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立山連峰は見えないが・・講習会と報告と再出発

今日は、富山講習会。『「何気なく歩く」走圏から「基本姿勢・発力法」を練る明確な走圏に変える講座』講習会。

対多人数移動遊撃戦の土台であり、単換掌理における生命線・斜進後方スライドの機動力を確保する、極めて重要な基本。

講習会の告知でも、その重要性をしっかりと伝え、動画も作成して講習会でお伝えする内容も公開したが・・・・遠隔地門下生の方2名以外、誰も来られませんでした。

大変残念。伝え方が悪かったのか・・・?内容は実戦や散手・組手・乱取りで実証済みで、きっとこれなら、一人で奮闘しておられる方にもメリットがある、と思って、準備してきたが。

そもそも、ツイッターやホームページでも、当講習会の告知を、ほとんど人が見ることはなかった。当然私の力の及ばぬところも大きい。痛感する。しかしもう一つ、痛感することが。

「水野のスタイルは、今の風潮においては、大変だろうな。実戦重視とか言っておきながら、ネットで見ている連中の見たいもんは、対人用法の詰め合わせ動画だぞ。結局綺麗なのがいいんだしな」

「それじゃ、何もわっかんないだろ、足もうつってないやつある」

「わかる必要ないんじゃけ、戦いなんて、リアルじゃないんだから。一時、あざやかなもんに触れて、使える気になれればそれでいいんだからさ」

長年の武友との、会話を思い出した。コロナになってからずっと、この会話の内容がある意味で当たっていたことを、痛感させられてきた。

単換掌理は、当門が昔日の八卦掌を伝える稀な門であるゆえに、他では当門ほど重視されていない。当門では、単換掌理を指導するだけで、人によっては、ゆうに一年以上は時間を取ることもある。

しかしあまりにシンプルな動きに、講習会や出張講習で学んだ人の中には、残念そうな顔をする人もいる。仕方のないことかもしれない。

単換掌は、多くの人にとって、シンプルすぎる基本技の一つに過ぎない。深い意味を分かってない人も案外多い。

そして、単換掌をきっかけに学ぶ「単換掌の術理(以下:単換掌理)」は、「必倒」より「生存」重視の、逃げるのがメインのエッセンス。単換掌理にもとづく昔日の八卦掌は、近代八卦掌のように、合気道顔負けの流麗華麗な絡め技など、一切と言っていいほどない。

しかし私は、数年前、単換掌の術理・・・つまり単換掌理の重要性に気づき、涙も止まらないくらいの衝撃と感動を受けた。

「これならば・・・相手の状況に左右されることなく、生還できる。誰でも生還できる」

すでに私の練習相手が、その有効性を示していたのだが、今ほどの重要性を感じていなかった。眼前変化攻防に囚われていたからだ。「この戦い方で、どうやって多人数戦を戦うのだろうか?」とくすぶる疑問を持ちながらも、ひたすら変化攻撃ばかりを練習していた。

指導者の「まず一人からだ」という言葉を鵜呑みにし、「きっと対一人ができるようになったら、対多人数戦もできるようになるのだろう」と納得させ、やはり敵側面変化攻撃ばかりを練習していた。

しかし、記事 「倒さなくても、最後まで立っているだけでいい。昔日の八卦掌」 で触れたように、気の遠くなるような積み重ねの果てに、体重差や内功武術の使い手の膨張力の前に圧倒されたのをキッカケに心がくじけてしまい、そこで眼前攻防のスタイル自体を疑う気持ちが湧いてきた。

そして空しい日々がしばらく続いた後に・・・運命の言葉といってもいい

「単換掌理しかしない。私の攻撃なんて弾かれるだけでしょ」

それが、私の再出発でもあった。彼女はその時、私よりもずっと、八卦掌本来の姿に近い位置にいたのだろう。女性であるがゆえに、力と力がぶつかる世界にサッサと見切りをつけ、力がぶつからない世界に移動し、活路を見いだしていた。

今日の講習会は、私が最も重視し、志ある方に最も伝えたい内容だったがゆえに、大きな衝撃を受けた日であった。

ついでに・・・・楽しみにしていた、富山湾に浮かぶ立山連峰も、かすみがかって見えなかった・・・残念。下の写真は、富山県氷見市の窪海岸。遠隔地門下生の方のみの場合の練習場所。富山湾は綺麗だったが・・・。

