高校を卒業した後、卒業証明書が必要となり、母校に取りに行ったことがあった。
いい思い出と嫌な思い出が交錯する場所。嫌な思い出の中に、高校2年の時の担任の先生に見下ろされていた記憶、があった。
だから、高校に行くならば、その先生だけには遭遇したくないなと思っていたのだけれど、よりによって、遭遇してしまったんだよね、それも校舎に入った瞬間に。
その時出会い頭に言われた言葉が、「ちゃんと社会で生きていけてるか?」という侮辱的な言葉。ニヤニヤ笑いながらだった。ほほえましい中で言われたものではなく、高校の時見下ろされていた時と同じ言い方。
彼はその言葉を、安易な気持ちで言ったのかもしれないが、あれから30年近くたった今でも、言った態度も内容も、その時の悔しい気持ちも、はっきりと覚えている。
それくらい不快だった。
恐ろしいことは、何かうまくいかないことがあるたびに、その言葉を思い出してしまい、「やはり俺はダメな奴なのか」と考えてしまうこと。そんな気持ちになると、ダメな状況はますます悪化する。
その状況が収まると、痛烈に思う。人にレッテルを貼るのは、本当にしてはならないことだ、と。そのレッテルは、私に何の教訓もプラスの影響も与えない。苦しい時、戒めにもならない。落ち込む気持ちを、余計落ち込ませるだけの、無価値なもの。
だから自分は、、人に対して、「○○さんは◇◇だね」を始めとした、軽いものですら、言わないようにしている。言葉は本当に恐ろしい。
元担任の、無責任で思いやりのない無配慮なレッテルに、これほど苦しめられとは。自分のすることをある程度こなしきった今、やっとそのようなレッテルに対抗できるようになった。
今まで散々、あらゆる人からレッテルを貼られてきた。振り返ってみて思うのは、身近な人が貼り付けてきたレッテルが、もっとも深刻な影響を与えた、ということ。
両親によって、「おまえは本当に不器用だ」と言われた。その言葉は、何かができたないたびに、私に「おれはなんて不器用なんだ、やはりいう通りだ」とという気持ちを湧かせ、行動を止めてきた。
友達によって「お前に責任のある立場はこなせない。俺だったらお前を任命しない」と言われた言葉は、社会人になってから仕事がこなせないたびに頭の中に蘇り、自信を奪ってきた。
レッテルに苦しめられ、落ち切った自分だったが、八卦掌だけはやり続けた。
そしてやり続けた結果、修行開始直後自分が思い描いていたよりもっと先のところまで来ていた。そこでやっとレッテルに対抗できる心構えが出来上がってきた。
気持ちの持ちようで、ここまで苦労しなくても、克服できる方法がインターネットにはたくさん載っているが、私はそれらを活用できなかった。だからこれだけの時間がたってしまった。本当にもったいない時間だった、とつくづく思う。
この記事をここまで読んだ君は、きっと今、周りの人間の無責任なレッテル貼りで、苦しんでいるのだと思う。
前に、護衛護身五型の練習をする人の中で「しょせん弱い奴は何をやっても弱いままで、強い奴は何もしなくても強い」という言葉を浴びせられて、悩んでいる人が居た。
そこで「練習すれば、その分可能性は生まれる、自力が強い人間の虚をつくことができるようになるかもしれない、練習しなければ、可能性はゼロに近いまま」と言葉を掛けました。
私の経験から言って、レッテル貼りには、大方根拠なんてない。言った人間の、一時の情報・記憶から発せられた無責任なもの。言われた人間は、言われた時に比べて、何らかの努力や行動で、言われた時よりも進化している。
だから、レッテルなんて、「ふんっ、何言ってやがる」とあしらえばいい。
レッテルほど、百害あって一利なしを地で行くものはないから。
強くなる過程では、「決めたノルマをこなさなければ弱くなっていく」という引き算的法則ではなく、「今日はこれだけやったから、その分これだけ強くなった」という足し算的法則が成り立つ。
だからもし「自分は弱い奴だ、その通りだ」と思って、練習や体力づくりに不安を感じてしまうなら、聴いて欲しい。
やった分だけ確実に強くなり、やった分だけ未来の可能性が生じる。例外は一切ない。一切ないんだよ。だから安心して進んでいこう。
確かに言えることは、毎日少しづつでも行動するならば、あなたの未来は、ゆっくりと確実に変わっている、ということ。
君は、戦うと決めて動いたから、、このサイトを見つけることとなった。見つけたから、理不尽な強者に立ち向かうための強力な五型を知ることとなった。
このサイト、いじめや暴力に対し穏健策を取る他のサイトに比べて、ストレートに戦うことを前提にして、究極の具体策(対暴力制圧法たる五型)を示した究極のスタンスをとる内容。
戦う決意をした者でないと、巡りあうことは極めて難しい。戦う決意を固めた者でないと、心に届かず、目に入ってもスルーしてしまうだろう。
しかし君は巡りあった。スルーしなかった。それだけも大きな成果だ。勇気をもって戦う決意をし、動いたゆえの成果だ。動かなかったら、ネット上にあふれる「強い者にはしょせん勝てない」「護身術など無駄」という決めつけの意見に絶望するだけだった。
無駄なことなんてない。五型をとおして八卦掌を練習し、身にしみ込ませたら、君の気持ちは変わり、大きく未来は変わっていく。その時、他人がはりつけたレッテルの内容に大きな違和感を感じるだろう。
「何言ってるんだ、的外れもいいところだ。私はそんなんじゃない。残念だったな。私はこうだ。私が言うのだから間違いない。」