転掌が清朝後宮護衛官武術の立場を得た本当の理由

八卦掌の原型武術・転掌は、清朝後宮の宦官・宮女護衛官らが使った武術である。この事実を知らない八卦掌修行者は多い。

そもそも、董海川先生が宦官であったことを知らない。宦官とはどのようなものであるかすらも、知らない。宦官とは後宮にて、王族の世話や雑役業務に従事した、去勢された男性雑役官吏のことである。

転掌創始者の董海川先生は、宦官であった。これはどの八卦掌内流派も口をそろえて認めている事実である。

転掌はなぜ、後宮護衛官の武術として採用されたのか。これが本題のテーマである。

採用された本当の理由はこうだ。董海川が王族らの護衛人に関わる不満を洞察し、それを解決する手段になりうる武術を推理し、それに合わせた技術体系を創りだし、技術を意図的に人(王族や関係者など)に見せ、その技術体系が、王族らが従来持っていた不満を解決しうるものであると、王族らが判断したから、後宮内護衛官武術として採用されたのである。董師の技術が高く、王族がそれを見染めたから、後宮護衛官武術になったのではない。


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よく言われる話が、宮中内の壁の屋根に上り、お盆に載せたコップの水を落とさないで練習している(!)のを、王族が偶然見て、すごいと思ったから採用した、というもの。八卦掌内の各流派では、その話を逸話として、ロマン性を込めて、採用された理由として弟子らに伝えている。もちろん、真の理由とは半分思っていないであろうが。それはあくまで、達人によくある、人間離れした伝説と思ってもらうとよい。

ここでは、もっと現実的な話をしていく。ここで話すものは、私が先代師より聞いたものである。楊家拳における門伝であり、その内容も極めて合理的でロマンが無いくらい現実的であり伝説めいた内容が無いため、信用できると考えて良い。

『王族が従来より持っていた不満』とはどのようなものだろうか。それは、自分たちの居住スペースでもある後宮に、護衛の目的とはいえ、武術の心得のある男性護衛者たる男性武官が、攻撃力の高い武器(武官用の刀剣など)を持って入り込んでいる現状にあった。

当時、王族といえども、宮中に入る者の素性を、すべて把握できた訳ではない。もし謀反の心・密命を持った男性武芸者が後宮内で凶行に及んだら、宦官・宮女ばかりの後宮内では、我が身を守る者がいないため、たちどころに自分の命が危うくなる。清朝に正規に採用され、紫禁城内に出入りする者であっても、どのようなしがらみや使命・信条を持っているかわからないのだ。

正規護衛官の武術技能と武器が脅威にもなった

董海川先生が宦官として宮中内に入っていた頃は、ちょうど太平天国の争乱が鎮圧されたころの、乱世の時代。中国国内には、多くの利害・恨み・仇が交差し、頂点に立つ清朝宮中には、様々な思惑を持った人間が、公に、もしくは秘密裏に、その場を行き来した。

不透明な人間の行き来に対し、護衛者を置かない、という選択肢を採ることはできない。男性護衛者を、一人として入れない、という措置は、有事に己を守る人間を一人も設置しないことと同義であるからだ。そこに王族のジレンマがあった。

董海川先師は、その部分に目を付けた。宦官・宮女でも護衛の任務が可能となるような武術を考案し、その武術を推奨・提言できる機会を意図的に創り出し、機を見て売り込んだのである。

その時、以下の点を強調したと考えられる。

  • テンショウであれば、宦官・宮女でも護衛が可能となるため、現在後宮内に侍る男性護衛者を罷免できる,という点
  • 身の周りのモノで対処し得る技術体系で在るため、宦官宮女らに、刀や槍などの、攻撃力の高い武器をもたせなくてもいい、という点
  • 短期習得可能であるため、宦官・宮女らを、ただちに護衛の任務に就かせることができる、という点
  • 武術といっても、積極的に敵を攻撃する武術でないため、他の者にとって脅威ではない、という点

