中国拳法の閉鎖性を侮ってはならない

中国拳法の秘密主義・よそ者不歓迎の実体を侮ってはならない。それは、私自身が、身をもって体験したからわかることだ。

例えば、いきなり道場破りに来るような人間が、返り討ちに遭って、その後頭を下げて入門を願う。そうしたら、「特別に教えてやろう」とその先生が特別に認める。

そのようなことは、私の経験から、ありえない。いきなり道場破りに来るような人間など、その才能が垣間見られたとしても、弟子にすることなどない。危険だからである。弟子の立場であった者が、師をあやめ、その門を乗っ取ることなど、いくらでもあった。国家単位で、下剋上が常に行われていた過酷な歴史の中国では、そこで生まれた武術も当然、謀反人に対して寛容ではないのだ。

それは、「〇〇門」などと名乗っているような伝統門であれば、なおのことである。つまり、八卦掌水式館の「転掌八卦門」でも同じ、ということである。私の元にも、過去3人ほど、腕試しの意図を持った人間が来た。当然、返り討ちである。そして、その瞬間に、永遠に「帰りなさい」である。そのような無礼の極みをした人間など、以後どれほど礼を尽くしても、教えることなど無いのだ。

いきなり「道場破り」などという極端な例を挙げてしまった。では、一般の門下生にはどうだろうか。

練習をしない者には、その門戸は開かれない。それが結論である。そして、中国の先生は、日本の先生みたいに「もっと練習しろ」などと言ってくれない。一度くらい言うかもしれないが、以後は言わない。もうその時点で、彼はそこの場から先に進ませてもらえないのである。練習しろと、言ってもらえないところが、中国拳法の世界の厳しいところである。練習しろといってくれる先生は、本当に優しいのである。

過酷なのは、教えないが、お金はとり続ける、という点である。練習しない人間に、本当に強くなる方法は教えないのである。ウソを教えるのである。もしくは断片的な基礎を永遠に、教えるのである。日本人の価値観からすると、「お金をもらっているのに教えないなんて・・」と思うかもしれない。しかし中国では、そのような道義的な価値観などないのである。いつまでたっても、本腰を入れて練習もせず惰性で続けているだけだから、教えない、のである。

日本の愛好家は、自分のペースで修行したがる。自分が何を習うか選び取って、自分にとってメリットとなる体系だけを、効率よく学ぼうとする。そのような姿勢を中国の先生が見たら、即効で「お客様」扱いをされ、型だけを教えらえ、お金はしっかり取られ、帰らされる。

日本の愛好家には、拳法の重要な中核技法を、無料でかすめとってやろうという人間が本当に多い。そしてこともあろうことか、教えを請うう先生に対し、値切ったりする。問題外である。私を含め、中国拳法の伝承者になるには、皆、膨大な時間・労力・お金を費やし、貫くことで多くのものを失っているのである。楊師もそうであった。過酷な経歴を聞いた。これは誰にも言うことができない。

よく問合せに、「遠いから行けません」とか、前々からわかっている指導日に、「その日は仕事が入る可能性があるからいけません」などというものがある。来る気があるなら、来るだろう。行く気があるなら、前もって日が分かっているのだから、仕事を入れない努力をし、来るだろう。

その者にとって、習うことは、日常生活を送った後で余力あれば習うもの、なのだ。そのような片手間感覚を、長年多くの人間に指導してきた中国の老師先生はすぐわかるものだ。私もすぐわかる。こいつは練習してないな、こいつは次には来ないな。そしてその直感は、おおよそ当たる。指導してきた100人近い人間の中で、心から、「学ばせてください」という気持ちで向き合ってぶつかってきた人間は、ほんのわずかである。そしてそのわずかな人間だけが、掌継人となって、全伝を受けることができるのだ。

