もっと警戒せよ。特にその傍らに大切な人がいる時は。
私が警備員として、夜間公園、市街地外れの防波堤・緩衝地帯を警備していた頃、本当に多かったのは、人気のないところに女性を連れて来る男性だ。
もし本当に、その女性のことを大切に思っているなら、このような場所には連れてきてはいけない。海外では、このようなことはあり得ない。絶対につれてこない。海外では、男子一人でも、人気のない場所にはいかない。それくらい、危険だから。日本は格段に治安がいい。それはまちがいない。各段にいいのである。
しかし、人気のない場所には連れてきてはいけない。それは、男性が強くても。格闘技をやっている?空手の有段者?ケンカ自慢?すべて関係ない。お前ひとりじゃないんだ。そこには、守るべき人がいるだろう?
お前が戦っている間に逃がす?守るべき人は、恐怖で動くことができないぞ。
転掌では、護衛をする、が加わると、その要求技術は格段に高くなる。振り向き様の敵に、斬られないでけん制しなければならない。必ずその場にとどまらないといけない。その場にとどまり逃げ続けるために、持久力系競技選手並みの持久力を、単換掌・双換掌の型練習をしながら、磨く必要がある。しかしそこまでしても、救援が来るのが頼みなのである。一定時間生存術、というだろう?それはつまり、転掌の技術を極めても、一定時間しかおとりになることができない、ということだ。
転掌護衛官は、時間稼ぎをするのが使命なのである。もし救援が来るのが遅れれば、宦官・宮女は命を落とす。斬られた部分からの出血が、主な原因となる。転掌における勢掌理(前敵スライド回避攻撃)をしていても、相手が複数人であったり、暗殺のエキスパートであれば、ダメージは避けられないのである。
人を守る、というのは、それくらい、苛酷なものである。守るために事前に準備をして、やっとのことで、一定時間、護衛できるのである。準備をしていない、ただ、人気のないところに恋人と来たいだけの、危機感のない一般男性では、話にならないのが分かるだろう。おおよそ今まで、警備員時代に見た、連れてきてしまった男性らは、身体を鍛えてなさそうな、やんちゃそうな男ばかりである。屈強な男性であっても、護衛は難しいのだ。とにかく帰れ!
なかなか帰らない、言っても帰らない、何も起きてないから、帰らない。あまりに危機感が無さすぎて、どうにもならない、がいつも感じていたことだった。
練習していると、すぐ近くで、集団だからなのか、馬鹿にしてくる子供らがいる。きわめて危ない行為である。もっと親は、そのような命知らずな行動を採らないように、指導しなければならぬ。マレーシアでは、武術を練習する人間を馬鹿にするようなことはしない。保安職のプロか、ゲリラである可能性があるからだ。ゲリラであったら、馬鹿にした者の命は保証されない。
見ず知らずの人間をいきなりバカにするのは、日本独自の、平和ボケした国ゆえの文化である。平和は大変貴重だ。しかしそれを当たり前と思ってはいけない。いま日本には、平和が当たり前でない国から来た人間がたくさんいる。もともと日本は、本来の目的と違った目的をもった外国人が侵入していることで有名であった。それらの人間は、平素は全く何もしない。しかし、心には違った使命を抱いている。日本だからといって、そこにいる人間が、すべて平和的な人間、ばかりではないのである。
先ほどの話に、話を戻そう。見ず知らずの人間を、馬鹿にしたりするな。どのような人間であるか分からないのだ。現在の親たちは、中年男性をやたらと警戒する。しかし本当に警戒すべきか判断は、年齢とか性別とかで判断するものではない。判断できないのなら、例外なく人を馬鹿にするな。
現在の護身術は、危機管理・危険回避の護身知識を教授することをメインとした護身術と、敵に掴まれた後の対処法を教授する護身術に分かれる。もし時間がないならば、危機管理・危険回避の護身術と、私の指導する、敵に掴まれない護身術を習う。一般の、敵に掴まれた後の護身術など、習わない。間に合わないから、時間がもったいないのである。
危機管理・危険回避の知識ならば、転掌の護身術を見事に一致するからだ。そこで説かれている危険回避術は、転掌の護身術をあわよくば不要ならしめる、事前回避のノウハウである。








