私は幸せである。物心がついた頃から、目的となるものが前に居て、それをひたすら追いかけてきたのだから
私はただ、おいかけてきただけだった。目的となる者が、余りにも浮世離れしているものだから、わたしもどんどん不適合者になっていくわ
人は私のことを、やれ空気を読まないなどと言ったりする。でもそれは私のせいじゃないのよ
目的が、目標が、余りにも現実から離れているからよ。でもこれはとても幸せな事なのよ
おおよそ、心底幸せを感じるような目的なんて、探すもんじゃない
私に言ってきた連中どもは、誇らしげに、自らの旅の無鉄砲さをアピールしてきた。武勇伝になっているものばかり、それですごいなんて思われたいの?
人に凄いと思われたいから、目的が欲しいの?それも、内容にこだわっている。世間がすごい、と言ってくれそうな内容を求めている
だからみんなと一緒になるのよ、自分探しでイチイチ旅に出ること自体、もう演じてるよね
そんなもの、探すものじゃない、目的を持つことに、前向きな理由じゃないときもある、私の目的たるこの人は、この人自身が目的を持つ時、余りに苦しんで、この人が今持っている目的を持たざるを得なかった
目的が人を苦しめることもある。目的は、自ら求める者ではないときもある
聞いてみた、その目的がなかったら、どうしていた?
拳法はしなかった、鉄道模型を作って・・・今周りにいる人たちと、時は過ごせなかったが、それで救われたこともあっただろう、って
そうなっていたら、私はどうなっていたのだろう。楊家拳を修めることはなかった、もう少し、凡人になっていたのかも
この人には悪いけど、それはもう考えられない。目的は、私の意図で生じたものではないのだから、「もし」を考えるのは、もう怖いから、ここあたりで、やめておく
どちらにしろ、戻ることは無いのだから、私はこれからも何も考えず、目的を追いかける。何も考えなくてもいいのだから、わたしはやはり幸せなんだと思う