さあ、再出発しよう。単換掌理と順勢掌理、それに伴う武器操法・・・・対多人数移動遊撃戦戦闘の理。すべてがまとまった今、「〇〇伝〇〇派」の”縛り”もない状態だから、ぞんぶんに前に進むことができる。

そのことを、富山の大切な人にも報告できた。喜んでくれていることだろう。前に進む。恐れるものは何もない。第九のテノール独唱部分の言うように

「進め、兄弟たちよ! お前たちの行く道を、そう、その道を!喜びに満ちて、勝利に迷わず進む英雄のように!」

ただ進むのみだ。もう、十分に練習はしきった。もう伝えていけ。もう、伝える段階なんだ!

4月より、八卦掌水式門は、再スタートをきる。我が門のスタイルに共感し、大切な人を守りたい、自分を守りたい、八卦掌を伝えたい、護身の法を知りたい、そう思う有志は、愛知に集え。

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最後まで立っているだけでいい。転掌時代の八卦掌。

立っているだけでよかった。倒さなくても、最後まで立っているだけでよかった。それができていたら。

人を守るには、自分を守るには、害悪を与えてくる連中を全員、倒さなくてはならない。そう思い込んで、ずっとずっと練習をしてきた。それが、私が長年、眼前変化攻撃にこだわってきた理由だった。

八卦掌とは、そのような拳法だ。弱者使用が前提だから、敵の目の前において、側面に回り込んで、相手の逆を突いて、反対側から、敵の思わぬ方向から打つ・・・・そう思い込んで練習をしてきた。

柔道の乱取り、空手や意拳の人との組手、とにかくやり続けた。そしてずっとずっと負け続けてきた。技術に自信がない時は「練習不足」だと言い聞かせて、とにかく側面に少しでも速く回り込むことを考えて、足腰をひたすら鍛えてきた。

速度が上がり、側面から強引にでも、圧力をかけることができるようになってきた。でもそうすると、今度は体重差や力によって、踏ん張られて弾き飛ばされる。

体重が60キロくらいしかない私は、男性格闘愛好家の中では軽量級。体重差で負けることが悔しくて、やはり側面移動速度を上げることをエスカレートさせて・・・やっとなんとか、と思いきや。

今度は、内功による胸前空胸による内から外に張る膨張力によって対抗する相手に、微動だにせず弾かれて・・・。ならばこの側面移動の速さではどうだ、と変化攻撃の果てに虚を取るが、相手はわずかに身体の向きを変えただけで・・・涼しげに押し込まれて。

正直に覚えているのだが、その時は、あまりの衝撃に、帰りの車中では、涙が止まらなかった。いつになったら、「人を守ると言って負けて、同級生の学生生活をつぶしてしまった、あの瞬間に戻って違った結果を残すことができるようになるのか。いま戻っても同じことを繰り返すだけ」と泣けてしょうがなかった。

人生に挫折、というものがあるのなら、あの時も確実にその時だったと思う。

それからしばらくは、自己満足のための練習・・・。それでも自分はやってるんだ、あきらめてないんだと、思い込むための練習。それが続き、日に日に身体各所に、ガタが来始めた時・・・。

「私、単換掌理しかしないの。なまじ他のことやると疲れるし、最後まで立っていればいいでしょ。だって私の攻撃なんて、前に出ても、弾かれるだけでしょ」

と高校生女子の言葉。ハッとして、これは・・・・。ひょっとして・・・と思った。

そして、プロイセンの参謀長、モルトケの言葉を思い出す。

「目的はパリ、目標はフランス軍」

パリという目的を狙えば、我が決戦を望むフランス防衛軍は、かならず出てきて決戦となる。その言葉は、侵略軍側人間の言葉だが、逆に考えてみる

敵の目的は、自分が守るべき人。敵は、その獲物を確実に得る目的を達成するために、邪魔な自分をまず排除しようとする。威圧と力、もしくは数で。そこで、自分が敵に捕まらず、動きまくり、状況が変わるまで、いや、助けが来るまで立ち続けていられれば。倒さなくてもいい・・・立ち続けていられれば。

倒そうとするから、敵に近づき、敵の技術や体格による影響を受け、そこで動きが止まり、あの時のように、後ろから椅子の足で殴られ、つぶされるんだ。「先生や誰かが来るまで、立っていればいい」とあの時気づいていたら、あいつの前で止まらず、防衛戦はその後も続いていたのに。