日本人にとって最も過酷な、「外国人に対して教えない」という事実。これについて、私は本当に、恐ろしくなる。私は学生時代、関東で楊家武術の伝承者に指導を賜った。

最初の半年は、八卦掌と言われながら、斜めに移動する形意拳を教えられていた。違うものを偽って教えられていたのだ。それが中国の老師の、人を試す方法なのである。私は月2回、関東に通った。そして、習ってから愛知に帰ってからは、とにかく徹底的に練習をした。私の拳法を始めた動機が、私をそこまで駆り立てたのである。

「シュリーイェ(水野)よ、お前はなぜ、いつもそんなにやるのだ」

楊師の問いかけに、中学生の私はなんのためらいもなく、私が始めた動機・きっかけを話した。こんどこそ、大切な人を守る。こんどこそ、と真摯に訴えかけた。それが師のお目にかなったようである。

「次からは、前日の夕方と、日曜の朝に来い。そして、昼には顔を出すな」

そして次から、土曜日の夕方に個別に習った。そこで初めて、斜め後方スライドの転掌式八卦掌を習ったのである。

「この技法は、もはや誰も練習してないものだ、お前のような人間には、役立つだろう。いいか、昼に来る大人たちには見せるな。そもそも昼に来るな。」

私は土曜日に習ったものを、拠点となっていた親戚の家の前で夜通し、練習し、そのまま日曜の朝に出かけた。それくらい、衝撃的で、感じるモノがあったのだ。明確に覚えている。「これだ!」という感動を。私の前日からの進歩を、その都度、師は目を細めて、喜んでいた。そして楊師の私を呼ぶ名が、「シュリーイェ」から、「イーレン(義人)」に変わるころ、代継門人(転掌8世)となった。その積み重ねの日々があったからこそ、転掌の伝承を受けることにつながったのである。突然訪ねて頭を下げて、いきなりよそ者が教えてもらえるはずない、と私が言い切ることができるのは、その経験から言っているのである。

楊師は、私が書籍で発表した内容を含めた転掌の全伝技法を、特別のものとして扱っていた。だから、日曜の昼に来る、進歩しているのかどうか分からない程度の練習しかしてこない日本人に、お金をとって「ウソ」を教えていたのである。

それがいいか悪いかは、さておき、これくらい、伝統門で育った中国の老師というは、閉鎖的なのである。だから中国拳法を学ぶ者は、まずのその門派の入り口に立つことである。紹介状などを求めて特別扱いしてもらおうとする人間が私の元にも来たことがある。

しかし、そんなもの、何の役にも立たない。中国拳法の師に信頼され、その全伝を受け継ぐための唯一にして最速の方法は、誰もが立つことができる入り口に立って素直に学び続けることだ。その人間が今までやってきた武術について、師にとやかく講釈を垂れる何ぞ、もってのほかである。素直に学べ。その武術については、その者は初心者なのであるのだから。

この文を読み、反発するならば、あなたはいつまでたっても、本当のものを教えてもらえない。私も、この文を読んで反発するような人間に、教えることはない。一通り学んでもいない人間が、何がよくて何が不要か、など分かるはずもない。私は楊師よりその技術を一通り学んだ時、とても自信がなかった。しかし毎日練習場所に立ち、続けることで、私の身体という、もう一人の師が、転掌の深い部分を、教えてくれくれたのである。

その「もう一人の師」に逢うためには、だれもが通る道を通り、そこで腰を据えて練習をし続けることで一握りの存在となり、全伝を一通り受けるプロセスを経る必要がある。

厳しいだろうか。そんなことはない。だれもが通る道は、誰もが通ることを認められているのだ。つまり、だれもが、スタートラインに立つことができるのである。そういう意味では、一族にしか教えない家伝武術と違った可能性がある。

私は、この厳格な道を、私に続く者に経験させる。そうすることで、きっとその弟子は大きな誇りを得るからだ。気軽にサックっと学びたいなら、そのような場所に行けばよい。私のところは、中国伝統門で学ぶことのやり甲斐を感じることができる、国内有数の伝統門道場である。変えるつもりはない。

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