安易な「引き寄せの法則」提唱者が大嫌いである

私は、youtubeにあふれる「引き寄せの法則」提唱者らが大嫌いである。

自分の考えを表現するのはいいことだ。しかし、この者たちは、人の「願望を実現したい」という気持ちを必要以上に苦しめている。そこが嫌なのである。

この者たちは、「量子物理学」という科学を持ち出して、「あなたが願望を実現できないのは、恐怖や欠乏の潜在意識のままで、願っているから叶わない」と説く。この者たちは言う。どれほど経済的に苦しくても、支払うことが出来ない請求書が来ても、豊かさを感じろ、と。そう思い込めば、直前で思いがけない吉報が来る、と。

何言ってんだ。そんな都合のいい吉報なんて来ない。物理学を持ち出す割には、そこに何らの根拠もない。思い込むことから生じる「波動」が、吉報、予期せぬ収入を招く、と言う。どういう展開にもっていくつもりだ。

そしてその果てに、実現できなかった者からの反論をかわすかのように、実現できなかった原因を、先ほど言ったように「恐怖や欠乏を心の奥底で感じながらなり切ったからだ、宇宙はそれを見抜くので、実現しないのだ」と言う。己の説く理論が実現しないのは、お前の心の奥底が原因だ、と人の責任にするのである。これはもはや、一生懸命の心につばを吐くのも同様の行為である。

私は今まで、自分の使命を信じ切って、毎日毎日、達人として当たり前に、練習をし続けてきた。それは我が子らも同じである。私も彼女らも、達人を志し、かつ達人であるがゆえに、達人として生活をしてきた。

しかし、苦しい時もあった。私も彼女らも。無理だ、やめたい、逃げたい、などと考えるは常であった。雨の日も、風の日も、大雪の時も、毎日当たり前に、練習をしてきた。辛い気持ちに支配される時も当たり前に。

この者たちの理論だと、辛い気持ちで行うのは義務感であり、不足の感情からであるため、叶わない、ということになる。しかし私たちは、当時「達人」だと思っていたレベルを、はるかに超えた。私も子らも、皆である。結局、行動なのである。この者たちは、インスピレーションによる行動ならしてもいい、と説く。何を訳の分からないことを言っているのだ。先にインスピレーションがあるのではない、行動の積み重ねの中に、インスピレーションが起こるのだ。順序が逆である。このエセ覚者らは、一つのことに本当に取り組み続けたことがあるのだろうか?

この者たちがよく取り上げる成功者は、アメリカ競泳界のスーパースター・マイケルフェルペスである。彼はイメージトレーニング・マニュファステーションを用いたことで有名である。しかし彼は、これらだけで栄光を掴んだのではない。高い志から沸き起こる不屈の精神で、日々努力を重ねたから、栄冠を勝ち取ったのだ。前向きな日ばっかりではなかった。辛い経験もしていた。ほぼすべての、栄冠を勝ち取ったアスリートが、先の見えない、成果の出ない、地道な時を重ねている。辛かった、やめたかった、多くのアスリートがそう話す。

この者たちの理論ならば、彼らは栄冠の「引き寄せ」に失敗するだろう。自分はまだ完全でない、だから練習しよう、もっと上を目指したい、だから練習しよう、と考えているからだ。そして、日々の行動は、インスピレーションなど待っていなかっただろう。とにかく毎日、続けたのである。私もそうだった。私の子らもそうだった。とにかく毎日、続けたのである。

「不足の感情・恐怖欠乏の感情を宇宙は察知し、それがゆえに現実世界は変わらない」などと、決めつけるな、と言いたい。ではこの者たちは、何を成したのだ。この者たちの動画は皆、同じ考え、理論の丸写しである。動画の中に流れるイラストは皆、AIで作成した生気のない気持ち悪いものばかりだ。どこをとってみても、自分のオリジナルがないのである。顔も出さない。実績も見せない。

「あなたの内面が変わった瞬間、すべてが変わる」と言いながら、最も難しい、現実があまりに厳しい局面においても「豊かさを感じ続ける」という難問について、明確な方策を示さない。示しもしないで、叶わないで苦しむ真摯で切実な視聴者らに「それはあなたが心の奥底で欠乏を感じていたからだ」といって、ダメだしの追い打ちをかけるのである。

この者らは、何も悟っていない。この者らが成果を上げているのは、「内面を変えるだけで、○○日でお金が入ってきた」などの歌い文句を垂れ流しているからである。

苦しい現状で、先が見えず、何の兆しもなく、どうしようもなくなって追い詰められても、救いの吉報も来ない方に言いたい。それはあなたの責任ではない。あなたは真摯に目的を追っている。行動している。あなたの行動は、誰にも批判できないのだ。ましてやYoutube上のこの者たちに言われる筋合いもないのだ。

私は、引き寄せの法則と呼ばれ、乱発される現在よりはるか昔の、宣言・確信の法則を信じている。それを現代に提唱したのは、ネヴィル・ゴダードである。彼の著作は、愛用して読む。しかし彼の著作は、引き寄せの法則ではない。宣言の法則である。これは旧約聖書のころの確信の法則に通じる。

ネヴィルは、私の好きなモーゼの話を引用する。だから彼の意見には共感できる。

モーゼ自身も、紅海を渡る際、エジプト軍が後方から迫っていても、躊躇したのだ。しかしユダヤの神が「なぜ私を信じないのか」と彼に問うたため、彼は恐怖を感じながらも神のその言葉に身をゆだね信じ、足を踏み入れた。それと同時に、海が割れたのである。

モーゼも、恐怖を感じていたのだ。多くの偉大なアスリートも、ずっと小さい頃から取り組んできた競技をやめたいと思うほど、苦しい気持ちを持ちながら進んできたのだ。私もそうである。多くのかけがえのないものを失った。このエセ覚者どもは、「それも必要なプロセス」などと断じるが、そんな簡単なものではない。それでも前に進んできたのである。

YOUTUBE上のこの、急造覚者どもは、一体どれだけの数が何年後、残っているだろうか。お金をもうけに来ただけである。あなたはこの者たちの言うことに、みじんも責任を感じてはならない。

私たちは、何かを成そうとしている。人の称賛を浴びにくい地道な分野であっても、その道にとどまり、日々時間を積み重ねている。そして世を動かすのは私たちである。このエセ覚者どもではない。あなたのやっていることは、完全にあなたにだけ属するオリジナルである。AIなんて入り込む余地もない。

共に進んでいこう。私も間もなく、四度目のどん底となる。しかし確信しているからあきらめることはあり得ない。ただ進むのみだ。待っている人がいるんだ。世界各地に、そして星のかなたに。いつも見てくれている人たちのために。

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