董海川先師の目論見とプレゼンは、清朝粛親王府の王族の心を動かすことになる。

王族は、宦官・宮女らが最低限の護衛を実行するのを確認してから、いままで宮中内で侍っていた男性警護人らを後宮から締め出し、転掌を習得した宦官・宮女らにその任務を行わせるのである。その時罷免された者の名は、伝説では「沙某(なにがし)」となっている通り、正確には不明である。その沙某と一騎打ちになった、という逸話があるが、伝説の域を超えていない。

転掌は後宮護衛官武術となり、元来の董海川先師の武術技術のレベルの高さもあいまって、その名を高めたのである。転掌の創始者、そして指導員として成り上がった後の董海川先師には、第三者が証明しうる逸話がちらほらと出現し始める。

武勇伝として最も有名なのが、王族の僥倖(ぎょうこう※下界視察のようなもの)に、側近護衛官として随行した際、遭遇した賊徒に単身斬り込み、縦横無尽に駆け巡り、大根を斬るかのごとく賊徒を倒し続けた、というものだ。これは、楊家に門伝として伝わっている。

この話の実際は、董師が重い単刀を引っ提げて、賊徒にぶつけ斬りをして倒した戦いを、伝えたものである。切れ味のよい刀では、多くの賊徒を斬り続けることはできない。切れ味の良い刀は、人を斬った際に生じる、刃部の損傷により、たちどころに斬ることができなくなる。重い刀は、切れ味よりもぶつける面の丈夫さを重視する。重い刀を敵にぶつけて殺傷することで、多くの敵に対応したのである。ぶつける際の殺傷力は、長年の修行によって養われた移動による移動推進力と持久力をもって大きく増大され、殺傷しうるものまでになったのである。

転掌は、王族に認められ、その護衛をつかさどる護衛官武術となることで、多くの武を志す男性に、「習ってみたい」という欲求を持たせる。名声が高まったがゆえに、董海川先師の元には、強さを真摯に求める男性武芸者らが多く集まり、それが技術体系の変化へとつながるという皮肉な結果を生む。

当然である。修行する者の中身が、身体柔弱なる宦官や宮女から、武の道における完成を求める、屈強な男性に変わったのである。名声を得れば、転掌は多くの武門と、腕比べの試合をするようになる。そこは、転掌が想定した戦いのシチュエーションと全く異なる、「試合」なのである。ある程度の公平性が保たれた場。

多人数の戦いはなく、武器もなく、体格も同じくらいの者同士で行われ、両者の中堅指導者らが、審判として試合の安全を見守っている。片や転掌はどうであろう。弱い者が強い襲撃者と戦うために移動戦を繰り広げるため、向き合って戦う試合とは、その戦い方を根底から異にする。董師の元に集まって、その技術が完成していった男性修行者らは、対多人数・対強者・対武器の技術体系から、対一人想定・試合での勝利至上主義の、強者格闘技へと技術体系を変更させていくのである。

転掌はその後、幾人かの高名な後代拳師らにより、複雑高度な八卦陰陽理論で技術が理論づけされることになる。漢族知識人らの、知的好奇心をも満たすためである。高度な理論で裏付けできれば、転掌は「高級武術」となることができる。『宦官や宮女が短期習得で「おとり護衛」をするための武術』よりも、『八卦陰陽理論によって技術体系が組まれた、試合で勝つことのできる武術』の方が、人々に与える印象が良く、修行者も集めるのであるから。

そのようにして、「転掌」は「八卦掌」へとその名を変え、転掌の名と技術体系は、八卦掌の国内への爆発的な波及と共に、転掌自体が無かったものと思われるくらいの勢いで、その存在自体を無くしていくのである。

その流れに抗し、弱者の護身・護衛のために、転掌の技術体系をなんとか残そうと奮闘したのが、転掌3世の、宮女として董師にも教えを受けた開祖である(宮女開祖と門内では呼んでいる。宮女開祖の名は、私の先代師の師伝により、掌継人だけに知らせる門内秘匿事項とされているため、非公開)。宮女開祖は、時代の流れの中で、その技術体系を守ろうとして

「この技術体系だけは、変えてはならない」

という門伝を楊家後代に守らせた。そして縁あって、弱者護身と護衛を願っていた私に伝わったのである。

清朝後宮護衛官武術となった経緯に関わる門伝と、私の見解をもう一つ述べておく。董先師は、地方漫遊の中で、一人の異人と出逢い、八卦の術を授けられた、という説がある。これはどういうことであるか。異人とは何者か?

