「護衛武術として伝えていく」と報告をする富山旅へ出発

八卦掌水式門の八卦掌は、護衛武術である。

八卦掌修行者で、そう言い切る人は少ない。しかし私は、初めての八卦掌の師から、八卦掌は「護衛拳法」だと教えてもらった。そして、これからも、今度は師として、必ず弟子に「八卦掌は護衛拳法である」と宣言していく。

その方針を、氷見にて報告する。節目節目で氷見に帰って報告するのは、これからずっとである。誰よりも理解し、誰よりも描いた目的を望んだ人、そしてその目的を実現するための旅に旅立つことを楽しみにしていた人への報告は当然である。

この方針は極めて重要だ。なぜなら、師として、伝える武術の最終目的を明確に示すのは、師の最も重要な使命であるから。そして、中学生の私は、その言葉を聞いて、心が激しく震えたのをハッキリと覚えているから。「護身術」に需要があるから、護身術の方が、人のとっかかりがいいからといって、水式門の八卦掌を、「護身術」化したくない。あくまで「護衛術」だから。

心が激しく震えたのは、私が拳法を始めた理由が、人を守るためだったため。ケンカに強くなりたい、とか、武術やカンフーが好き、とかではなかった。とにかく、人を守るくらいの力をつけたかった。間に合わなかったが。

そのように、私は護身術として練習したことなどない。常に「護衛術」として練習してきた。だからいまだに、斜め後方スライド撤退戦対敵身法(単換掌術理)と同じくらい、前敵スライド回避攻撃対敵身法(順勢掌術理)も練習するのだ。

八卦掌水式門は、以後、護衛武術として指導していく。師よりそのことを託され、示された技術を体得し、自由に身体を動かすことができるようになった。しかし、まだ先がある。満足なんてしていない。董海川先生が創出した「転掌」を現代に再興し、それを広め、その仕事をしつつ、転掌式八卦掌を極めていきたい。

私ももう、50を越えた。私は師として、弟子に模範で在り続けたい。しかし、加齢は人間の宿命であるため、これから先、模範で在り続ける期間は無限ではないのだ。

明日から富山である。八卦掌水式門発祥の地、氷見にて、もう一度、護衛武術を再興させる決意をする。私についてきてくれる一番弟子とともに。

くしくも、明日は氷見で花火があがる。一年で、最も氷見がにぎわう日である。

今日も暑い中、すべきことをした。己に課した使命をこなした。

明日もまた、堂々と、富山入りをし、練習をし、教え、釣り糸をたらし、花火を見、大切な宝を守る。そして報告する。

今年の盆休みの前半は、きっと愛知である。本当は、ずっと氷見にいて、「帰ってくる」期間中、そばにいたい。まだ実感が湧かない。実体がなくなったことも、もう実体に二度と逢うことができないことも。

まだ3回目の盆だから、実感が湧かないのかもしれない。

日本映画には、死んだ人がよみがえる映画が結構ある。「黄泉がえり」や「今、会いにいきます」「異人たちとの夏」などだ。私は、死んだ人を見た事や、感じたことすらない。だから、そのような世界がリアルにあることを考えたこともない。きっとこれからも考えることはない。

しかし、大切な人を失って、その悲しみや空虚感から抜け出すためにも、ある種の「体験」は、意味のあることかもしれない。東日本大震災でも、多くの遺族の「体験」が語られていた。世の中には、そのような「体験」を意味あるものとして導く人もいるのだし。

実体に逢えなくても、今でもそばにいると思っている。最期が近づく中、いつでもそばにいると約束してた。約束は破らない人だった。だからきっと、そばにいるという気もちのままで、旅立った。

だから、私は今、どんな怖いことがあっても大丈夫。例えどれだけ寒い暗い時間の練習でも、誰もいない野生動物だらけの夏の公園の暗闇でも、あの人も、振るのを見ていた、そして今も変わらず持っている、あの時からずっと毎日練習でも使っている樫のシャッターフック棒さえあれば、一人でどんな闇に入っていける。

これほど心強い道具があるだろうか。そしていつも、危険を感じた時には、私の手元にあった。イノシシの時も、野犬の時も、ピエロの時も。私にとっては、ジェダイのライトセーバーに匹敵するもの。だから今日も、今までも、そして明日も、練習し続ける。持ち続ける。決して離さない。

あの人も知っている、この棒。操る自分を、すごいと言ってたあの時の笑顔の顔。

何が一番心強いって、すごいすごい、と言ってくれて、「それさえあれば式人が追っ払ってくれる」と安心してくれていたから、あの人の気持ちが宿っているようだから、安心しているんだろうなぁ。つまり、自分の心にも、樫棒にも、居続けてくれるんだ。なんとも言えない安心感。気持ちがこもった伝説の武具みたいなもの。

真っ暗闇でも、恫喝されても、きっと切り抜ける、自分は大丈夫だ、って、勇気が湧いてくるんだ。燃え上がるような、全身の毛が逆立つような激しい勇気が、恐怖の感情とともに。絶対にここから先に行かせない、倒してみろ、自分を倒すのは、とっても難しいぞ!かかってこい!って、熱く燃える衛者の情熱が湧いてくる。

あの人の実体がなくなっても、いつもそばに居るから、だれかにとって大切な人を守りたくて、今でも守るために、練習ができています。そんなこと、いまでも本気で考えて練習していますよ。いつも心に居てくれてありがとう。今から、そちらに行きます。あなたの宝と一緒に、会いにいきます。

八卦掌水式門富山本科イメージ

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