職業武術家(プロ)で在るということ

私が師事した一人が、職業武術家などなるものではない、という考えを私に紹介してくれた。師の知り合いの中国人指導者が、そのように言っていたようだ。

私はその考えに、賛同しない。私は、中国武術の指導者である以上、職業武術家としてのみ活動したい。いや、もうそうすると決意している。そしてその決意は、どのような状況になろうと、節を曲げないことを意味する。生徒が来なくて生活が困窮しようとも、大切な人の死に目に立ち会えなくとも。

道を貫き、所持金が無くなり、寒空の中で水で身体を洗う事態に陥っても、私は先に進み続ける。サラリーマンに戻るのは簡単なことだ。そしてプロを貫くことは、想像をはるかに超える苦しさを伴う。この瞬間も、このように打ち続けている。指導のために多くの手段をうってきた。そのほとんどが失敗である。多くの時間をかけ、それが水泡に帰すとも、君は向き合い続けることができるか。

何の理屈もない。ただこの道に、揺るぎない使命を持っているからである。転掌を世界に広げ、そして、多くの人が、自分を、そして大切な人を、守ることができる世界を創造する。これは約束だから。理不尽な暴力の果てに、人生を意に反して終わらせてしまった人に誓ったのだから。

職業武術家である以上、自分を養う必要がある。だから当然、安売りなどしない。しかし伝統門である。やる気のない、ご都合主義の愛好家に用は無い。真に技法の伝承をのぞむ者のみと向き合っていく。

転掌八卦門は、オンライン全国道場を展開する。それは、拳客として、全国諸氏に逢いにいくための大きな一歩である。その一歩を踏み出すため、伝える内容を厳選し、整理してきた。これは、拳客として全国展開をする上で、軍師弟子が私に示してくれた策である。よって転掌八卦門の初代バナーには、軍師門弟を掲載した。倉敷で一緒に練習していた頃の瀬戸大橋の写真であるが、門弟のイラストは高校時代のものである。

現状で全国キャラバンをしても、習いに来る者はいない。多くの者は、近代格闘術スタイルに染まり、移動戦を特異なものとみる。しかし護身護衛を真剣に考えるならば、移動戦の有効性がすぐわかるはずだ。私はすでに中学生の時、そのことに気付いていた。だから移動戦技法を求め、求めたがゆえ、楊家拳にたどりついたのである。

もし愛知にいなければ、北陸に行く。北陸にいなければ、全国に行く。その間に、絶え間ない発信を続け、転掌を広める。私は我が身が朽ちるまで、可能性あり限り、目指すべき世界に向けて進み続ける。

前述の軍師門弟は、愛知にて、私に献策をし続けることを誓ってくれた。頼もしい存在である。私には、先に進み続けるためのものがすべて備わっている。達成する目的。技術。揺るぎない情熱。すべて存在している。軍師門弟らの存在は、あまりに恵まれ過ぎた要素だ。それらがあるのだ、先に述べた創造が、達成されないはずが無いのだ。

達成するために、この命終わるまで、プロの転掌マスターで居続けよう。これは使命である。

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