楊家伝によると、護衛官武術となったいきさつが、「董海川先師が、清朝の護衛武術となるのをもくろんで、その技術体系を創り、それを売り込んで採用された」となっている。董師から直に指導を受けた宮女開祖の伝えた門伝であり、私は信頼できる内容であると判断している。しかしこれではあまりに、拳法誕生のきっかけとしては野心的でロマンがないではないか。後世に与える印象はよくない。特に、転掌の伝承と発展を目指す後代拳師らは、その影響をまともに受ける。そこで誰に迷惑をかけることもない、説明できない存在である「異人」を創り出し、その存在から技術を受け継いだとして、最低限の伝統性を持たせたのである。

以上、護衛官武術とした採用された経緯を示した。ここで示した見解は、八卦掌が転掌であった頃の技術体系を知らない者に、多くの疑念を抱かせるであろう。きっと、マイナス評価されたり、登録者が減ったりする。暇つぶしのサラリーマン愛好家らが見るなら、それも避けられない。一向にかまわない。結構である。しかし私は長年、近代格闘術八卦掌となった現行主流の八卦掌を学習し、指導許可を得るまで磨いたうえで、ここで示した成立過程に、腹の底から納得したのである。転掌の技術体系しか知らずに、このようなことを言っているのではない。批判しようとするなら、まず先にそこを理解せよ。

的外れな意見にさらされようと、これは、伝えなければならないことなのである。転掌時代の董海川先師の、伝説的逸話を紹介しているのではない。弟子に、技術や練習法の意味を示すうえで、必ず必要となる伝承事項だから、これほどの時間を割いて、動画まで作成して、伝えたのである。

日本の、そして世界の護身術は、転掌式八卦掌の復活をもって、ようやく夜明けを迎えるのである。よって、転掌を唯一極めた私が、昔日の姿を、伝えなければならないのである。

日本の武術愛好家らは、自分の取り組んでいる武術についてその本質を見ず、「〇〇先生伝」「正伝」なる他人が勝手に謳っている、実戦において全く役に立たない権威めいたものに固執している。いつまで経っても、自分の取り組む拳法によって、有事の際に対応できるか自信がないからである。いつまで経っても、素人の、力任せの素人の攻撃にすら、対応できないのである。この動画で示したものは、自分が向き合う武術の本質を考えるうえでの、「思考法」の参考となろう。

くだらない権威に心囚われているならば、今すぐ、君の取り組む武術の本質を、自分の今の直感とかで、捉えてみるとよい。批判したり、チャンネル登録を解除したりする、しょうもない行動をする暇があるならば、今一度自分の武術と、向き合ってみるがいい。分かったか、サラリーマン愛好家どもよ。

地方の名もなき先生の教えに不満を垂れている場合ではない。そこで示された型の意味を、何度も繰り返して、徹底的に味わってみろ。それができないのなら、たとえ有名先生に師事できたとしても、「自分で考えない奴」として、気にかけてもらえることはないぞ。私に言わせれば、わざわざ都市部の有名先生に師事する必要もない。今受けている教えを理解し、その先生の名で、独自の流派を立ち上げてもいい。私もそうであろう?証明できない無名の家の家伝武術を、長年の修行で得た経験をもって、価値ある存在と確信し、広めているではないか。

董海川先師の行動力を、少しでもいいから見習うがいい。私が、先師を最も評価する点は、意思の力に裏付けされた、この行動力であるのだから。行動しない理由ばかり話す日本修行者の中から抜きん出るためには、淡々とこなしていくこと。抜きん出るくらいなら、これだけで十分である。

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