私はずっと、転掌を越え自分の流派を創ることを目的としていた。それが、私が考え得る大きな目的であったのだ
しかし練習すればするほど、進む先の一歩先に、目指すべきものが見えてしまう。自分の中で完成だと、思うことができない。超えられない、私は、董海川先師を越えられない
しかしふと思ったのだ。あまりにタイミングよく、色々なものが押し寄せてくる。目指すべきものが見えてしまう、ということは、必要なタイミングで、必要なものが見えてしまう、というだ。
これは直感ではない。思い出しているのではないか、そう考えた時、パッと頭に浮かぶことの意味が説明できる。いや、説明などできない。思い出すとはどういうことだ。まるでそれだと、私が150年前の清朝末期から現在日本に生まれ変わったかのようだ。
何か大きな意思があり、それが人間の社会や技術を発達させてきた。そのようなことを信じるようになってきた。しかし、生まれ変わり、というたぐいのものは、さすがに心から信じることができなかった。
肉体とかがそのまま、現世に転生する、というのは、やはり信じることはできない。よく『前世は、中世の王様だった』とか、『中世のお姫様だった』とか、そのような話をする人がいる。決してバカにしたりしないが、私は信じることができないのだ。そもそも、全く無名の庶民が、前世に限ってほぼ一握りの高貴な存在であった、という話が、都合がよすぎて信じることができないのだ。
当然そう考えると、私が董組川先師の生まれかわりなのではないか、という話もあまりにも偶然が過ぎるのである。しかしそうだろうか。私は、そこら辺にいる、何の特徴もない、50代の男なのだろうか。
そうではない。誰よりも、董先師が創った技術を求め、誰よりも練習し、今なお、誰よりも研究し、ごく普通の生活をすることすら放棄して、追い続けている。私こそ、董海川先師の生まれ変わりであると、一番言っていい人間のうちの一人なのである。
日本国内には、多くの八卦掌指導者がいる。彼ら彼女らは、皆近代化した後の八卦掌の指導者である。董海川先師が創ったものから、大きく技術体系を変えた後の武術の指導者である。しかし私は違う。八卦掌指導者が間違っているとか、そういうことではない。間違ってなどいない。そのようなことはどうでもいいことだ。変化は誤伝ではない。変化させた者にとって、変化させることが必要だったから、そうしたのだ。それも大いなるものの意思なのである。
生まれ変わりとか、転生とかは、未だに完全には信じていない。しかし状況が物語っている。この状況に心をゆだねることは、多くの古代の賢人らが話す、『流れに身をゆだねる』と同じことなのかもしれない。疑うのではなく、これから眼の前で行われることに、必要以上に抵抗することなく、進むつもりである。
以前ブログで、『夢の中で、大きな盾を持って大声で叫びながら、何か飛んでくる平原の上で、走る自分を見る』と書いたことがある。私は、練習で連身藤牌を最も長く練習している。だから夢でも見るのだと、思っていた。しかしそうでなかったら。
楊家拳の門伝では、董海川先師が転掌を創る際に最も土台となった武術は、戦場藤牌兵刀術である、と断じている。私もそう確信している。楊家では、連身藤牌の伝承がもっとも後に行われる。それは、掌継人となった後に、本人が希望して、かつその本人がしっかりと練習していることを条件として指導される。それくらい、門外不出の伝承技なのである。
サイトでは、連身藤牌の初心者用練習型の一部を、門の紹介として掲載している。盾の中から身を乗り出して斬っていて実戦的じゃない、という、何も知らないド素人丸出しの批判もあった。転掌の技術体系について、何ら経験も智識もないから、そのような的外れな批判をするのだ。塩田剛三師範の多人数相手の多人数取りを見て、「やらせだ」と言ってる人間と、なんら変わりがない。私は、塩田剛三師範のすごさを、門外漢であるにもかかわらず、多人数戦を追い求める者として、理解し絶賛している。あれは選ばれし者の技術である。キーワードは、強者の使う技術をもって、強者に対抗し、さばいているからである。私はあの技術を指導できないし、指導できたとしても、人に教えないだろう。弱い者が使いこなすようになるまで、大変な積み重ねを要するからである。ほとんどの人間が、一つのことを長く根気よく続けることができないことを、伝承活動・修行期間の中で、身をもって思い知ったからである。
