対多人数遊撃戦。まったく練習したことがない者にとっては、荒唐無稽な絵空事のように思うこと。
しかし、今まさにいじめや対多による暴力にさらされている者は、その技術が不可能なものだとは決して思いたない切羽詰まった状態にある。
よって、自分の本当の気持ちを通し、平穏な生活を取り戻し、同級生らと笑いあえる日々を取り返すために戦う際、対多の暴力から身を守るためのポイントを書いていきたい。
単刀直入に言えば、複数人の素手の相手と戦う際、大事なことは、「動き続けること」「手を出し続けること」。この二つさえできるなら、君は相手が複数人であろうと、暴力に屈することはない。
動きつづけることで、敵の攻撃照準にとどまることを避け、攻撃をかわすこと(もしくは痛恨の一撃を回避すること)ができる。
手を出し続けることで、敵が我の防衛ラインに簡単に侵入する事態を防ぐことができる。
この二つは、大変重要なこと。過去の多くの戦い(戦争など)でも、相手が複数で束になって襲ってくるときは、この二つのポイントが勝敗を決してきた。
具体例を話そう。大平洋戦争。軍艦が、敵飛行機の爆撃攻撃機・雷撃攻撃機から身を守る際の方法だ。
軍艦は当然少数で敵攻撃機は時に100機くらいで襲ってくる。的(まと)としても大きい。そして海面から飛び立つこともできず、海面上を移動するしかない。その際、軍艦はどのようにして、圧倒的多数の敵から身を守ったのか。
それは、海面上を操船テクニックで移動しまくって、敵攻撃機が定めている照準からズレ続けて投下される爆弾や魚雷をかわしていた。
そして、対空砲火によって敵攻撃機が自由に防衛ラインに侵入し、止まり続けないようにプレッシャーを与えて、自由な攻撃をさせないようにしていた。
日本海軍は大戦末期、ベテラン搭乗員の損耗が激しく、軍艦を護衛する戦闘機が有効に機能せず、操船技術で敵攻撃機を回避しまくっていた。その技術はすさまじく、物量と合理的戦略によって向き合ってきたアメリカ軍ですら、多くの犠牲を強いられた。
対多人数遊撃戦も、実は全く同じ。
複数人と対決する際は、とにかく戦闘開始から敵が皆動かなくなるまで、我はひたすら動き続ける。動くことで、ほんの少しでもいい、照準からずれることで、深刻なダメージを避ける。敵の的にならない。
動き続けるだけでは厳しいので、手を出し続ける。そうすることで、敵が自由に我に近づくことを防ぎ、距離を保つことができる。とにかく手を出し続ければ、敵はうかつに我に近づくことをためらうようになる。
この二つの戦略を実現するために、遊撃戦八卦掌では、練習時から歩き続けて技を打つことに徹底的に慣れ、打ちながら移動する際の持久力を養う。
習熟したら、息が上がらなくなる、ではない。対多人数戦は、そんなに穏やかなものではない。どれだけ練習しても息は上がってしまうので、息が上がった状態で、動き、手を出し続ける練習をする。その苦しい状況を自ら体験し、準備しておくんだ。
この練習は、正直苦しい。しかし取り組んでおくことで、いざという時、身体が我の動きを妨げなくなる。
手を出し続けるためには、肩に力が入っているのは致命的。よって、走圏(下搨掌・かとうしょう)の姿勢を維持する練習で、「指だけに力が入り、肩や腕はリラックスしている状態を保っている」状態を維持することができるように、練習をし続ける。
話を具体例に戻そう。
攻撃を受け、舵が壊れ、動きを止めた軍艦は、もはや敵の的となるしかなかった。いくらたくさんの砲台が備わっていても、うごけなければ、四方八方からの手数攻撃で痛めつけられていく。大戦末期、石油不足で呉近海に停泊せざるを得なかった軍艦らは、激しい抵抗もむなしく、その場で撃沈され、船体を傾けた。
海戦時、敵戦闘機の機銃攻撃などで船上の砲台がすべて破壊された軍艦は、敵爆撃機の自由な接近を許し、近距離からの攻撃でその命を散らした。
遊撃戦八卦掌の練習のメインは、技の習得ではなく、移動しながら敵に力を伝えつつ攻撃して、それを維持していく練習だと思っていい。習う技はシンプルで単純だが、簡単ではない。
しかしポイントをずらさないで練習し続ければ、練習するたびに強くなっていく。取り返す力がついてくる。だから、今すぐ動こう。
きっと間に合う。思いは通じる。私もそうして動いてきた。私は同級生を守ることはできなかったけど、君は、遊撃戦八卦掌のノウハウがあるからきっと間に合う。
取返しに行こう。苦しいこともある。しかしきっと、望む未来が待っている。
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