転掌八卦門の拳客として生きる時がやってきた

拳客。旅する武術家である。

私はその人生を送ることを、薄々感じていた。なぜなら、私の人生に起こるすべての事象が、その人生を生きる用意しているかのようなおぜん立てをし続けていたからだ。

旅は、どうしてもしたいこと、ではなかった。嫌いではないが、日常が充実していればそれでいいと思っていた。会社員は「宝くじが当たったら会社を辞めて日本一周」とよく言う。しかし宝くじが当たっても、旅にわざわざ出ない。

しかしこれから、日常が旅みたいな生活になる。強制的になる。これも流れだ。

流れは、余りに独自の技術体系を持つ武術を確立しようとしたことから始まった。そして北陸に再度居を移したことから、それは加速した。

愛知の地から石川・富山の地に来て、練習場所をはじめとするすべてのものが流動的になった。毎日違う場所、毎日違う練習。毎日様々な工夫を要求されるタフな環境下に置かれた。拳客として生きる以上、このような流動的で再現性の無い「日常」を送ることは避けられない。

愛知に居た頃は、練習場所も決まっており、何ら邪魔されることもなかった。石川では全く違った。中断は当たり前。過酷な自然環境、練習場所はほぼ砂浜。過酷な環境を乗り越えるタフさは、拳客になってからでは身に付けにくい。ここで強制的に身に付けらされたのは、大きなものの意思と思わざるを得ない。

私の所持するものが年単位でどんどん減っていき、いよいよ、車に収められるだけのものしか、持つことができなくなった。余分なモノを持つ選択肢はない。捨てるしかない。後顧の憂いを絶つことは、一般の生活をしていれば難しい。私のように、衣食住を失うことを控えた人間のみが、手放す勇気もさほど必要ないままに、大きな視点で見て、自由を取り戻すのである。

一番弟子は、拳客として生きる人生に、飛び上がらんばかりに喜んだ。いよいよだね、いよいよだ。そう言って、何度も何度も、喜びを表現していた。一番弟子は明確に、あの町、この街、地方の港で、スケッチをし、釣りをし、警棒を振って指導する私の姿を、イメージしていた。一番弟子の趣味たるスケッチで、未来の自分を示してくれたこともあった。

拳客として生きるために、まだする必要がある事柄も多い。しかし、最大の一歩を踏み出した。この一歩を踏み出すまでが、大きな抵抗を生んでいた。

導いてくれる師がそばに居ない状態で、高校の時からずっと、模索の日々が続いてきた。自分の取り組んでいるものが、あまりに稀有な存在になっていることに気づいてから、「頼るものは自分の直感のみ」と覚悟して進んできた。

その覚悟は、毎日練習場所に立つ鉄の意志を私にもたらし、毎日の練習は、私にベストタイミングでのインスピレーションを与えてきた。

まるで道が用意されているかのように、多くのことが起こった。起こったものの中には、あまりに辛くて受け入れることができないものもあった。練習をやめたいと感じた時、今まで私の人生に関わって大きな影響を与えてくれた存在が、遠く宇宙の果てからなつかしくて泣けるような記憶を呼び出させてくれた。

今、とてもわくわくしている。何を残そうか。これからどこで、ねぐらを確保するか。どんな景色が待っているか?車は、タウンエースくらい欲しいな、ワゴンRは、他の子にあげようか、などと考えている。

 

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