◆倉敷本科の橋頭堡が築かれ、四国・中国地方の将来の門人らが「八卦掌じゃないか、習ってみたいな」という気持ちを思わず持ってしまう。
◆代表・水野が、愛知と富山の多拠点生活状態となり、北陸富山本科に清朝末式八卦掌の根が張り始める。北陸各県・新潟から、有志が清朝末式八卦掌を習うため、富山本科の氷見に集う。
◆団体指導で、多くの警備会社が水式門の技術を習う。その会社らは、「守ってくれる警備員」を求める病院などを始めとする顧客から仕事を得て、実際に守って感謝され、清朝末式八卦掌が護衛力の高さを実感。それが広まる。
◆電子出版で、清朝末式八卦掌に”はく”がつく。過去数回の企画書脚下の経験が活き、ついに紙出版における商業出版がなされ、店頭に「囮護衛武術八卦掌から学ぶ、弱者の命をかけた護身技術」なる本が出版される。
◆遠隔地本科生が、第2・第4日曜日、入れ替わりで愛知を訪れる。来るたびに「この拳法ならいける」と感動して帰り、各地で単換掌の術理を練習する人間が増えていく。
◆各科とも、定員がいっぱいとなってしまい、狭き門となる。代表・水野が、愛知・富山に教練門人を置かざるを得なくなる。
◆各支部の支部長候補生が名乗りを上げる。「私は水野の弟子のままでいい」と言って、水野に「そんなこと言ってないでさっさと独自の境地に行け」と叱られる。
2024年に起こるこれらの出来事は、以下の水野の行動・成果によって引き起こされる。
追撃者目線から撮影された水野の後退スライド動画が増えることで、その動画が「無名でも清朝末式八卦掌になぜか興味を持ってしまった」運命的才能を持つ将来の7代目達人らの背中を押し、彼ら彼女らを愛知に導かせる。
毎日の心拍数150程度の持久力土台養成的後退スライド練習が、2024年も引き続きずっと実行されるため、そこでつちかった土台が真夏に活きる。真夏の苛酷な環境の中でも、18分の対人想定総合練習が可能となる。18分を告げるアラームが鳴るまで、初速の「勢(せい)」が保たれる。
八卦双匕首の背中越し末端斬りの成功率が、スポンジ支柱を使った毎日の背中越し対敵練習のおかげで、2023年の50%から飛躍して、80%となる。それを可能にする技術(蹴り技を使わず、すべての動作を歩きながら行う技術)が完全に身に付く。
後退スライド対敵身法のノウハウを学校戦に照準をあてて再構築した動画・解説が、水式門の「いじめ護身部」で公開されたことで、いじめに関係ない三河地方の八卦掌の有志に知られる。その内容の真剣度が彼らを動かし、愛知本科へ足を運ばせる。
倉敷で習いたい人が現れ、彼と協議することで練習場所の目安が立つ。倉敷本科の芽生えとなる。そのことで北陸・下越の潜在的有志が焦り、こぞって習いに来るようになる。
双身槍術・八卦大刀術練習における2メートル棒における間合いが、苦手の背身刀術であっても明確となる。先端より15センチも入ったところで当てて満足していた未熟な気持ちが消える。先端より5センチの部分だけで敵の袈裟、手首、膝内側痛穴を確実に打つことができるようになる。