決戦でフランス軍が負けないで残り続ければ、脅威は残ったままなので、プロイセン軍はうかつにパリを占領できない。そう、攻撃しても殲滅できない、しぶといフランス防衛軍であればよかったのだ。なんでそれを、誰もおしえてくれなかったのか。なんでその生き残りの知恵を、あの時私は思いつかなかったのか。

それからずっと、単換掌理による模索の日々が続く。単換掌理は知っていた。しかし眼前攻防による必倒スタイルが、それを軽視させた。

気づいてからの模索の日々でも、相変わらず負け続けた。どうしても前にでてしまう。前に出れば、もしくは技巧によって敵を抑えようとすれば、必ず敵と力がぶつかり、弾かれる。

でもうしろにスライドすれば、違った結果が出る。徹底して、敵と力がぶつからない道を考えた。すべての技術を検討し、検討を速めるために、技を厳選し・・・・・。そうすると、走圏の意味も、定式八掌のけったいな動きも、すべてがクリアになっていくのだ。

やっと昔日の八卦掌の形に触れることとなった。昔日の八卦掌は、武器と戦っていた。だから各種武器の形状や使いにくさ、不適合さから逆推して、昔日の戦闘スタイルを裏付けする作業が続いた。

移動しながら武器の先に推進力をのせる、は、移動しながら、という前提により、八卦双身槍や鴛鴦鉞、刀の技法や形状から容易に昔日の戦闘スタイルが把握できた。

下のイラスト図は、近代スタイルと昔日スタイルの特徴を簡潔に並べたもの。私自身、近代スタイルを挫折してしまうくらいまで長く向き合っていたため、その違いはよく分かる。図は近代スタイルの批判ではなく「違い」として見てほしい。昔日・近代、ともに長短があることがわかる。

対人での練習が重要な位置を占める単換掌理。眼前対一攻防が主流の現代において、掌理を理解し、実行・経験している人は少ない。

眼前対一攻防の近代八卦掌の優れた指導者は、日本各地におられる。

しかし私は「誰もが・・・守ることができる」の条件に、目をつぶることができなかったため、この道を行くことにする。流派のネームバリューもない昔日の「単換掌理」スタイルのみのいばらの道だが、構わないと思う。

なぜなら実戦では、「これなら私が心の底から願う目的を達成できる」と己が信じたスタイルで存分に戦い抜き、最後まで立っていることが最も重要だから。

いきなり木刀やリードにつながれた犬で襲ってきた人間たちには、当然、拳法をやっていることや流派の名前を知らせる時間的余裕はなかった。突然後ろから突進してきたイノシシには、当たり前だが言葉なんて通用しない。

幾多の経験もあいまって、拳法は何が重要であるか、八卦掌は何が重要か、そう「生存」すること、「生還」することが重要なのだ、と確信し、すべてがつながった。数多くの基本技法も、老八掌も、定式八掌も、武器も、すべてが、つながった時だった。

これからは、講習会を開き、通信併用科も近々開設し、単換掌理を中核とした昔日の「生存」第一の八卦掌を伝えていく。

「誰もが大切な人を守り、そして自分を守ることができる」技術を、全国各地で、有志が、少しの行動で学ぶことができる・・・その環境が提供されれば、「立っているだけでいいんだ」と多くの防衛者が気づき、弱者が救われ、笑顔が増える。苦しみがそこで終わる。

このことを、真剣に考えている。

弊門の講習会では、冷やかしや、無礼な対応で肩透かしをくらわされることも多い。伝承系統を示すことができなくなってから急増した傾向だ。

武を志す者の中にそのような人間がいることは大変残念。いざとなった時、または苦しい時、優しさよりも己の利を優先させ、人を踏み台にするような人間かどうかは断言できぬが・・・・拳法なんぞ究極は人を傷つける技術。そんな人間にかかったら、不幸な人間を増やすだけと思ってしまう。

もしあなたが、君が、「誰もが大切な人を守り、そして自分を守ることができる」という度真面目でくさいスローガンに少しでも共感できるなら、君は優しさの天才。間違いない。

そんな君やあなたにこそ、教えたい、と素直に思う。そんな優しい人には、全力で「最後まで立っている」技術を伝える、と約束できる。

どんな形でもいいから、興味が少しでもあるなら、来てほしい。北陸に集え。冷やかしならいらないぞ。