふれかえっている。しかしそれらは全部無視でよい。それらは単なる外で起こった現象なのだから、内面の変化を外の現象によって戻す必要などない。

堂々と、熱いままに、達人街道を進めばよいのである。私は家を失った時も、ただ練習がしたかったから、フルタイムの仕事なんぞ考えもしなかった。練習時間が無くなり、挙句に、流されて生きて会社の愚痴や人のことをとやかく言っているだけの人間どもに、生き方を説かれるのがオチである。冗談ではない。

話を戻す。君がとんでもない達人として生きていきたいと思ったのなら、それに従って、その瞬間、「私は偉大なマスターである」と宣言すればいい。

許可を求めるな。お伺いを立てるな。ただ宣言すればいい。デクレーションである。宣言した瞬間から、君は達人となったのだから、信じるとかではなく、太陽が東から昇って西に沈むのが当たり前のように、当たり前の事実に沿って「在り」続けていけばいい。外界のことは、間もなく、君の宣言した真実に、慌てて追いつくのだから。

たとえどんなことがあっても、そのままでいい。私のように、人間にとって最大のストレス・悲しみとなる、伴侶の死であってもだ。そこまで確信し抜いて進むと、もはや進むことになんら迷いはなくなる。辛くて泣くときも、泣きながらも身体が練習場所に動いている。なぜなら偉大なグランド・マスターだからだ。私は水野義人と生まれ、それは偉大な再興祖となるために宿命として生まれたことを意味し、その心のままに進んでいくのである。

君は君として生まれ、君がこう在りたいと思う時、その瞬間にそう在るように宣言し、宣言の直後からその真実は完了し、そのように在り続けて生きていく。

達人とは皆、そのような人達ばかりである。目が座っている。よく言われることだ。バカにしてきた人間どもも、自分の目を見た瞬間、顔が何かしら変わる。緊張するのだ。そこには揺るぎない決意があるからだ。

達人は、達人であるのだから、自分の存在を外界が否定してきたとき、当然に受け入れない。いちいち手は出さないが、受け入れることはない。目で応戦するだけだ。一瞬で戦いの目となる。だから凡人には、「目が座る」と見える。

君が周りの人間から、雰囲気が違う、歩き方が違う、目が怖い、と言われたら、宣言の具現化が最加速している証だ。人にわざわざ噛みつかなくてもいい。達人として、その場を歩け。それだけで十分である。転掌のマスターであれば、何もする必要がない。心にかってにはえてしまったその刃は、大切な人を守る時だけにとっておけ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です