この揺るぎない「状況証拠」に身をゆだね、私は150年前に一旦終わった「伝播」の波を、再び引き起こすことにした。今度は世界の隅々に、自分と大切な人を護衛する技術を伝える
日本の、いや世界の護身術は、転掌式八卦掌の復活をもって、夜明けを迎える。
私は世界にその技術を伝えるために、より多くの者に伝える部分を、明確にしてきた。何冊も書籍を出版し、伝える技術に磨きをかけてきた。書籍による転掌「一定時間生存術」の開示は、世界の隅々に、転掌が護身術として利用されるきっかけを作るものである。
リデル・ハートの名著「戦略論」における「間接戦略」である。一つの場所に道場を創り、そこの近隣住民にのみ指導することは、地に足の着いた活動として称賛されやすい。しかし世界に広がることはない。世界に伝承するならば、力を注ぐべきは、局所での深い指導ではない。
まず世界に、その技術体系を広く知らしめ、そこから抜きん出た、指導者志望の有志を自動的に選別し、日本にて一定時間育て、その者が本国に帰還して、その場で広める、のである。これこそ、迂回しながらも、最も自分が望むものを実現し得る「間接戦略」なのである。絶望的な状況の中で、私の元を離れず、自らも痛みを伴いながらも、とどまり、ついてきてくれる軍師に感謝したい。人生を賭けたあなたに、私は大きな成果をもって報いる。そして、苦しい中でも構わず飛び込んできた親衛隊長・事務方スペシャリスト・筆頭技術指導者に、心から感謝したい。私には、張良もいるし、樊かいもいるし、簫荷、陳平もいるのである。あとは全軍を率いる、大将軍・韓信だけである。
軍師曰く「そのうちやって来る。兆しが間もなく来る。ラオシィが、覚悟を決めたから」
ありがとう。その通りだ、軍師の言うことはいつも正しい。
150年前の私にも、多くの協力者がいたはずだ。150年前の私に言いたい。
私にもいる、大丈夫だ
今から、150年前の偉業の続きを行っていくことにする。
もっとも最初に採るべき行動は、転掌八卦門を、生粋の伝統門に戻すことである。私はコロナウィルスによるパンデミックで、門の安売りをしてしまった。先ほど挙げた、生粋の仲間たちの意見を無視し。今私が陥っている状況は、私の責任である。しかし軍師はいう。
「このような事態に陥ったことで責任を感じることに意味はない、ここから得られる気づきを、実行に移すのみである」
明確に分かったことがある。すぐに行動を起こさない者に、転掌の未来を味わう猶予を与える必要はない。金沢に来て、安価な講習料であっても、雨だ、用事だ、公園で恥ずかしい、などと言っている者に、転掌の達人となる未来はない。もう用はないのである。これから先も、そして今この瞬間も、世界の多くの有志が、転掌の技術に触れている。それはアクセス解析や動画、出版書籍の販売状況が如実に物語っている。
伝播の波は、確実に大きくなっているのである。この波に一緒に乗ってもいいと思う者だけ、ついてこればいいのである。私にはすでに、建国の功臣がそろっている。いつまで、お客様感覚で門にアクセスしてくるのだ、カルチャーセンターではない、伝統門である。いい加減な態度でアクセスしてくる者は、そこを改めよ。改めないなら、中国拳法を始めとする武術に習得は難しいと考えよ。
- 転掌八卦門初伝科:料金体系の変更。参加における選考制の復活(初伝門人の人格基準の維持)
- 転掌八卦門の拠点設置措置の停止:現在金沢に設置してあるが、金沢で拠点を設置した状態での門下生の募集を今後停止する(需要がない、学び通せる者がいないため)。
- 指導展開方法の変更。準備期間後、指導拠点を週~月単位で変更し、全国を指導して周る形態を採る:冬季は太平洋側の非積雪地帯、夏期に積雪地帯側の指導をメインとする。
- 通信講座(一定時間生存術)の料金体系・指導体系の変更:非対面指導する内容の明確化。昔日の秘伝も指導するため、それに見合った報酬を、館が得て、技術レベルを維持するため。情報漏えいに対する対抗力の強化のため。
