「誰もが・・・」のスローガンのもとに、護身術そのものの八卦掌を練習し、そして伝えて三十数年。未だ勉強の連続だと、改めて思った。
生徒さんをまじえた練習会の場で、自分たちの練習に興味を持ってみておられる外国籍男性(以下、男性)と、おつきの女性(以下、通訳さん)が、寄ってきて、何をしているか尋ねてこられた。
言葉が通じないため、通訳さんと介しての会話。しかし男性は、興味を持っている雰囲気ながらも、立つ間合いが近く、すぐにファイティングポーズっぽいしぐさをするため、挑発的な印象をすぐに感じた(生徒さんは、男性が離れた位置でこっちを見ている時から挑発的な雰囲気を感じておあられた。見事である)。
声をかけてくる方の中には、技を受けてみたいと願う方も時折おられるため、技を示すことに。また男性からは「試してみたい」意図を感じたので、どんなもんかと組手をしてみたかったのもあった。
エスケープ方法を知りたいというので、単換掌理による斜進後方スライドを示すことに。その旨を通訳さんに伝え、かかってきてもらうことしたが・・・・男性は完全に攻撃の間合いを取り、我に攻撃意識を向ける(それはすぐにわかる)。
明らかに教えを請う感じではない。挑戦であることを確かめるための虚打けん制穿掌。兵法でいう「威力偵察」である。まさか、穿掌を相手に当てるわけにもいかない。
力の入った男性の防御と反撃。明らかに勝負の意図である。穿掌後の防御平穿が無ければ、私は男性の反撃をまともに喰らっていた。
その時点ですぐに手合わせを打ち切り、通訳さんに、入門等をするなら、このような攻撃的な態度ではよくない、生徒さんの安全を守るためにも、この態度では受け入れられない、と伝え、終わらることに・・・と話しているその時
その男性が、生徒さんに、手を出す仕草をしたため、生徒さんが、対敵防御。
驚き、生徒さんの説明を聞き、これはトラブルになりかねないと思い、お引き取りを願った。しかし再び近寄ってきて・・・・。
通訳さんをに対し、無礼な態度を指摘し、申し込みがあっても、入門は認めない、と伝え、場所移動をした。
今回の件で、家族には大いに叱られた。生徒さんが強かったからよかったものの、私だったらどうするの?手合わせしたかったら、一人の時にすればいいのよ、と大目玉。叱られて当然である。
反省点は、挑発的な態度を感じ取った時点で、その場から去るべきであった。結果、生徒さんに対敵対応をさせる結果となった。これは明らかに私の落ち度である。
指導の場である以上、生徒さんがけがをしないことを最優先させないといけない。私は、自分の組手願望を優先させたため、結果として、対敵対応をさせる可能性を作った。
何事もなかったのは、生徒さんの護身能力が高かったからにすぎない。先ほども書いたが、生徒さんは、男性がこちらを見ている時から、威圧的な雰囲気を感じ取っており、かつ、男性が近づいてきても、警戒を怠っていなかった。それは生徒さんの間合い取りと、立ち方でよくわかった。警戒をしてるな、と。
常に警戒を怠らず、その状況において起こりうる可能性に準備をする。私が通訳さんと話している最中でも、男性に気を抜かず、警戒を怠らなかったことが、鮮やかな対敵対応につながったのだ。
今回の件では、私の対応は、戦術局面としては低い点であろう(護身の戦略としては、なかなかだったと思う)。片や、生徒さんの対応は戦術局面的に関しては、実に多くのことを学び取ることができる。戦術は戦略を上回ることはないが、時に、戦略的成功を曇らせるくらいの、印象を与える。
指導中ということで、自由に離れるのもはばかられる。危険回避を自由にできない状況。その中でできることは、安全な間合いを取り、不意の最悪の行動に備えること。生徒さんは具体的・戦術レベル的に行動していた。心身共にスタンバイをしていた。それが、護身につながった。
数多くの経験をしてきた。その都度、状況を分析し、フィードバックをするのだが、100点の戦術的対応ができることはない。今回は最低点であると辛口に判断する。
戦略的分析では、今回の件も、戦術的分析と違ったものとなる。またそれは、機会があるときに。
常に勉強である。